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「あら、今日はなんでそんなほうに座るの?」「いえ、ちょっとね」「こっち来たほうが空調の吹き出しの下であったかいよ」「じゃあそっち行くか」「どうしたのよ?」「いや、左の耳が聴こえないんだ」「あらいやだ。病院行きなさいよ」「ああ」「突発性難聴。先代のママがそうだった。原因は良く分からないんだけど、点滴なんかやってひと月ぐらいで治ったわ。早く行かないと治らなくなるわよ」「いや。原因はたぶん分かってるんで」「なんなの?ぶつけたの?鼓膜傷つくようなことやったの?」「耳掃除しててね。突然聴こえなくなったんだ」「いやだ。耳垢詰ってるんだ」「だぶんそうだよ」「カナダから来てた娘がね。あっちには耳かきがないから買って帰るっていろいろ探してたけど、いいのあるのかしら」「ドイツかな?(正確にはイタリア)オットサンというのがあって、横に寝て、耳の穴にアイスクリームのコーンみたいなのを突っ込んで、上からそのコーンを燃やすんだ」「何それ?」「そうすると上昇気流が出来て、耳垢が上に抜けて、受け皿みたいのがついてて、そこに耳垢が溜まるんだ」「熱くないの?」「一人じゃできない。それと結構高いんだよ。二つひと組で2000円ぐらいするんじゃないか?」「たっかーいっ」「ヨーロッパにはそんなのしか耳掃除の道具がないとすると、ベートーヴェンが耳が聴こえなくなったっていうじゃない」「耳垢が溜まったせいだったら大笑いだね」「新説ベートーヴェン難聴の原因は耳垢だった」さっき駅近く行きつけの耳鼻科に行ってきた。「あ、耳掃除してる最中ね」と、いつもの通り飄々とした医者。「ああ、溜まってますね。耳の穴が細いんですよ。普通こんな奥には耳垢はないんですけどね。掃除してるあいだにどんどん奥にはいちゃったんでしょう。少しでも隙間が空いてれば、なんということなく聴こえるんですけど、全部ふさがると突然聴こえなくなるんです」結構5分ほど時間がかけて掃除。ほんとに突然、聴こえるようになった。それまでのストレスが嘘のよう。1110円安いのか高いのか?所要時間40分。但し、待ち時間に買い物を済ましたので、無駄はない。
November 27, 2010
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<行きつけの飲み屋にて>北朝鮮、とっても可哀そうになっちゃうのもちろん砲撃とか、拉致事件とか、めちゃくちゃやって悪いんだよ。だけど、日本もアメリカも、韓国も、みんなからあんなに言われて制裁受けて結果苦しむのは北朝鮮の人たちでしょ。とっても切なくて可哀そうなの。***そうだねおっしゃる通り最初は日本、次がソ連、そして中国軍隊を駐留させ、併合し、傀儡政権を作り.....現在の姿は、まわりの国々が、朝鮮半島を自分のお国の都合で左右してきた結果つくられた対立は、さらに対立の自己増殖につながり、北朝鮮では国民の20人に一人は軍人国民皆兵の徴兵制度で、兵役はだいたい10年18で兵隊にとられれば、兵役が終わるともう30それじゃあ、何か仕事をといっても、おいそれとはいかない肥大した軍隊は、対立と紛争のみに自分の存在意義を見出しその「暴力装置」たる軍隊に金王朝は依存する切なく、可哀そうな不条理***「中国が普通に選挙やれば北朝鮮も変わらざるを得ない」「どうして?」「中国共産党は、国内の目を外に向けさせることによって、一党支配への不満を緩和してきた。北朝鮮が韓国に併合されると、中国は韓国とわずか鴨緑江を隔てただけで国境を接することになる。否応なく交流が始まり、一党支配の不合理が露呈する」「台湾とかチベットも選挙をやれば変わるの?」「どういう政体が作れるかにもよるが、長い目で見れば確実に変わる。あのミャンマーですら、まがりなりにも複数政党による選挙をやるようになった。中国も共産党一党支配の時代じゃない。北朝鮮に変化を強要するより、中国に選挙やらせるほうが問題解決の早道かもよ」 ***帰宅すると、叔母から喪中案内のはがき従弟にあたる次男が急逝つい先週、家人が受けた電話では、ふれていなかった。葬儀の案内もなく、喪中のはがきだけが来るとはといぶかしい妹に連絡するも、彼女は喪中はがきの到着すら知らずそれでは香典を同封した手紙をなどと形式を言う。父と相談し、弔電の形をとらぬ電報で弔意を示し、叔母からの連絡を待つことにする。年寄りの経験と知恵。
November 26, 2010
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「金正日死亡説ってのがあるそうだ」「何それ?」「世襲に対する反発を抑えるために延坪島砲撃が行われた」「まさか」「もし金正日が死んでるならば、それは昨日今日の話しじゃないね。とうの昔に死んでる」「紅白の美川健一はついに落選だそうだ」「何事にも終わりはある」「ヒットがないからね」「でもそれなら和田アキ子はなぜ出れるの?」「さぁ?」「北島三郎は?」「分からないでもない。ヒットはなくても、それなりに貢献はある」「でも和田アキ子はヒットも貢献もないわ」「結局、紅白てのは高齢者向け番組なのさ。和田アキ子、北島三郎が出る一方で「少女時代」「KARA」「BIGBANG」といったK-POPはひと組も出ない」「日本の歌番組で韓国のではないということ?」「そうじゃない。年よりがK-POPを知らないからさ」「私も和田アキ子とか北島三郎知らないわ」「その意味では僕らはまだ高齢者じゃない。そんなにテレビ見ないじゃない」「視聴率稼いでるのは高齢者なんだ」
November 24, 2010
