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3年前の5月にこんなことを書いていた→TPP本当の交渉相手そのとき、僕は半信半疑だったし、その後世間で、そういう指摘をする人にあまり出会ったことがなかったのではあるが、今回の離脱を鑑みるに、「そうかもしれない」と思い当たるところがあるのでメモしておくことにする。:::::::::::::::「TPP本当の交渉相手」の中で、アメリカとか日本が、なぜTPPに参加しなければいけないのかという質問に対し、先輩は、日米英は利益を共有する経済強国EUは経済問題をかかえ機能しない 宗教的にはカトリックTPPからは、EUを除外することができるこれからの成長が期待できる市場を、ドイツとフランス(ロシア、中国)を除外して、日米英が支配するそれが目的と答えた。:::::::::::::::なぜに、TPPの当事国でないイギリスが、TPPと関係するのかについて、同じく、この先輩は、シンガポール、ブルネイ、ニュージーランド、オーストラリア、マレーシア、カナダ...は英連邦しかも、ニュージーランド、オーストラリア、カナダの国家元首はエリザベス女王表に登場しないイギリスが、この協定の背後にある英連邦Common Wealth of Nationsは、ある意味United Statesと同義語英連邦諸国では、組織、法制度と、資本の背景にイギリスがあり、イギリスとイギリスの企業は自分の権益を、いろんな国経由、いろいろな方法で獲得できると指摘する:::::::::::::::TPPの成立により、イギリスは、TPPに加盟する英連邦諸国と最恵国待遇を結ぶことにより、加盟国に準ずる経済的利益を事実上確保する。そこに、EU=大陸諸国の姿はないのである友人にSheetという英国人弁護士がいる。食えないジジィで、きれいなお姉さんのいるラウンジに行ってお勘定を頼み、高いと言って、文句をつける。散々交渉やって、結局払うのであるが、そのあとMy favourite negotiation timeと言って片目をつぶるつまり、ママ(飛び切りの美人)と交渉やっている間も、僕らの席に女性はいるのであり、その間自分はママをタダで確保しているしかも、彼の行く店は、彼が顧問弁護士をやっているEntertainment Groupのチェーンで、最後の捨て台詞はWhat ever they charge me, I'll charge them back「いくら請求されようと、その分上乗せして請求してやる」ただちに離脱手続きを始めろというドイツ、フランスに対し、キャメロンは、離脱手続きは次の首相がやると言って、時間をかせぐ二年間という時間をかけて、離脱交渉は事実上骨抜きにされると、僕は思うしかも、その間、TPPのほうも、日本とアメリカの間で決着する時間が稼げ 両天秤にかけることができるSheet先生のやった通りのことが場所と形を変えて行われているのだ。イギリス人とはそういう、煮ても焼いても食えない奴ら 民主主義の暴走スコットランド独立、北アイルランドのアイルランドへの回帰、シティの没落いま、イギリスを嗤う者は多いシティの銀行たちが、本拠地をユーロ圏のどこかに移転するという。やれるものならやってみろ。テロが横行するいまのヨーロッパのどこに、ロンドンより安全な金融センターが設けられるのか。会社はそうであっても、従業員とその家族が、イギリスを離れて、ヨーロッパに移動することを受け入れるだろうか。パリが、フランスがEUにとどまる保障があるのか?スペイン、フランス、ロシア、ドイツ.....イギリス王国の成立以来、イギリスと戦って勝利した大陸国家はないイギリスのEU離脱BREXITがもたらすイものはイギリスの没落BREGRETより、EUの分解である可能性が高い?3年前、先輩たちは次のように喝破していた「古く中国の三国志、赤壁の戦いに連環の計というのがある。鎖で相互をつないだ艦隊は、安定しているかに見えて、自由が利かず、火責めに弱い。EUは、まさに連環であり、ほころびが必ず出る」その通り、まさに、移民問題、ギリシャ債務その後のEUは先輩たちの指摘した通りの方向へ進んでいる大陸国家とかかわることによる制約を逃れ、自分独自を貫く海洋国家として生きるを選ぶはかの国の本能なのだ
June 30, 2016
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週末、家にいるとカミサンがインターフォンで話している。何かと思ったら、新聞の勧誘。父が在宅中は新聞をとっていたが、それをやめて、もう3年半。その間、新聞の勧誘はせいぜい一二回。不在のことも多いので、勧誘員は回っているのかもしれないけれど、実に久しぶり。もう眼が見えないので と断ったのが、お米5kg、ビール1ダース、洗剤3か月分が景品につくという。眼が見えないは必ずしも誇張ではないけれど、カミサンはひと月10冊以上は本を読んでいる。何を読んでいるのか、僕は全く興味がないので、聞いたこともない。ともかく、新聞は、紙ベースの新聞はいらない。:::::::::::::::「世田谷のイタリアンとか料理屋とかって、そんな誰かみたいに西麻布とか六本木の豪華なとこじゃないんだよね。そこらにある、僕らでも行こうと思えば行ける。正直言えば、積極的に行きたいってほどのとこじゃない。そこでメシ食った領収証を、政治資金で落とす。そのせこさが情けない」「僕にも舛添と同じようなせこいところがある。なんか僕という人間の嫌な部分を見せつけられるような気分で、舛添さんの話はしたくないなぁ」「僕にも同じようなところはある。だけど、彼がよくないのは、政治家、都知事という立場の彼が税金から得たお金だというところにある」会社社長のK君との会話。たしかに僕はせこい。だが、彼の立場で、ああいったことはやってはいけない。父の死去から葬儀にかけては、さすがに欠礼したが、金曜日は、行きつけの店で無理を言って、K君をスポンサーに仲間うちでワインを持ち込んで飲む(各自席料は払う)のが習慣になっている。ここひと月ばかり仲間の一人で常連の読書家Oさんの顔を見ることがあまりなかった。本人の具合が悪かったりしていたのだが、その後、母上のご様子が思わしくなく、そちらのお見舞いとお世話の負担が厳しいとのご案内。先週金曜は、久しぶりにOさんが出席。なんとか元気が出てきているようで、若干話題遅れの舛添問題などで盛り上がり、まずはひと安心。「イギリスのEU離脱(BREXIT)っていうけど、EUってもともとは何だったんだっけ」「EUの前がEC。その前がEECだっけ?」「もともとは関税同盟ですよ」「そうだっけ?僕は石炭鉄鋼共同体だと思ってた」「イギリスがEUを離脱する理由は国家主権と移民問題。僕はイギリスに居たことがあるけど、やはりあそこは大英帝国。