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山月記・李陵(著者:中島敦|出版社:岩波文庫) 中島敦の小説の多くに共通するのは「孤独」である。他人に理解されない孤独、自らが招いた結果としての孤独が描かれている。 匈奴に降り、家族を殺されたことを知って漢を捨てようとしながらも捨てきれない李陵。自分でもどうすればよいのかわからず悶々としている。 真理を求める悟浄は一人物思いにふけり、「寂しい。何かひどく寂しい」と孤独を感じる。悟浄が三蔵につきしたがっているのは真理を得るためではなく、孤独をいやすためではないのか。 また、「悟浄出世」で悟浄は考える。「険しい途を選んで苦しみ抜いた揚句に、さて結局救われないとなったら取り返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、不精で愚かで卑しい俺の気持ちだったのだ」 「山月記」の李徴は言う。「才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ」 全く、今の自分の心の中にあるものを的確に言い表している。
1996.04.28
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倭寇(著者:石原道博|出版社:吉川弘文館) 倭冦は前期倭冦と後期倭冦の二つに大別され、前期倭冦は日本人が主であったが、後期倭冦は、中国人が主で、日本人を配下として使うことも多かったという。また、後期倭冦は、中国の中小資本の反乱というような性格もあった。 いたずらに倭冦を正当化したり高く評価したりすることもなく、その悪辣さを取り上げてただ批判するということもない。冷静に資料を検討し、事実を導き出そうとしている。 参考文献が親切にたくさん挙げてある。 また、この著者は、「日本刀歌七種--中国における日本観の一面」(「茨城大学文理学部紀要」1960年)というのを書いている。ぜひこれは読まなくてはならない。
1996.04.17
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中国人と日本人(著者:邱永漢|出版社:中公文庫) 雑誌「中央公論」92年11月号、93年1月号、3月号に連載したもの。 冷静に日本人と中国人を観察しており、中国人のよくないところも数多く実例を挙げている。しかし、共産主義国家になってもワイロが横行している点などは、伝統ととらえ、それを無くそうなどとは考えていない様子。○日本の箸の先が細いのは魚を食べるためではないかというのは面白いが、中国人も魚は食べるはず。○日本人は職人気質、中国人は商人気質と分析。 ○中国人はチーズを食べないというのは本当か。○天安門事件の時、多額の義援金が集まり、広場ではただで飲み食いできる状況だったため、北京市内の学生が撤退しようとしても、地方から応援に来ていた学生が反対し、惨事につながった。○邱永漢自身は共産主義そのものには否定的だが、中国が共産主義国家になったのは必然的なことと見ている。○日本人が中国相手に仕事をする時は、華僑をパートナーにしろというのは現実的。○蒋経国が、国家の私物化に反対し、自分の一族が総統になることのないようにしたとは知らなかった。○邱永漢がオーナーをしている雑誌が、政府の不正を暴いたら、行政院長が、邱永漢の友人に手を回し、その友人があとはお手柔らかにと頼んできたという。その結果どうしたのか書いてないのが残念。○日本は会社社会で、中国は人間関係社会。
1996.04.02
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