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今日の産経新聞に、ロシアのプーチン政権が、自分の反対勢力に加担する人物達を 「暗殺」 している記事が載っていた。 やはり表ざたになって来た。 以前からプーチン政権の雰囲気が余りにも旧ソビエト連邦の姿を感じていたので、それもKGBの姿が背景に見えたので、嫌な感じをしていたが、新聞の一面に出ることになった。 詳しいことは新聞を読んで欲しい。どの国にも国家を代表する人物が存在している。 日本だと現在では阿部首相になろうか。 まあ一応 日本は民主主義と形式上なっているので、個人だけの権力でこの国を動かすことは出来ないが、大統領権限となると、話はまた違ってくる。 やはり 一国家を動かす権限を与えられている。 しかしまたそれを阻止する制約はあるが、それを引き出すにはかなりの条件・行動が必要となる。 どうしてもロシアは民主主義勢力になったとはいえ、日も新しく 根本的にそうなったとはいえないだろう。国の議会が国の在り方を決めるわけだが、大統領制度はその権限においてその議会を動かすことも可能だ。ただ考えなければならないのは、その権限を通じて、多くの人間・国民の生命を自由に操ることも可能なのだから、それが問題なのだ。それだけしっかりした、心の正しい人物が、その権限を使うのなら国民は幸せなのだが、全く逆の場合、スターリンのような 自分の身分を守る為に、自国の国民を一説では1000万人も殺した、という話では、恐怖政治の再来ではないのか、という懸念が、私はロシアにしているのだ。他国のことだから、何も考えなくてもいいではないかという声があるかも知れない。しかし他国のこととはいえ、それが国際社会では、因果関係上 何かと関係してくるのは、当然であるから、しっかりとその国の動向を確認しなければ、いずれ自分の足元に火が点くことになる。アメリカの姿を見ても分かる通り、大統領制度の為に、どれだけの問題が含まれているのか分かるだろうし、映画の中でも観れる通り、権力争いという馬鹿げた問題も、当然のように起こっている。権力争いは、どの世界、国家の中でも存在し、人間の心の醜い部分を曝け出している。人はその様に生きるのではないと、神様が仰っていても、人は神の存在を否定する為に、その現実化が計れない。人間の愚かさは最近では目に余るものがあるが、プーチンの行なっている行為を見れば、人の行なう行為ではないと言うことが分かるだろう。 自分さえよければ良いというその行為を行なっている。 プーチンを賛成するものは、その心を持つ卑しい者だ。この世の在り方をしっかり勉強してもらいたいものだ。やはり、人は、魔の心を捨てなければならないのだ。誰もがその心はあるが、その心を表に出さず、それを消滅させる努力が必要だ。それこそ、この三次元社会で生きている理由の一つでもあるからだ。心ある、良心の心の持ち主が、この世界の中で中心軸となって、生きて行って欲しいものだ。
2006年11月24日
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韓国ドラマの 「チャングムの誓い」 が終了した。 このドラマの素晴らしさは、一人の女性が 『恨み』 から 『愛情』 へと変わり、困難を乗り越えながら、新しい境地を構築していく過程を、力強く表現している所だと思っている。多分この後に、『ホジュン』 という同じ時代背景の韓国ドラマが放映されるかもしれない。 これはチャングムの男性版とも言えるかも知れないが、この人の苦難の道は、おいそれと出来るものではないと感じる。 それくらい、人生の過程が苦難に満ちていると言うことだ。私達がこの現在社会で、『生命を賭ける』 という心の気構えで生きているのか? と問われれば、どの様に答えることが出来るだろうか?まさに彼らの時代では、『生命を賭ける』 その心構えがなければ生きてはいけない、その様な時代背景の中で、精一杯実力を発揮し、そして高めて行く努力をしている姿が描かれている。 勿論、どの時代にでも『いい加減な人』 が居ただろうけれども、誠心誠意 誠を生きる人は努力の人であることは間違いがない。ホジュンの最後の話は64話になるが、今日も改めて見直すと、それまでの話が走馬灯のように思い出して来て、最初から涙が出てきてしまった。 何があっても言い訳をせず、向こうからやってくる苦難をそのまま受け取り、決して 『諦めない』 で、生きている姿は、私の心にしっかりと信念を植えつけてくれているのが分かるからだ。自分がどうしてこの世界に生きているのか、そして仕事も含め、自分の生きる道にこの様な背景があるのかが以前は分からなかったけれど、今では心の中に信念として、生きる道標としてしっかりと心は定まっている。 