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政治に文句のある人は選挙に行くことです。 最低限、選挙に行かない人が政治に反論する資格は無いのですが、選挙を放棄しながらよく文句を言っている人が居ますが、身の程知らずとでも言えるでしょう。と言っても誰も現状に満足している人など無いと思いますから、自分からその環境を良くして行こうと考えるのが普通だと思います。ただひねくれて社会を斜めから見るだけで、何に対しても「ボーッ」としている人では困り者です。理想は理想で現実ではない。 確かにそうですが、理想は自分で創って行くものですから、何時も棚ぼた式でジッと待っている受身の態勢では、何も得る事が無いのは事実です。ところで明日の選挙、誰に入れたらこの腐敗している大阪を良いモノにする人を選ぶことになるんだろうか? 本当に選ぶのが難しいと思う。現職は言葉はきれいごとだが、実績は借金を増やしているだけだし、大阪市の借金を何とかしようともしていない。 勿論大阪府と市の関係を詳しく知っている訳ではないから、何とも言えないのが実情だけど、何も知らされていない現実を理解しておかないと、うまく誤魔化されてしまうという結果を産む事にも成りかねないから、慎重に相手の言う言葉を噛み砕いて理解して行かなければ成らないと思っている。現職以外の候補も、本当に大阪の現状を打開するだけの力を持っているのか? と考えると、現職を含め不透明なのが全くおかしい、変な状態なのだ。現職が今回の選挙で辞職しても、退職金として大阪府は4700万円を支払うことになっているようだ。借金を増やして退職金はガッチリ儲けるなんぞ、誰でも出来ることだから、現職が再選に向かって意欲を持っているのは、お金の面だけに関して言えば、当然張り切るでしょう。税金をしっかりと自分の物に出来るのは、公務員とその関連業者だけだから、それを利用しない手は無いと思うのは、私の様な下世話な人間が考える事だろう。しかし経済と言うものは、その環境に関係する人々を幸せにするための道具であるだけで、それを大切に扱って利用するだけで、人の気持ちは福よかに成って行くものだから、しっかりと経済の建て直しを進めて行って欲しいが、さてそれが出来る人物は一体誰なんだろう?判んない。今回は。誰も居ないと言えばそうだからだ。なんせ議会という所は魔物で、関係する団体を大事にするのに、その土台に在る府民や市民の幸せを本当に考えているのか? と思うと、どうしても疑問符が出てくるから不思議なものなのだ。そして議会の連中は全て府民や市民の代表というだけなのに、まるで「代官気取り」が多いのはどうしてなんだろうね。 府民や市民からの税金で「生かせて頂いている」のに、全くその様な感謝する気持ちは感じられないのは、世界の不思議の一つに成ってしまうんでしょう。その姿を見ると、人間の底浅さがハッキリと見えるから不思議ですなあ。だからと言って選挙を棄権するなんて事は私は絶対にしませんから、しっかりとこの様な言葉を使って言っている訳で、棄権をする人は「何されても文句は言えない」ですからね。それをしっかりと理解することですよ。仕事場でも文句をよく言う人は、しっかりと仕事をしている人か、全く仕事を判っていてもしない人が多いですね。 適当に仕事をしている人は、無関心層が多い感じがします。 労働に意欲が無いような感じがします。 飯さえ食えれば良いかな? という感じで、積極性を感じませんね。何もしようとしない人を私は入れる訳はありませんから、現職以外の人に入れることになるでしょうが、それにしても議会も含め、自分が何様だと思っているのか、良く判断して欲しいものです。真面目にやって行こうじゃないですか。これこそ当然のことだと思うし、社会がその方向に進めば、悲しい事件は必ず少なくなって行くものです。その様な社会を形成して行こうじゃないですか?人が人を信じられないのが、一番悲・哀しいことだと思いますね。
2004年01月31日
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寒くなって来ると小便に行く回数が増えてくる。これは当然だと理由が判らずに答えている。反射的に考えているから、当然だと理解してしまうんだな。 この感覚が結構人の「錯覚」を生んでしまうということか。なんでも「当たり前、当然だ」という考えは、どうしても習慣的にこれは良い悪いという「条件反射的思考」が関係して発生している事実を、よく考えずに判断しているからその様な答えを導いているようだ。でも条件反射が悪いとは言っていないが、パブロフの実験と同じように私達の考えの中にたくさん常識という範疇を持っているのかもしれませんね。人間の体は36.5度という常温を維持するように出来ていますね。どうして36.5度という温度が人間にとって常温なのか理解することは難しいですが、現実がそうなんですからそれが答えとなるでしょう。ですから体温がそれ以下でも良くないしそれ以上でも良くないのですから、結構常温を維持するのは難しいと考えるのはちょっと無茶ですね。なぜなら、それは私自身がしているのではなくて、この体がしてくれているから、ですよね。ある人の話では、地球の公転が365日かかっているから、それに合わせてその体温になっている、という説明がありましたが、科学一辺倒の人ではこの説明では「はあ~?」と云う事に成るでしょう。公転が365日は確かにそうだが、それと体温と同じという説明に成っていると思うの?と言われるだけでしょうね。 説明が出来ません。 しかし36.5度という常温が私達の体温であることは間違いの無い事実ですから、これを歪めることは出来ません。そして34度まで体温が下がると、低体温となって、肉体的問題が起こる様に成って来ます。しかし体温を上昇させるだけで問題のある症状は良い方向に変化して行きますね。だから正常な体の機能を維持させる為にも、筋肉の成長を促す運動が必要に成ります。また神経系を正常にするには、カイロプラクティックの理論が必要に成ります。先程も、三年前から股関節に問題が起こり、色々と治療をされてきたお客さんが来られましたが、ソケイ部が常に痛んで歩きにくかった女性でした。しかし問題は骨盤と腰椎の歪みが全てでしたしそれに関係する筋肉の硬縮が問題でした。勿論ある事故が原因ではありましたが、それ以上に「手厚い人々の善意」がその人の症状をもっと悪くさせていました。人の善意も良し悪しで、その人の手に成り足に成るのも悪くはありませんが、その人が「自立する力を奪ってしまう」結果をも産んでしまいます。これが一番良くない現実です。今日来られたその方は、私の話を聞いて、自分の力でやって行くと約束してくれました。本当にそうなれば、必ず良くなって行くと思います。 それ程の問題を抱えている体ではないからです。ただ太り過ぎが大きな足枷に成っているのは事実に違いありません。そして自分の体重さえも自由に操ることが出来ないのも問題です。これから彼女が「もう一度元気になりたい」と言っていた言葉を私も信じましたから、それに向かって頑張って行かれると思っています。重力に対抗出来る筋力を作って行くのがこれからの彼女の課題です。それさえ頑張ってくれれば、また元気になれると思います。
2004年01月30日
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二月十日が私学の入試試験日だそうです。大阪ですがね。やはり神経がぴりぴりしている姿を見ると、日ごろ勉強して来なかった付けが回って来たかと、冷ややかに思ったりもしてしまいますね。逆なでする気はないけど、「いまさら悪あがきしても仕方が無いんじゃあないの?」と、言ってやりたいですが、まあ実力が100%出ればそれで良いんではないかいな、と思っております。やはり今まで競争する試練があまり無かったせいか、それも「自分が落ちるのではないか?」と言う「脅迫心」を感じているようなので、自信が無いからその様な気持ちに成るんだろうね。体育会系の子供はどうしても頭は空っぽに近いから、ちょっとひねった言葉の遊びをしてもそれに付いて来れず、こっちもガッカリするんだけど、それが自分の子供だと不憫で不憫で。とまあこれほど言っても本人はケロッとしている感じなので、それで生きて行ければそれで良しとするんだけど、中学浪人だけはして欲しくないから、親として少し、いや一杯しているんです、心配を。勿論どこかの高校には行けるのは判っているけど、自分の希望する処に行ければそれは希望が叶って良かったなあとお祝いすることも出来るんだけど、そうなって欲しいですがね。競争倍率が一以上になったと言ってピリピリしているんですから、情けないなあと思っています。私らのベビーラッシュの時なんか、ほんま可哀想でしたよ。行きたい所はあっても人間が多いもんだから、なかなか狭い門だったんだけど、今では競争率が一以下になっている所もあると聞くと、運の良い奴はアホでも通るなあと思ったりしますね。勿論アホでは好きな所は行けないから、それなりの学力が無ければ受験させてくれないそうだから、だから同じくらいの成績の連中同士が点数の奪い合いをするんだから、やはり厳しい門に成っていると思いますね。しかし競争する事は素晴らしい事で、何度でも這い上がって来る人は本当に将来が楽しみな人に成って来ると思いますからね。自分の子供も、諦めないで頑張ってくれる人間に育って欲しいから、私は子供に対して妥協はしませんので、かなり厳しい言葉も言いますが、たとえそれで恨まれても良いから、自分を理解できる人間に成って貰いたいと思っているので、心を鬼にして喋っていますが、なかなか通じませんなあ。でも必ず社会に出た時にハッキリと判らなければ成りませんから、それでも遅くは無いですがね。リスクは大きく成るけれど、それもその人の人生だと信じることにしていますが。そうそう、夜更かしして勉強しても、能率は上がりませんよ。それこそ徹夜なんて持っての他。脳細胞が疲れ切ってしまって、眠たさに仕事をしなくなりますよ。やはり試験は朝の時間帯に実行される訳ですから、その時間帯に頭脳明晰に成っている必要があるので、最低限二時間以上前に起きている必要があります。そうでないと、本当に体の機能が活性化していないからですね。だから、その七時間半前には寝ている必要があるんで、計算すると受験会場に行く前は、九時間半前には寝ている必要があるということです。しかし、これを毎日続ける必要があるという事なんですね。その習慣をしっかりと身に付いている人が勝ち組に入る事が出来ると思います。勿論勉強もしないで勝ち組に入ることは出来ませんから、毎日の正しい規則正しさが幸運の女神を自分の所へ呼び込む事が出来るのだと思います。私も何かと血が上り易い「ちょっとだけ熱い人間」なんで、言葉に剣があるかも知れません。槍を持っているかも知れません。しかし子供の成長の過程の中を通じて、私も沢山子供から学ぶことが出来ました。やはり子供が生まれて来てくれて、本当にあり難いと心から感謝しています。そして憎まれ?ながらも、厳しいけど優しい父親で居りたいと思いますね。そして女房にも、信頼?される父親に成りたいものです。自分が出来ることしかして上げる事は出来ませんが、それでも相手は不満を持つかも知れませんが、それでも自己満足でもいいから、出来ることを全てして上げたいと思っています。自分の幸せより、子供や女房の幸せの方がとても大切だからですね。そしてお客さんの幸せも本当に大切に思っています。別にゴマを擂っている訳ではありませんよ。
