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世田谷北部には、お寺の集中してあるところがいくつかある。ひとつは、世田谷、豪徳寺、宮坂、桜といった旧世田谷村一帯豪徳寺、勝国寺、勝光院、常徳院、乗泉院世田谷別院、円光院、大吉寺、浄光寺、実相院、成勝寺、福昌寺といったお寺が集まる。世田谷区松原には、正法寺、勝林寺、延重寺、常徳寺、常念寺と五寺の集積(甲州街道北側杉並区内最南部にも、永福一丁目から下高井戸二丁目にかけての、築地本願寺和田堀廟所、新教寺、善照寺、法照寺、永福栖岸院、永昌寺、本応寺、龍泉寺が所在する)一番知られているのが、烏山北部の寺町で、烏山仏教会のホームページによれば26寺が所在する。世田谷南部には、下馬、奥沢、玉川べりの台地などに多少の集積が見られるが、北部ほど稠密ではない。旧世田谷村一帯の寺院の歴史は一般に古く、江戸開府以前に来歴を持つものも多い。それは、この場所が、古来からの街道筋が集中、分岐する交通の要衝であり、吉良氏が居館を設けたことなどに由来するものであろう。奥沢、下馬、玉川べりの寺院も、多くは吉良氏或いはその関連の豪族に関係する。一方、烏山、松原、永福の寺町は、その殆どが、関東大震災により被災した、それまで都心部にあった寺院が移転してきたもので、かつ、多くが浄土真宗系である。これら寺院の来歴を見ると、築地本願寺そのものがそうであるが、「築地」が多く見える。なぜに築地に寺院が多かったかと言えば、明暦の大火(1657年)により、それまで浅草浜町(横山)にあった本願寺江戸御坊が焼失し、築地に集められたとの来歴。築地の本願寺御坊寺中には、50近くの寺院があったという。明暦大火は、日蓮宗不受不施派の反乱という説があるらしいが、上北沢の歴史の記述を見ると、そのことを含め、この前後にご公儀(幕府)は、宗教関係にかなりの大ナタを振るった形跡を感じる。日蓮宗では、堀ノ内妙法寺を昇格させ、池上本門寺とつなぐ浄土真宗については、築地に寺院を集結させるなどである。上北沢郷土の歴史にある、宮坂の常徳院が、千歳船橋の念仏堂の場所から移転したというのも同じ時期のことかもしれない。松原、和泉、烏山の寺町にある寺院の多くが浄土真宗系であるのは、上記の経過による。宮坂の成勝寺も真宗系で、現在地への移転は、昭和初期である。
April 29, 2010
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出張、研修などで誰も居ない中、急な要件で誰か対応しなければならないと言われ、ならば僕が出向こうと、渋谷へ転身。用向きのあと、遅めの昼ごはん。行きつけ?の井の頭線ガード下のラーメン屋「早川亭」に寄る。二月に一度程度か?一人渋谷で遅い昼ごはんというと、1984年以来お世話になってきた。おかみさんが不在で、オヤジさんが一人。ふと見ると張り紙があり、閉店とある。「え?閉店?」と聞けば「えぇ。明日までです。長らくお世話になりました」昭和4年のお生まれ80歳「52年やりましたけど、もう私らの感覚じゃあついていけない。デザイナーやってる息子にあとはまかせて隠居することにしました」いつもの醤油ラーメンを頼み、待つうちにおかみさんが買物からお帰り。食材のお買いもので、野菜と醤油など。「さやえんどうとか高くて。400円もするの」「全部でいくらなんだ?」とオヤジさん「いくらか知らない。なんか高くて。考えてもしょうがないから。だってどうせ要るものでしょ」「にんじんこんなに要らないだろ?」「要りますよ。出しとるのに6本つかいますもの。たまねぎは2つだけど」なるほど、この出しはにんじんの甘さなんだ。醤油は一番高い100%有機の丸大豆。こういうきちんとした材料で52年出しをつくってきたのは、おかみさんだったのだ。いつもの通り、ゆっくりいただき「それじゃ」と言って立つと「長い間ありがとうございました」とおかみさん「お元気で」と返す。明日も渋谷を通るが、おうかがいすることはないだろう。今生のお別れかもしれない。またひとつ渋谷で行ける店が消える。
April 27, 2010
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世田谷区松原は、経堂駅前の福昌寺を建てた松原ご一族が開発された土地と伝わる。その時期も江戸初期と特定できる。それ以前には登場しない松原という地名が、赤堤から独立してきた。最近、松原一帯の地主であられた上保さんご一族の方とお話しする機会があり、経堂にもつながってくるので、記録に残すこととした。「松原という土地は、謂われの解らない土地ですね。経堂の松原さんのご一族が開発されたと伝わりますが、松原さんのお名前は松原の町内には見当たらない。松原は上保さんですよね」「そうなんです。松原というのは、記録の残っていない土地なのです。上保家については、もともとは武田家に仕えていて、信玄が死んだときにも戦に同行していて、岐阜あたりまで進出していたのが、突然の撤退で、そこに取り残された。それが、どういうご縁で、松原に住んだのか。それも解らない」「上保さんご一族のお墓はどちらですか?西福寺から善性寺?(ともに赤堤のお寺)」「いえ。