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父の状況が少しずつ悪くなってきた。おとといあたりからまた咳が出るようになり、血痰が出るようにもなってきた。放射線治療の副作用は思ったより重く、倦怠感と食欲不振、便秘、夜寝苦しい、放射線をあてた所が痛む、などなど…ここ数日は主治医が毎日ベッドへ来る。それだけ父の状況が悪いということなんだろう。私にはどうしようもできないのが辛い。昨日は転移している副腎あたりがどうしても痛かったので緩和ケアの先生から薬をもらって飲んだそうだ。聞かなかったけど恐らくは痛み止めの麻薬なんだと思う。飲んだ後はすっかり痛みが取れたとか。母は気にしている割には何の薬かを聞かなかったそうだ。なぜ?と聞いても答えてくれない。それでいて何度も同じ話をする。こうやって文章化しても何行かで終るけど、これをすべて申し送りしてもらうまでの母との会話時間は長すぎる。本当に要点だけを話すということをした事がない人との会話は恐ろしく疲れて自分の時間がどんどん減っていく。昨日は電話で、水曜は一日私が病院にいるから母は家の事をしたいと言うので、了承して終るはずだった。相変わらず食欲がない父だけど、温泉卵などの喉を通りやすいものは好んで食べているので、明日(今日)も水曜も私が温泉卵か茶碗蒸しを作って持っていくということで話が終ったはずだった。母が買っているものは全部、市販のものだしはるばる遠くまで行って買い物をしているので大変だからだったら私が作る方が効率が良いし、色々な添加物は入れずに出来るだけ父の身体に入るものはシンプルなものがいいって何度も言っているのに、母は聞いてくれない。今日も「お母さんは来ないけど明日用に」とかって言って母は温泉卵以外にも色々と持ち込んできた。昨日長々と話した事はなんだったんだろう。「昨日私が作るって言ったじゃん」と言うと母は「そうだけど…いつも買ってるのがいいから」と言われた。はぁ…何だかせつないし悲しくなる。今日は先週に引き続き父のお姉さんがお見舞いに来た。猫のぬいぐるみを買ってきてくれた。枕元が寂しいからってことだった。父は喜んでいた。さらに飴やクッキーを持ってきた。母は父が食べる事が出来ないからと言って受け取らず叔母に持ち帰らせた。叔母さんが帰った後で母に言った。「あのさ~。とりあえず受け取って喜んでおけばいいじゃん。受け取ってからお父さんは食べられないから私達がいただくわ~とか何とか言って、もらった方がいいでしょ~ああやってせっかくの好意を無駄にするような事して叔母さんだって悲しいじゃん。嫌だったら後で捨てたっていいんだから、受け取っておけばいいのに。自分でわざわざ波風立てることしないでよ~~~(-_-メ)」すると母は「だってお父さんは食べられないんだから、いらないもん」…(-_-;)本当にあの人は自分に正直すぎます…また何かめんどくさい事にならない事を祈ります…夕べ母との電話の中でお父さんに足湯をしたいと言うので、看護婦さんにバケツが借りられたら病室で一緒に手伝ってと言われ、それはいいけど、今日看護婦さんに話したかを尋ねるとさっきはもうエレベーターが来ちゃったから、すぐ乗ったから聞いてない、と言われた…もし借りられなかったら、バケツ持参で行かないといけないから先に聞いておけばいいのにと返すとそんなのあるに決まってるでしょ!と言われる。気持ちを切り替えて母と話を続けた。足湯の時にもバスボムは使えるから、ついでに精油の力を借りて殺菌とか保湿もしようと言って言われた時間に間に合うように行くねと言って電話を切ったんだけど、今朝、すごい寝坊をしてしまい予定時間より遅れて病院へ行った所バケツは借りられるけど、今日はお父さんが疲れているからやりたくないって言った。と言われた。父がそう言ったのはいいんだけど、だったら連絡くらいしてくれてもいいのに。その為に電話を持たせているのに、はぁ…他にもこまごまと色々あったので、何だかものすごい疲れてきちゃって、父が放射線治療へ行ったのもあって待っている間に母と2人でいるのが耐えられないと思い「今日は帰るね」と行っていつもより早く病院を出た。先週から名古屋にいる彼は、月曜は帰れないかもと言っていたので、今日は一応帰ってきても問題のないようにと久々に食材を買って、ちまちまと作っていた。結局今週は帰らないらしい。がっかり。今日は病院から早めに帰ったので、物件探しをしていた。なかなか条件に合うものがない。焦る。時間がある時に準備をしていかないと、真面目にホームレスになったらやばい。今の家の大量の荷物は出来るだけ新居に運びたいと思って予算内で出来るだけ広い部屋を探したりして…途中で彼と何度かメールのやり取りが出来た。物件探しが難航している事と、MAXの予算を一応聞いた。多少の犠牲は仕方ないとしても、我慢出来る所は我慢しようという話でまたメールは途切れた。彼は彼なりに気にしてくれているので、一人で頑張らなくちゃ。その後数時間かけて探していたけどいまいち。水曜は不動産屋がお休みだから、明日は一日病院で丁度良かったのかも。いろんな不安で日増しに眠りづらくなってきた。それでいて朝寝坊するってのはいただけない。食材はがっつり作っているから、食べないと勿体無いので食べる。そうするととても色んな事に疲れているとは思えないくらい太る(^_^;)そう、私は忙しい方が太るのだった…とほほ…
2009年03月31日
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いやぁ。すごかった~今日は皮膚科へ行くついでにいい加減に印鑑証明登録をしようと思って役所へ出かけたですよ。印鑑証明は、去年からずっと父に言われていて、早くやらないとまずいなと思いながら流されてしまってたのさ。で、役所着いて番号札を取ろうとしたら、196人待ちって出てて…(^_^;)何かの間違いだと思って、念の為係員に聞いたら本当にこれだけの人が待ってるって。今からだと3時間くらいかかるって言われてびっくり。でもはるばる来たからには今日絶対用事を済ませようと思ってひとまず番号札だけ取って、先に皮膚科へ行った。こっちはこっちで春だと花粉症の患者さんが多くてかなり混んでいたけど、どっちに行っても混んでるから皮膚科でしばらく過ごす事に…なんだかんだで印鑑証明登録って、ほんとに3時間半後に呼ばれた…この時期は新生活を始める人とかの手続きでハイパー混むんだね。うっかりしたわ~あっという間に夜になってもうたよ(~o~)もう今日は寝る!絶対寝てやる!!朝から久しぶりに溜まった洗濯ができて、お布団も干せてゴキゲンなんだ。母は相変わらずでしたけど、文字化するのすら辛くなってきたので今日はやめやめ!!目指せ!1時就寝!!
