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♪ 垣根ごしに見知らぬ家の主(あるじ)より朝のあいさつ五月晴れです‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一昨日、久し振りに朝早く歩いたのが気持ち良かったのと血圧がチョット高めということもあって、今後は一日置きの朝のウォーキングと決めた。その分距負担にならないように、距離は少な目にしておく。 で、今朝も5時10分に出た。中道を通ったので行き会う人は少なかったが10人ちょっとに挨拶をして、ほぼ100%返って来たので気分がいい。 広い通りに出て歩道を歩いていると、家の庭から垣根越しに挨拶をしてくれる人が居た。想定外のことで思わず笑みがこぼれた。その時の雰囲気からして、誰にでもそうしている感じでもなかった。 もう長年ウォーキングをしているので、“挨拶をする人” として顔を覚えてくれているのかも知れない。それならいっそのこと、積極的に私が何者かを知ってもらおうじゃないか。“それには歌会始に選ばれて、新聞記事になるのが一番だなあ” なあんて、勝手なことを夢想しながら歩いてきた。 題詠である上に一人一作しか応募できない。二万数千首の中からたったの10首。その中に入ることは、プールで失くしたコンタクトレンズを見つけるようなもの。しかし、宝くじだって当たる可能性はあるし、買わなければ話にもならない。過去のお題と応募数 今回のお題は「望」で、令和最初のものとあって応募者は何時もより多いかも知れない。また、選者の心境も新たとなって、今までとは違う傾向の歌を選ぶかもしれない。 9月末が締め切りだが 、“暑い!アツイ!!” と形而下にこころ紛らわせている内、卒然として目の前に現れるというのがオチだ。暑くなる前に精神一到、一首入魂のもとに詠進歌をものし、残暑の合間を縫って乾坤一滴気分で宮内庁宛てに一首を投ずるという算段・・・。バイカウツギ(梅花空木) 宝くじは一万円が当たったことがある。可能性は少ないが、僅かであっても、目高の涙ほどであったとしても、有るにはある。運は自分で引き寄せるもの。「犬も歩けば棒に当たる」は災難に遭うの例え。「果報は寝て待て」「棚から牡丹餅」なんてあり得ない。
2019.05.24
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♪ 放置田にギーシャカシャカとヨシキリの鋭(と)き声ひびく老いゆくはわれ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今日から来週にかけてかなり暑くなるらしいので、いよいよウォーキングも夏バージョンに変更だ。 今朝は、久し振りに朝早くと言っても、陽はしっかり昇った5時過ぎに家を出た。 やっぱり朝は気持ちがいい。何時以来だろうか? 寒くなってからの事だろうから半年ぶりというところか。さすがにこの季節の朝は歩いている人が多く、かれこれ20人程に「おはようございまーすっ」と声を掛けただろうか。その半分くらいは向こうからも同時に挨拶してくれて、朝の挨拶が定着しつつあることを実感する。以前は1割ぐらいだったのだからずいぶんな変わりようだ。残り半分のそのまた半分は全くのノーリアクションで、これは殆どが男。これは今後もずっと続くのだろう。 しかし、私に挨拶してくれる人が他の人にも同じようにしているかと思って見ていると、どうもそうでもないらしい。私の顔を覚えてくれていて、条件反射的に挨拶してくれているような気がする。それはそれで嬉しいし、そえをきっかけに誰にでも挨拶する様になってくれれば尚さら嬉しい。 声の大きい元気そうなお婆さんがいて、何度か言葉を交わしたことがあった。今朝も久し振りに立ち話をしていたところに通りかかったので、当然あいさつをした。すると、今まで話ししていた人そっちのけでこちらに話を向けたきた。話し好きなので話し始めると止まらない。今まで相手していた人もちょっと困っていたらしく、これ幸いに行ってしまった。 適当に切り上げたいがなかなか区切りがつかずもじもじしていたが、足止めしていることに気付いてくれたのか、突然切り上げて行ってしまった。まあ、いろいろあるわ。 古希となってさすがに体力は落ちてきているが、気分は10年前と変わっていない。しかし、二か所の階段を駆け上がり “おおまだまだいけそうだ” と思っていても、後半はちょっと草臥れてきて、70という歳を思い知らされている。 歩道を歩いていて煙草の空き箱が落ちていた。如何にも真ん中に転がっているので足で蹴ってやった。そしたら重い手ごたえがあった。拾い上げてみると、なんと封も切ってないまっさらなヤツだ。自転車か何かで通った人が落として気づかず行ってしまったらしい。 拾っちまった以上またそこへ戻すというのも何だか変。なので一応貰っておこうかと。でも気づいて引き返してくるかもしれない。いや、他の誰かがまた拾うかも知れない。財布ならまだしも、煙草一箱を交番に届けるわけにもいかない。 そんなことを考えながら、煙草を手に持ったまま足は前へ動いている。パッケージにメビウス・プレミアムメンソールとある。はて、どうしようか? 自分はとうの昔に禁煙しているし、身内にも吸ってるやつはいない。アイツも、あの人も最近やめたし・・・。 外国煙草なんかパッケージに髑髏の絵が描いてあったりして、害が有ることを強調して注意勧告しているが、日本たばこ産業は表記がぬるい。 元々は専売公社が、塩と同じ扱いをしていたもので、国策で税収を当てにしているために厚労省と財務省がむにゃむにゃやって販売を続けている。 スクランブルの交差点に差し掛かった。東西の信号が赤からすぐに青になり、南北の信号が青かとおもって出掛かった車が横断歩道まで飛び出して慌てて止まった。スクランブルの歩行者用が青信号になったのだ。その飛び出しているダンプカーのところまで行って、窓に煙草をかざして指を差しながら運転手の顔を覗き込んだ。すぐに窓を開けたので「煙草吸う?」と聞くと「吸うよ」というので、「上げるわ」と言って渡してやった。嬉しそうな顔をしてお礼を言いながら受け取ってくれた。 今、煙草は幾らするのかと思ったら、タール:1mg ニコチン:0.1mgの一番軽いのでも480円もするんだねぇ。一本24円が安いのか高いのか、人それぞれだろうが・・。肺がんのリスクは高まると言っても立証はされていないと聞いたことがある。注意書きには色んなバージョンがあるらしく、その一つが書いてある「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は心筋梗塞により死亡する可能性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。」 2時間をほぼノンストップで歩き、13,000歩ほどだった。歩く速度はかなり遅くなっているの筋力の衰えは否めない。これから真夏に向かって、年々長くなる夏対策のためにはあまり疲れない方法で効率のいい運動を心掛ける必要が有りそうだ。
2019.05.22
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♪ 早朝のしじまを裂きて響(どよ)みだすハシボソガラスの声の狼藉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 急に暑くなり体がそれに追いつかずにバテてしまうのを避けるため、汗腺トレーニングをする必要がある。それで、昨日は前日ほどの暑さではなかったが、毛穴を刺激するためにウォーキングに出た。ちょうど中三日のGT(グッドタイミング)だ。 「茶房じゅん」に用事も有ったので、北回り片道5キロ弱コースへ。 東海市は、街並み景観を意識しているのか、開発された駅前の建物には配慮がなされている建物がいくつかある。 エビせんべい「音羽屋」は大正 9年創業の老舗で、2018年に改築されたらしい。東海市は市制50周年記念事業として「市街地再開発事業」を実施し、駅前が大きく変わた。それに伴っての改築だった様だ。 それまではこんな感じの店舗だったが、「店舗+工房+住宅プロジェクト」を組んでの一大事業として、これを機に全てを一新。現在は四代目で、愛知県の「えびせんべい生産量全国一」の一角を担って頑張っている。 駅前にはこんな大型駐車場(東公共駐車場)があって、その壁面が独特の構造になっている。蔦を垂らしてあって、全体を緑化することで地域の緑景観形成を図っている。カセットタイプとパネルタイプの工法を組み合わせてあるらしい。東側の壁面 カセットタイプとパネルタイプの工法を組み合わせてあるというから、上部がカセットタイプで下がパネルタイプなのだろう。 カセットタイプはこんな感じになっている。保水・給水はどうなっているのだろう。内側からはこんな風に見える。駐車場と市民交流プラザは繋がっている。 看板の後ろに見えるのは消防団の建屋で、この裏側は山車の倉になっていて建物の様式が統一してある。駅周辺の空撮中央が太田川駅。西側に東海市芸術劇場、東側に市民交流プラザがある。 「茶房じゅん」に着いた時は午後も3時半を回っていて、この店としては遅い時間帯。駐車場に車が一台も無いので休みかと思ったが、看板はopenとなっている。月曜ということもあってか客はおらず、オーナーとゆっくり話をすることが出来た。