上北沢(桜上水)の密蔵院です。一部は豪徳寺にもあります。一族の中には、吉良さんから桐のご紋を拝領した家もありますから、吉良さんともご縁のあったことでしょう。富山の風の盆をやる八尾にも上保の家がありますが、そちらとは、あまり交流がありません。横浜にも上保があり、横浜銀行の前身が傾いた時に支援した経過がありました」「横浜は蒔田で、吉良さんつながりではありませんか?」「ああ!そうですね」吉良さんとは、徳川家康が関東に入る前に、世田谷の領主であった吉良家のことである。赤穂浪士討ち入りで知られる吉良上野介の吉良家ともつながっている。というか、吉良上野介が江戸幕府において高家筆頭と言われるは、吉良家は、足利一族にその出自があり、源氏の嫡流として、足利家が絶えた場合、将軍として迎えられる家柄であった。松原には、いつの時代までか、十王堂というお寺があったというが、上保さんのお爺さんの頃には、既に途絶えていたという。しかも、そこは上保ご一族の菩提寺ではなかった。上保ご一族ならば、お寺の一つや二つ支えることは十分可能であった。密蔵院が上保ご一族の菩提寺であるは、十王堂から遷されたものではない。「武田といえば、船橋の花形さんも武田の遺臣と伺います」「あちらのご一族の菩提寺は、常徳院でしょう。常徳院は、もともと船橋の念仏堂のところにあったものが、江戸時代に、あちらに遷されたものと伝わっています」経堂から仙川方面へ向かう瀧坂道。上北沢の自動車教習所脇へ瀧坂道からのとば口は、上保さんご一族のぶどう農園だ。船橋に陣屋を構えた旗本山本与次左衛門政法は、山本勘助従兄弟の二代目と伝わる。船橋と上北沢(桜上水)の境は、古府中道、或いは、瀧坂道。甲州街道が拓かれる以前は、この道が主たる街道であり、その周辺には旧家臣団が配されてあった。もしや、旧武田ご家中である上保さんは、上北沢或いは船橋から松原に移られたものであり、それゆえ、菩提寺が密蔵院にあると考えると自然に思える。この稿続く
April 23, 2010
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4月20日、自民党は消費税率を引き上げ、一部を目的税化して医療や福祉に充てる「国民安心税」(仮称)創設を参院選での政策(マニフェスト)に盛り込む方針を決めたと伝わる。世の中の趨勢として増税は避けられないという雰囲気が広がっている。だがまてよ?政権交代の民意が、いつから、こんな簡単に増税を赦す話しに置き換わったの?自民党が、民主党が、というつもりはないです。だが、野放図な財政運用への反省も謝罪もなく、誰も責任をとることなく、すんなり、そこが増税当たり前という社会風潮が作られていくのはおかしい。私たちの世代からすると、まだしばらくは働かねばならないが、将来、お国がこのような制度を作っていただけることはありがたいかもと思う。しかし、もっと若い世代にとってみれば、こんなもののどこが、「国民安心税なのか?」であろう。現行ですら、払っただけのものを将来受け取ることが出来ないことが分かっている年金制度。政府関係の借金800兆円を働いて返すのは彼らの世代。しかし、今の僕らが返せず、増やし続けたものを、将来の、人数の少ないかれらは、どうやって返すというのか?「だから増税」というのは、実は違う。政府の財政はそれで解決するに見えるが、将来世代は、その借金を返した上で自分たちも生きていかねばならない。彼らに、私たちが言うべき言葉は、「ご免なさい。僕らも頑張って返すけれど、返せないものはよろしくお願いします」だ。それが、恩恵を享受し、つけを100%将来に回す世代が、偉そうに、「国の将来を憂える」???謝罪が先だろう。高額所得者への増税は避けられまい。同じく消費税も。社会階層のそれぞれに不満が噴出するかもしれない。しかし、自分たちの今の生活は、自らの創造した価値からの正当なる配当のみを原資としていた時代が終わって、実は久しい。客観的に、或いは、将来の目をもって、これを観察すれば、それは、将来世代からの搾取を現代という一部の人間が分けあっているに過ぎない。単に年齢が上の世代というだけでない。既得権を声高に主張する社会階層にある人は、もう一度胸に手をあてて反省するべきだ。現在の我らが生活を支えてくれる将来世代へ感謝をこめて、これ以上のつけを将来に回さず、さらに、将来へのつけをいくばくなりとも軽減するべく、懸命に価値創出に勤め、ささやかに生きる。それが現代の我々のあるべき生き方と思う。今、日本で起こっていることは、人類史上最大規模の世代間搾取である。未曾有の高度成長と言われたものは、人々から堅実さと実直さを奪い、自然を破壊し、世代間の信頼関係を断ちきった。成長を悪と言うは簡単。成長とこれらのことは関係がない。未来を、そして、地球環境を侵略するのは、成長でなく、人間である。それをやめることが出来るのも人間だけなのだ。
April 21, 2010
