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ハノイで開催の見込みと日本側が見通しを伝えていた菅直人ー温家宝の日中首脳会談。事前調整に、外相会談まで設営。ようやく開催にこぎつけた。ところが唐突に、中国外務次官補が「日本側が首脳会談の雰囲気を壊した。責任は日本側が完全に負うべき」と発言。開催拒否。外相会談の結果を、外務次官補がひっくり返す展開に、私たちは当惑せざるを得ない。9月前半に起きた尖閣諸島沖中国漁船衝突事件にはじまる日中緊張の波がさまざまなところに及ぶところとなり、中国国内にくすぶり続ける日本への反発は、反日抗議デモなどの形で、今もあちらこちらでときおり火をあげている。幸い、日本の世論に対中強硬姿勢を叫び反中国キャンペーンを張り、中国をこれ以上に刺激するところは、今のところ少ないように見える。とはいえ、事態の発展は、予断を許さない。日本政府と日本国民は、かの国の動きを注視しつつ、冷静さと正統性を欠き中国民衆を刺激する不注意を慎むこと肝要、と僕は思う。1977年、当時の中国共産党主席「華国鋒」が文化大革命の終結を宣言して33年が経過した。その間、中華人民共和国は、国家体制を整備し、経済は順調に発展。近年は北京オリンピック、上海万博と、国威発揚イベントを成功させ、中国国民は、復活しつつある「中華」を確かなものと感じ、我こそ発展の恩恵にさらに浴さんと切磋琢磨する。誤解を怖れずに言えば、明治維新以来の日本がたどった流れを、中国が今日再びたどっている。何がどの順番で起こるかは、必ずしも一定ではない。しかし、水は、必ず高きから低きに流れ、ゆるやかなときもあれば、怒涛の激流ともなる。現代の中国は、往時の日本の悪しき部分が犯した愚を繰り返してはならない。中国が今日世界に対する影響は、往時の日本が世界に対したとは比較にならぬほど巨大であり、その中国が制御を誤り、或いは不能となるは、日本のみならず世界を破滅に追い込み、世界経済の破たん、戦争、資源枯渇、食糧危機のみならず、果ては環境汚染、異常気象、といった人類生存の根源にかかわる問題を引き起こす可能性なしとしない。文化大革命を戦前日本になぞらえば、自由民権運動であろうか?その名の通り自由民権を希求したかに見えるこの運動、実態は、板垣退助、大隈重信その他、明治初期の征韓論、或いは、明治14年政変で野に下った実力者たちによる反政府活動の意味合いが強い。薩長が支配する時の政府に対し、自由民権を標榜する大衆運動は、旧士族を中心とする不満分子を巻き込み、急進的、偏狭なナショナリズムを強く内包していた。扇動され励起された不満のマグマは、その後も日本社会の底辺にうごめき、日露戦争の講和に際しての日比谷焼打事件、政府外国要人へのテロなどの形で、ときに噴き上げることになる。一部漢民族支配階級=「薩長」と見れば、今日中国の反日デモが地方で勃発するは、自由民権運動の拠点が多く地方の遅れた地域であったことと符合する。テロを辞さない、偏狭急進のうごめきは、時の支配階級に緊張をもたらすに見えて、逆に、政府政策に大衆迎合の色合いを強めていくことになる。軍部の一部も大衆に迎合、或いは、偏狭急進のうごめきを利用する向きすらあり、軍部ならずこの動めきこそが、戦前日本を戦争へと導いた最大の原動力なのである。火のつきやすい偏狭なナショナリズムは、対外強硬姿勢から軍事的冒険に発展していった。1915年第一次世界大戦がはじまり、日本は中国に対しいわゆる対華21カ条要求を為した。今日中国の反日運動の原点とも言えるこの要求を発したは、薩長藩閥に非ず、大隈重信内閣である。自らテロの被害者であるにもかかわらず大衆政治家として人気の高い大隈の本質は、大衆迎合=ポピュリズムにあり、或いは、大隈政権の発足そのものが、うごめく大衆の不満に藩閥=保守勢力が譲歩した結果でもあった。太平洋戦争の発端である満州事変も、その意味でみれば、事件そのものが謀略であるなしにかかわらず、国内の不満が高まる中、関東軍が事件を利用して軍事的冒険を試み、それが見事に的中し、国内の不満を外に向けさせる軍部による大衆迎合と言えよう。国内の不満は燃えやすい枯れ草である。不満を背景とする火がつきやすい浅薄かつ偏狭なナショナリズムは、このように、対外強硬姿勢、軍事的冒険から、さらに戦争へと日本を駆り立てた、いわば今日中国における反日感情の原点なのである。「あなた方は、今、あなた方が非難する日本そのままをなぞっているのですぞ」いつか来た道。日本は、浅薄なナショナリズムに踊らされ、尖閣は我が国固有の領土などと、重箱の隅をつつくように当たり前のことを取り上げて相手を刺激するのでなく、いつか自身が来たこの道の危険を、中国大衆の心に届く形で警告せねばならない。成熟した市民社会を構成する平和国家日本の役割である。ノーベル平和賞が決まった劉暁波氏をことさらに評価することはすまい。彼と彼の家族の人権が尊重されること、それは無論当然のことである。しかし、ノーベル賞授与を決めたノルウェーの選考委員会、それを非難する中国政府。それぞれに主義主張と事情がある。中国の問題は翻って再び我が日本の問題でもある。今日それを指摘する人は少ないが、ポピュリスト大隈重信こそ国を誤った張本人である。明治の日に、征韓論を標榜する政敵を放擲した彼は。大正において対華21カ条を中国に突きつけた。今日の日本国首相「菅直人」も、過去の実績からみて、ポピュリスト、大衆迎合政治家である。状況に動き、国の将来を誤る危険において、前任者、前々任者を上回る。その人が、民主党総裁選挙の論功行賞で国土交通大臣から外務大臣に抜擢したが、現前原外相である。対中強硬論者、かつ、尖閣諸島領海侵犯船長を捉えたその時の国土交通大臣。その人物を論功行賞で外務大臣につけた。中国の反発は必至なのである。政治的ポピュリズムが、ボタンを一つ掛け違えたのではないか。我が国でも、かのお国でも、過去への信頼がない。我が国民主党は、過去の自民党政治をことごとく否定することから始まる。時間もお金もない中で、過去に学ばず試行錯誤を繰り返す非効率。かのお国では、過去への信頼は中国共産党一党独裁の範囲でしか語れない。というより、一党独裁の範囲でのみ言論は存在する。しかし、それでは、21世紀と地球の未来に貢献する中国を作り上げることはできない。「物事を客観的にとらえてきちんとした批評をする」ためには土壌が必要である。言論、表現の自由に立脚せぬ批評は、浅薄かつ後世から見れば滑稽。言論、表現の自由とは、自分の自由にあらず、他者の言論、表現の存在を認めることである。中国市民も、物質、金銭的不均衡に不満を述べるでなく、軍事力、覇権主義によらず世界に普遍的な地位を中国が築くに、ご自身方が何を為すのか、それを語る市民社会の到来を希求するべきなのであろう。
October 30, 2010
