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そう思っていた矢先、だんだん咽喉の方もおかしくなり、すっぱい物が上がり始めた。これは大変な問題になってきたと感じ、調べることにした。症状的には、逆流性胃炎、食道炎に類似た症状になるので、ほっとくと将来胃癌に発展する可能性が高くなるため、自分でカイロをすることにした。私のケースでは、どうも胸椎7番に問題があり、ここから来る問題が関係していることが判断できる。胸椎7番が下方に変位しているため、それを上方に出す必要があるので、まあ一人でやる作業はそれ程難しくはないのだが、力を抜く瞬間がとても難しい。そうでないと、どんなに力を抜いていないといっても、多少なりとも力は入るので、筋肉が骨格に緊張を与えているから、骨の可動をとる事は結構難しくなる。胸骨まで痛くなって来たので、早い内に施術をしないと、もっと辛どく成るのが判明しているので、昨日の晩に行なった。それで今日の朝は、かなり楽になり、これからもう一度機会を見つけて施術をする。やはり背骨を猫背のように曲げて仕事をする人達に共通して言えることは、肋骨内に収まっている内臓臓器に神経的な問題を引き起こさせるということだ。やはり肋骨内に収まっている臓器は重要な役割を担っている部分が殆どなので、神経学的に大事にしなければならないでしょう。手術をしないで、その臓器を活性化するには、神経が出ている背骨を自由に可動させる事が必要だ。その為にも、背骨の関節に自由性を持たせることが一番大切なことだ。老人に成って、その関節達を固定させてしまっている人達が辿るのは、動き辛い体と、内臓臓器の老化現象が顕著になることだ。それを防ぐには、筋肉も含め、全ての関節を柔軟な可動が出来る体制を作ることだと思っている。あくまで人間の体は、有線方式で出来ており、無線方式で動いていないということだ。それは、あくまで神経は神経線維と細胞でつながれ、それが伝達する道具となって、各臓器や筋肉などに情報を伝達するからだ。また血管も管を利用して、酸素を運んだり栄養を運んだり老廃物を運んだりして、これも有線の様に伝達する。そのどれもが詰まったり、破壊されると、その機能は果たせない。人間の体は結構もろいものだ。だからこそ、大切に扱わなければ成らない。体に感謝して、傷んだ部分が早く快復できるようにしたいものだ。
2006年07月27日
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独裁者というと、最近ではスターリンや毛沢東、世界中で常に現れては消えて行く人物ですね。どことなく胡散臭いイメージと圧力とか脅迫、足かせや反自由というイメージが付き纏います。どんどん国民は締め付けられ、税金を国が奪い、国民の生活は豊かに成らず、国民をしっかりと国が圧制をするが余り疲弊する姿が心に浮かんできます。しかし同じ独裁でも、国民が豊かに生活し、将来に渡って国民が生き生きと生活することもありましょう。よく王国物語で、王様が国民の幸せのために、正しい政治を行い、国民が富と繁栄を授けられている話があります。この違いは、なんでしょうか?現在では、この地球世界で、国別によく勉強している国はどこか?と問われると、必ず出てくるのがフィンランドという国です。テレビでも放映されていましたが、税金は確かに高いのですが、日本を中心にして考えればの話ですが、利益の半分は国が持っていきます。しかし日本では考えられないことが、ちゃんと政治的に行なわれています。フィンランドでは、利益の半分は税金になりますが、しかし病気になってもお金は掛からず、教育は大学も無料。その他に関しても多くの特典があります。しかし国土はそれ程日本と変わらず、国民の数がかなり少なく、500万人に満たないようです。だから、教育費は掛からず、世界中で一番頭の賢い国民がいる、その様に成っています。当然教育費はタダだし、誰もが大学の勉強が出来るんですね。本当に羨ましいでしょう。しかし人間はおかしなもので、その様な在り方は、社会主義だ何とかかんとか言って、否定する始末です。それはおかしい論理です。何が大切なのか?主義主張が国民を大切に扱うんでしょうか?あくまで、実際に国民が潤う政治のあり方が全てであって、社会主義だとか共産主義だとか、それらが問題を持っているかのように自由主義が大切だと思っている。