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週末カミさんに運転してもらって、青山通り(国道246号線)から表参道に曲がる。ここのところ毎週そうである。「あれ?」青山通りで、信号が黄色から赤に変わり信号待ちをしていたら、←の信号が出た。タイミングがいつもより早い。↑が出ていない。なんか間違いじゃないかと思っているうちに、さっさとカミさんは曲がってしまう。しばらくして「ああ、そうか」と解った。今まで表参道から青山通りへの右折信号が出ているとき、逆の青山通りから表参道への左折は赤信号で出来なかった。そこを左折できるようにしたのだ。だから、いつも引っかかる表参道最初の信号では引っかからず、次の表参道ヒルズ前の信号で引っかかった。そうかもしれないと考えたのは、信号のLED化。信号機をやたら設けるのは警察の陰謀と、警察から信号機屋への天下りのせいと思うが、信号に使う電球がLEDとなったため、信号機の電球交換は飛躍的に楽になったはず。これまで早め早めの交換だったのが、電球の寿命は相当に伸びたはず。電球代は安くとも、交換の都度、高所作業車を出さねばならず、コストは馬鹿にならなかったと思う。それが、メンテの回数が減ったため、信号機の玉数を増やすことが出来、これまでより細かい信号制御が可能となってきているのだろう。多分、メンテ業者に支払う費用は、これまでより回数が減った分だけ、個数を増やすことが行われているだろう。従って、コストは横ばいで、激減することはない。そうでなければ、メンテ業者とそこに天下った人たちが持たない。匙加減とはそういうもの。このご時世にコスト削減を言うや易いが、ご自身が当事者の場合、さてどうなさる?そういえば、千歳通りから環八北方面への右折が出来るようになっている。いつからだろうか?カーナビはまだフォローしておらず、東京中央農協前まで千歳通りを行って、そこを右折せよと指示する。
April 19, 2010
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鳩山民主党政権の現在を迷走と観る人が増えている。事実迷走なのか、それは結果のみが判断する。しかし、迷走の背景には、現代日本が直面する様々な問題に対し、私たちの政府が、それが、自民党政権であれ、民主党政権であれ、或いは、それ以外の何物かであれ、全てを解決できるだけの財政力を持ちえず、どれを解決せんとしても、中途半端なことしか出来ないということがある。ならば、それらのことに優先順位をつけていったらどうか。無謀だ 優先順位をつけられるわけがない優先順位に、どういう意味があるというのか優先順位が下位になったものには手をつけないでしょうがないというのか?さまざまな議論があるだろう。それを実際にやってしまった人が居た。日本ではなく、世界のことではあるが。Bjorn Lomborgである。2002年、彼の提唱の下、さらなる地球的福祉のために、厚生経済学の理論をもとにした方法論を使い、優先順位をつけることを目的として、著名な経済学者のパネラーが一連の問題を評価しランク付けるために集められた。その計画には、デンマーク政府と共同スポンサーの雑誌エコノミストからかなりの資金が供された。Lomborgによって編集された結論、世界危機、世界的解決法を要約した本が2004年の10月にケンブリッジ大学出版局より出版されている。驚くことに、結論は、世界が直面する主要な課題の中で、地球温暖化対策の優先順位を最下位とするものであった。鳩山民主党政権の行動原理は、Lomborgと同様の優先順位付けに基づくもののように僕には見える。すなわち、財政規律の回復の優先順位は低く、子供手当に見られるような少子化対策、教育対策といったことの優先順位が高い。因みに、Lomborgにおける優先順位は、第1位 エイズ予防第2位 栄養不足の解決、特に 鉄分、要素、ビタミンAの不足を解消することにより、世界人口の半分を栄養失調から救う第3位 自由貿易の確立により、欧米諸国の補助金を削減することにより世界経済を活性化し、第三世界の中から、数億人を貧困から解放する第4位 マラリア撲滅対策となっている。負担少なく効果が期待できるものに高い優先順位を与えたのである。興味深いのは、この優先順位は、経済学者の協議により決められたもの(あくまでも提唱であり、その通り実行されているわけではない)であるのだが、発展途上国の学生たちによって、行われた同様の順位付けにおいても、ほぼ同様の結果が出ていることだ。Lomborg、鳩山民主党政権の方法論の適否は、結果が証明していくことになるが、限られた資源(資金)の配分に政策的な優先順位をつけるという考え方は、企業運営においては常識的なアプローチである。もっとも日本人には、あまり得意な方法ではないようだし、民主党政権の可否を論ずるのは、本稿の目指すところでない。さて、Bill Gatesは、従前、マラリア対策、教育問題といったところを重点的に取り組み、ある意味、Lomborgのアプローチに沿った方向にあった。ところが、去る3月23日、Gatesは自分が主要株主であるTera Powerを通じ、劣化ウランを燃料とする小規模の原子力発電所を建設していくことにより、2050年までに発電に伴って発生するCO2をゼロにするプロジェクトを東芝と共に発表。地球環境問題への取り組み最優先事項とすることを事実上提唱した。