それ故に、まだまだ前途は多難だが、それを多難だと思わないで生きて行く心構えが備わって来たと思っている。この娑婆の中で、多くの困難がそれぞれの人の中に存在するものだが、その困難はその人それぞれが必要だからこそ、困難として起こって来るものだと私は理解できる。 だからこそ、その様な目の前に起こる困難に負けないで、それを乗り切る努力を怠らないように、自分に厳しく戒めて立ち向かって欲しいと思っている。どんな環境であれ、人はそれぞれの生き方をしなければならないからだ。 その生き方はそれぞれの方々に於いて、形的には全く誓うものだから、同じような感覚にならないかも知れないが、決してそうではなく、それぞれの困難は共通した困難なのだ。 だからこそ、人はその人達の苦しみが分かる筈だ。 分からない訳がない筈だ。だから人はお互いを愛し合うことが出来るのだ。 男女の愛が愛の全てではなく、全ての愛情を理解し、共感することが出来る筈だ。 だからこそ、あらゆる困難を理解する為に、人生という舞台が存在していると、私は理解している。ドラマや映画等の人生も、私達がこの世で人の姿から多くを学ぶことが出来るように、その仕事がある筈だ。 私達の人生も、生きていることそのものが舞台で演じているようなもんだ。 だから、ドラマや映画を通じて、共感する事が出来るわけだ。 この人生は、心を学ぶ為に存在している舞台だからだ。 お互いがそれぞれを演じているに過ぎないだけだ。人生舞台を生きるのは、本当に素晴らしい、そしてそれこそ神様が与えて下さった、最大の愛情篭った贈り物だ。
2006年11月23日
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最近とある方から、メディアに書き込む際に必要な、音楽や映像を記録させるソフトを頂いたのだけど、そのソフトをインストールする時に、間違ってしまって、インストールの途中でシャットダウンしてしまった。 こんな事は初めてなので、驚くやら、慌てるやら、心臓はドキドキになってしまった。それから再起動を掛けても同じ症状が何度も続くので、最終的にウィンドウズを入れ直そうか?と思ってしまった。 しかしそんなことをしたら、またソフトの認識を延々としなければならないし、余りにも時間のロスを思うと、そういう訳には行かず、何度も繰り返し再起動を掛けた。そうするとある事が始まった。 ウインドウズXPなので、何らかの 「回復機能」 が働き始めて、一度 「回復しました」 という、メッセージが表に出てきたのだ。 それで喜んで、あるソフトをクリックするとまたシャットダウンだ。 また心はどんよりとなってしまった。でも 『諦めない』 のが私の心情だから、パソコンが行なう傾向を確かめるまで、心が落ち着いて対処しだした。 そうするると、あるソフトを入れている最中であることを思い出し、そして 「 新しいディバイスを見つけた 」 というメッセージを見つけたので、『これに違いない!』 という判断が出来たので、そのソフトのショートカットをクリックすると、シャットダウンする前の画像に戻ってくれた。それからインストールのやり直しというよりか、続きを続けられた というのが本当のところだ。 それで今日は間違いなくこの日記を書くことが出来ているんだけど、この失敗の原因は私の心の中の 「焦り」 から来ていることを反省した。このソフトは仮想空間を作るソフトなので、インストールしているとき、その最中の時間が余りにも長かったものだから、『キャンセル』 をしてしまったんだが、それが全くの間違いだった。 もう既に出来上がっていたものだから、それが確定できないまま作動・シャットダウンしてしまったらしい。 それでパソコンは作業を中断してしまう結果になったようだ。そして「再起動」を掛けた形になったんで、中途半端なもんだから、どこで何をしたら良いのかパソコンは分からないから、そして、仮想空間があるものだから、おまけにその中に起動ソフトがないものだから、初期症状になってしまったと思われる。 今は完全に戻ったけれど、これがXPでなければ、大変な作業が待っていたことだろう。 以前ウインドウズ98を使っていた時など、何度ソフトの入れ直しをした事か、本当に辛どい思いをしたから、この様な慌ててしまう心が生じてしまったんだと思う。 98は良い性能ではなかったし、Meなんぞは欠陥品ですな。 一回も使わずに捨てたけどね。まあ今度のソフトはライティングソフトだから、映像を記録したり書き換えたりしたり出来るから、また楽しみが増えたね。 いまはテレビドラマや、映画の編集をして、DVDにしているから、何時でも映像を見る楽しみがある。 まあ焦らずに、ソフトの言う通りにして、インストールを確実にするように、注意しますわ。 やれやれでした。