自由主義といっても、国民が疲弊するのなら、それは間違っている。税金を取り立てるだけの政治では、国民は生きにくい。国民の生活が安定すれば、心も安定する。そうすれば、国は静かに成長を続ける。主義主張が国民を幸せにするのではなく、あくまでその政策に問題がある。見習う国は沢山有る。しかし、アメリカ一辺倒の小泉政策は、国民を疲弊に導いている。弱肉強食は、自然のあり方であって、経済はその範疇にはない。それを持ち込んでくるから、弱いもの虐めをしていくことになるだけだ。だから、社会は、このように荒れ果ててき始めている。これも、社会の長の心が、その思いが、この社会を築かせているだけのこと。その仕組みがわからないから、今の首相の心のままに、この日本の姿になっているということだ。日本は自民党という政党の元で、首相は変わるが、独裁は自民党支配で変化せず、独裁政治が何十年と続いた。そしてそこに、国民が競争させる論理を捨てているために、この様な独裁政治を許していることに繋がっている。政治は生活であることを忘れてはなるまい。多くの投票に行かない人達よ。しっかり反省して欲しい。自分達の行為が、多くの人々を苦しめている結果となっていることを。しっかりと、心において欲しい。そして良く考えて、実行して欲しい。現実を変革したければ、自分の行動しかないことを、理解して欲しい。
2006年07月25日
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来年の一月に、ウインドウズは新しいOSを出すらしいが、やはり64ビットを目的にした製品になるということだが、来年の話だから、鬼が怒るかも知れない。でも、32ビットで動かしている現行のパソコンで、どれだけの人がその恩恵を頂けるかと言うと、恩恵は余りないというか、全く感じられないだろうと思える。やはり技術革新につき物は、どうしても古いものが切り捨てられるということだ。その為に消費者は、その新しい物を購入することで、その恩恵を受けれるという構図が出来上がってしまう。それは仕方がないのかもしれない。なぜなら、ウィンドウズ98や、Meが完全にバックアップを完全にマイクロソフトはしなくなったので、どうしてもウインドウズXP以上のOSを購入しなければならない状態になってしまった。でもこれも時代の要求だと消費者も認識する必要があるだろう。そうしないと、ウィンドウズも先に進めないからだ。その為にも、これからの消費者は、パソコンに関して64ビットのCPUを乗せているパソコンを購入する必要がある。それも64ビットでも 出来るだけ、ダブルコアにすべきだろう。シングルコアだと、重い映像関係のソフトを動かすと、全く他の作業が出来ないからだ。しかしダブルコアのCPUだと、すんなり動いてくれるから、メモリーを増やしさえしていれば何とか成る。やはりダブルコアは、CPUが二つあることになるから、それだけ作業が速く済む。来年の新しいOSがどれだけの物か判らないけれど、しっかりとその性能を確かめたいものだ。そして、来年にはダブルコアの64ビットCPUを購入したいなあと、希望を持っている。今動かしているのも、64ビット版だけど、シングルコアなので、映像関係を動かすと、全く他のことが出来ないから、このように考えてしまうんだ。そうなったら、ダブルの64ビットをインターネットにつないで、現行の分で映像を動かさせても良いかなと思っている。そしてLANでつないで、完璧に近い形にしたいなあと思う。でもまた良い品物が出てくるんだろうね。あくなき進歩への道か。こっちも進歩して行かないといけないけど、資金が足りないよ。経済はこれで成り立つということだな。そうそう、アメリカドラマで、Prison Breakというドラマがある。死刑囚にさせられた囚人の兄貴を救おうと、弟がわざと銀行強盗をして、自ら兄の居る刑務所に入り、脱獄をしようとするドラマだ。このドラマは、観れば観るほどハラハラドキドキさせられる。それにアメリカの病巣がハッキリと目に見える。また韓国ドラマで、チャングムの誓というドラマがあるが、これもかなり観ていて考えさせるのだ。 日本の「おしん」の韓国版だ。友人からDVDを借りて観たけど、楽しみが増えたね。
2006年07月22日