プロジェクトの内容は、極めて野心的なものであり、劣化ウランを燃料とするプラントを60-100年連続運転することにより・核燃料生成時に付随して発生する廃棄物の燃料化、従前型の発電により生じた、或いは、今後生ずる廃棄物の燃料化により、過去から将来にわたる核廃棄物問題の解消・小型=少量燃料の使用により、テロ標的となることを含む原子力発電所の安全性確立・発電に伴うCO2発生の徹底的削減→地球温暖化に歯止めをかける・発電コストの劇的削減といったことを一期に実現する計画である。Gatesは、Lomborgが提唱した地球温暖化対策の低優先順位を、「地球温暖化に歯止めをかけねば、発展途上国の農産物生産に多大な影響がある」と論破。「(地球温暖化が現実でないにしても)コストが安ければいいんだろ」と揶揄までしている。GatesがTera Powerの主要株主であり、劣化ウランを使用した小型原子力発電所プロジェクトを研究していることは、既に公表されていたことで、驚くことではない。むしろ、意外と捉えられたのは、Gatesがパートナーとして東芝を指名したことかもしれない。おりしも、文藝春秋5月号に真山仁が「原発商戦ニッポンはなぜ負ける」を掲載しており、その執筆中にGatesの発表があったことも記載されているのだが、正直、Bill Gatesのパートナーとして東芝が指名されたことは、東芝が(そしておそらく、日立、三菱といった日本の原子力関係企業が)決して坐して手をこまねいていたのではなく、次世代の原子力発電を担うのは日本企業であることを、強烈に示すものであった。真山の指摘とは異なり(彼は従来三菱と提携関係にあったWH社が東芝参加に入ったを「ねじれ」と捉えた)、東芝は、先年米国Westing House社を買収、世界の原子力関連企業(といっても、存在感のあるのは、上記日本三社のほかは、民間企業では、フランスと韓国、そして国営のロシア、中国だけなのだが)中、唯一、沸騰水型と加圧水型両方式に精通するメーカーであり、Gatesがパートナーに指名したは当然なのである。百億円規模を投資し、スーパーコンピューターを駆使したシミュレーションはすでに終了しkており、残された課題は、長期間にわたる連続稼働に耐える素材の開発、第一号実用プラント(実用化検証用)の建設場所の確保といったところ。ものすごいことになってきた。ビヨルン ロンボルグは世界の問題に優先順位をつけるBill Gates on energy: Innovating to zero!
April 16, 2010
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必ずしも、あちらの方々のことを申し上げるものではないが....石原さん(都知事)が「たちあがれ日本」結党会見の中で、「今の30代、40代、50代の中に我々と同じぐらいこの国を憂いている人間がどれぐらいいるんだい」と咆哮する姿には、正直違和感を覚えた。主義主張にではない。小沢さんにモノ申す気概の無い民主党、マスコミに対する評価には全面的に賛成である。しかし、「老いたなぁ」ああいう石原さんは見たくない。50代の僕がそう思うのだから、若い世代は当然だ。石原さんは、1932年生まれ。今年78になる。昭和31年の芥川賞受賞作「太陽の季節」は、新しい世代の登場と捉えられ、良くも悪くも、石原さんがリードする今65から80にかけての人たちが「戦後日本」「高度成長」の代表世代であることは間違いあるまい。彼らの生き方が、その後団塊世代をリードし、その延長上に現代日本が在る。上の世代が、戦争の罪科に苦しみ、悩み、沈黙し、模索する中、与えられた自由の中で青春を謳歌し、家付きカー付きババ抜きと嘯きマイカー社会、マイホーム主義、核家族化をリード。60年安保の前面に立ったあと、東京オリンピック、高度成長を愉しむと見るや、「モーレツからビューティフルへ」と転じ、バブル経済に踊った。単なる資源と資産の浪費に過ぎぬものを、消費文化とのたまい、最近では後期高齢者医療とは言い方が悪いと噛みつく。日本の年金、福祉、医療といった諸制度は、いわば彼らのために設計された、いわゆる右肩上がりの人口、経済を前提に組み立てられた制度。拡大、成長の中で、制度の中に潜む欠陥は、十分に研究されることなく、なおざり、先送りされていく。しかし、彼らは作られた諸制度=既得権に守られ、己たちの利益のために不合理に目をつぶり、改革の議論に着手することはしなかった。彼らの多くは、組織という安全装置の中で、深く考えることなく、組織と仕事の中に埋没し、或いは、埋没することで、外との接触を閉ざしていく。「忙しい」と言いつつ、組織とその周囲にある仲間のみと徒党を組んで酒を飲み、ゴルフに興じ、家族、地域社会との接点から逃げた。今の社会を維持するためと、己たちの利益を糊塗して未来の世代につけを回す借金を重ねた。消費税、介護保険とよってたかって、働く世代からの搾取手段を講じ、自分たちの既得権を支えることを要求した。今、それらのつけは、彼ら自身と私たち社会全般に及びつつある。家付き、カー付き、ババ抜きと叫んだ彼らに、家族と子供たちは、もはや振り向かない。私たちは、彼らより遥かに多くを彼らの生活維持のために捧げ、高コストと、暗い未来に漠然とした不安をかかえつつ、生き生きとした会話を奪われた社会は鬱に沈む。