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東京の立候補が決まった。私の感想は、○おそらく落選するであろう。2008年に北京、2012年ロンドンで開かれるのだから、その近辺から選ばれることはないであろう。○選ばれたるためには・・既存施設の改修費用、埋立島に建設するという宿舎などの建設費用を明示し、五輪終了後のそれらの有効活用の予定を示さないといけない。○1998長野五輪の後、長野県には膨大な借金と活用困難な設備の維持費用が発生した。その反省が田中知事の誕生を生んだ。田中知事の政策は基本的には正しかったが、長野県の建設業界は疲弊し、先日の選挙では自民党の元議員が知事に就任した。○石原都知事は、本気で五輪を誘致したいとは思っていない、と私は想像します。東京都の交通・都市整備などの部署の役人たちに仕事を与える必要から、計画をぶちあげたのでしょう。官界と建設業界の癒着・それに群がる政治家たちについては、元建設会社経理課長の私は、よーく存じております。彼らに提供する裏金作り・資金管理をしてたんですから。
2006.08.31
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要旨(ここが悪い日本の資産課税)a)住宅地・商業地に対しては、地価が急激に値上がりしても3年毎に見直される評価額は30%以上上昇させない、という特例が1963年から実施されていた。このため実際の地価の10%に満たない評価額の土地も大都市周辺にはあった。b)アメリカでは土地に対しては年額、時価の3%近い固定資産税を課す。NYの真ん中に更地を持っていたら破産してしまう。そのかわり減価償却の耐用年数がレーガンの税制改革によってビルですら15年に短縮された。このため更地で持っていたら高額の課税をされるが、ビルを建てる事でそれ以上に節税できる事になっている。c)b)に比べ、日本では減価償却の耐用年数が見直されていない。ビルは60年、一般家屋は40年である。このため建物が過大評価されてしまう。つまり更地で持っていたら税金チャラの日本、ビルを建てたら税金チャラのアメリカ、なのだった。ゆえに日本では更地が投資対象になり、アメリカではビルが投資対象になるのです。d)日本では、買い替えの圧縮記帳という税制がありまして、土地を売却して売却益が出ても、代替固定資産を取得すると、その取得原価を低くするという節税が認められております。このため大都市の土地を売った人が投資目的で郊外や地方都市の物件を買いあさる事になり、資産インフレが全国に飛び火しました。欧米では更地ではなくビルが投資対象になりますから、地方都市の住宅地が高騰したりはしません。e)ドイツでは、所得税で個人の持ち家の減価償却費および賃貸料を控除する事が認められています。日本の住宅減税というのは、住宅を新築・改築した人に対する物にすぎません。ドイツでは生活者のための減税が行われているのに対し、日本では建設業界のために減税が行われている、と私は思います。飲酒運転防止の話から固定資産税の話に我田引水してしまいました。(^_^;)そのついでに、日本の土地・住宅税制の何が悪いのか、をアメリカ・ドイツと比較して論じたいと存じてみました。20年前に日下公人氏が「日本の土地税制を戦前(のそれ)に戻せ」と書きました。戦前の日本の土地税制は、商業地・宅地・農地に対し地租を課していました。これが高率でして評価額の2%以上だったのです。東京の宅地価格は大正中期から昭和初期にかけて15年間上昇しませんでした。その理由は私鉄がどんどん線路を引いて、農地を買い上げて宅地化したからです。高額の地租から逃れたい農家は、どんどん農地を鉄道会社に売却していったのでした。日本のバブル期までの税制では、土地は更地で持っていても固定資産税が軽いため、値上がりを期待して更地で持ち続ける事ができました。こんな事は欧米や戦前の日本では考えられないのでした。日本では固定資産税の税率は1.4%、都市計画税が0.7%です。ところが土地に関しては、評価額が実際の時価より低いのが常です。そして建物に対しては実際の時価より高いのが常です。その評価額に対して税率を掛けた金額が課税されるのです。80年代のレーガン・サッチャーの税制改革で一番最初に行われたのは、減価償却資産の耐用年数の見直し、と国民背番号制の導入です。日本ではなぜ、未だに国会で審議もされないのでしょうか。それが導入されたら一番不利益を蒙るのは政治家たちだからだ。領収書のいらない金をもらい、親から巨額の不動産を相続している人たちは、消費税を値上げし大衆に課税する事を決議したいのでしょう。
2006.08.31
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飲酒運転を撲滅するには、を拝見しました。qinさんのアイデアには無理があり、hidewさんの反論に賛成致します。私は刑法や道交法には詳しくありません。税法と商法の一部しか勉強しなかった者であります。私の知る限りの法知識では、下記の感想を持ちました。○法律とは所詮、後始末の手続きに過ぎない。未然に犯罪を抑止する効果は少ない。○法律は施行されただけでは実効性がない。売春防止法・優生保護法・建設業法などザル法はいくらでもある。○ザル法とは、一般国民が遵守する意思がない法律、をいう。○法律がザル化する理由は、 a)違反しても罰則がない b)遵守する事が実際には不可能だ c)違反を取り締まる有効な手段がないなどがあり、単に罰則を設けたり、厳罰化しても、それだけでは犯罪抑止効果がない。○法律には必ず立法の趣旨がある。しかし施行してみると立法の趣旨に反した結果になる事が多い。その場合、その法律は改廃されるのが常であるが、一部の受益者が政治的圧力をかけて悪法が存続してしまっているケースが日本には非常に多い。悪法の例として、昭和38年に施行されて、現在も一部残っている固定資産税の課税の特例をあげたい。急激な地価の上昇によって地主の負担を軽減する為に、地価評価の上昇率を規制する、農地に対する固定資産税と相続税を実質的に廃止してしまったのである。これが急激な地価上昇と土地神話・巨額のバブル発生・失われた十年を招いた最大の要因だった。恐ろしい事に、この悪法は未だに廃止されていない。日本は未曾有のバブル崩壊から何も学んでいないのではなかろうか。
2006.08.31
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中国から白インゲン豆が安く輸入されるようになった。その豆を調べると北海道の農業試験所で品種改良された品種で、北海道だけで栽培されているはずなのに・・・というニュースを少し前に聞きました。それに関して2つの論点があると思います。a)農産物の品種にも「知的財産所有権」は存在し、遺伝子組み換え作物はビッグビジネスになっています。なのに普通に品種改良された種子には、知的財産所有権は保護されていないのは問題である。この問題は薬品の知的財産所有権とジェネリック医薬品の関係と似ていると私は思う。つまり開発のコストを誰が負担するのか、フリーライドを許して良いのかという問題である。b)でも農産物は、同じ種を植えても産地(環境)が異なると全然違う産物になる場合がある点で医薬品とは異なるし、産地の環境に適応しようとして自然変異する場合がある。b)の最も分かり易い例としては野沢菜があります。江戸時代中期に信州の商人が泉州堺で蕪の漬物を食べました。「こりゃ美味い」ってんで種を買って、信州野沢に蕪の種を植えました。すると実が大きく成らずに、茎が成長してしまいました。それを漬物にしたら別の意味で「こりゃ美味い」ってんで野沢菜という名物が誕生した、というのです。丹波の黒豆も、川北産のが最上級とされています。その川北の豆を近隣の農家は求めて栽培しますが、微妙に味や豆の形状が異なるようです。たった3~5kmしか離れていないのに、育ち方が異なってしまうのです。北海道のインゲン豆を中国で育てたら、別の味になるんじゃないの?って思う次第です。関西を中心に人気の御座候の白あんは中国産の白インゲン豆を使っています。材料が安いおかげで一個70円を維持できているらしい、のです。つまり北海道の農家は被害者であるけれど、都市の消費者は受益者だ、という話なのでした。御座候(赤アン・白アン)についてをよーく見ますと、「北海道小豆を使用しています」と書いてありますが「北海道産」とは書いてありません。(笑)
2006.08.30
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私の通勤経路には水田の傍を通る部分が2~3kmある。それを見る限りでは豊作と見えるが、全国的には今年はやや不作であるらしい。私が想像するに下記の理由があるのではないか。○台風による大雨が降った地方(九州・四国・北海道など)の作柄が悪い○04年、05年と2年豊作が続いて米価が下落し、農家の生産意欲が落ちている○米粉、タイ米などの輸入量が増えている今年の台風は、特徴があった。上陸時点で980hp位の気圧だった。しかし上陸してから停滞し、かつ勢力が衰えないのだった。その結果、雨量が多いし日照時間が短くなる。野菜の価格が高騰した時期もあった。今年の台風を碁打ちに例えるなら、序盤はヘボいので警戒していなかったら、粘りに粘って終盤がメチャしぶとい感じなのだ。わが家の近辺は被害に遭わなかったけれど、こんな台風が攻めてきたらたまったものではない。従来の常識では、台風は上陸すると勢力が衰えて熱帯低気圧に降格し急速に去ってゆくはずだった。それが上陸しても衰えないとはどうした事なのだろうか?台風の発達と消滅には海面の水温が関係している。水温が27度以上の海域で台風は発達すると言われている。台風は上陸すると雨を降らせる。雨雲が減れば台風は弱体化するはずだ。しかし日本近海の水温が高く、台風の南側から雨雲がどんどん台風に向かって流れ込めば、台風の勢力が衰えることはない。つまり日本・中国・韓国の近海の海水温の上昇が、台風の被害を大きくしているのではなかろうか。同様の事はアメリカにも言える。去年の台風カトリーナによる被害は甚大でニューオリンズの町は復興していないらしい。NYでも気温が50年ぶりに華氏100度(38~9度)を超えた、という。NYの緯度は札幌よりずっと北であるから、これはかなりのヒートアイランド現象と言えるだろう。