階級社会で、移民拒否とはいかにもイギリスらしい」「でもさ、大法官ヘンレーがas soon as a person set foot on English soil, he or she became freeって言ったのが1763年。奴隷解放宣言としてはアメリカより100年前。階級社会を言えば、イギリスより、大陸諸国のほうがはるかに階級社会だ」「ドイツなんか、中学校出たときに、もう、一生の枠組みが決まってしまう」「ドイツはともかく、イギリスのEU離脱で景気は悪くなるだろうね」「安倍さんは、ついてる。総理大臣にはツキがあるってのが、大事だ」イギリスのEU離脱で景気が悪化するであろう先手をとって消費税を上げないと言ったタイミング、ちょうど参議院選挙の直前のBREXIT。いろんな要素を考えて、K君はそう言ったと思う。お国もそうだし、経営もそうだ。ツキがあるというのは重要なトップの資質なんだ。舛添さんには、それがなかった。:::::::::::::::「気分を変えよう」カミサンと話しをして、デミタスコーヒーカップの新しいのを購入。さらに、ふだん使いのテーブルウェア一式も義父宅おさがりのNikkoの山水から、違うのに変えようと言ってはみたものの、そこそこ気に入ったデザインのお皿をみてまさかそんな値段はするまいが、逆に、そんなに安いわけもあるまい「それって、このお皿セットのお値段ですか?」「そちらは一枚のお値段になります」これで一式整えるとなると、天文学的数字になるではないかとてもとても と退散
June 30, 2016
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土曜日の夜、スポーツチャンネルでラグビーのスコットランド戦を見ていた。天皇皇后両陛下が日本代表初観戦の天覧試合。途中までJapanがリードしていたのを終盤でひっくり返され、去年とこのあいだ両方のリベンジならず、返り討ち。この日、夕方、京王線は代田橋ー明大前間の人身事故で不通の時間帯があり、味の素スタジアムの足の便は不自由があったと思うが、それでも、3万を超える大観衆。残念に思ったのは、試合後のインタビューが、僕のお気に入り、スコットランドの主将、Graig Laidlawではなく、負けた日本代表の連中が次々とほがらかに受け答えするばかり。敗者は敗者らしく、くやしさをかみしめ、勝者のインタビューを聞かされる屈辱に甘んじなければ、雪辱などありえない。この状態では、日本代表は100年たってもスコットランドに勝つことはあるまい。だいたい、Laidlawのしかけに、面白いように日本代表がはまって、筋書き通りの逆転劇が演出されたにもかかわらず、そこを聞こうという姿勢がハナから欠けている。Laidlawのインタビューなんて、そうそう日本で聞けるもんじゃないにもかかわらず。さすがに、海外向け放送があったとすれば、敗者日本選手のインタビューなど国辱ものが放映されているわけがないのではあるけれどテストマッチといっても、これじゃぁ地方興業ま、ラグビーの本場スコットランドからすればそんなものではあるのだがそれはそれとして、試合前日は英国での国民投票。スコットランドは反EU離脱で、逆にスコットランド独立再燃とも言われるところではあるが、代表チームの選手たちは、不在者投票してから来日してるの?英国に不在者投票制度ってあるの?あったとして、今回の国民投票でも不在者投票あったのかななどと考えて、カミサンにあきれられた。
June 26, 2016
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Splendid Isolation(栄光ある孤立)英国の国民投票は、離脱が多数。東京市場は一時1ドル=100円を割り込む円高、株価も15000円割れ。娘夫婦にローンがおりなかったのは、かえって幸運だったのかも高止まりしていたマンション相場も、これで環境が変わるだろうとはいえ、低金利もしばらく続くだろうから、良さげな物件を選んで買えばいいさ。我が家的には、まぁそれでもいいんだけど、社会的には困ったもんだ。お昼をご一緒した先輩はこんなことを言っている。EU離脱みたいだねまぁ、あの国は、そういう国だからね。イギリス、アメリカと孤立主義が顕著になっている。これで来年の大統領選でフランス大統領がルペンってことになったら、どうなるんかねぇ?日本はどこに活路を見出せばいいのか?まぁ、アベノミクスも失敗ではないけれど、こんだけ長くやっちゃうと賞味期限切れ。景気対策なんて、借金増やすだけでしょ。やめりゃぁいいんだよ。何やってもダメなんだから。東京は言論の自由がないとことで、これをここらの大学で言うのはタブーだし、ほんとは何が原因で何が結果かってのは、わからないんで、そう断言しちゃうのはちょっと勇気がいるけど、そもそもマイナス金利政策と、物価上昇率を2%に、なんてのは、インフレ時ならばともかく、この時代に、自己矛盾なんだな。フィッシャーの方程式は、名目利子率(i)=実質利子率(r)+インフレ率(π)でしょ今、日銀がやってるマイナス金利は、名目利子率をマイナスに設定したわけだ。同じ、日銀が、物価上昇率の目標、すなわちインフレ率を2%においている。ところが、この二つが決まると、フィッシャー方程式の左右を移項してやるとr=i-πiがマイナスでπが2%だから、実質利子率つまりは投下資本収益は必然的にマイナスにならざるを得ないつまり新しいことに投資しても、もうからないだから、金借りる奴がいない高等数学こねくりまわさないでも、簡単にわかる話でしょ。だから、君が、こないだ言ってた、マイナス金利は続けちゃいけないってのは、いかにも君らしい動物的感覚だが、もう少し勉強してほかの人にもわかるように説明すると、こういうことになるわけだ。:::::::::::::::いつもの通りいびられた
June 24, 2016
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娘夫婦がマンションを買うと決めた。孫娘の保育園が近くに決まらず、ようやく落ち着き先が決まったのが、会社の労働組合の運営で、それはよいのだが場所が武蔵小杉。旦那の勤め先も、いったん、新宿、渋谷に出なければならないこのあたりより、多摩川べりがよかろうということで、だいぶん時間をかけて、物件を決めた。すでに、銀行ローンの事前審査は終了していて、売買関係の手続き書類一式を整えて、本審査に臨んだ。不動産的に特段瑕疵のある物件ではなく、あとは、融資の実行、売買、所有権移転と順調に進むものと、娘夫婦も僕らも、仲介業者も皆、そのように考え、7月2日に引っ越し、4日から孫娘の保育園通園開始、11日から娘の職場復帰と想定。物件内部を多少改装することで、内容確認と見積もり、引っ越し業者との調整、見積もり、さらに、幅が合わないためもっていけない冷蔵庫、中古物件のため空調機一台は交換ということで、これらを購入そこまで進んでいたのだが......今週月曜夕方、娘宅に立ち寄ったところが、娘から話を聞いて驚いた。