1時間程、喋っていたかな。 帰り道でこんな建物が目に留まった。何かの店らしいが「ウサギ商店」とだけあって良く分からない。ググッてみると「ウサギ洋装店」というサイトがあり、どうやら着物から洋服、バッグなどを作っているリメイクショップらしい。 帰りは風も出て涼しくなり汗もほとんどかかず、往きに少しだけかいただけだった。汗腺トレーニングとまではいかなかった。この日の13,000歩ほどのウォークは、徐々に体を慣らしていくには良かったんじゃないかな。★ いい汗は “限りなく水に近い” そうで、小粒でサラサラしていて無味無臭で乾きやすいんだとか。しかし、現代人の汗はしょっぱくて、べとべとしがち。大粒で流れ落ちてしまう無駄汗が多いという。 「汗の素材は血液の液体成分である血漿(けっしょう)。これを汗腺が毛細血管から取り込み、皮膚に送りだす。ふだんから汗をかく生活をしていると、血漿中の塩分やミネラルは途中で血液に再吸収され、体はほぼ水分だけを出すようになる。」らしい。 それが、汗をあまりかかずにいると汗腺機能が衰え、塩分やミネラルが再吸収されないまま汗として出てしまう。これが悪い汗で、乾燥しづらく、流れ落ちた分、余計に汗をかかないといけなくなる。そして、汗にまじるアンモニアや乳酸が、汗臭さのもとにもなるようなのだ。汗腺トレーニング(朝日新聞より) もともと人が汗をかくのは体温調節のため。蒸発する汗が皮膚の熱を奪い、体温を下げる。100ミリリットルの汗で体重70キロの人は体温を1度下げることができるという。夏場に真価を発揮する冷却装置。 日本生気象学会や環境省は、「インターバル速歩」を紹介している。3分間の早歩きをし、次の3分はゆっくり歩く。夏前の5~6月にこれを一日に5回(30分)以上。中高年や体力のない人でもでき、血液や汗の量を増やし、体温調整能力の向上が期待できるとか。 しかし、なかなか1日に5回は出来ないし、この程度では真夏でもない限り大して汗もかかないだろう。汗をかく能力は個人差が大きいので自分に合ったやり方を見つければいい。
2019.05.14
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♪ うぐいすの頭上で啼きて声韻の玻璃緊りして空へぬけゆく アラブ人と二日間を共にして、草臥れて帰って来た後はまったく動かずにいた。天気も良い事だし、久し振りのウォーキングに出ることに。1日の日に図書館まで往復を歩いて以来となる。 この時期はどこへ行っても新緑に包まれ、清々しい気分になれる美しい風景が広がっている。里山の脇道に入って、にわか詩人にでもなった気分で散策するのは良い気分だ。 このスギナの群生は独特の雰囲気をもって下草としての地位を確立している。木洩れ日のわずかな陽の光の中でひっそりと、しかし大らかに、そして満足げに濃い緑色の茎葉をばしている。その姿をまるで敬虔な営みのように思ったりしながら眺める。 いつ行っても誰もいない。入り口近くで老人が一人、四葉のクローバーを探す姿があったきりだ。静かな木々に囲まれた中で一心に四葉のクローバーを探す。太公望にも似た心境だろうか。 杜甫や李白なら何かしら詩を書きそうな、とても静かな午後だ。 犬を散歩させる人もいるらしいが時間帯がズレているのか、一度も会ったことがない。この時期が最も快適で、気温が上がるとやぶ蚊がすごくて、とてもノンビリ散策などしてはいられない。 この「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」の木は、揖斐川周辺にもあった。 竹林の中に設けてあるこの散歩道。ほとんど手入れのされていない竹林の中から時どき「パン」という乾いた音が聞こえてくる。強い日差しを受けて、倒れている竹が割れる音のようだ。静かな竹林で何かを暗示するかのごとく響く音。このアクセントのようなひびきを、武満徹ならどう表現するだろうか。 そういえば、アラブ人にとって詩はとても重要なものだと言っていた。普段の会話の中にも使われるという。空の青と自然の緑、そして美しいもの(女性)その三つが重要で、生活と心の中に何時もあって支えになっているらしい。 また、アラブ地方はニュース映像で砂漠地帯しか映らないが、野菜も豊富だし果物もサクランボや無花果、ザクロやオレンジなどあって、砂漠のようなところだと思うのは大きな間違いらしい。 ダメもとで佐布里の藤を見に行ったが、やはり時すでに遅しで、ほとんど散ってしまっていた。揖斐へ行っている間が見頃だったのかも知れない。向うの山にも山藤があちこちに咲いていたのを考えると、暖かい分こちらの方が早いだろうからもっと前だったかもしれない。 あずま屋でギターをつま弾く人が居た。連休明けの閑散とした佐布里池に、ポピュラー音楽の弦の調べがたおやかに響く。ちょっと自信が出て来たころなのだろうか。 揖斐地方で山菜採りが出来なかったのをウォーキング中に思い出し、ついでに野草を摘んで帰って、天ぷらでもしてやろうと思い付いた。 身近にも結構食べられるものは多い。新芽なら天ぷらにすれば大概のものは食べられそうだが、取りあえずは良く知られたものを中心に摘むことに。 ウドの新芽がやはり一番美味い。どれも美味かったが、三つ葉は油の温度が低すぎたのか、水気が多かったいせいかべちゃっとしてしまった。カラスノエンドウの莢は固くて食するには、極小さなものでないとダメのようだった。 葡萄の新芽も食べられるのを今、思い出した。次の機会に譲るとしよう。
2019.05.09
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♪ くれなずむうぐいす杳(とお)く啼くみちは鬱金ざくらののちのしずけさ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日、ヨーカドーでウォーキングに使うスニーカーを買った。軽くて安く(2,900円+税)て履き心地良く、デザインも気に入った。 靴はどうしたって外側が減って来るので、いつも1年使ったら買い替えるようにしている。 ★スニーカーというのは「ゴム素材の靴底を使った、布製または皮革製の運動靴の総称」スニーカーの各部の名称 いい感じで使っていて、かれこれ4,500歩ほどは歩いている。一昨日、いつものように履いて家を出ると、左側だけに今まで感じたことのない違和感があった。足首が内側に傾く感じで、くるぶしの下に靴の縁が当たる。なんか変だと思いつつ、今までそんな事はなかったので気のせいかと思い、予定のセミロングのウォーキングを続けた。 往路の1万歩ほどまでは良かったが、復路になって足の甲が痛くなってきた。やっぱり気のせいではなかったのだ。極微妙な成形の誤差が履き込んでいくうちに、傾く歪みという形になって現れてきたらしい。 こんな靴をずっと履き続けるわけにはいかない。いくら廉価品とはいえ気に入っているし、まだ買って2週間も経っていない。捨ててしまうのも忍びない。交換してもらうしかない。 一応レシートはあるが、メーカーを調べて直接交渉した方が早いだろう。こんな事を想定したわけでもないがタグが取ってあり、そこに社名が書いてある。アメリカのKaepa(ケイパ)とライセンス契約を結び、大阪の(株)ドウシシャという会社が作っているものらしい。そのお客様相談室のフリーダイヤルに電話して交換を願い出た。1975年 kaepa社設立、1985年『Kaepa』日本初上陸。フィットネスシューズ、テニスシューズを中心に、インディペンデント・サスペンションシステム、ダブルレースシステム、ダブルデルタロゴといった画期的なシステムで一世を風靡 1989年、オールラウンドなアスレチックシューズを目指し、足の横ぶれを防ぐ、「L.M.S.(ラテラルモーション・スタビライザー)」を開発。伊藤忠ファッションシステム㈱が日本でのマスターライセンスを取得とある。結構メジャーなブランドなんだねえ、知らなかった。 ベロの裏に品番が書いてあり、それを伝えて経緯と症状を説明。 現物を確認したいので着払いで送って下さいとの事。それが結果が出るまで2週間ほど時間が欲しいというので困った。出来るだけ早く対応すると言うが、10連休のゴールデンウィークが間に入ってしまう。中3日で歩いている身としてはとてもじゃないがそんなに待てない。かと言ってこのまま使う訳にもいかず送ることにした。 代わりの靴がないこともない。あまり履きたくないスポーツシューズだが、まあ当面はそれで我慢するしかない。1万歩前後を歩くとなるとよほど足に合った具合の良い靴でないと、脚や腰に影響が出たりもするし、気分も良くない。鬱金桜
2019.04.20