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部品の問題で現在大きな問題を起こしかけているトヨタ自動車のリコール問題。これはどこにでも起こりえる問題だが、安全が絶対的に必要な、要求される重要な点だが、どうもその問題がなおざりにされていたようだ。最近のトヨタの車造りは、トヨタ方式という生産方式がかなり世界中が注目を与えている生産方式だが、しかしこの生産方式は確実にその車種を作るために必要な部品の用意の仕方を確実に用意する方法として、確実性を追求した生産方式である。確実に部品をつけるために、部品と共に工具もしっかりと引っ付けられて、確実に忘れ物をしないようにするための生産方式だということがいえるだろう。しかしここでどうしても問題なのは、その部品の確実性を追及していたと思うのだが、それが崩れかけているのだ。部品のあり方も、トヨタは他のメーカーよりもかなり優位な位置にあると聞いている。ABCランクがあるとしたら、常にトヨタはAランクの部品を購入していたと言われていた。やはりよく売るメーカーに部品会社も、大切にしない訳にはいかず、トヨタにかなりきつい条件を飲まされていたとも聞いている。三菱はB級以下の商品しか手に入れる事が出来ないと、噂だけれど聞いたことが在る。だから高級とされる大きな車でも、結構エンジンが悪い評判はよく聞いたものだ。まあどちらにしても、最近の車造りは、コストを重要視する余り、部品の共通化が進んでいる。その為にも、設計に無理が起こり、部品の劣化の進みが早くなってしまうとも聞いている。適当な設計が大きな問題なのかもしれない。やはり車は、デザインや重量にも部品の影響は関係するから、デザインにあった部品造りが本来は必要だから、かなり部品の共通化は、無理が生じるのではないのかな?と思ったりしますが、正しいかどうかは判りません。それにしても、結構各社でリコールは起こっていますから、今までトヨタはその様な問題は起こさないというイメージがありましたが、どうもそういう訳ではなさそうです。品物造りに、問題が生じるのは仕方がないのかも知れませんが、でも、一生懸命生活を切り詰めて、物を買ったお客さんに、リコールの問題は製造会社は襟を正して毎日良い物を作る精神で、品物をちゃんと作って欲しいものですね。私は昔からトヨタの車は好きではないので、一回も購入した事はありませんが、それにしても安全な車造りをして欲しいものですね。
2006年07月20日
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これだけ蒸し暑くなると、服を脱いでも気持ちはよくならないですねえ。私は夏より冬の方が好きな方です。理由は、冬は体温を温存するために服を着ることで出来ますが、夏はこれ以上脱ぐことが出来ないまでになってしまうからですなあ。ストリップに成ってしまって良いのならそうしたいですが、仕事中はそれが出来ないから困ったもんです。それに私の裸では、人の目に害を与えてしまうから、何処からか殺意の持った石を投げられるかも知れないからねえ。 そうそう何時かテレビで夏のスーツを紹介していたけど、服にパソコンに使うようなファンを利用して、外気を服の中に取り込んで、少しでも体温を下げようとさせる服を宣伝していたね。でも電池を使うから、かなり重たいでしょうなあ。繊維素その物がソーラーの材料なら、日差しの所で電気を作ることが出来て、ファンを回すことが可能かもしれません。そうなったら、少しは暑さをしのぐことが出来るのかも知れませんね。確かにこの時期だと除湿機を掛けるといいのですが、やはり夏は汗をかかないといけません。やはり夏は汗をかいて温度調節をするのが常道だからですね。しかし汗をかくと、汗で皮膚がコーティングされ、温度を逃がすのが下手になってきますね。まあ、汗を蒸発させればいいのですが、空気中の水蒸気が多い季節なので、そう簡単に蒸発してくれません。即ち、気化熱を利用して体温維持が難しいのが、この季節だと思います。日本はそういう意味で、かなり蒸し暑い所かもしれません。もちろん東南アジアだと、もっと蒸し暑いでしょうねえ。 赤道直下の所だと、どんな感じなんでしょうね。 行った事がないので、想像しかできませんが、一度は世界中を旅してみたいもんです。やっぱり汗を流すのは、シャワーが気持ちいいですね。冷たいのもいいですけど、やっぱり人肌が一番気持ちがいい。ただ余り石鹸で体を洗わないようにしましょう。