なんと、直前にローンを申し込んだ銀行から、本審査が通らず、ローンがおりないと連絡があったのだ。銀行は理由は言わず、単に、物件として問題があり、本部の審査が通らないという。娘はカンカンに怒っていて、手付金も、仲介手数料も、不動産登記費用も、全部パーになる。銀行に損害賠償請求できるかと聞く。そこは大丈夫、一応仲介業者にも確認すればよいが、ローン特約というのがあって、ローン審査がおりないことを理由に売買契約を解除する場合には、手付金、仲介手数料などの費用は一切かからないと説明、急ぐのは、冷蔵庫と空調機をキャンセルするべしと指示。仲介を依頼している馴染みの不動産業者に連絡して、事情を説明、今後の対応を相談したいと申し入れる。翌日、引っ越し業者をキャンセル。カミサンに簡単に、メールで事情を説明。彼女もご立腹。売主側の同意が得られれば、金融機関を替えて、再度ローン審査に臨むという手もあるのだが、娘はともかく、婿さんがケチのついた物件は、もう買う気がないという。火曜日、水曜日が売り手側の仲介業者が休みなので、二日間、考えて結論を出せと言って、その場を終え、一時間ほど遅れて、夕方の用事先に外出。月曜か水曜と言ったのを、月曜中に、と言われた頼まれごとで、ローン事件に頭が行っていて気もそぞろで申し訳ない状態だったが、どうにか、用が足りて、帰宅。一足先に帰宅していたカミサンに、状況を詳しく説明。といっても、ローンがおりない以外の情報はないのではあるが。頭を冷やして、水曜夕方、娘と話す。「建築的な問題はないと、仲介業者は言っている。あとは、入居者、周辺、あるいは、売主にいづれかにペルソナノングラータがある可能性があるが、それは、個人情報保護がある以上、銀行は明らかにしない。買う買わないは、君らの判断で、僕はどちらでもよい」なにせ、孫娘の保育園と娘の職場復帰。これが動かせぬ以上、できる限りの対応は考えねばならない。娘から意外な反応。「最初は大変だと思うけど、私とナナちゃん(孫娘)は、ひと月もかからないうちに慣れるでしょう。ここから通うよ」「君らはそれでもいいけれど、旦那さんの通勤が大変っていうのは、変わらないよ」「ひとつの銀行がどこかローンを出せない理由がある物件を不安を抱えながら買ったり、慌てて、変な物件を買ったり、借りたりするより、いいよ。そのかわり、手伝ってね」「それは構わないけど......」強い人である。女は、母は、強いというべきか。物件そのものの問題もあるが、確かに、英国がEUを離脱したり、米国大統領にトランプが決まったりすれば、日本経済への影響は相当のものがあると予想される。ローンを抱えて、不況に突入する。あるいは、不動産相場が大幅に下落する。そういうことを考えれば、幸いなことなのかもしれない。カミサンもそう言っている。だけど、娘はたいへんだ。ジイサンの僕にできることは限られている。だが、それでも次のミッションは降ってくる。それでも、僕らは生き抜いていかねばならない。
June 23, 2016
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承前6月5日日曜日朝7時半起床息子と3人、朝めしを食べて、支度を整え、8時半過ぎに家を出る。前夜からのあいにくの雨だが、この分ならば、もうすぐにあがりそうだ。娘宅と一緒にでかけることにしていたのだが、孫に手間取り、あとから行くと電話がある。僕は、9時ぐらいでいいと言ったのだが、カミサンが「喪主なんだから9時までには到着しておかねば」と言い張った。案の定、甲州街道までなんなく出ると、そのあとも順調。中野通りを右折して二本目を左折。10分ほどで代々幡斎場に着いてしまう。幸い、雨はあがり、カミサンと息子が父にお焼香している間にネクタイを締めて上着を調え、僕も焼香。二階に上がる。葬儀社のスタッフが、お昼の食事の人数を確認しに来る。「一人前余計にしといて、もし足りなければ、僕の分をまわして」と云いおく。妹がやってきて、母方の従妹が急遽出席すると連絡があったという。殆ど面識がない。電車では間に合わないので夜行バスのようだ。やはり、一人追加しておいてよかった。日曜とは言え、告別式にお越しいただけるのは、父方の親戚筋が殆どあとは、妹の嫁ぎ先から義姉が高齢のご両親にかわり通夜に引き続いてご列席いただくぐらい。控え室で挨拶などするうちに時間が過ぎ、会場に案内されて、おやおや、ご連絡いただいたのに、従妹の姿は見えない。まもなく、導師が入場し読経が始まる。前日の通夜同様、ゆっくりと焼香を進め、さらに初七日の法要へと進む。気がつくと従妹さん(らしき人)もご到着いただいているもよう。法要が終わり、弔電を二三通ほどご披露のあと、お坊さんからお話しをいただく。父の経歴から、戒名を遂字説明。若いがなかなか手際がよく、いい。ただ、このあと、喪主挨拶があるのだが、あそこまで経歴説明されると、こちらの話すことがない。告別のあと、花入れ。幸いお花はたっぷりある。これでもかというほどのお花が入り、娘に抱かれた孫も、父の足元へ二個三個と「お花ぽーん」といいながら、花を投げ入れてくれる。釘打ちはなく、そのまま喪主挨拶。お坊さんと重複するのを避け、簡潔に済ませた。こういうとき、僕は、比較的長い話をすることがあり、意外そうな顔の皆さん。出棺。ストレッチャーに棺を載せ、斎場の中を移動するだけ。この移動をストレッチャーでなく、わざわざ霊柩車をご利用になる方があるらしい。僕が故人ならば霊柩車に乗りたいと言うはずもない。霊柩車は何らかの意味があるものか。あるはずないよな。せいぜい100年ぐらいのもんだもの。面白い風習が作られたものだ。僕は教養がないから、父の戒名はお坊さまからいただくことになったが、祖父は自分で戒名をつけた。父は祖父のことをそれほど悪く言う人ではなかったが、このときばかりは「オヤジが吝嗇で」と、密蔵院の先代の住職吉田俊誉さんに頭を下げた。だが、今日よく考えてみると、祖父は明治の人。大学で漢文を講じた教養人で、吝嗇とか傲慢ということでなく、戒名をいただく、その坊さんたちを教えていたのであって、戒名をわざわざいただく意識はなかったのではと思い当たる。実際、家の法事でも彼は坊さんを呼ぶことなく、自分でお経を読み、法話のようなものを語るのが常であった。昔は霊柩車などあるはずもなく、法事そのものが、この100年大きく変化している可能性はかなりある。そのあとの葬儀は、型通り、つつがなく終了した。終わったあと、皆で食事した。その席で、僕は喪主として父の思い出を語ったのだが、少し違うニュアンスの話をした。そのことは後日、項を改めて書くことにする。食事のあと、会葬の御礼を申し上げ、解散。息子に送ってもらい、家についたのは、二時前。代々幡で葬儀を行うのは、ひとつには、時間のことがある。告別式はだいたい10時とか11時から始めるのが通例。代々幡で10時、告別式ならば、火葬が11時。これを代々j幡とか、落合、堀之内など以外で行う場合、どうしても、火葬場往復の時間を要する。移動の時間がかからぬから、混雑もせず、みなさんの一日をつぶさずに済むのである。帰宅して、仏間を整え、お線香を焚き、着替える。息子が、そのまま車で帰宅し、そこからは切り替わって、日曜の午後。僕らにも日常が戻ってきた。