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11月23日午後、韓国「延坪(ヨンピョン)島」で北朝鮮軍と韓国軍の間に砲撃戦が発生し、韓国軍の兵士ら21人が死傷。衝撃が広がっている。日本として、この段階で何かができるというものではないけれど、相変わらず菅さんの反応は鈍く、これじゃあ一大事のとき、政府が的確に機能するかどうか、僕の目には疑わしく映る。東アジアには、第二次世界大戦から東西冷戦にかけてのひずみが、世界でもっとも濃厚に残っている。北朝鮮軍部は、北朝鮮の主張する境界内(韓国が実効支配)での韓国による軍事演習を挑発と見做し、断固たる軍事措置を示したと主張。二日後に南北赤十字間に、韓国から北朝鮮への支援協議を控えた中での常識では考えられない軍事行動。金王朝世襲に伴うひずみが表面化したもので、対処の加減に日米韓中(そしてたぶんロシアも)は困惑の態。1950年6月25日北朝鮮軍の攻撃により始まった朝鮮戦争は、1953年7月27日南北分断状態のまま休戦協定が結ばれ現在に至っている。今回のような事態において、「朝鮮戦争は終わっていない」という表現がよく使われる。その通りではあるけれど、1953年から57年を経て「休戦」周辺の状況は大きく変容してきた。その中で、休戦という暫定的な措置がそのまま継続するは、東アジアに共通する問題先送り姿勢が、ひずみを一層拡大させていったとも言えよう。今後、北朝鮮問題がどうなっていくかは、多く、中華人民共和国の姿勢に左右される。彼の国の政治体制は、万全には程遠い。国内情勢のひずみが、曖昧に終始する北朝鮮との関係に反映されており、北朝鮮問題の実質は中国問題なのであり、私たちは、当分、その複雑さに耐えなければならない。
November 24, 2010
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長い間、家庭の外で連日(かなりの頻度でと言いかえてもよい)酒を飲む習慣は男のものであった。しかし、女性スタッフが勤務する組織内の酒席にまったく出席しないというわけではなく、むしろ、それは歓迎された。部門以上でやる宴席、旅行などのいわば公式行事への出席は男女とも必須。しかし、そのような酒席では、しばしば中間管理職レベルの酒が乱れ、女性スタッフへのセクハラ(男好き上司の若手男子スタッフへのセクハラもある)、上司から部下へのパワハラがあちこちで勃発。幹事の腕前は、ある面、ハラスメントの防止でなく、それをいかに適度な範囲にとどめ置くかにあったともいえる。宴席の場合、一次会で終わることはむしろ稀で、女性の居る店に席を変え、さらに宴席は夜中まで続いた。その経費が組織の接待交際費として処理されることもしばしば。中には、一晩の宴席で数十万を費やす剛毅な部門もあった。大きく変わったのは、雇用機会均等法などで、多くの組織で総合職、やがて、管理職に女性が登用されるようになってきた1980年代半ば以降のこと。過去のおじさんたちが楽しんだ乱れた酒席に女性は不寛容の姿勢で臨み、そのような女性が相当数管理職に登用された組織はかつての男社会ではない。現代組織において女性はすでに、職場の華(死語だな こりゃあ)などでなく、ライバル或いは嫌な上司であるケースすら存在する。バーなどの飲み屋、小料理屋がはやらなくなったのは、職場への女性進出が進んだことの反作用の部分があると思っている。かつて、働く男は、組織の不条理への苦吟への癒しを、しばしば、そのような場所の女将、ママの母性の中に求めた。しかし、今の我々にとって、母親は我々の安らぎたる母性の具体像では必ずしもなく、好きでもない勉強に自分を駆り立てた不幸のシンボルであったことすら稀ではないだろう。かくして、我々は癒しを求める場所を失い、飲み屋は客を失った。さて、そんなことを言いつつ、今日もこれから行きつけの店に。
November 22, 2010
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家人が、家の近くで対向車を避けるためバックしたところ、バンパーを当ててしまった。よせばいいのに、東急ハンズで買ったスプレーで色のはげたところを補修するという。「見えないところで試して、だいじょぶだったらやっていい」と言ったところが、その通りにせず、案の定酷いことに。「こりゃだめだ」言い訳がましいごたくを並べるカミさんを「見積もりだけでも」と説得。用賀の高齢者住宅に住む義父のところへ午後から行く予定をしていて、途中にあるディーラーに立ち寄る。担当の枝光さんは、抜群のセールスレディ。今日も、車を裏につけると絶妙のタイミングでその場所に居る。サービスに偶然はなく、サービスに徹することにより、明らかに人とは違う何かが拓けるのだ。枝光さんは車を見るなり、「見た目には、たいしたことなさそうですけど、シャーシーが浮いてますし、全とっかえの方が廉いでしょう」と、すぐにエンジニアに指示。「保険にはいってらっしゃいますから、自損で処理することも可能です。念のため一応保険証券を確認させてください」「お入りの保険は、来年3月で満期で、今回これを自損事故で直したとしても、等級は一つ下がるだけです。一応免責はありますが、ご負担は5万円で済みます」「運転されていたのは奥さまですか?免許証を拝見できますでしょうか」見積もりが上がってくる。「ざっと28万円ですね。いかがしましょう?」「今日手続きをすれば、明日から作業が始められます。12月12日にお使いですか。そうですね、一応目標は10日。遅くとも2週間でお届できると思います」車を預けてしまった。