2006年11月22日
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とある高級公務員さんと話をする機会があったけれども、その時にその人が話していたのは、公務員だけの所に予算の問題があるんじゃない、ということだった。その意味は、国家の予算は、一年前倒しで予定を立てて、その予定に従って金額を決めて行くわけだが、一応決定された金額は全て消費しなければならないのが予算の在り方という事で私も理解していた。しかしその人は一般の企業内でも同じことが行なわれているというのだ。それも大きな所ほど、予算の立て方は国家形式と同じだというのだ。大きな企業に勤めたことがないので私には判らないが、予算というのもきっとそうだろうと思うが、しかし余った予算をプールせずに還元していくと思っているのだが、その人はそうじゃないというのだ。民間でも予算が余ってしまうと、その次には削られるというのだ。「本当なのかなあ?」 と思うのは私だけだろうか?予算が余れば一般の企業は嬉しいのだと思うし、それを会社員に分配できれば、会社員もまた張り切ることが出来ると思うから、予算を確実に消費するとは思えないのだが。ただこの公務員さんは、国家の在り方に疑問を持っている人なので、決して嘘ではないと思うし、それなりの確証が在っての話だろうから、真実味があったけど、やっぱり私的には疑問だな。 自分が会社の社長だったら、そんな事はさせないけどね。どっちにしても、最近の経済もそのあり方が可笑しくなっていると感じている。マルクスにしろそれ以外の経済学にしても、理論は判るがその経済論に人間の心が介入しているのがない。やはりこの社会は、人間によって形成されているのだから、人間を動かしているその心を理論に入れないから、問題が生じるのだね。末法のこの世界で、唯一の救いは、人間が自分の行なっている行為をよく理解することでしょうね。 そして、その行為が、本当に正しいのかどうかを把握することが大切ですね。私にとって、この地球に生命が住めなくなることを一番恐れます。そうなっては欲しくないのだけど、このままで行くと、後百年くらいでそうなりそうだからです。本当に困ったことです。
2006年11月18日
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どうして知事になりたいんだろうね。 勿論 何々議員もそうだけど。 そんなに地位が欲しいんだろうかね? やっぱり心底から、その地位に就いてお金儲けをしようとしているんだろうか? ということは、地位が上がれば上がるほど、お金儲けが出来る構図、構造が問題になるんではないだろうか?政界や財界に問わず、どの世界でも地位が上位になるほどお金が入る仕組みになっているから、この様な問題は後を絶たず起こって来るのかも知れないね。反対に考えれば、地位や名誉が高くなっても、入ってくるお金が少なければ、果たしてどれだけの人がその地位や名誉を求めるだろうか? 居るんだろうか?わたしゃ別にどうでもいいや、という捨て鉢な気持ちは無いのだけれど、知事がどの様な仕事をしなければならないのか、議員がする仕事とは何なのかを、ほんまに理解した上でその仕事を責任持ってしているのだろうか? と疑ってしまうよ。贈収賄事件などが起こると、直ぐにこの疑問が出てくるけれど、民衆が事件に慣れてしまっているのかなあ? 同じ事が次から次から起こるから、慣らされてしまっているのが本当かもしれないね。それだと問題はいつになってもクリアーにはならないし、楽している者だけが楽しめる社会になってしまう。その典型的な例が、インドのカースト制度や韓国の国法、日本の士農工商制度、それらが身分を限定させて、一部の人間のみが楽する社会を形成してしまうのは大きな問題だ。勿論、本当に楽になる階級はないが、どの階級でも争いあって、どの中でも一番を目指す人間は居るが、わずか数十年の人生の時間を その様な はかない夢を求めるのは、余りにも悲しすぎる現実だ。人を幸せにすることが出来る地位や名誉を、自分の私利私欲だけを求めるあまり、その地位安泰を図るあまり、多くの人の心を傷つけなければならない事態を、自分が生じさせている現実を認められなければ、その個人は心を荒廃させるだけの人生を歩まなければならないだけなんだが。その儚い夢を追いかけるのは、人を幸せにしてからでも遅くないと思うが。ほんとうに、人は言うことと実践していることを見ることで、誠実な人間かそうでないかが分かる。さてあなたはどの人間なんだろう?