2009年03月30日
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もともと自分は小さい頃から宵っ張りだけどさすがに年齢を重ねていくうちに夜はできるだけ早く休んで、気持ちよい朝を迎えたいと思うようにはなっている。それが出来ない時は仕方ないので、気持ちを切り替えているけど寝ようと思えば寝れる状況なのに突発的な事への対応があると、ダメになっちゃうんですねぇ。今日もついさっきまではたまには明るい記事を書こうと文字を打っている途中だった。また母から相変わらずな電話が来てまたどうでもいい話になってきて、お願いをしてもだめでどうしたらいいのって聞いてしまった。あんたはなんでそんな言い方しか出来ないの?疲れているんだから、病院へは来なくていいわ何やらお父さんに手紙を書いているみたいだけど難しい事ばかり言っていて、わたしにはわからない。あんたの言っている事は変だお父さんにはあんたは疲れているだけだから、手紙の内容は気にする必要はないと言ってきたからね。などなど…言っていた。まとめるとこんな感じだけど、その前後には無駄な話ばかり。本当に気遣っている人の発言とは思えないしそこに気づいていないから疲れるのをまったくわかってくれない。疲れてるなんてもんじゃないよ。だいたい私には関係のない親族同士の事で私が立ち回りしてさ、いい迷惑だっつーの。私には私の生活があるのに、ただでさえ自分の将来の事だってやらなくちゃいけないことがあるのに彼との連絡が途絶え気味になってきて悲しい中でなんとか奮い立たせようとしているのに何にもわかってないくせに、わかろうともしてないくせに…もう母と一生気持ちが繋がる事なんてないと思っている。ないと思っているけど、母にこう言った。普通の親子としての関係になりたいだけ。ただ普通にお互いに話をしてわかりあいたいだけだと思わず言ってしまったところ「そんなの誰だって思うに決まってるでしょあんたの言っている意味がわからない。おかしいんじゃないの」と言われた。こんなに一生懸命話をしているのに、私も伝わらない言い方をしているということか。毎晩こうやって疲れてもそのままやりすごすしかないってことなんだと諦めるしかないのかな。私の思いは届かなくてもそのままで親子の関係を続けるしか他に方法はもうないんだな。子供の気持ちをわかろうとせずに、変な子よばわりされちゃってさ。はぁ、ブログ暗っ(笑)そして夜は長い。
2009年03月29日
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今、ドバイワールドカップの生放送を見ていた。この日はグリーンチャンネルがノンスクになるので父の分もしっかり見ようと思っている。ウェルアームド強っカジノドライヴ8着…うーん。残念。今年がドバイで最後になるってどゆこと??スポンサーとかの問題?UAEの経済事情?最近競馬ネタがかなり浦島太郎だ…と言ってもレース間隔が空いているので、ちょうど良いタイミングで合間合間に自分の時間が持てた。トラぶっていた仕事もなんとなく一段落して、これで手持ちの仕事で緊急性が高いものはなくなった。はず。それだけでも気持ちが落ち着く。来週末からは病院の事だけ考えて生活が出来る気がしてほっとしている。今日父は元気はあったけど、いまいち反応が良くなかった。午前中に行って一緒にお昼を食べようと、今朝は家にあるもので自分用のお弁当を作った。もしかしたら父も食べられるかもしれないと思ってだし巻き卵を極限まで柔らかく作って、一応持っていってみた。父はおいしそうとは言ったけど、夕べの晩御飯は一切欲しくなかったし、朝も半分くらいしか入らなかったそうだ。今日のお昼も半分くらいしか食べなかった。放射線治療の副作用が徐々に出てきているようで、夜も何度も目が覚めて、トイレが近くて、熟睡が出来てないとか。主治医に今朝その事を伝えた所、無理に食事は取らなくてもいいと言われたそうだ。もともと嚥下困難な中でずっと頑張ってきたから、私も無理にでも食べさせるのはやめた。箸は持たせても、一口でも食べたらそれでいいと思った。食欲がなくなっていく事も、寝付けない事も父は状況を淡々と話しているだけで、愚痴を言わない。こうやって命の火を落とす準備をしていくのだと解釈した。それでも私のお弁当箱から玉子焼きを1切れ箸にとって食べようとした。これだけ柔らかいものですら、飲み込むときは辛そうだった。するっと喉を通っていくもの、水分が多いものなどしか飲み込めないので、今度持っていくとしたら茶碗蒸しかな。ガン患者の食生活は、相当大変だとは聞いていたけど、これが自宅療養だったら、本当に毎日が大変だろうな。私達は本当に恵まれた環境にいるなぁ。食事中に父の兄妹が来た。急いで食べようとするのは良くないので、落ち着かせる為に叔父さんたちには廊下のベンチで待っていてもらうようにした。食後に呼吸を整える為、父はしばらく横になって深呼吸をしなくちゃいけない。おじさんたちに状況を話して、わかってもらった。お父さんへと気を使ってお見舞いに持ってきてくれた食材は全部私が代わりにもらって帰る事に。お父さんと食事をしようと何か買ってきたみたいだったけど、私が父と一緒に食事中だったので、私を優先してくれた。ここ数日父が缶コーヒーが飲みたいと言うので、コンビニへ行くことにした。今日は叔父さんたちの分も買って、3人で飲むようにした。兄妹同士で話をしている間、コーヒー買いついでに急いでノートを買ってきて差入れを作ってくれた長男の嫁宛に廊下でお礼の手紙を書いた。叔父さんたちと少し立ち話をした。今の具合とかもろもろ。叔父さんたちに母の事をちらっと言われた。「あなたのお母さんさぁ、悪い人じゃないんだけどさ~~~」と叔父さん。「本当にご迷惑ばかりおかけしてすいません」と私。叔父さんたちは否定しなかった。おばさんも。昨日母と叔父さんは電話で話をしているようだったので、今日来る事は知っていたが、まさかお昼時に来るとは思わなかった。母が余計なおしゃべりをして叔父さんに煙たがられるくらいなら、お昼ご飯の後に父が呼吸を整えるために時間がいることやお昼休み中は控えてくれるよう、そして食べ物を含めた差入れは遠慮してもらうことをきっちりと話して欲しかった。ちょといらいらした。叔父さんたちが帰った後で、明日の高松宮記念の話とかしながら洗面台へ連れて行ってプチバスボムで手浴をさせてみた。頭と顔を拭いて、眼鏡を綺麗にして、ベッドへ戻ってくると、疲れているようだった。話はあまりせずに、二人でテレビを見てぼーっとしていた。こんな内容をダイジェストで母に電話して伝える事にした。昨日は一方的に電話を切ったけど、父の事は言わないと、母は無理をしてあれこれと持ち込もうとしてしまう。食欲が落ちている事はもうどうしようもない事だから母に余計な労力を使わせないようにと思ったのに…今日も今日とて、話を最後まで聞かずに色々と言いだす。また私が切れて語気が乱れてくると母は怒り出す。この繰り返し、この生産性の無い無駄な事は本当にいや。今日は本当に時間がないから、用件だけにさせて。そうでなければもう電話は切りたいと言った。母はふてくされて黙った。私の伝えたい父の事だけ言って明日叔父さんにお礼だけ言うように伝えた。どうせまた無駄話するんだろうけど、もういいや…深夜に親友から電話が来た。ブログを読んでいると言ってくれた。嬉しいけど恥ずかしい。何しろもうかれこれ20年以上の仲だから…でも本当に嬉しかった。べらべらと愚痴った。彼女も忙しいのに、本当に有難かった。今夜は少し気持ちを落ち着けて眠れそう。ありがとう。
2009年03月28日
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今日は一日仕事が忙しかったので、病院は行けなかった。あまりほかの事を考える暇がなくこのまま夜になれば身体が疲れているからさっさとお風呂に入ってブログで明るい話題でも書いて眠れると思っていた矢先…帰宅後に夕食も取っていないのに、また母と長電話。2時間以上。それも本当にどうでもいい話題ばかり。今話さなくてはいけないような事は数分で終わるのに…案の定、父へ書いた手紙を読んだ母は彼との事を根掘り葉掘り聞いてきた。それって疲れきっている私に今話すことなのかも投げかける間もなく、自分の気持ちを一方的に押し付ける。前向きに将来を考えようとしているのに「心配だから」という都合の良い言葉を使って自分の思いだけをぶつけてくる。昨日は昨日で、自分が撒いた種で子供が苦労しているのに親族がらみの話で私を不安にさせた。私は叔父さんの嫁となんて何もトラブルを起こしていないのに母の尻拭いをしている私に感謝もなければ否定的な事ばかり話して私が困っていても気にしていない。どうして自分の子供を不安に陥れようとするんだろう。どうして先の見えない事を見ようとするんだろう。彼が何を考えているかなんて、私にはわからない。聞きたければ直接本人に聞けばいい。そう言うと「だって忙しいんでしょ。いつかは聞かないといけないと思ってはいるけど、でも気になるじゃない」と言う。あ~~~~~~~~~~~~~~~~~っもう発狂したい。自然と私も大声になるし、怒鳴る。すると話の本質ではない所で怒り出す。ああいえばこういう。子供が言っただったら私だって言う。こんなやりとりをなんで2時間もしなくちゃいかんのよ自分の肉親なのにさ。街を見ると、私くらいの人と母親らしき人が楽しそうに買い物したり、食事をしている。一度だってそんな事した事がない。いろんな悩みも聞いてもらった記憶がない。自分の小さな世界の話でいっぱいだから、聞く耳がないのを気づかない。ほんとにお爺ちゃんとお婆ちゃん、そして兄弟たちを恨む。我侭いっぱいに育てた結果がこれだよ。まともな話し合いが出来ない親子なんて、なくなってもいい。これ以上の苦痛はもう、私がもっと壊れる。※さすがに数日のブログを読んで、気にかけてくださっている皆様。温かいメッセージ本当に泣けるほど嬉しいです。んでもって今日も発狂寸前でまた目が腫れそうです。だけど、本当に気にかけていただいている事は感謝です。ありがとう。この場を借りてお礼をさせていただきます。
