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先日のブログでも書きましたが今日は、ブラジルの音楽家「ジスモンチ」のコンサート若干出るであろう当日券を求めて開場の1時間30分前から並び、なんと奇跡的にも特別に用意されたパイプ椅子補助席が入手できました!!コンサートホールでのこういう対応は耳にしたことがないのですが少しでも、彼の音楽を届けたいという主催者側の意向であるならば何とも嬉しいことです会場には、僕がCDを持っているような有名なクラシックギタリストやJAZZギタリスト、その他音楽家もウヨウヨ(当然だけど)僕は、興奮と胸の高鳴りを押さえて席につきましたコンサートは、全てジスモンチのソロによる演奏1部はギターソロ 2部はピアノソロ初めて生で見るジスモンチ、そして彼の音!!この森羅万象の世界にある音は星の数同様無数でありその全ては音楽となりうるというのだろうか・・僕は、気がついたら夢中になりそこは東なのか西なのか、はたまた東京の都会なのかアマゾンの密林なのか仏教徒なのかカトリック教徒なのか、過去なのか未来なのか要するに 何もかもが取っ払われた別の世界に誘われるかのように音世界に入り込んでいました僕が地図もコンパスも持たない旅人ならば彼は、その旅人を導く案内人コンサートを終えた後の聴衆の幸福そうな表情、そしてそこを漂う何とも神々しい空気「そうなのだ音楽はこれが出来るのだ・・・」
2007.08.20
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まず この新人公演出演に際して様々な形で協力、応援、そしてコメントを下さった方々そして僕の演奏を聴いてくださった方々に心から感謝いたしますここまでの取り組み過程から多くを学んだのはもちろんですが演奏最中、そしてその後の反響からも多くのことを学びました、多くの人の関心の的になっていると思われる受賞結果についてですが「受賞ナラズ」でした。ちなみにそれに対する本人の正直な心を言葉にすると「ふむふむ」という感じです傍観的になっているつもりはないのですが、かなり静かな感じです。演奏から時間が過ぎているせいもあるでしょうしこれは僕の個人的傾向なのかどうかは判りませんがひとつの演奏が終ったら、その直後「次の演奏をどうすればもっと良くなるのか」「何を反省し、何をどう生かすか」というところに意識が向かっています音を発したらば、それはもう僕のものでありませんし聴衆その他全てに委ねられてしまうものです、(僕がそこまで達観しているか否かは怪しいですが・・)そういう感じなので、僕はそれら一切を受け止め明日の自分につなげるという事ぐらいしか考えられないというのが本音ですただ、今回のチャレンジで得たものは大きかったです、演目を決定してからは、あらゆるギタリストの「タランタ」を聴いて「カンテ」を聴いて、「タランタ」とな何ぞやというとところから始まり、その上で僕は何が出来るのか?何が僕の感じるフラメンコなのか?という疑問、楽曲構成の際、5分という時間的制約の取り組みで悩む事によって新たに発見したこと。それらを実際に演奏するに際して明らかに不足している技術面、そして勘違いしていた解釈そしてそれらは本当に僕が共有できて、心から弾く事を欲するものなのか自分の演奏を録音しては聴き返す途方もない作業この曲を弾く事によって聴衆に何を伝えようとしているのか・・・そして これらはこの公演に出演するしないではなくこの集中力のレベルで日常からやっておくべき事であるという事そんな感じで「うだうだ」が一巡すると本番当日は開き直っている自分を発見しました(もちろん 緊張はしましたよ!心臓の鼓動がマイクに入るかと思った)これが2007年夏の僕であるのだという事、そして、これが今の僕の偽りのない姿であるという事、楽屋で他者のギターを聴いても、僕は僕の音で行くと胸をはって思えたことそしてミスを恐れず、唯一の目標であった「僕は僕を解き放つ勇気を持つ」という気持ちをもてたこと公演後 たくさんの嬉しい感想をいただいてもなかなか素直に受け入れられなかったのは僕の人間的未熟さでその点についても多々、考えさせられましたでも本当は嬉しかったのですよ!どうもありがとうただ虫の良い話ですが 僕の耳には良い話しか入ってきませんそのうえで、僕は今一度謙虚になって自分の演奏をそして自分という人間を見つめなおす必要を強く感じています。なぜなら 今の僕は、僕が目指す演奏に程遠いところにいるのですから・・・最後に、様々な形で応援協力してくれた友人、知人の皆さんへの感謝僕の演奏を聴いてくれた聴衆の皆さんへの感謝、あらゆる角度からサポートをしてくれたギタリスト「長尾ゆうたろう氏」そして、世界で一番厳しく、あたたかい応援をしてくれた我相棒の奥さんへ心から感謝を述べます。僕は、皆さんに育てられそして生かされているのだということを再認識できました本当にありがとうございました。追記!!ものすごくたくさんの人に言われたのが「あの演奏する前の空白の時間は何だったの?」というコメントあれは、呼吸を整えて心の静寂を感じるために必要であったということと最初に弾くべき音が頭に鳴るのを待っていた時間なのですがその日のコンディションによってかかる時間はマチマチなのです。僕にとっての常識が、他の方々にとっては奇異に映るということなのですね はい
