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2021.11.14
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カテゴリ: 気になる本
図書館に予約していた『父の詫び状』という文庫本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。
この本はどこを開いても、つい惹きこまれるお話が並んでいて・・・それだけ著者の生活を見る目に深みがあったのでしょうね。





向田邦子著、文藝春秋、2006年刊

<「BOOK」データベース>より
宴会帰りの父の赤い顔、母に威張り散らす父の高声、朝の食卓で父が広げた新聞…だれの胸の中にもある父のいる懐かしい家庭の息遣いをユーモアを交じえて見事に描き出し、“真打ち”と絶賛されたエッセイの最高傑作。また、生活人の昭和史としても評価が高い。航空機事故で急逝した著者の第一エッセイ集。

<読む前の大使寸評>
この本はどこを開いても、つい惹きこまれるお話が並んでいて・・・それだけ著者の生活を見る目に深みがあったのでしょうね。

<図書館予約:(10/06予約、副本7、予約10)>

rakuten 父の詫び状


四国の高松に触れているあたりを、見てみましょう。私も高松に住んでいたことがあるので、チョイスしたわけですが。
p78~81
<細長い海>
 この間うちから、がま口の口金がバカになっている。
 癇性なせいか、靴の紐やベルトもきつめに結ぶたちなので、がま口もパチンと音がしないとお金の出し入れのきまりがつかないようで気持ちが悪い。銀座へ出たついでにデパートの袋物売場をのぞいてみた。あれこれ物色した挙句、結局は買わずに帰ったのだが、隅に並んでいた赤い丸型の小ぶりのがま口を手に取った時、よみがえるものがあった。

 何十年も忘れていた海辺の光景が浮かんできたのである。四国の高松に住んでいた時分だから、35年も前のことになる。私は小学校6年生だった。
 私は友達の女の子と二人で、堤防の上を歩いていた。海水浴の帰りで、髪は濡れていたが肌はサラサラで、泳いだあとの眠いような快さがあった。少し泳げるようになったこともあって、私は機嫌がよかった。小さな赤いがま口をお手玉のように放り上げ放り上げしながら歩いた。

 反対側から水兵さんが二人やってきた。当時高松は「築港」と呼ばれる連絡船の着く桟橋があり、戦争中だったから軍艦が寄港していたのかも知れない。水兵さんは堤防で釣をしている人をのぞき込んだりしながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 私は小学校三年生の時、学芸会で「かもめの水兵さん」を踊ったことはあるが、本物の水兵さんを間近に見るのは初めてだったから胸がドキドキした。ところが、すれ違いざま、先頭の水兵さんはひょっと手を出して、私が放り上げたがま口をさらってしまった。

 友達の女の子が、目をパチパチさせて私を見た。この子のキョトンとした顔はそのまま私の顔だったろうと思う。その頃、兵隊さんは絶対的な存在であった。水兵さんにがま口をかっぱらわれるなど、お巡りさんに泥棒されるのと同じだった。

 記憶はここでプツンと切れているのだが、どうもこのあと、この時の赤いがま口を使ったような気もするので、多分水兵さんは「冗談だよ」という感じでがま口を返してのだと思う。だが、わたしの思い出の中の絵は堤防の上をゆく、蚊トンボのようなすねをした女の子が、すれ違った水兵さんに赤いがま口をひょいとさらわれて呆然としている場面なのである。あの日、瀬戸内海にしては珍しく風があったのか波は音を立てて堤防の左側を叩いていた。

 海水浴場で心に残っているのは、鹿児島の天保山である。
 40年前の田舎の海水浴場というのは誠にのんびりしたもので、よしず張りの入れ込みの脱衣場と黒いこうもり傘を立てたラムネやゆで玉子を売る小店が出ているだけであった。

 鹿児島市内の住まいから、日曜のたびに出かけたのだが、引率者は大抵祖母で、私と弟がボチャボチャやっている間中、砂浜に日傘をさして座り、母から借りた腕時計を見ては、十分間たつとハンカチを振って私達に合図をした。
 その前の年、私は大病をしていたので、医者から海水浴は十分入ったら十分出るようにしなさいといわれていたのである。

 この天保山海水浴場の脱衣場で、私は下着を盗られてしまった。なんでも手作りにするうちだったから、「ズロース」も白いキャラコで母の手縫いであった。日華事変は始まっていたが、まだ衣料品は逼迫していなかったから、どうして子供の、しかも手縫いの下着1枚だけがなくなったのかわからないが、とにかく脱衣籠を逆さに振っても無いのである。

 天保山から市内のうちまではバスに乗らなくてはならない。ベソをかく私を見かねた祖母は、当時小学1年の弟に、
「お姉ちゃんに貸しておやり、お前はじかにズボンをはけばいいじゃないか」
 といってきかせるのだが、弟はいつもはのろのろしている癖に、この日だけはいやに手早く身支度を終え、ズボンをギュッと手で押さえながら、ムッとして返事もせず海を見ていた。

 私はスカートの裾を手で絞るように押さえながらバスに乗りうちに帰った。その夜の夕食でこのことを母が父に報告した。父は晩酌のビールを飲みながら聞いていたが、いきなり、
「馬鹿!」
 とどなった。 
「二人とも馬鹿だぞ。保雄は男じゃないか。どうしてお姉ちゃんに貸してやらない。お前は男のクズだ」

 弟は口惜し涙のたまった目で、私をにらんだ。
「邦子も馬鹿だ。そんなに大事なものならこんどからははいて泳げ!」 
 きまりの悪いはなしを蒸し返されて、それでなくても身を縮めていたのに、何という理不尽なことをいうのだろうと私も鼻の奥がツーンとしてきた。





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Last updated  2021.11.14 00:39:19
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