それは良いのだが、これから義父のところへ行って、それから帰宅するのにアシがない。まあ、歩くさ。幸い僕もカミサンも脚は達者だ。必要な荷物をリュックとトートバッグに移し、枝光さんによろしくを言って外へ。ちょうど紅葉がきれいで、関東中央病院の中を抜けて、馬事公苑方面へ向かう。「ヨーロッパの紅葉は、こういうふうに複雑にいろいろな色に紅葉するのではなく、単色なの」「へーっ?」「これだけ、いろいろな色があるのは日本だけなんじゃないかな?」馬事公苑前の農大進化生物学研究所バイオリウムの前に出店があり、たまねぎを求め、馬事公苑の馬場を歩く。下は砂地だ。「こんなふかふかしたところを馬は走ってるんだ」「ダートの競馬場ってこんな感じなのかな」競馬はやったことがない。裏口から出て義父の高齢者住宅へ。入口をはいり、エレベーターへ向かうところで、ちょうど碁を打ち終わった義父が向こうからやってくる。抜群のタイミング。「もっと早いかと思っていた」事情を話し、今日は車の無いことを伝える。「背の高いところで、窓を拭いてくれ」と義父に言われ掃除。義父が風呂に入る間に、窓ふき、ベランダの清掃、掃除機かけとやったところで、台所回りと書類の整理を終えたカミさんが飯にしようという。家から持参の炊き合わせ、冬菜、がんもどきなどに、山芋とニンジンをすりおろし、軽く一杯。「慧(息子)は良かったなぁ。就職内定率は、まだ6割行ってない。内容を考えれば半分ということだろう」何度か繰り返された会話だが、祖父としての義父はそれなりに心配している。義妹のところの息子さんは、大学2年になるが、もう来年は就活。「こんなに長く就職活動しなきゃいかんのは、なんのための大学かね」大学は授業料徴収マシンと化し、昨今の不況は大学3年からの就活を強いて、学生はろくろく勉強する時間もない。日本の競争力が落ちたと嘆くは当たり前だ。「教育ってのは、壮大な無駄だな。中学校、高校と、結局は小学校高学年から、同じことを繰り返して教えるだけじゃないか。勉強嫌いにしてみれば、嫌いなことを3回、9年も繰り返さなきゃいかんのだろう?それじゃあ人生始める前に世の中が嫌になってしまう」僕は、義父とは10月の米寿祝い以来か?「事務所行くのは、もう今年いっぱいにしようかと思う」彼は、まだ電車に乗って毎日片道1時間、往復2時間かけて事務所に通う。「外に出ないとぼけるわよ」「もうぼけた。朝起きるのが辛いんだよ」笑いながらそう言うものの、爺さん来年も働くだろう。有難いことだ。動物の中で、人間だけが高齢者を大事にする。高齢ゆえに尊敬されるのではない。尊重と尊敬は違う。しかし、息子世代は、高齢者に対しては冷淡だ。「今の世の中をこういう状態になるまで放置したのは、あなた方だ」と彼も言う。その通り。今のところ彼らに罪はない。お腹の下ごしらえが出来たところで、一階のレストランに降りて本番の夕食。「最初の頃に比べて、食事の質、量とも落ちた」と嘆く義父のため、二週間毎に彼を訪問する家内は、その都度野菜中心に家庭料理を持参する。料理人は僕。「今日も食事に来る人数が少ないなぁ」それなりの施設だが、完成後しばらくして運営母体が社会的制裁を受け、新規入居が途絶えてもう3年。次第に既存入居者が高齢化して、レストランまで降りて食事をする人は半減し、採算がとれぬ運営側は食事の質、サービスを低下させ値段はそのまま。「いつ放り出されるかと心配したが、ようやく新しい所有者が決まった」「どうやって帰るんだい?バスは用賀に出るのと、祖師谷大蔵、世田谷区役所とある」いつも車で、電車で来たことはない。「そうですねぇ。用賀に出ることはしないでしょう。渋谷回って帰ると歩きを入れて一時間はかかりますもの」「祖師谷大蔵かい?」「いや。終点まで行っちゃうと、あれは祖師谷の駅までは行かないんですよね?」「ああ、手前だ」なにせ、予定もなく車を預けたので、脚が無い。義父の下を辞し、まずは歩いてみようということで北へ。農大前の角で大きなマンションが工事中。「解体工事だよ」「前は何があったの?」「さぁ?学校かなぁ」地図で見ると馬事公苑前シティハウスという「マンション」だった。「これ経堂へ抜けるんじゃないかな?」農大の脇を北へ入る。「昔は、この道は抜けてなかったかもしれない」馬事公苑とかオークラランドに遊びに行くとき、この道を通った記憶がない。農大の端まで行って、そこに茶色に塗られた門柱の跡を見つけた。「この門柱は、陸軍自動車学校時代のだね。門柱があったので、僕らは通ろうとしなかったのかなぁ」記憶をたぐると、世田谷通りの方へ行くには、経堂の駅には出ずに天祖神社から踏切を渡って、経堂五丁目の交差点から、桜丘中学校脇を通っていく道か経堂駅を通るときは、農大の塀をたどって、それが尽きたところで住宅街の中を通って世田谷通りに出たと思う。和光小学校の脇から経堂大橋へ抜け帰宅。いろいろ脇道して帰ったので、一時間半かかった。気がつくと、途中からは前日留さんちから帰ったのと同じルートだった。家へ帰着して、ちょうど夕食から帰宅したオヤジに車を預けたことを話し、しばらくしたところで、去年から一人暮らしを始めた娘がやってくる。カミサンはお風呂。「コート取りに来たんだ」「飯食っていくかい?」「なんかあれば」あいにく煮物しかない。煮物をつまんでいた娘が、台所でごそごそはじめどうしたのかと思ったら、うどんを見つけて食べ始めた。「年末ニューヨーク行くことにしたんだ」大学を卒業してすぐに結婚した同級生が、ニューヨークに居る間に遊びに来いと行っているらしい。「正月になっちゃうから、実質二泊かなぁ?」「せっかく飛行機代かけて行くんだから、そんなもったいないことしないで、会社に根回ししてしっかり休みもらいなさい。どうせ営業の年末なんか挨拶回りぐらいでろくな仕事あるわけない」「あいさつ回りは大切な仕事だよ」まだ、日本に営業さんはそういう感覚。競争に後れをとるわけだ。泊っていけというに、「明日は仕事」と十時過ぎに娘は帰宅。そりゃそうだ。こちらは四連休を決め込んでいて(実際は、昨日、今日と忙しく明日と明後日が実質的な休み)、感覚が違う。高校のクラス会に出かけた息子は、今日はご帰還あそばすまい。ハリーポッターのテレビを見はじめたカミサンをしり目に寝ることにした。