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♪ 春長けて髪を短く切りし夜ふとおっぱいを吸いたくなりぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 中4日も空いてしまったウォーキング。念入りにアキレス腱と脚裏のストレッチをして出かけた。風も無く穏やかな春爛漫の空。大池公園を目指してのんびりと。桜が開花から3週間経っても、まだまだしぶとく残っている。 大池公園の桜が、雪が降ったように真っ白に降り積もった様子を思い浮かべていたが、案の定、盛りは過ぎたけれどまだお花見の出来るぐらいには残っている。5分咲きならぬ5分散り状態で、木によっては満開のものもまだ有る。一気に散ってこその花の絨毯。チンタラ散っているようではそうはいかない。 まばらなので茶色っぽく見える。 2015年4月8日はこんな風だった。翌日のブログにはなかなかいい歌と共に写真がアップされている。これを見るとその日のことがありありと浮かんでくる。 新学期も始まったことだし、静穏を取り戻したお母さんや老夫婦が、花との別れを惜しみつつ散策する表情も穏やかに見える。拡大します 本にこころを委ねる人、ひたぶるルアーに時を預ける人などながめながら、周遊コースをゆるゆる歩く。 ここへ来る途中に咲くタンポポの花の首を傾げて、「セイヨウ」か「ニホン」かを確かめてみると、道路脇や畑の土手に咲いているものはほとんどがセイヨウタンポポだった。 しかし、園内に入ってあちこちに咲いているものは(一部にセイヨウタンポポも有るにはある)、その殆どがニホンタンポポだったのは意外だった。ほとんどがニホンタンポポ。群生の中に混ざっていることはあまり無い。 意識して管理事務所が増やしているのかとも思ったが、そうでもなさそうだ。何故かといえば、“切ってはいけない椿の枝を丸裸になるほど無残な剪定をしてあって、とてもそのような配慮がされているとは思えない” と、立ち寄った「茶房じゅん」のママさんが言っていたからだ。何せご主人が庭師で、自分で手掛けたことがある椿だったらしく、いたく憤っているらしい。 「茶房じゅん」入り口に咲くアカバナ・トキワマンサク。鉢植えにしてあったものが、鉢の底から根を伸ばして大きくなってしまったらしい。白いのもあるという話を聞いていたので、帰る途中に見たものに眼が吸い寄せられた。 なんと!一本の木から赤と白の両方の花が咲いている。根元を確かめたので間違いない。接ぎ木でもなさそうだし、先祖返りでもしたのか、元々そういう品種なのか。まあ、山茶花や躑躅にもそういうのはあるので驚くこともないのかも知れない。 11月上旬に予定している「茶房じゅん」での個展の日程を確認に行ったわけだが、8月にならないとはっきりしないとの事。 娘さんが高山に住んでいることもあって、飛騨高山でのジャズフェスのパンフが置いてあった。クリックでオフィシャルサイトへ 今年、初めてやるらしい。飛騨の里への集客のためにいろいろ知恵を絞っているようだ。パンフ製作段階では出演者が未定ということで、詳しい事が載せてない。12時から深夜0時まで12時間の長丁場。ああ、合歓の里のジャズフェスが懐かしい。 花はあれども女気は無し。この日は16,400歩ほどだったが、出る前と途中にもアキレス腱のストレッチをしっかりやったお蔭か、帰途は途中から速歩に切り替えて1時間ほどを歩き通したが、さして疲れもせず腰痛になることもなかった。
2019.04.13
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♪ はる風にみず光りおるわく星をながれる雲と一緒に歩く 一面にツクシが生えている、ここはどこだと思います? 余りにも身近なところで、こんな風景に出会って、驚きましたよ~。 この分じゃあ「スギナ御殿」になるのも時間の問題だねぇ。 昨日行った、息子の家の庭なんです。昨年も生えているのは見ているんだけど、今年のこの状況は想像していなかった。芝生の中、通路の横、植木の間、もう至る所にツクシ、土筆、つくし。 まだ食べられそうなのもあくさんあって、ついつい触手が・・。当然のように採って帰って、さっそく調理して食べましたよォ。オリーブオイルで赤ワインを使ったベスト・レシピ。旨かったなぁ。 今年は土筆の当たり年か? 色んな所に本当によく生えている。取りも採ったり、食べも食べたり。今年はもう四回も土筆料理を食べたことになる。 北西の風にもめげず、12.7kmの道のりを家まで歩いて帰ってきた。なるべく風を避けて海岸道路は止め、おもに国道を北上。若い頃にやったヒッチハイクを中年になってもやっていたことなど思い出す。国道は人生行路の象徴みたいなもので、身体にしっかり沁み込んでいる。 そういう思いがそうさせるのか、やけに大きな樹が目に入って来る。遠くに見えるそれがどんなシチュエーションに生きているのか、わざわざ確かめに行く。公園でもお寺の境内でもない限られたエリアに集まって植えられていて、空を突き、手を広げている様はなんだか不思議な感じがする。 自分の意志では動くことも移動も出来ない植物は、その場所が全て。他を羨むことも運命を憎むこともなく、ジッとその場で生を全うする。 動けるからといって他に影響されているだけで、自分の意志など持たぬままただ露頭を彷徨っているばかりの人。その一方では引きこもりが増えているという社会。 上に伸びる事ばかりに一生懸命になって、根を張ることを忘れればちょっと強い風でも簡単に倒れてしまう。樹齢を重ねて生き延びているこれらの樹々は、生存競争に勝った成功者とも言える。 人は大樹を前にすると畏敬の念が湧いてくる。その生き越しの時間の長さに圧倒される。動けぬ故になおさら、その偉大さがいや増すのだろうか。山の雄々しさに感動するのも同じだろう。人間の小ささを認識させられ、ただただ平伏すごときにその存在を畏怖するのだ。 一か所だけ海岸沿いを歩く部分が有り、白波が立つ中でウィンドサーフィンをやっているのが見える。 息子の家に行ったのは、だいぶ慣れたからというので子猫「ウララちゃん」を見るのが目的だった。肝心の猫は、ピンポーンの音が聞こえると条件反射的に隠れてしまうらしく、しばらく姿が見えなかった。 探したらキッチンの棚の下に隠れていて、嫁さんが強引に引っ張りだしてくれた。カミさんが抱っこしたものの恐がって暴れ、すぐまた逃げて隠れてしまった。それで、写真も撮れず終い。植え付けたイロハモミジも順調に育っている様で一安心。 寄り道しながらの約3時間。18,990歩の今年度最後のセミロングウォークだった。 歩いて腰痛になるのが悩みだったが、防止方法が分かってからは随分楽になった。歩く前にアキレス腱のストレッチをしっかりやっておくというもので、これだけでこんなにも違うものかと驚いている。
2019.04.01
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♪ 卑近などと言わずにおこう至近にて知らざるものに驚かされる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 中三日のウォーキング、久し振りにマリンパークへ。人工島に渡る橋の上で釣りをする人がいる。この時期に何を狙っているのだろうか見当がつかない。聞いてみると、カレイだという意外な返事が返って来た。最大で40cm大のがたまに上がるらしい。当人も30cm大のを釣ったことがあって、前日にも小さいながら3匹釣れたのでまた来たんだという。 夕方から夜にかけて、多い時には竿と人が橋の上にズラーっと並ぶというから、この時期のカレイ釣りの知る人ぞ知るポイントらしい。 午後4時前で、中潮の干潮時に当たっていて底が見えるほど浅い。ちょっと早く来過ぎたと言いつつ5本もの竿を並べてアタリを待っている。早く来て場所取りをしたんだろう。夏にはルアーでマゴチを狙う人がいて、大きいのが上がることがあるとも言っていた。水が見違えるほどきれいで、透き通っているのが何だか意外な感じ。水温が低い間だけだろうけど。 3-40分後に戻って来た時には上げ潮が始まり、川鵜がたくさん集まり頻りに水中を泳ぎ回っていた。日長川に遡上を始めたボラの稚魚の群れを追いかけているようだ。 アオサギもよく見かけるがこれは何だろう。水中に川鵜がたくさん潜っているのが見える。 駐車場に沢山の車が停まっているいる。何かのイベントでもあるのかと思って、浜の方へ行ってみると、以前には無かった「ドッグラン」があった。柵の中でいろんな犬が走ったりじゃれ合ったりして遊んでいる。久し振りに来て世間はいろいろ変化していることを実感する。左が小型犬用で右側が大型犬のもの。無料で使えるのがいい。 柵の外で熱心に眺めている人に声を掛ける。5年ほど前に出来たらしい。 自分も柴犬を飼っていて遊ばせたいが、気が荒いので他の犬を襲ったりしないか心配なんだという。それで、犬たちがどんな様子なのかを観察しているらしかった。ミニ柴とテリア系のが激しく絡み合っていて、その犬たちの性質を解説してくれる。 飼っているのは柴犬とスピッツその他に雑種も2頭いて、それぞれの散歩をどうしているかを詳しく説明してくる。マリンパークは、元々名古屋市のゴミ処分場。整備して公園とし、東邦ガスの施設がある。(拡大します) 規模は違うが東京の夢の島 - 14号埋立地(江東区)と同じだ。埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園した。 ここには広い芝生や広場、散策路も整備されているので犬の散歩に来る人も多い。プードルやシュナウザーなどの原種や、他ではあまり見かけない大型犬が見られる。 帰りがけの途中、綱を外した犬と孫を連れた人が向こうからやって来た。テニスコートやゲートボール場などがあるちょっとした広場。その犬は人なっつこいラブラドール・レトリバー系の雑種で、私が手を出すと喜んで足に抱きついて来た。 “ヒッシと抱きしめる” というのはこういうことを言う。そのぐらいギュッとだ。 飼い主が「ああ、良かった!」「嫌いな人ならド叱られるところだ」と、相好を崩している。 ドッグランの話をすると「あそこは開放されるのが朝9時半からと遅く、夕方4時半には閉めてしまうので使えないんだよ。」と、ぼやいていた。それで仕方なく人のいないのを見計らって、綱を外して遊ばせているらしい。 釣りをしていたおっちゃん、ドッグランを見ていたお父さん、犬と孫連れのおじいさん、皆さん話し好きで、声を掛ければ向こうから幾らでも話をしてくる。 世の中が変わったのか、男の体質が変わったのか、或いは私が話しやすいオーラを出しているのか。 私は若いころ、異口同音に「取っつき難い人」と言われていた。それを言ったら「嘘だろう」と言われるぐらい、最近の私の変わりようだ。