2006年11月15日
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母親による子供殺しや、学校内での いじめ から来る自殺。 被害者として扱うのかどうかは問題としても、最近の殺風景な心情は、人の心の問題点を浮き彫りにさせているとしか言いようが無い。 人の心には、色々な欲望を持っているのが普通だ。 物欲、性欲、出世欲、金銭欲・・・その他諸々の欲望が沢山ある。 そのどれもが、自分の地位や身分、その様な形骸化(けいがいか)する形を求めての欲望が殆どではないだろうか? 形骸化とは、姿 形にしてしまうものの事を指すけれども、宗教なんかもその形骸化が起こっているが、たとえ仏陀やイエス様たちが神への道を説いていても、その後の人間が教えを形に置き換えてしまうケースがその形骸化という意味に通じる。 また仏像やキリスト像などに神の姿を現しているとする心もそうだろう。 モーゼ様は、偉大な方だったが、余りにも目の前に起こる不自然な現象に心を驚かされ、思い余って祭壇を作ったりして祭ってしまったが、それくらい当事の奇跡と呼ばれる現実が不自然さゆえに、モーゼは驚き畏れ、神の力の御わざに畏敬の念を隠し切れずに祭壇を作り祭ってしまった失敗をしている。 イエス様や仏陀様はその様な祭りごとは決してなさらなかった。 歴史上で多くの 神の道を説き、生涯を終えあの世に帰天された 神の子供達が話し残した言葉を、多くの人々は教えを形にしようとして、祭りごとを行なってしまった。 神様は 「決して崇め祭るな」 と言われているのに、人々はその偉大さを表すのに、畏敬の心を表すのに、祭りごとをしてしまった。「生け贄(にえ)」などは、その最たるものであり、神の心から遠く離れた行為だろう。 また穀物を祭ったり、祭壇を形成したりして、神様に対して礼を尽くしている形にしている。果たしてそれが正しい行為なのだろうか? 神様とは一体どの様な存在で かつ どの様な心があるのだろうか? 高橋信次氏は、 「あの太陽のように、我々に空気も水も与え、その代償を求めない方」 として、説明して下さったが、まさにその様な心の持ち主であられると、私も賛同した。 賛同したというより、よりハッキリと理解できたと言うべきだろう。 人の心が、この三次元の世界で物質欲に心を奪われ、心をないがしろにしている現実を見るにつけ、心が痛むが、どうして形に表そうとしてしまうのか? それが不思議でならないのだ。 目で見える物が必要という感覚が、その様な形骸化を産んでしまうことになると思うが、あくまでも 生きて心の進化を実践する ということが神様との 「契約」 であるという判断が理解できれば、生きる意味が少しは理解できるのかもしれない。 契約といっても、物質を作るという意味の契約ではなく、この三次元世界で生きる意味を 『果たして行く』 『約束を実行する』 という意味に通じるものだ。 全ての心の段階の魂が寄り集まる所 がこの三次元社会(現社会・物質社会)である故に、様々な価値観が生じてしまうのは仕方がないのだ。 しかしその中でも、共通した心、認識があるのだ。 それが 『慈悲と愛』 なのだが、その慈悲と愛も、様々な段階があるのは仕方がないかもしれない。 どうしてもその人の価値観や考え方、風習等々のしがらみで、捉え方と表現方法が違うからだ。 様々な問題が生じるのも、その問題が全ての人の心に関係しているから、生じている。 誰もが無関係では居れないのが、人間関係の複雑さなのかもしれないね。
2006年11月14日
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段々、政治が国民生活から離れて行くような感じがする。上層部で問題が解決され、下々の生活者を見捨てて行くような、その様な気配を感じる世相だとも言えそうだ。最近、チャングムの誓いを観るにつけ、ホジュンを観るにつけ、韓国に於いても同じ世相を感じさせる。韓国ドラマだからどうのこうのと揶揄する心は全く無いが、日本の最近のドラマには無い、心を打つドラマだと想う。時は1600年前後の時代背景。 その時の朝鮮政治というか、世相を反映しているドラマだが、階層に苦しむ庶民と、国法(こっぽう)を守り、自分達の地位を守ろうとする上層階級の連中との葛藤を描いているともいえるドラマだ。その時代は世界中が同じ問題を抱えていた。だから、人間というものは、同じ事柄を共通して受けるモノかも知れない。その一つ一つを如何様に解決するのかは、その当事者達の在り方が問われるものだと想う。しかし、人間同士が身分を取り合いする世相は、同じ人間でありながら、優位に拘る自我我欲が大きな引き金となって、その人間を動かしている。