2006.08.29
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私は、これですね。自分が級位者に指導する時に9路の2子を使います。9路の2子で最善の置き方は中央一間飛びだ、と言ったのは趙治勲プロです。李昌鎬に限らず、一流棋士に黒を持って5局ほど教えていただきたい、と私は希望します。何が起こるか楽しみです。5局ほどと言いますのは白の序盤作戦は限られていますので5局も打てば一通りの結果が出ると予想するからです。この予想は甘いのでしょう。それが裏切られる事を期待します。┌┬┬┬┬┬┬┬┐├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼●┼●┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤└┴┴┴┴┴┴┴┘
2006.08.29
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OBの集まりでM島さんの話題が出た事はない。私以外は知る人もいないのだろう。昭和57年秋のリーグ戦で、M島さんは関学のK田さんと打っていた。私はM岡さんを負かしてM島さんの碁を見ていた。当時のリーグ戦は70分切れ負けだった。終局直前K田さんは残っていた7~8分のうち6分も考えた。それからすぐにK田さんの黒半目勝ちで終局した。K田さんは照れながら「いやぁ、どっちの半目かわからなかったものですから・・」と嬉しそうに語った。帰りにM島さんは言った。「何なの、あれ。作ればオワリの局面で目算しても意味ないじゃん」私も同意した。「そうですよね」その夜、私は自分の碁を並べなおしてから横になってM島・K田戦を思い出した。黒のK田さんが優勢でヨセに入っていた。M島さんは早打ちで、時間を半分も使わないのが常だった。M島さんも私も目算などしない。大まかな形勢判断に頼って、大きい所から打てば良い。結果は作ればわかる、という思想の碁打ちだ。なぜK田さんは6分も考えたのだろうか?私は気が付いた。K田さんは終局の30手くらい前の局面で自分の半目勝ちと判断していた。そして終局直前にそれを確認したのだ、と。当時の神戸大の選手は総じて、目算などしない人たちの集まりであった。中山典之氏の筆による「梶原の碁」がベストセラーで、西村御大の「序・中盤で勝ちを決めろ」という思想に染まっていた。しかし、梶原九段も西村御大もヨセも上手いに決まっている。ヨセの下手な強い碁打ちなどいないのだ。私は詰碁や部分的なヨセについては勉強していたが目算などしていなかった。負けたかも知れんな、と思って作ったら白8目半勝ちだった、などという事を試合でもやっていたのだ。このままではマズイかも知れん、と思った。私はそれまでは厚みを作って攻めるという碁だった。今も基本的にはそうだ。が、石田芳夫的な碁を打ってみようと思った。それから半年以上のスランプに陥ったのである。でも長い目で見ると、終盤力を鍛える訓練にはなったと思う。
2006.08.29
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昨夜、仕事帰りに吉野家に寄りました。豚生姜焼き定食の大盛りを注文しました。ふだん丼を食べる時の癖で、紅生姜をご飯の上にドバっとおいて食べてしまいました。(^_^;)店内を見渡すと「牛丼再開の見通し」に関するポスターがなくなっていました。7月末の時点で2ヶ月以内に牛丼再開の時期を明らかにする、と明示されていましたが、私の予想では、当分できないだろう・・と思います。また国内の豚肉の相場が下がっているので、豚で利益を出す方が容易だと推察します。
2006.08.29
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(1)では、私自身の入学の経緯と寮に住む事等の経済的メリットについて書きました。が、肝心の話を書いておりません。そこで住吉寮について以下の事を書いてゆきます。○場所・由来等○入寮時の驚き○寮に住んでいた囲碁部員の話と私の入部について書きます。また住吉寮は、女子寮・職員寮・教育学部付属施設と隣接しておりました。それらに関係したオモロイ話もありますが、それはまたの機会に書くとしましょう。寮の話をなぜ「ざる碁日記」に書くのかと言えば、私の囲碁部員として主な活動の場でもあったからです。○場所・由来等住所は、神戸市東灘区住吉山手7丁目3-1。阪急御影駅より北へ2km・徒歩25分。市バス「赤塚山」下車すぐ、です。山の高台に位置していますから、寮生はバイクが必需品でした。昭和30年代に繊維メーカーの従業員寮だったのを国が買い上げたそうです。鉄筋コンクリート4階立て。昭和20年代後半に立てられた物らしく、私が入学した時点で既に老朽化しておりました。私が自治会役員だった頃も「文部省が立替ようとしている」事についていろんな議論がなされておりました。昭和47年までは教育学部校舎が、南に隣接していました。私が入学した頃には教育学部(現在は、人間発達科学部と改名している)は鶴甲に移転した後で、その校舎は、神戸市立赤塚山高校になっていました。さらにその南には人間発達科学部付属小学校・中学校がありました。由来。神戸大学は戦後、総合大学になりましたが、戦前の神戸高等商業学校・神戸高等工業学校・兵庫県立師範学校・神戸医学校などを統合した寄せ集め大学なのでした。住吉寮には「白陵寮歌」というのがありました。戦前の師範学校は、御影と姫路にあったらしく、姫路にあった師範学校は通称「白陵」と呼ばれていたそうです。(まとめ)住吉寮は、かつて繊維メーカーの従業員寮だった。もともと教育学部に隣接していたため戦前の師範学校の伝統が残っていた。hatさんがおられた京大の熊野寮ほどではないが学生運動の巣窟だった。○入寮時の驚き入寮した時、寮の敷地には桜の花が満開で、なんと美しい所だろう、と感激しました。が、門を入るとと学生運動(いわいるサヨク)のポスターや落書きだらけ。壁の塗装は剥げまくり、床のPタイルも欠けまくりで、なんと汚い所だろう、と落胆しました。寮内には野良猫が徘徊してました。寮生が子猫にエサを与えて後、放置していまうからでした。本田の期間工の寮より、ずっと汚いので呆れました。○寮に住んでいた囲碁部員の話と私の入部寮内には4人の囲碁部の先輩が住んでいました。寮は原則として寮生の自治するものとされており、1年生は何らかの自治会活動に参加する事が義務とされていました。その活動の一つが「炊事部」で寮食堂の運営だったのです。料理が得意な私は、それに参加しました。そこに二人の囲碁部員がいたのです。M島さんとF本さんです。まずM島さんと一局打ちました。手合は忘れましたがボロ負けした事は確かです。M島さんから「五段の先輩がいるよ」と言われてO野さんの部屋に連れてゆかれました。O野さんは出雲高校が全国優勝した時の主将であり、卒業後に千葉県の代表になった人で当時の囲碁部の主将&部長でした。私は五子で惨敗しました。私は落語研究会にいましたが、授業やバイトとの兼ね合いで練習に参加できず退部しました。囲碁部の練習にも参加しませんでしたが寮内で夜、先輩たちに教えてもらううちに自然に囲碁部員になっていったのでした。私の同級生や後輩の寮生にも囲碁部員がいたし、寮を夜に襲撃して碁を打ちに来る囲碁部員も多かったのです。このため住吉寮が囲碁部の活動拠点だったのでした。
2006.08.29
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蔭山亜紀さんのついでにインディーズ的な活動をする歌手をもう一人紹介します。李政美の世界をご覧下さい。李政美さんはプロです。小室等率いる六文銭のメンバーでもあります。が、ソロ活動が中心です。プロフィールを見れば早いんですが、在日二世の朝鮮人です。それも今悪名高い北朝鮮国籍であるため、日本では活動が難しい部分があるんです。在日コリアンのイベントに出演する事が多かったのですが、総連と民団が決裂状態。総連ももはや組織の体をなしていません。ゆえに彼女の音楽性を評価する数少ない人たちの支援で音楽活動を続けています。私はチョンミさんのライブを4回見ました。99年に初めて淡路島で見た時、涙が止まりませんでした。ぜひ近くに来られたら、見て・感じて下さい。
2006.08.28
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わが弟の嫁さんの友人に蔭山亜紀さんというセミプロ歌手がいる。彼女は高校2年17歳にしてNHKのどじまんグランドチャンピオン大会で優勝した。5歳から民謡で鍛えた声には艶があり、身長も170センチもあり、容姿も演歌歌手としては充分なものがある。彼女に負けた人の中から、氷川きよし・Kiroroの玉城千春がブレイクした。亜紀さんにはレコード会社からデビューしないかと、何社も誘いがあったという。亜紀さんは故郷、島根県農協の金融部門に勤務している。そして週末は歌手として活動しているのだ。青森県で毎年開かれている、りんご追分大会に出たり、カラオケイベントで二流の歌手たちと一緒にステージに出て、歌手としても報酬を得たりしている。全国のカラオケイベントにゲスト出演しているので、ファンも多い。なぜ亜紀さんはプロの歌手になろうとしなかったのか、私は尋ねた。すると「歌いたくもない歌をレコードにして、それを売り歩く気にはなりません。私は自分の歌いたい歌を地声で届く範囲の場所で歌わせていただきたいのです。歌は私の命です。その歌を金儲けの手段にしたくはありません」プロとは何か、を考えさせられた。モーニング娘をはじめとするハロープロジェクトのメンバーに本物の歌手がいるであろうか?囲碁界でもプロの名に値するプロがどれほどいるのだろうか。5年ほど前「孫」をヒットさせた大泉逸郎も本業はさくらんぼ農家である。今の演歌は歌詞にリアリティがなく、聴衆に共感が少ない。技術的に上手いだけでは本物のプロたり得ないのだ。蔭山さんは17歳でプロにならず、一生かけて歌の道を歩もうとしている。