2019.03.28
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♪ うぐいすの声きいた人きかぬ人去年とちがう里のうら道‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日は、中二日でのウォーキング。昨年、土筆を採った場所のあるコースを選んだ。もう出ている頃だろうと思い、様子を見るためだ。案の定、先客がいてワイワイ言いながら採っている。たくさん出ているのを知った人が仲間を誘ったらしく、老人会かの男女4-5人が楽しそうに賑やかに。 両手に余るほど採っているので、「もう無くなったんじゃないのー?」と、声を掛けた。 「いやいや、まだ幾らでもあるよー。」「あんたも採ったら。」ときた。 先日採ったばかりだったのでどうしようかと思ったが、せっかくなので・・・嘘、ウソ、半分はそのつもりで来たくせに。道路から1.5mほど下がった無耕作の草の生えた畑。おお、有るあるぅ。折り重なった枯草の間にいくらでも。4-5人が採ったあとでもこれだ。そりゃあもう「売るほど有る」という感じ。 日当たりがあまり良くない場所なので出る時期が遅い。やっと生え始めたというところ。枯草の間にはまだ小さいのがたくさん頭をのぞかせている。本番はこれからという感じ。 先に採っていたオバサンの一人が「これあげるわ」と、帰りがけに置いて行った。採り過ぎたと思ったのだろうが、呆けているものばかり。苦味があるのが好きなので「これはちょっと」と思ったが、一応貰っておいた。いくらでも採れるからと言って「こんなのを採ってるようじゃダメだよ、オバサン。」とは心の呟き。色は全体がちょっと明るい感じ。 最も長いもので25cmはある。田んぼの畦に生えているものとはエライ違いだ。それに瑞々しい。土筆が瑞々しいって、ことばの誤用じゃないかと言われそうだが、実際水気が多くて「いかにも野菜」という感じなのだ先日採って来たのと比べれば一目瞭然。ペペロンチーノはこっちので・・。 これに比べて節と節の間が長いので袴取りは楽だが、穂の部分が占める割合が少ない分、味はちょっと頼りないものになるのだろう。 さっそく相撲を見ながら袴取り。先日の短いのより断然早く、半分位の時間で取り終えた。直ぐに下茹での準備に入る。が、量も多いし長すぎて鍋に入らない。半分に切って、一回り大きい鍋一杯になった。茹でたらサーモンピンクっぽい色になった。 「そんなに沢山どうするのォ?」と聞こえてきそうだが、取りあえず冷凍しておく。息子の嫁さんにも持たせてやるつもりだし、そのうちなくなるだろう。
2019.03.19
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♪ 春日和ヒートテックが仇になる裾をまくりて熱のがしつつ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 佐布里池の「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」の撮影は3月と聞いていたN氏が、“昨日、もうやってしまったらしい” と言っている。地元の関係者が「内緒なんだけど」と前置きして曖昧な情報を流すもんだからハッキリしたことが分からず、錯綜して伝わってくるものに振り回される。 水曜日に巽が丘まで歩いた彼は、排水口が完全に干上がっているのを確認している。ポンプを使わなければ、これ以上の水を抜くことはできない状況だと。 このままだとかなりの広さがあるので、魚の探索・調査なんて無理だろうに、昨日やったということがどうも信じられない。 夕方5時半ごろ。「梅の館」も模擬店もクローズしている時間で、人も少なく閑散としている。何だか寂しげな佐布里池だ。 この状態の所に撮影隊が入ったとしても、何かあまり絵にならない感じがする。陸から水際まで遠すぎるし、茫漠としているのでよほど上手く撮らないと、とりとめのない映像になる。 予告編に知事まで顔出ししてPRした手前、放映しないわけにもいかないだろうから、綿密な計算の上で如何に観るに堪えるものにするか。お手前拝見というところ。カラスの一団が集まっていたが、人の気配を感じてバラバラっと飛び散った。 もう一回、撮影があるとかで、それが今度の日曜日だという。折しも「佐布里梅まつり」の最中で、観梅客がいいギャラリーになるのを見越しての事かも知れないが、ハッキリしない。 この日も彼は21,000歩のセミロングウォーク。市の西の端から東の端までを、往復3時間かかって歩いた。もちろんいつもの様に、喫茶店で30分の休憩をしている。 疲れはしたが、ストレッチをやってから出たせいか、疲れを引きずるような事はなかった。夜にはコンビニまで平気で歩いて行ったぐらいだから。 何もしなければ、坂道を転げ落ちるように体力は落ちてゆく。エントロピーを持ち出すまでもなく、使わなければ劣化していくのが自然現象というもの。
2019.02.22
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♪ 佐布里(そうり)池の減りゆく水の汀まで斜面(なだり)の縞の増えてゆくなり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 前回から10日以上開いてしまった12日、N氏がいそいそと定期観測を兼て、佐布里池へウォーキングに行って来たようだ。 水嵩はこの様に確実に下がってきてはいるが、水深はまだ深いところは1m以上は有りそうだ。 左 2月1日 右 2月12日 堰堤の端の取水口の向うにブルが見える。何やらもう工事が始まっている様だが、立ち入り禁止になっているので近寄ることはできない。 水際に水鳥たちが屯している。(この2枚と下の写真は拡大します。) 池の水が引いたことで野鳥の観察がしやすくなり、北風が冷たい日だったがアマチュアカメラマンの姿がちらほらあった。大きな望遠レンズを付けて狙っているが、カモ類とアオサギ、シラサギ、カワウぐらいでさして珍しい鳥はいない様だ。佐布里大橋 橋の真下には投げ込んだとみられるタイヤやバイク、自転車などが顔を出している。 まだこれから、この中央の深みから何か出てくる可能性が残ってはいるがN氏は興味を失いつつある。 アリゲーターガーの様な巨大淡水魚がいるような噂もあるが、どうなんだろう? そんなのがいるなら、そろそろ姿を現しても良さそうなものだが。 当然のようにミカンを採りに行く。こんな風に野鳥の餌になっているミカンが哀れでならないN氏は、ミカンの供養と餌台に来る野鳥のために、重いのを我慢して・・。 「佐布里梅まつり」はもう始まっているが寒さのためか、開花が遅れているようだ。紅梅は早くから咲いているものの、他の梅花はちらほらというところ。一番よく咲いている木でこの程度。まったく咲いていないのも多い。 連休中、寒い中をやって来た人たちも多かったろうに、池には水が無いし花は咲いていないしで、“もう二度と来るもんか” と冷たい心持ちで帰って行った人も多かったんじゃなかろうか。 この日は16,500歩ほどで彼にはこのぐらいの距離がちょうどいい様だ。 珍しく午前中に出て、昼食に間に合うようにとの時間制限があった。ノンビリ歩いてはおれず気が急いてはいたものの、却って気が張って良かったとのこと。 何時も同じではなく、ちょっと変えてみることも必要だなぁと、独り言ちていた。
2019.02.14