同じ人間である、その理屈は分かっていても、自分が可愛い為に、自分だけを愛したいために、それ以外の人間を以下に置こうとする。同じ人間ということは、生まれたときは、世界中の赤ちゃんは『オギャー』と泣く。しかし、その地域、その文化、その教育、その両親の国籍によって、同じオギャーは、違った言葉に変化してしまう。そして、その文化圏の地位の違いで、人は差別を受ける。本当につまらない人間どもが住み過ぎている。私は人間が嫌いではない。人間として沢山の心を感じることが出来るのは、本当に幸せを感じている。しかし、何年経っても、何世紀過ぎても、同じように人間は人間を支配しようとする。もうこの様なつまらない生き方を捨てて、新しい協働の世界に住まわないか?欲を捨て、己を捨て、この地球に感謝し、肉体に感謝し、その日を精一杯人のために、地球の為に尽くす。互いに助け合う世界、それこそ、この三次元の在り方だと思う。神の国の現実化が叫ばれて久しいが、その神の国が人間の手で創造される事こそ望ましいことだと想っている。その形だけではなく、心を伴った社会が形成されれば、この地球はまた新しい修行場として活性化するかもしれない。でもこのままの社会であれば、欲に絡んだ為に、生活さえ思うに任せられない社会へと進んでしまうでしょうね。
2006年11月10日
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献血血液のHIV陽性率、今年上半期は過去最高 献血された血液のエイズウイルス(HIV)検査で、昨年17年ぶりに減少した陽性率が、今年上半期に増加に転じ過去最高となったことが、厚生労働省のまとめでわかった。 31日に開かれた同省薬事・食品衛生審議会血液事業部会で報告された。同省血液対策課は「感染を知らずに献血した人が増加しているのではないか。医療機関などでの検査体制を充実させる必要がある」としている。 上半期の献血件数約248万件のうち、HIVが検出されたのは48件(うち女性3件)。10万件当たりの陽性率は1・935で、昨年1年間の1・466を大きく上回った。そして、大阪府は、HIV検査の為の献血を止めろ! と命令している。確かにそうなんだね。 どうしても、HIVかどうか本当に分かるには、最高の方法で持っても、11日も掛かるとの事。 それがあるために、その間にその献血された血液が一般の気の毒な方々に出回ったら、それは犯罪に等しい行為として、理解できるからだ。血液を必要とする人は、何らかの原因で必要なんだから、困っている人達だ。 その困っている人達に、HIVを与えるということは、これはどうしようもない気の毒な原因になってしまう。快楽を求めた男女がHIV感染を起こし、それを自分の責任だけに収まらず、他人を犠牲にしてやろうという気持ちが有ろうと無かろうと、結果的に、困窮された方々をより以上の悲哀と、苦しみを与えてしまうからだ。HIV感染をし、エイズになった人が気の毒か? 快楽を求め、その感染が考えれる相手とスケベをし、現実的にエイズ感染者になっても、私は気の毒だとは思わない。 それよりも、何の予防もせず、簡単にセックスをする心の持ち主に対して、怒りを覚える。なぜなら、気が付くまで、またその感染者は、その心のままにセックスをし、感染を広め、最終的にはどうなるのかは理解できるだろう。 理解出来なければ、小学生から行き直して欲しいものだ。 それにしても無防備な若者が多すぎるのが問題なのだ。エイズの問題は、快楽が付き纏っているから、予防よりも快楽を強く求めてしまうのは、男としても分かる。 どうしても男は、生殖器官で精子が一杯になると放出したくなるから、それも原因の一つとなって、セックスを求める。 また最近の女性も、簡単に出会った男と直ぐに寝る傾向があるから、セックスを愛情と錯覚した結果、エイズに罹患する患者が増えてきているのだ。どちらにしても、快楽を求めるのには、心の歪の問題が大きく影響していて、その実態を理解できない愛情不足の男女が絡み合うようだ。 その愛情を求めて、その見返りのようになるセックス=快楽を求めてしまうようだ。しかしその様な心の無い愛は、愛ではないから、また次のターゲットを求め、セックスを求める。 その内に訳が分からなくなり、セックスの快楽のとりことなる。 これは、地獄界が仕組んでいる罠でもあり、人間が強くなる為の実験でもあるだろう。愛情の過不足が、この社会問題に大きな影響を与えているのは、事実だ。 自分の行動の中に、愛情を求めすぎていないかどうか、セックスをこよなく愛する迷い人よ、地獄の世界の波動に乗らないように気をつけてくださいませ。酒飲みもヘビースモーカーも、同じ問題だけどね。
2006年11月01日
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