2006.08.28
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hatさんからツッコミを頂いたので、私が7年半も住んだ住吉寮の話をします。そもそも私は最初、大学に入学する意思はありませんでした。じゃ何故受験したの?って思うでしょ。それは高校の時の同級生がみんな共通一次試験を受けるとわかってたんで、それだけは受験しようと思っただけの事です。高校3年の夏に父が経営していた会社が倒産し、家族は離散していました。私は本田技研鈴鹿製作所で期間工として働いていたのです。住民票は兵庫県西宮市山口町にありましたから、受験地は神戸大学六甲台校舎本館でした。はじめて大学に来た時、正門から神戸の町を一望できる眺望に感動しました。試験の結果は惨憺たるもので、大学進学をあきらめました。公認会計士一次試験を受験し、学歴に関係なく二次試験を受験する資格を確保しました。私は二つの選択肢を考えました。1)鈴鹿に残って本田の社員になる。2)働きながら勉強して会計士になる。この二つは両立可能かも知れない。で、大学はどうするか。神戸大学の夜間部に願書だけ出しておけ。夜間部なら通るかも知れない。もし合格したら、○○高校に神戸大学合格者が増える、って事は、出席日数の足りない私に卒業証書をくれるかも知れない、と考えたのでした。夜間部には二次試験がなく、何故か「合格した」と母から電話をもらいました。私は本田技研の人事担当者に「期間工の松下です。私、高校中退したと偽って働いていましたが、実は神戸大学と公認会計士一次試験に合格しまして、高校も卒業させてくれそうなのです。つきましては高卒の社員として入社させていただけませんでしょうか」と言いました。すると人事の人は仰天し「せっかく国立大学に合格したんだから入学しなさい。卒業してから面接に来て下さい」と説得されました。かくて期間工をやめて西宮の家に戻り、大学から来た入学に関する膨大な書類を読んでいました。すると、大学入学にはいろんなメリットがある事がわかりました。○大学には寮があり、寮費は水光熱費込みでたったの月額3100円で住める○入学金は5万円、学費は半期で4万5千円。たった9万5千円で入学できる○日本育英会に申請すれば月額1万8千円の奨学金がもらえる○両親が貧困でかつ成績が良好な学生は、学費免除を申請できる。って事は、学校に払う金より、貰える金の方がケタ違いに多い。国立大学ってこんなオイシイ所だったとは・・しかも昼間働く勤労学生には、通勤定期を通学で買えてしまうわ、所得税に勤労学生控除があるし、住民税は免除されてしまう。たとえ大学自体に魅力なくても、学生であるというだけで利益は大きい。私はなぜ7年半も在学したか、というと寮に住んで金を浮かせたかったからなのです。単位は取ってしまっておいて休学していました。休学すると授業料は払わなくても良かったからです。就職するために卒業する必要はありません。学生のうちから正社員として働いていたからです。つづく
2006.08.28
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置碁の上手が得意な人と下手が得意な人がいる、と思う。私は下手が得意で、6子以上置かせるのは苦手だ。しかし大学囲碁部の先輩・後輩を見ると私の逆の人が多い。私が6子置かせる人に井目置かせて勝ってしまう。けれどリーグ戦では役に立たなかった、という部員が多かった。私が思うに、これは性格の問題だと思う。負けず嫌いで石を目一杯に働かせようとする梶原先生のような棋風の人は、置碁の上手は上手いが、試合では安定感がない。またそういう部員の多くは浪人経験者である。私は実力は無いが勝負強いタイプである。大学入試や税理士試験でも、合格可能性はゼロに近いと模試では判断されていながら勝利している。練習ではころころ負けてもリーグ戦では大物を食っていた。「みんみん先輩って意外に強いんっですね」と後輩に言われていたものだった。私の考えは、こうだ。試合では参加選手の平均では実力の70%しか出ない。100%の力を出そうとすると50%しか出ない事の方が多い。だから自分は出力80%を最初から目標にしている。税理士試験の場合、100点満点で合格ラインが80%~45%(試験委員によって大きくぶれる事が昔はあった)。この場合、合格ラインを問題を見て予想し、その5~10%上の点数を狙うのが私の戦い方だった。最小努力による最適の結果を追求する。最善を目指すのは愚かである。受験予備校の予想問題の模範答案を丸暗記する受験生は多かった。しかし、合格率10%の試験に、同じような答案が続出したら、試験委員がどう採点するか予想すれば分かるはずだ。論文試験の場合、個性のない答案には辛い採点が付く。個性ある答案を試験委員がどう評価するかはバクチである。負けてもともとのバクチ答案で勝率5割近い結果を出して、働きながら囲碁部員をしながら4年で合格した。囲碁でも強い相手が出てきたら、負けを覚悟する。普通にヨセたら勝てないと見たら乱戦にするし、格下の相手には確実にヨセで勝つ。結果は気にしない。局後の検討で相手の異見を聞きだすのが、私は楽しい。あまり勝負に拘らないのが、私の流儀である。私は大学6年の時、23歳の時が全盛期だった。仕事が忙しいとか他の趣味に走るとかもあるけれど、囲碁に対する情熱を失ったの最大の理由は、目標がないためだ。個人戦で全国大会を目指す棋力もない。団体戦の選手として必要とされなくなった時に熱が醒めた。今でも囲碁は好きである。結局、パソコンも囲碁も言葉もコミュニケーション・ツールだと今は思う。囲碁を通じて、相手の心の窓を開く事ができれば幸せ、と感じている。
2006.08.27
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昭和56年、私は入学した。最初は落語研究会に入部したが、夜間部の授業と合同練習の時間が重なっていて退部せざるを得なかった。大学生協の食堂で働いたり、寮自治会の役員になったりした。囲碁部に入ったのは寮自治会で知り合った先輩が、囲碁同好会のメンバーだったのがきっかけだ。当時の囲碁同好会は員数の減少と部員の高齢化に直面していた。強い先輩が二人いたが後の三人が一部リーグでは勝てないので、二部と一部をエレベータしていたのだ。当時、大学では留年の御三家と陰口を叩かれている団体があった。自治会、囲碁・将棋、オーケストラ、である。原理研など悪質な宗教団体や左翼過激派などカルト的組織に入ったら卒業はできないので、これらはもはや留年の・・どころではなかった。私は入部当時、代表級の先輩に七子だった。それが四子を卒業した所で団体戦の補欠になった。昭和58年3月に、留年を重ねていた先輩や主将などがごそっと卒業してしまった。新たに3回生になった部員は、たった二人。三段前後が3人、初段前後が2人しかいなくなってしまった。新部長・新主将にならざるを得なかった私は、栄光ある歴史を持つ神戸大学囲碁部を再建しようとして、バイトをやめて一年間は囲碁部のために活動したのだった。私には以下の課題があった。○囲碁同好会を学生部公認団体にすること○部員を増やし、部員の棋力を向上させて、リーグ戦を戦えるようにする事実は、私の入学した頃は、囲碁同好会は学生部の公認団体ではなかったのだ。そうなった理由は、二つあったと言われている。昭和30年代、西村御大の頃に、神戸外大に赤松さんという強い人がいた。後に読売新聞の観戦記者として活躍された。西村さんは神戸大の団体戦に赤松さんを入れて試合に出たらしい。赤松さんは学生本因坊2回取った人だから即バレた。当り前だ。このため神戸大学囲碁部は、関西学生囲碁連盟から懲罰として一年間試合に出れなかった。さらに六甲台グラウンドに隣接して囲碁部の部室があったらしいがこれを火事で燃やしてしまった、と言われている。昭和30年代の不祥事によって、神戸大学では、囲碁部は学生部公認団体の資格を抹消されていたのだ。私はまず学生部に加盟申請をして準公認団体になった。しかる後に私は新野経済学部長に顧問就任を依頼した。翌年、囲碁部は公認団体になって、大学から年間5万円の活動費をもらえるようになったのだ。かくて課題その一はクリアした。昭和57年入学で残った部員はS田君一人。昭和58年に入部した部員は6人いたが全員5級以下だったのである。これらを鍛えて試合に出れる体制を作らねばならない。不可能だと思った。まず関西学生囲碁連盟には、準加盟団体になる申請をした。つまり昭和58年度は団体戦を欠場し、連盟費2万4千円を節約した。準加盟で個人予選に出る権利を確保し、来年は本加盟に戻ると約束した。それまでは強い部員がいたために、初心者を育てる必要なんかなかった。しかし初心者を戦力化する必要に迫られたのだ。最初、私に8~9子だったY本君・S垣君が急激に強くなり半年で初段になってしまった。それ以外の部員もどんどん強くなって、翌年春期は3部で完全優勝。秋は2部でも2位で入れ替え戦に出場するという快進撃を見せた。昭和59年はS田君が部長・主将になって、私は税理士受験のために一線を引いていたが、後輩たちと練習対局を多くこなしていた。昭和60年に行松君が入り主将となる。その前後に相次いで強力新人が入部し、黄金時代が始まった。奇跡は起こった。一部リーグの優勝を狙えるチームになったのだから。その頃から一芸入試が始まった。大阪市大や龍谷大が強い部員を集めたが、やがて立命館大学が強い部員を大量に集めるようになった。私たちの頃は、京大が常勝で阪大が対抗していた。関学・関大・同志社・大阪府立大・京産などが強かった。立命は一芸入試するまでは二部リーグに低迷していたのだ。私が思うに囲碁に限らず何事も、上達する過程が楽しいのだ。5級で入学して五段で卒業する。これが理想だと思う。最初から六段の部員が集まっても濃密な人間関係が生まれるだろうか?