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♪ 太陽を背にして向かう老いの歩や北風を裂く気分べらなり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ N氏は、昨日の中三日のウォーキングを久し振りに北へ向かったらしい。北風の強い(つまり向かい風)午後2時ごろ、さすがにこの寒い中を歩いているような人など一人もいない。南に向かって行くスポーツバイクと一度すれ違ったあとはもう人影を見なかったとか。 敗北は何故「北」の字を当てるのか? 北の方へ向かうという意味ではないらしい。 そもそも「北」という字は人が背中を向け合っている状態からきている。また、「背」という字は、会意兼形声文字(北+肉月)で「2人の人が背を向けている」象形からきたもの。 この背を向けるというのが「北」の本来の意味で、そこから転じて暖かい南に顔を向けると反対に背は寒いほうに向けられるので「太陽に背を向ける」ということから方角のことをも指すようになったらしい。つまり、「敗北」は負けて背を向けるということ。その先にはマイナスのイメージがどうしても付きまとう。 この意味で北へ向かう彼は、何かに挑んでいく姿勢の表れなのか? 決してそんな事は無いだろう。一つだけ目的があって、モミジバフウ(紅葉葉楓 別名・アメリカフウ)の種子を拾って来る事だったらしい。昨年9月 点々と落ちているのがモミジバフウの種子この時期に落ちているのは古いもので、形が崩れていて汚い。 アーティスチックな面白い形をしていて、オブジェや何かのデコレーションにも使えそうなもので、たくさん落ちている場所を知っている。この時期に拾うのが一番良いと知っているのでこの際、そこまで行ってやろうじゃないかと。電車の駅で5つ先だから6キロぐらい、約1時間ほどの距離だ。 以前、その先までを往復したこともあるのでどうってこと無いだろうと思ってのこと。 足の踏み場もないくらい一面にバラバラっと落ちている。しばらく来ることは無さそうだし、持っていたビニール袋一杯になるまで、彼は拾った拾った。先のミカンと違って重くて大変ということもないのだ。 この実は結構人気があって、たまに街路樹の下に落ちているのを拾っている人がいたりする。彼の家の近く、警察署の敷地内にもモミジバフウの木があり、たくさん落ちているが柵の中なので拾えない。 「そんなに採って来て、どうするの?!」って、カミさん言われそうなので、恐妻家の彼はまだ内緒にしている。 さあどうしましょう。10個いくらで売ってみるか? と思案顔・・高さは18.79メートルもあり、奈良や鎌倉の大仏よりも大きい。 聚楽園の大仏なんか眺めながらその辺をうろついていたが、かなり疲れているらしい。こんなはずじゃなかったと身の程知らずの70歳。最近疲れるようになったとぼやいている。オーバーワークらしいが、気持ちがそれに逆らっている。 太陽を背に受けて(実際は薄曇り)北へ向かったのに、帰りは敗北感に包まれている彼。3つ目の駅で電車に乗っちまった。
2019.02.09
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♪ 鈍りたる足は鉛となりにけり五キロを背負って五キロを歩き N氏は、10日前にウォーキングで佐布里池に行ったのだったが、これまた偶然の10日振りの昨日、前回と同じ目的で行って来たようだ。 「本当に10日なんてあっという間だわ、それが36回続くと1年だなぁ。」なんて、小学生みたいなことを言って笑っている。 定期観測みたいになった佐布里池の水。がどこまで減っているか興味津々で北風の強い午後2時前に出ていった。この日はミカンを採って帰るためにリュックまで背負っている。前回、ビニール袋が重くて懲りたためだ。 着いてみれば「おおーかなり減ってるー!」と、思わず声を上げている。 中央の排水口らしきものの躯体がかなり顔を出している。水深はまだ1m以上はあるのだろうか。今月中にはほぼ無くなり、3月某日には テレビ東京の人気番組「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」の取材班が来て、生息している魚の調査が始まる。かなり大きな魚の影が目撃されているらしく、外来の良からぬヤツが見つかるかもしれない。観梅の客が池に入らないようにする柵が、ぐるっと囲んでいる。無粋だが仕方がない。 佐布里梅まつり「2月9日(土曜日)~3月10日(日曜日)」 まだ咲いていないが来週は暖かくなるらしいので “一気に開花するんじゃないの” と、彼の観測。拡大します。 向こうに佐布里大橋が見える。 前回行った、反対側の取水口とサイホンのある水路へ行ってみたりする。拡大します。桜鐘第2開水路本来の佐布里池ドローンで梅林を空撮(あまり上手いとは言えないが・・)。クリックでYouTubeへ N氏は、観梅に来た人達はこの池の水が無いことを知って、かなりがっかりするだろうと気にしている。 “水上利用のための検討会が開かれる” とかなんとかだけど、「ちょうどいいまち」なんて腰が引けたキャッチフレーズを掲げているようではあんまり期待できないなぁと、彼は冷めたことを言っている。 この日は、佐布里池北側をぐるっと半周したことになる。正面から冷たい北西の風を受け乍ら、ミカンを5kgを担ぎ5kmの道のりを帰って来た。古希を迎えた爺さんはさすがに疲れたようだった。 “こりゃあまるで三浦雄一郎のトレーニングみたいだなあ” などと思いながら歩いたんだと。凡そ比較にもならない体たらくで、21,000歩だって。2時前に出て帰着したのが5時だもの、そりゃあまあねぇ。
2019.02.02
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♪ サイホンが使われている送水路岐阜から知多へ命をつなぐ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ N氏は、ボケーッとしているうちに5日も空いてしまったと、ぶつくさ言いながらウォーキングに出かけていった。10日前に行った佐布里池の様子を見るのと、野鳥に上げるミカンを採って来るという目的もあったらしい。 風は少しあったがわりかし暖かい。綿のマフラーをしていったら暑くなって、途中で腰に巻き付ける羽目になったとぼやいていた。これで本当に大寒?スキー場が嘆くのも無理ないわ。 佐布里池に着いてみれば、なんか何時もより人が多い。何か有ったのかと見回してみてもそんな事は無さそうだった。池の水を抜くという話が広まっていて、散歩がてらに様子を見に来る人が日に日に増えているようだ。 ① 排水口 左画像 拡大します。 底の方の水を最後まで抜くための排水口がどこかにあるらしいと聞いていたが、どうやらそれらしいものが見えてきた。 かなり水位が下がって浅くなり湖面も狭まって、野鳥の姿が多くなった気がする。川鵜が盛んに浮き沈みして魚を追っているし、以前には見られなかったアオサギやシラサギなども沢山いる。 カモ類も剥き出しになった斜面で日向ぼっこをしているし、このぐらいの水位が水鳥にとっては丁度良く、満々と水をたたえたものよりも却って都合がいいのかも知れない。10日前の様子 同じ場所から撮った下右の写真と比較すると、水位がいかに下がっているかがよく分かる。② 梅林下の遊歩道回り 左の写真から、右の写真の方へ続いている。 この遊歩道の上が梅林で、護岸に添ってずらーと、鉄パイプが打ち込んである。これは、これから防護柵を設置するためのもので、一般の人が下へ降りて行かないようにするためのらしい。工事期間が2年間と長く、その間に何が起こるか分からない。 間もなく「佐布里梅まつり」も始まるので、好奇心から下りて行ったりしないようにと、危険防止に万全を喫するする必要があるのだろう。景観がどうのと言っている場合じゃないか。 N氏は話好きなので、ついつい色んな人に声を掛ける。散歩がてらに様子を見に来た近所のおばあさん二人と立ち話。 ここは元々、畑や田んぼだったらしい。電気も通らない一軒家が建っていて、よく遊びに行ったんだとか。梅林は伊勢湾台風の被害に遭う前は今よりもずっと立派なものだった、と往時を懐かしんでいる。③ 橋の上からの眺め。 彼は、昔を知っている人にとって、佐布里池の水が抜かれてゆくのはとても感慨深いことだろうなあと、しみじみと納得。 あの一軒家はどうなったのだろうと言いつつ、話題が橋の方へ移っていった。橋の上からは色んなものが投げ込まれるらしく、自転車を放り投げたのが目撃されたりしているとか。すでに古タイヤが投げ込まれているのが見える。最後に何が出て来るか、地元ではいろいろ噂されているらしい。 自殺した人もあったとかで、その時はすぐに死体が上がったという。 N氏は、「水死体は、体内で発生したガスで、必ず浮かび上がってくるのでねぇ」と知ったかぶり。 おばあさんたちと別れて橋を渡る。それですんなり池から離れるなんてことをしないのがN氏の悪い癖。管理用の脇道へ入って行く。“これより先は云々” と、注意書きがあるのも無視して・・。 すると、水路に出くわす。愛知用水らしい。④ 「加世端開放路」の看板がある 愛知用水は佐布里池が終点ではなく、知多半島の先まで通じている。その経路がここらしく、ここから先へ通す水路らく、北側にある取水口を通過してこちらまできているらしい。 ぐーっとカーブしてきて、ここで終点になった。この先は池の土手で、底へ向かって落ち込んでいる。廃線の鉄路がスパッと切られた様になっていて、空になりつつある池が平がっているばかり。 どぅなってるの?? ─と、欽ちゃん風に呟く─ 〇〇サイホンと書いてある。そうだか、サイホンか! いつだったか、ここに書いたことがある、サイホンの原理を使った愛知用水の送水のこと。こんな所で出合うなんて! 10日前に見たあの取水口から繋がって、ここへ来ているのだ。⑤ サイホン あれだ、あの向こうに見えるのがそうだ。かなり距離があるが、この池の下を通ってここまで来ているのだ。⑥ 反対側 大府、東海市を経て、七曲がりの道路下のトンネルを通って出て来る場所。左の水路の先が右の給水口に通じている。この先端がサイホンになっている。 ここから池の下を通って向こう側に出るというわけだ。佐布里池への給水口は閉めていても、下流へは水を通す必要がある。 愛知用水は木曽川から南知多まで、幾つかの大きな池(貯水池)への給水を兼ながら、サイホンの原理を幾つも利用して巧みに導水されているのだ。東郷調整池は「愛知池」の事 N氏は探索が好きだ。自分の目で確かめないと気が済まないなんて、都合のいい時だけ言っては勝手なことをする。ウォーキングだって、ただ無目的に歩くということはしない。何かしら目的を持って出掛ける。逍遥とか彷徨とか言って気取っているが、老いに逆らって体を虐めてるだけかも・・。 この日は野鳥に上げるミカンを採る目的もあって、以前から見つけてあった放置されて誰も収穫しないミカンを採って来た。大きな実で甘くて美味しいみかんで、ビニール袋半分ほどでもかなりの重さ(計ったら1.6kg)。それを5km先の家まで持ち帰るのには、かなり骨が折れたらしい。 収穫時期もかなり過ぎていて、ふにゃっとしてしている。見てくれも悪い。 疲れた足で1.6kgのミカン袋をぶら下げて歩いて来たわけで、そりゃあ草臥れるわ。往復で19,000歩だ。野鳥のためにここまでやるかー? 実っているのに誰も採らないなんてもったいないし、ミカンにも申し訳ないじゃん?と、真面目な顔をして言っていたのが可笑しかった。