2009年03月27日
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今日も今日とて…連日書くのもかったるくなるくらい、母との意志の疎通が出来ず。2人で話をしている時にすぐ話題を変える。その話題につきあって改めてもとの話をしようとするとまた話題が変わる。父の事についてはしっかりと聞くのは当然として、お互いの予定やら持ち物やらの確認中だって大事な話をしているのに、聞いてくれない。何度も何度もお願いして、メモを渡そうとすると拒否する。お願いをした後は「わかった」と言うけど3歩歩くと忘れるくらい、あっけなくお願いは忘れさられる。仕事の面ではちょっと嬉しい事があった。父に報告をするととても喜んでいたが、母はリアクションがない。私が毎日父に書いている手紙を母がこっそり読んだらしく、父に謝られた。でも仕方ない。今日はそんな中、母の姉とその娘…私の叔母と従姉妹が来た。もう一人の従姉妹が先週死ぬ寸前で病院へ運ばれたとつい数日前に聞いたばかりだった。胃潰瘍で出血が酷く、輸血が追いつかないほどだったそうだ。その従姉妹の病院へ寄りがてら、私の父に会いに来てくれた。大変な時に来てくれて嬉しいやら恐縮するやら。父はうれしそうだけど、今日はちょっと疲れているように見えたので、無邪気に父の横でぺちゃくちゃと話をしている母にいらっとした。父は何を話しているのか聞こえないので、3人の様子を見ながらときどき3人の後ろにいる私を見てにこっとしていた。母は自分の兄妹が来ると、父をほっといておしゃべりに夢中になる。それがとても見ていて嫌だと思う。病室の中に母のでっかい声が響く。これも嫌。ちょうど向かいも隣も看護婦さんがしょっちゅう来ていて咳き込む声や苦しそうなうめき声が聞こえてくるのだ。静かにしてあげないと、落ち着かないと思う。そういう周りの事も母は言われるまで気づかない。子供か!と言いたくなる。叔母達に父のベッドの場所が変わった話をしているのが聞こえた。あたかも自分が変えてもらったかのように話していた。何だかがっくりした。あれだけ看護婦さんにベッドを移す事を聞くのを嫌がったくせに。そんな騒がしい中、父はじっと天井を見つめていた。母の親族が来ても、父にとってはさほどの嬉しさはない。それは当然だと思う。ときどき目が合うので「大丈夫?」と聞くと、笑って頷く。帰り際に2人を送る時に、私を気遣ってくれたけど、従姉妹に「本当にお母さんの事だけで疲れてるの…」とうちあけた。「うんうん。そうだよね…」と言って、お姉ちゃんもそれ以上は何も言ってくれなかった。母がまだ居るというので、今日は早々に病院を出た。早く家に帰って晩御飯をちゃんと作ろう。明日からの常備菜を作って、明日の朝はまた週末いない彼を見送ろう。がむしゃらに台所で作業をしていた。夜になって彼から帰るという連絡の後でこれから名古屋へ行くと言われた。明日急に打ち合わせが入ったので、行かなくてはいけないということだった。終電までに時間があまりないので、焦りと同時に涙が溢れて手元のフライパンが見えなくなった。今日まではいると思っていたのに、いなくなる。今日は一緒にご飯を食べながら気分転換をしたかった。今日だけはそばに居て欲しかった。大慌てで支度をして、なんとか間に合って彼がご飯を食べている間に、今日の辛かった事をぶちまけた。今日は名古屋へ行ってほしくなかった。泣いて泣いてせっかくのご飯の時間が暗くなった。動悸も過呼吸も酷くなっても泣き続けた。こんなに母にわかって欲しくて頑張っているのに、どうしたらいいのかわからずにもう限界だと彼との生活がもうすぐ終わる事も辛すぎると泣いた。何をしたって彼は行く。わかっていても困らせている。彼は前向きに考える様に色々と話をしてくれた。別れるといっても一時的で、必ず迎えに来ると言っている。その言葉は今はとても遠く感じて、不安で泣く。そんな中でも身支度をして送り出す準備の手は止めずすごく無理をしてでも見送った。「頑張れ!」って強く言われた。母に負けるなって言われた。結局彼が出て行った後もわーわー泣いた。本当に今辛い。
2009年03月26日
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父が入院してから13日経った。毎日父の顔を見て、笑顔を見て、一緒に少しの間会話をするのは本当に私にとって落ち着く時間になった。父は自分の病気も含めて、運命を全部受け入れている。その上で無駄に命を削らないよう、一生懸命頑張っている。だから、見送るその時まで良い思い出を作る為に今私は出来る事を精一杯しようと決めた。時間的な余裕がなくなったけど、父との時間はとても貴重でゆっくりとした時間だ。が…母との関係についてはまだまだ終わらない。昨日と一昨日に引き続き、本当に話がかみ合わなくて辛い。母は父が病気の告知をされた時から現実を受け入れられないのかもしれない。それにしてもあまりにも内弁慶な時間が長すぎたおかげで、彼女の小さな世界の中では、今考えるべき事がありすぎてオーバーフローしている。正確には考えなくてもいい事まで考えている。そして消耗している。例えば買い物をする場所についてもそうだし、どこに何がどの程度売っているかなども、まったく知らない。知らないから教えようとしても、受け入れない。その結果、小さい世界でどうにかしようとして歪みが起きる。そして無駄に疲れている事に気づいていない。もっと楽な方法がいくらでもあるのに、聞く耳がない。誰が言ってもそれは変わらない。父はベッドで不安でたまらないようだ。お母さんが妹に食事を作ってもらわないと食べないのか、一人で銀行に行った事がないから、教えてもすぐ忘れてしまう、家の中の事も入院前に教えたのに、知らない、わからないと言う…父が呼吸が苦しい中でこういった事を言っている。私は「大丈夫。私がいるから」と言って落ち着かせようとしているけど、実際にはもう手がつけられない。昨日もちょっとした会話の中でいくつか出たキーワードがずっと頭に残ってしまった母は、無茶をした。その結果、今日は彼女にとって散々な一日になったと言って自分の狭い世界の中に閉じこもってしまった。私の話も、提案も、何も耳に届かない。本当に今日は泣きたくなった。私にこれ以上の心労はもう限界に近い。父のかわりに私が病気になってしまう方が楽かも…そんな事を思ってしまう。
2009年03月25日