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1941年1月、東京市経堂尋常小学校(現世田谷区立経堂小学校)は、第2桜小(現桜丘小)・松沢小・塚戸小・上北沢小から469名の児童が編入10学級(1~4年)として開校した。創立記念日は1月27日である。したがって、今、経堂の駅前通りなどに掲げられているバナーにある70周年とは2011年1月27日となる。経堂は、かつて経堂在家村といい、1889年(明治22年)の町村合併で東京府世田谷村の一部となった。明治初期の学制施行当時、松沢小学校の前身となった、(古)上北沢小学校(榎本学校)が、今のヨークマート北側付近にあり、経堂、上北沢、八幡山、船橋あたりの児童を対象とした初等教育が行われていたと思われる。ところが、この(古)上北沢小学校=榎本学校は、1889年(明治22年)の松沢村(現上北沢、桜上水、赤堤、松原)成立期に、松堤小学校(松原村と赤堤村が共同で設けた小学校)と統合、松沢小学校となり移転してしまう。経堂地区が属する世田谷村の小学校は、世田谷村立尋常高等小学校(現桜小学校)とさらに遠い東京府荏原尋常小学校(現若林小学校)のみ。世田谷村北部の就学率が甚だ貧弱だと報告された記録が世田谷区史などに記載されているが、これは、まさに、各小学校からの距離が遠く、通学に難があった経堂小学校の学区域のことを言っているのである。(今、世田谷北部というと、烏山あたりになるが、当時の烏山は千歳村であって世田谷村ではない)明治、大正はこのように過ぎて行った。関東大震災から間もなく、小田急線が開通、経堂駅が設けられたのが1927年(昭和2年)。経堂の急速な都市化が始まった。既に大正の末に世田谷村は世田谷町となり、1932年、駒沢町、玉川村、松沢村と合併して世田谷区となった。この時期、都市化の進捗とともに、第二桜小学校(現桜丘小学校1930年開校)、世田谷小学校(1933年開校)と、小田急沿線に次々と学校が建設されていった。ところが、これらの学校はすべて小田急線の南側に建設されており、経堂駅の北側に開発された住宅の子弟は、古くからの桜小学校、塚戸小学校、松沢小学校、或いは、そこから分かれた第二桜小学校(現桜丘小学校)、世田谷小学校、上北沢小学校まで、かなりの距離を通学しなければならない苦労が続く。一度選定した用地を変更するなどもあり、現校地にようやく開校に漕ぎつけたのが1941年であった。その後、経堂小学校からは、さらに、赤堤小学校、八幡山小学校、船橋小学校、希望丘小学校が分かれていった(経堂小学校の分校だったのは八幡山小学校のみ)。今年2010年は、八幡山小学校、船橋小学校の創立50周年である。経堂小学校70年は、経堂小学校だけの歴史ではない。農村であった経堂が、小田急線開通と同時に、関東大震災後の東京の都市化スプロールに巻き込まれ、宅地化していく中で、新しい住民子弟の初等教育機関として、整備された地域の歴史が、そこには反映されている。
October 29, 2010
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世田谷区屈指の高級住宅地「赤堤」過日、「赤堤の謎」で住宅街生成経過を考察するうちに、そうだったのかと思いあたるところがさらにあり、追加でメモしておく。:::::::::::::::赤堤の街区は、南北に東側から都道423号線、西福寺通り、経堂駅前通りから都市計画道路補助54号線(松原駅前通り)へ抜ける道東西に、補助54号線、赤堤通り、ユリの木通りそれぞれを幹線道路として配置し、その間に東西、南北の細かい道路を配していく計画であったと想像される。西福寺通り、補助54号線、赤堤通りは、ほぼ計画通りに配置されたが、都道423号線、ユリの木通りは、初期の想定とは多少異なる部分がありそうだ。今回気がついたのは、1.西福寺通りだけを南北の幹線と考えていたが、423号線、経堂から補助54号線に抜ける道も南北幹線として整備し始めていたと推測すること2.同じく、補助54号線、赤堤通りに加えて、ユリの木通りも東西幹線として考えられていたと推測することに加え、3.補助54号線の北にも、東西道路が計画されていたであろうことである。順番が異なるが、1、2は、3を推測したことからの連想である。3の場所は、計画道路が一部着手されたのであろうが、整備されず半端のまま長年放置されているのか、以前から不思議に思っていた。それが、今般、赤堤の街区形成を考える中で、北側の東西幹線として、西福寺通りの延長と合流する想定だったすれば、なぜにあのような半端な道路が残されているのかが解き明かされることに思い当った。赤堤の区画整理は、昭和初期から戦後にかけてのほぼ四半世紀をかけ、完成をみたもので、西福寺山門脇の碑にその記録が残る。記録では完成をうたっているが、実際には、北側は下高井戸駅から、南側は経堂駅から都市化の波に洗われ、ある時点で、それより先の区画整理を断念したものと思う。そのため、赤堤の街区は、駅から遠い三丁目を中心に整備が行われ、南北は、区画整理と都市化のせめぎ合いの痕跡が今に残った。碁盤の目状の中に古道の痕跡が分断されて残る赤堤は、このような計画とその一応の完成までの経過がもたらしたものと考える。
October 21, 2010
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「だいたいあんたがた東京の人は、長野県民といっしょくたにおっしゃいますけれど、善光寺平、上田平、塩田平、佐久平、松本平、安曇平、諏訪平、木曽谷、伊那谷と日本の中で長野ほどさまざまな土地を一緒にして一つの県としているところはないんと違います?」長野県は山と川、谷と盆地で構成される場所である。だいいち長野以外の人は、「長野」県と広い長野県の中の一都市に過ぎない長野の名で呼ばれること自体、居心地悪いのかも。特に、松本の長野への対抗意識は有名である。そういう人々は、長野県とは言わず信州を使う。これだけ広い面積(北海道、岩手、福島に次いで全国四位)の県が、旧信濃の国とほぼ同一地域というのは長野だけだろう。「長野北部の産業は観光でした。しかし、1998年の長野オリンピックからあと、長野北部は動きを止めてしまいます。中央資本が長野を搾取して、長野には廃墟だけが残ったという人が居ます。しかし、新幹線、高速道路は、確かにオリンピックをきっかけとして整備されたのであり、僕は、せっかくのオリンピックという機会を活かしきれなかったのは、中央の搾取ではなく、長野の稚拙だったと考えています」有機農業の取りまとめと福祉のボランティアをやっている案内の荒川さんは、そうおっしゃる。オリンピックで白馬村は、アルペン、複合の会場となった。そのとき、その後の少子化からスキー人口の減少を無視して開業した大量のホテル、民宿が、お客が減ってもそのままに供給過剰の過当競争がいまだに続いている。白馬村内の宿から、夕食後、散歩と称し、そのあたりを歩きまわる。珍しい鹿肉をごちそうになり、野生に誘われた?各戸とも、家は地面から高く土台をあげて、中には半地下に乾燥室を設け冬のスキーはそこから出入りというお宅もある。そういう素敵に見えるお宅(民宿)が、長く使われないまま古くなっていくのがもったいなく、悲しい風景。少子化 というよりライフスタイルの変化。1990年前後に18百万人に達していた全国スキー人口(スノーボードを含む)は、現在12百万を切る。往時平均年6回だったスキー場利用回数も現在は4回。