2019.01.23
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♪ 干上がりゆく池を見ている夕暮れに飛行機雲の崩れゆくみゆ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 土曜日の昨日、N氏は例のごとくドルシア姫の顔を見にウォーキングに出た。 少しショートカットになる道を選び、本道から外れて畑の間を歩いていく。イチゴ栽培のハウスが、いちご狩りはしていないようだが直売を知らせる看板があり、今度来た時に立ち寄ってみようと横目で見ながらスルーしてゆく。 土地勘がない彼だが、ここを行けば七曲がりの辺りに出るはずと見当を付け、右折して左折してまた右折してゆく。愛知用水路遠くに見えていて案の定、佐布里池に注ぐ経路になって道路の下を抜けるトンネルのところに出た。道の下へ・・道の向かい側にはこんなものが・・かなりの勢いで流れ、道路の下を通って出てくる。向こうにある水門は開いている様子だが・・ バイパスが作ってあるらしいが、この水は一体どこをどう通って浄水場に行くのだろうか。 何時もなら大量の水が音を立てて流入している取水口は、堤防耐震工事のために閉じられている。佐布里の池の水は益々減って見る影もない。 膨らみかけている梅林の梅も何だか寂しそうだなぁと思いつつ、彼は、そうそう、今日は起工式の日だと気付く。1月8日にブログにも詳しく書いてた。その日に比べても水位はかなり下がっている。怪しいものなどありそうもなく、良からぬものが出てくるかもしれないという噂は、まったくの杞憂に終わりそうだ。 N氏が喫茶店に到着したのが4時半頃。ドルシア姫はおらず、ポニーテールの別の若い娘さんがいるだけだった。日曜休みだし、土曜日は客も少ない様なのでシフトが平日とは違うのだろう。 新聞を取りに行った時にママさんに、「日が大分長くなりましたね。」と声を掛けてみた。「そうですね、出る時も暗くなくなりました。」という。彼が怪訝そうな顔をしているのを見て、「遠くから通ってるもんですから。」と言葉を継いだ。「遠くから、暗い中を・・」「はい。」 彼は自分のことをどこまで覚えていてくれるか分からないので、確認のために声掛けをしたのだ。この会話だけでは判別つかず、それ以上は聞かなかった。 30分ほど居て、帰り際にレジで、「今日もあそこまで帰るんですか?」とママが言う。「ええ、朝倉までね。」と答える。覚えてくれていたようだ。“あそこまで” という言い方は年配のママらしい。のっけに声を掛けたので、曖昧な記憶を思い出したのかも知れない。「暗くならずに済みそうです。」何故だか、くすくすと頻りに笑っている。何が可笑しいのか分からないが、まっいいか、と店を出た彼。 日が長くなったことを実感しながら、疲れてはいるが直ぐに回復するだろうと一気呵成に歩いた。家に着いたら、1時間半もかかっていなかった。 持久力を付けるには、ロング、スロー、ディスタンスが理想らしいが、丁度いいより少し負荷をかけないとダメだとも聞く。 こんな調子で、中二日ぐらいで歩いていたら、芭蕉の様に一日八里やそこらは歩けるようになるんじゃないかな。
2019.01.13
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♪ 寒風を裂きつつ歩く帰り道 暮れゆく空に今日が消えゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥♪ 名古屋にも初雪の声聞きし午後 戌年最後の徒歩を楽しむ♪ 東へと希望に向けて家を出ぬ休む喫茶のお茶菓子や佳し♪ 現地にて郵便局を尋ねれば三度目にして賀状を六枚♪ 売電の値(あたい)無粋に下がりしもソーラー発電パネル増えゆく ♪ 正面に北西の風受けてゆく風邪のウィルスを蹴散らすように♪ 足早の陽は早や落ちて真っ暗な足もとだけの界(さかい)を歩く
2018.12.29
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♪ 東(ひむがし)のそらと水面につき光(かげ)のたおやかに吾(あ)のこころを賺(すか)す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ N氏は最近腰が痛いと嘆いていて、その対処法など試みながら歩いたりしてるようだ。しかし、直ぐに治るものでもないようで、こりゃあどうも70歳の壁に突き当たったか。いやいや壁というより、大きな段差を踏み外してガクンと落ち込む、あの体力衰えの節目に来たらしい。それも一カ月の前倒しとは情けない。 日時は人を待たず、10日も間が空いてしまったドルシア姫のいる喫茶店へのウォーキング。押っ取り刀でもないひょっこり刀的雰囲気でいそいそと出掛けていった。10日の月曜日に行ったきりで、週一の予定が、間隔はじゅわりじゅわりと空いてゆくばかり。腰痛の原因が、オーバーワークと知ればそりゃあそうなる。鏡に反射した光のように老いた体を虐げる。 よって、往路はとに角ゆっくりを意識して歩く。ゆっくり歩くのに罪悪感を持っている彼は、チンタラ歩くことに慣れていない。12月にしては暖かすぎる、小春日よりも大春日和と言うべき日差しの中、どうしてもペースが上がるのを抑えながら行く。 空に寝ころぶ雲をながめ、草木のまだらな紅葉に目を泳がせ、櫨の実を探す癖が時おり顔を出す。梅林の剪定作業をチラ見し、水鳥の泳ぐ姿をカメラに収め、あの鳥たちは何を食べて冬を越すのだろうか、などと思いめぐらしながら歩く。 彼は、腰を意識してゆっくり歩いている。久し振りのちょいロングウォークなので疲れは隠せない。1時間、約7,000歩で梅の館に到着し、ベンチでしばし休憩をとる。横になって、足をベンチの腕に乗せて休ませる。脹脛を揉んだり、片足を柵に乗せてストレッチのまねごとをしたりして、少しでも疲れをとろうとは良い心がけだ。 給水もして、10分ほどでリスタート。もっとゆっくり休む方がいいんじゃないのか? いやいや、登山でもなんでもあまり長く休むと却って調子が狂うと聞く。何でもよく知っていると言われていた彼は、昔から耳年増だった、が今は、身が年増だ。 昔、公園の池で、ボートに乗っているアベック(古いなあ)に向って石を投げて遊んだことを思い出している。悪い奴らだった。青春とは既成概念を壊すためにある。やってはいけないことをすることが楽しいのだ。なんてことを思いながら、巽が丘の住宅街に向って歩を進める。 前に喫茶店のママさんに聞いた、コンビニのところから入るコースをとった。道なりに行けばいいと聞いている。交差する道は真っ直ぐつき進む。見たことのある場所に抱たりして、なるほどと思って行くが、次々と急な坂が待ち構えている。登っては下りてまた登ること三度。 彼はほとほと疲れちまった。そういえばママさんが言っていた。「お年寄りには辛いんですよ。一本間違えるととんでもないところへ出てしまいますから。」 坂が大変なのは勿論だが、こういう山を削ってできた住宅街は、道が込み入っているばかりでなく変にカーブしたりしている。斜面が多く、真っ直ぐには通せないのでそうなってしまう訳だ。 喫茶店に着いたら4時を回っていた。佐布里の池から1時間近くかかっていて、ビックリの彼だった。近道どころか難所の山越えの道に、以前はそんな風に感じなかったが、疲れていたので余計に堪えたらしい。こんな所に住んでいる人たちは、歳嵩が増すほどに外出したくなくなるだろう。近所に商店があるわけでもなく、最近できたコンビニも外周道路に出来たものだ。 車が無くては生活できないしバリアフリーの対極にあるような環境では、いずれゴーストタウンになるんじゃないかと、田園都市の一角のこの住宅街を危惧するのだった。 ドルシネア姫が注文を取りに来た。そうだ、運動後30分以内に乳製品を摂るとカルシウムの吸収がよくなると聞いたことを思い出し、「ホット」とにやけながら「ミルク」と繋げた。 カフェオレの次はホットココア、そしてこれだ。喫茶店でホットミルクを頼むオッサンはそうは居ない。何とポリシーのない天然記念物的変態オヤジだこと。きっと印象には残っただろう。それが理由ではないが、ドルシネア姫とは言葉を交わすことなく4時半ごろには店を出た。 彼はかなり疲れていた。口が仕事を拒んで、心も罷業の体ではどうにもならない。 帰路は何時もと同じコースをとる。彼は、6時ごろには帰着したいと思っている。往路はゆっくりを意識して歩いたが、そんな訳にはいかない。 佐布里の池まで来ると、満月らしい月が湖面に映って揺らめいているのをながめ乍ら、いつもの速歩に近いペースで歩く。7キロほどの距離だ、大した距離じゃない。休憩も無しで一気に家まで歩く。往路に無理をしなかったお蔭か、復路はペースも落ちずに歩き通すことが出来た。着いて時計を見れば6時ジャスト。 疲れはしたがこの分なら翌日の腰の具合も良さそうだ。大きな段差を踏み外すように落ち込んでいた自分の体を、ゆっくりと労っている彼である。ケアとちょっとしたエクササイズをすることで、身体は十分に対応できそうだと実感でき、この日のウォーキングは大いに意義があったとご満悦。