2004年01月29日
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しかし何か物騒な話があるじゃないですか。 それはインフルエンザのことですが、鳥インフルエンザともう一つが一緒に成って変化をしたら、世界中で数百万人の死者が出る 可・能・性 があるとの事。確かにそうでしょうねえ。 暢気に言ってますけど、起こったらまあ世界中の人々はパニクってしまって、どうしようもなくなるんじゃあないかなあ。やっとこっちも風邪のしつこさに閉口していたのですが、またインフルエンザに掛かったとしたら、老体にはかなり応えるかも知れないなあと想像したりしております。何時もクスリなんぞ飲まずにほったらかしで治していますから、結構しつこくはなりますけど、風邪クスリなんて無いから、滋養の良い吸収しやすい物をシッカリ取るしかないですね。子供も医者の所に行ったけど、結局はまだ引いていますもんね。50歳も過ぎてしまうと防疫に関係する「胸腺」という組織が著しく減少しますから、正常な機能が果たせなくなってしまって、病原菌に痛めつけられ易いという結果を生む事になります。そうなると果たして私の体はウイルスに勝つことが出来るのか? はなはだ疑問でありんす。ましてや幼児はひとたまりも無くやっつけられるかも知れないなあ。悲劇にならない様に、しっかりと防疫をしなければ成りませんね。と言っても防ぎようはありませんが・・・。鶏も本当にかわいそうですね。 食べられるのならまだしも、殺されて土に埋められるだけですからね。しかし今のところこれしか防疫の方法が無いのが現状ですね。償却するとなるとかなり経費が掛かるから、土に埋めることに成っているんだろうと思います。ウイルスの性格を知れば知るほど、彼らはかなり賢いと言うのか、生きる術をしっかりと身に付けていると言う感じですね。 生き残るためには何でもすると言えば大袈裟に成るけれど、自分を変えてでも生き残ろうとするところは、自然の摂理としても物凄い事だと思います。インフルエンザに罹っているとしても、しっかりと体力を温存することですね。高熱が出ても、水分や氷で冷やしたり、あらゆる事をして体の機能を守りましょう。解熱剤の扱いだけは本当に注意してくださいね。私の娘も日ごろ食事が細いので、体力が少なかったために風邪に罹ってからかなり時間を要していますが、私の場合には、太陽光線を浴びてからかなり早く改善して来ました。やはり太陽の恵みはすばらしいです。 勿論私の場合には人工的に創ったもので照射していますが、治療用の器械ですが、しっかりと当てているだけでかなり改善しました。もうじき子供は受験ですから、その前に当ててやろうと思っとります。勉強がしっかり出来るなんて本当に羨ましいですね。 私もまた学生時代に戻って、もっと勉強したいですね。
2004年01月28日
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報道番組で聞いたところ、最後の方で2万件も児童相談があったとのことだが、その様な件数が現実に起こっている事実を見つめる結果にショックを受けました。しかし今回の虐待事件では、その残酷さは心痛むものであります。どの様な事件にも必ず理由が存在しますが、段々その背景があらわに成って来ていますが、実の父親も気違いだけど、一緒になっていた内縁の女が連れ子であったことが大きな原因ではないかと思っている。よくあるケースだと思う。一旦祖父母の所に引き取られた兄弟達は、実の父親から内縁の妻と一緒に成った時に連れ戻されている。そしてそれから虐待が始まっている。次男は逃げて実の母親の所に逃げているが、お兄ちゃんはそのときに逃げ出せないくらいの体力でしかなかったと言う。そして三日から一週間に一回の割合でしか食事が与えられなかったと言う。この事実は児童相談所に連絡が行っているが、テレビ報道でも児童相談所の女性所長は呑気に、「ちゃんと出来なかったのが反省する点です」、なんて言っている。こんな公務員が居るから何時まで経っても救える機会を失ってしまっているのだが、法律というがんじがらめにしている制度の問題があるのだ。公務員は法律にのっとってしか動けないから、法治国家の大きな落とし穴は、周囲の人間が判っていても、法律が反対すれば行動が出来ないという大きな弱点があるからだ。ましてや「前例が無い」となると、決して動こうとしないのだ。「勝手なことをして問題が起こったら、自分に責任が掛かるからだ」と、以前公務員の友人が言っていました。だから前例の無い事件は起こらないと取り締まれないと言うことになるんです。ストーカーで殺された女性はみんなその犠牲になったのですね。前例が無いから。目の前に火事が起こった時どうするのだろう? 目の前で殺人事件があったらどうするのだろう?法律にのっとって、法律に違反していないかどうか確かめてから動くのだろうか?すぐに手を差し伸べるのが本当なんではないのか?なぜ直ぐに人は、人を助けることが出来なくなってしまったんでしょう?他人だから? 余計な事をしたくないから? 自分に問題が波及したくないから? 結果自分が被害にあいたくないから? 余計なお世話だと思うから? そんな事しても自分の利益に成らないから? 返って人に批判されるんではないかと思うから? etc・・?本当に最近の人達は「冷たくなった」と思います。 特に「心が冷たくなった」と思います。しかし自分が危険な時に何を思いますか? きっと「助けて下さい!」と思いませんか?自分のときには助けて欲しいと思い、危険に晒されている人を見ても「関わり合いたくない」と遠ざけて見て見ぬ振りをしている。「だって、怖いから」とその様に言うのが最近の返答のようです。何を恐れるんでしょう? 恐れるのは、一体何に向かって恐れるんでしょう?所詮人生なんて、80年も生きればそれで十分でしょう。 その後はまた本当の世界に行くだけです。そしてまた自分の心の修行のために、何度も生かせて頂けます。人生は永遠であって、死ぬことは無いのにです。 肉体だけが時間が来ればこの地球環境で、分子と原子に分離することになります。 中性子という炎によって。 そして自然分解によって。それだけなんです。だからこそ、この肉体が動かせる間に、自分の心を正しい方向に修正してやることが必要なんです。それが出来る世界が、この三次元の世界なんですね。この子供の事件を見聞して、本当に人間の「心の地獄」を見ました。彼は意識不明の状態です。 自分の体を少しずつ消化しながら、この子の体を維持して来たのですね。飢餓状態が続くと最終的には、人間の体は自分の「たんぱく質」を分解して、脳と心臓を守ります。それが骨と皮になる原因です。いったんこのメカニズムにスイッチが入ると、元には戻せないと言われていますから。しかしどれだけ治療を施しても、以前のように活発で将来を楽しみにしていた人間には成れないかもしれませんし、判りません。 奇跡を祈るしかありません。親に成れない人が、親に成ってはいけないよ!。簡単に子供を作らないで欲しい。でも子供は、「それでも良いから産んで下さい」とお願いして生まれて来るんですよ。その事実、判りますか?
2004年01月27日
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本当に悲しかった。涙が出てきた。長男を30キログラム以下にまで追いやって、死なせてしまおうとする意図が見え見えだ。どうしてあんな事が出来るんだろう? そして次男も逃げれたのが良かったと思うが、お兄ちゃんのことを心配してSOSを出しているのに、近親者も何もしていない。言葉だけは出している。そして役人は何もしていない。判っていても。言い訳ばかりだ。強制的に家宅捜索が出来る様になっているのに、どうしてそこまでほったらかしに出来るんだろう?本当にこの日本だけじゃあないが、人間の考え方が善良ではないということしか言えないのではないだろうか?狂っているとしか言えないのではないの?他人のやっている事だから仕方が無い、そういう言葉が何処でも出てくる。他人に関わっても良い事なんか無い、と言う人が多い。別に良い事を期待して親切にするのかい?それじゃあ昔話の、御伽噺の世界じゃないか?それ程利益が無ければ誰も助けることをしないのか?自分にとって都合の良い事しかせず、選んで良いことをするのか?そうだろうなあ、今時の人は。「一日一善」なんて言っていたおじいちゃんが居たけど、たった一日に一回だけ良い事をしましょう、なんていう事自体ふざけているよ。何も気取らず、名声なんて詰まらんものなんだから、何事に於いても善良であるべきじゃないの?自分が出来なくても、助けて上げる事は周囲の人達は出来た筈なのに。 誰もしていない。 公務員はそれをする為の人間なのに、何もしていない。自分の子供というより、親に成ってはいけない人間が親に成っているから、この様な悲劇が続くんだ。簡単に結婚したりセックスすんな。そう言いたいよ。親に成る資格が有るか無いかぐらい、自分の心に聞いたら判るだろう? 心に聞くということも判らないのかなあ?人間にはね、誰もが自分には嘘の付けない心があります。それを、良心というんです。その良心で持って、物事を判断するのが、人間の最低限の資質です。それさえも見失っているなんて、悲しくて涙が出てきます。そして言い訳ばっかり。この地球を混乱させるために生きているんだったら、後悔しない内にあの世に帰ってしまえ、と言いたいよ。おっと、言っているんか?やっぱり自分の子供をそんな様にする奴は人間じゃあない。妖怪「ベム」の方が、まだまだ人間だ。こんな事言っても、知らん人の方が多いか? 時代じゃなあ。憤ってばかりの事件が多くて、血圧が高くなってしまう。
2004年01月26日
