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江戸怪談集(中)(著者:高田衛|出版社:岩波文庫) 『曾呂利物語』『片仮名本・因果物語』『伽婢子《おとぎぼうこ》』の三種。 中国の話に影響を受けたと思われる物が目立つ。 「万の物、年を経ては必ず化くる事」(p67)は、唐代伝奇の「元無有」に似ている。伝奇では詩を読み合うだけだが、こちらは人を襲おうとする。 小松和彦「憑霊信仰」に年を経た物が妖怪化する話があったが、日本風にアレンジされた、ということか。 「耳切れうん市が事」(p85)は、「耳無し芳一」の類話。 「座頭の金を盗む僧、盲と成る事 付 死人を争ふ僧、気違ふ事」(p172)は、「付」の話がない。元の本がそうなっているのか、編者の意向か。 「梅花屏風」(p243)は、読んでいて、「これは中国の話の翻案だ」と思ったら、解説によると、『伽婢子』はほとんどが中国の故事をもとにしているのだそうだ。 「下界の仙境」(p336)も、翻案と思われるが、地下に仙境があり、地上に戻ると、遠く離れた土地にいた、というのは、あまり日本的ではないように思われる。 ほかの話は、日本の話としても自然に思われるのだが、仙境というのは日本にはなじまないのだろうか。
2004.01.28
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大江戸奇術考 手妻・からくり・見立ての世界(著者: 泡坂妻夫|出版社:平凡社新書) ミステリ作家であり、自らもマジシャンである著者による、手品史概論と江戸における手品の具体例紹介。 馬を飲むトリックなど、なるほどそうだったのかと思った。 なるほどそうだったのか、と思うところもあれば、そうなのか? と思うところもある。 たとえば、第1章に、「逆さ杉、杖銀杏(つえいちょう)、手形石など各地に残る多くの弘法大師伝説によっても、空海がこの道に通じていたことがわかる」(p21)とあるが、それらについての具体的な解説(トリックばらし)はない。これだけではわからない。 江戸時代の手品については、いろいろな文献が残っており、それらが引用されているが、きちんと書誌学的なことにもふれているのはさすがだ。 また、歌舞伎のからくりがあったために、明治になるまでマジックショウが確立されなかったという見方は面白かった。 なお、この著者の本は初めて読んだのだが、外国人の名の表記法が面白い。 「ピーター パン」「デビッド カッパーフィールド」というように、名と姓の間に空白を入れる書き方をしている。
2004.01.27
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人形佐七捕物帳(著者:横溝正史|出版社:光文社文庫) 「羽子板娘」「嘆《なげ》きの遊女」「笑い茸《だけ》」「呪いの畳針」「螢《ほたる》屋敷」「舟幽霊」「双葉将棋」「風流六歌仙」「万引き娘」「春宵とんとんとん」の十編。 正月から冬まで、季節の順に配列されている。 滑稽味のこめられているものもあるが、いずれも横溝正史らしい、陰影の深い話である。 そのため、子分の豆六の初登場の話が、当たり前のような顔をして豆六の登場している話の後になっていて、ちぐはぐ。 初期に書かれたものらしい「羽子板娘」には「文化十二年」とあり、「嘆きの遊女」には、お粂のせりふに「二十二になる去年まで」とあり、そのお粂は寛政五年生まれ、とある。何年のことか、佐七がいくつの時のことか、ということを明らかにして現実味を持たせようという意識があったのだろうが、いくつも書いているうちにいちいちそんなことを気にしていられなくなったらしく、何年のことなどと断っていないものがほとんど。 佐七はお粂より一つ年下、ということだから、寛政四年(一七九二)の生まれ。 明治維新は七十六歳で迎えたわけで、半七よりだいぶ年上だ。 「人形佐七」の中に、人のうわさ話の中に半七の名が出てくるのを読んだ記憶があり、横溝正史が「半七捕物帳」が好きだったことは知っていたが、解説を読むまで、女房のお粂の名が半七の妹と同じ名だとは気づかなかった。 作家の真鍋元之による解説は良くできていて、作者の略歴、人形佐七執筆のきっかけなどが要領よく紹介されている。先に解説で、二話まで読んだら、三話、四話をとばして五話を読めば、豆六について違和感を持たずにすむとうことを知り、それに従って読んだ。 また、横溝正史にはほかにも捕物帳のシリーズがあったことを初めて知った。 小説とは別に、この文庫、表紙のイラストが金森達。昔、SFのイラストでこの人の絵を随分見たんだよなあ。懐かしかった。
2004.01.23
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虐待の心理学 わが子を愛せない親の精神病理(著者:和田秀樹|出版社:ベストセラーズ) 児童虐待の状況、親への対処法、子供の癒し方などについての解説書。 児童虐待大国アメリカと日本とでは違いがあることなど、興味深い。アメリカの場合、「男らしく」育てられた男親が虐待することが多いそうだ。 内容は興味深いのだが、文章が新聞記事のようで、表面的に思えてしまうのと、推敲・校正が不充分なのは不満。 「プロセスやボクシングなど挌闘技を好む傾向が強いとされるが」(p94)という文章など、「プロレス」が誤植になっているうえ、「される」という不明確な言葉を使っている。 また、事例をもとに解説していくということについても不充分に思える。たとえば、「心理にも大きく影響を与えていたことは容易に推察できる」「社会環境の変化が微妙に絡んでいるように思えてならない」(p43)、「日常的な悩みが虐待の引き金になるケースもかなりの割合であることは想像に難くない」(p44)など。 読んでいて表面的に思えたのは、結局は他人のことを語っている、という印象を受けるためのようだ。 「あとがき」になると、自分のことを語るので説得力がある。 ふたりの子どもを持つ親としての実体験から、「子どもがなんのストレス、あるいはトラウマを感じずに育つのは、そもそも不可能」(p203)という文章など、それが当たり前のことなのだが、空理空論をもとにした本ではないぞ、という気にさせる。 虐待かどうかというのは単純に外部からは決めつけられない、ということは、繰り返し述べられている。 奥が深すぎて一般論を述べようとすれば表層的になってしまうのだろう。 具体的な例を挙げ、分析した本も読んでみたいと思った。
2004.01.18
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江戸怪談集(上)(著者:高田衛|出版社:岩波文庫) 書名通り江戸時代の怪談集。 短い話が多い。『宿直草』 「小宰相の局、ゆうれいの事」(p73) 「耳無し芳市」の類話。さらに原話があるのかもしれない。 「七人の子の中にも女に心ゆるすまじき事」(p127) 冒頭は父親の約束によって、娘が犬に嫁ぐ話。 後半は、その娘が犬を殺した相手と知らずに嫁ぎ、後に事実を知ってあだを討つ。 「犬婿入り」である。『奇異雑談集』 「丹波の奥の郡に、人を馬になして売りし事」 旅人宿で人を馬にする様子は、唐代伝奇の「板橋三娘子」と同じ。『善悪報ばなし』 「悪逆の人、海へ沈めらるる事」(p300) 「鰐」の登場する話で、挿絵があるが、まるで半漁人。魚類には見えない。 どんなイメージで語られていたのだろうか。『義残後覚』 「亡魂水を所望する事」 女の幽霊が現れて、剃髪を頼むこと、引き受けた僧が、人に隠れて見させること、『北越雪譜』の「雪中の幽霊」と共通する。 共通する原話があるのだろうか。
2004.01.15
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