2007.08.20
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先日の演奏についてたくさんのメールや書き込みのお言葉ありがとうございました謙虚に受け止め、今後に生かして行きたいと思います!感謝一昨日の新人公演の演奏を終え昨日は、八王子のライブレストラン「グランデセオ」に出演今日は、新人公演(3日目)の前半部を観賞後友人から招待を受けていた「ベリーダンス」のライブを見てきました明日は、あのブラジルの鬼才音楽家「ジスモンチ」が15年ぶりの来日コンサート!僕が情報を仕入れた時点で問い合わせするもチケット完売・・ただ当日券が若干出るとの情報で、それに賭けて行ってみようかと思っていますちょっと体も心も休めて、いろいろと思索したいというのもあるのですがこれを逃したらもう一生見ることができないかもしれませんそう考えると答えはひとつです。物凄い楽しみです(見れないかもしれないけど・・)
2007.08.19
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新人公演終りました2007年夏の1ページが終りました見に来てくださった方々本当にありがとうございましたたくさんの方々にエールと協力を頂きまた何かしらの言葉をいただけたこと僕にとっては、本当に貴重な経験であり喜びです。詳細の後記はまたあらためてブログに掲載しますね本当にありがとう!
2007.08.17
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しかし 暑いですね!日本各地でどのぐらいの人間がこの言葉を発しているのでしょうか・・僕の、練習部屋にはエアコンがないのでハチマキを頭にまいてギターの練習をしています新人公演を2日後に控え、もう少し精神的にピリピリするのかな・・と思っていたのですがそんなこともなく心は静かです、もちろん 演奏には不安材料だらけです、技術的欠陥が解消されたわけではないですし頭に描いた音のデザインそのものもまだボヤけているところがありますまた自分のコンディションで演奏にムラがあるのも否定できません先日破損した中指の爪も未だ結局伸びていませんそして自分で構成したこの楽曲は、精神的にぎりぎりの部分までいかないと絶対に弾けないし他者に伝わらないということも判りましたそのうえで 「それでも僕は演奏したい」というポジティブな感情が残ったのは、今回の過程から得られた成果かもしれません今回の楽曲は、グラナダ在住時にヒターノの師匠から習ったファルセータを中心にし、自分のフレーズを織り込みながらアレンジ、構成していきました。特に習ったものについては、どこまでニュアンスを模倣するのかというひとつの命題にぶつかり、「彼はこう弾く」「でも 僕はこう弾きたい」「でも こっちがフラメンコ」「うーん 先生もいつもニュアンスが違うし・・」という自分の中で問答を繰り返しつつ音を探し今日に至っています、全編 自分のオリジナルという方法もあったのですが、今回は、自分の音楽的オリジナリティというものよりも自分がスペインで直接感じたフラメンコ、グラナダのヒターノたちのアイレを大切にするという方針を優先しました(僕の演奏でグラナダの品位を落とさないようにしなくてはいけませんね)曲目は「Taranta de mi Granada」ですでは!
2007.08.15
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この土日は千葉県の南総「館山」で過ごしたこの地では10年以上前から町興しの一貫としてフラメンコフェスティバルが行われており僕が参加したのは館山の市民サークル「ヒラソル」の伴奏とこれまた、町の企画で行われている「親子フラメンコ」の伴奏地域密着で行われ継続されてきたこの企画には様々な方々の有形、無形の努力があり現在にまで繋がっているのであろう夕暮れの時を散歩していると光を帯びた空がゆっくりと闇に向かっていく海岸の町特有の夜の訪れである星の光と波の音に耳を傾ければそこは静寂の深淵次回は泳ぎたいなあ・・・・!