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とかく沢山の人間が居るこの地球社会で、一国の運命を握ると成るとかなりの重圧や責任という意識のエネルギーが要求される。そのエネルギーを持っているか否かはその人物の器の大きさに比例するが、小沢一郎氏は持っていると判断できる。 対談での返答の速さとなおかつ知識力や理解力、そして未来を見据えたビジョンの持ち方、そしてハッキリとした決断力と行動力。そして自己認識力。どれを見ても現国会議員の中では秀逸の存在でしょう。小泉氏では自分の言葉に責任を持っていない「小手先手法」で言葉を駆使し、私も思っていたが言葉の使い方が下手であると云う事と、「言い訳」が多過ぎるのには、政治家として命は無いと感じている。彼の持つカリスマ性という「曖昧なイメージ」が「カリスマ的国民」の支持を得ているだけでしょう。しかし全体的に国民やメディアはその言葉に見事乗せられているとしか見えないのは、私だけなんだろうか?「面白ければそれで100点だ!」と言わんばかりに。政治は「漫才」や「芸能」ではないのにも関わらずです。選挙が始まると「如何に浮動票を集めるか?」という議論がとかく巷に溢れて来る。どうしても選挙に「無関心ではないけれど頭から諦めている人」や、「全く無関心な無責任の人」や、色々な「心の形態」があると思う。しかしどのような思い方であっても、自分を含め多くの他の人と一緒に盛り上げていこうとする国政に対して、浮動票の人々は考え直して欲しいと願う。浮動票の人の中に「子供を持っている人」はどれだけの確立で居るのだろうか?この点を知りたいと思うが、子供を持っているのならなおさら、国政をしっかりと見つめなければならないのは当然だと思うが。自分の未来を「好きにしてくれ」と思う人が、このグループの人々なのだから仕方が無いが、それは全く「自分で自分の未来を創る心が無い人達」なので、どうしても「他人よがりの人生」を送らざるを得ないようだ。そんな人生生活は楽しいのだろうか? 「創造性の無い人生」なんて無味乾燥だと思うのだが。自分で切り開くということは、本当にしんどい事も多いけれど、不安もかなりのもんだが、それを跳ね除ける強い気持ちを作ることが出来る作業だ。だから山があればその山を登り切ろうと頑張る人間だけに与えられる心意気だと言うことだ。登って見なけりゃ判らないのも事実だし、やって見なけりゃ判らないが、失敗を恐れずにやって行こうとする心意気が理解できる作業だ。そうだ全て「自分を理解するチャンス」に恵まれているのが、この人生の意義なんだなあ。それを理解したまま生まれて来ているのに、やっぱり人生の秘儀があるから、潜在化された意識にその答えがあるから、人は判らなくなってしまっている。それさえ求めれば何時か理解する時が自ずとやって来るけど、頑張って欲しいものだ。別に大きなことをやる必要なんてないのに、何か大きな事をしなければ成らないと「強迫観念」に似たような気持ちを持っている人も多数居るのではないだろうか?誰がそれを決めた訳でもないのに、成功する事はそういう事だと信じている人が居るのではないか?「少年よ大志を抱け」と北海道のクラークさんは言ったが、何も大きな事をしなさいと言ったんでも無く、「大」という字を人は好むから、いつの間にか「大」という字を想像して、大きな事と勝手に結びつかせているのかも知れない。何せ日本人は自分も含めて、大きなモノに巻かれるのがお好きだから、その方が安全だから、直ぐに自分の意見を曲げてしまうが、未来を見据えてもっと小沢さんの言うように「自分に厳しく自分に強くあれ」と思いなおかつ自信を持って、この政治を利用してこの社会を健全な方向に進ませることが大切ではないでしょうか?何事にも完璧なシナリオなどありはしませんから、シナリオ通りに進むことは決してありません。地球上で起こった過去は、全く同じ時間を有することが無いのと同じで、同じ時空間は二度と起こりませんから、今をもっと大切にしてなおかつ未来を明るいものにするためにも、しっかりと浮動票に参加される方々は、自分を見つめ直して欲しいと願います。
2004年01月25日
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子供が風邪を引いて五日間寝込んでしまったが、その看病をしていて自分に関係してきたんだろうか?インフルエンザではないとのことで、どうして直ぐに判るんだろう?と思っていたら、どうも鼻の中に何かを突っ込んで、その粘膜を引っ付け、そしてある試薬につけるだけで、その試薬の色が変化すればインフルエンザになるという検査方法があるらしい。それで子供は検査したそうだが、子供は白だった。私は昨年の暮れに悪寒ではないけど、風邪を引いて治っているので、もう罹らないと思っていたが、そんな事お構いなしになってしまった。今も少し熱があるし、微熱だが、これが結構他の病気の前兆であることも多いから、気を付けて自分の症状を観察した方が良いと思う。やはり昨日の晩から今日の朝に掛けて、本当に寝にくかった。理由は体が発熱していたからで、体の節々が痛いのも、筋肉に何らかの問題が起こっていると言うことになる。そして胃の状態が芳しくないので、食事が欲しいというものでもない。一応昨日の晩にこうなるだろうと思い、長年の習慣で、必要な食料と水分を震える体で買いに行き、そのまま就寝した。 少し寝たと思って起きたら、まだ夜中の12時だった。それから本当に寝れず、困った。寝返りをしても体が痛い。 熱があると思い通りに体は言う事を聞いてくれないもんだ。今日も仕事をしなければならないから、体力を温存したいがそうも言っておれない。夜の最後のお客さんまでがんばりましょう。それでは皆さんもくれぐれ温度差の激しい所からの行動には、十分気をつけて下さい。ストレスが最も最大になるのは、温度差なんですよ。
2004年01月23日
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そうも言ってられないけど、暖房してもなかなか暖まらない部屋は、昼頃になってやっと全体が温くなって来るんだろうと思う。懐が寒いのは生まれてからずっとだけど、気持ちだけでも暖かいものでありたいと思っている。しかし今日は車を走らせてワイパーを動かしたら、ものの見事ワッシャー液が固まってしまった。朝の四時半ごろは固まらなかったけれど、七時半ごろは固まったんだから、放射冷却というやつは朝方が一番冷えるんですね。北海道の人達や信州の人達はこんなことを聞いても、「何を幸せなこといっとんや」と大阪弁を喋る訳は無いけど、大阪人にとっては雪そのものが滅多に見れないからそう感じてしまうんですね。この二三年と言うものは、雪が積もらないからです。それくらい暖かい場所だと言うことでしょう。九州の方がはるかに寒いですからね。早々今日も一日、自分の心に「脅かす心」が出ないようにチェックしながらやっています。ほんまに小さい時から自分の欲望を叶えさせるために、沢山の人に脅かして来たと思います。勿論やくざじゃないから脅してお金を奪うとか暴力を振るうとか、そういう意味ではありません。しかし自分の心が苦・暴流で生きて来たために、その心を常に前面に気が付かないまま出して来ているという事に他なりません。しかし本当にこの様なことが理解でき、自分の心をもっと深く理解して行くことにつながる事が幸せだと思います。どんなにお金や地位や名誉が在っても、心貧しいままこの世を去ることは嫌ですからね。やっぱり自分を知る為に、そしてこの地球共同体を完成させる為に、生きて来たと実感しています。それにしても心のなせる業は、災いのみが多いと人は言いますが、本当はそうではないと言うことです。自分の心をしっかりと見つめ続ける努力をして行けば、「求めよさらば与えられん」という言葉通りに物事が運ばれて行くようです。やはり心安らかな時にこそ、良いインスピレーションが起こりますからね。何事にも苦しみは来ますが、どんな人にもやって来ますが、それは自分を知るための慈悲と愛のエネルギーのようなものだと思えば、必ずその道を極めようと頑張るんではないでしょうか?体の不調があっても、それは「呼びかけ」だと思うことで、その状況を大切に扱うことだと思います。精神的な不安の多い方々も、一つ一つを丁寧に眺めて、自分を理解していく材料が人生だという判断が出来れば、その苦しみに対して「ありがたい」と思う時が来ると信じています。私も何度生きることに「諦め」たことか知れません。その都度に思い返しては、自分の心の足りなさに嘆き、そして何度も立ち上がって自分を見つめ直しました。 勿論これからも死を迎えるまで続きます。 また死んでからもそれは続くものです。永遠の生命として生きている我々だから、この様に理解することが出来るんですね。足らない所をしっかりと補って行きましょう。友人家族を大切にしましょう。
2004年01月22日
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体の健康には栄養と休養、そして運動と言う三つの事柄が大切なのは誰もが判っていることだと思います。この三つが一つになって、三位一体となって始めて、健康に成れる方向に歩くことが出来るということになります。ですから最初から遺伝的に問題がある人も、一般のそうでない人も三位一体の調和がとても大切な健康への要因だということになります。病気になっても、寝てばかりいると健康には成れませんから、動ける人の場合には少しずつ体を動かして行く努力をして、「血行循環」を良くして行かなければ良い結果は当然現れてこないと思います。血行循環はあくまで血液を体の隅々にまで運ばなければ成らないものですから、その結果体の諸細胞が酸素や栄養をたっぷり受けて体の機能を促進させることが主体ですね。その様に体の機能は、体の持っている自然環境を壊さない限り、命ある限りの間しっかりと働いてくれるものです。心の中も同じで、私たちの心が「受 発 色」という循環を、どれだけ正しく働かすか、と言う事が判っていると、心の問題も小さくなって行くと感じています。色とは、目に見える色ということになって、この世の物質全てを意味します。すなわち現実にこの目で見える物全てということであり、物質のみならず、全ての物事に価します。なぜ「受」が先に来るかといえば、目に見える物事や事柄を受けてしまうのは目や耳なので、自分の心が判断する前に受けるということを指します。それだから、受けるということには判断するために当然行われていることになります。そして自分の今までの生きて来た人生の中で判断する考え方、自分にとっては自分であると言える物事の判断をする考えが「発信」してしまう言葉や行動が「発」に価すると思います。そしてその自分が発信して出てきた結果が、また自分に戻って来ます。それを「色」というと思います。この三つの関わりが、毎日の生活の中で常に動いている自分の心だということが言えるかと思います。この三つが調和されていない限り、常に心はこの現象界「この世」の荒い波動の波に、常に飲み込まれたり揺り動かされたりして、心を平安に、不動にさせることはまず不可能です。ゆえにその心をいかにして不動の心にするのか、をハッキリと説かれているのが高橋佳子さんの著作だと思っています。その中で自分が脅しの心で生きて来たとハッキリ講演会で自覚できました。それまでまだまだ五里霧中の心境でしたが、少しその霧の中に光が灯った気がします。子供の時からそうでした。お山の大将であった私は、当然の様に力を誇示していましたから、それがとても気持ち良かったからそうしたのです。だって小学生が中学生を子分にしていた時もあったんですから。そして少しでも相手が嫌な素振りを見せると、「脅し」で相手を威嚇してきたんですから。本当に私の人生は全く恥ずかしい人生を過ごして来てしまったと、今後悔しています。でもこれから出来るだけ自分を変えて行きたいと思います。そして高橋佳子さんを通じて、自分の性格を変える事が出来る真実を理解させて頂いていることに、心から感謝している次第です。宗教とはただ祈るだけではいけませんね。 大切なのは、自分を知り、自分の心を見つめ直すところに宗教の本質があるという事です。生きている間にそれを自覚して、修正して行きましょう。永遠の人生であるこの私たちの魂世界は、しっかりとこの事実を自覚しています。判っていないのは、そう貴方、今の貴方なのですね。せっかくの生まれて来れた人生を、苦しみに飲み込まれないようにして、自分を見つめなおして見ましょう。必ず自分を救う道がありますよ。
2004年01月21日