滞在日数も減っているので、スキー場の延べ利用客数は、20年間で半分以下。長野県下のスキー場利用客も1992年の21百万人をピークに減少を続け10百万人を切って久しい。バブルのさなかは、別荘とかリゾートライフにあこがれを感じる人が多かったのが、景気後退とともに意欲も減退傾向。但し、関係者の景気をともかくとすれば、ウィンタースポーツ本来の在り方を楽しむ人には、交通手段が発達、多様化し、しかも、以前に比べ混雑の少ない今現在は、なかなかいい時代ということができるかも。バブルに踊ったスキー人口は、しょせんバブルに過ぎない。「自然破壊ねぇ。僕らにも生活がありますし、せっかくのそういう資源を使うかどうかは、一義的に私らが考えることでしょう。都会の人が頭で考えることには限界があります。都会の人の自然保護など、自然破壊の延長でしかない。スキー、スノボでなく、冬の豪雪の中で暮らしてご覧になれば、道路が、開発が、どれほど私たちにとって必要なことなのかいっぺんにおわかりになるでしょう。あなた方のライフスタイルと同じように私たちのライフスタイルも変わってきています。僕なんかは昔のままでも良いと思うけれど、現実には暮らしていくことができない」降るような星を期待したが、あいにく月が明るく、傾いた頃には雲が多く、星空を満喫とはいかなかった。翌朝は初氷。早い時間に子供たちがランドセルを背負って集団登校。熊除けの鈴がちりんちりん鳴っている。白馬北小学校まで小一時間だろうか。村内に小学校は北と南の二つ。中学校は一つ。人口10,000人弱 面積190平方キロ(人の住まぬ山間地が多い)に小学校二つはやむをえぬところ。一番遠い児童の通学には徒歩だと一時間半かかるという。いいところ。冬の豪雪。東京の家族に定住は無理だろう。
October 21, 2010
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紅葉狩りを兼ねて信州へ。猛暑の影響か、今年の紅葉はだいぶん遅いらしい。中山道に沿って木曽谷を遡上して走る中央線は藪原の北で木曽川とわかれる。しばらくでトンネルを抜けると、また川の流れに行きあうが、先ほどまで電車の進行方向と逆であった流れが、電車と同じ向きになっている。日本列島を南北に分ける分水嶺の一つを越えた。川は奈良井川。途中、槍ヶ岳に源を発する梓川と合流し犀川と名を変え高瀬川を合わせる。さらに長野市内で千曲川と合流し、そこから下流が信濃川である。昔、中央線は、岡谷からいったん南へ天竜川を辰野まで下り、転じて塩尻、松本へ北上したものが、岡谷から峠の下をトンネルで直接塩尻へ抜けるようになって、もう30年ほどと思う。新宿から「アルプス」とか「白馬」の急行(急行まで乗れるミニ周遊券が出来て学割がきくようになり急行に乗るようになったが、それまでは各駅停車)に揺られ、大糸線沿線に出かけるのは一日仕事だった。それが、今では中央線も早くなったし、豊科まで高速道路が走る。長野側から上信越自動車道、長野自動車道を使えば、高速から山越えで早い人なら3時間少々で都心から行くことができそうだ。「松本空港なんては、電車が遅くて高速もなかった時代の発想です。肝心な東京便は飛んだこともないままで、このままでは、中国からのスキー客相手しか手がねぇないなぁって言ってるんですが、排他的な信州人と中国人の肌合いはどうかなぁ」長野の友人荒川さん。地元で福祉関係のボランティアと、有機野菜ビジネス取りまとめがお仕事。信州の人は難しいと先輩が言っていた。我々の時代になると、だいぶん変わってきたが、団塊の世代の上ぐらいで長野県で仕事した先輩たちは、相当のご苦労があったようだ。あちらは我々を知らず、我々も信州を知らなすぎた。地域交流は接触から反発を経て理解に至る。途中にわだかまり、対立があるとき、交流は理解に届かず、反発が何十年、何百年続くこともある。奈良井川は梓川と松本市内で合流、さらに穂高川、高瀬川と合流し犀川となる。中央線は松本まで。松本から長野へ向かう篠ノ井線と、糸魚川方面へ行く大糸線は途中まで複線のように、寄り添って走り、北松本の先で東西にわかれる。松本から糸魚川へ抜ける千国街道も、木曽から松本を経て長野へ向かう中山道西街道から松本市内で分岐する。多くの場合、対立は、建前の対立であろう。対立は、建前を掲げる支配層の対立にとどまり、我ら一般大衆は部外者であったのが、ここ百年ばかり、支配層は一般大衆を巻き込んだ対立を作り上げ、或いは、我ら大衆が好んで対立に首を突っ込んだ。紅葉を求めて出かけたつもりが、豊科を過ぎてもまだ山は緑一色。「午前中は、小谷温泉から先へ入り、午後八方へ上がりましょう」温度差の大きさも影響するから、陰になるところより日当たりのいいところのほうが早く色づくという。穂高、明科の犀川合流点を過ぎると、千国街道、篠ノ井線は、高瀬川を遡上する。再び川の向きが北向きから南向きに変わる。信濃大町から黒部湖に上がれば、大観峰を経て室堂に至る立山だが、そちらは昨年のこの季節カミサンと一緒に行っている。やはり少し早目だったように思う。「上まで車で上がれるのは雨飾と八方です。上は色づいてますよ」大糸線と千国街道は、高瀬川の支流農具川を遡上する。この川は北から南へ流れる。農具川で結ばれる、木崎湖、中綱湖、青木湖の仁科三湖は、ダムと思う人が多いだろう。自分もそう思っていたのが、「糸魚川静岡構造線」「フォッサマグナですね」「正確には糸魚川静岡構造線はフォッサマグナの一部、西の端です」「失礼しました」「その糸魚川静岡構造線の上に水がたまって出来たのが仁科三湖で、発電用の取水はありますが、もともとは自然の湖です」青木湖の北までが信濃大町(長野県大町市)、そこから先は白馬村。農具川は青木湖までで、峠を越えると、再び流れは北へ向かう。姫川。千国街道と大糸線は、今度は、姫川に沿って糸魚川まで下る。かつて、新宿発の中央線は、さらに北へ行っていたのが、南小谷が終点となった。どんな駅なのかと思っていたが、単式・島式ホーム1面ずつ計二面三線と何の変哲もない。但し、この南小谷がJR東日本とJR西日本の境界で、南の松本側は電化されているが、北側は非電化。なるほど。11月からハイブリッド車が導入になるらしい。南小谷から車で千国街道をさらに北へ。148号線中土トンネルを出たところの信号を右へ。「おっと、ここだここだい」あわてて、右折車線へ入る。県道114号線。乙見山峠を経て妙高へ抜けるという。「車が入りますからね。秘境というほどのことはないでしょうが、東京からの人はあまり見ないところです」それでも、まだ紅葉はない。小谷温泉を過ぎてしばらく行ったところで、妙高が見事に色づいているのを見る。ようやくさらに先、鎌池まで上がり、ようやく落ち着いて紅葉狩。「向こうに見える雨飾山は、日本百名山の一です。東京から遠いですし、だんだん若い人は登らんのじゃないですか?」若い人は忙しい。登山人口は減っている。登山人口の高齢化は、事故の増加につながり、事故の報道が増えれば、せかっく登山に興味をもっても、実際登るのは敬遠という人が増えるだろう。もっとも、誰も彼もが登った時代が異常なのだと僕は思うけれど。「かつてのカメラ小僧たちですよ」カメラ小僧久しぶりに聞いた。我々より上の世代だろう。見れば、私たち以外は、ほぼ全員が三脚と一眼レフ?を携えて池畔をめぐっている。「観光客がほとんどいない今日は、本来の紅葉を満喫できます。週末はもう霜が降りて、こうは歩けません。何事も人より早く楽しむのが一番です。後になればなるほど条件が整わなくなります」池畔めぐりを終えると、休憩なしで急ぎ山を下る。「雲が低いから、鑓・杓子・白馬の頂上は見えないかもしれません。雨飾、天狗原、松尾山から、戸隠までは大丈夫でしょう」来た道を今度は南へ下り、岩岳入口から八方へ。林道を黒菱平まで上がって、そこからリフトを二本乗りつぎ石神井ケルンを目指す。「運動靴だし、今日はここまでにしましょう。登りにかまけては景色が見えなくなってしまいます。それと、寒くなります」見れば、槍がときどき顔を覘かすが、雲はだんだん濃くなる様相。これでは白馬、杓子の上は、今日はもう見れまい。岩肌に腰かけ、景色を堪能。再びリフトを降りて、黒菱で足湯。