2007.08.13
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先日の金曜日、高円寺の店「エスペランサ」に足を運び、カネーラプーラのライブを見に行ってきましたこのユニットはギタリストの金田さんと踊り手である小島慶子さん夫婦、そしてギターの小原さん、歌い手の川島さんを中心としたんもので毎回、様々なゲストを呼び興味深いショーを見せてくれる今回のゲストは踊り手の「高橋英子」さん店内は立ち見が多数出るほどの集客で僕も立ち見、でもその立ち見が苦にならないほどのステージであったまさに、僕はこのライブをこの時期に見れたことを幸運に思う小島慶子さんの踊りを見たのは久しぶりなのですがその圧倒的なエネルギーと純粋さにはびっくりしました!人をひきつけてしまうであろう 強力なものそれを具体的に述べるような愚行は避けたほうが懸命であろうまったくもってして素晴らしいです !はいそして 高橋英子さん彼女が展開する、独特の世界観は他に類を見ないものである心の底から笑わされてしまったと思えば、いつのまにか彼女の空気感に誘われ、僕は知らない世界に身を置くそしてその世界にもっといたいという欲求にかられる。「踊り」という特定の表現行為を見ているのではなく「高橋英子」という人間そのものに触れているような感覚になる「そう これなのだ・・・」そして その感覚の向こうには、僕がまだ見ていなけど欲してやまない深淵の世界が間違いなくある帰宅後、僕は布団の中で思索の世界に没頭した。思索の向こう側にある世界を探して
2007.08.13
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先日の徹夜からくる体のリズムの乱れいつもは、放置して過ごすのだが今回は、マラソンとしじみ汁によって早期回復をはたした先日、テレビのある番組で中国のウルムチが紹介されていた中国西部にあるウイグル自治区と呼ばれる砂漠地方で民族も漢族ではなくウイグル族、そして宗教はイスラム。昔から この地に興味を持ちながらずっと行けずにいた、もちろん 僕にとって興味がある地は無限でありそこを全て旅するには世界はあまりに広いし人生はあまりに短すぎるそれを承知のうえで、もう少し旅をしたい欲求が僕の中に眠っているいたずらに空間を移動し彷徨うことが旅ではない生きる事そのものが旅なのではないか・・ならば 何をあせって動き、何を探そうというのか・・という自分なりの解釈を見出してから僕は動いていない(まあ スペインにも住んだし、その間モロッコにもポルトガルにも行ってはいるが)以前、僕は自由を装った不自由な旅人だった気がする確かに見た目にはバックパックひとつでスケジュールもほとんど決めずに動いているわけだから自由奔放と見られることが少なくないでも その内面は本当に自由と呼ぶに値するものであったであろうか?(まあ その時の経験が宝物であることに変わりはないが)少しだけ歳を経た今ならば、もっと違ったやり方、もっと自由な眼差しで世界を見ることが出来るような気がする
2007.08.08
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ここのところ苦悩の日々が続いている、自らの音と真正面から向き合う作業、今まで、自分が真剣にやってきたつもりでいてもそれがいかに中途半端で軽薄なものだったのかを嫌でも思い知らされる日々、今さらながら自分の人間として、また演奏者としての未熟さを痛感するそして今出来る事は 「それを受け入れたうえで何が出来るのか」ということなのだろう昨日は、日中仕事で館山に向かいそのまま東京に出て友人のライブへ直行フラメンコギターを中心にすえたバンド形式のスタイルはパコデルシアから始まりビセンテアミーゴその他今ではよく見受けられるスタイルになりつつある、今回はギター二本にドラム、ベース、アコーディオン、サックスがフューチャーされなかなか聞き応えのあるものであった。ただギターという楽器が持っているひとつの宿命としてドラムやエレクトリックベースがフューチャーされたときの音響バランスの難しさを感じた、僕は、まだ経験していない世界ゆえに具体的な意見は述べられないのだが今後のために このことを頭の片隅に刻んでおくべきであろうライブ終了後、友人や出演者と共に徹夜コース朝5時過ぎ、まだ町が動き出す前の空気の静寂さを久々に感じたこういうのも悪くない
2007.08.05
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