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昨日は昼間に仕事をして、夕方に病院へ行った。途中でプリンを買っていったら、父は見事に完食してくれた。いつも自分で作っているプリンも食べてくれるかな。早く時間を作ってプリンを作ってあげたい。あまり長い時間病院にいられなかったので、母と会って父についての申し送りについて話をした。一旦点滴は終わって、毎日15分の放射線治療のみになることと、食事は家から持ってきて取っても良いと言われたそうだ。もう何でも食べられるものは食べさせないとだめということ。喀血が治まったので点滴を中断しているだけで栄養剤の中に入れていた色々な抗生物質は、また症状が悪化したら投与が必要みたい。父のあざと傷だらけの腕に、出来ればもう針は入れないで欲しいと思った。前日に私が強い口調で話をしたので、そういう時の母はしばらく目を見て話をしてくれない。またとんちんかんな話になってきたので、腕を持って「お願いだからちゃんと私の話に集中して」と何度も言った。母が私の話を聞かなくなった理由を、先日まだ父がちゃんとしていた頃に聞いた。ま、それはいつかぶちまけるとして…夜に彼がひさびさのご帰宅。また積もる話もあって長々と話をしてしまう。父の事だけでなく、私達の将来のことを話していた。やっぱり私はほぼ同時期に2つの悲しみに襲われるようだ。長い間今回の話を記事にしなかった。記事にしてしまう事で願わない結果になるのが怖かった。だけどまだしっかりとした結果を出すまでは記事にはしない。そんなわけで明けて火曜日。朝まで話し込んでしまったので、大寝坊をまたしてしまった。急いで食事をしていると、WBCが始まってしまった。結果が気になりながらも支度をして出かけた。病院に着いた頃、まだWBCは終わっておらず父と一緒に観戦をしていたら、父のお姉さんである叔母さんが来た。父はとっても嬉しそうに叔母さんと話していた。チョコレートの差入れを持ってくれたけど、嫌がるかと思ったら起き上がって私に「一緒に食べようよ」と言った。本当に兄妹の力ってすごいな。良かったねお父さん。WBCの延長戦を3人で見て応援した。途中で看護婦さんも気になってテレビを見に来たりして盛り上がった。父が韓国の攻撃中にトイレに行きたいと言ったので、支度をして車椅子を押していると、見えるほぼすべての病室のベッド際のテレビはWBC。すげー。(笑)今年も盛り上がったね。優勝の瞬間を3人で見て、3人で手を叩いて喜んだ。父と一緒に見る最後のWBCが、とても良い結果で終わったのは最高に嬉しくて涙が出た。個人的な感想…皆良く頑張った&岩隈サイコー!!!(^o^)/2連覇して欲しいと思ってたけど、ちょっと否定的でもあってその頃の私を反省しましたわ。でもこれでアメリカが開催やめるとかいわないかな(笑)アメリカが勝つまでWBCは続きそうな気がするのは私だけ?帰宅後は仕事がらみのメールやら電話やら…仕事面は本当に驚くほど有難いと思う事が多い。本当はずっと病院にいたいんだけど、いただいた仕事はしっかりやって次へつなげていかなくては…すごく複雑。
2009年03月24日
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今日の雨風もすさまじかった。応えるなぁ。台風か春一番かなんだかって感じ。電車が強風で徐行運転になったので、私の病院到着が遅れた。父は寝ていたので、そのままにして母へ電話をした。今日はダイヤが乱れているし、午前中から風が強いんだから午後はもっと強くなって、帰れなくなったら困るから来ないでと言った。昨日母の為にお昼ご飯を作ったけど、まあいいやと…もともと不便な場所に住んでいるし、雨風で荷物持ってなんてのに慣れていないんだから、無駄に疲れるのも可愛そうだし…目覚めた父は笑顔だった。食事は無理矢理取っているし、看護婦さんへの遠慮も少しずつなくなっているようだ。父も母を気にしていた。外の風の音も雨の音も父には聞こえないけど私がずぶ濡れで病室へ行ったので、理解はしていた。今日は来なくてもいいように電話をしてくれと頼まれた。私の携帯で父が直接話をした。父が話し終わって私に代わると、今日も叔母さんが私にお弁当を作って持ってきてくれるから行かなくちゃ、と母が言い出した。昨日から私は今日のお昼は持っていくと話していたのにちっとも私の話を聞いてくれていなかった。おまけに今日は午後にはどうしても病院を出なくてはいけないから私は朝から行くと伝えていた事もまったく耳に入っていなかった。最悪。こういう事が嫌だったから、寝て欲しいし休んで欲しいのに…これでは二度手間三度手間になるって、何度も話したことも頭に入っていなかった。重ねて打つけどほんと最悪。叔母さんは今頃もうこちらに向かっているし来るまでは連絡が取れないのでいるしかなくなった。焦る。昨日も私はミスをしているから、今日はもうしくじれない。母は言う事を聞かないので、じゃあ私が後で全部そっちへ届けると言って納得をさせるしかなかった。でもあんたはいつ来るの?何時に来れるの?仕事は?疲れてるでしょ。…もうそんな事にいちいち答えていられない。行くといったら行くんだから、いいでしょ。と言って押し込めた。急いで叔母さんに今日の経緯のメモを書いた。待てるぎりぎりの時間まで待って、だめだったらもう後はいいやと思っていた矢先に叔母さんが来た。父の前であれこれと険しい顔して話したくないので、書いたメモを渡して廊下へ行って読んで貰った。母が来ない事も知らないし、私も母への食事を持ってきた事も知らない。昨日母に話した事は全部母へ伝わっていなかった。今日は母には休んでもらって、大事な話はしっかり聞く耳を持ってもらうよう叔母さんから落ち着いた環境で母に話してやって欲しい。行けるようだったら母のマンションへ行って全部渡してきてくれるようお願いと書いた。病気の叔母さんには本当に申し訳ないけど、お願いした。叔母さんはNOと言わないのをわかっているから。叔母さんが快諾したので、後は父の事も叔母さんにまかせて気をつけて行ってきてとだけ言い、大慌てで病院を出た。傘がさせないほどの強風で、駅まで歩くのが大変。こんな時に母が来なくて、本当に良かった。私は結局無事に仕事が出来て、用事を済ませる事も出来てこれで一安心。途中で過呼吸気味になって、やばかった。家に帰ってからは父方の叔父さんから電話がかかってきたので話し、昼間のお礼を言う為に叔母さんと手短に電話。父方の叔父さんはその嫁とうちの母が犬猿の仲でひいては両家同士もそんな感じで、小さい頃からしょっちゅう母に愚痴られているので今さらなんだけど、何だか今日もえらいめんどくさい話に付き合わされた。それもこれも、母と叔父さんの嫁との40年にも渡る長い歴史の結果だ。電話は叔父さんからなのに、大事な話をしようとしたら嫁に代わられてしまったので、一応話はしたけど後は直接手紙を書いて伝える事にした。その手紙を書いている途中で、母から電話。手短にしてと何度お願いしても、5W1Hとか知らないから思いついただけ思う存分話をする。「それは今必要なこと?」「私が聞いているのは、こっちかこっちかってこと」「終わった事を話すのはやめて」こんなような台詞が最近私の口癖になった。あーやだやだ。父を静かに見送るまでには、周りの騒音は続くのね。父が耳が聞こえないのって、もしかしたら幸いなのかも…余計な雑音が聞こえないって今の父には適しているもの。くだらない話なんて父は聞かなくていい。でも今日はしんどかった~~~~~~(-_-;)
2009年03月22日
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今日は大寝坊をしてしまい、とりかえしがつかなくなった。猛烈に反省して、二度と同じ事を起こさないよう戒めた。本当にやばい。自ら信用をなくしてしまった。相手に私の状況なんて関係ないもの。言い訳もしなかった。あたりまえだけどさ。とりあえず病院へ行った。昨日父から髪の毛を切ってと言われていたのでさっそく髪を切る支度をした。抗がん剤の投与をストップしたので、髪の毛が生えてきた。黒い髪の毛が生えてきて、結構伸びていた。髪を切る時は病室から少し離れた大きな洗面台へ連れて行こうと思っていたので、併せてプチバスボムを持っていって、ホットタオルを作って頭皮も顔も首も拭いてすっきりさせてあげた。今日はローズマリーとマジョラムとタンジェリンのブレンド。気持ちが明るくなってくれる事を祈ってのブレンド。熱湯を張ってバスボムを入れてみた。しゅわーっと泡がはじける様子を見て、父は鼻のチューブを外して車椅子から乗り出してかがんで香りを感じているようだった。髪を切って、タオルで拭いて、頭皮をマッサージして…看護婦さんが毎日拭いてくれるといっても、父は気を使っていたんだろう。拭きたい所を言ってタオルを自ら手に取った。病室へ戻ってきた父の顔はすっきりしていた。顔がぴかぴかになっていて、母と笑った。髪を切った帰りにはトイレへも連れて行った。車椅子を引いたのは初めてだったけど、案外楽で問題なし。車椅子のロックを解除し忘れても押し進めていた私はすごい(爆)頭皮マッサージとホットタオルは続けよう。洗面台へ行く時があったら、これをやってあげたかったんだ。ローズマリーの香りはあの病室の雰囲気を明るくする。父も鼻のチューブをしていても、香りはわかるようなのでティッシュに精油をたらして枕元に置いてみるよう勧めた。こんな時こそアロマの力を借りなくては!今日は耳の聞こえ方が調子良いらしく、来週はいよいよ高松宮記念だねって話をした。馬券を頼んでもいいか聞かれたので、もちろん!と答えた。ドバイワールドカップもあるから、来週は忙しいよねって笑った。1週間前の父とはえらい違いだ。本当に元気になった。食事もほぼ完食しているようだし、お腹の調子も問題ない。叔母さんと私はこれが最後の元気な姿なのかもと思っている。気が抜けないけど、今の状態は素直に喜ばしい。母は相変わらず寝ていないようで、とにかくぼーっとしている。話をしても上の空で、会話がかみ合わない。いらいらする。大事な話をしている途中でも、まったく関係のない事を言い出す。「しっかりして」と腕をつかんだ。今日は早く帰って、とにかく休んでとお願いしたけど、意味もなくうろうろとして、父に邪魔者扱いされていた。本当にこんな状態で最後までもつんだろうか。とかいう私も大寝坊なんてしている場合ではない。夕べは頭痛が酷くて眠れなかったので、薬を飲んだのがいけなかった。痛さが和らいで爆睡してしまった。最近買った目覚まし時計がどうもダメ。音を聞いた記憶も、目覚ましを止めた記憶もない。携帯の音はまったくダメ。困った。何か新しいのを買わなくては。…誰かモーニングコールしてくれませんか(^_^;)