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やっとひとつ判って来た事がある。 それは自分の心が他の人に対して「支配」しようとしているのではなく、「脅かそう」としているところがあるのだ。昨日は支配している心があるとしていたが、実はそうではなく、「脅かそうとしている自分の姿」があるということなのだ。 この心の領域を「苦・暴流」と言うのだが、この傾向の心には「頑固・正論・荒れ」で思い考え気持ちを出し、その結果自分が関係する所の「場の硬直・対立・萎縮・破壊」が起こり、自分には「拒絶・批判・不満」が帰ってくるのだ。またそれを受けるのだ。「受 発 色」という言葉があるが、受とは受け止めると言うこと。 発とは発信すること。 色とは現実に起こっていることである。 思い考え発言する、その現実のことです。これらの動作は、この地球上の人間全てが行っていることですが、私の場合四つある心の領域の内、「苦・暴流」の心を強く持っているため、結果的に「脅かす」という行動を取ってしまうのです。だから「もし~だったらこうなるから、そんなんしたらあかんで」とか、とかく正論を吐いて「自分を戒める」のならまだしも、人を苦しめるような発言をしてしまうという結果を作ってしまうのです。そして自分を間違いに向かわせたくないために、正論で考える傾向が強いためか頑固になります。そして言うことを聞かない人達に対して、私自身の心と言葉が荒れて来ます。だから、そうならない為にはどうしたら良いのか?と考えますが、今までだとこの様な心の動き、傾向が判らなかったのが事実です。しかし今はそうではなく、受発色の通りに行えばよいわけです。どの様に受け止めるかをしっかりと把握しなければならないということです。それには私の場合には、「拒絶・批判・不満」で物事を受け止めてはいけないと言うことになります。そうしないと、その現実に対して、「頑固になり・正論を吐き・気持ちが荒れて」来ます。 そしてその結果として、家庭に於いても職場に於いても、「その場が硬直し、対立や萎縮が起こり、破壊」さえも起こってしまうと言う結果を生むことに成ります。この様な心の動きが続くと、全く心は明るくならないばかりか、萎縮していってしまいます。そのために自分を変えて行かなければ成らないのですね。 どの様に変えて行くのかを考えるまでも無く、拒絶せずに受け入れ、批判せずに共感し、不満を持たずに内省する。その結果、頑固にならずに砕身し、正論を言わずに愛情を持った言葉をしゃべり、荒れた心を検診する心に変えて行くことになります。そしてその結果硬直した現実や対立、萎縮、破壊を導かないようにして行く事になります。私の心を変革させるために、この様な行動を取る必要があるのです。ぜひ縁のある方は、自分の心の傾向を理解されて、自分の変革に向かって頑張って見られたら良いのではないでしょうか?せっかく生まれて来られたのですから、心を大きく豊かにして行っても損は無いと思います。まだまだ理解が乏しい私ですが、紆余曲折視ながら心を理解していきたいと思います。
2004年01月20日
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昨日は心を学ぶ会に出かけて行って、いかに心の彩なす問題が、全て[自分の問題]であることを理解させて頂きました。高橋佳子さんが主催する会があるのだけれど、大阪の大阪国際会議場で新年の集いとして行われました。それに私も講演を聴きに行き、また大きなプレゼントをいただきました。人間には四つの心の傾向があって、「快・暴流」「苦・暴流」「快・衰退」「苦・衰退」というジャンル分けが出来ます。それぞれに関わる心の世界は、それぞれ違ったものがあり、また人々はこの四つのパターンで関係していることがわかります。そして人は、「受 発 色」という心の在り方で、現在を生きたり、未来を生きたりして、この現実に関わり続けているという話です。この心の在り方について詳しくは、GLAという団体が主催している所で見聞すれば良いと思いますが、本当に自分の心の中に、また全てに関わる所に自分が関係している事もハッキリと見て取れます。私の心は「苦・暴流」が中心に働いていて、どうしても「支配」することにエネルギーを費やしてしまう傾向があるので、その傾向が出てきた時に「ちょっと待てよ!」という、自分の考えや行動を規制する意識を持つことで、問題を見つめ直したり行動を改めたりして、自分の心の成長を促しています。そして私が行う修行の方向性として、「愚覚・同伴・簡素・正直・畏敬・無私」という現実を受け止め行為する行動を自分に課すことが必要であることが判っています。私の傾向として、自分を前に出すことが気持ち良かったのですが、実はそれが災いの元でもあったということに成ります。私も子供のころは目立ちたがり屋だったのですが、なかなか人気者には成れなくて、少し気持ちが面白くなかった時期を持っていますが、それが自分の心の中に何時もくすぶり続けていたとは思いませんでしたね。そのために、何か支配しなければ気分が良くならず、自分よりも力の弱い者を従えるお山の大将であったのは事実でした。それが私にとって、カルマ・業であったのです。しかしこの心を何時も持っている為に、団体関係に於いて私の出しゃばりに因り、他の人が力を無くしてしまうという事に成りかねません。だから自分は判っていても、私は待つ事も大切であることが判り、人の言う言葉にも耳を貸して、じっとその話を聞き、その人の気持ちに成るように努力をしています。このようにして、自分の心を知ることが出来る所を、高橋 佳子さんは多くの人達とともに形成されているのです。これから多くの人達がGLAという名前を聴くことに成ると思いますが、じっくりと高橋 佳子さんの話を聞かれると自分を理解することが出来ると保証します。人間は永遠の生命を持っている魂なのだ、という事実を理解する早道です。私ももっと精進して、自分の心の研鑽をしていきたいと思います。
2004年01月19日
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鳥ウイルスインフルエンザの流行は、これから起こるのかも知れません。また起こらないのかも知れません。でも確実にそのウイルスの存在を否定することは出来ませんが、事実それは存在しています。ただ不思議なのはこの様なウイルスが大量に流行する時に、世界中の政治的問題や国際的問題が発生しているのですね。第一次大戦のスペイン風邪。第二次大戦の大流行。どうしてこの様な問題が発声することが起こるのか、それは分かっていませんが、しかし傾向として考える必要があるのではないでしょうか?どうしても人間はあらゆる事柄に対して「傲慢」になり易いですから、その「傲慢」ゆえの影響なのか?とも思ったりします。もちろんこれらの事が人間に対する「警告」とも採る事が出来ますが、それを理解できる人がその様に考えることが出来ます。「そんな馬鹿な」と一蹴することも簡単ですし、「そうかもしれない」と理解を示すことも出来ます。しかし、兎にも角にも何らかの影響が来そうだと思います。今までだと「渡り鳥の影響」として、「鳥ウイルス説」が中心になっていましたが、そうでは無さそうだという話に成りつつあります。渡り鳥が関係していない場所から発生しているからでしょう。と言うことは何時どこで起こっても仕方が無いということに通じるのではないでしょうか?そしてこれがいったん「人間にも感染できるウイルス」として変化した場合、確実に免疫の無い現在人は、かなりの効率で掛かってしまうことになります。薬も対応策も無いために、高熱による身体の苦しみはかなりのものに成ります。しかしその状態は、その体がウイルスをやっつけようとして体が熱を出しているということと、免疫を作るためにその体が一生懸命勉強しているということです。ですから、大体二週間ほど時間は掛かりますが、その間にしっかりと体力だけは維持することですね。体力の無い者が、どうしても肺炎などに罹って死んで行くことに成ります。ですから幼児や子供、免疫力が低下した老人が死んでしまうことにつながるわけです。どちらにしても、体力を付けることと、栄養のバランスを良くする事が、これらに対応する手がかりです。あまり恐れる心を持たないで、今からでも遅くは無いですから、免疫力を付ける為にも、夜更かしや遅くの食事の摂取、運動不足を解消して行きましょう。もちろん運動のし過ぎでの体力消耗も良くありませんから、節度を守ることが大切だと言うことでしょう。熱が出て来ても、肺炎以外だと大丈夫だと思いますから、氷でリンパ節のところをしっかりと冷やしてください。水分の補給も本当に大切です。このときには、スポーツドリンクが最も良い水分補給源に成ると思います。それでは風邪に対抗していきましょう。
2004年01月18日
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軟弱な者が多い中、学生としてこの日本を見ながら、自分の思いを表明する弁論大会は、その内容の深さを感じずにはおれませんでした。真剣にこの日本の行く末を考えている発表者の意見が書かれてありましたので、全て読みましたが、彼らに関して最近の若者とは言えない力強い言論でした。特に中国に対するODA供与の問題を説いた防衛大学の福知 歌子さんの言論は、現国会議員連中の前を行く言論でした。 すでにODAを中国に与える必要がないことを、理路整然と説いている辺りは、オッカナビックリの外交姿勢の外交官ではない感性が生きていました。また東京大学の武木田 雅大さんの、「日本こそ文明の調停者」の論文は、しっかりと日本が将来に渡って行わなければならない、外交上の鉄則が掛かれてありました。 そしてそれが文明と言う側面から、日本の曖昧さをしっかりと論評されているところは、伊達に東大に入っていないなあと思いました。この様な日本人が増えて来るのなら、この日本はまだまだ生き延びて行けると思います。しかし彼らとて、まだ経験が不足している人間ですが、それだけにしっかりとしたビジョンを持つことも可能です。経験豊かな人達とは違った、余計な判断がない分、純粋に国家を見ることが可能です。明治維新の時と同じような状況になりつつありますが、実際に若い人達の純粋に人を思う気持ちが、この様な言論につながっているものと思います。もちろん国家だけを見ているとこの様な論評に成ってしまいますが、彼らが生きている間に、この世界の人達の考えがもっと彼らよりも柔軟に、広く友愛に満ちたものに変わるのであれば、今回の弁論も色褪せたものに成る事でしょう。人間の存在価値がどのようなものであれ、生命体として生きていて、その自己主張が多種多様なものになるのは当然ですが、時代時代の流れの中でその価値観は変化して行くものに違いありません。現在の価値観はまだまだ人間として、この地球を自分のものにしようとする感覚が強すぎて、その物、物質的な事柄に心が奪われ、歴史や民族、言語の違いから争いをし続けています。このばかげた価値観を持っている間は、人間としてこれ以上の価値観を理解することは不可能に近いかもしれません。理想ではなく、人は全て「お互いに愛し合うことが出来る」ことが理解できない悲しみを持っている間、人は常に己の心の中の闘争意識と戦わなければ成りません。愛し合うとは動物的愛ではなく、魂としての愛し合うということに他なりません。キリスト様やブッタ様モーゼ様が言っている通り、全ての魂が一つにつながっていることを理解する意味の「愛する」と言うことです。この肉体はあくまで仮の姿。 本来の自分はこの肉体を動かしている、その心、意識に他ならないことを、しっかりと理解していただきたい。 その様に切に思います。誰もが自分だけの幸せを願っているのではないと思っていますが、人間も一人では生きては行けない事をしっかりと理解して、互いに他人としての自覚より、自分と友人である意識を持ちたいものです。今回の弁論を読んでいて、国家意識が強くなり過ぎている感じもしますが、真剣に日本の行く末を考えている彼等にエールを送りたいと思います。