June 21, 2016
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承前とにもかくにも、なんとか整え、通夜の日を迎えた。息子に車で来れれば来てくれと頼む。家の車でもいいのだが、そちらをまだ幼い孫を連れて行く娘たちに使ってもらい、僕らは息子の車で楽をしようという算段。午前中から午後にかけては、ふつうの土曜日。最初に僕が出かけ、戻ってきた頃、今度はカミサンが出かけ、カミサンが戻ってきたところで昼飯。通夜の日は、精進料理なのかな、などと思いつつ、魚をおろしている息子から車で行くと連絡があり、車庫を少し整理「何時に家出る?」「会場が開くのが5時前でしょ。だから、それまでには行かないと」「じゃあ4時半ぐらいに出ればいいかな?」「それじゃダメ。4時だね」「そんなに早く着いてもしょうがない」「あなた、喪主なんだから、お客さまお出迎えしないと。喪主があとから行って、皆さんにどうも、って挨拶するのは、あなたらしいけど、間抜け!私はそんなの嫌ですからね」3時過ぎに息子がやってきて、式服一式に着替える。僕も黒のスーツに着替え、上着を羽織って、さぁ出発カミサンの言いつけ通り4時前に家を出るのだが、あんんまり早いのはいやなので、甲州街道に抜けることはせず、松原のオオゼキの先から、梅ヶ丘に曲がり、世田谷代田から環七に入り、井の頭通りで右折。本当は、オオゼキの先から羽根木公園脇を抜けて芹沢邸のほうから井の頭通りに出たかったのだが、狭い道は嫌だと息子に拒否される。北沢五丁目で中野通りに入り、すぐに幡ヶ谷方面へ右折それでも4時半には会場に着く。「まだ降ってないけど、雨だな」「夜中から明日にかけて雨だって」車を駐車場に止めて降りると、ほぼ正面がわが家の祭壇。思ったより、お花の祭壇は小さい。なんだ。値段は高いけど、たいしたことないな と思ったが、そりゃあ白木の祭壇を使いまわすのをやめてお花の祭壇にしたのだから、比較的若いとき といっても、妹の結婚式のときだから、ちょうど今の僕と同じぐらいのときの写真を使った遺影は、ちょっと出来が良すぎる。あれじゃぁあの世でお袋がカンカンになって怒るだろう。ま、いいさ。仏壇が老人写真コレクションみたいになるのは、いやだ。高齢社会には、それなりに考え方を作っていかないとね。ネクタイを締めて、支度が整った。葬儀社のスタッフが挨拶しにやってきて、いくつか打ち合わせをしたあと、祭壇にお参りして、二階の控え室に上がる。三々五々、親戚がやってくる。妹のところ、叔母たち、義妹.....おっと、お義父さんが来てくれた。父と同じ大正11年生まれだが、スーツを着て、しっかり歩いてやってくる。たいしたもんだ。大阪勤務の従兄弟が来てくれた。彼は来れないだろうと、諦めていたのだが、これで、献杯は彼に頼むことができる。(血のつながっている男性というのが、献杯の音頭をとる人の資格なんだそうだ。少子高齢化の中で、そうもいかんご家庭がいっぱいあるだろうに) 久しぶりに会う従兄弟は、いい。写真の父よりは少し若いが、彼には父(彼にとっては伯父)の風貌が強く残っていて、なにかまぶしい。何より驚いたのは、もう一人、父の亡き妹の息子である従兄弟が家族全員を連れてやってきてくれたこと。ヒューストン駐在の彼は、奥方に電話した日はコロンビア出張中。いくら義理がたい彼としても、来れないよなぁと思っていたのが、目の前に現れた。真っ黒に日焼けして精悍な彼は、父と亡き叔父の風貌をあわせ持つ。礼を言いながら、思わず握手してしまった。これもうれしい。「成田から直行して来ました」席を勧めるが座ろうとしない「そうか、コロンビアからじゃぁ24時間座りっぱなしかい?」「いや、ちょっとした手違いでロスの空港の床で寝てきましたから、24時間てことはないですね」まったく疲れた様子もない。やはり陸軍大将、軍事参議官の孫ともなれば、俺たちとは鍛え方が違う。 たいしたもんだ。年に一、二回、帰国休暇が取れるのが一般だが、実際には、「こういうときでないと帰れませんから」簡単に言い放ったが、従兄弟はそういうヤツだ。用意が整い、階下に下りてしばらく、「失敗したかな?」思ったより来てくれる人の数が多い。「席が足りるだろうか?」挨拶状とか香典返しは数があるが、部屋の席はそうはいかないまさに、あと一席というところで、葬儀が始まると呼ばれ、どうにかなるかな。お坊さんの読経が始まる。葬儀社の紹介で、布田の常性寺さん。鎌倉時代からの名刹だ。読経の中、後ろの席から不思議な息遣いが聞こえる誰か呼吸が苦しい人があるのかと、心配したが、さにあらず孫娘の息遣いま、泣かずに、この程度ならば読経の中、僕らの焼香それほどの人数ではないので、喪主夫妻の僕らはしごくゆっくり丁寧に焼香あとに続いた妹夫婦も、そのペースで、ゆっくりと焼香が進む。娘は孫娘を横につれて焼香孫は焼香しない、やらない、できない?あっちを見たり、こっちを向いたりしたが、母親の焼香を珍しいものを見る(実際珍しいといえばそうだ)ように眺め、まぁだいたいおだやかに済ませ、娘はそのまま、室外に退出していった。年配の親戚も多いので、ゆったりしたのは、その方々にも無理がなく正解とカミサン皆さんのお焼香が終わり、ほどなく、いいタイミングで読経が終わり、お坊さまが退場通夜の葬儀はそこまでで、あとは、二階に上がって、食事。人数が予定より多いが、まぁ、こういうときの食事は余るのが通例だから、だいじょうぶだろう孫娘は、色の濃い洋服を汚してしまい、お着替え階段を上り降りして大喜びしている。父の末妹である叔母から祭壇のしつらえにお褒めをいただく「あれ、ミニマリズムっていうのかしら。余計なお花がなくて、お写真とお位牌だけでシンプルでシンメトリー。緊張感があって、写真も良かった」確かに、親戚一同とか、何某会社代表取締役とかがなく、文字はお位牌の戒名だけ。妹ならずともご異論はあろうが、思った以上の効果食事の席父が入居していた高齢者施設の施設長とスタッフが一人葬儀に参列していただき、無理を言って、残ってもらった。「賽の河原の石積みのごときに思えるであろう厳しいお仕事ではあるけれど、お世話になる高齢者だけでなく、本来介護に当たねばならない僕ら現役世代を介護から解放し、僕らへの救いと、生産年齢人口の減少を防ぐ大事なお仕事」改めて御礼を申し上げる。棺の上に置かれる守り刀に使ったのが、父の遺品である「指揮刀」「爺さんのは戦災で焼けてしまったので、ウチにはないんですよ。よく残ってましたね」コロンビアからきてくれた従兄弟。「君の爺さんのは本物だけど、オヤジのは模造だろう?さびてないし」「あれ、本物見たことありますけど、さびないんですよ。