2018.12.22
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♪ 西空にジェット機ひかる夕まぐれきみを思(も)ひゆく秋草のみち‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ N氏は、11月22日以来二週間ぶりにドルシネア姫に会いに行った。毎週月曜日と決めていたものが3回目は3日遅れ、先週は行けずに一週間もの間が空いた。 15kmほどのセミロング・ウォークだが、腰痛対策という目的が一つ増えている。 大腰筋と腹横筋・腹斜筋を鍛えるのが理想なんだが、彼は言ってる割にはそんなに熱心ではない。ちょっとやってみたりするが直ぐに忘れる。 それでも腰痛を防ぎたいという思いは強く、ストレッチなら出来ると思って、脹脛とアキレスけん、腿裏のストレッチを少しばかりやってから出掛けて行った。 歩く姿勢も大事で、真っ直ぐの姿勢で腰から出す感じで踏み出し、膝が曲がらないように体重を乗せて歩く。歩くスピードが速すぎるのも良くないらしいが、チンタラ歩くのが嫌いな様でついつい早くなってしまう。 以前、運動不足で腰にピリッとした痛みが出た時など、ジョギングをすると治ってしまったことを思い出した。マッサージ効果があって凝った腰の筋肉がほぐれるためらしかった。それで、上り坂があると久し振りに走って上がったりする。 そんなことに留意しながら歩いていると何だか調子が良さそうな気がしてくる。1時間半の往路を歩き切って、目的地の喫茶店に到着。ドルシネアは4時に出勤してくるのでまだ居ない。 なぜか彼はホット・ココアなんぞを注文している。喫茶店でそんなもの注文したことがないのに、なんの気まぐれか。 ココアを運んで来たママさん(60後半か70歳ぐらい)が「おやつをどうぞ」と言って、いつもの「ワラビモチと牛皮の饅頭のセット」の他に「ウェハースと生クリーム」の入ったグラスを置いた。「お腹が空いているので、有り難いです。」「そうですか、それはよかったです。」柔和な笑顔で応えてくれる。「朝倉から歩いてきたんですよ、ここを目的地にしてね。」「そうなんですか、ありがとうございます。朝倉の駅は綺麗でいですね。」「今、イルミネーションが飾ってありますね。」温かみのある人懐こい口調についついのせられる。「ここ(巽が丘駅)はスペースがないので無理ですねぇ。」「あってもやる人がいませんわ。」 ドルシネアのことなど絶対に口に出せない。どう言っていいやら見当もつかないし、怪しいオッサンと思わせてもいけない。こちら側で思っていることと相手の思い描く世界は全く別のものであって、そこを錯覚するからややこしい事が起こる。ここはグッと抑えて、善人ぶって危害を加えたりするようなものじゃないことを知ってもらわないと。それには焦らず時間をかける事だ。「どのぐらいかかりました?」「1時間半ぐらいかな。」「七曲がりのところを通って来るんですか?」「ええそこも通ります。色々です。今日は住宅街を抜けて来たんですよ。」「ややこしいですからねー。」「前来た時は、あの交番、有りますよねそこで聞いて、地図を見て説明してもらったのに間違えて・・。」「ああ、あの先にコンビに会出来てねそこから入ると、くねくねしますが道なりに来れるんですよ。」お巡りさんはそのルートをなぜか教えてくれなかったが・・ ふと見ると彼女が丁度出勤して来たところだった。時間を見るとやはり4時だった。首にマフラーを巻いて防寒の完全防備といういで立ちだ。自転車かバイクにでも乗って来るのか。 水が無くなったのでコップをさし上げて合図。水を運んで来た彼女は化粧気がなく前回の時とずいぶん印象が違う。そういえばポニーテールにもせずロングヘアーそのままのストレートだ。そうか、寒いからか。夏は嫌でもひっつめ髪にしたくなるが、冬は逆に首の回りに髪の毛があれば暖かいに違いない。 昔、ロングへア―の女の子の髪を自分の首へ巻いてみたことがあった。その髪には異性のもつ何やら妖しい感触があって、巻いた首にしばらく残っていた。 髪をブロンドに染めてはいるものの素朴な感じは充分に保持していて、素直そうな性格も見て取れる。如何にも育ちのよさそうな雰囲気が目元、口もとに漂っている。ママとの会話でこちらのことは少し分かってもらえたはずで、あえて彼女には話しかけなかった。 それにしても会うたびに印象が違うというのは、これはこれで楽しいものではある。女の魅力の一つかも知れず、フェルメールの絵を見るたびに新しい発見がある、好事家の喜びというような・・。 真っ暗になるのは仕方がないとしても4時半前には店を出ねばならない。カウンターへ行くと奥から「気を付けてお帰り下さい。」とママの声。「ありがとう! 真っ暗になりますが、大丈夫です。」 ママから彼の事を聞いていたのかどうか分からないが、ドルシネア姫がつり銭を渡しながら笑顔で頷いてくれる。 右頬のほくろがかわいいと思いつつ、彼は、肩に担いだウェストバックの紐を締め、家路へと飛び出していった。 帰着したのが6時前。22,130歩ほど。どうやら腰の痛みも無さそうで、心地のいい疲れが腰から下に滞留している様子。N氏は、以前100キロウォークに憧れている時期があった。 先日のNHKで、癌を患った医者とオーディエンスの番組の中で、サバイバーの女性医師が「琵琶湖100キロウォーク」を28時間かけて完歩したと、自己紹介していた。それを見て、また「100キロウォーク」が頭をもたげてきたようだ。 思い付きで何でもやろうとする悪い癖が抜けず、肉体を酷使するようなことは止めておいた方が身のためだと思うが、どうもなかなか頑固さが邪魔をして許さない。 ま、そのうち忘れちまうだろう。
2018.12.11
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♪ じわじわと経年劣化し放置さるママチャリはまだ死んではおらず‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ N氏は最近、ウォーキング後に腰が痛くなるとぼやいている。オーバーワークだということは分かっていて、もう少し自重すればいいものを、目標・目的があるので距離を縮められないという。一刻もののへそ曲がりの彼は、他人が何を言っても聞く耳を持たない。アドバイスでもしようものなら、言ってやったこっちの気持ちも考えずに反論してくるので始末が悪い。 「それなら勝手にすれば!」と、突き放すしかない。ああいう風だからいつも損してるんだよと、傍で見ていて呆れるばかりだ。 で、しからば予防する方法を取り入れて、対処すりゃいいということになったらしい。何でも自分で調べて、整形外科なんか無視して自分流にアレンジしてやっているとかで、膝痛も肩痛も自分で直しちまったのだから、そりゃ自信も持つわなぁ。 先ずは原因を探る。確かに腰回りの筋力は落ちているし、ストレッチなど何もしていない。それで今までと同じ事をしていていいわけがない。 「ふくらはぎ」を思った以上に酷使してしまうと、腰部を支える筋肉にそのしわ寄せがいき、腰が痛くなってしまうことがあるという。 そのための予防として、特にアキレス腱を念入りに伸ばしておくウォーミングアップが重要らしい。「アキレス腱のストレッチング」1.正座の状態から左脚だけ立てる 2.胸で立てたひざを押しながら上体を前に倒していく 3.反対の脚も同様に※アキレス腱が伸びているのを感じながらゆっくり行う「ふくらはぎのストレッチング」1.片足を大きく前にふみ出し、体重をかけていく 2.かかとが浮かないようにふくらはぎが伸びているのを感じでキープ 3.反対の足も同様に※かかとをしっかり床につけ、ふくらはぎからアキレス腱をよく伸ばす ※背筋を伸ばして後ろの体が一直線になるように「太もものストレッチング」1.片足を後ろに折り曲げ、両手でつかむ 2.お尻の方に引き寄せ足首を上に持ち上げる感じで太ももの前側を伸ばす 3.反対の足も同様に※バランスがうまく取れないときは片手を壁について、片手で同じ側の足首をもってもよい ●息を吐きながら、一つの動作を10~20秒は保持する。 (CLUB Panasonic)より【歩く時の姿勢】 (1)吐く息と共にお腹を腰に引き寄せドローイング。さらにくるぶし→大転子(お尻横の骨)→肩→耳まで一直線にし、体幹を安定させる。(2)脚はみぞおちから動かすように意識し、骨盤は正面に向けたまま、脚をまっすぐ前へ出す。(3)足の着面は、かかとから自然に落とす。 *常にみぞおちから脚が伸びているイメージで歩く。 ウォーキングの途中で足や腰が痛くなった時は、樹木、ガードレール、電柱、ベンチ、すべり台などを利用して、ストレッチ体操をすると体の調子が戻ってくるというから、やってみる価値は有りそうだ。 ウォーキングをした後のストレッチも重要で、上の図のストレッチは勿論、股関節~ハムストリングス~骨盤を調整する「腿の裏のストレッチ」は次の方法もいいらしい。 柔軟性向上と骨盤の安定化に効果があり、骨盤の向きが正しくセットされて下半身の力が無駄なく発揮できるようになるらしい。 腿の裏を伸ばすときに、骨盤が正面の壁と正対すること。(HOUSE E-magより) 腰を丸めずに両手をすねのあたりまで移動させ、ゆっくり10呼吸。 反対側も同様にする。この時、身体が斜めになったり、腰が反ったり、丸まったりしないように注意。 Nよ、これなんかも、途中で休憩しながらやるとよさそうだぞ。 毎日、のんべんだらりとして筋肉というものをほとんど使っていない自分の生活を、Nは少しは自覚しないとな。プッシュアップ30回出来るからと言って自慢にも何にもなりゃせんぞーぅ。