October 21, 2010
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商社で財務を担当していた先輩とお昼。数年前、某国立大学経済学部の教授の口もあったが現場を選んだというエコノミスト。「このまま円安が進むと、安い円に依存する産業は日本を離れていくことになるんでしょうか」「それほど長いことはないように思うね。円の実力ということでいえば、15年前に80円まで行ったものは、日米製造業の生産性格差を考えれば、今日ならば1ドル60円まで行っても不思議はない。逆に、大量生産型のビジネスは、技術移転が可能となるに従い、中国、インドに生産拠点を置くほうが、消費地に近く、かつ、労働力も安く有利になっていく。スズキをごらんなさい。廉価な車から生産拠点は海外へ移転していくでしょう。」「日本はどうすればいいのですか?」「技術立国に徹することがひとつ。但し、技術は必ず追いかけられ、置き換えられると覚悟しておくべきです。優位を保ち続けるためには、継続して努力する以外にない。技術優位を保つ努力も大事ですが、僕は、21世紀の日本は、技術プラス文化を売っていくように産業構造を変えていかなければいけないと思っています。日本の文化が他国に比べて優位である部分を売っていく。技術と省エネルギー型のライフスタイルを組み合わせる そういう発想が必要だと思います。輸出立国日本というけれど、実態はまだまだ大量生産型の商品しか売っていないことを再認識するべきでしょう。売れるものはもっとあるはずです。未来のために役立つ文化という意味で、日本というのは非常に優れたものをもっている。しかし、それを維持するための多様性が急速に失われていることは、短期的な円高などとは比較にならないほど危ないことでしょう。それと、モノを売って、その対価に含まれる付加価値で食べていく産業構造は、限界にきています。投資...僕は投機とか投資という言い方が好きではないのだけれど、あえてinvestmentと言いましょう。円高ならば、海外の会社、文化、技術、どんどん買えばいいんです。国内に資金を還流するより、はるかに円安誘導にもなるし、何より未来の飯のタネです」「しかし、円高により、輸出産業が支えている雇用にしわ寄せがきているではないですか」「僕は、その言い方に、非常に危ないものを感じています。亡くなった英霊に申し訳ないと言って中国に固執し、世界を敵とした戦争に走ったことと非常に似通っている。トヨタは工場を海外に移しても、日本の文化をもった車を作り続けるでしょう。日本人も日本で食えないならば、インドでも、中国でも行くんだって覚悟が必要な時代です。円高は嫌だ、欧米先進国ですら海外は嫌だと言いながら、雇用も何も政府任せでは、21世紀を生き抜くことはできません。生きられなければ、円安ですよ。食糧も、エネルギーも高くて輸入できません。それでいいんですか?」
October 15, 2010
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「いまさらなんだが、景気ってぇのはほんとに気分だと思うなぁ」「どうしたの?」「だって、こういう時期に、景気のいい話はしにくいじゃない。ニュースでもいい話はほとんどないし、総理大臣とか政治、経済の人たちが出てきても、ああいう顔つきでああいう話されたら、みんなもああ深刻なんだな ってなんとなく支出を抑えるようになる。同じように見えて、車が売れてたのは、エコカー減税っていうメリットに走ったのか、エコカー減税を免罪符に車を買ったのか...」「意外と後者かもね。今だって一番売れてるのは、結構高いプリウスだもん」「そう。買いたいけど、買いにくい。プリウスだから許してみたいな」「こないだ日銀が経済政策発表したじゃん」「えぇ。役に立ちそうもない。もちろん日銀もわかってるでしょうけど、中央銀行として何かやらなきゃいけないところへ追い込まれてた」「そう。それで、景気はもうしょうがないから、財政再建を先にしようとしているかも」「インフレ?」「あぁ。円高対策にもなるしね。物価の値段が1%上げるというけれど、日本経済がデフレだって言うのは本当かしら?平均値でみれば多少の下落はあるだろうが、工業製品以外の物価は上がってると思うよ」「野菜すごいよね。夏暑かったからだろうけれど」「いや。もちろん今の値段は季節的なものだが、上がっているのは確か」「景気は踊り場にきているとか、あいまいな言い方ばかり。もっとはっきり言えばいいのに」「本来の景気はまあまあなんだが、今の少しの期間だけどこか調子悪いんだって印象を与えたいのだと思う。この状態がさらに続くと、なんか大本営発表になっていきそうだね。それはそれとして、総理大臣はもっと豊かなお顔で、含蓄のあるお話しする人が良いね」「菅さんはだめなの?」「菅さんということではなく、政治家全体、いや、日本人そのものがせこくつまらなくなってきているんだろうねぇ。しょうがないよ。若いうちに苦労がないから」「もっと子供たちを厳しく育てなければいけなかった」「我々の時代はともかく、現代は、家庭だけで厳しくしてもだめでしょう。豊かさのもつ二律背反。豊かさの裏側には、そこに安住する人間がある。子供に厳しい環境を教えることに意味はあると思うけれど、その結果として彼らが犠牲にするものも多い。どちらをとるかは、本来彼らが選択するべきだろうけれど、親も子供もそういうことがわからないうちに時間が過ぎてしまうからね」「親として難しい選択なのね」「そうだね」
October 15, 2010