ウチのオヤジが、あれ、うらやましがってまして、オヤジさんは級長だったんで、御大展で天皇陛下を騎乗でお迎えした、そのときに頂いた指揮刀なんですよ」その話しは、祖父から聞いたことがあるが、本人の口からはない。本物 なのかな?同じく思い出の品として持参したのが置き時計。新しいものだが、一応、内閣総理大臣名でいただいたもの。といっても、たいしたことはない というとばちが当たるかな?父は出征して戦地にあったが、その期間が2年半で規定の3年に満たず、恩給不適格者。慰労とお詫びを兼ねて、いただいたのが感謝状と置時計なのだ。これも評判が良かったのだが、念のため従兄弟に聞いてみた。「お宅にもあるんだろう?」「すみません。ウチのオヤジは、士官学校卒業と同時に満州へ行きまして、同期の中では珍しく恩給いただいたんです」なるほど。カミサンの義父が、義妹と一緒に帰ると言い、それを潮に散会。さすがに93歳。一人ではと思ったら、どうせ車で同じ方向だから と、元気なもの。見た目には70代でも通るだろう。100まで行くかもしれない。 息子の車をカミサンが運転して帰宅。あとのことは覚えてない。
June 21, 2016
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火曜日の朝、葬儀社から電話がかかってくる。「代々幡斎場は本日受け入れ可能でした。午前中湯灌のあと代々幡にお移りいただけますか」無論、異議なく了解9時過ぎ、娘が孫娘をつれてやってくるが、父の安置してある部屋には足を踏み入れられない。孫娘が入ろうとするのをとどめている。彼女からすれば祖父ではあるが、遺骸が家の中に安置されてあるは、彼女にとって生まれて初めての体験。孫娘がそちらに足を踏み入れんとするは、母親の本能として抵抗があるところなのだろう。わが家の電動自転車を借り出して孫娘とどこか遠くまで出かけていった。10時過ぎ、妹がやってきて父に挨拶する。10時半、葬儀社の担当が、納棺師=いわゆる「おくりびと」を帯同し、車二台でやってきた。納棺師は、若い美形の男女お二人。あくまでも礼儀正しく、丁寧で配慮が行き届いている。これぞプロフェッショナル。車二台は両方とも少し大きめのバンタイプ。一台は棺を載せたもの。もう一台は湯灌用で専用機材を積んでいる。専用機材のメインはバスタブの上にトランポリンのネットのようなものを張ったもので、そこに電源コードと給排水のホースが接続されてある。 部屋にバスタブを入れたあと、コードとホースを車から玄関を通してつなげようとしている。ちょうど蝿が飛んで入ってしまい、玄関が開け放しになるのは、いかがなものかということもあり、部屋の車庫側の雨戸とサッシを開いて、そちら側から通してもらう。電源については、たまたまその位置に屋外電源をしばらく前に回しておいてあり、そちらを利用してもらう。準備が整うと、納棺師と僕らの手で、ご遺体を床から持ち上げ、バスタブネットの上に移動。ご遺体の背中をぬぐい洗いしながら、儀式の意味を説明してくれる。髪に櫛を入れ、髭を剃る。床屋と同じ。そのあと、おそらく今度はお腹側を清め、経帷子を着せているのであろう。ご遺体の支度が整うまで、僕らは別室に移り、時間を待つ。しばらくして、お支度が整いましたと呼ばれ、今度は、棺に移されたご遺体に手甲、脚絆をp着せそれらの紐を通して結ぶ儀式、頭の三角巾(天冠)の紐を結ぶ儀式、草履、お握り、六文銭の入った頭陀袋を入れる儀式と続き、それが済むと、棺を搬出し、車に載せて、湯灌の儀式の終了。遺影の写真をどうするかの相談。「近影は、年寄りくさくて嫌だな。長寿化で、どうしてもそうなるけど、僕は、元気だった頃の写真を使いたいんだが」妹は、意外そうな顔はしたものの同意し、妹の結婚式のときの記念写真を拡大することにした。(これは、葬儀のとき、参列者の皆さんから非常に好評であった。お袋の遺影は歳とってからのものだったから、これは死んであっちへ行ったときに文句を言われるに違いない)葬儀出席者の人数確認(前夜、意を決して親戚関係に電話して訃報を伝えたが、出欠の詳細はわからない。米国駐在中の従兄弟には、留守宅の奥方に連絡したところ、その日はコロンビアに出張中とのこと。葬儀の段取りを、最終確認して、葬儀社の担当、妹 と送り出して昼飯。今度はカミサンと父の入居していた高齢者施設の居室の整理に出かける。いくつかのものを持ち帰り、衣類、寝具などは廃棄。シェーバー、加湿器など使えるものは施設に寄贈して、部屋をきれいにすると、入居契約の解除書類を渡される。喪服、ワイシャツ、ネクタイ、靴、靴下などの服装を確認。カミサンに喪服をこの際、新調したらどうかと、買い物に出かける。気に入ったものがなく、喪服は新調せずに済んだが、ブランド物の小物入れを購入。これは後日、娘からお褒めをいただいた。たぶん、そのうち彼女のものになってしまうだろう。帰宅して夕食。二人とも葬儀まで休みなので、安心して録画しておいた映画を見て就寝。
June 10, 2016
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療養中でございました父が 去る5月30日に永眠いたしました ここに謹んでご案内申し上げます 葬儀におきましては、誠に勝手ながら親族および一部関係者のみにて執り行いました 本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことを お赦しください 尚 お供えや御香志につきましてはご辞退させて いただきたくお願い申し上げます 生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら本文をもってお知らせ申しあげます平成28年6月:::::::::::::::5月30日、父が亡くなった。午前中用事があり、定例となってしまった父への朝の訪問がかなわず、昼メシをようやく食べようと店を探していると、携帯電話が鳴った。父が入居中の高齢者施設から。前日、叔母たちが訪問したとき、ふだんと様子が異なり、もしや。「お父さまですが、さきほどから肩で息をされるようになられており、お知らせしたほうがよろしいかと」担当スタッフが息せききって話す。「分かりました。すぐ、そちらへ向かいます」返事をして、カミサンと妹、子供たちに同報でメールを打っていると、再度施設からの電話が入る。うまくつながらず、折り返し二度、三度電話するがお話し中。メールを打ち終わり、再度電話すると、ようやくつながり、スタッフを呼び出す「お電話のあと、すぐに呼吸停止となられてしまっています。お電話がつながらなかったので、妹さまにお電話をさせていただき、先生(医師)にもご連絡をして、皆さんこちらへ向かわれております」雨が降り始めている。傘はない。急ぎ家路につく。いったん帰宅して自宅から施設に向かってもさして時間のロスはない。いくつかピックアップしたいものもある。車内でメールなどを打っているうち、家には30分ほどで到着。