2006.08.27
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今日は、ヤフー囲碁で5勝1敗でした。1敗は対局中に落ちてしまったためのものです。ぼちぼち対局数を増やして調子を上げていきたいものです。タイゲムに復帰するのは、10月かな。9月いっぱいは忙しいのです。明日は、スーパー銭湯に行って、トヨタ・デンソー杯を幽玄の間で観戦するつもりです。ところで、ブラジル現大統領の名前はルーラというそうです。思わずニヤリ。
2006.08.27
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明日は関西学生囲碁連盟OB大会が開かれる。今年は「欠席」する旨、幹事の行松君に伝えていた。今夜も夜勤の予定だったからだ。それが昨日になって今夜は休みになった。つまり急に出場可能になったのである。だが、今年は欠席させていただく事にする。理由は全然、最近碁を打っていないため。体調が崩れているため、である。しかし最大の理由は近年参加者のレベルが上がってしまい、私と同じ位ヘボい人と対戦できないからだ。去年の神戸大Cチームは、主将・多賀、副将・諸留、三将・澤田、四将・岡本、五将・私だった。私以外は代表経験者である。3局打ったが、相手は京大・立命・立命でいずれも20代・30代の選手だった。結果は1勝2敗だった。彼らは皆大学入学時点で既に強かったはずだ。私みたいに大学入学時には級位者だったなんて人はもう皆無に近い。出ても、勝てる自信が無いのが出る気がしない本当の理由である。追記 去年は2局目までで体力を使い果たしてしまい、第3局は50手で敗勢になっていました。大会に出るには体力がないとあきません。もちろん棋力が一番重要なんですけどね。
2006.08.26
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チェスの原型、チャトランカは最初からwar simulation gameであった。囲碁の起源は、それと違うようだ。武宮正樹氏は「囲碁は最初から囲碁だった。囲碁は神様が作ったゲームだ」とNHK杯の解説で出演された時言っていた。が、これは確実に間違いである。碁の盤石は中国で3千年前からあった。だが漢の時代、主に弾テキというおはじきの道具として使われていた事から考えて武宮説は間違いと断定してよかろう。呉清源先生の著書によると、盤石は天体観測の道具だった、とある。おそらくこれが正解だと私は推測する。しかし第二の正解があるんじゃないの?と私は思うのだ。それは、盤石は「占いの道具」だった。これが私の説だ。古代においては天体観測と占いを峻別はできないので呉清源説と同じ事だとは思う。私の論拠は「易経」である。●○が2の6乗64通り並んでいて、それぞれに意味がある、と書いてある。この●○の羅列の研究道具が盤石ではなかったか、と私は推測している。日本人で盤石はもともと占いの道具だった、と主張した人は寡聞にして聞かない。だから私の説を書いておく価値がある、と思いました。なお囲碁というゲームは中国の南北朝時代に始まったとされていて、日本には飛鳥・奈良時代には伝わった。日本では盤石は最初から囲碁の道具として伝わったはずです。
2006.08.26
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今から8年前、日本ではじめて狂牛病が発見され、日本中がパニックになった時の事でした。鮎の研究のBさんの曰く「狂牛病によって我々がヤコブ病に罹る危険性は、明日交通事故で死ぬ確率よりずーっと低いであろう。ましてわれ等の脳みそは既にスポンジ状である。何を恐れる事があろうか。ハツやセンマイなど本格的なホルモンを食べさせる店を紹介するから行こうではないか。きっと閑古鳥が鳴いているであろう。今がチャンスだ」Bさんの案内で大阪市住吉区役所の近くの店に行きました。するとこれが煙いのなんの。店はカウンターがずらずらとある吉野家的な内装で、カウンターの上に充分火が回った炭が入った七輪が置かれています。無煙ロースターなんて、飛んでもない。店内は煙だらけ。常連客は綿パンとTシャツで来店します。店は狂牛病なんて無視したホルモンフリークが集って繁盛しておりました。さすがはディープ大阪。一人3千円以内で腹一杯になりますよ。ただ、あの店が今も存続しているかは疑問です。亀山在住の折、ひいきにしていた店を紹介します。焼肉レストランオーシャン、2300円の食べ放題は涙が出るコストパフォーマンスの良さです。家族連れで是非どうぞ。
2006.08.26
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学生の頃の碁です。私の黒番です。4択にしますが、他に「打ちたい」という異見を歓迎します。問題図。なんか碁盤がいがむなぁ・・19┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐1918├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1817├┼●○○○┼┼┼┼○┼┼┼┼┼┼┼┤1716├●┼●┼┼●┼ D┼┼┼┼┼┼●┼┼┤1615├┼┼●○○○┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1514├┼┼┼●●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1413├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1312├┼┼○B C┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1211├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1110├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1009├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0908├┼○┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0807├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0706├┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0605├○○┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┤0504├●○○○○○ A┼○┼┼┼┼┼┼┼┼┤0403├●●●┼●●┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┤0302├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0201└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘01
2006.08.26
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冥王星が惑星でなくなった、とニュースで知った。なんでやねん、と思って調べてみた。太陽系の惑星の定義が変わった。従来の「惑星」の定義に該当する天体が近年多く発見されたため、それらを惑星と認めるよりも「dwarf planet」「Plutons」という新しい概念を導入する事にした。すると冥王星はPlutonsに該当することになって、惑星ではないことになったらしい。新たに惑星を分類する基準が以下の二つ設けられました。A)小さいもの。惑星の定義とはのデータをご覧下さい。冥王星の直径は地球の1/5ほどしかないって事は質量は1/100以下でしょう。質量が地球の1/1万以下の天体は、dwarf planetとされます。冥王星はこれには該当しません。B)大きく傾いた軌道傾斜と歪んだ楕円軌道を持ち、軌道周期は200年を超えているもの。地球と太陽の距離は常にほぼ一定ですが、冥王星は楕円軌道を持ち、太陽の惑星というよりも定期的に近づく彗星みたいな天体と認識された、ということでしょう。これに該当する天体はPlutonsとされます。冥王星はこれに該当します。ま、詳しくは国立天文台およびそのリンクを読んで下さい。税法・商法の改正みたいなもんですなぁ。趣旨と条文を読まないで批判しても始まりません。
2006.08.26
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要旨○今やブラジルは世界最大の大豆輸出国だが、遺伝子組み換えの比率が高まっている○日本で消費されているサラダ油の半分は、遺伝子組み換え大豆を搾ったものである○遺伝子組み換え大豆そのものは日本に輸入されてはいない。しかし食用油・鶏肉に化けて輸入されていて、我々は日常的にそれらを口にしているのである。囲碁ボケにはついてゆけない私です。ボケられないので、自分のセンサーに感知した世間話を書くのでした。まずは遺伝子組み換え種子を販売しているモンサント社の遺伝子組み換え作物年表をご覧下さい。タバコ・トウモロコシ・大豆・稲いずれも虫が付き易いもしくは病気の多い作物の種子の遺伝子を組み換えてしまう。しかる後に特殊な農薬を一度散布するとあらゆる病害から守られてしまう、というのが遺伝子組み換え作物なのです。これはスゴイ。2004年の作付け面積では除草剤耐性大豆が4840haで断然一位です。普通大豆は種まきから収穫までの4ヶ月余りの間に5回以上農薬を散布します。これが一回ですんでしまう上に成長が早く、収量が多いのですから、大規模栽培の大豆は今や大半が遺伝子組み換えなのでした。きな粉や納豆にすると味に差がでるらしく、それらにはほとんど使われていません。日本では遺伝子組み換えに対する拒否反応が強いようですが、我々は間接的に遺伝子組み換え大豆を輸入しているのです。それらを摂取すると健康上に問題があるんでしょうか? 答えは、まだわかっていません。ただ言える事は、そんな心配する前にメタボリック・シンドロームの方を優先して心配すべきだという事です。
2006.08.25
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わ・リーグ優勝予想は、野球碁聖?なる記事を書いた事がありました。この文章の主眼は、「囲碁そのものの面白さをそがない程度の実現可能な、野球碁聖戦ルールを考えてみる」事でした。nipparaさんの野球碁選手権開催が現実化を読んで、どうリアクションしたものか悩んでしまったのでした。おそらく例のボケであろう、と笑い飛ばしてしまえばいいのか、が第一感なのでしたが、マジかも知れん、とも思ったのでした。私はかかるイベントは実現性が低い。しかし実現可能なルールを決めて試してみる価値はあるだろう、と思いました。
2006.08.24