November 21, 2010
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しばらく前にロバパンと丸十という文章を書いた。それを読んだ知人が、自分の叔母(父君の姉上)の嫁ぎ先は、丸十パン創業者田辺玄平のパートナーで、本籍は麻布だと言っていた。近隣で記憶にある丸十パンは、経堂のほか、桜上水と明大前。桜上水の丸十は、水道道路沿いの桜上水四丁目。家人が親父さんが「うちには本格的なパン焼窯がある」と自慢していたのを記憶しているから、十年ばかり前までお店があったのだろう。明大前の丸十は、駅の改札口正面。現在は駅前広場の一角になっている。経堂の丸十の所在は記憶になかった。スーさんからコメントを頂戴し、経堂の丸十所在地は経堂2-28の一角とご教示いただいた。住宅地の中でお店があるような場所ではない。土曜日、友人の留さんちに行く予定があり、駅方面から西通りを歩き、教わった場所を確かめに北へ曲がった。そこは「コーポ丸十」というアパートになっていた!西通りをコーポ丸十に曲がるあたりは、駅からの商店街がいったん途切れたあと、再び何軒かお店のあったところで、経堂の風月堂(銀座風月堂のチェーンと思う)もそのあたり。パン屋さんでいえば若杉さんがそうであるように、表通りのすずらん通り沿いのお店がどちらかと言えば、日用、庶民の店だが、西通りのそのあたりには、日用でなくちょっとした贈答に使うお菓子などの店があった。経堂の宅地化は、小田急線の開通した1927年から急速に進んだ。上北沢「桜並木」の分譲が1925-6年だから、そのすぐあと。都心から移ってきた月給取りの家庭が、移り住み、経堂3丁目には同潤会住宅(戸建)も分譲された。今、玄関先などに松の木があるお宅がそれだろう。これら新住民は世田谷に都心の生活を持ち込み、新しい住民たちの味が丸十パンだった。表通りに店を構えずとも、近隣の人たちは丸十パンを求めにやってきただろうし、注文販売で売る経堂の丸十に表通りの店は不要だったのだろう。スーさんありがとう。
November 21, 2010
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ブラッドピットBrad Pittを映画で初めて見たのは、A river runs through it。顔というか口元が、女たらしというか、なんとなくだらしない感じで好きでなかった。友人のJohn MooreがBrad Pitt関係の仕事を受けたとき、Johnの姿勢と合わない感じがして、雑談に僕のイメージを話したところ、Johnは「そいつは違う。彼はいい奴だ。彼のために役に立ちたいから、僕はこの仕事を引き受けた」と答えた。Brad PittがSeven Years in Tibetへの主演を引き受けたのは、そのしばらく後。この映画に出ることは、その後の彼の主演映画が、中国という将来性ある市場を失う可能性があり、そのことは、彼の映画俳優としての将来に深刻な翳を投げかける惧れをもたらす。しかし、Pittは敢然とその役をこなし、人間の矜持を示した。そのことを思い出してJohnに話した。Johnいわく。「日本人の多くは自分を相対化してみないから、あの映画を中国批判ととらえるだろう。だが、Seven Years in Tibetの本質は、弱者への圧迫を繰り返す近代文明、人間全般への警告にある。TibetとDalai Lamaは、万物との共生、輪廻の象徴。中華人民共和国のTibet侵攻は、映画冒頭にあるナチスドイツによるオーストラリア併合同様、弱者への共生事例の一つに過ぎない。だから、映画のエピローグは息子との和解、共生なのだ」話しは思わぬほうに。「日韓併合の正統性を主張する日本人は、中華人民共和国のチベット支配を非難する日本人と多く重なる。中国においても、チベット解放を正当化する人の多くが、日本を中国への侵略者と非難するであろう。しかし、僕から見ると、これは実に奇妙なことで、中華人民共和国がチベット解放と称し自国の行為を正当化するは、日韓併合を正統とし、同一民族の統合としてドイツがオーストリア併合を正当化する、或いは、北アイルランド支配を続けるイギリスの姿勢と全く同一。弱者への圧迫が時を隔てて繰り返されただけである。日本は、中国への侵略、日韓併合の不当への謝罪は、日本に中国の侵略性への正統なる批判者としての立場をもたらすものであり、日本は誇りをもってこれらを謝罪するべきである」John Mooreはアイルランド人だった。
November 17, 2010