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世田谷区赤堤小田急線の経堂駅、或いは、豪徳寺駅を最寄り駅とする世田谷区屈指の高級住宅地というイメージだが、先に発達したのは、赤堤の中では北側(京王線、甲州街道側)の4丁目、5丁目。京王線下高井戸駅南口の日大通りを中心とする地域。1丁目、3丁目(2丁目もそうかな?)は、さしずめ高級住宅地「赤堤」、それからすると4丁目、5丁目は「庶民の街」だ。その赤堤の「高級住宅地」と言われる部分(主として三丁目西福寺通り東側)には、気が付きにくいものの、他の住宅地には見られない際だった特徴がある。それは、道路に対し宅地部分が1mから場合によっては2m以上も高くなっていて、各戸の玄関までにスロープ乃至石段が設けられており、そのことにより道路側から住宅敷地内のプライバシーが守られていることである。当たり前そんなものは方々にあると言われるだろうが、あれだけ広範囲に、そういう宅地が広がる光景は、僕も日本をはじめいろいろなところに行ったことがあると自負するが、赤堤三丁目を中心とする、あの一帯以外には見られぬ稀有な光景なのである。住宅が一段高いところにあることには、大分前から気づいていて、赤堤は何かが違うと思いつつも、どこか、どういうふうに、なぜ?とまとまらぬままにあったのが、ようやく考えがまとまってきたので、メモをしておくことにした。ヒントは、赤堤には急坂がないというところである。::::::::::::::高級住宅地「赤堤」は、(桜)新町を皮切りに、上北沢、成城学園、深沢...と続く世田谷区内の住宅地としては最後発である。その理由は、京王、玉電(世田谷線)、小田急の最寄り駅からの距離が遠く、或いは、北沢川本支流によって隔てられ、渡河地点が限られていたこと戦前から1950年代後半までの長期間にわたる区画整理事業が行われ、宅地開発に制約があったことがあると思う。赤堤の区画整理事業は、第二次世界大戦前、1930年前後にさかのぼる。当時、赤堤は、上北沢、桜上水、松原とともに、松沢村に属していた。世田谷町、駒沢町、玉川村、松沢村が合併して世田谷区が成立したのが1932年であるから、区画整理事業は、旧松沢村以来の計画である。松沢村では、1920年代中盤、関東大震災後に急速に都市化が進行。上北沢(現3丁目、5丁目)、桜上水(現5丁目および経堂駅を最寄り駅とする現1丁目南側)、松原といった京王沿線に新たな住宅地が分譲されていった。その中で最後に残されていたのが赤堤、下高井戸駅、豪徳寺駅近くでは宅地分譲も行われたが、その後背地は未整備のまま。但し、そのあたりは前述のごとく交通の便が悪く道も細く複雑であった。最寄駅は、玉電六所神社駅、その後移転して玉電松原駅(現世田谷線松原駅)だが、北沢川支流に沿って走る玉電(現世田谷線)からすると、開発地域は、駅からすぐに急傾斜がはじまり、住宅地としての利便性としては甚だ面白くない。現在の上北沢、桜上水町内をみても北沢川北岸は戦前に開発されているに対し、駅から北沢川本支流を渡った先の開発は戦後のものである。大規模な造成をやるほどの金はない。そこで、考えだされたのが、宅地部分の高さはいじらず、区画整理と同時に建設される道路を掘りこんで、急坂を解消しておく方法だった。赤堤通りと、都市計画道路補助53号線にあたる道路、およびその間の東西道路を、このように、台地の中に下高井戸駅から六所神社かけて南北に流れる北沢川支流から徐々にゆるやかな勾配をつけて掘り進む。その間に何本かの南北道路を同じく掘り進み、結果として今のような街区が形成された。だから、赤堤三丁目の中には、道路より一段高いところにある不思議な畑が見られるのである。普通、造成は土地を盛り上げる。ところが赤堤は、台地を掘り下げて道だけ通したのである。赤堤(三丁目)は、碁盤の目状の道路でありながら、宅地は昔の台地の高さを残し、ゆるやかな坂で、高低差を解消し宅地のプライバシーが守られる。歩きやすく、かつ、街として飽きない自然のアンジュレーションが残る。一連続いた、戦前の世田谷区内宅地開発ノウハウ最後の集大成が赤堤なのである。赤堤以前には、ノウハウがなく、かつ、需要に供給が追い付かず、配慮にかける時間もお金もなかった。赤堤以後は、赤堤ほどの規模での開発適地がなくなり、かつ、赤堤以上の傾斜地しか残されていなかった。ゆえにひな壇のような造成地ばかりとなり、結果、あの赤堤の不思議な雰囲気は、赤堤だけのものとなっている。
October 15, 2010
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次世代スーパーコンピュータ開発要求予算の仕分での「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」発言、最近では国会内での雑誌Vougueの写真撮影など、話題の多い蓮舫さん。「2位じゃだめなんでしょうか?」については、今回ノーベル化学賞受賞の鈴木先生も、「科学や技術を全く知らない人の言葉」とコメントとある。無理やりの質問で、なんでいつまでもと思うのだけれど...とはいえ、僕も蓮舫大臣の発言はまずいと思った。無論、それは、日本、いや世界の将来は科学技術にかかると考えるからである。そして、世界における日本の役割は、私たち一般が考えているよりはるかに大きい。だが、蓮舫発言を未来に向けての危惧ととらえるは、いささか事態の重大性を軽視しすぎと、さらに、危惧を深める。つきつめて考えれば、蓮舫発言は未来への危惧でなく、今そこにある危機。彼女個人についての批判ではない。彼女の発言が批判された以後、科学技術開発予算を充実することへの理解を深めていただいた方も多いと思う。しかし、あの問いが発せられたときのことを振り返ると、もし自分が、自分の懐に入るお金と、そこから徴収される税金との関係で問われたならば「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」は、多くの人にとっての本音ではないか。もっと下世話に「世界一を目指す予算でなくなれば、あなたに毎月10万円差し上げましょう」と質問されたらどうだろう。彼女の発言そのものは、多様な議論があってしかるべき中で、十分意味があり、否定されるべきものではない。しかし、僕の危惧は、未来への危惧である以上に、彼女の発言が我々日本人一般の本音に近いと自覚し、そういうMe-ismが日本を覆っている現実へのものである。一般に、理工系を目指すは、数学、物理、化学といった、それらを苦手とする人々の多い科目を学習せねばならず、学生生活も実験、レポート、演習に明け暮れ、「文化系」に比べ、遊ぶ時間の少ないものと認識されていて、学費も高い。かつ、テレビを見ていても功なり名を遂げて実入り良く見えるは、多く「文化系」出身者である。(最近京都大学は、出身学生の収入については理工系が文化系を上回るとの調査結果を発表している)親の本音が、そこまで苦労して実入りが少ない理工系は敬遠とあっては、学ぶ子供たちに理工系志望が長期低落傾向にあるは、やむをえまい。しかも、今理工系と一般に言うが、それは自然科学Natural Science、工学Engineering。文化系学問にも、Liberal Artsのほか、Social Scienceがある。現代日本で高等教育を標榜する大学の文科系の多くが学生に与えるは、Liberal Arts、Social Scienceのように見えて、実態は、就職に必要な卒業証書ではないのか?何も理工系学問だけが未来を拓くわけではない。Liberal Artsは、人間が人間であることの源泉であり、私たちが何を目指し、いかに生きるかの目標の模索。Social Scienceは、そのことを実現するためにどのように制度を構成していくかの「科学的」アプローチである。