2004年01月17日
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以前から欲しかったんだ。 新品が良いのは判っているけど、おいそれと買えない物だから、いつかは買えるだろうと思ってじっと我慢していた。今年の挨拶回りをしていると、とある友人との話で、マッサージ器が故障して使い物にならないと言っていたので、「もう要らないの?」と聞くと「要らない」と一つ返事だった。それを聞いてすぐに「頂戴!」とお願いをした。そうしたら「良いよ!」とこれまた一つ返事。 江戸っ子じゃないが、きっぱり言ってくれると嬉しいね。そして先方からわざわざ電話して下さって、今日持って行くからとの電話でした。嬉しかったですね。そして患者さんが終わってから来てくれたので、すぐに勉強机の傍に置きましたが、結構大きい物ですなあ。 思ったより場所を取っています。 でもまたじっくり考えて、うまい具合に場所を見つけると思いますよ。そしてお礼の電話も忘れて、しっかりと「モミモミ」「トントン」やっていました。長年使い続けているこの肉体も、かなり腰部の筋肉は疲れ果てていて、本当に揉み応えがあります。あまり筋肉を揉むと良くないのですが、この器械は15年前とは言え良く出来ている器械です。私の脊椎の関節が硬いために、もうちょっと柔軟にしなければいけないと使いながら思いました。ローリング機能があるので、それで脊椎を伸ばします。でも痛い。どうしても反り返りのときに柔軟性を感じないので、やはり痛みが先に来ます。無理して痛いままで行ってはいけませんから、ボチボチと攻めて行きましたが、やっている最中、背中に血液が循環し始めているのが判りますね。電話が掛かって来て起き上がると、背中がホクホクしているのが感じます。トントンと叩いてくれるときも半端ではないので、その強弱が出来れば良いのにと生意気にも贅沢を言ってしまうくらい強く感じました。やはり筋肉が柔軟ではないためにキツク感じてしまうんでしょうね。でも最近かなり筋肉の疲れを感じていたのですが、これをしてから少し「ピンシャン」している感じがします。そして眠気が起こらないですね今日は。食後の後は眠気が強く、出来るだけ沢山食べないでおくのですが、今日はあまり眠気がなく、仕事も楽しくやれました。これからお世話になるマッサージ器を大切に、まだ何年も動いてもらいたいと願いました。たとえ動かなくても、足は伸ばせるし、リクライニングはするしで、リラックス出来る椅子として利用できますから、最後の最後まで使ってやりたいと思いました。本当にありがたいですね。
2004年01月16日
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一体何をしようとしているんだろう? 何でだろう? 「テツあんどトモ」が質問攻めにするかもしれないな。しかし防衛庁の広報が説明会をしない、回数を減らすということは、どう見てもおかしいからね。ニュースステーションを見ていると、メディアの人達はかなり食い込んだ質問をしていましたが、代表者はまったく返事が出来ない状態で、福田官房長官の釘が刺されているようでした。「国民の知る権利」と言う権利に、どう理解をしているんでしょうか?それとも国民は国家の「奴隷」なんでしょうか? 仕事をして国家を養うように頑張りなさい、と言うだけなんでしょうか? そして国会議員の決めた決議に従うだけで良いと、その様にノタマウのでしょうか?私は国粋主義者でもないし、共産主義者でもないし、主義主張に関心はありません。しかしながら、人間やこの地球を美しいものにしたいという考えを持っている人間であることは間違いありません。グリーンピースにも賛同しますが、敵対してその仕事をすることもしません。まあ、いい加減な人間であり存在かもしれませんね。しかし不可思議なことを追求することは好きですが、理不尽なことに対しては心から怒りが出てきます。そして無関心な人に対しては、徹底的に反感を持ってしまいます。でも無関心なところが誰にでもあることですから、結局は自分に反感を持つこともありますね。「何でお前はそんな人間なんだ!」と、私自身を叱り付けることもありますね。まあそれは横に置いといて、どうも防衛庁にしても、どのお役所でも情報公開に対して消極的ですから、何か隠し事をしようとしているという判断をしても良いのではないかと思います。これだけ世界情勢が不安定になっているのに、アメリカもイラクから離れられないし、かなりお金をイラクにつぎ込んでいるから、どうしてもそのお金を儲けないといけないような感じですね。ブッシュさん関連の企業が、石油開発にかなりつぎ込まれていますからね。それにしてもお金の亡者ばかりが世界にのさばっていますなあ。お金が無いからかなり僻んでいるだけの私なので、全て愚痴に聞こえると思いますが、もっと気持ちを綺麗にして生きて行けないのかいな?綺麗事を言っても所詮弱いもんよ! あんたも同じ狢だよ! と言われても仕方がないけど、それにしてもよ、こんな世界は全うじゃないよな。殺伐として、人を信用できないなんて、こんな世界誰が創ったんだ!私も含めて、貴方も同じなんだよな。 私達が今も創り続けているんだな。もうどうなっても知らんからな! と怒ったところで、大局に変化はないか。だからと言って、風前の灯のこの意見は、どこかで何かに役に立たないかなあ。しっかし、それでも言い続けましょう。 こんな馬鹿でも住みやすい世界を作りたい!!!!!そ・れ・だ・け
2004年01月15日
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70数パーセントの就職率が出ていた。大学卒の就職率だが。自分のしたい仕事が何なのかは、その人自身の問題だけど、大学を出たからといって確実に自分のしたい仕事に就けるかという事は殆ど無いのじゃないかな。それよりもサラリーマンの生活に慣れ親しんで、その水の中で泳ぐことが出来るのなら、その人はそれに向いているんだろう。別にどの仕事をしようと、人様に迷惑を掛けるような、やくざな仕事以外なら何をしても社会貢献につながるのだけど、それでも本当に自分がしたかった仕事に就けることは、なかなか無いのも現実でしょう。ある友人が言っていましたが、外国に旅行に行ったとき、ある国でドイツ人の成年と話をしたそうです。そのドイツ人の青年は、約二年間世界を回っていて、最近になって「そろそろドイツに帰って仕事をしよう」と思っているそうだと言うのです。友人は「旅の目的は何だったんですか?」と聞いたら、その青年は「自分探しです」と言ったそうです。その為に二年間世界を回り続けたと言っていたそうです。自分が何をしたいのかを探す目的で旅をしていたその青年の話を聞いていて、自分もその様な時期があったことを思いました。私は海外には行きませんでしたが、日本国中を車で回っては常に人生を考えていました。どんな形でも良いのですが、自分探しは旅行だけで見つかると言うものでもありません。どこでその現実を見つめ直す事が出来るのか、それはやってみないと判らないと言うのが答えだと思っています。経済を中心に動いている世界情勢の中で、「自分探し」の旅を続けることは裕福な部類として目に映るのかもしれませんが、決してそうでもないでしょう。しかしその様な「自分探し」をする行為が、今の人達は忘れているのではないかと思います。そんなに難しい行為だと思いませんが、「自分探し」は遠くに行かなくても、すぐそばで、その場所で出来ることです。昔、ヘルマンヘッセの詩で、題目は忘れましたが、幸せを求めて多くの人は山の彼方に行こうとする。しかし求めて行った人は涙しながら帰ってくる。幸い住むと人の言う。と言うような詩を思い出します。まさに同じことが誰にでも共通して見ることが出来ると思います。幸せは遠くにあるのではなく、自分の足元にあるものだ。その幸せを形作るのは、他の誰でもなく、貴方自身であり、貴方の足元にあるんですよ。と言っているんですね。そういう意味で「自分探し」をするのは、本当に大切なことだと思います。自分のことが判っている人は、どれだけ居るのでしょうか?やはり人から指摘を受けて、自分を振り返る心の持ち主だけが、自分を知る境地を得ることが出来ると思います。だからこそ、他の人と話し合って、人を責めたり自己主張をやめて、ゆったりとした気分で自分を見つめ直せば良いのでしょう。酒を飲んで「本音を言う」何てことは全くの出鱈目ですね。酒を飲まないでしらふで自分の本当の思いを口に出す。それが本当の自分を見つける早道ですよ。と、私は思っています。
2004年01月14日
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やはり成人式で成人になってはいけない、「体だけが大きくなっているだけの子供」が酒を飲み、悪ふざけをしていました。 また西宮に在る戎神社の恒例行事で、1番目に早く目的地に着いた者が「福を得る」という行事があります。ニュースで見た人も多かったでしょうが、1番目に入った人は消防士だったそうです。その人は到着地点で昨年こけてしまった人だそうです。 別に私はそんなことどうでも良いのですが、多くの抗議電話があったと報道されているのを聞いて、「?」と思いました。そしてテレビ番組で彼らが走っている姿を見て何とも思わなかったのですが、門を開けて、その時に彼らの友人たちが後方でブロックしている姿を見て、「バカなことをやっている奴だ」と思いました。まさか1番目に到着した人が同じグループの人だとは知りませんでした。しかしどこの管轄の消防士かは判りませんが、悪ふざけもいい加減にしろと言いたくなります。こんな連中に「福」が来るなんて到底思いません。それよりも4日前から場所取りをしていたと言うのですから、一体公務員はそんなに仕事が休めるんでしょうか? 公休であれば仕方がないことですが・・・。それにやはりもう一つのバカが出て来ました。やはり成人式の馬鹿でした。 精神年齢があまりにも幼すぎて、自分が何を行っているのか、そのような物事を考える頭脳はないようです。報道番組を見ていると、ヘルメットをかぶった男が袴を着て、格好だけは日本人としての姿ですが、壇上の上に登ったり、壇上に書かれてあるプラカードを外したりマイクをとったりして係員に注意されたりしていました。 静岡県の馬鹿でした。その姿の中に「自己責任」という行動は全く見あたりませんでした。私も子供を持つ親ですが、一体この子供たちにどのような考えをその親は与えたのでしょうか?私がこのような子供の親であるならばとても恥ずかしくて歩けないでしょうね。そして自分の子供がこのようなことをしたならば、間違いなく愛の鞭でボコボコにするでしょう。そして私も大いに反省をしなければならないことは当然です。もちろんこのような現象は日本だけで起こっているとは思いませんが、酒を飲んで暴れるのであれば、迷惑のかからない場所で独りで勝手にやって下さい。