老人を大切にせよという。それは良い。しかし、老人であることだけをもって、社会は彼らを尊敬するわけではない。世の中に役立つからこそ、尊敬されるのであって、年寄りが言うから正しいというものではない。彼らこそ、現代日本と私たちの心に潜むアンシャンレジームなのだ。石原慎太郎氏は、すぐれた作家、政治家、知事としても一頭地を抜く存在と、私は高く評価している。しかし、先日の彼の咆哮は、もはや彼ら世代のアジテーションに踊らぬ若い世代の台頭を却って印象づけた。老いたる虎の孤独な叫びに、彼らはもはや惑わせられない。彼らが残したツケを払ってくれる世代に、「我々ほどこの国の将来を憂う人間がどれほど居るか?」と問う余計なお世話。若い世代にとって、それは、もはや憂いなどではなく、現実だということを認識できない彼らには引退しかない。彼らのライフスタイルは、もはや日本を率いるにふさわしくないのである。
April 13, 2010
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カフェのコンサルタントを請け負うことになった。本来物販が専門で、飲食はほぼ10年ぶり。二番町にあったAZ Books & Cafe以来。営業が終わってから始めるので、どうしても遅い時間になる。前もって何回か、時間帯、曜日を変えて現場を訪ね、適当に注文をして、邪魔にならないよう別の作業をしながら状況を拝見。ときどき、手の空いたスタッフに質問し、それぞれの思い・考え、お客さまへのある対応の理由、設備上の課題など教そわっていく。こちらの意見を言うことはせず、聴くことに徹する。30を超えたばかりの若いオーナー。スタッフも皆さんお若くていらっしゃる。自分たちの、こうやりたい、ああやりたいという思いが溢れる。しかし、お金、力量、時間....多くの制約が、その多くを阻む。出来ないことへのもどかしさ。仲間のから回りばかりが目に入る。自分もまたそうであることは、分かっていても認めない。タッフ同士の会話は、互いの不満を覆い隠す中で率直さを欠き、かつてあった思いの共有はどこかへ拡散してしまいつつある。自分の力量を十分に発揮できないというシェフそこまでのことは、この店では必要としていないというオーナーそれをはらはらしながら眺めるしかないスタッフ。それぞれは、自分を表現することに懸命で、お客さまには視点が定まらない。僕らもそうであった。土曜の夕べ。8時前、都心のビジネス街にあるカフェでは、10数人の食事会が終わろうとしている。スタッフに片付けをまかせ、手の空いたオーナーから、さらに話しを聴いていく。十分に聴いたところで、こちらからいくつかのご提案。それでは、どちらかで食事をしながらというオーナーが、「せっかくだから」と居残りのスタッフ二人を誘うことを提案。むろんのこと異議はない。9時半を回ったビジネス街に、開いているいる店は少ない。それでも、良さそうな店を探し、いくつかある最寄り駅の一つ近くに、これならばという店を見つけた。こういうとき、どうやっていい店を探すのか?運しかないと思う一方、そこで間違えば、若い彼らは僕を信頼しなくなる。しかも、そこは中華料理の店であった。さてどうなるか?幸い、思った以上に良い店。おそらくフランチャイズと思う。掘りごたつ座敷風の部屋に通され、応接は、覆門(アモイ)ご出身という中国系の若い女性。これほどのスタッフは、今の日本人では相当の給料を出しても求めえまい。料理も廉価(チェーン店だが、そこでは土曜日はサービスで半額から7掛けの値段となっている)、飲み物は一杯300円から!とりあえず三種盛り、揚げ砂肝、豆苗、餃子、春雨、 ねばねば長いもヘルシースープ、天心、四川風麻婆豆腐、牡蠣の鉄板焼き、大仙鶏(だいせんどり)三種ソース...それぞれ一人前ずつオーダー迷惑な連中だが、こちらもお勉強どちらも、十分満足のいくお料理であった。オーナー、シェフとも、(別に競合店というわけでもないが)、地域の価格とサービスレベルを再認識。「あなた方の役割は、お客さまのご希望を、あなた方が持つ食材と力量でいかに実現していくかの追求にある」と持論を展開。オーナーとシェフの間に会話と協調が再生する気配を感じたところで、お開き。お値段は...10,000円を切っていて、皆いちように驚く。最終電車の一本前で帰宅。家に帰ると、自分の寝床に娘が寝ている。「最近忙しくて疲れてる」と言いながら、土曜は朝6時起床で日帰りスキー。なんてこったい起こすのも面倒。寒くはないので、風呂に入って床で寝る。翌朝は日曜だが、朝一番で目黒から青山へと回り、こちら側のスタッフ(結局自分を含めて4人だった)と状況を打合せ、月曜からの日程を確認。殆ど車中と立ち話。11時に帰宅。ようやく朝飯。
April 11, 2010