そのようにとらえている人がどれだけあるか?僕が気がついたのは、正直、最近のことに過ぎない。蓮舫発言とそれをめぐる議論を、「科学的」な考え方が、世の中から急速に衰退していることへの警鐘としてとらえ、ならば、私たちはどのように変わるべきかを考えるきっかけととらえれば、それは、不毛な議論であることをやめ、将来へむけて大事な議論となっていく。知人で経堂小学校同級生の高橋由紀子は、"八十歳を越えてなお 家庭という社会あるいは広く一般社会において現役でご活躍されておられる方を講師としてお招きし若い人に是非このことは伝えておきたいということをお話し頂きそれを受けて十代から九十代までの参加者と意見交換をする場"を標榜する「徳談会」を年数回開催している。今回の「徳談会」は、10月24日(日曜)午後、経堂駅前福昌寺において、元桜丘中学校同窓会長「田中芳徳さん」のお話しを予定。田中(旧姓園田)さんは、80代以上ではないけれど、都立千歳高校から東京大学工学部を経て、長く新日鉄でエンジニアとして奉職。新日鉄ご卒業後も、地元で「かがやく目」を主催されるなど、活発にいろいろ活動しておられる。旺盛な好奇心と想像力それが科学する心を育てる未来を拓くことを実践されている先輩である。経堂山・福昌寺 世田谷区経堂1ー22ー1(小田急線経堂駅より徒歩五分)会費 1500円 小学生同伴の方はお二人で2500円 八十歳以上の方は無料申込み 当日までに徳談会会主 高橋まで 03.6751.0525 080,5680.2209 uto@juno.dti.ne.jp
October 10, 2010
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瀧坂道(都道118号線)=経堂駅前通りは、経堂駅の前後では経堂と宮坂の街を分けて走る(経堂駅の南側は都道423号線)。北沢川水系と烏山川水系の分水嶺をたどっているようで、瀧坂道から経堂二丁目に入る道は、だいたい経堂二丁目町内に向かって下り坂となっている。知人にカシミール3Dなるソフトを駆使して、土地の微妙な表情を読み取る人があり、その人が、最近、経堂二丁目から旧烏山川の経堂中村橋付近に向かって、土地が低くなっている場所をみつけ、そこはかつて烏山川に流れる小川があったのではないかと推論されているのを伺った。海音寺潮五郎記念館のあたり、或いは、そのさらに上手に水源があったのだろう。確かにそのあたりをみると、微妙に土地の表情をなぞって道が通っているようにも思われる。昔、神保さんという方が、そのあたりで、古い一軒家を使って、面白い和食の店をやっていらっしゃたのだが、娘さんの結婚式の最中に急死。奥さまがあとを継がれたが、海外関係の仕事で忙しく気がつけばすでにお店はなく、名前も失念してしまった。神保さんとおっしゃるから、もともと土地の方のご縁戚であろう。ご自宅はちょっと離れて、西福寺通りのつきあたりから少々入った日大の裏あたりだが、お名前が変わられている。娘さんの嫁ぎ先に変わられたものか。さて、上記の小川であるが、このあたりの道は、経堂の中でも最悪にわかりづらい。さすがに最近は携帯電話で地図も見れる時代なので、もはや迷うことはないが、昔、車で袋小路に迷い込み、往生したことがあった。おそらく、このあたり、瀧坂道と、瀧坂道の旧道(経堂西通りから恵泉学園に向かう道)の間は、江戸時代には池だったのではあるまいか。近くに池辺さんという同級生が二人あったが、お宅の場所は確かに推定される池の近くだったように思う。
October 9, 2010
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午後は、久しぶり(半年ぶりぐらいか?)に横浜へ東口のそごうからスカイビルを抜けて日産ギャラリーのカフェで待ち合わせ。ところが、待てど暮らせど待ち合わせ相手Robertoの姿が見えず、どうしたものかと考えていたところへ40分遅れとE-mail。そうだよなぁ。お昼の12時15分にランチの約束で、14時待ち合わせは難しいんじゃない?って言ったのに...東口のそごうが25周年だそうだ。横浜東口は、横浜港のヤードが桜木町にかけて広がっていたのが、今はみなとみらい。すっきり港が見渡せたのが、かつて、向こう側にヨットのkたちをモチーフにしたInter-Continental Hotelの姿が見えたのが遮られて、高層マンションが立ち並んでいて興趣をそがれる。ひとつひとつのビルは、横浜港の景観を考えて作ってあるんだろうけど、こうビルばかりつくられちゃぁ色遣いもてんでんばらばらだし、窓から見える景色は隣のビルばかりって億ションも多いだろう。かつての横浜の良さがないなぁ。横浜は大きい街だ。人口も日本で二番目。エキゾチックで、東京にはない魅力があった。港、氷川丸、山下公園、山手の丘、フェリス女学院、中華街、元町の商店街、フクゾーのトレーナー、キタムラのバッグ、ミハマの靴...浜言葉マイカル本牧、ベイブリッジあたりまでかな。横浜の奥座敷に直接東京が乗りこみ、横浜が東京化していき逆に東京でもお台場が開発され、レインボーブリッジが出来、ベイサイドビューで横浜のお株を奪う。横浜の魅力が急速に薄れていった。桜木町までだった東急が中華街まで乗り入れ便利になったのが最後。東京を越えたおしゃれの街だった横浜が東京に完全に飲み込まれてしまった。とか思いながらアウトドアのデッキで気持ちよくお茶していたのが、日差しがかげりときおり強いというほどではないが風も出てきて少々寒い。ちょうど、お目当ての難波さんがやってきて、ころ合いとみて屋内に入る。しばらくするとRobertoが到着し、打ち合わせ開始。16時前に、僕の次の用事の都合で退出。横浜からの帰りに崎陽軒のシューマイを買って帰ろうと思ったところが、あわただしくなってしまい、そのままに。
October 7, 2010
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今しがた帰った友人がこんなことを言っていた冷静に考えてみると、最近何かへんなことばかり多い。ついに起訴議決に至った一連の小沢疑惑の経過障害者団体向け割引郵便制度悪用を疑われた厚生労働省元局長は逆に不起訴となったわざわざ民主党代表選挙の真っ最中に中国と事を構え、突然腰砕けのように釈放ここまでは検察がらみだが、今しがた日銀はゼロ金利を含む「包括緩和」で、金融政策が異例の世界に入るといったらしい。「変な」ことばかりのうちはまだいいが、今に「大変な」ことが起こるのではと心配になる。迷信のように言えば、天変地異、すなわち大地震だが、それより、変なことの後ろに大変なことが隠されているのではあるまいか?目下の最大テーマは、景気低迷下の消費税引き上げだが、いろいろなことが行き詰る中、それこそ東京の機能に障害を生ずるほどの大地震、或いは、戦争に限らず日本を巻き込む国際間の紛争とかをきっかけに、曲りなりにも戦後65年続いてきた現在の社会構造を恣意的、包括的に変えるようなことが起きないだろうか?何か不自由で抑圧的な世界が、そこまで来ているような気がしてしょうがない。自分も前日、人と話をしていて、おかしなことが起こる後ろでは、もっとおかしなことが起こっているような嫌な感触があるということを言った。年寄り(早い、そんなことやると老けこむぞと言われるが、最近自分が年寄りと自覚して発言するよう心がけはじめた)が、万が一役立つとすれば、そんな警鐘を鳴らすところ、と言いたいところだが、当たるも八卦、当たらぬも八卦。当たらぬほうが良いにこしたことはない。だが、マスコミの論調も大分長くおかしくなってしまっている中、少なくとも同じ感覚を持った人が居ることは、この場合うれしいことではない。明日は午後から横浜