娘からメール「わかりましたどうすればいい?」「すでに逝去。これから現地へ向かいます。わかり次第連絡します」息子から「分かった。そちらへ向かうか?」返信「逝去との連絡。詳細不明。後刻連絡する。仕事を続けられたい」妹から「病院から連絡あり。呼吸停止とのことです。これから向かいます」カミサンとはまだつながらない。葬儀社に連絡して、今後の必要事項を確認する。多少の着替えと、かねて用意の準備一式を持って家を出たのは、第一報から35分ほど。10分ほどで父の高齢者施設へ到着すると、施設長が手短に医師の診察がすでに終わり、心停止、死亡が確認と死亡届けの書類を渡しながら報告する。急ぎ、受付を済ませ、居室に上がると、ちょうどスタッフが父の着替えをしている。挨拶と哀悼の言葉のあと「何にお着替えいたしましょうか?」思わぬ質問だが、クローゼットを一瞥し、「背広にしていただけますか」と回答。93歳男性の平均寿命を大きく超えている大往生と言っていいだろうズボンとワイシャツまで着せたところで「ネクタイはどうしますか」赤系のものと青系のストライプのものと二つに一つ。「本来はこちらの青でしょうが、好きだった馬の模様なので、こちらの赤にしてください」そこへ妹が入ってきた。再び挨拶と哀悼の言葉のあと、「ネクタイを締めて差し上げていただけますか」妹がネクタイを締めようとするが、うまくいかない。おいおい、それじゃぁ上が短すぎるぞ、やり直しだ「他人(ひと)のネクタイは締めたことないので、うまくいかない」「ゆっくりでいい」父の着替えが終わり、部屋の整理が一段落するとスタッフは退出。妹と二人葬儀のことなど話さねばならぬのだが......改めて父に別れを告げ、今度は辛い話をしなければならない。辛いのは、父が亡くなったからではない葬儀について、僕と妹は、全く考えが異なるむろん、葬儀だけのことではないメールをやりとりしながら、時間を稼ぐ。「お葬式はどこでやるの」「そりゃぁ母と同じ代々幡斎場だろう」「お父さん。家に帰りたいって言ってたよ」早くも自分の思う通りにはならない雰囲気を感じたか、涙声「家ってどこの家だい?」「お兄ちゃんの住んでる家だよ」父が、高齢者施設に入る前の最後を過ごした家だ。「いつ、そんなこと聞いたんだい?」「先週」父は僕のことも、妹のことも、誰だかわかっていなかったし、自分が家以外の場所に居るとの認識もなくしてしまっていた。僕としても、自宅は、何かのときのため、対応はできるようにしてはあるが.....先週の彼が僕の家に帰りたいと妹に言えたはずもなく、それは彼女がそのように尋ね、父が頷いたように彼女が受け取っただけのこと。よしんば、彼女の問いを理解して頷いたのだとしても、「家に帰りたい」は誰しも、心の根底にある意識。僕にしても「家に帰りたい」と思うことはある。そこでの家は、今のところ、現在の住まいであるが、本当は、「心の拠り所」、「自分本来の居場所」のことであって、物理的住まいでは必ずしもない。「うーん。それは難しいなぁ。面倒というだけでなく、現実的になぁ..」希望を言うのは簡単だし、会場費がかからないということもあるだが、我々自ら動かねば、家での葬儀などいや、現代の葬儀に対する要求度の高さを考えると、我々自ら動くぐらいで、そこそこの葬儀を自宅で執り行うなど、現実的に無理それに、亡き父と、妹の思い、あと、世間さまの建前の手前、はっきり言うのは憚られるところではあるが、父の遺体とはいえ、死体を、それも数日間、自宅の中に置くことを、現代の一般家庭で、どれほど受け容れるものか。「家というのも選択肢のうちっていうだけよ」そうは行っても、僕は同じ理由で母の葬儀に代々幡斎場を使い、それが妹にはお気に召さない。「家でなければ、地元のお寺というのもあるわ」母の一周忌、三回忌は地元の寺院を使わせていただいている。しかし、それは、法事であって、葬儀ではない。「家とか、お寺でなければ、ご近所の人たちに代々幡まで、わざわざ来ていただくことになるわ」「家族葬、親族葬でやるのであって、ご近所さまにはお知らせしない」「なんてこと!お別れをしたいって方もいらっしゃるのよ!人の気持ちをなんだと思ってるんだ!」「家族葬、親族葬でやる。家族、親族以外には、ご案内しない」ここ四半世紀、ご近所での葬儀というのは知らない。駅に葬儀のご案内を見ることは、昔ほど頻繁ではない。最寄りでの葬儀は、最近めっきり増えたメモリードとか、いくつかある、そういう貸しホール施設でやるのが普通になっている。その背景は、葬儀ができるような家が少なくなっている家で葬儀をやるには人手が必要、少子高齢化で家族、親族が少なくなり、所属する会社とか組織に頼るのも気が引ける葬儀参列者、関係者の車両を止める駐車場がままならないといったことがあるだろう。それでも、我が家の場合は、家でできないことはない(実際、祖父母の葬儀はやっている)し、組織に頼めば動いてくれる人も手配できる。駐車場もどうにかなる。しかし、それでも、家、地元の寺院でやらないのは、街に多くの高齢者の方々があられ、目にはさやかに見えずとも、つい先ほどまでの我が家のごとく、ご家族の高齢者の介護に当たられておられるお宅も多い中、そして、厳しい現実として、高齢者の一人住まい、あるいは、高齢者ご夫妻のみのお住まいというご世帯が多いのであって、日常である街中(まちなか)に忌みごとを持ち込むのは、どこかはばかられるのであって、さらに僕らのように、葬儀、介護を経験している者には遠慮がある。ご近所さまへのお知らせにしても、親戚とか、よほどの友達付き合いでもなければ、遠慮申し上げ、我が家にしても、ご近所さまからの忌みごとへのご案内など、まずはお知らせいただくことがない。そういう考えが背景にあって、「家で」「地元の寺で」を選択しない。僕が面倒だから家でやらないのだと考え批判的な妹には、そういったことはわからない「まずは、葬儀社に連絡しよう」その前に、施設で、いつまで、どのようなお世話になれるのか、確認しておかねばならない病院の場合、よほどでなければ霊安室は、一日を超えて使うことはできない。母の場合も、午後の逝去であったが、夕刻せいいっぱいお願いしても7時までだった。部屋を出て、施設長にそのあたりをお尋ねすると、「必要な場合はご葬儀までお部屋でのご安置は可能」戻るご自宅の無い方もおられる。遠隔地、海外赴任などで、当日、ご家族がお見えになれない方々も。その間は施設が自宅がわりスタッフが家族がわりだ。葬儀社についても妹とひと悶着8年前の母の葬儀で使った葬儀社は、父があらかじめ用意しておいた偕行社の出入り先だったが、段取りが悪く、香典返しもあんまりのものしか選択の余地がなく、二度と使うまいと決め、別のところに手配を変えてあった。父からそのことを聞いていなかった妹は、なーんで、そんなとこ使うの?と聞く。 偕行社の会報で背表紙の裏を見せ「こちらも出入り先」と説明。電話して、必要事項を伝えると、40分ほどで到着予定、委細は担当者からと。「家での葬儀が無理ならば、せめて、家の前を通ってあげて」「家での葬儀はやらない。