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行きつけのバーのママさんと「お絞りが臭わなくする方法ついに見つけた」「へーっ どういうの?」「洗ってから蒸すんだ」「なーんだ。そんなことか。悪いけどそんなのもう何百回ってやってみたよ」「そうなの?うちは、ふきんでやってみたんだけどな」「どんなふきん?」「このおてふきと一緒みたいなの。ただし色は白というか、白ががだんだん黒とか茶色っぽくなってるけどね。ふきんておしぼりよりいろんなもん拭いて過酷に使われるジャン?」「おしぼりは過酷だよ。何時間も放っとかれるしね。それが一番悪いんじゃないかな」「経験からすると、白い色より黒い色のほうが、臭いが悪くなる。黒の染料のほうが臭いの養分を寄せるんだ」「.........」「黒って、いろんな染料が混じってるじゃない。黒にするには、赤と青と茶なんかをものすごく濃く使うでしょ」「そうねぇ。でもおしぼりって何拭かれてるか分からないじゃない。お客さまの心理って複雑で、こちらからすれば、待ってよ、それ、おしぼりで拭かないで、っていうものほど、こっそりこちらで見えないように拭くの。しかも、白だと、色のついたものは遠慮する傾向があるけど、黒に近いおしぼりだと、抵抗なく、ワインとか醤油とか拭いてしまう。だから、白より黒のふきんのほうが、いろんなもん拭かれるんだよ」「そうかぁ....」:::::::::::::::ふきんは、おしぼりより過酷な使われ方します。でも、最近の我が家では、そのふきんで、食器を洗います。もちろん、ふきんもひと洗いしてからですけど。スポンジだって何がついてるか分からない。それはふきんでも一緒でしょ。そうやって、いろんな方向で使っているうちに汚れが落ちていく。実は、洗濯機って、手洗いよりよく汚れを落とすように見えて、そうでもないんです。いろんな方向で洗う手洗いって大事。そうやって洗って、そして蒸すから、洗濯機で洗ったのと比べて臭いを寄せない。そういうところに違いがあるのでしょう。
April 9, 2010
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ソウル発31日聯合ニュースはいかのように伝えた日本の文部科学省が30日までに、独島(日本名:竹島)を日本領土と表記・記述した小学5年生の社会科教科書5種の検定を通過させたことを受け、インターネット上で外交活動を行う民間団体「VANK」が積極的な対応に乗り出す方針を固めた。朴起台(パク・キテ)代表は31日、これ以上無対応で通すより、日本の小学生を対象に大々的な国際交流と独島PR活動を進めると明らかにした。VANKはまず、韓国では韓国史が選択科目となっており、韓国の子どもが国際社会での独島広報能力を身につける場所が不足しているとの判断から、独島を守る1万人の「子どもサイバー外交官」養成に取り組む。朴代表によると、VANKは「子どもサイバー外交官」を養成するウェブサイトの構築と冊子の発行を通じ、これまで2000人の会員に独島や韓国を広報する方法を教えてきたという。20年後には国際社会で独島に関する外交と広報を堂々と行えるよう、子ども外交官の養成に尽力する考えだ。また、独島が正しく表記された北東アジアの地図を製作し、日本の全小学校に寄贈する運動と併せ、韓日小学校間のオンライン姉妹縁組仲介サイトを5月までに構築する計画も立てた。日本の小学校教師と世界の教師に向けた学習サイトの開発にも取り組む。このほか、スマートフォン(高機能携帯電話)が絶対的な影響力を発揮する20年後をにらみ、スマートフォンに表示される韓国の正しい情報を効果的にアピールする努力も続ける。:::::::::::::::朝鮮半島を日本の植民地であったと言い放つことは、当事者であるところの日本、韓国、北朝鮮それぞれに、複雑な感触があるやに感じる。日本には同化を言う人たちがあり、韓国では不法軍事占領と定義するものか。しかし、世界史の大きな流れからすれば、1910年から1945年にかけての朝鮮半島は、日本の植民地として把握することが自然である。植民地が支配から脱するに、独立運動、独立戦争を伴うこと稀ではない。少なくとも、長短の違いはあれど、被支配側が独立を模索する過程で、支配側と被支配側に、ある程度の期間、対立乃至は緊張が存在し、その中から独立が果たされていくことが通常。それが独立運動である。「支配側の権益が次第に失われ、やがてそれが消滅、独立に至る」独立運動の過程で、被支配側の支配側に対するressentimentは、次第に変質、被支配からの脱却というkatharsisに昇華し、それが独立の実現において最高潮に達するのであろう。ところが、日韓(北朝鮮も同じところからスタートしてはいるが、日韓という表現はあっても日鮮という言葉を聞かないことからも、少なくとも日本において、北朝鮮との相互関係という意識は成立していない)についていえば、このことはあてはまらない。韓の側からすれば、こぶしを振り上げるもなにも、ファイティングポーズをとる前に、憎むべき相手が、文字通りある日突然消え去ってしまった。国家、民族の分断の悲劇を、憎むべき?不当支配「日帝」のしわざと言いたいところだが、そこに日本国の意思が介在しなかったことは明らか。「解放者」たる米ソ(中)が、分断を作り出したのであるから、いたたまれない。日本のいわば、再独立であるサンフランシスコ平和条約において、韓国は条約締結の当事国ではない。これも日本でなく、米英の意思による。