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国連安全保障委員会の常任理事国をあげよ、という設問に答えられない人は少ないだろう。しかし現在の非常任理事国10カ国をあげよ、と聞かれて答えられる日本人はまずいないのではなかろうか。答えは、アルゼンチン、ギリシャ、タンザニア、デンマーク、日本、ガーナ、カタール、コンゴ共和国、スロバキア、ペルーである。驚くことはドイツ・ブラジル・インド・イタリア・カナダなどの有力国が入っていない。北欧三国も入っていない。逆にペルー・ガーナ・コンゴなど政情不安の国が入っている。今年は非常任理事国の改選の年で日本を含めた5カ国が任期切れになる。外務省は再選されるよう画策しているようだ。が、そんな必要あるんだろうか?そもそも国連がおかしくなっている最大の理由は、加盟国に平等に一票を与えてしまっている事にある。人口で言うと、リヒテンシュタイン・モナコ公国・サンマリノなど10万人以下の国とインドや中国など10億を超える国が同じ一票なのだ。人権は平等であると考えるならこんな不平等はあるまい。アフリカや東欧で国が分裂すればするほど加盟国は増える。すると投票権を持つ国や地域が増えてしまう訳だ。むろん貧困国・小国には、分担金を支払ったり、国連軍に参加する用意はない。ただ無償の経済援助を求める場として国連という舞台を利用したいにすぎない。こんな国連に積極的に関与する価値があるとは、私は思えない。日本の間接民主主義は機能不全状態にあると思う。しかし国連の酷さはそれ以上である。
2006.08.24
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日本では、来月5年半に及ぶ小泉政権が退陣する事になった。小泉氏を変人と呼ぶ人は多いが世界には、もっとスゴイ変人大統領がおるんだ、という事を知っていただきたい。エボ・モラレス(ボリビア大統領)である。何しろコカ栽培農家の出身ということもあり、コカ栽培の促進を主張している、ってんだから麻薬撲滅に燃えるアメリカのブッシュ大統領とは犬猿の仲だ。この大統領は長期政権にならないと思うが、反米反グローバリズムの流れの中で、こういう人物が出てきたと解釈したい。
2006.08.23
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テレビドラマで刑事ものといえば、「太陽に吠えろ」とか「西部警察」とか「はぐれ刑事純情派」とかリアリティーの無い物が多かった。今は単発の2時間ドラマが多いがリアリティーの無い傾向は基本的に変わっていない、と思う。むしろ密着ドキュメント形式の物でも特殊な犯罪や検挙シーンばかり集めて番組を作ってしまったら、視聴者に虚像を伝えてしまう事になりゃせんのか・・と元新聞社勤務の私は思うのだった。県警本部記者クラブに原稿を取りに行ったら「賭博容疑で逮捕・高額の賭けマージャン」と言う記事があった。記者クラブの部屋の片隅には雀卓があり、警察の人も記者たちと卓を囲む事も多いと聞いた。「よくそんな記事が書けるもんだ」と思っていた。しかし一番虚像を広めるのは国家権力および最高権力者だ、というのは歴史の常識である。それを監視するのがマスコミの最重要課題だ、と思うのだが・・・マスコミ自身が虚像を発信する方向に行っている。視聴率の取れる番組を作れば広告収入が増えるシステムなんだから、視聴者(一般国民)の意識が元凶なのかも知れない。
2006.08.23
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1時間ほど前から激しい雷雨がありました。朝から曇りがちだった事もあって外気温は25度になりました。クーラーを切って窓を開ける事ができました。しかし天気予報では、明日以降晴れが続き、今月中は残暑厳しいとの事です。あんまり暑いのでは清涼飲料水やアイスクリーム・ビールの売り上げが伸びる。ヨーグルト類は25度くらいが売れ易いのだそうです。
2006.08.22
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アマ本因坊決定戦:村上深さんが初優勝…史上最年少で、だそうです。22歳の方の事はもう私知りません。毎日新聞のHP、トーナメント表とかアップしておいて下さい。誰がどう勝ち進んだか、を知りたいのに・・、私が面識があるのは3位に入った蔵元選手です。彼が隆昌産業に勤めていた時に、「安くしときます」と言われて、盤石を買ったのが10年近い前の事でした。インターネットが普及する前だったから、盤石を使った対局をしなくなるのを予想できませんでした。村上さんも4位の佐藤さんもわずかの差で入段を逃した経験があるのですよね。世代交代の波が押し寄せてくるんですねぇ。
2006.08.21
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亀田-ランダエタの再戦決定(スポーツ報知)との記事がある。が、決定した訳ではない。WBAがチャンピオン亀田に対して、再戦を義務付けただけの事だ。王座を返上し、無理な減量をせずにフライ級に戻るであろう、と新チャンピオン誕生直後は噂されていた。亀田陣営も最初はそのつもりだったのではないか、と私は推測している。しかし、ここで逃げては汚名挽回できない。再戦せざるを得ない、と協栄ジム・亀田ファミリーは考えが変わってくると思う。急いでチャンピオンになる事が長い目で見ると、決して良い結果につながらないという二宮清純氏の意見(予想)に私は同意する。亀田には私や二宮氏の予想を覆す勝利を期待し、私もhidew氏同様「ヒールとしてボクシング業界を盛り上げて欲しい」と思う。
2006.08.21
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nipparatさんの面白い話を受けて、私が見た事・体験した事を書くとしよう。しかし他人のプライベートをばらすのは原則避けなければならないので、どこまで書いたものやら・・・○賭け碁・目碁神戸大囲碁部員の間で、少額の賭け碁はたまに行われていた。私と互先ぐらいの仲間でメシ代程度の金額を賭けて打つという場合と、元院生の後輩に教えてもらう場合があった。後者の場合、賭け碁という体裁を取った指導碁なのだった。目碁は私自身はほとんど経験がない。また高額を賭けた対局を観戦こともない。ただ目碁の場合は打ち方が根本的に違ってくる、という事はわかる。また目碁で鍛えた古豪にエライ目に会わされた事が何度かあった。○伝説の真剣師私が学生の頃、原田繁雄氏に四子で教えて頂いた事があった。20年前に既に80歳を超えておられたので、もう書いても差し支えあるまい。神戸三宮に飲食できる高級囲碁クラブがあって西村御大のカオでタダで出入りさせて頂いていた。そこに原田先生がたまに来られていた。100手を待たずに私は投了した。大石が攻めあいになってダメだと観念したからだ。すると「投了するのはまだ早いですよ」と言われ打ち継いだ。するとなんと白の方が死んでしまったのだ。私は狐につまされたみたいであった。しかし巨大なシボリ形ゆえに細かい碁になっていた。ヨセで私はミスを連発して2目負けに終わった。終局直前に某酒造メーカーの社長が観戦しに来た。「こう打てば黒が勝っていた。ははは・・」と社長は笑った。私は原田先生の「芸」に驚嘆して闘志を失っていたので、勝ち負けの問題ではなかった。後に知った事だが当時関西棋院には客員棋士が4人いた。呉清源師・安永一師・原田繁雄師あと一人は忘れた。安永師の著書によると、原田師は昭和初期に日本棋院の棋士三段だったが棋士を廃業し、賭け碁打ちになったという。巨額の勝負を何度も経験したと聞いた。昭和初期には坂田栄男師も外ウマの賭け碁を打った事があった、とご自身の著書に書いておられます。原田先生のような方が他にもおられたのでしょう。安永先生にも何番か教えて頂きましたが、猛烈な早打ちだったので棋譜が残せませんでした。高林共平様にも教えて頂きましたが、高林さんはまだ現役なので書くのは控えたいと存じます。女子囲碁部員の話は別に書くことにします。
2006.08.20
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今日は1週間ぶりに休みを得た。普通は平日に1日休みがあるのだが今週は6連勤になった。理由は休む人が多かった事と酷暑ゆえにヨーグルト飲料がバカ売れしているためだ。それでも去年よりはラクだと周りの人はいう。休みはほとんど自室にこもってクーラーをつけっぱなしにしている。今日も35度だったからそうするよりない。まだしばらくは酷暑は続きそうだ。九州や北海道は大雨が降ったというが、わが家の周辺は昨夜に少し降っただけだ。甲子園の決勝戦はスゴイ。私は近年高校野球には関心が薄かったが、見てしまった。そして連戦に耐えうる選手に心より拍手を送りたい。私は甲子園の試合形式を変えたら良いと思っている。予選リーグと決勝リーグに分けて、トーナメント方式を改めてはどうだろうか。連戦によって甲子園で潰れてプロで大成しなかった投手がいかに多かったか。プロのスカウトを引退した人にインタビューした記事を読んで知った事があったからだ。
2006.08.20
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暑い!枚方の夏…暖気吹きだまる、観測点も影響(読売新聞)枚方の「暑さ」全国級都心の熱流入?8日連続35度超 (朝日新聞)二大新聞に「日本一暑い町」に認定された枚方市に住んでます。なんで、こんなに暑いのかは知りませんが移住したくなるのでした。ただ亀山みたいに冬、雪に閉ざされるのは御免蒙りたい。何処か適当な住処はないか。真剣に考えております。
2006.08.18
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私の知人(経済学者中谷巌氏の甥)Bさんは、生まれも育ちも大阪市内だが何故か三重大学水産学部に入学した。そして卒論のテーマは「琵琶湖の鮎の生態」だったという。琵琶湖の鮎は7~8センチにしか成長しない。琵琶湖の稚鮎を他の清流に移すと15~20センチの成魚に育つという。この謎をBさんは研究テーマに選んだのだった。普通、川は海へと注ぐものである。孵化した鮎の稚魚は一度海へと下り、汽水域で3センチ以上に育ってから川を徐々に上ってゆくのだそうだ。ところが琵琶湖周辺の川は琵琶湖へと注いでいる。琵琶湖周辺の川で孵化した鮎の稚魚は琵琶湖へ下る。琵琶湖は海ではない。巨大な淡水湖である。淡水であるが故に鮎の稚魚の多くは川を上ろうとはせず、琵琶湖の中で育ってしまうのである。鮎は清流の川底の石に付着している藻類を食べて育つ。琵琶湖に留まってしまった鮎はエサが足らないので成魚にはならない。このため琵琶湖の稚鮎を捕って川へ放流するのだ、という。今の琵琶湖は北部以外はだいぶ汚れてきている。稚魚の時点で味が決まると仮定すると、琵琶湖の稚鮎を放流したとしても美味しい鮎には育たないのかなぁ・・とか思ってしまった。訂正と補足(8・20)「琵琶湖の鮎はなぜ成魚にならないのか」という謎は実は解明されていません。Bさんから上記の話を聞いたのは8年前の事でした。琵琶湖に留まった鮎は川を遡上する鮎と較べて本来食べるエサが違ってしまうのが成魚にならない理由の一つと考えられる、と聞いたのです。Bさんの論文でも理由として考えられる点をいくつか仮説として提示し、それを裏つけるために各地を回り、データを集めた苦労を聞いて、その努力に驚いたのでした。Bさんは大学卒業後は食品流通の会社に就職された後、30歳前後に家業を継ぎシール印刷の分野で新技術を開発し、今は2つの会社を経営しておられます。今は非常に忙しい方になってしまったので、鮎の話はいずれ詳しく聞きなおしたいと思います。
2006.08.18