理由は、体に付いている表上菌が流されてしまって、その影響で免疫系統が弱くなってしまうとのこと。寝ている間にその菌たちはまた広がって、体を攻撃してくる病原菌を退治してくれたりするそうですが、それをさせないためには、余り綺麗好きにならないようにするのが一番かと思いますね。ただし、汗臭くなるのは、菌たちが出したウンコなんで、それを水で洗い流すだけで良いとのこと。 まあ、臭くなるのは日本人は嫌いだから、しっかり無臭の体を作りましょう、てか。足の裏の匂いも、同じことで、足の裏の雑菌が出すウンコ。だから靴も、同じ靴を毎日履くのではなく、三速を交互に履いて、乾燥させる必要があるとのこと。夏は、サンダルが一番だな。こういう時期は乾燥が大切。そうすることで、一応、風邪ウイルスも弱まるしね。それにカラッとすると、気持ちがいいもんね。クーラーよりしっかり除湿。洗濯物も早く乾くよ。
2006年07月11日
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昨日久しぶりに友人が来て話をしていると、友人が「 ちょっと茶店に行って、茶でもしよう 」と、言われたんで付いて行った。以前から一度入りたいと思っていた 駅前の喫茶店がある。その喫茶店に友人を導いて 入ったら 店の中は まあまあの雰囲気のお店だった。そしてご主人であろう、老齢の男性が注文を聞きに来た。私はきっと主人だと思って、かなりの年配のような気がしたので、きっと美味しい熟練したコーヒーを出してくれるものと信じていた。それでホットドッグセットをアイスコーヒーにして注文した。友人はミルクとコーヒーの相の子を注文した。私のアイスセットの方が早く来たが、友人が腹が減ったと言って居たので、私にセットを食べさせた。と言うか、友人が奢るというから、注文したが、結局はその友人が私のセットを食べて、カフェオーレを飲んだと言うことになる。ゆえに、私は、アイスコーヒーだけを奢ってもらったと云うことだな。マアそれは、それだけ相手の気持ちを理解しない友人だからこそ出来たことで、何時までも独身で居れる理由はそこにあるんだがね。それが理解できないのだから、不思議な宇宙人だな。ところで、その出てきたアイスコーヒーが、余りにも苦かった。シロップを入れ、ミルクを入れ、それでも苦かった。咽喉の刺激はかなりのもので、その日の夜は、咳き込んでなかなか寝れなかったくらいだ。しかしこの日、昨晩、いつもだと直ぐに寝れるのに、全く寝れないのだ。あくびはするのに、寝れない。眼が閉じているはずなのに、目が開いてしまう。部屋は真っ暗にしているのに、部屋の様子がわかってしまう。右に向いたり、左に向いたり、ゴロゴロして、結局寝れない。この時にどうして寝れないのか、考えてみた。しかしコーヒーを飲んだことを忘れてしまっていたんだね。だから全く理解できなかった。やっぱり早く寝たいという欲求が強かったんで、考えるのが面倒になったんだろう。今日の朝に気が付いたんだ。「 そうだ、昨日喫茶店に行って、あの苦すぎるアイスコーヒーを飲んでしまったんだった」と。それでハッキリ理解したけど、五十歳を過ぎてから、カフェインに弱くなってきたのは事実だ。しかし、本人は、紅茶や緑茶、コーヒーのカフェインに弱くなったことに、ちょっと老いを感じている。そして飲んでいたことを忘れていて、なぜなんだろう?と理由を探すんだから、ホント、ボケてきたね。マアしかし、それでも、何とか思い出すから、まだましか。やっぱり、苦すぎて咽喉を刺激するコーヒーは もう飲まないようにしたいね。でも、あのコーヒーは美味しくなかったなあ。老齢の熟練した人のコーヒーではないと思うけど。まろやかさが感じなかった。 とがったコーヒーだったね。しっかし、大阪千日前の、丸福コーヒーは本当に美味しいねえ。また行きたいもんだ。
2006年07月08日