成人式を楽しみにしてそれを境にして、大人としての意識を自覚する時なのですから、その時を台なしにした彼らの愚行は許されないものです。謝って済む問題ではありません。現在の日本では「自由の履き違え」が起こり、自己中心的バカがのさばる時代です。この時代でこれを正しいと自覚するならば、まさに本人は自らを奈落の底に陥れることにつながっていることを理解すべきでしょう。本当に「心の中を・・・砂漠にしているのは自分だ・・・」という事がわかっていないのです。そして彼らの中の一人が「景気を良くしろ」と言っている言葉を聞くと、どうも仕事が見つからない人かも知れません。しかしその現実を自分の能力のなさとして考えなければならないと思います。会社も能力のない人間を雇うだけの力はほとんどの会社にはありません。働かして欲しいと思うのならば、その会社に対して個人的に能力を高めなければなりません。そうでなければ会社は雇えないからです。昔のように企業がヒヨコを育てて行くだけの力が無くなり、余裕が無くなり、個人レベルでその会社の要求する能力を身に付けている条件が必要なのです。その現実を彼らは全く理解していないのでしょう。常に受身で、自分からその能力を広げることをしなかった怠慢さがあるのかも知れません。我々の仕事でも同じことです。スペシャリストという人たちは、並々ならぬ努力と研究を行っています。それでなければプロとしての仕事が出来ないからです。まだまだ子供のままの人間では、何も仕事は向こうからやって来ないでしょう。しっかりと自己研鑽をしてほしいですね。それにしても木村ハルは格好いい。あれでは女性は熱が上がるわ。何やらしても、木村フィーリングでぷんぷんですね。
2004年01月13日
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皆さんはどの様にこの世界や日本や各国の現状を見ているのか判りませんが、「世界一豊かな生活をしている日本」の現実がどの様にして作られているのかを判断する材料をどこに見ているのか? と考えてしまいます。私自身は多くのメディアを通じ、その状況を緊張して見ています。なぜなら、この「世界一豊かな日本」の現状を維持するには、それなりにかなりの実行が要求されるのに、当時の豊かな時代の中で、「未来への幻だけを追い続けてきた結果」、いつまでも、この豊かさが続くと錯覚してきた時代を生きて来た人達が「危機管理」を見失ってしまったために、現状が変化しても判らなかった。そして「中流意識」を国民の90%もの人達が持った事実がありますが、その時に国民は気持ちが「浮かれてしまって」、自分達の未来は「常に明るい」と錯覚してきた結果が今の現状になっています。どんなことにも賛否両論があるのは当然ですが、現状を維持するためにはどうするのが大切なのか、という基本が理解できているかどうかが、常に考えの中に持っていなければならないのです。しかしながら、気持ちが「浮かれてしまう」と、どうしても「未来は明るい」と思ってしまうのですが、その様な状況の中で、危機管理を持ち続けなおかつそれを進行させて備える用意をすることが出来るのか、という状況が自分に出来ているか、という事なのかも知れません。以前私はある方から、「好調の時期に、未来の進展を考えなければなりません」と言われました。その時にはなかなか悪い頭では理解できませんでした。しかしバブルが起こり、その時にハッキリとこの意味が判りました。バブルがはじけることが判っていた人が言われたから、この言葉が在りました。好調な時に、どうして未来を考えるか。それは当然で、何事にも表と裏、好調不調、、善と悪、美と醜、その他二極を表す言葉があります。これは自然の摂理とも言えますが、「サイクル」を言っているだけの話です。何事にも「上昇下降」という流れが生じるのを当然と考えることが大事だということです。常に登り続ける為に、その場その場で自分自身がどのような状況になっているのかを理解する以外に無いということになります。安全になった時こそ気を付けなければなりません。気の緩みが「幻」を持ってしまうからなんですね。それにしても長野県だけではないけど、「第一測量」の社長は立派な人ですね。そして長野県の県庁に勤めている役人は、なんと「傲慢」なんでしょうか?しかし公取が入ることで、「ダンピング」が「黒認定」され、「第一測量」は、県庁からの「指名外し」が無くなったと公表されました。「全うに働いている善良な人間、人達が、本当の仕事が出来るようにしなければならない」と、確実に思われたのではないでしょうか?必ずこの様な人達や会社を潰してはいけないのです。善良な人間が増えることが、この社会や世界を良くするのです。草野さんも言っていました、「この番組を見ていて、改めて抜本的な改革が必要なんだと思いました」と。まったく同意見です。カイロプラクティックの世界も同じようなことが起こっています。肝心な世界のWFCも、お金のある団体を優遇しようとしているようです。本当にこの地球は、「悪の意識」が支配し続けているようです。それに負けない強い意識、魂が育って欲しいと思います。
2004年01月11日
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とあるお客さんの言葉で、「治療を受けてもすぐにケンビキが痛くなってしまう」、どうしてなんですか?という質問をされた方が居ました。この方は仕事をリタイヤされて、7年位になろうかと思う女性です。現在仕事をしていないために、どうしても活動範囲は狭くなり、体の動かす範囲と使い方は、極端に減少しているのが現状です。そして「とある宗教団体」に所属されていて、かなり考え方は極端な人です。 この「とある宗教団体」に入っているお客さんの傾向として、人の意見は聞かず、自分の考えを前に押し出す傾向の人が多いと感じます。はっきり言えば自分勝手な論理で、その論理を正当化し、それを主張しなおかつ実行されない。もっとハッキリ言えば、「やっている事と実行している事の食い違いが激しい」ということです。この様な傾向の人ですから、「疑問を持つことは出来る」のですが、それから先に進むことが出来ないでいるのです。その為に何度も質問のたびに説明するのですが、その時は頷いていますが、本人は実行しないから判らないままに成ってしまいます。また実行したとしても、三日坊主になっています。この傾向は「うんざりする」くらいしつこいのが特徴です。しかしお客さんですから、筋肉についての講義が始まる訳です。 何度やったか知れません?本人は何度同じ話を聞いているのか、判ってはいないようです。 その都度に「そうですか?」と頷くばかりです。 これでは前には確実に進める訳には行きません。治療を受けても、肝心な筋肉が力の無い筋肉であれば、土台である骨の動きを正常にさせることが出来ないことを説明するのですが、理解が出来ないようです。筋肉を強くすることは、体全体の調和には無くてはならない要素ですが、それを理解しなおかつ実行して行って貰えなければ、調整してもすぐに元に戻ってしまいます。筋肉自身が持っているその性質を理解して欲しいのですが、それがわかっても筋肉の力を付けるために行う運動を「面倒臭い」と心で思っておられるために、実行が出来ない。 だからまた筋肉は何もしてくれないから弱いままである、という「悪循環」を繰り返しているだけなのです。これでは調整しても骨格の調和には貢献できない状態になるのです。多かれ少なかれ、運動をしない人の体はこの様に「悪循環」を繰り返します。そして大きな問題が起こって始めて、「言われた通りしておけば良かった」と言われます。それからでも遅くは無いのですが、しかしながらこの様な性格を持った人が通る道は、どうしても少し良くなると直ぐに慢心して、「面倒臭い」という思いが心を支配し始め、また行動をしない人に成ってしまうのです。またこの様にも言われます。 それは「何度かやりましたが・・」という返事です。しかし一向に効果が無いと思うから止めた、という事なんです。その回数は二三回です。それで筋肉が強くなると思っているんです。 そして快復すると思っているんですね。 そんな甘いもんではないのにね。やはり体が健康になるためには、「心も健康になる必要がある」と思います。心の健康がまず必要だということを理解されて、体の健康に向かっていって欲しいと願っています。
2004年01月10日
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ニュースを見ていると成人式の話をしていた。私も年齢を重ねるたびに、成人式の姿が見えて来ているけど、「格式」が欲しい人にとっては最近の成人式の「ノリ」は、乗りにくいかも知れへんな。実際ニュースで「暴れる若人」という題目で「成人式で暴れている人」の姿を映像化し、その後で有識者の意見があって、その若者達が謝りに行っているニュースを第一面に載せたりしている。その姿を見ていると、自分が若かった時の式は、本当におとなしく形式的なモノでしかなかったのは事実ですね。それにしても「成人式とは何ぞや?」という話になってしまうけど、私は行った事が無いから何とも言えないが、二十歳が「本当に大人なのか?」という疑問が常にある。じゃあ、「大人とは何ぞや?」という話になってしまって、結論はまったく無いに等しいと思う。「分別がつく」という話から、大人としての条件がものすごくあるんではないだろうか?しかし二十歳から大人という論理は、「本当にそうなんですか?」と問い質したいのですね。「タバコや酒が飲めない」のを解禁するとか、それが条件になっているのなら、私達の立場から言わせて貰えば、「体を不健康にさせることが出来る年齢」という事が言えるからだ。はっきり言って、「してはいけない事をしても許される年齢」という範疇が与えられていると、考えることが出来るのではないだろうか?これは「法律」を前面に出して言っている話だが、大人に成るというのはただそれだけの意味なのか?分別がつくということでは、年齢は関係が無いし、何時まで経っても分別の無い大人は世間ではゴロゴロしている。しかし小学生でも、人間が出来た子供? が居る。これらをどう考えればいいのだろうか? 体の大きさや年齢ではないのではないか?成人とは、体だけで考えるのなら、子供が作れるということか? しかし二十歳以前で子供は作れるからそういう意味では全く違う答えだと言えよう。ということは、「人間として成人している」という事がはっきりとしているのなら、成人という範疇が何かボヤッとではあるが見えて来るのではないだろうか?どうしてもこの範疇に、「心」という在り方が大きくクローズアップしてくるのだ。この心が子供のままか、それともそうでないのか、という現実が前に出てくると思います。以前成人式で「騒ぎ」を起こした連中は、この心が「幼いまま」であるということが言えると思います。社会的には「現在の若者はマイナス十歳引けば、正しい年齢になる」という評価が与えられています。この意見が正しいとは言えないと思いますが、しかし「幼稚化」している事は間違いは無いでしょう。若者だけではなくて、いい歳をした大人? と言われる年齢の方々にも、幼稚化は進んでいると思います。考えれば分かることが考えれない、本当にその様な方々が増えているのは確かではないでしょうか?