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NHKは17日、「週刊こどもニュース」を来月19日で終了すると発表した。1994年4月スタート。初代おとうさん役池上彰氏の解説が人気を集めた。「視聴率が振るわず、高齢の視聴者が大半を占めるようになったため終了」との解説。テレビは極力見るなというわが家で、この番組は別格扱い。放送開始以来、当時は小さかった子供たちと僕ら夫婦も一緒に見ていた。したり顔の分かったふりをした浅薄な「ニュースショー」が顔を利かす中、子供たちにも分かりやすいという便法で、原点に立ち返った報道を続けてきたと感じるのだが、終了の理由を見て唖然。視聴率?そんなもんNHKの使命じゃねぇや。高齢の視聴者って「高齢者」のこと?いいじゃない。老人施設じゃあ子供扱いしてるぜ。なんとなく感じるのは「教育テレビ」の激しい質的低下。デジタル化が一段落したら「教育テレビ」は「合理化」ではあるまいか?NHK関係の仕事をしている関与先が、ここのところ外注経費削減が厳しいと言っている。以前より仕事を減らし、単価引き下げと従前と変わらぬサービス水準維持を要求する。外から見ると当然とも思うが、取引先から見ると、「それなりの設備投資、人的資源を用意したのに、二階に上がって梯子をはずされた」と不満がある。「NHK」ー「文化」=「官僚体質」民放は放送の公共性を無視し、ロッテー中日の日本シリーズ初戦の中継すら行わず、同じようなバラエティ番組を垂れ流し、視聴者の支持はすでにそこに無い。同じ時期、NHKは早慶の優勝決定戦を番組を差し替えて中継。僕は野球ファンではなく、早慶決定戦もろくに見ていない。日本シリーズ、早慶優勝決定戦中継が放送の公共性とも言わない。しかし、野球はテレビとともに発展した優良コンテンツだと思う。それを殺したのは民放のエゴである。せめて、テレビの中でNHK番組の中にありた「文化」は残すべきものと思うが、今のNHKはそういう方向を向いていない。どのようなときにも、経営は組織の大義を見失ってはいけない。なぜならば、大義を失った組織に存在意義はないのである。日本は世界に心を閉ざしつつある。世界なしでも日本は生存できる。だが、それは日本の北朝鮮化に過ぎず、私たちの生存を保証するものでもない。
November 17, 2010
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日本の弁護士の制度は、明治時代になり近代的司法制度の導入とともにフランスの代言人(advocat)に倣って創設されたもので、当初今でいう弁護士は「代言人(だいげんにん)」と呼ばれていた。代言人の多くは江戸時代の公事師が衣替えした者であり、俗に訴訟1件を300文程度の安報酬で引き受け、いい加減な仕事をする連中も少なからずあり、これがいわゆる「三百代言」の語源。仙谷官房長官への不信任案は否決されたが、彼の言動を見ていると、この三百代言という言葉が思い浮かぶ。「頭はいいんだろうけど使い方を知らねぇな」「質問する人もレベルが低いから聞くに堪えない。でも答える人によって質問の質も上下するから、答える人の責任は重いわ。相手と同じ低レベルなのに上から目線で対応するから、さらに悪い」「お国と国民の大事を議論してるのに、あれじゃあ聞いてらんねぇよ」「でも、報道する側も、そういう部分だけ取り出して面白おかしくやるからいけないわ」「いや。こないだの夕方PCでこっそり中継みてたら、ずっとあんな調子なんだ。嫌になっちゃうよ」「そんなに酷いの?」「ああ。子供には見せられない。あれで良いんだって子供たちが思ったら...」「残念ね。もう思ってるわ」
November 17, 2010
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「駄目だね。自信喪失かな?」「あれじゃだめよ。病気かも」「なんで?」「歩いてる写真見た?」「ああ」「あの歩き方は老人の歩き方だよ」「お遍路さんやったじゃん」「もう5年前。民主党が政権取って菅さんも生活環境変わったでしょ。おいしいものも食べる機会が増えるし移動も車。そのくせストレスはものすごい。首相になって選挙を戦い、負けたと思ったら、今度は小沢さんと党首選。ようやく勝利したと思ったら、今度は尖閣問題」「攻めることしかしてこなかった菅さんからすれば環境が違うんだ」「そう。うまいもん食って、運動もせず、ストレスはいっぱい。安倍さんが一年で病気になったじゃない?」「うん」「もう日本の首相は、古いタイプの政治家のライフスタイルじゃあ務まらないのよ。世界の首脳があれだけ飛び回る時代に、菅さんは、小沢さんもそうだっただろうけれど、いかにも時代遅れ。それがAPECでほかの連中と並べてみて一目瞭然に分かっちゃったの」「また総理大臣変えるの?」「さぁ。やってらんないでしょうね。あれじゃぁ激務に耐えられないわ。たぶん病気よ。いくらなんでも、あの程度の挨拶をするのにメモ読む必要もないしね。通訳だってついてるんだから、どうせ自分の言葉じゃないし」「そうだなぁ。ありゃあないよな。金正日と違って影武者ってわけにもいかない。やはり野に置けれんげそう」「残念ながらそういうことね」「次はだれ?」「岡田さんでしょう。前原さんはやめといたほうがいいわ。自民党は石原伸輝なのかしら?違和感あるなぁ」「時代は変わるのさ」「変だよ。係長か課長がいきなり社長やるみたいなもんんで。石破さん、小池さん、河野さんの迫力は石原さんには感じない」
November 17, 2010
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船橋の奥座敷?に「蔵」というお店がある。たたづまいがなかなか面白く、一度入ってみたいと思いつつも、前を通りかかるときはそういう状態になく、いざ行こうとすると、億劫。そんなわけで、一回しか行ったことがない。近くに住む人だけの店なのであろう。世田谷区船橋1-52-4 03-3482-8876ご夫婦二人でやっていらっしゃって、これで15年という。その前がどうだったかは記憶にない。先週、小学校同級生の留さんが、今月末で閉店と教えてくれた。あと二週間、行けるかなぁ?