October 5, 2010
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前日(実際は午前さま)は池ノ上の魔人(マント)に、友人の順ちゃん(といっても1943年生まれだが、まだ現役の会社役員)の67歳誕生日前夜祭。ボンベイサファイアと誕生日にご進呈した赤ワインにご機嫌で帰宅。そんな日曜日のアサイチは、国勢調査をインターネットで記入してみた。多少使いづらいかな、分かりづらいかなと感じるところはあったが、10分もかからず処理が終わり、手で書かなくてよかった。だが、国勢調査は良いが、手軽さの中で、現代は、ますます、苦労して何かを成し遂げる達成感を得ることが難しくなっている。一方、現代は過去から引き続いて、お金は苦労の対価であり、労せずしてお金を得ることができる期間は短くなってきている。遅目の朝食は息子が外出で、飯を食いにやってきた娘が代わりに加わる。娘は26歳になった。「気がついたら、優秀な子は雑用と社内接待みたいなのばかりの仕事に、こんなことやってらんないって転身してしまい、上の階(事務部門らしい)の子はみんなとっても可愛くて結婚していて、それも社内結婚ばかり。中途半端な私だけ取り残されてる」「何かやりたいことはあるの?」「小説家にでもなろうかな」「なんか書いてる?」「全然」仕事と遊ぶのに忙しすぎて、何かを書く時間はない。「技術系は別として、サラリーマンをやればやるほど、多くの人は自分の才能を発揮するやり方を忘れていくような気がする。俺なんか典型的だ」「どうしてなの?」「上司との関係は良好であることが望ましく、取引先とも人間関係を築けと言われるでしょ。そういうことって、往々にして他人との比較で優劣を決めて評価されて、自分の才能で何かを切り開いていくより、人間関係によりかかって生きるってことに流れやすいと思うんだ。人間関係に徹して生きるのも一つの才能だが、そういう環境で働いて、若いうちに自分の才能の結実でなく、テクニックとか要領で対応して満足するようになると、才能を磨く前にお金が入り堕落してしまい、磨く努力を忘れやすいんだ」「ふーん」「最近、朗読を聞くんだ」「僕も大人のための朗読会ってのをときどき聞きに行くよ」「ううん。CDとかインターネットだよ。こないだから幻想文学を聞いてる中に志賀直哉の剃刀というのがあるんだけど、何度聞いても分からないんだ」「寝る前に聞くからだよ」「そうじゃないよ。夏目漱石も、谷崎潤一郎もちゃんと頭に入ったよ」「志賀直哉って文才ないんじゃない?」「だって、小説の神様って言われる人だよ」「漱石とか谷崎と比較して さ」「そうじゃないんだ。読み手なんだな。図書館のCDで借りたんだけど、橋爪功って剃刀には合わないみたい。橋爪って読み方がちょっと軽いんだな。夢十夜とか、谷崎はいいんだけどね。ネットで井川比佐志のを聞いたら、一発で頭にはいった」「字面で読んでるか読んでないかも関係するんじゃない?」「そうだなぁ 翻訳みたいなものかもね」「翻訳?」「サリンジャーでも、野崎学の訳と村上春樹じゃあ全く違うでしょ。チャンドラーでも、清水俊二と村上春樹は違う。チャンドラーは清水俊二のほうが締まってていいと私は思うけど。同じIだって、私、僕、俺のどれを使って訳すかで雰囲気が全く違う。それが、いくつもいくつも重なってく。作者の感覚は、訳にもよるし、時代にもよるし、イマジネーションで自分なりに再現するわけ。それが、朗読になると、イメージが読み手の感覚に収斂していくから、自分の考えてる雰囲気と違うと、あれって思ってるうちに置いてかれる。だから、朗読は読んだことのないもののほうがいいかもしれない」「へぇ」「今、金木犀が咲いてるでしょ」「あれが金木犀か。俺沈丁花か金木犀か知らないんだ」「同じような三文字の木だからね」「それで?」「あの臭いってどこか加齢臭と共通したところがある」「俺はわからないなぁ」「一時より全然加齢臭なくなったよ。よかったね」「...」「加齢臭の臭いとの共通性は、加齢臭のある人にはわからないと思う」「それはそうかもね」「ううん そうじゃないの。加齢臭と共通する臭いの部分は、加齢臭をもってる人は自分の臭いと一緒だから、同じ臭いをかいでも認識するのは、自分の臭いと違う臭いだけじゃない?」「そうだろうね」「だから、加齢臭を持ってる人は、金木犀の臭いが加齢臭と共通してるとは思わない」「俺の加齢臭は、金木犀か?」「だから、最近は臭わなくなってるって言ってあげたでしょ」「それって、君に加齢臭が出てきた結果ってことじゃないの?」「なんてこと言うの!」
October 5, 2010
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前回あったとき、花火見物に新潟の「片貝まつり」へ行くと言っていたHさんと久しぶりに会う。近くに友人たちと共同で山小屋をもって30年というから年季が入っている。「花火いかがでした?」「よかったですよ」「四尺玉はどうでした?」「さすがに迫力がありました。普通に上がるスターマインとかは一尺玉ですが、四尺玉は地上800mまで打ち上げ、そこで直径800mに広がります。ただ、四尺玉はさすがに重いんで、上がっていくのは、ほかのに比べると苦労しながら上がっていく感じがあります」そいつはどうかなぁ?途中で加速出来ないだろうから、初速を早く打ちあげなきゃいけない?だけど、ゆっくり上がるように実際見えたんだもんな...「田舎の花火ですから、のんびり上がるんです。7時半から始まるのかな?4尺玉は最後に一発だけなんです。始まる3時間ぐらい前に行きますから、都合7時間。面白いと思ったのは、地元の浅原神社のお祭りなので、打ち上げるときの放送で、スポンサーの名前を言うんです。一番多いのが、だれそれさんの何回忌というの。それから、だれだれさんのご長男お誕生とか。そういうった都度、何万円か寄進して花火をあげたのでしょう」
October 5, 2010