2004年01月09日
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何に挑戦するのか? 自分自身に問い合わせると、なかなか答えが見つからない。しかしこのままでいると、マンネリ化して、自分が駄目になって来る気がしている。平和で平安な時代を長く過ごすと、どうしても人間の心は安定を欲してしまう。そしてその環境が安全であればあるほど、夢見心地になってしまって、いつまでもその環境が変わらないで欲しいと願ってしまうかも知れません。でも人間が生きる時間の間には、常に変化が起こり、安定を壊そうとする力が知らない間に身近に迫って来るものです。しかし安定を強く求める人は、心の中に「壊される」という恐怖心が心を支配し始め、不安定な環境を嫌い、常に夢見心地の中に入ろうと必死になってしまいます。ボケの症状もそれに似ている気がしてなりません。しかしぼけ症状には、脳の劣化が認められますから、あくまでボケは症状であって、正常ではないということになろうかと思います。マンネリ化の中に、自分への挑戦が在ればマンネリにはなりませんが、自分の心の進化を求めない限り、どうもマンネリ化は進行し、正常な心を汚染させ始めてきます。健康を求める心の中に、自分への挑戦をする人がどれだけいるのでしょうか?どうしても、自分の体の調子が悪くなって来ている事実を、自分の体の責任にしている人を多数見かけることが多いです。しかしよく考えれば、この体を良くも悪くもさせるのは、その体を動かしている本人の意識、「自分の意識」だということです。自分の心、意識が運動をしようという判断、意思を持たない限り、この体は自分勝手に動く事が出来ないということです。しかしほとんどの人が、自分がしなければならないことを、まったく放棄して、弱くなって来たのは体の責任だと、体にその罪を押し付けているのです。これは本末転倒の考えで、あくまで体を強くさせるには、実行して行こうとする実行力の源である「あなたの心、意思」が必要であるという、ごく自然な、必然的な話なのです。この理を理解していない人の多さに、愕然としてしまいます。私はこの点をよくお客さんと話をして、お客さんの体を動かしてもらう動機にしています。本当に思い違いが大きくなると、自分の意思が問題であるにも拘らず、そうではないと錯覚をしている人が殆どではないか?と、私の錯覚であればいいけれど、その様に思ってしまいます。自分の考え、心、意志をしっかり持ち、判断して、どの方向に行こうとしているのかだけは、自分で判断して、自分の責任で行動して欲しいと思います。兎にも角にもこの人生を生きるのは貴方であって、他の誰でもないからですね。そして甘えることなく、自分の生きる道をしっかりと見つめ、共に手を繋いで歩いてくれる人々と共に頑張って生きたいものです。
2004年01月08日
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この方の場合には、高齢と糖尿病も関係しているので、ことは慎重に運ばなければなりません。そしてかなりの肥満も問題がありますから、ただ単にカイロプラクティックだけの問題ではありません。そして彼女自身の精神的な考えも関係しますから、その面も含めて、彼女が本当に自分で直す意識があるかどうかも大きな問題点になりますから、それをはっきりとさせる必要があります。そうでないと、全くやる事が無意味になるケースが多いからです。整形での所見では、「軟骨」が減っていると言うことでした。確かにそれも原因になるのですが、それだけではありません。軟骨が問題のケースもあり、関節の中で一部の骨が剥がれてしまい、関節の中でその骨が動き回ってしまう症状があります。「ねずみ」と俗に言いますが、ちょろちょろと動き回るということから付けられた名前だそうで、結構いい加減なもんです。これが起こると大袈裟なものではありませんが、手術する以外に方法はありませんが、それは無いとのことなので、彼女の場合には他にも問題があるということです。これに関係する大きな原因は、①体重の増加 ②大腿関係の筋力の減少 ③関節そのものの劣化 ④関節包の炎症劣化 ⑤靱帯の炎症 ⑥腰椎骨盤の歪み ⑦その他 が考えれます。この中で大きな問題は、二番目の大腿関係の筋力の衰えと六番目の歪みです。これが他の要因の引き金になっているのです。それを理解してほしいと思います。どうしてもこの現在社会では、我々の筋力低下は必然的に起こっているのです。自動車や電車、自転車に乗ることで、我々は目的地に着くための時間を短縮することが出来ています。この要因が我々の筋力を衰えさせている原因になっています。また主婦であれば、掃除洗濯の自動化。 行動範囲の減少化などが、肉体を使わない原因に強く成っています。この原因を自分に当てはめて考えて行かなければ、当然の如く筋力は弱る一方になります。大腿の筋肉だけではなく、すべての筋肉が常に緊張を強いられれば、筋肉は疲れもしますが発達もします。そして関節を守る役目を果たしていきます。体重が重い人は、特に筋力を付けなければならないでしょう。そうしなければ、自分の体さえ思いに任せず、筋力低下による血流の問題も含め、内臓器官に悪影響を与えていくことになります。やはりまともな人間になるためにも、精神的なことは当然ながら、自分の体の筋肉を強くさせる必要は感じられていると思います。最低限、立って歩く筋肉だけでも強いままで維持して欲しいと思います。そうすることで、最低限の健康は保障されるはずです。後は抵抗力を付ける為の問題を、自分に当てはめて考えて実行していきましょう。五十年以上前の日本人よりも、十分の一しか筋肉を使っていないという話を聞きました。だから病気が増えているということも、あながち間違いではないと思います。
2004年01月07日
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自分ではなかなか気が付けないが、他人が見るとしっかり理解出来る体の歪みですが、歪みがあるからと言って心配する事は余りありません。でも何か理由があるからそうなっているのは事実ですから、この人の様に尋ねて来るのは正解だと思います。「痛みはないのですが」、という返事ではありましたが、三年前に三メーターの高さから飛び降りてしまい、捻挫をして五日間ギブスをしていたとか、スキーとテニスが好きなスポーツマンでもあったのだが、今はそれは時間が無くでやりにくくなったと言われていた。ただこの歪みがあるという事を、整体および接骨の所で言われ、人から紹介されて来られた青年です。やはりこのような「スポーツ障害や外傷」の背景があると、長年の経験でしっかりと問題点の幾らかが頭の中をかすめた。そして検査をすると、やはり腰椎と骨盤にかなりの問題を抱えていた。そして頚椎もそのついでに歪んでいたのでそれを知らせました。本人はなかなか理解出来ないので、彼の持っている自分自身の筋肉を使ってそれを証明するのだが、最初は理解しにくいけれど、何度かやっていると理解されて、やり易かったですね。やはりスポーツをやっておられると、筋肉の状態をしっかり理解できる体制が整っているというのか、その違いが判断できているのが、一般の方との違いでしょう。それで調整を済ませると、筋肉の緊張や神経系のリズムが正常になるために、弱っていたと思われている筋肉が正常に戻り、力強く反発するようになると、患者さんも一応は驚きの声を上げる人が多いですね。勿論あんまやマッサージなんどはしませんから、殆どの方が「何で?」と言います。筋肉をほぐす訳でも無く何もしないのに力強くなってしまう不思議さを、殆どの方は言われますが、私も何時も凄いもんだと、感心してしまうのも事実です。それだけに早い内にちゃんとしておけば、問題が大きくならずに済むことは間違いないです。世間にはカイロプラクターが大勢いますが、カイロプラクターと呼べる人は一握りしかいません。殆どの方が、カイロプラクティックで唯一の資格を持っておられない方ばかりです。それだけに問題が山積みになっています。それを啓蒙するためにこのホームページを開設しましたが、それなりの効果が有るんや否や分かりません。でもある程度カイロプラクティックが正当に広がるまで、頑張る積もりです。私の命がある間は法制化は無理でしょう。この日本では。法制化が良いのかどうかも疑問ですが、どちらにしても日本人の曖昧さには呆れ果てますよ。しかし何やかんや言っても、今日も頑張りましょう。
2004年01月06日
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40代後半になっても独身でいる友人がいる。 彼はコンピューターのプログラマーをしているのだけど、仕事が忙しすぎるので、色気よりも仕事を優先するタイプのようだ。しかし恋愛が無かった訳ではないのだけど、なぜか女心を掴む事が出来ないというか、苦手なようなのだ。勿論女性だけに限らず、人の心を理解する事が苦手なようだ。その傾向はコンピューターをしているからだけではなく、どうしても割り切る事ができないようなのだ。コンピューターの言語を理解する事が出来るのだけど、人間の話でその内容がなかなか理解できないようなのだ。本当に不思議なものだと何時も思う。それで彼とよく話をしていると、「ピンと来る」という判断が難しいようなのだ。関西では一般の人が簡単に「漫才」をしているが、彼の場合にはその掛け合いを説明してあげなければ判り難そうなのだ。 その点がどうしても他の人と話をしても、スムースに話が進まない条件になっている。何時ごろこの様になったのかは判らないけれど、何時までも子供のままのような感じがするので、その点で女性にはもてないのかも知れない。しかし生活は裕福で、一流企業に入っているから、給料はいいのだろうけど、ビデオプロジェクターや、100インチ近いテレビや、音響機器等々に関する贅沢はしたい放題ですね。ほんまに羨ましい。でも一人は最終的には寂しいものだ。お金では買えれないもんが一杯あるから、幾らお金でこの時を楽しんでも限界があるからね。 やはり一人生活は寂しいもんだから。ご両親も亡くなって、子供は自分一人だから、他の兄弟は当然いない為にしたい放題に成っている。昨日会うことが出来たが、少し彼の考えがやはりおかしいというまでではないが、何かピントが外れている感じがしてならなかった。私が結婚してから付き合いが遠のいたのも事実だが、しかし私も独身生活をしていたらあのように成ったのかも知れないと思う。彼の場合もどうも「独り善がり」の傾向に成っているんではないかという気持ちがしてならないのだ。どうしても自分独りで生活をしていると、幾ら友人が居ても家に帰れば一人だから、どうしても考え方が偏ってしまうのは仕方がないという事です。独身女性も多い現在ですが、出来たら結婚して自分勝手な考えを修正されても良いかと思いますね。「何でも思い通りにしようとする人」は結婚には向きませんが、「互いに助け合おうとする人」なら、誰でも結婚生活は出来ますよ。彼にも言ったんですけど、別に若い女性を求める必要はないし、いまさら子供をもうけても大変だから、それなりの年齢の方と一緒に生活するだけでも良いと思うから、真剣に考えたらどうだ? と言ってはいますが、どうも返事は無いですね。現在の日本女性は男性を立てる事を知らないから、他の国の女性と一緒に成った方が良いと思うよ、とは言っていますが、まあそうならないでしょうなあ。でも実際、タイや他の東南アジアの女性は、本当に魅力的ですもんね。男として何時までも大事にして上げたいと思います。 本当に家族を大切にしますもん。核家族を希望する男性女性は、結婚には向いていないと思います。自分さえ良ければ良いと言う若い人は、結婚するのは考えてからして欲しいと思いますよ。子供がその影響を受けて、日本をこれ以上おかしくさせないで欲しいからです。
2004年01月05日