米英においては、韓国は日本と戦争状態になかったとして、第二次世界大戦における対日勝利者の資格たる条約への署名を、韓国には与えなかったのである。しかも、国家、民族分断の悲哀の極致、朝鮮戦争が停戦となり、その後に登場した日本は、既に、かつての憎むべき「日帝」の後継ではなく、米国と並ぶ(米国に次ぐ)かけがえのない同盟国、欠くことのできない貿易相手国となっていた。あまつことさえ、その日本における親韓勢力のみが、かろうじてかつての「日帝」後継者残滓勢力であった。唯一かろうじて、韓国側が「日帝」の実態として捉え得たであろう天皇陛下も、既に代がお移りになられ20年以上が経過、もはや韓国としてもいまさらの感じが前面に出てくる。独立を象徴する人物、事件、建物もほぼ皆無。伊藤博文をハルビン駅頭に暗殺した安重根にしても、暗殺の場所ハルビンは日韓国内でなく、伊藤その人も韓国初代統監であれども、併合慎重派であって、彼の暗殺により、むしろ併合が早まり、日本の併合推進勢力に利を与えたとなると、意識高揚の意味はともかく、少なくとも日本側から見る限りは、お門違いの感を免れない。そのように考えていくと、結局、韓国における反日感情には、相当に不自然さのあることが見えてくる。日帝韓国支配の実態が、果たして、それほど稚拙なものであったのか?それゆえ、韓国国民の感情に、抜き難い反日、日本不信が植わったものか?僕は、韓国の対日感情源流に、秀吉による朝鮮出兵(壬申倭乱)以来の反日、対日恐怖があり、それが、征韓論、日清日露戦役を経て、韓国併合から「日帝」による植民地支配の過程で、熟成乃至増幅されつつあるところ、突如1945年8月15日をもって、その感情の行き場が失われたと観る。独立の達成感がないのである。ナショナリズムの形成が未成熟な中で、突如として不当な?支配者による枠組みが失われたことにより、本来、その支配者に向かうべき感情も、本来あり得たはずの方向が失われ、そのはけ口として、わずかに支配の残滓を感じるところの、独島(竹島)、教科書の記述、従軍慰安婦といった、ある意味、旧支配側の日本国および日本国民一般として、当惑を禁じ得ない事柄に、感情が奔流のように流れ込み、時として、驚くほどの反応に拡大する。反日意識を濃厚に表面に出してきた北朝鮮はともかく韓国における、熟成と達成感なき反日感情、独立は、竹島、教科書といった、むしろ末節、かつ、日本側を当惑させるだけ、至って健全な両国関係に刺さる棘のような部分に集中しているのである。僕は、これらのことに、竹島は日本固有の領土、日本の教科書表記に韓国が指摘する如き不当性は存在せず、従軍慰安婦強制拉致への軍組織の関与はなかったと声高に主張する勢力があることが、唯一かのお国にとってこぶしの持って行きようとなる皮肉な情景をそこに見る。これらのことを声高に主張する勢力の間違いは、日本国政府の寛容な姿勢が、さらにかの国におけるそのような感情を助長し、さらなる禍を将来にもたらすと危惧するところにある。かのお国の国民感情は、論理的な成立過程を経て出てきたものでない以上、それに論理をもって反駁するは、意味をもたない。もし論理をもって感情を論破し得たとして、感情は納得するものではあり得ず、さらに私たちを当惑させる事態に至る可能性のほうが大きいのである。ましてや、かのお国は1993年まで軍事政権の支配下にあり、日韓関係について自由な研究、議論の積み重ねは、僅か17年の歴史しかない。かの国は、過去多くの文物、文化、技術を我が国にもたらした恩人である。恩人が高ぶる感情にあるとき、私たちは、恩人の感情が平静を取り戻していくことに信頼し、辛抱強く、地道にお待ちすることに徹するべきであろう。秀吉以来400年かけて作られてきた反日感情を解きほぐすには、それなりの時間をかけねばなるまい。日韓両国の健全な関係は、時間をかけて熟成させていくことのみにより未来へとつながっていくのである。
April 9, 2010
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与謝野薫氏が自民党を離党。平沼赳夫氏らと新党を立ち上げるという。今後の自民党崩壊を予想(期待?)する向きもあり、鳩山政権の支持率下落も報道される中、政局は参院選に向けて混迷を増しつつあるように思える。直接そのことを話したのではないが、土曜日午前中、仲間数人と、元東大教授で日仏会館顧問の小林善彦先生とお話しする中で、小林さんは、「今の自民党では飽き足らないという人たちが党を割って出ていく。そこから極右のものが出てくるのが危険」と指摘された。小林さんは、お江戸は日本橋の生れ。小学校(地元)の同級生で、今日本橋界隈にお住まいの方は皆無。いわば最期の江戸っ子。最近お読みになっているのは日本史とのこと。「いろいろ研究とか発掘が進み、中国の史書との対比も出来てきて、僕らが習ったことと、それら研究の成果は全く異なる」しかし「学問としての日本史をやっておられる方々の多くが、いわばオタク的になってしまっていて、学問というのが社会に役立って初めて意味を為すということが忘れられているのではないか」ともご指摘。産学協同のような短絡的なことではない。過去の歴史から、私たちが何を学んでいくか。正しく学ぶためには、正しい歴史が必要である。平城遷都、鎌倉幕府の成立、応仁の乱そういった年号がいつかという記憶を競う歴史でなく、科学的なアプローチと理解をもって、日本史を捉えていくことが必要と思う。