2018.12.04
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♪ 天然につつまれ暮らすいにしへの夜(よ)にろうそくのあやしかるべし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日、養蜂園で蜂蜜を買った時に櫨(はぜ)の花の蜜がある事を聞いて以来、N氏は櫨の実が気になっている。 櫨蝋の原材料である櫨は、木蝋としてローケツ染めの蝋の一つとして使われるし、和ロウソクの材料でもある。ローケツ染めもやる彼は、貴重な天然の蝋だけにとても高価なことを知っている。 いつだったか、高山市街で和ロウソクの製作風景をテレビで見たこともある彼は、その木蝋がどういうものなのか興味を持っていた。 晩秋になると、ウォーキング中にその特徴的な実がたくさん枝にぶら下がっているのを見るようになる。そこここで見かけるその実が櫨の実だと知ったN氏は、いつか櫨蝋を採ってみたいと漫然と思った。物好きな彼だが、ただ漠然と思っていたに過ぎなかった。 しかしそれが、蜂蜜をきっかけにして猛然とその意欲が湧きあがってきたらしい。左がパラフィン 右が櫨の和ロウソク西洋ろうそく(パラフィンなどの石油製)に比べ、すすが出ず煙も少ない上にろうも流れない。 中三日のウォーキングに出た昨日、櫨の実がどこにあるかを確認するという目的が一つ加わった。横へ逸れて里山の奥への道を入って行ったりする。いつもの道も、目線は田畑の向うの林の方へと注がれ時どき足が止まる。 えっこんなところにも!と、意外な発見をしてほくそ笑む。6キロほどの間に4か所ほど見つけたが、たいがいは大きな木でかなり高いところにぶら下がっている。高枝バサミがないと無理なものばかり。我が家にはそんなものはないので採る手立てがない。悄然となった彼の歩みは黙然のなかに遅くなる。 然諾、高枝バサミは隣家が持っている、それを借りよう。N氏は光明を見出し、俄然元気を取り戻す。かなり高い木ばかりで全部は採れないだろうが、それでもまあ、低い木もあるしそこそこの量は採れるだろう。 泰然の体で先を急ぐ。この先、立ち寄るところが有るらしい。 N氏は、枝から落ちた櫨の実の房をいくつか持っている。例の雑貨店へ持って行くためだ。そちらへのコースをたどる。 櫨蝋は天然のワックスでもあり、ポマードや相撲などの鬢付け油にもなる。他のものと混ぜてハンドクリームにもなる。櫨の実と櫨蝋そのものを知る人は少ない。雑貨店の女主人が知っているとも思えない。折角この田園里山の地に移転してきたのだ、この際、こういうものを知ってもらうのもいいかなと、彼のお節介がここにも顔を出す。 櫨蝋の説明をしながら、先のドングリ、臭木の話を挟み込んで、口の軽いN氏のおしゃべりが止まらない。そこへ、若い男の客が一人、無言で入って来た。カウンターの内外でしゃべり続けているのを尻目に、漠然と商品を眺め回っている。少し気になって来た彼は、適当なところで話しを切り上げた。貴重なお客の邪魔をしちゃいけない。 カーマに立ち寄って、「ソ-ラーライト マーカー」を一本買って帰る。センサーライトの感知する前の通路が暗いので、補助光として設置するためだ。今まで立ててあったものは付属の「ニッケル水素電池」の寿命が来て、点かなくなっっている。電池を買えばいいわけだが、取りあえずもう一本必要なので買うことに。 太陽光で蓄電して夜になると点灯するもので、地面に突き刺しておけばいい。場所を選ばない(一日中太陽光が当たる必要がある)のが有難い。 途中で、彼の数メートル前をご婦人が、変わった毛並の小型犬を連れて歩いてゆく。後ろからだと警戒されるかとも思ったが、「何犬ですか?」と声を掛けた。すると、すっと立ち止まって振り返り、「チワワとシーズのミックスです。」と、とてもフレンドリーで明るい声が返って来た。 その警戒心など微塵もない自然な感じがとてもいい。「チワシーってやつですか。」「そうですね。」「かわいいねー!」と、毛の長い茶色と白っぽい頭をなでてやった。 愛犬を連れて歩いている人は男女を問わず明るい人が多い。犬を褒めると皆さんとても喜んでくれる。
2018.11.26
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♪ 恋というより大らかな人類愛レジで一言交わして帰る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 毎週月曜日にと思っていた巽が丘往復のウォーキングはやっぱり無理なようで、N氏の予定は3日ずれた。片道7キロほどは今の彼には手ごろな距離らしく、週一なら目的地を設定してあるので行く気になるらしい。 それでも全く同じコースを歩くことを嫌うN氏は、かなりのへそ曲がり。敢えて違う道を行くのが、ミニミニ・トリップの作法だと思っている。 横道にそれて行く。ミカン畑があってたわわに実ったミカンが眩しい。作業小屋があってその道に面したところで販売もしているらしい。“ミカンは骨を作るのに役に立つ” というのをTVで観たのを思い出した彼の右耳が、ピクリと動いた。 前を歩いていた背中の曲がったお爺さんが、その並んだミカンの前で立ち止まった。彼も横へ並んでミカンを眺める。と、その爺さん、袋入りを4つも買って800円を支払った。一袋200円ってこと? 味は分かってるのかなぁ? と訝る彼は「今年のミカンの出来はどうなの?」と探りを入れる。「あまり良くないねぇ、疵がついて売り物にならないのが多いの」 肝心な時に台風にでも遭ったのか? 問題は味なんだよな。 で、「甘いの?」「甘いだけじゃダメ、酸味もないと」とN氏はミカンにはけっこううるさい。「これ食べてみて。バラツキはあるけんだどね」と差し出されたのを食べてみる。まあまあだが、酸味が勝っていて、70点ってとこか。 箱に入れてあったSサイズの値段を聞いてみたら2,800円だと言う。中サイズの一番売れ筋のだともっと高いらしい。道端での産直販売の割には随分値も高い。今年は裏年なのかも知れない。「ウォーキングの途中で買う気もないくせに、ひやかしただけのこのこのオッサン。喉が渇いたのでミカンが食べたかっただけなんじゃないの?」とは天の声。♪ 足だけでは片手落ちなり歩きつつ口を動かす機宜を窺う しばらく行くとKOBANがあり、お巡りさんが表に立っている。「この道、真っ直ぐ行くとどこへ出ますか?」 南に向いて歩き、途中で左折すればいいということは見当つけてあるが、全く知らない道なので確認してみたわけだ。 どこどこに、出ますと言うので、「ああやっぱりね」「途中で巽が丘の駅の方に行く道は有りますか?」「有るにはあるけれど、ややこしいのでどうかな。住宅街は分かりにくいからねぇ。」そうだよなあ、と納得もするが、「向うの道は知ってるので、この途中でショートカットしたいんです。」「じゃあ中で、地図で説明しましょうか。」 お巡りさんは昔から道案内も大事な仕事だったなぁ、なんて思いながら中へ入った。 交番の机の上にゼンリンの地図を広げ、丁寧に説明してくれる。 ここから左に入って、この先の信号を左折して鉄塔の横を通って・・保育園の所を右折し・・マンションのところを左折して・・なるほどややこしいわぃ。何度か確認し、お礼を言って歩き始める。小学生と中学生が前を歩いている。学校が近い。 一応は頭に入れて歩き始めたが、「ええ! 鉄塔が、なんであんなところにある?」道を間違えたかな。まあ何とかなるだろう。集会所が目印だと言っていたので、それを目指そう。 おお、あった、あれだ。坂を上った一番高いところにあると聞いていた集会所だ。住宅街を見下ろすように立っている。ささやかな紆余曲折もあったけど、結構すんなり来れたじゃないか。15.3キロと出た。 ちょうど5時に佐布里のダムを通過した。夥しい数のカラスが集まっていて、半分は塒に半分はまだ電線にいるという感じ。もう10分もすると、すべてのカラスが塒に収まるのだろう。 ある種のツルは、暗い空を鳴きながら飛んでいくことがある。カラスは鳥目なのか、夜はその漆黒の羽を闇に溶かし闇と一体化し、そこには何も存在しないかのごとくに静まり返る。 21,200歩。かなり早歩きで通したので、今朝はまだ疲れが残っている感じ。日が短いのでどうしても夕方のウォーキングは気が急くらしい。薄暗くなってくるとホルモンのバランスも変わって来るのだろうか。心の奥底に不安の影が忍び寄り、鼻歌なんか歌う気にもならず、ただ黙々と家路を急ぐことになる。
2018.11.22
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