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ソニー製電池リコールで波紋 他のPC各社安全確認急ぐ なる記事を見て電池材料の研究助手をした時の事を思い出す。携帯電話でもノートPCでもハイブリッドエンジン車のバッテリーユニットでも、中身は基本的にほとんど同じ黒い粉末が入っているのである。(白い粉が入っている事もあるが、高価な材料を使うので滅多にないはずである)その黒い粉末の主原料は、水酸化リチウム(白い微粉・軽く飛散しやすい)、水酸化コバルト(ピンク色の粉)、水酸化ニッケル(緑色・銅が錆びた時の色の粉)なのである。これらを一定の割合で混ぜて、陶器の皿に入れて電熱オーブンで熱する。すると黒い塊になる。これを粉砕してから篩いにかけて、再度オーブンで熱する。すると一度目よりずっと硬い塊が出来る。これをもう一度粉砕してから篩いにかける。というのが基本的な作り方なのだ。原料の割合・添加する副原料・熱する温度と時間・粉砕方法・篩いの通し方などで、化学的性質が微妙に異なってくる。また製品の粒子は極めて小さい。ニッケル水素電池とかリチウムイオン電池とかいう呼び方があるが、正しくない。リチウムイオンもニッケルもコバルトも主原料なのだから。↑の文章はhidewさんの勧めに従って、改行を最小限度にしたがどうだろうか?
2006.08.17
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hidewさんの所でブログ文章術の話題が出ています。最新記事は上手く書くとはあまり上手く書かないことだ という逆説的なタイトルです。hidewさんの一連の記事に対する私の感想と、私のブログに対する考え方を書いてみよう・・と思います。基本的には、hidewさんのblog作法は合理的で大いにうなづけるのですが、凝りすぎではないかとpgさんみたいにツッコミを入れたくなってしまうのです。結論から言うと、小説みたいに完成度の高い文章を書こうとするのはNGだけれど必要以上にツッコミを期待して作為的な文章を書いても、よほどギャグセンスの高い書き手でない限り、読者は白けるのではないでしょうか。だから私は普通に、思った事を書けば良い。平凡は妙手にまさる(大山康晴)と思うのです。私は大学は夜間部でして2~3年生の頃は毎日新聞社の神戸支局および大阪本社に勤務しておりました。記者クラブを回って原稿を集めてきたり、記者の撮った写真を現像したり、記事のスクラップを作ったりしておりました。記者が原稿を書き、それをデスクが朱筆を入れて記事ができるプロセスを傍で見ていたのです。本多勝一の「日本語の作文技術」を参考にして、本多流記事作成術・推敲術と現場の記者たちの記事作成術・推敲術を比較・分析しておりました。新聞社での経験は、税理士・公認会計士試験の答案作成や会社員となってからの報告書作成に大いに役立ちました。私は自らのブログにツッコミは期待しておりません。なぜなら私の書き方は、基本的に新聞記者の文章術を真似た物だからです。書くテーマは「日常」なのです。私が文章が上手いと尊敬している作家は現代では群ようこです。ありふれた日常を切り取って読者にサラサラと読ませてしまう、これが私の理想なのです。
2006.08.16
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今夜も私は働いていた。残業はなく国道1号線をバイクで走る。するといつもと違う事に気がついた。○車の数、特にトラックが少ない。○ラブホテルは満室の所が多い。○吉野家・ラーメン屋・ツタヤに客が多い。○ドンキホーテは売り切れ商品が多かった。ところで「盆休み」という習慣を外国の人に説明するのは難しい。quite difficult to make you understand (言葉につまると私はよく言う)そもそも今の日本人で「盆」とは何かを知っている人がどれだけいるだろうか。実は私も存在理由を疑っているのだ。「ご先祖の霊が家に帰ってくる」というが輪廻転生して、この世の誰かさんとして生きているなら帰ってくるはずもなかろう。逆に、この世に思いを残して霊界に戻れないでいるのなら、お盆に限らず年中、この世に漂っているはずである。墓参りのために帰郷するという人も少ない。私の家も父親は三男であったから、今の家の近くに墓を立てた。かくて盆休みという習慣は、大多数の日本人の意識の中から「帰るべき故郷」と共に消滅すると私は思う。ところで今年ついに日本国の人口が減少に転じたという。死んだ人数 > 生まれた人数、となったらしい。もっともっと老人は霊界へ帰ってゆくべきである。さすれば少子化は止まると予想する。満室のラブホテルで行われている営みは、いかなるものなのだろうか。私が想像するに、単なるヒマつぶしじゃなかろうか。SMごっこをしたり、ベッドの中でカラオケやゲームでもしとるんではないか。小人閑居して不善を為す。私はセックスを不善とは考えていませんよ。未成年を除いては。
2006.08.15
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今年4月まで亀山に居た。三重県は魚と肉が旨い。松阪と伊賀で安くて旨い焼肉を食っていたから大阪に帰ってきてからは焼肉屋に行く気がしない。職場の同僚にチヌ(黒鯛)釣りマニアが多勢いたので、天然の黒鯛・本鯛を私が料理して皆と食べた。実は私は料理が得意である。特に魚料理は。何しろ親父の生家は淡路島の漁師の家で、叔父は民宿を経営してもいた。私はそれを十代の頃、夏休みに手伝っていたので、鯛の活け造りとか寿司も作れるのである。ラーメン屋も関西のチェーン店が進出していたし、和食屋のレベルも高いのだが、鈴鹿・亀山周辺には中華料理の気にいった店は発見できなかった。だから月イチ、枚方へ帰ってきた時は必ず中華料理屋へ行ったものだった。さて話は本題に入る。わ・リーグは三者優勝に終わり、Nipparatさんは、おさまさんに高級中華をご馳走する約束になったらしい。hidewさんは、何かオチがあるのでは・・とか推測していたが「高級中華」とはどのよな物なんだろう・・と考えてしまう。神戸に生まれ、南京町の近く(元町・三宮)で働いていた私であるが、案外、高級な中華料理は食べていないのであった。今は貧乏な私である。食べ歩きと申してもバイクで讃岐うどんの名店を巡る位の事しかできない身の上であるが、バブリーな建設会社の経理課長だった頃は多少は贅沢をする余裕があった。私はスパイスの効いた料理が大好きなので、大阪・南森町にある四川料理「好吃」によく行った。今はあまりはやっていない様子だが開店当初は、毎大軍氏がシェフをしていた。彼は四川料理大学の教授だった。それでオリジナリティあふれる料理を出してくれていたし、またさほどはやっていなかったので、中華料理の講座を聞く事が出来たり、メニューにない裏メニューをいろいろ食べさせてくれた。○燃える唐辛子炒め「松下さん。おいしい唐辛子が入ったので本場の味に挑戦してみませんか」「うん、いいよ」すると出てきたのが、京野菜の万願寺唐辛子をブツ切りにし炒めた物が出てきた。皿の中が種だらけだぁ・・あのねぇ普通ピーマン炒めを作る時は種抜きまっせ。もちろん口の中が火事だぁ○巨大なシュウマイこの店の名物であった。椎茸をふんだんに入れた豚饅位あるシュウマイ今もあるだろうか。○本場の麻婆豆腐サイコロ状の牛肉を炒めニンニクの芽などを入れる。そこへ激辛、唐辛子味噌で味を調え、湯で温めた豆腐を軽く会わせて出来上がり。皿を見ると表面に1センチ位赤い油が膜を形成し、花椒がふんだんに乗っていた。むろん容赦ない激辛。普通の日本人は食べれまい。旨い、めちゃ美味い事もあったが、なんじゃこりゃ、という時もあった。以前は昼のランチメニューはあったはず。一度行ってやろうかな付記 毎教授の中華料理論中華料理には四つの料理があります。四川・広東・山東・華揚です。北京料理とか上海料理というジャンルはなく、これらは華揚料理なのです。また日本人が普通に中華料理と思っている物は、山東料理なのです。かつて日本は大連など山東省を支配していました。そこの料理が戦前日本に中華料理として広まったのです。焼き餃子・八宝菜・酢豚・ラーメンみんな山東料理なのです。また日本人はアレンジとても上手。だから中国ではあり得ない中華料理が広まっているのです。それは結構なんですが・・本当の四川料理を紹介したい、と私は思っているのです。
2006.08.15
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私は昼に起きる。母に「おはよう」というと「あぁ起きたか。鯖を焼いて食べたんやけどなぁ、途中で胸が悪くなった。何も作る気がせぇへん」とのたまう。「じゃあ会社行く途中で回転寿司でも食べるわ」と言って午後3時に家を出た。くら寿司に寄る。○カウンターに座る。○タッチパネルでオーデーした物しか食べない○初手は、茶碗蒸し(いろんなネタの切れ端が入ってお得なのだ)○さば押し・焼きはらす・紋甲イカは必ず食べる○マグロ・鯛・ハマチは食べない。(理由、100円でホンモノが出るはずがない)○(一人で行く時は)必ず千円以内でやめる月に最低一回は行く。必ず平日の空いている時間帯を狙う。のであった。今日も満足して出勤したのだった。会社の休憩時間にワールドビジネスサテライトを見ていたら食資源の危機(1)サバが食卓から消える?、という特集をしていた。鯖だけでなくサーモンも中国・ロシアなどが輸入国になり、寿司をはじめとする日本の食文化が世界的に定着する中で魚介類の国際価格が急騰している。特にノルウエーの鯖はこの一年で50%値上がりした、と報じていた。回転寿司のネタが高騰している訳で、回転寿司業界の出店競争が今年に入って沈静化した理由がわかった。100円で食べられなくなるネタも出てくるかも知れん、と思った。なおくら寿司の投資家用広報文書を拝見したが、仕入れコストの上昇に関しては記載が無かった。
2006.08.15
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囲碁を初心者に教えようとする場合、いろんなサイトを見るけれど石を取る事、とか地を囲う事とか終局の手続きとかを説明しようとしているサイトが多い。私は囲碁部に入部した初心者を教えたり、社会人になってから、異業種交流会で知り合った同年輩の方に教えた時の方法を書くことにする。皆さん、頭では囲碁の基本ルールを知ってはいる。しかしその情報が体験を通じて、身についていない状態なのである。まず9路盤で以下の4子局を体験してもらう。┌┬┬┬┬┬┬┬┐├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼●┼┼┼●┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼●┼┼┼●┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤└┴┴┴┴┴┴┴┘大抵は、各個撃破されて途中で手直しになる。私は、囲碁は「地を取る、石を取る前に、自分の石が取られない事が一番重要だ」と説明する。次に┌┬┬┬┬┬┬┬┐├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼●┼●┼●┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤└┴┴┴┴┴┴┴┘この3子局で多面打ちする。黒石はつながっている限り、取られる心配はない。白を分断し、いかに小さく活かせるかを繰り返して演習する。すると、「わかった」と言い始める。石が切れてくると下手は騙され易くなる。そうならない方法に気が付いて欲しい、というのが私の指導方法なのである。┌┬┬┬┬┬┬┬┐├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼●┼●┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┤└┴┴┴┴┴┴┴┘最終的にはこの二子を卒業させるまでに、隅の基本的な死活はマスターさせてしまう。というのが私の教育方針なのだ。終局の手続きなんか、後でいいのだ。白を小さく活かすテクニックを身に付けてゆくうちに境界線の確定方法もわかるようになる。9路ならヨセ手順に至るまで完全な検討が可能だ。19路盤で教えるのは有段者になってからで良い、とさえ私は思っている。