2009年03月21日
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今日は父の兄弟がお見舞いに来た。長男と、その嫁。母は父が息苦しくて会話はあまり出来ないので短時間でのお見舞いをお願いしたけど、結局1時間もいた。WBCを見ていて、ベッドのテレビから動かなかったそうだ。その間も点滴中で、主にヴィーンとソルデムというブドウ糖などの栄養剤を毎日何度か行なっている。点滴後はすぐに入れた分だけトイレへ行きたくなるそうだけど、ずっと叔父がいたのでトイレを我慢してしまったらしい。車椅子でないとトイレへ行けないので、すぐに用意が出来ずパジャマが汚れて、取替えのパジャマが底をつきてしまっていた。急いでパジャマを買いに行き、なんとか落ち着く。それでも尿瓶を使うとか、おむつをするなんてこと動けなくなるまではしたくないし、父も望んでいない。遠慮なく看護婦さんを呼ぶようにと父に言い聞かせた。昨日今居る病室にいる患者が退院するといってお見舞いの人たちは大声で「良かったね」と言い病室ででっかい声で携帯電話を使い、大人数で盛り上がっていた。その隣で父はエコー検査をしながら点滴をしていた。その後で無気肺の事を告げられたんだった。私は腹が立ってどうしようもなかった。喜んでいるのはいいとしても、せめて最低限のモラルを守って欲しい。正直、患者とその家族の事をちょと恨めしく思った。今日そのうるさかった人たちは早々に退院していなくなった。併せて別の人もいなくなっていた。6人部屋の部屋に2つ空きが出来た。しかも窓際の眺めのいいベッドが空いたので、母に父のベッドを移動できるか看護婦に聞いてみようと提案した。山が好きな父だから、丹沢の山々がくっきりと見えるこの場所はきっとうれしいに違いない。夕日もとっても綺麗に見えるし、朝日だってきっとそうだろう。空の青さも街の景色も、良く見える。母はそんなこと看護婦さんが聞いてくれないと決め付けた。西日が暑いし、まぶしいのは嫌だと言った。父がそう言ったのかを一応確認したら、そうではないと言ってごにょごにょ…まだ母が話を終えていないうちに、私はナースステーションへ行った。もう間もなくここで最期を迎えるので、せめて父が好きな山が見えて空の青さが近いところで過ごさせてあげたいと言った。看護婦さんは即答で快諾してくれた。ベッドごと移動が出来たし、言ってから10分も経たないうちにお引越しは終了。こんなもんでしょ。お願いしたら。父はとっても喜んでいた。暑さも眩しさもずっと感じていないんだから少しでも外が見える方がいいはずだもんね。左右を見てもカーテンなんて毎日じゃ、たまらないもんね。テレビも見なくなったから、景色を見て気分転換して欲しい。今日は家に帰ってからは、葬儀の事やいざという時にすぐに持ち出す為の荷物のメモ書きをしていた。葬儀については特にすぐ行なう事だから、せめて何をしたら良いかを頭に入れておくだけでも、って思った。何社かに見積もりを頼んでおいた。母はきっと父が死んだら今よりもっとぼーっとしそうだから私だけでもしっかりしていなくちゃ。今住んでいるうちから病院までの距離も調べた。電車が動いていない時間帯はタクシーしかないのでおおまかな時間とか金額も調べておいた。叔母さんとまた少し電話で話をした。私と叔母さんは今思考がとても似ている。なんといっても生きている人、これからも生きていく人の事をある程度は優先させないとダメなことも父にもっと生きて欲しいという願望は置いておくとして現実はしなくてはいけないことが山ほどあること、その為に家族が今倒れないようにしないといけないこと、それらを母に理解させること…超現実的だけど、これは事実であって自分の身に降りかかること。今日叔母さんはわざわざ母の為にお弁当を作って持ってきてくれた。本来なら私がしなくてはいけないのに、私が忙しいのをわかってくれて代わりに食事をまともに取らない母へ作ってくれた。本当に助かった。叔母さんも具合が悪い中頑張っている。兄妹っていいな、なんて思った。ま、それはともかくとして、そのお弁当は食べたようで安心した。その際に少しずつ母へ話はしているようだ。まだ私達が若い頃に皆で撮った写真の中の父がとても良く映っているので、遺影に使うようにと持ってきてくれた。私は去年父とウインズに行った時に撮った携帯の写真しかないので叔母さんが持ってきた写真はすごく有難かった。私もまともに自炊しない時間が増えてきたので、さっき一気に数日分の食事を作った。人の心配ばかりしていられないよね。みんな疲れがピークになって、衝突が増えてきたので美味しい物を食べて気分転換しなくちゃ。明日からもずっと生きていく人を優先しなさいと叔母さんと私に言われた母は、反論ばかりして素直に聞かない。だったら私だけでも気をつけなくては。
2009年03月20日
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昨日は母の妹が病院へ来たということで、(何度か話題にした叔母さんです)母は多少落ち着いていたようだったけど、妙にテンションが高すぎて何だか父だけでなく母も心配になった。今朝は彼を見送った後で電話が鳴ったので父に何かあったのかと思ったら、母からものすごいテンションで電話がかかってきた。今週に入ってから、私達は面会時間関係なく病室に出入りをさせてもらっているんだけど、母は朝早くから一日病院へ行くって言い出した。フルーツを絞ったから、それを持って行くから私は仕事をしてから急いでこなくても大丈夫だから、とかなんとか…結局今日も朝から晩までいて、食事の時やトイレなどを付き添っていた。気が張っているうちはいいけど、夜も寝ていないようなので非常に気になる。言って聞かせるしかないんだけどね。夕方にたまたま主治医と遭遇して、私は呼び出された。母もすぐ呼んで一緒に先生の所へ行くとレントゲン写真を見せられた。左の肺が完全に真っ白になっていた。こんなの見た事がなかった。無気肺で左の肺が潰れてしまっているんだと言われた。リンパの転移もあるし、原発が潰れているので、他の臓器を圧迫しているんだそうだ。もしかしたら随分水も溜まってきているかもしれないので、管を身体に入れて抜く事を考えようかと思うと言われた。血圧が高く、貧血も悪化、自力で呼吸が日増しにしづらくなっているので酸素の量を増やして鼻から吸ってもらうようにするとも言われた。いずれにしてもずっと危険な状態に変わりはなく放射線治療の経過は来週CTで確認して、今後の事はまた来週に、とのこと。母と私は一瞬黙ってしまった。刻一刻とそのときが迫っているような不安感が押し寄せる。私は先生に聞いた。「難しいとは思いますが、父はこの状態で後何日、生きていられるんでしょう」先生は「それは…日数は難しいですが、本当に危険な事に変わりありません」と言った。すると母が「今月いっぱいももう…無理ですかね」と聞いた。先生は「どうでしょう…今月は多分大丈夫かもしれませんが…」と、答えた。父が元気だった頃から、最期になってあれこれと延命をされるのは嫌で苦しい思いを続けるくらいなら、いざという時はすぐ死にたいと何度も言っていたので、先生にその事を伝えて「今後の治療は父の意志にまかせたいので、緩和ケアへ切り替えると言った際には、対応を御願いします」と言うと先生は「もちろんです。大丈夫ですよ」と言ってくれた。父はほとんど話をせずに、テレビも見ずにただ天上を眺めている事が増えた。時々目が合うので、「大丈夫?」「何かして欲しい?」と聞くと首を横に振ってまた天井を見ている。毎日手紙を書いているので、私の気持ちは伝わっているようでご飯も無理矢理食べるようになっている。副作用で味覚が完全に変わってしまい、ますます食への興味が消えていきそう。ただ私達は見ているしかない。帰宅後に放心状態に近い状態で、気がつけば彼へメールをしていた。今日から4日間会えないので、こういう時に話す相手が誰もいないと本当に心細くて辛い。でも何度もメールをすると返事を返してくれて今日は嬉しかった。その後叔母さんとも電話で話をして、また2人して泣いてしまった。それでも今出来る事をしっかりやって、早く休んで、そろそろ葬儀の事を具体的に考えなくてはね、って話で終わった。叔母さんが出来る事はするから、分担してやりましょうと心強い事を言ってもらって安心できた。WBCの結果は病室で知ったけど、父はあまりテレビを見なかった。決勝まで見て、大相撲もあって、来月からは競馬も春のGIだし楽しい事がいっぱいあるよねって励ました。返事をする力が弱く、聞こえづらいのもあって反応がいまいち。目はうつろに鳴っている事が増えた。まだまだベッドでも楽しく過ごそうよって春は楽しい事がいっぱいだよって来月はお父さんも私も誕生日だから、一緒に祝おうよってそんなことくらいしか言えないけど、まだまだ励まし続けていく。
