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2016.05.21
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カテゴリ: アート
図書館で池澤夏樹著『スティル・ライフ』という本を手にしたが・・・・
パラパラと飛ばし読むと、主人公の友人の佐々井がちょっと変わっているけど、いい奴なんだな~。



池澤

池澤夏樹著、中央公論社、1988年刊

<「BOOK」データベース>より
遠いところへ、遠いところへ心を澄まして耳を澄まして、静かに、叙情をたたえてしなやかに―。清新な文体で、時空間を漂うように語りかける不思議な味。ニュー・ノヴェルの誕生。中央公論新人賞・芥川賞受賞作『スティル・ライフ』、受賞第一作『ヤー・チャイカ』を収録。

<大使寸評>
およそ30年ほど前、池澤夏樹デビュー時の単行本のようです。
主人公の友人の佐々井がちょっと変わっているけど、いい奴なんだな~。
持ち物は自分が持って運べる分だけというから、今でいうミリマリストそのもので・・・
合って話す話題が、素粒子とか地質学とかで、不思議な静けさがあるのです。

amazon スティル・ライフ


『スティル・ライフ』の語り口をちょっとだけ見てみましょう。
p49~51
 「この間のきみの雪の話、あれは面白かった」と佐々井が言った。

 彼の声は低く、ふくらみがあって、どこか老成して聞えた。この計画がはじまって、ぼくが染色工場を休職し、家で彼と証券会社の連絡係をやりはじめてから、彼はぼくよりずっと年上に見えるようになった。もともと年がよくわからなくて、ぼくと同年配という気がするときもあれば、はるかに上と思えることもあったのだが、計画に従って大量の資金を着実な手付きで運用しているさまを間近に見ていると、とても同じ年頃ではなかった。
 「先日、ここでさっきと同じように地形の写真を見ていて、地球の表面の形というのは全部何かが降ってきて、それが積もってできたんじゃないかって気がした。いや、地質学の常識から言えばまるで嘘だ。しかし、山になっているところには山の原素が降り積もり、熱帯雨林にはみずみずしい緑色の、たぶん葉緑素をたくさん含んだ熱帯雨林の原素が降って、砂漠には砂や礫や岩が音もなく降って、それで地形ができた。そういう原初の、もちろん人など誰もいない、およそ目をもつものが何もいない時の、光景みたいなものがその時だけ見えた」

 「少なくとも海は降ったものから作られたさ。間違いなく水なんだから」とぼくは言った。

 「そう、しかし、海を作った地球最初期の雨は豪雨だった。大気の温度が下がって、その時の大気圧に応じた水の沸点以下になった時に、空気中の水蒸気が液体と化して、すさまじい勢いで降りはじめた。熱湯の雨だよ。それが何百万年も降り続いた。そして岩を削り、岩石の中の水溶性の要素を全部溶かし込んで、地表の低い部分へと流れ、そこにたまった。その熱い雨の猛烈な勢い、もうもうと湯気をたてながら暗い暗い地表に降る雨の光景には、今ちょっとなじめない」

 「暗かったのかな?」
 「うん、今の金星みたいなもので、空全体が厚い雲に覆われていたから。日光はほとんど地表に届かなかった。とても暗かったよ」
 「それで?」
 「だからその雨みたいなんじゃなくて、もっと穏やかな静かな降りかたで、木々や草原や荒野の原素が、ちょうど雪のように降ってきて、今見るようなさまざまな地上の景観を作った。その、原素が静かに降る情景を想像するんだよ」

 佐々井はしばらく黙ったまま、ウィスキーを飲んでいた。
 「ぼくはね、一つのイメージにとらわれると、それから抜けられなくなるんだ。この、地形の素が静かに降り積もる光景というのが、これからしばらく頭の中に、他のものを押しのけて居座りそうだ」


この小説の終わりあたりを、見てみましょう。
p75~80
 時効が成立したところで、佐々井がはしゃいで大騒ぎをするとはぼくも思っていなかった。逃げている間はやはり彼もどこか緊張していたのだろうか。それがほどけた今、彼は逆に一種の苛立ちをおぼえているようだった。

「とりあえず、何をする?」と家に戻ったぼくは聞いた。
「考えていない」と佐々井は答えた。「会社への返済は弁護士を介してやる。昔知っていたのが一人いるから、その男に頼む」
「仕事は?」
「しばらくは何もしないな。またリュックを背負って暮らすかもしれない」
(中略)

「きみは本当にこのぼくたちの世界に属するんだろうか?」
「え? どういうこと?」
「違う世界から来たんじゃないかと思って」
「そんなことはないよ」
「あの株だって、ひょっとしたらタイム・マシンで明日の新聞を読んでやっていたのかもしれない。それなら、利益をあげるのは簡単だし、あんまり簡単だからつまらないということにもなるだろう」
「それじゃ、ぼくは別の星から送りこまれたのか」
「そう、大熊座から来たんだ」
「何のために?」
「何も。目的なんかない。きみはこの時代に来てみたかった。だから、休暇を申請して、しばらくここに滞在した。5年間だ。それが終わって、今は帰る時なのさ。だから、きみは帰ってゆく」
「でも、ぼくは徹底して地球的な、地上的な人間だよ。しばらく前までは、人はみんなぼくみたいだった」
「しばらく前って?」
「1万年くらい。心が星に直結していて、そういう遠い世界と目前の狩猟的現実が精神の中に併存していた」
「今は?」
「今は、どちらもない。あるのは中距離だけ。近接作用も遠隔作用もなくて、ただ曖昧な、中途半端な、偽の現実だけ」
「しかし、それでも楽に生きていけるように、人はそのための現実を作ったんだよ。安全な外界を営々と築いたのさ。さっきも言ったように、きみの方が今では特別な人間なんだ」
「知っているよ」

 彼にはそれ以上ぼくと議論をするつもりはないようだった。ぼくも、もう言うことはないと思った。たぶん喋りすぎたのだ。

 彼がその部屋にいる気配が薄れていった。出ていったのではなく、彼というものがどんどん広がって、この家よりもずっと広大な空間を占めるようになったみたいだ。空気が少し涼しくなった。しばらくして気がつくと、彼はもう遠方でかすかに光る微小な天体だった。ぼくは遠い彼に話しかけなかった。







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Last updated  2016.05.21 08:08:08
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