2006.08.14
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タイゼムのお題の一つにhidewさんが提案した「 李昌鎬に対して自由置碁で打つならどのように置く? 」というお題。これで思い出したのが学生の時に、制作に参加したファミコンソフトスーパー早打ち囲碁の、名人戦モードである。ソフト自体が弱いので、初心者を除くと人間は楽勝してしまう。そこで、いろんな置石のある面を用意して、それをどんどんクリアして最終25子までクリアできたら「名人」になれる、というアイデアを私は提案した。対局ソフト、および初心者の弱点は、碁盤全体を見ていない事にあると私は考えた。従って、置石が死ににくい配置を用意したのだ。遊び心で作った8子局19┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐1918├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1817├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1716├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1615├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1514├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1413├┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┤1312├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1211├┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┤1110├┼┼┼┼┼●┼●┼●┼●┼┼┼┼┼┤1009├┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┤0908├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0807├┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┤0706├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0605├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0504├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0403├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0302├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0201└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘01下手が勝ちやすいのは。これだろう。19┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐1918├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1817├┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┤1716├┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1615├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┤1514├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1413├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1312├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1211├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1110├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1009├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0908├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0807├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0706├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0605├┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0504├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┤0403├┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┤0302├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0201└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘01これが最終の25子。負けにくいはずだ。19┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐1918├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1817├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤1716├┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┤1615├┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┤1514├┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┤1413├┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┤1312├┼┼┼┼┼┼●┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┤1211├┼┼┼┼┼┼┼●┼●┼┼┼┼┼┼┼┤1110├┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┤1009├┼┼┼┼┼┼┼●┼●┼┼┼┼┼┼┼┤0908├┼┼┼┼┼┼●┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┤0807├┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┤0706├┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┼┤0605├┼┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┼┤0504├┼┼●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┼┤0403├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0302├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤0201└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘01
2006.08.14
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業務スーパーに行くと、入店する時に買うつもりだった物を買って出てくるがドンキホーテに行くと、入店する時に買うつもりでなかった物を買って出てくる業務スーパーでは、PB商品中心の品揃えなので、安売りも欠品もまずない。ドンキホーテでは、仕入れが一般ブランドの余っている物を買い叩くため極端な安売りや欠品が多い。入店してみないとお買い得商品が分からないため上記の購買行動を取る事になる。
2006.08.14
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亀山に残っている友人からの連絡によると、辞める人が多くなった、という。一度、現地に行って事情を聞いてみたく思うが、如何せんヒマがない。現場が混乱している事は確からしい。原因を想像するに急激に薄型テレビ市場が拡大し、シャープは果敢に設備投資した。しかし機械だけ入れたって、良い製品ができるっちゅうもんではない。人を集めるのは簡単だが、それを教育し戦力化するのは容易ではない。私は1年8ヶ月リーダーを勤め、延べ50人以上の新人を教育した。個々の作業を割り当てるのは簡単だが、大きな現場には多くの工程があり、その業務の中身と関連性を説明しなければ、個々の作業の目的がわからない。何の為にその作業をしているのか、の意味を説明しないといけないが案外できないものなのである。その現場で長くいると、当り前の事でも新人には、その「当り前」がわからない。上司の仕事とは、部下に働き易い環境を作ること、だと私は思っている。そのテクニックは色々あるが、急成長してしまうと管理者の数が不足してしまう。液晶テレビなどという製品の歴史が浅いもんだから、その業務に精通している人間の数が少なすぎる。業務知識とコミュニケーション能力の両方を備えた人が少ないので、その少ない人に負担がかかりすぎて潰れてしまうのである。
2006.08.14