2009年03月19日
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今日もお昼に間に合うように病院へ。ちょうど配膳が終わって食べる時だった。食べる前に父が毎日点滴で辛い右腕を使って手紙をくれた。メモ帳を切ったものに8行くらいだったが、辛い中良く書いてくれたと思った。変な事言って心配かけてごめん。治療に専念するから安心して。お彼岸のお墓参りよろしく。など、前向きな内容だった。良かった。字の揺れ方が辛さを物語っていて痛々しいけど、手紙の内容が嬉しかった。ただちょっとした事でイライラしやすい回数が増えてきた。おととい病院の帰りに母と一緒に春夏用の父のパジャマを買った。ところがそれが気に入らなかったらしく、一切着てくれなかった。理由を尋ねると、ものすごい勢いでしゃべりだした。父は母が勝手に選んで買ってきたと思っていて、あいつは自分が着るわけでもないのに病室の温度に気遣いもせずに…と無理にしゃべるので私が選んだんだと何度も言って謝った。そんな風に言ってくれるだけでも、回復している。おとといなんて、私が帰ると言ったら悲しい顔をしていたのに、怒るという感情がわいただけでも良いんじゃないかななんて思った。そのときは気付かなかったけど、今日の父は私の話をまったく理解していなかった。元々耳が片方聞こえず、補聴器をつけているけどその補聴器の事でも色々とあったり、聞こえないのも抗がん剤の副作用で悪化したりしたようで、今日は筆談で話をした。私が文字を書いたら読んでもらって、なるべくYES、NOで答えられるような質問にした。1時間ほどで私は仕事に行かなくてはいけなかったので明日来る母に御願いしたい事を聞いて、無理せずにねと言って肩をぽんと叩いたら、父が久しぶりに笑顔を見せた。今日の良かった事その2だった。ところが、電車が止まっていた…(-_-;)だったらまだまだ病室で父と話していれば良かった。なんだかんだで思うように仕事ははかどらず、めちゃ腹が立ってしまった。その後今日の報告を母にして、途中でまた言い合いになって…喧嘩の種はいつも母が私が話している途中で口を挟んでくる事を繰り返すから。時間がないから用件だけ言わせてと言っても自分が思い出した事をすぐに口に出すから話がちっとも進まないので、私がそのうち爆発する。人の話を聞けと何度言ったらわかるんだ、まずは黙って聞く事ができないのか忙しいんでしょとか気を使うなら、私が一番望む事を優先してくれと。がーっと怒鳴り散らした。でも喧嘩をしている場合ではないので時間を置いてからまた電話をかけて言い過ぎたことを謝った。すると母も謝ってきた。びっくり。父が何度も私に「お母さんと仲良くやれ」と言うので父の目の前で言い争うのはやめるようにしていたけど、こうやって母も歩み寄ろうという気持ちがあるならうまくいきそうでこれまた安心できた。まだまだ課題は多いけど、1個ずつ片付けていこう。明日は父が放射線治療で、その前に母が行くとのことで付き添って良いと言われたら、治療も付き添ってあげてと言った。午後何時から開始して何時に終わるかわからないらしいので、私は明日は付き添えない。普段病室は正午からの面会時間だけど、特別に午前中から入れると看護婦さんから言われたというので、母は何か食べ物を作って持っていくらしい。報告は明日聞くとして、相変わらず私は猛ダッシュで仕事を進めていく事に専念。ま、そんな時に限って思うようにはいかないのが良くある話なんだよね。
2009年03月17日
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今日父の病院のお昼ご飯の時間が開始すると同時に病室へ入りました。そしたら食事だけが置いてあって、お父さんがいない。30分待っても帰ってこないので、不安になってナースステーションへ行くと、看護婦さんが、放射線治療をしていると言った。え??放射線??と聞き返して動揺していたら主治医がたまたま近くにいて、「お父さんは別の棟へ行ってます。放射線治療の説明などを聞いているので、じき帰りますよ」とのこと。いやいや、放射線治療ってどして?と疑問に思いながらも父を待つ事1時間。置かれている食事が冷めてしまうのでイライラしていると、看護婦さんが一旦下げて戻ったら温めなおすって言ってくれた。そうこうしているうちに父が車椅子で帰ってきた。母もじき到着して、昨日話をした腰痛の事を聞こうというので、一緒に主治医のところへいった。放射線治療の事も何なのか聞きたかったし。すると主治医は土曜に父に直接説明をしていたのだとか。恐らく脳の萎縮が進んでて、記憶が飛んでいるんだろうと思ったので、あらためて主治医に経緯を尋ねると、現在の状況は厳しく、これ以上抗がん剤投与が出来ない。本人の前では言えなかったが、前回の検査で既にリンパへの転移も見つかって、さらに原発も大きくなり、身体が相当辛そうだったので、放射線治療を提案した。嚥下困難はリンパ節への転移のせいで、完治はない。既に宣告をした時の余命半年を間近にして非常に厳しい状態なので、そろそろ覚悟をして欲しい。母はもちろん、私も頭が真っ白になった。やはり全身転移していたのか。リンパ節への転移は致命的で、リンパへ転移=全身転移=助からないということくらい既に学習済みだったから覚悟はしていたとはいえ、やっぱりショックだった。以前よりも父と話をしていても元気がなく、うつろな表情でいるのも非常に気になっていると主治医が言った。食事を無理にさせるのは続けてもかまわないし、もちろん出来る限りは頑張った方がいいので、精神的な落ち込みは出来るだけ拭えるといいですね。って言われた。放射線治療は付け焼刃程度で、私達やお父さんを気遣っての先生からの提案なんだと感じた。ステージ4の人が放射線を受ける事自体、ほぼそうだろう。話を聞き終える前から食事をしていた父は、既に食べ終えて点滴を受けていた。父は今日のお昼ご飯はいつもよりはずっと多く食べてくれた。たくさん話して手紙を書いた事で、目の色もずいぶん違った。うつろだった表情はほぼ元の父に戻っていた。それだけはほっとした。母曰くやはり私の力はすごいのだそうだ。だったら流動食から普通食になるまでは頑張ってみよう。一緒に頑張ろうって励ました。週末から名古屋へ行っていた彼も月曜の夜は帰って来る。細かい話は置いておくとして、ずっと連絡が取れなかったので顔を見るとほっとしてついつい長話をしてしまった。一人で家にいるとどうしようもない気持ちで押しつぶされてでも誰もいなくて、本当にどうにかなりそうだった私には今日帰ってきてくれて本当に有難かった。でも今週は祝日があるので、前倒しでまた木曜からは名古屋へ行くのだとか。辛いな。本当に。でも我慢する以外の方法がない。先週眠れなかったので、アルコールに手を出したら案の定翌日に調子が悪くて起きれなかった。私は逃げ道がないんだ。逃げちゃいけない事だらけだけど自由な時間がないから余裕がないんだ。まだ早打ちが出来るからこうしてブログにぶつけて今日の思いはリセットするように意識が働いているだけでもいいっか。明日もまたお昼ご飯の時間に行って、それから仕事へ行く。母が体力の限界になってきたので、私がなんとかしなくちゃ。あれだけ毎年文句ばかり言っていた母が、この辛い花粉症の時期に愚痴を言わなくなった。それだけは本当に偉いと思った。方法はどうであれ、母も必死なのだというのが伝わった。毎日父に手紙を書いても書いても話題に尽きる事がない。どんな励ましの言葉を並べても足りないと思ってどんどん書いてしまう。そのうち脳への転移が進んだら、父はもう私のことも忘れてしまうかもしれない。せめてその前に記憶へ少しでも残るなら、父に喜んで欲しい。だけど、カウントダウンは着々と迫ってきている。
2009年03月16日