段取りは葬儀社と調整して決める」気持ちはわかるのだ。しかし、ある程度の年齢となれば、生者は死者にかかわらず。省事、欠礼。なにごとも、やれる範囲、無理のない範囲にとどめねば、自分、家族のみならず、知らぬところで他人さまにご迷惑をおかけする。「親族葬って.....お友達とか、お知り合いとか、どうするのよ」「葬儀が終わってからお知らせする」「そんなぁ!」「我が家の葬儀。やり方は俺が決める」「私だって娘よ。お兄ちゃん一人で勝手に決めるもんじゃないわ。人の気持ちはそういうもんじゃないの。最後にお目にかかれなかったから、お葬式だけはって方もいらっしゃるのよ」「我が家の葬儀で、喪主は俺だ。意見は聞くが、最後は俺が決める」気まずい時間が流れ、ようやく葬儀社の担当が到着する施設長に頼んで、談話室に場所を移す「ご葬儀の場所とか日程はお決まりですか?」「まだ決まっていません。代々幡斎場でお願いできればと思うのですが」「お話しは承っておりましたので、こちらへ来る前に確認したところ、4日土曜日のお通夜5日日曜日のご葬儀が最短ですね」「わかりました。それでお願いします」週末であれば、多少遠い親戚でも、休みをとらずに来れる。「お坊さまはお決まりのところがありますでしょうか?」「できれば地元の寺院でお願いしたいとは思っていますけれど」「ご連絡は」「まだとっておりません」「そうしますと、お坊さまの日程で、場合によっては4日、5日にはもうご予定がおありの場合もございますが」「ならばお坊さんは、そちらのご紹介でお願いして、会場と日程を優先してください」「私どものほうでご紹介しまして、後日の問題はございませんか?檀家でいらっしゃるとか、お墓がそちらとか」「大丈夫です」「宗派はどちらでいらっしゃいますか?」「新義真言宗ですが、難しいようでしたら、豊山派をお願いいたします」「豊山派のお寺でご案内させていただくことになると存じます」カミサンからようやくメール。「会社出れます。そちらへ行きますか?」「未定 家で待機願います」葬儀社との打ち合わせは、お坊さんへのお布施のことから、祭壇、棺、葬儀の設備、部屋、骨壷、食事と選んでいく。サービスの提供ではあるが、そこは営業ときおり、それはいったんおいて、先に別のことを決めて、あとへ戻る相手のペースで運ばれるのは好まないお金だけのことでなく、自分が本当にやりたいことがどういうことか、相手ペースでやっていると、わからなくなってしまう。葬儀を交渉ごとと捉えるは不謹慎と言われようと、そういう側面があって然るべきものでもある。相手ペースとリズムを変えることで、相手側の本音というか、落としどころをさぐる。ときおり、妹がタイミングの悪い口を挟む。考えてみれば、20年来、交渉ごとで、僕の隣で余計な口を挟むヤツなど居たことがなく(せいぜいカミサンだが、彼女はさすがに女房だし、キャリアウーマンの走り、そこいらの呼吸ははずさない)、不憫なヤツとは思う反面癇に障る。「本日、ご遺体のほうはどちらに」「4日のお通夜までは、どちらでもご用意は可能です」「母のときは、葬儀まで日にちがありましたので、冷凍設備のある場所に安置させていただいたのですが」「もちろん、そのようにお手配も可能でございます」「自宅でも大丈夫ですか?」「はい。ただし、季節がそろそろ暖かいものですから、毎日ドライアイスは替えさせていただきますけれど、どうしてもお顔の色とか、変化がございます」「斎場に安置させていただくことはできますでしょうか?」「はい。ただし、代々幡さんの場合、棺にお納めした形でございませんと、お預かりいただけませんので、本日は難しいと存じます。明日の朝イチで確認をいたしまして、その結果でご案内いたしますが、明日ならば大丈夫ということでは必ずしもないもので」「平たく言えば順番待ちということですね」 「さようでございます」自宅に搬送して、一泊ないし長くとも二泊妹の希望にも沿う家のほうも、そこまでならば対応可能だろう大仰にしなければ、ご近所さまに迷惑をおかけすることもなかろう。「それでは、自宅のほうへ」「何か準備することは?」「お床の用意をお願いします。敷布団と枕と白いシーツまでご用意いただいて、上掛けと枕カバーはこちらで整えさせていただきます」葬儀社が搬送車を手配する。「自宅へお運びする。諸君のお別れは自宅でお願いします。部屋の準備をお願いしたい。仏間に敷布団と白いシーツを敷いて、あと枕。上掛けと枕カバーは葬儀社のほうでご用意いただける」カミサンと息子、娘に同報メール。「搬送のお車が到着するまで、40分ほどかかります」施設長に、状況を説明し、準備をお願いする。葬儀社から状況の報告「明日の午前中になりますけれど、ご自宅で湯灌の儀ということで、よろしゅうございますか?湯灌のあと、お支度を整え、お棺にお納めして代々幡へお移りいただく手配になります」葬儀の連絡をどこまで行うかで、またひと悶着従兄弟が一人いて、彼は米国駐在中奥方に連絡するまではいいのだが、奥方に連絡すれば、彼は帰国してくるに違いないそれはあまりにも申し訳ない。遠慮の理由は説明しても理解しない。よく考えて、最後は俺が決める と言って話を終えた。カミサンにこれから向かうと電話。娘息子にメール「家でお別れができます。ご都合のよろしいお時間にお越しください」その場を妹に託し、一足先に帰宅。さすがはカミサン決して整理整頓が行き届くというわけではないわが家ではあるが、簡素、かつ清潔、ご遺体をお迎えするに過不足ない状態まで整えてある。娘からメール「夕ごはん用意しますね。手があいたら、ウチ来てください」しばらくして葬儀社がご遺体を搬送してきた。少し大型のバン。遺体搬送用の車両らしくない配慮が感じられる。ストレッチャーでご遺体を屋内に搬入。玄関脇の部屋に延べた床にご安置。葬儀社からいくつかの説明と確認があり、葬儀社は退出。しばらくして妹も帰宅。僕らは、娘宅に向かう。「お父さん、ひとりになるけどいいよね」「大丈夫さ。置き去りにするんじゃない。戻ってくるんだから」息子からメール「9時ぐらいに会社出れます。寄るのはそれからになるけど、いいかな?」了解を返信娘宅で夕食。昼飯も食べていないことを思い出した。時間の無い中、ありがたいことだ。カミサンと娘に経過を報告。葬儀への考え方について、彼女らは異議なし。葬儀の受付を婿さんと息子に頼むと言って、少し休んで、自宅に戻る。娘は、孫が寝付いたあとでやってくる。9時前、息子からメール「会社出れます。腹減ったからメシ食ってから行きます」「メシは用意するから早くおいで。オーダー待ってる間に電車で来れる」返信したものの、さすがにそれはないなぁ。9時半、娘がやってきて、父(彼女にとっては祖父)にお別れ家に戻るというのを、息子に会ってから帰れと押しとどめる10時ちょうどに息子がやってきて、娘と少し話したあと娘は帰宅。息子は、父にお別れしたあと食事若い彼に用意したものではたりず、月見蕎麦を急遽追加。「泊まっていくか?」との問いに「泊まっていきたいが、明日朝イチに本社で会議。用意があるので今日は家に帰る」「送っていってあげたいけれど、お酒入っちゃったからごめんね」とカミサン「だいじょぶ」シャワーを浴びて、そのまま寝る。一日が終わった。
