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2017.07.17
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カテゴリ: アート
図書館で『月島慕情』という本を、手にしたのです。
つい先ごろ『五郎治殿御始末』という短篇集を読んだところだが・・・その勢いで、また短篇集を借りることにしたのです。




浅田

浅田次郎著、文藝春秋、2007年刊

<「BOOK」データベース>より
恋する男に身請けされることが決まった吉原の女が、真実を知って選んだ道とは…。表題作ほか、ワンマン社長とガード下の靴磨きの老人の生き様を描いた傑作「シューシャインボーイ」など、市井に生きる人々の優しさ、矜持を描いた珠玉の短篇集。著者自身が創作秘話を語った貴重な「自作解説」も収録。

<読む前の大使寸評>
つい先ごろ『五郎治殿御始末』という短篇集を読んだところだが・・・その勢いで、また短篇集を借りることにしたのです。

amazon 月島慕情


「雪鰻」の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。
p94~98
<雪鰻>
 父にはいくら文句をつけたところで暖簾に腕押しだが、私は師団長ののっぴきならぬ反応に、手応えのある壁を感じた。
 「では、俺が好物の鰻を食えぬわけを話す」
 師団長は長いままの煙草を揉み消し、ソファに背をまたせかけて語り始めた。
 鰻は冷えきっていたが、舌をとろかすほどの甘い娑婆の味がした。
         *
 そのとき俺は、目の前に置かれたものがいったい何なのか、にわかにはわからなかった。
 室内にたちこめる香りと、赤い漆塗りの重箱が紛れもない鰻の蒲焼であるなら、これは夢にちがいないと思った。

 俺は食卓を囲んだ面々を見渡した。誰の表情にも懐疑のいろはない。まるで目前に供された鰻の重箱と、アルミの皿に盛った渇き物とエビスビールが、当然の献立であうように彼らは平静だった。

 俺ひとりが仰天していたのだ。
 食堂の扉が開いて、ピカピカの軍服を着た供奉(ぐぶ)将校がおごそかに言った。
 「宮家がお出ましになられます。お立ち下さい」
 20人もの軍人は一斉に立ち上がった。じきにカイゼル髭をたくわえた、恰幅のよい老将軍が入ってきた。元帥刀を佩き、軍服の胸に勲章を懸けつらねた、元参謀総長の宮様だった。

 軍司令官が畏みながら言った。
 「殿下におかせられましては、御身の危険も顧みず前線ご視察にお出ましになられ、一同、恐くに堪えません。のみならず陪食の栄誉を賜りまして、目下各所において敢闘中の将兵になりかわり、厚く御礼申し上げます」

 殿下はひとつ肯き、「一同、楽にせよ」と高らかな貴顕のお声で仰せられた。
 供奉将校が言った。
 「会食に供せられました鰻は、かしこくも天皇陛下の・・・」
 そこで供奉将校はいちど言葉を留めた。席についた軍人たちはすっくと背筋を伸ばした。
 「・・・ご下賜品であります。宮内省御用達、上野池の端の老舗より、職人もろとも長躯空輸いたしました。皇国のいやさか、皇軍の敢闘を祈念しつつお召し上がりください」

 ああ、そういうものなのかと思ったが、俺はまだ夢とうつつとを疑っていた。供奉将校は士官学校の同期生だった。その思いがけぬ邂逅が、いっそう夢とうつつとを疑わせたのだ。
 ほら、夢の中でしばしば意外な人物が、唐突に現れるだろう。ちょうどそんな感じだったのだ。
 ところが、夢でなさそうなことには、その供奉将校は俺の席の隣に座って、つぶやきかけてきた。
 「三田村、久しぶりだな」、と。
 まぎれもなく、同期の北島だった。
(中略)

 たぶん臭いもひどかったのだろう、右側に座っていた将校は、俺を避けるようにして椅子を引いていた。テーブルの上に、帽垂れの付いたしわくちゃの戦闘帽を置いているのは俺だけだった。

 「師団長はどうなさった」
 と、北島は訝しげに訊いた。
 「マラリアで動けん」
 「参謀長は」 
 どうしてそんなことを訊ねるのだろうと俺は思った。前線の戦況をまったく知らないやつに、師団長も参謀長も来ることのできぬ理由を説明することは難しい。むろん、説明する気にもならんよ
 「師団長にかわって、指揮を執っておられる」 
 北村は舌打ちをした。どうやら彼は、わが師団だけがまだ20代の若い参謀を、この後方の島に向かわせたことについて、殿下に対し奉り釈明をせねばならぬらしかった。
(中略)

 陛下はおそらく、大本営の戦況報告が信用できずに、宮家をご差遣になったのだろう。あるいは宮家が真実の戦況を陛下にお伝えするためえに、みずから進んでお出ましになったのかもしれない。そういうわけならなおさら、前線の悲惨な様子など口にはできまい。
 陛下の軍隊はソロモンの孤島で、口にする米の一粒とてなく、マラリアと熱帯性潰瘍に蝕まれて、ジャングルをさまよっています、などと。








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Last updated  2017.07.17 07:01:07
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