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今日父に会いに病院へ行ってきた。食事が喉を通らないというので、ゼリーとか作ってたまたま買った蒸しパンとかその他色々と持って行った。父は最後に会った時よりもはるかに様子が変わっていた。そして点滴ばかりで傷が増えた腕に更に点滴をした状態でうずくまっていた。鼻からは酸素のチューブもつけていた。呼吸が出来ないので、本人が嫌がってもつけたらしい。父は私と会ってすぐ「もうこのまま死んじゃうかもしれない」と言った。ああ、気持ちが弱っているんだ…こんな所で寝てばかりでは気力から磨り減っていく。直感でそんな事を思った。母が今日私と時間を合わせて行くということで、普段の面会時間よりも遅めになったので父は母に何かあったのではないかと思い、心配して看護婦さんに自宅へ電話をしてと頼んだばかりだったそうだ。実はここ数日父は母と連絡を取っていない。いつもは入院中毎日夕方に母へ電話をしていた。それが起きれないほどの腰痛で、さらに体力がないから数歩歩くだけで息切れして電話もかけに行けなかった。変わりに看護婦さんが用件を母に伝えていた。父には母が遅くなったいきさつを話して、安心してもらったが、それでも父は数分後とに時計を見ていた。「あのバスに乗っていれば、もう着く頃だ」「来る途中で事故に巻き込まれたのかもしれない」などなど、息苦しいのにいっぱい喋って…結局母は一人で無事に病院へ来ました。大幅に遅れたのは途中で買い物をしてのんびりしていたから。まったく、マイペースな性格。羨ましい限りですわ。相変わらず食欲がないので、点滴だけでいいだの起きてから一滴も水分を取っていないだのともう弱気になってしまっている様子を見て持ってきたものを食べるかどうか試してみると食べてくれた。入院してからハーブティーも欲しくないと言っていたけど淹れてあげたらがんがん飲んでくれた。結局食わず嫌いと見た目だけの先入観と好き嫌いもあってちょっと見てダメだと判断していただけらしい。もしかしたら気の持ちようなのかもしれないと思って、励ましてどうにか納得をしてもらうように話をした。口から食事を取らないと、点滴だけでは身体は弱って歩けなくなって、歩けないからおなかが空かなくてそのうちベッドから動けなくなって、あっという間に痩せちゃう。○○のカツが食べたいとか、一緒に王将へ行こうとかそういう事がまったく出来なくなるからととにかく話してみた。うんうんとうなづいていたので、少しは通じたかな。母と後で話をしたところ、やはり精神的に弱っているから余計に食欲も出ないのかもしれないという結論に。病院の雰囲気も良くないし、自身の味覚が変わってきたから何を食べても不味いから嫌になってきているだけだと。同じ事を母も思っていたようで、不味かろうが何だろうがとにかく吐き出してしまうわけではないので多少無理にでも食べてもらわないとまずい!もし本当にガンのせいで嚥下が困難ならば先生から食べる事をとめられるはずだから、それまではどうにか頑張ってもらおうという話をした。母が「あんたが言うと言う事を聞く」と何度も言うのでじゃあ明日からも毎日父のお昼ごはんの時に行くようにすると言って、母には安心をしてもらった。その後、母から携帯を受け取ると、確かに電源は入らないしバッテリーを入れ替えても変化がないのでとりあえずお店へ持っていくことにした。日曜だからお店が混んでいてすごく無駄に待った。やっぱり充電をしていないだけだった。1時間以上待って、結局数分で決着(笑)明日母に返してちゃんと充電の仕方を教えておこう。さっき充電の仕方を画付でわかりやすいようにでっかいマニュアルもどきを作ってみた。その後母から電話が来て、腰痛はなぜ治らないのかをずっと考えていたと…うう、ご飯食べたかったのに…(-_-;)先生が抗がん剤の副作用ではないといったきり何も話してくれないことが不満のようだった。明日聞いてみる事にして、あまりこちらから骨の転移の検査をしろとかもっとちゃんと調べろとか言わずに話を進めるよう説得した。でないと決め付けて先生に指示をする(ように聞こえる)のは非常に患者として不利な気がしちゃって。ただでさえ忙しい先生なのに、母の長話に付き合うのは申し訳ない。私が先生に聞くのは嫌で、自分も聞きたいというので明日母も来るらしい。しっかし私ってば信頼薄いのね…そんなこんなで明日からは父が回復するまで毎日病院へ行く事にした。ちゃんと食事が取れて、気持ちが落ち着くまでは父に顔を見せないとますます弱ってしまう。気弱になっている病人に頑張れなんて言いたくない。だけど今回はたまたま風邪を引いてしまっただけなんだ。治ればまた抗がん剤治療が始められる。重症な副作用もなく、とても順調だったんだ。だから励まし続けていかなくちゃ。まだ数回だけど、毎回手紙を書いて渡す事にした。会話は息苦しくなるから控えないといけないので一方通行になるけど、手紙でも励ます事にした。家に帰ると本当に有難い事に仕事の依頼が来ていた。断れない。私が断って別の人へ回るのは嫌。収入が減るのもこれ以上はまず過ぎる。どうにか予定を経てればうまくいくはず。後は父が少しでも回復したら、母にまかせられるからそれまでは一生懸命やってみよう。明け方からWBCなんだよね…うう、録画しなくちゃ。さすがに起きてはいられないもんね。
2009年03月15日
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今朝の強風のせいで、電車が止まって参った。一晩中雨風がすごくて、寝付くのが時間がかかっちゃった。電車が止まって移動が出来ない事がわかったので、予定を立て直して午後からはどうにか消化できた。…と思ったら、今日予定していた仕事先から連絡があって夕方の仕事がドタキャンとのこと。参った。最近結構順調だったんだけどな。昨日電話でばたばたしていて今日の事を大急ぎで決めた挙句のドタキャンは正直言っていらっとするけど、しょうがない。そんなこんなでぐったりして家に帰ると今度は母との長電話で晩御飯が作れず参った。ご飯の後で長電話に付き合おうかとも思ったけど、仕事を片付けないとまた昨日の二の舞になるので出来るだけ要点を話してもらうように御願いをして結局遅くなっちゃった(^_^;) 参った。母との電話を切ってから数分後にまた母から…携帯電話ではなく一般電話からかかってきた。さっきまで話をしていた携帯電話がおかしいと言われ、どこがどうおかしいのかを尋ねてもかなりパニくっていてまったく話がわからず参った。すごく感情的になってきて、血圧が心配だったので、今日はもうそのままでいいから、操作はせずにいて明日父のいる病院で会う時に持ってきてもらう事にした。本当に故障だったらお店へ持っていかないといけないので保証書を持ってきてと言ったら、どこにあるかわからない(父が片付けたらしい)と言われちゃった。参った…参ったぁ~~~たぶん充電が足りないとか、バッテリー外したら治るとかのはず。バッテリー入れなおすとかなんて頼めないし、おかしくなったらとりあえず電源を切ってと言っても電源を入れる事も落とす事も、何度か時間をかけて教えてもやっぱり覚えられないらしい。昨日は何度電話をかけても出ないからおかしいなと思ったら着信音を父が変えたらしく、何度も電話から変な音が出ているからずっと無視していたんだとか。出来るだけシンプルに必要最低限の説明しかしていなかったから、怒るに怒れずだったけど、それにしても参った。てなわけで明日は一日無事に過ごせるように今から祈るしかないわ~(-。-)y-゜゜゜
2009年03月14日
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しっかし…風が強すぎませんか??(~o~)春何番吹くんだよってかんじ。それでいて雨まで降っちゃって、やだなぁ。この時期は毎年こんな感じでぼやいてるかも。こうやって気がつくと春になってて、もわ~ってしてあっという間に桜が散って、夏が来て…父は今日から無事に入院できました。無事にできたのは入院だけで、状況は良くないです。その為私は今週から出来る限り前倒しで仕事をして、少しでも多く病院へ行く時間を作ろうとしてます。今日もかなり詰め込んで仕事をしていた所、非常に珍しく電話ばかりかかってきてびっくり。本当は今日の父の様子を聞きたいから母へ電話をいの一番にしたかったのに、まずは仕事を片付けて、耳鼻科へも行ってまた仕事して、結局夜になってしまい、0時を過ぎてしまいこんな時間。父は病棟へ行ってからは一日中点滴をして喀血と痛みを抑えているらしい。相変わらず食欲がなくて、病院の食事も(不味いから)食べない。CTを撮ったら肺の中に転移している小さな癌が大きくなっていたんだって。それもはっきりとした状態がわからなくて、お腹を開かないとわからない事が多いとのこと。薬漬けだな、ずっと…そして主治医から緩和ケア担当の先生を紹介されて、モルヒネ(麻薬)の説明をされたんだって。母一人でなかなかしんどい話をされたんだな。今日は私が仕事を変更出来なかったのでそんな時に限ってしんどい話をされて可愛そうだった。癌患者の直接の死因がガンというのはほとんどない。合併症がほとんどで、それは去年からいろんな読み物で読んだ。そっか、こういうことだったんだ。そう思う事が日増しに増えてきた。とにかく早くやっつけられる事はやって父に会いに行きたいんだ!!