June 7, 2016
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全力で週末を駆け抜けた。土曜日に何があったのか?もう忘れている。 朝はちゃんと起きたんだよな?土曜日は、ゴミ出さなきゃいけないの 出したよな?あぁ、そうか朝、ちゃんと起きてないや前日、金曜日、友人たちと定例で飲んで帰ってきたのが9時過ぎ。カミサンもちょうど帰ってきて、多少のものを食べさせて、先に寝たんだ。目を覚ましたのが6時前で、もうひと寝と思ったのが仇で8時前寝ぼけ眼でゴミ出ししてると、カミサンも起きて、朝めし。メシを終えると、その勢いで父の高齢者施設へ。前日、所用で、サボったので、なんか、申し訳なく。こういうときではあるが、自ら義務化するものでもないと思うし、自分らしくもないのだが、ルーチン化してしまっている。連休明けぐらいの変事を覚悟していたのが、どうやら5月を乗り越えそうだ。帰りの足で、一力豆腐店(経堂)で豆腐を買う。商店街からちょっと入った住宅地の中。評判の豆腐屋で、やっておられるのは、小中学校先輩のご夫婦。国産大豆のもめんが190円、絹が200円何も書いてないのは、もめんも絹も150円だ。国産大豆のもめんと絹を一つずつ注文したあと、国内産じゃないのはある?とお尋ねすると、皆さん国内産のほうばかりお買いになるのでそっちは、もう、あんまり作ってないのという。そういうところが経堂らしい。一力さんは別として、経堂の物価が妙に高いのは、この街の消費者が同じものでも高いものを買う習性があるからだ。うまくもないものが不当に高い。これが下高井戸だと、どっちの豆腐も売れるはずだ。商店街は同じようなもので、経堂の店は、実は、下高井戸から行ったところが多いのだが(下高井戸は古い街で、市場があった。経堂は昭和のはじめに小田急線の駅ができてから発達したところで、物流は松原からのものが多かった。だから、八百屋、魚屋は、妙にすずらんストア周辺から南口の本町通りに集中していた。ちょうどそこらが下高井戸からの物流道路が入ってくるところだったからだ)何を買っても、下高井戸のほうがうまいし安い。「国産大豆は、やっぱり味違うの?」「そうね。やっぱ、大豆が焼けてないから美味しいね」日がたってないという意味なのだろうか?管理がいいという意味なのか豆腐を作る人の感覚なのだろう。などといいつつ、下高井戸まで足を伸ばす。長谷川商店で大ぶりのアジが四匹500円。いいだろう。三勇(鮮魚)は、まだ値段をつける前。足もとに太くて黒いうなぎのような魚が4-5匹氷水の中、頭の後ろに包丁が入っていて味を熟成させている。「これなーに?うなぎ」「いいや違うよアナゴだよ」おい兄ちゃん違うんじゃないかい?アナゴよりでかいし、こいつは高そうだぜ。裏からオヤジが怒鳴る「そいつは鱧だよ」「いけねぇ。間違えちゃった。鱧だ鱧」季節だねぇ。湯引き、鱧吸い、てんぷら「いくら?」「一匹2-3000円だな」思わず買いたくなるのを抑える。値段もともかく、買っちゃったら、あとがたいへんだ。家に戻ると入れ替わりにカミサンが外出。遣り残しの作業を終わらせて、アジをおろす。昼間なので、目が見える。三枚におろしたあと、皮を剥ぎ、毛抜きで小骨を抜く。二匹を昼にたたきで、残りの二匹は夜にカルパッチョで食べる。午後、娘の不動産取引を手伝ってもらっている不動産に、挨拶兼御礼。すでに一件は決めているのだが、もう一件、気になる物件(同じ駅で、そちらのほうが駅からの距離はあるのだが、環境はそちらのほうがいいと婿さんのお気に入り)を土曜の午後見ることにしていて、問題がなければ、そちらに決めるといっている。夕食に鱧の湯引きを食したが、レモンで食べたせいか、ぼそぼそ。ありがたみがない。失敗。日曜はいろいろ物入りなので、早めに寝る。といいながら、翌日は、起きたら、もう8時過ぎ。朝のウチにカミサンと、孫娘のための買い物をすることにしていて、慌てて食事。9時半に、かろうじて出かけ、10時から買い物開始。カミサンは娘から、あまりいっぱいは買うなと厳しくいわれているにもかかわらず、すざまじい勢いで買いまくり、僕は、それを見越して、見るだけに徹する。金曜夜に、母の妹二人から、父の高齢者施設を見舞いたいとの連絡があり、お昼前に帰宅し、昼食を済ませると、施設最寄り駅で待ち合わせ、父のところへ。部屋に入ると、ちょうど看護師さんが作業している。いかんなぁ、調子悪そうだ。案の定「今日は、調子悪いですねぇ。いつもは多少の反応があるんですけれど、今日は鈍いです。幸い血圧は上が115ありますので、そこは大丈夫だと思うのですが」「もうだいぶんお悪いのかと思ってきましたら、お元気そうで、顔色もよろしくて、お会いできてよかった」叔母二人は、そう言ってくれるのではあるが、残念ながら、僕にしてみると、調子はすこぶる悪い。実は、母の妹一人がこの21日に亡くなっていて、25日に葬儀を済ませたばかり。その人の印象と比べて ということなのだろうか。声をかけて、話しかけるのに、ときおりうなずくように見えるときがあり、「分かるのよ」とうなずきあう。そうあって欲しいような、そうはいえども、意識のあるとき、すでに、話の内容を理解しているとは思えぬ反応ばかりで、もはや分からぬに、と諦めが心を占めて久しい。小一時間ばかり居て、暇を告げ、施設を後にする。隣駅の経堂まで送り、帰宅。しばらくして、午前中の買い物を見に、娘と孫娘がやってきた。怒るかと思ったら、意外にも娘は上機嫌で、あれこれと手にとって眺めている。孫娘も気に入ったおもちゃを手にして、すこぶるご機嫌。さきほどの父との時間と、カミサン、娘、孫娘との時間。一日のうちに、これほどの落差を一人の僕が、受け止める自分の感情がはもはや薄れてしまっていて、悲しみも感動も、諦めも感じない。庭に出て、草をむしり、ついでに、青紫蘇と山椒の葉を摘んでいると、眞里ちゃんがやってきた。カミサンと僕と夕食のお約束。眞里ちゃんは孫娘とは去年9月以来の久しぶり。カミサンと娘と一緒に孫娘の相手をしてくれている間に、夕食の準備を整える。アジとマグロのカルパッチョサラダ、鯛兜と根菜の煮付け、鱧とシメジのお吸い物。娘と孫娘が夕飯の準備に合わせて帰宅したところで、僕らの夕食が始まる。サラダとお吸い物は、女性陣にお褒めをいただき、眞里ちゃんお手製のピクルスも絶品。眞里ちゃんとカミサンの会話がはずんでいるのに、僕は蚊帳の外。嬉しいのだが、もはや疲労の極地。嫌な気分ということでは一切なく、ただ、疲れた それだけ。七時過ぎ、カミサンと眞里ちゃんが次回を約し、眞里ちゃんを送ったあとの記憶はない。
June 3, 2016
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