April 9, 2010
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小学校同級の留さんが言ってたのが「経堂駅の待避線から新宿方面に出るとき、カーブを曲がりながら加速するんで、すごく電車が揺れる。つり皮につかまっていないと慣れない人は怪我しちゃうよ」それほどの急カーブとも思えない。http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%B7%D0%C6%B2%B1%D8&lat=35.64783311&lon=139.63936089&ei=euc-jp&v=2&sc=3&lnm=%B7%D0%C6%B2%B1%D8&idx=25せいぜいR=500ぐらいのもんだろう。小田急にはR=200が代々木八幡駅の構内にあるから、この程度は大したカーブじゃないさ。梅ヶ丘駅の新宿側のカーブは、きついけれども、あれは複々線工事の間だけ暫定的なものだろうから、やがては解消されるね。今、東北沢駅が改造中で追い越しができない。だから、各駅停車はこのカーブを力行して豪徳寺への坂を登って時間をかせがにゃならんから、その分カーブでの負荷が大きくなっているかもしれない。などと考えた。だいたい経堂駅のホームがあれほど幅広い必要があったのだろうか.....以下は推測にすぎない下北沢駅立体化計画が進行中である小田急は二階建てとなり、地下へもぐる一方、井の頭線ホームは現状のままである(小田急立体化後に、京王がどのような計画を持つものかは不明)従って、小田急と井の頭線の乗り換えは、今まで以上にストレスがかかるものとなる可能性大である特に、優等列車は、地下の深いほうのホームに停車することになるので、乗り換えは現在と比べ明らかに負荷が増加する。ならば、下北沢の乗り換え負荷をいかばかりかでも緩和するべく、或いは、優等列車からの乗り換えがうまく機能しない場合の代替措置として、下北沢での優等列車からの乗り換え客(特に朝の登り線)を経堂で各駅停車に乗り換えさせる誘導を行う可能性があり、そのためのホーム幅員が大きくとられている?なぜなら、経堂駅のホーム幅員があれほどでなければ、待避線からの合流は、もっと緩やかなものに設計できたと考えられるからである。もう一つの可能性これは現実にあり得ると思う経堂駅の登り待避線から新宿寄りには、本線への合流のほか、新宿方面の留置線への侵入路が設けられている。この侵入路と本線への合流路のカーブは、それぞれ南北への逆向きとなっている可能性が高く、そのため、本線への進入路のカント(傾斜)が、本来あるべき傾斜よりゆるやか、乃至は、ほぼ平面となっているため、待避線から出場していく電車の乗客は、いわば逆カント的に電車の動きを感じ、身体が外へ必要以上にふられる感じを持つ。さて、実際はどうなのだろう?
April 1, 2010
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お米を売る。特別栽培米という範疇に属するもので、知人が自家と親戚など限られた範囲のために栽培したもの。余ったからということではなく、おいしいものを東京の人へということで、試しに売ってみることになった。同じ基準で栽培されたお米は、全国の銘柄米を取り扱う目黒区の「スズノブ」さんでも売っているが、既に昨年収穫のものは完売。知人から、スズノブさんへお米を納入している生産者をご紹介された。「私の先生。とても先生にはかなわないが、それでも、普通東京で手に入る魚沼産コシヒカリよりはおいしいでしょう。味は同じぐらいですけれど、精米からすぐの香りは、遥かに優れています」我が家は、会津産のコシヒカリを使うことが多いが、試しにいただいたお米を焚いてみたところ、家族中が「おいしい」と気がついた。お値段は、通常スーパーで買うお米の倍近くになってしまうのが難点だが、お父さんが一回ゴルフ行きをあきらめる、晩酌を減らす、飲み屋行きを減らす程度で十分差額はねん出できる。「農家は、農薬、除草剤、化学肥料を使った農産物を食べていると、生れてきた赤ちゃんにアレルギーが出ることに、早くから気がついていました。だから、私たちのところでは、極力そういったものを使わずに耕作を行ってきましたし、特に自家消費用の作物は、その中でも一番水脈の上手で栽培することが多いのです。谷の上になるので収穫、出荷に手間がかかり、市場に出すことはほとんどありません」マニフェストというか、栽培履歴もいただいた。殺虫剤は、田植えのときだけ。あとは、2-3回肥料と除草を行っている。私たちが一般に食する米は、この数倍の農薬、化学肥料、除草剤を使い、収穫量の多さ、農家収入の多いことに重きを置く作物である場合も多い。お米の消費は年々減りつつある。だが、おいしいお米は確かに存在した。本来お米とはこういう味のものであったのだろう。
April 1, 2010
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