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大阪南港に到着するフェリーは、九州別府行きが関西汽船と名門大洋フェリーがある。また高知に行く高知特急フェリーと、愛媛県東予市に行くオレンジフェリーがある。この中で一番儲けているのは、オレンジフェリーである。それ以外のフェリーは赤字体制で、何時つぶれてもおかしくないのが、関西汽船と高知特急フェリーの二つだ。特に高知特急フェリーは、今まで運賃の高い殿様商売をしていたのが、ここに来てかなりその影響を悪い方に受け、現在では採算ベースに合わない形になっていて、燃料代にも事欠く始末になっている。なぜこうなったのかは判る。それはオレンジフェリーの経営方針を理解すれば、自ずと理解出来るのではないだろうか?それは、オレンジフェリーは本当に「お客さんを大切にしている」ように思えるからだ。最近も新造船を作り、かなり船内設備を改善したものにしている。 そして一般客室のお客さんやお客さんの車をゆっくりと出すようにしているのも、このフェリーの特徴だ。しかしそれ以外の船は、到着するや否や否応無しに排出させる。「早く出ていけー!」方式の船外放出だ。関西汽船もお殿様商売の所で、最近では経営母体が他の会社と一緒にするようになった。しかし船員の体質および職員の体質はやはりお殿様のようだ。高知の場合には、二年以上前に新造船を作ったのは良いが、それが余りにもお客さんをないがしろにしている船の構造になっている。それは貨物船と同じ考えで、「お客さんを快適に運ぶ」という概念は、根本的に失ってしまっている。「貨客船」という範疇の、船の作り方をしている。これでは長旅(約9時間)を「奴隷船」と同じ様な意味合いでお客さんを運ぶ事になる。正月やお盆の帰省のときに評判が悪いのは殊更だ。 寝る所が無いからだ。 客が一杯で。「奴隷船」は新造船の「こうち」である。しかしもう一艘高知フェリーは持っているが、それがもう二年ほどで退役するくらいの旧船であるから、新造船を作る余裕は無いのではないか?これも経営者の考えが甘い所だ。 お客さんをほったらかしにした経営は、当然贅沢に慣れた日本人のお客さんを満足させる事はできない。これがフィリピンならどうって事はないのだが、あくまで日本人相手にこの様な経営は駄目だ。しかしこの様な経営では遠からずフェリーそのものが殆ど姿を消す事になるのではないかと心配をする。実際高速道路がもっと整備されれば、間違いなくトラック便は道路に奪われてしまうだろう。そして船そのものが、価値を無くしてしまうという結果を産むことになろう。勿論この原因を作っている中で無視できないのは、労働組合である。この組合も猛省しなければならないでしょう。 常に給料のベースアップを要求してきた結果、誰もが裕福になって来たことで、国際的に力が弱くなって来るのですから。 経済とは面白いものです。皺寄せが弱い者にだけ来る事に成るからです。経営者は全ての責任を取って、経営しなければならない。 そこには働く社員が居り、その家族を守る責任があるからだ。 その為に経営をし、お金を儲けなければ成らない。そして社員も経営者と一緒に、自分の会社を良くして行く努力を互いにしなければ成らないのは当然ですね。それにしても経営というものは、「心」を忘れてしまうと潰れて行くという事になります。誰の為でもなく、お客さんを一番大切にすることを忘れない事でしょうね。私もこの様な話を聞いて、自分の襟を正して行きたいと思いました。今日から仕事始めですが、しっかりと心を正して、一生懸命お客さんの気持ちに立って、努力して行きたいです。
2004年01月04日
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久しぶり車に乗って町を走ってると、ある高架道路の下をユーターンしました。そして道端に捨てられているゴミを見ました。 ところがひっくり返っているゴミの中で、何か私に訴え掛けてくるものがありました。 それで後から車が来ていないことを確かめ停車し、その傍に行きまとした。するとそこに一つのミニチュアテーブルが捨てられていました。しかしそれがとても気になってしまって、私はじっと考え込んでしまいました。理由は、「仮にこのテーブルを持ち帰っても、一体どこへ置けばいいのだろう?」、と思ったからです。それで再び車に乗りかけたのですが、やはりどうしても気になって仕方がないのです。そしてまたそのテーブルの所に行ってテーブルを眺めていました。そこで思い切って最初の気持ちを信じて、車の中に積みました。自宅に帰ってからこのテーブルを降ろした後で、この車を洗ってやりました。私の車はワンボックスなので、車高が高いため洗いにくく、天井にくぼみがあるのでそのくぼみに結構汚れがこびり付いているのです。ハッキリ言って、こんなに汚れが付いていたとは、という思いでした。それを取るのに結構時間がかかりました。気が付いてみると2時間も掛けていたようです。ところでその後にテーブルを綺麗に磨いて置く場所を考えてみました。しかしなかなか良いアイディアが出て来ないのです。そこでいつもの通り、アイディアが出るまで他の仕事をしていました。そしてその時が来ました。本当にこの時は驚きます。寸分たがわずぴったりと全てが収まってしまったのです。書類関係もオーディオ関係も全てテーブルの上に置く事が出来、テーブルの下にも今まで邪魔であった物がぴったりと高さも合って、綺麗に収まることが出来ました。やはりこのテーブルは私に呼びかけていたのではないでしょうか?「きっとに役に立つ」と言っていたのではないでしょうか?自分でも不思議です。でもその不思議を不思議だとは思わないのです。それから昨晩、坂本竜馬の時代劇を全て見てしまった。 結論的に素晴らしかった。俳優がどうのこうのということではなく、今この時代が如何なる時かを言っていると思います。私が坂本竜馬に惹かれるのは、当時の日本の藩が、それぞれ自己主張して、「日本としての自覚」がなかったために、何時も争っているその姿を何とかしようとした竜馬の姿だったんです。血を流さず、どうしてこの諸藩の合一を願ったのか、それが詳しくドラマの中で描かれていました。現在はこの国際版がこのドラマの問題に合致する事です。今の時代はそれぞれの国が当時の日本の藩と同じ状況なのです。それをまとめるためには、全ての国民が一致団結して、この国際社会を「ほんまモノ」にして行く努力が無くてはならないということです。武力には武力で応戦するのは、子供の知恵です。大人はそんな事はしません。理解しあう事が全てです。 自己主張を無くす事が全てです。そして互いが助け合う事です。それ以外に道はありません。大政奉還という物凄い事を考えた坂本竜馬は、最後は斬殺されますが、それが彼の残して行った理由でしょう。どうしてもキリスト様と同じイメージが浮かびます。
2004年01月03日
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今年になって、お客さんの結婚式が二件も予約がある。治療の予約よりも嬉しい?と思うけど、やはり結婚する事は大切な事だと思います。どうしてか? 結婚は辛どいけど、理由は、判っている様で判らないのがお互いの気持ちだからでしょう。恋愛期間のお互いは、どうしても本当の姿を前には出さないようです。やはり互いの問題を前に出す事が、良い事にはならないからかも知れません。でも恋愛期間に全てを曝け出すと、確かに「飽きてしまう」という欠点があるようです。ハッキリと判らない相手だから、それが「ミステリアス」に成っていて、それでそれを見つけるために楽しみに変わるのだと思います。だからかも知れませんが恋愛期間が長くなると、結婚まで到達するのに時間が掛かってしまうケースが多いのも、そういう理由が大きいのかも知れないと思います。やはり何でも諦める前に、早い内に手を打った方が良いと思います。そうでないと飽きてしまうとどうしても、結婚する気持ちが減ってくるのも事実だろうと思います。特に最後まで行ってしまった男女間では、この傾向が強いのも事実ではないでしょうか?男も女も、最後の砦が男と女の関係ですから、それが崩されると興味はどんどん薄くなって来ます。後は、その結果生まれてくる子供の事くらいでしょうか。この現実だけが男女間を繋ぐ絆になっていくのかもしれません。勿論こればかりではない事も事実です。やはり恋愛の延長が結婚かも知れませんが、恋愛がなくても結婚は出来ますね。お見合いという制度ではないけれど、習慣は本当に良いものだと思います。それは結婚という意義を理解した上でお付き合いするのですから、それだけしっかりとした考えで結婚を見つめているわけですから、そう簡単に別れるという事は出来ないと思います。しかし何でも完全なものはありませんから、どの様な形になっても、結婚に対して反対の離婚はありえます。離婚はお互いの「不信」が中心になる行為だろうと思いますから、その不信をもたらす原因を突き詰めて見つめてみれば、離婚の原因を減少させますから、せっかく一緒に成ったんですから、簡単に別れて欲しくはないですね。勿論原因がわかっても、その原因を解決しようという意識がなければ、その原因が結果を呼びますから、最終的には別れる事に成る事でしょう。経済的な問題でも互いに協力する気持ちがあればそれらも乗り越えれますし、我侭が原因ならば、その我侭を無くして行けば良いだけですから、その原因をしっかりと把握すれば良いだけです。とまあ、幾らでも解決する道はありますから、すぐに諦めない様にして欲しいと思います。でもそれでも駄目なら、「匂いが在るだけでも嫌だ」と言うのなら、別れれば良いでしょう。ただ後悔しないように。せっかくの正月も、別れ話で年を越したくありませんから、・・・ああもう越したか。ことし一年、皆様が健康であり続けれますよう、祈念致しております。
2004年01月02日
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別に昨年は仕事をサボっていた訳じゃあないですけど、今年も例年以上にがんばります。人様の体のことを診ている割には、自分の健康管理が行き届いていないことが分かります。そういうことで、今年は自分の健康管理に対して徹底的に鍛え直すくらいの気持ちで、生きて行きたいと思っています。余り太陽に当たる事も少なくて、体の機能が衰えたのは分かります。もっと紫外線に当って、健康を取り戻したいと思っとります。紫外線に当ることを世の女性たちは忌み嫌っていますが、それは全く間違った判断です。紫外線に当たる事で皮膚でビタミンDが生成されると共に、脂肪を摂取する事でその脂肪がカルシウムを各組織に運んでくれますから、脂肪を摂取しないダイエット好きの方は、健康ではなくなって来ます。ですから最近ダイエット好きの人の身体に異変が起こっているのは、当然の帰結ですから、責任は自分で取らなければなりませんね。ダイエット食品を作っている会社や個人は責任はありません。勿論毒になるような物を販売するのは犯罪ですが、それ以外の無害の物は、買った人の問題ですから自己責任で問題解決しなければなりません。必要なければ買わないのですから、痩せる事が美しいと思っているのは錯覚ですから、気の毒だと思います。しかし正月の三日間は食べてばかりだから、しっかりと運動しましょう。昨日は風邪による咳が出て困りましたが、今日もその環境は変わらないようです。のどの奥がかゆい感じでイガイガしている感じの感覚です。結構嫌な間隔なので、何時良くなるのか楽しみにしています。これから太陽光線の器械を使って、太陽を身体に浴びようと思っています。日光浴が少なかったために、私の体の機能が衰えていたのは分かりますから、この機能を回復させたいと思います。それではのんびりと正月を過ごしましょう。
2004年01月01日
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