November 15, 2010
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夕方、相撲を見ながら夕飯を食べ、そのまま横になってテレビの音を聞いていたら、思わず寝てしまい、目が覚めたら朝三時前。トイレへ行って寝ようとしても寝付けない。年をとるのはいやだ。もっとも、8時間以上寝ている。そんな中、Yahooのニュースを見ていたら、経堂と船橋の境から千歳船橋駅方面へかけての「森繁通り」が今までの通称から正式名称となったとある。2010年11月1日からで、13日(土曜日)に記念式典があったらしい。世田谷区が(と思う)、いろいろな道に名前をつけていて、森繁通りもその一つ。船橋のことは良く知らないけれど、そのほかにも名前のついた道があるかもしれない。経堂で名前のついている道というと、城山通り、農大通り、本町通り、西福寺通りまでか?僕らはすずらん通りと呼ぶけど、古い名前ならば、経堂駅前通りは瀧坂道。ちょっとね。すずらん通り。あれは商店街の名前なのか?正式名称ではなさそう。というかすずらん通りは銀座はじめ日本中にあり過ぎるからね。世田谷区内にも、ほかにあるかも。その先は昔、恵泉通りと言ってたけど、今の商店街は三和会とかいうのかな?昔から不思議に思っていたのは、経堂と船橋の境。ろくな道もなく、かつては、世田谷村(或いは経堂在家村)と船橋村の境。神保さんと花形さんの敷地境界ぐらいに思っていたのだが、ご両家は1500年代後半のお越しと思う。経堂ー船橋境は、さらにそれをさかのぼる。経堂は荏原郡であり、船橋は(北)多摩郡である。両郡は大化の改新以前からというから、この境も平城遷都以前、1300年以上前からある?それが、現代では、何の変哲もなく、一部の境界は道ですらなく、家と家との境界(場合によってはお庭の中に境界が走っているかも)になってしまっている。なぜ?経堂小学校前、経堂、船橋、桜上水、宮坂の境に位置する。世田谷区成立前ならば、世田谷、千歳、松沢各村、さらにその前は、世田谷、経堂在家、船橋、上北沢各村の境である。世田谷と経堂在家を分けたは、旧瀧坂道今でもすずらん通りを挟んで経堂と宮坂が分かれている。船橋と上北沢(今の桜上水二丁目)の境も旧瀧坂道である。世田谷(今の宮坂三丁目)と上北沢(今の桜上水一丁目)は北沢用水江下山掘の川が分ける。ここは古くは沼、もしくは池であっただろう。これらの境は根拠がはっきりわかる。ところが、経堂と船橋の境は、北側は、経堂小学校前の道だが、その南となると何が根拠か分からない。瀧坂道は、このあたりの最高点=分水嶺を走っている。烏山川と北沢川だ。両方の川は、池尻の北で合流し目黒川となり、やがて品川と名前を変えて東京湾に注ぐ。経堂は荏原の一部、菅刈荘(すげかりのしょう)に属し、これは、目黒の先まである大きな荘園である。経堂と船橋の境には池があったのではないだろうか?たぶん、烏山川の流れに沿って、経堂側と船橋側のそれぞれに、水位が異なる池が一つずつ。池の端を為す突堤(今は道だけが痕跡であろう。池は江戸時代にはすでになかったかもしれない)の南側がまさに旧森繁邸である。詳しくはこれから。そうでも考えないと、経堂、船橋の境界がなぜ道でも川でもないのかの理由が分からないのだ。寝ることにする。
November 14, 2010
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環八と小田急が交差する千歳船橋の先から、京王線の桜上水あたりにかけて、経堂の北西を走る「水道道路」という道がある。正式名称は、東京都道428号高円寺砧浄水場線。経堂でも北側にお住まいの方々はご存じも多いと思う。歩行者にしてもそうであり、車にとっても走り辛い道路だ。僕の現住所、小学校同級生の留さんち、まっちゃんちの現在住所も水道道路沿い、とかも、水道道路の近くにある。走りにくい(歩きにくい)理由はいくつかある。京王線桜上水駅の南口から、上北沢一丁目、桜上水一丁目、二丁目方面、八幡山一丁目、船橋五丁目、六丁目あたりにお住まいの方が多く利用する道で、ほかに脇道というほどのものもない中、いかにも狭い。乗降客37,000人/日の五分の一ほどは、日々ご利用では?あと多少の駅前商店での買い物客もある。開かずの踏切、歩行者天国といった事情で、車両の通行量はそれほどでない時間帯はあるものの、それを除けば、環八ー赤堤通りー甲州街道への抜け道として車両の通行量が多く、しかも電信柱が左右に立ち並ぶ。環八(千歳船橋)側は、駅に近いわけではないから、通勤通学の歩行者は少ないにしても、バスも走っていて、車の通行は北側よりむしろ頻繁。歩くほうからすれば、いやな道路でも、歩行者の通行がそれほどでもない日中ならば車としてはそれほど走りにくいわけではないのでは?だが、地元でご商売の人たちは、避けて通れるものなら通りたくないとおっしゃる。なぜか?一年ほど前から気がついていることがある。水道道路沿いの家のほぼ、ことごとくが、道とは違う方向を向いて建っているのだ。そういう道路は、よくあるではないかとお思いになるであろう。確かにそうなのだが、あれほどことごとく家の方向が道の向きと違う道がまっすぐ続くことはない。だいいち、まっすぐな道など世田谷北部にはほとんどない。