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広島市安芸区で昨年11月、下校途中の小学1年、木下あいりちゃん=当時(7)=が殺害された事件で、殺人、強制わいせつ致死などの罪に問われ、死刑を求刑されたペルー人、ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(34)に対する判決公判が4日、広島地裁で開かれた。岩倉広修裁判長は「極めて悪質な犯行だが、被害者が1人の事案であり、死刑をもって臨むには疑念が残る」として無期懲役を言い渡した。(産経新聞)このような判決があったが、なぜ殺人・被害者が一人だと、死刑ではなく無期懲役なのか私にはどうしても判らない。例え何人であっても、犯人は生き延びて、殺人を犯しているのに、死刑にはならないこんな馬鹿な話はないだろう。一人の裁判官が考えて行なうのだが、殺されたあいりちゃんは、どのような思いだろう一体この裁判官が「疑念」といったこの言葉は、どういう意味で言ったのか犯人は自国でも、同じような犯罪を犯し、裁判に掛けられそうになった時、日本に逃亡して来た。そして不法滞在である。その為に、自国・ペルーでは犯罪として立証されていないため、即ち文書で証明されていないため、刑の確立が成されていないため、犯罪人として認められないという判断である。この裁判官は、どうしても事務的な判断しか出来ないようだ。そして、これが、法律という網の目なのだ。彼は余罪が見つからないために、無期懲役という網の目をくぐっただけだ。しかし不法滞在はどうなのだ?これは罪にはならないのだろうか?ただ単なる性犯罪として、このままにしておいたらいいというのだろうか子供の生命も、大人の命も、その重さは全く変わらないというのが、この裁判官は理解出来ないで居るのだろう。必ずこのケースの場合でも同じで、この裁判官の子供が同じ被害を受けた時、彼は何を犯人に心から望むのだろうか最近の世界の人間が、精神的に狂って来ているのは、「仮に自分が被害者だと、このケースの場合はどの様な気持ちになるのだろう?」という気持ちが欠けて来ているという事が言えそうだ。そして日本は法治国家だが、本当に法律が被害者を救っているのだろうかそうではない。このような実例が、多くの被害者を苦しめている。それに、報道関係者の在り方も、キチガイ的だ。被害者にマイクを向けて、「今の気持ちは?」なんていうことを平気で聞いている。そして言わなければ、警察の偽情報を流す。あいりちゃん事件だけではなく、ストーカー事件でも、警察は被害者の敵となっている。警察も公平さを謳っているけど、犯罪者に対して公平とは、おかしい考えだ。犯罪者を罰するのが法律なのに、それを執行するのが警察だ。それが、全く逆の弱い立場の被害者に、不公平な扱いをしだしている。匿名公表問題も、警察関係者が事件を起こしたとき、その当事者を匿名にしている。サンデープロジェクトで、明らかになっている。世間の人達も、「奇麗事で生きていけるかー」と、言うかもしれない。しかしそうであることを願っているんではないか?誰も犯罪をする、迷惑行為をしないで生きていくことが出来るのに、それをしないだけなんだ。楽をしたい、楽にお金を儲けたい。そんなもんではなく、この生きるということは、「自分の思い通りにはならない」という法則があることを、しっかりと心に置いて欲しいと思うね。余りにも異常行動を採ってしまう人間の多さに、心を痛める昨今だけど、これで良い訳はないでしょう。ただどうして無期懲役ではいけないのかを考えて欲しい。日本では無期懲役でも、そのまま死ぬまで終身刑ではないということだ。必ず減刑されて、この娑婆に戻ってこられるからだ。即ち、時間がその犯人を更正させるという、漠然とした考えで、この量刑が決められている。しかし更正は、時間がするのではない。己の自覚と改心が行なわせるものだ。心だ。その点が、法律は判断できていない。なぜ死刑が必要なのか死刑を言い渡され、本当に反省するからだ。勿論ふてくされて、反省しない者も居るだろう。しかし、その生きている間、本来の人間としての反省が行なわれることを期待する。そして、被害者の心情も、納得する。ただし冤罪だけは、犯人に与えてはいけない。だからこそ、更正に、正義の元で、警察はその立証を行なわなければならないのだ。それこそ、警察の警察たる所以かもしれない。やはり終身刑が最も犯人にとっては苦しいものだ。死ぬまでその折の中で過ごさなければならない。本当に苦しいものだ。なぜなら、人間は自由に動ける存在だからだ。それが無くなった時、人は本当に苦しむ。だからこそ重罪を犯す者には、終身刑によって、反省を求める。そして更正して、来世でその繰り返しを行なわない心を養って欲しいのだ。それが、刑務所の役割だ、そう思っている。
2006年07月05日
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