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囲碁まつり(5日~9日)、将棋まつり(10日~14日)が今年も行われている。前はよく行ったものだが近年はご無沙汰である。2000年には将棋の丸山名人に3面指しで四枚落ちで挑戦し勝った。ただし、これは勝たせてくれたなぁ・・と感じたので2ヶ月後に浦野真彦七段に一面指しで同じ手で挑戦したら、あっさり負かされた。(*^_^*)やっぱし・・と思ったが、これらの棋譜は「みんみんのざる碁図鑑」のネタにしたものだった。囲碁まつりは学生の頃にバイトさせていただいた。段位認定大会の手合係や対局場の整理なんかをした事もあった。社会人になってからは一度だけ席上対局をした事がある。あれは、まいったちゃんである。小学5年の女の子で五段だ、という人がいてこれに挑戦したい方は手を上げて下さい、という。まだ正午頃だったので客が少なく手を上げるが少なかったので挙手して、対局することになった。握りで私の黒番である。70手位で潰しそうになった。が・・緩んで怪しくなってしまった。隣でプロが二人で解説している「Mさんは優しいですね・・これは決め手を逃しましたね」とか聞こえてくると、「ククク・・」なのであるがおさま先生のみたいに余裕ではなく、焦りの「ククク」なのだった。院生が隣で秒を読んで棋譜を書いている。多分、ヘボイなぁと思われているんだろうなぁとかいらん事を考えてしまうのだった。ヨセに入ってまともになり勝てる形になった。時計を見るとヤバイちゃん。次の加藤名人の出番に時間が近づいてきた。劣勢なら私が投げれば良いのだが盤面は大差で有利なのだ。困った。結局12目半勝ちだった。大会進行上ご迷惑をおかけした。8日には万波姉妹が来ていたという。11日の渡辺竜王・羽生三冠も見たかった。今日13日は、将棋の女流棋士が多く来ていたらしい。盛況であった事でしょう。今の仕事では朝帰ってきて昼に起きるという生活である。盆休みもない。これでは行きようがない。また行く機会があれば・・と思う。
2006.08.13
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私は最近までテレビを作っていたが、私自身がテレビとどう接しているかを書くことにする。気になる番組はDVDレコーダーで録画する。しかし実際に見るのは3割位しかない。一日の視聴時間は約1.5hr位である。ネットに書いたり、読んだりしている時間の方が長い。そんな中で、気になる番組の一つがオーラの泉である。「前世とか守護霊とかホンマかいな」と思いつつ、ゲストがある程度本音をさらけ出していくあたりに不思議だな・・・と思いつつ見てしまうのである。番組の中で、美輪明弘と江原啓之が語る世界観(死生観)は、基本的に仏教に忠実である、と私は思う。○人間の存在の核心は「霊」であり、輪廻転生する。○人間はこの世に生まれる時には「課題」を持って生まれてくる。○仏教(唯識論)では「霊」とか「魂」とは言わず「阿頼耶識」と言う。○「阿頼耶識」は輪廻転生の末に解脱すると、人間界に戻ってこなくなる。 これを成仏する、という。死んだ人がみな成仏する訳ではない。ただ仏教の教えにも諸説あって、日本独自の浄土真宗とか、現世利益を謳う創価学会とかは私的には気にいらないので無視している。ちなみにユダヤ教・キリスト教・イスラム教など旧約聖書を経典とする一神教では人間は輪廻転生しない、とされており全ての者は、最後の審判を受けるという。この話は尽きないので、暫時書いてゆくとしよう。
2006.08.13
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おさま先生が囲碁ボケを復活させたようだ。といっても最近まで3年近くネットから離れていた私には「そんな人おったの?」ちゅう感じだ。私は正直ボケるのが下手である。というか真面目に深読みしてしまいさらりとボケる事ができない性格なのである。ボケをかますには才能・センスが必要だ。ワシはやっぱワシのスタイルで日常を書いてゆくことにしよう。
2006.08.13
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大した事も書いていないのに一日200アクセスもあるとは不思議だ。わがブログを初めて見た、という人が増えてきているなら慶賀の至りであります。m(__)mダイエットの方は中断いたしております。酷暑を乗り切るまでは、仕事に穴を開けない方が優先なので、食欲をセーブしてはおりません。体重は横ばいで推移しております。
2006.08.11
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私が勤務しているヨーグルト・飲料工場で、昨日製品サンプルの中から大腸菌が出た。該当する商品は廃棄された。むろん出荷されておらず、工場内の問題に留まった。生産と検査について簡単に説明する。工場には12のラインがあり、稼動しているのは6~8ラインである。製品は40種類位あり、各ラインは2~8時間で、製造品種を変える。また1品種を大量に生産する場合、ロットが交換になる。サンプル検査は1ロットの始めと真ん中と最終の製品(何本もしく何個か)を残しておき品質管理担当者が回収する。シャーレで培養して大腸菌などの異物がないか、を調べるのだ。この工場では大腸菌が出たのは昨年は何度かあったらしいが・・・今年は初めてだという。日頃、サンプルを取って、規定の場所に置いておく行為をさほど重要な物とは思ってなかった。今回の事で、その重要性に気が付いた次第である。大腸菌と極限環境微生物を読んで見たが今イチわかんなかった。おやすみなさい。たぶん日曜日まで更新しませんので、失礼します。
2006.08.10
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オピニオン 和の伝統「拉致・監禁」守れは、bogusnewsの傑作だと思います。源氏物語も読みようによってはこういうパロディも成立するのだ。ニュースの検索を見るに、この男がマンションの事実上の所有者だった事が特異な事件になったといえましょう。パゾリーニ監督の映画で「ソドムの市」とかいうのが、ありましたね。集団監禁と性的暴力を描いた問題作ですが、そのミニチュア版が起こるとは・・と思った次第です。
2006.08.09
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台風7号が近づいているようだ。空は曇り湿った強い風が吹いている。テレビの気象情報を見ていると、日本領土に拘った報道をしている。「石垣島や与那国島も暴風域に・・」とか言うけれど日本全国の視聴者の99%には関係ない話だろう。むしろ台風8号は台湾や中国の広州に上陸するでしょう。飛行機の欠航が予想されます、という方が関心が高いのではなかろうか。また7月中旬に九州に大雨を降らせた台風2号・3号は朝鮮半島を直撃した。これの被害についても日本のテレビはほとんど報道していない。北朝鮮では土石流があちこちで発生したらしい。ミサイル発射の天罰が下ったのだろうか?北朝鮮の食糧事情はかなり悪化するだろう。故に6カ国協議に出てこざるを得なくなるのではないか。中国・韓国・台湾との貿易量の大きさを考えてみよう。中国の揚州一帯が洪水になると、日本の漬物用キュウリの99%は調達不能になる。
2006.08.08
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掲示板にたぬきねいり先生が将棋連盟批判をされております。ところが・・たぬき先生とはちょっと違う見解を述べているブログを発見しました。戎棋夷説からこの問題に関するコメントを引用します。08/02 将棋連盟で総会があった。名人戦を引き続き主催したい、という毎日新聞の提案を否決したのだ。ここ四ケ月、名人戦は新聞社のメンツ争いの場になってきたが、ひとまずケリが着いた。近代将棋と新聞将棋の密接な関係を思えば、将棋文化にも関わる騒動であった。これでようやく将棋にも近代の終りが訪れた、と後で言えるような未来を私は望む。名人戦を引き継ぐだろう朝日新聞には、前世紀の遺物を抱えてうんと困ってほしい。毎日新聞には、何十年も変わり映えのしなかった将棋欄よりマシな紙面づくりを考えてほしい。08/03朝日新聞は将棋連盟に対して7億5千万円もの「将棋普及協力金」を申し出ていた。連盟理事会を支持してくれた、自活能力の低い棋士達に仕事を与えることが、これで可能になるだろう。金のそうした使い方をファンが望むかどうかは別の話である。ただ、この新定跡を長くは使えない。どうしてもリストラが必要だ。プロ棋士の誕生数を減らす改革が次の課題になるのでは。08/04名人戦騒動で不毛だったのは、誰もが毎日新聞の恩義を焦点にしたことである。私は当初から、自活能力の低い棋士達の扱いを問うてきた。実際、連盟総会の評決を左右したのも、羽生や森内ではなく彼らだったではないか。このあたり、将棋界の言論はレベルが低いと思う。08/06全国に二ヶ所しかない将棋会館でほとんどの対局が行われ、しかも、そこにプロ棋士だけが集まり、さらに、プロ棋士はそこだけでしか対局ができない。こんなことを80年も続けてきたのだから、将棋が衰退するのは当然だと思う。チェスの常識から考えて、県庁所在地のうち最低五ヶ所くらいで、毎日、アマもプロも参加できる高額賞金の大会が開かれてるようでないと、おかしい。将棋会館では一回戦負けばかりで対局の無いプロ棋士は、そんな大会を渡り歩いたり、コーチをしたりすれば、十分な生活費を稼げるだろう。アマチュアの参加者や観戦者も、本当のアマチュアならそれを歓迎するはずだ。対局も勉強もしないプロだって減る。チェス界でも、超高額のタイトル戦を組むのは難しくなってるが、反面、いま私が述べたような大会はとても盛んなのである。日本でそれが出来ないのは、将棋連盟がプロ棋士や棋戦を管理しすぎているからだ。そして勝手に経営危機に陥っている。このブログには他にも面白い意見が載っていますんで、ぜひ読んでみて下さい。また上記の文章の将棋連盟を日本棋院・関西棋院と読み替えても面白いですよ。チェスドクターの日々も併せて読むと、ディープブルーにカスパロフが負けたからといって、チェスのトーナメントプロ、レッスンプロという職業が無くなった訳ではない。事がわかります。無論、賞金の額は小さくなり、レッスンプロはPCソフトに取って変わられる部分は大きいでしょう。しかしチェスというゲームが衰退したり、プロがなくなったりはしません。テレビ・新聞などのメディアに取り上げられる機会は減少しましたが、マスコミ依存 → ミニコミ(ネット)依存、 ファンと直接接する機会を増やす事で棋士という職業はなくなりはしない、という事がわかると思います。やがて将棋も囲碁もチェスのように、人間がコンピュータに勝てない時代が来るでしょう。ま、囲碁は何十年も先だとは思いますが・・ チェス界と似たような事が将棋・囲碁にも起こる事は確かだ、と思います。
2006.08.08
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昨日の枚方は37.5度だったと新聞にありますがわが家のエアコンの外気温を見ると39になってます。ほんま仕事以外では、出る気しまへん。今夜は、わ・リーグ最終戦、観戦したいと存じます。詰碁ソフトをやってみましたが、ハズレまくり(ーー;)棋力回復の見通しは暗い?? なにしろ打ってないんだからしょうがないか。仕事の方なんすが、ジュース・ヨーグルトの類が売れまくりで深夜まで工場は動いております。工場の中はサウナ状態で、ダイエットも順調に進んでおりまする。何しろ1月半で体重 73.2kg → 64.8kg体脂肪率 24.7% → 17.5%ですから、凄いですねぇ。猛暑で糖尿病も退散か。熱中症で倒れるか。
2006.08.06
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