まっすぐといえば、近くでは、赤堤通り、補助54号線、西福寺通りなどだが、直線部分はそれほど長いということもなく、しかも、センターラインは必ずあるし、歩道もだいたいあるから、歩行者と車両はおおよそ分離されている。かつ、これらの道、家の向きは、だいたい道の向きに沿って建てられている。歩いている分には気がつかないが、水道道路を車で走ると、進行方向左側の家々の右端が次々と目に入ってくる。一方、進行方向右側は、手前の家の左端が移っていく。左右の目が受け持つ情報処理の量が極端に違うのである。それが延々と続く。山間部などの川沿いの道も同様ではないか?いえいえ、そういう道はカーブが多く、右左に景色が入れ替わり、バランスの悪い景色が延々続くことはない。そういう左右のバランスが違うところに、狭い道路で、左側には歩行者、自転車、電信柱に注意、右側には対向車に注意とくる。目から入る景色の変化が激しく、バランスが悪い。目から入る情報の処理に頭のCPU資源を多く要し、結果おろそかになりがちな運転に対し、歩行者、車両、自転車が多い。そういうことで、水道道路は、極めて運転しづらい道になっているのだ。せめて、電線地中化すれば少しは改善すると思うのだが....
November 14, 2010
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沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件について、米国人のRobertoと議論。「制度の対象じゃないから、そうはならないけれど、裁判員制度で裁判やったら一審は無罪はないにしても、軽い刑になる可能性がある」「まさか。海上保安庁(Coast Guard)の事件だから軍法会議だろ?」「いや。日本のCoast Guardは軍隊じゃない。それに、日本の自衛隊にも軍法会議は無い」「冗談だろ」「いや本当さ。日本国憲法の公布が1947年で、刑事訴訟法もそれに従って改定されたと思う(1947年)。海上保安庁は、たぶん警察なんかと同じ扱いで軍隊じゃないし、自衛隊が出来たのは、憲法、刑事訴訟法の改定後だから、現行憲法下の司法制度は、軍法会議などの例外を想定していない」「日本は特殊な国だな」「そうかもしれない。1930年代に起きた五一五事件、二二六事件。考えてみるとこの名前もおかしいよな。日本はこういう軍隊によるテロ事件を一般裁判でなく、軍法会議で処理して国民の目から真相を隠した。それを極端に警戒して、形式上軍隊も軍法会議もない建前なのが日本なんだ」「極端から極端」これらの部分について、日米の制度、考え方には、このように相当の隔たりがある。事件は、さらに思わぬところに波及する。仙谷由人官房長官が記者会見で述べた「政治職と執行職のトップで責任の在り方は違う」は、政治家と官僚に間に見えない緊張を加える。さらに、はたしてこの流出映像が「国の安全にかかわる秘密」かどうか抜きに、情報漏洩の法整備に、すでに話しは及んでいる。従来民主党は法整備には消極的であったと思うのだが、事件をきっかけに、自己保身のために法制度強化へ動くならば、従来のマスメディアの劣化が進む中、国民の知る権利を阻害する手段を政府に与えることになる可能性大。そういうことは、国民が決めることであって、政党の利害で決めることではない。***この文章で、流出「映像」を流出「画像」と書いたところ(書いたときは「」抜き)わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれていますとコメントされた。形式的な規制は、時として予期しない反応をもたらす場合があることの証明である。
November 14, 2010
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1950年代から60年代にかけて、ロバパンという商売が流行したらしい。ロバ(木曽駒)に曳かせた屋台でパンを売る移動販売で、京都と札幌に起源がある模様。伝聞形で書くのは、私自身は話しは聞いても実際に見たことはなかったから。関西方面が主で東京にはあまりなかったという向きもあるが、カミさんほか僕らより多少若い世代の東京育ちの人たちにも知る人は多く、そういう人は「ろばのおじさん チンカラリン チンカラリンロン やってくる」という歌も記憶している。僕が知らないということは、たぶん、小中学校の同級生も知らない。下町の連中、吉祥寺の奴は知っていたから、東京になかったということではない。ロバが走れなかったからでもない。カミさんは軽四輪かオート三輪だったという。「丸十パンのせいかな?」言われてみれば、丸十パンの店があり、若い小僧さんが毎日住宅街を御用聞きに回っていた。知り合いに聞いてみると、丸十パンのチェーンは、かつて、経堂、桜上水、明大前とあり、桜上水の店はつい十年ほど前まで現存。経堂には「木村屋」などもあったが、丸十のパンは確かにうまかった。御用聞きは、肉屋とパン屋、クリーニング屋とあり、この時代これらは御用聞きしても採算の合う業態だったということだ。移動販売のロバパンは売れない地域は回らない。丸十が毎日御用聞きしていた我々の地域ではロバパンが売れなかったのだろう。:::石上商店=「札幌ロバパン」から土地を買ったことがある。Wikipediaには札幌のロバパンが原型のように記載されているが、わざわざ札幌とうたっているところを考えると、どこか別のところにルーツがあると見るのが適切か?
