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歩世亜さんComments
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図書館に予約していた『 ヒップホップ・モンゴリア 』という本を待つこと 10 日ほどでゲットしたのです。
人類学ドキュメント ( 韻がつむぐ人類学 ) と銘打ったこの本が興味深いので、 チョイスした次第です。
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<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">
【 ヒップホップ・モンゴリア 】
webp 画像につき開示できず
<
商品説明
>より
「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。
青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。
<読む前の大使寸評>
追って記入
rakuten<a href="
https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/
">
ヒップホップ・モンゴリア
</a></td></tr></tbody></table>
「第 1 章 創世記」 にモンゴルのラッパーの面白さが表れているので見てみましょう。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P79 ~ 81
<font color="brown"> <ユーロダンス系のラッパー > </font>
このような欧米の音楽の流入呼応する形で、モンゴルにおいてもロック・バンドが結成されるようになった。
1989 年には、モンゴル最初のハードロック・バンド「ハランガ」が結成された。モンゴルで最初のラップをしたのは、 1992 年に結成されたラップヂュオ、ハル・サルナイ ( 英語名 Black Rose) である。
シンセサイザーの射ち込みによるユーロダンス系の音楽に合わせて激しく踊りながら、「創り滅す」という曲では「俺たちはすべてを創る/すべてを滅ぼす」と絶叫するようにラップする。ファッションはナチスのssのような軍服にサングラス。空手の四股立ちのようなポーズ。殴ったり蹴ったりといった喧嘩のパントマイムのようなダンス。
曲もダンスも明らかにヒップホップではなかったが、 1995 年当時のモンゴルの少年少女たちは、この“新しいスタイル”に飛びついた。
彼らは自らの音楽をレップ (Rep) と呼んだ。だが、やがてヒップホップの時代がやってくると、彼らの音楽はヒップホップではなくて「テクノ・ラップ」と呼ばれるようになる。
またダンスグループから発展して 1992 年にラップをするようになったハル・タス ( 英語名 Black Èagle) というグループもあった。彼らの音楽はテクノ系ではなくてヒップホップだったが「曇り空」というヒット曲を一曲出して姿を消した。ハル・サルナイ、ハル・タスに共通しているのは、二組とも社会主義時代の党エリート、すなわち「上流階級」の子女だったことだ。
ハルサルナイのリーダー、アムラーは、社会主義時代の民族舞踏の一大権威である舞踏家 S ・スフバートルの息子であったし、ハル・タスのリーダー、マルカも父親が著名な作曲家だった。彼らは社会主義時代の親のコネクションがあったからこそ、テレビやラジオに取り上げられやすかった。
一方、 MCIT エンフタイワンや BIG Gee のようなゲル地区出身の本格的なラッパーたちが活躍し始めるのは、それよりだいぶ後のことだ。
<font color =” brown” ><ディスコ、クラブと DJ の誕生>< /font >
ところでヒップホップの「現場」といえば、ストリートとクラブだろう。本来、ストリート性の強い音楽であるヒップホップにこの二つの空間は欠かせない。特にストリートでは、円状に人が自由に集まってラップやブレイクダンスの技能を競う。サイファーである。
ところがモンゴルは、サイファーのようなストリート文化が発達してこなかった。夏を過ぎると夜は氷点下、真冬はマイナス 30 度以下になり街路は凍結する。アパートの共用玄関「オルツ」は、ストリートに比べれば暖かいが、ダンスやラップのバトルをするには狭すぎる。
となるとモンゴルにおけるロックやヒップホップの現場は、ストリートではなく空間的に閉鎖された建物にならざるを得なかった。ディスコあるいは最近ではクラブ ( モンゴル語ではロシア語風にクルーブと発音する ) と呼ばれる場所である。
ちなみに寒冷地という気候は、後に 2010 年代、スマホを使ったウェブ上のフリースタイル・バトルという文化を生み出した。ちなみに 90 年代当時のモンゴルでは、ディスコとクラブというものの違いはほとんど認識されていなかった。
モンゴルの初期のディスコは、社会主義末期、社会が混乱する中、機能しなくなった社会主義の諸施設 ( 例えばビスタフカ ( 国際見本市会館 ) やヤラルト映画館 ) のホールにオーディオ・コンポを持ってきて音楽をかけて、踊りはじめたというのが始まりである。特にビスタフカには数千人が集まって踊るほど賑わっていたという。
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