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外資へ転出する前、日系企業で国際事業部長というのをやっていた。開発から、総務、企画、秘書と部門を移る中、ヒラから係長、課長と昇格。順調に過ごしていたときに突然、青天の霹靂。確かにその10年前に海外担当の経験はあったが、40にもなって、今さら海外とは...会社初の海外大型プロジェクトは、お荷物化が懸念される一方、すでに時代は移り、かつての担当が享受していた好待遇は昔日のこととなりつつあった。海外事業の統括と、海外関係先との連絡、調整が主たる業務であり、インターネット普及の直前で、さすがにテレックスは無かった(そのしばらく前まではテレックス全盛だった)が、海外との連絡は、ファックスと電話、量の多いものはDHLも利用した。そういう時代なので、どうしても部員の残業が悩みの種。そんな時期、会社で一部部門にフレックス制導入が図られ、強硬に反対したものの、人事、企画、労組から特にやり玉に挙げられ多勢に無勢。フレックス導入を勝ち取った労組の鼻息は荒く、残業目標厳守を約束させられるが、さして多くもない部員は、営業、経理、事業管理、ファシリティなどそれぞれ専門化し、国籍も何カ国かにわたり、他部門と異なり、仕事を割り振るに誰が何でも良いとはならない。他部門の海外マターへの役務提供は役員会決定事項で拒否は出来ず、逆は言葉の問題で、人を頼むぐらいなら自分たちでやるほうが、それでも労力が少ない。部内ミーティングをやるのにフレックスのコアタイムを利用しようとすると、その時間帯は、本社内他部門との会議、連絡が集中。やむなくほとんどの連絡は文書回覧で行うが、出張者も多く、ひとつの文書が部内を一巡するのに、半月以上かかることも。それでも、在任期間に懸案であったプロジェクトを立ち上げ、新たに2カ国に進出。投資と運営の分離(初期の不動産投資ファンド)などの手法を導入するなど、海外事業全体として全社利益の数%を稼ぎだしたのだが、社内はそれを会計操作と疑い、評価しようとはせず、部員の不満は一気に高まった。もっとも、投資と運営の分離は、結果としてそういう形になっただけのことであり、当時の日本の金融機関は、このようなプロジェクトファイナンスに応じることはなかった。2000年代の一時、不動産投資ファンドが全盛を極めたあと急速に下降線をたどり、勢いに乗って上場した会社が次々と破たんしていく中に自分も翻弄されたが、投資と運用の分離には、その間も、当時も現在も引き続いて懐疑的であり、当時の社内の評価は、不満はあれど、正しかったと思う。事業統括は所轄外と、総合企画に業務を引き受けるよう、これも言葉の壁を理由に断られ、社長に泣きついて、ようやく経理と人事管理は、それぞれの部門に膨大な作業ののち、移すことができたが、増員要求に対し人事が応じたのは、たったの1名。あげく、人事が指名した社員が内示を拒否し退社(他社からの引き抜き)するにおよび、堪忍袋の緒が切れた。折からの外資からの誘いに乗り、移籍。時代の流れ。その後数年、そんな自分を追うように、多くの部下、社員が業界に身を投じた。そんな業界に身を投ずる先鞭をつけた実態には、管理職失敗を糊塗する意思が含まれ、おおよそ聞かれればやめておけと言った。しかし中には自分の下へ移籍を誘った人もある。業界に身を転じた人々が多く苦吟する今、早めに抜けた自分に先見があるとは思わない。
October 2, 2010
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「尖閣の問題は困ったね」「総じて見れば列強の資源再配分だから、今の中国は第二次大戦前の日本と一緒」「会社で誰かが、最後はどこかで戦争になるって言ってた」「ドンパチやるばかりが戦争じゃない。見方を変えれば、今回の尖閣問題は小ぜりあいで、軍隊こそ出ていないものの、お互い手の内のさぐり合いだ。戦争は外交の中の一つの選択肢だ」「あ、それ危ないんだ」「何が?」「海上保安庁は軍隊じゃないってのは日本でしか通用しないの」「海上保安庁は、国土交通省の管轄で、海の警察でしょ?」「アメリカのCoast Guardは軍隊だよ。US Coast Guardが軍隊なら、Japan Coast Guardも軍隊じゃない?だいいち日本人だって中国が出してくる哨戒艦は軍隊だと思ってるでしょ。同じものが中国では軍隊だから、日本が逮捕したの海上保安庁で国内法で対処しますって言い張っても、中国人にとっては日本の軍隊が漁船を拿捕したって考えるんだよ。会社の中国人はそう言ってるよ」「...そうだなぁ」「あれって実はね。日本が実効支配してて、日本の領土だって主張するから中国は手出すんだよ。日本が、そういうなら解決つくまで、アメリカか台湾に信託統治させましょうって言ってみりゃあいいんだよ」「焦土作戦だね」「だって、そんなこと日本の政府が言うわけないじゃん」「だからぁ、自分で言わないで鳩山さんあたりにボケで言わせりゃあいいのよ」「....」海上保安庁は警察であって軍隊じゃないってのは、世界標準でいえばグレーゾーン。外向いてモノ言わねばならない組織に、ある意味国内ばかり向かせていたから、こういうことになっている。形と言葉にとらわれすぎた日本は、憲法九条がありゃあ平和だと思っている。守るべきも護るべきも、その本質は平和であって、憲法九条じゃない。別にこのことに限らず、必ずしもいいこととは思わぬが、世界は物事を、肩書き、形、言葉、定義ではなく、実質でとらえるようになりつつある。菅内閣は自らを「有言実行内閣」と言うらしい。形容詞、修飾語が多くなるのは、美辞麗句を連ねた戦前、或いは、北朝鮮のテレビで喋ってるおばさんを思い出す。余計な修飾語はいらんから、ちゃんとやっとくれ。「いくらなんでもありゃあないでしょう」「写真出さなかった理由が分かったわ」「オヤジも変な奴だと思ったけど 息子 あれはいけない」「胡錦濤さんは、後継ぎにするのはやめとけって言わなかったかな?」「言えるわけないじゃない。親も親なんだから」「顔って大事よねぇ」
October 2, 2010
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尖閣問題で揺れる日中関係。飛び交う応酬はものかわ、日中ともども激しい論議のほとんどは自国語で言ってみれば国内向け。相手には届かず、対外的には犬の遠吠えである。但し、相手との対話なき国内感情の高まりが、反相手国感情に熟成していく危険を忘れてはならない。一般レベルでの日中間のやりとりは、どの程度あるものか?残念ながらあまりなさそうなことが懸念される。驚いたのはWikipedia日英中それぞれの言語での記載を見ると、一番詳しいのが英語で、現在一部が削除されている可能性があるが日本語版の記載内容が一番軽い。英文中文の記載内容も必ずしも同一ということではないようにみえるし、いっぱい書いてありゃあいいってもんじゃあないが、今日的に重い問題を語る共通認識の部分で、これだけ情報量の差があることはいいことでない。英語、中国語それぞれに使う人が多くあり、特に英語は今日事実上の世界共通語である。どこまで良い意見を持とうが、自分も含めて何を書こうが、日本語である限り、世界への発信にはならず、日本国内の議論に終始しているだけ。英語の圧倒的な伝播力を使った発信力を高めねば、世界に日本の考えが伝わらない。どれほどWikipediaの日本語版を充実させようとも(尖閣諸島についてはそれすら行われていない)、英語で書いてなきゃ事実上世界共通認識にはならない。日本人も、日本国も、そういう方面に使うお金も、興味もなくしつつあるように思えるのは、困ったもんだ。孤立は戦争しないことでも平和でもないよ。
October 2, 2010
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