November 14, 2010
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「暑さを避けて」と言っていたら、皆の都合がつかず。9月の誕生日に満88歳となった父の米寿祝いが11月になってしまった。40年前(正確には39年前だったと思う)。祖父の米寿祝は数えの88。親戚中に声をかけ、不便にも「八芳園」でやった。足回りが悪く垢ぬけない、雅叙園、八芳園、椿山荘、羽沢ガーデンといった「宴会場」から、帝国、オークラ、ニューオータニ、プリンスといったホテルに移りつつあった時代。主役の祖父は、止める人も居ないままに、誰もが何十回、何百回も聞いた話しを延々繰り返す。その後も長広舌の賓客が相次ぎ、宴席は時間を大幅に超過して続き、係から再三時間超過の警告を受けた。暑い日だったと記憶する。帰宅後、祖父はそのまま寝込み、半年後亡くなった。さらに半年後、祖母が後を追った。「米寿の祝いは早目にやるのが当たり前。満の誕生日の後とは!」「皆さん大勢お呼びになるんでしょ?」一部からの声に、「大丈夫。死にませんから。小ぶりにやります」無論、無事に祝いの席で感謝の言葉。壊れたレコードのように出身校の校訓たる「感恩報謝」を繰り返し始めたところで(PCでファイルが壊れると同様のことが起こることがある)、「それでは乾杯を」兄弟:妹(私の叔母)、弟嫁、子供:息子(私)夫婦、娘(妹)夫婦孫:(うちの子供たち)期せずして、それぞれの世代からの記念品なじみのご縁で席をお借りした近所の料理屋からの心遣いもあって、良い会になった。そのまま散会とはならず、全員我が家へ移動。母とご先祖さまにお線香をあげ、しばらく語らう。皆が帰ったあと、親父と自分は寿司屋に繰り出し、その後のことは記憶にない。
November 9, 2010
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尖閣諸島中国漁船衝突を発端とする中国とのやりとり、ロシアメドベージェフ大統領の「北方領土」訪問、警視庁公安部外事3課内部資料(と思われる国際テロ関係資料)のインターネット流出、上記漁船衝突事件証拠資料と思われるビデオのインターネット流出マスコミ報道を見る限り、一連の事態に関する菅直人首相をはじめとする政府対応は生彩を欠き、漁船衝突事件ビデオ流出については、民主党内から「倒閣運動」との声もあがり、事態は内閣の屋台骨をゆすぶるところまで来つつある。しかし、その政府を批判する野党・マスコミの論陣、これまた大声をあげて相手を罵倒するごときに終始「お前らはいったい何様だ?」という体たらく。困ったもんだ。中国、ロシアは政権交代の間隙をつき、日本国内の不一致につけこむいわゆるDevide & Rule(分断統治)をやっているのだから、それにまんまと乗ぜられる国内議論には切歯扼腕ならざるを得ない。夜のニュースを見ていて思い浮かんだのは、1938年(昭和13年)3月3日の衆議院・国家総動員法委員会において、陸軍省の説明員として出席していた陸軍省軍務課新聞班長佐藤賢了中佐が、他の委員からの野次に「黙れ!」と一喝した「黙れ事件」陸軍省の一説明員に過ぎぬ佐藤が、国会の場で法案の精神・自身の信念など、立場をわきまえぬ長広舌を奮い、それに対する野次に反応した暴言で、軍の横暴を象徴する事件ととらえられているものだが、一連の国会論議を見ると(その部分だけを取り上げて報道するので、前後の事情は必ずしも判然としないことが多いことは要注意)、佐藤ならずとも「黙れ!」と一喝したくなる低レベルに唖然。いきなり国会に招致され、委員会で、「お前のところの不注意でビデオ映像が流出した」と決めつけるがごとき「質問」海上保安庁長官にしてみれば、あまりにも低レベル、失敬な国会議員に対し、本音なら「黙れ」と言いたであろう「こりゃいかんなぁ」「100年かけて崩れたものを再興するには100年かかる」「英国病ってあったじゃん?」「うん」「イギリスがあの状態から脱却するのに四半世紀以上かかった」「そうだねぇ」「日本はデフレじゃない。英国病と一緒。日本の場合、バブル崩壊からとすれば、あと10年か」「10年で済むかなぁ」「次の世代は我々より賢いよ」9時のニュース後半で中国はニンニク投機の過熱が伝えられる。一年で十倍というから、大変なバブルだ。「同じ球根でも、オランダはチューリップで、中国がニンニクというところが面白い」「日本のバブルもそうだけれど、かならず誰かが最後にババをつかむ。バブルの話しは、みんな分かっているはずなのに、そのさなかに愚かさを悟る人間は少ない」「でもね、気をつけていないと、日米欧各国とも政府は借金漬けにもかかわらず通貨供給を増やしている。各国政府は、インフレによる借金の減価への潜在願望があるから、中国のインフレは、あっという間に世界に波及する。日中の巨大な外貨準備は、ドル建てだから格好の標的さ。日本が尖閣問題に気を取られている間に、10月12日米国連邦準備制度理事会(FRB)Yellen副議長は"行きすぎた金融緩和は、レバレッジの積み上げ、過度なリスクテイクを助長しかねない"と指摘した。世界中が借金してまで必死にマネーサプライを増やしているが、本当に必要な分野に金はまわらず、行き場のない資金を市場に供給するだけだ。中国の投機熱が、世界同時インフレの引き金を引く可能性は否定できない」「やばいぞこれは」「いや。戦争しないで済むなら、それでいいのかも」「.....」
November 5, 2010
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