2009年03月13日
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今日移動中に小腹が空いたので、近くで目に付いたロッテリアへ行きました~ロッテリアって普段行く機会がないからメニューの中に好きなものもない。しいていえば、一時期話題になっていた産直ポテトを一度くらいは食べてみたいなと思ってたくらい。せっかくなので、その産直ポテトを食べてみた。じゃがいも丸ごと素揚げっていいよねっ塩にこだわってるとかで、振りかけるのではなくてつけて食べるものだったみたい(笑)揚げたてを持ってきたので、手でつまめないの(^_^;)でもほくほくでかりっとした焦げ目もあって美味しかったっす。満足。今日は道に迷いませんでした~(笑)でもどたばたなので短めでおしまい。
2009年03月12日
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久々に派手に道に迷った~~~…いや、結構迷ってる事はあるんだけど、派手に迷うというのは、数十分以上~何時間という単位で目的地に辿り着けないという場合をさすのです(~o~)例のごとく恥ずかしい事にまた「あんたは本当に江戸っ子なのか」と問われそうな感じ…(^_^;)東京駅って今かなり大規模に改装工事してるのね。だから以前行った時と景色が変わっててさ、地上の丸の内出口はもうわけわからん。しかも新丸ビルとか出来てからは東京駅改札を出た事がなかったからパニくるパニくる…と言い訳を並べたところで(笑)とにかく今日は無駄に歩いた!オアゾを丸ビルと勘違いし、地下を歩いても間違えて出入り口が四方にあるのを知らずにさまよい挙句の果てには帰りに東横の人身事故で電車止まっちゃって家に帰れず車内でふて寝して気付いたら横浜にいた…そういえば先週は3日連続で乗っていた電車止まったんだった。さすがに3日目は「もう今日はないよな」と思っていた矢先だった。この時間のロスを返して~~~と心の中で絶叫してたっけ。時間ロス保険とか欲しいよな。時間で返ってくるのは無理だから、せめて金品でどうにか…(笑)で、今日はなんだかんだで東京駅周辺で良い運動をした後に丸ビルに無事に到着して、腹減りだったのでクアアイナへ行った。今日のランチセットはBLTだったので、たまにはお肉とかマヒマヒ以外のもチャレンジしてみようと思って注文してみた。そしたら奥さん!これがまたうまいじゃないの~~~ベーコンが超カリカリで香ばしくて脂が抜けててでも香りと味わいはしっかり残ってて、玉ねぎとレタスとトマトと合う合う!どうも外でBLT頼むと、ベーコンが脂っこくていまいちなんだけど今日のはすごい好みだった!感激~しっかし丸の内の皆さんはリッチだなぁ。1000円超えるランチばかりのお店が並ぶ中でどこも満員だもん。私なんて980円のBLTサンドセットを食べるのにも勇気がいるってのに、1300円のアボカドバーガーセットにトッピングだのオニオンフライだのを追加してる人まで!クアアイナのランチで2000円もかけられないよぉ。クアアイナのお店の外はオープンテラス風になっていて、これがまたなんとも良い雰囲気。こんなところで座ったら、午後から仕事に戻れなくなりそうだ。そんなこんなで今月はやたら都内に行くので少しは江戸っ子ぶりを見せておかないと…\(-o-)/
2009年03月11日
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今日は父の検査通院の日でした。状況を見て問題がなければ、抗がん剤投与の為の入院に入るはずでした。自分が忙しかったので先週は1度しか父と電話で話ができずこちらから連絡をしないと母は連絡をくれないのもありまったく父の状況がわからない状態で今朝病院へ行く支度をしていると、今朝父からメールが。昨日から喘息の発作のような咳と血痰を吐き、さらに腰痛が酷くて歩けないので、今日は自宅からタクシーで病院へ行くとのことでした。先週お父さんったら不注意で風邪を引いてしまってそこからこじらせてずっと具合が悪かったんだって。ちゃんと電話して様子を聞いていたら早めに病院へ行くよう言えたのに…反省。両親とも病院への連絡を躊躇していたみたいだけどこれからは気をつけるように言っておきました。同じ事を後で看護婦さんにも言われてたし。今日の外来は信じられない位混んでいて、結局終わったのは2時半を過ぎてからでした~びっくり。父は検査の為朝ごはん抜きだし、私達もお腹空いたしで困った困った。すぐにでも入院できるように全部準備して来たけどベッドの空き待ちで今日は大量の薬を持たされて帰されてしまった。早く空いてくれるといいんだけどな…胸部のレントゲンを見ると、一時期小さくなった癌が1.5倍くらいに大きくなってました。抗がん剤の威力を思い知らされたって感じ。去年の秋以来、骨の検査はしていないけど、腰痛は癌の骨への転移かどうかわからないんだって。いずれにしても風邪から気管支炎になってさらにそれが悪化して胸部が苦しくて食事が出来ない位になってしまっているので、「風邪は気をつけてください」とまた先生から言われてもうた。朝病院へ行ってすぐに注射をして、さらに診察後には点滴をしてからは、少し息苦しさが減ったとのことで、帰りのタクシーを呼んで、途中まで乗って帰ってきた。そんなこんなで腹減り限界だったので、帰りに目に付いた王将へ迷わずIN!!!一人でも入れた…こうしてまた一人で行ける店開拓に成功。あまりの腹減りに見るものすべてが食べられるんじゃないかという変な錯覚に陥ったけど、餃子と揚げそばなど頼んでみた。お店によって揚げそばの具の中身が違うんだね~帆立入りなんて初めてだよ。リンガーハットの皿うどんも好きだけど、王将も捨てがたい。あんかけの揚げそばってのが好きなんだなぁ。うんうん。王将の揚げそばってすんごいボリューミーなので20分かけて食べて、お腹がぱんぱんになりそのまま電車で爆睡しちゃった~この所ちょっと睡眠不足。まだ火曜日なのにやばいなぁ。
2009年03月10日
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先月撮った写真の中から、今日はLUSH。アロマテラピーにはまるきっかけにもなったこのメーカーですが、最近はカタログを見てにやにやする程度でした。でも先月、毎年恒例のラッキーボックス販売がありました。クリスマスものとか、冬の限定商品をかなりお得にセットにしてお得な値段で限定販売するという企画でして、言い換えると在庫処分…ともいうかもだけど(笑)何が来るのかは来てからのお楽しみなんだけど、通常価格でほぼ倍近くの内容で非常に魅了的!ただ、数量が決まっていて、いつも応募の後で抽選をして当たれば買えるというものでしていつも外れてきたです。おそらくは常連さんとかが当たるものだと勝手に思ってて、あきらめ半分で毎年申し込みをしてた所、今年は当たりました(^O^)/が、給料前の代金引換配送ってのが…(-_-;)どうにか節約に努めて頑張りました。で、ゲットしたのがこの内容!中身を開けて再び撮影。ギフトボックス「願いをかなえて」・紳士なスノーマン(バスボム)・マジパン(バスバブル)・サンタさんの帽子(バスバブル)・Norikoソープ(ソープ)ギフトボックス「ロックロビン」・ラッシュプリン(バスボム)・ココ夏雪だるま(バスバブル)・クリスマスケーキソープ(ソープ)・さくら(ソリッドパフューム)・トナータブレットT(トナータブレット)・踊り明かそう(バスボム)寒い日が続いていたので、結構バスバブルで泡風呂は堪能しました。これは本当に温まるし、お湯が冷めないのはすごいね~今回の内容は恐らく今までの購入経歴から見て選んでくれたみたいで、比較的肌に優しいものとか、色素がないものがほとんどだったので何より助かったわ~トナータブはTじゃなくてEかCが欲しかった…まだ使ってないけど、暑くなったらさっぱりしそう、かな。踊り明かそうは以前紹介したシャンパンスノーのバスボム版でかなりラメが入っているので排水用のネット入れて使わないとな(笑)まだ寝室で芳香剤代わりに使ってます。さくらの練り香水もまだ未開封。さくらといいながらさくらの香りではないのがなんとも…でも柑橘系のなかなかいい感じのものなのでこれももうちょっと温かくなったらかな。先日はひさびさにフレッシュフリッジ(顔用パック)をゲットしてお手入れをしてみたら、やっぱ即効性高いので手放せないなと再認識したわ。買った事がなかった「華麗なる饗宴」だったんだけど、いやぁ、使用後の肌はめちゃいい感じだった!感激感激。今年はラッシュが日本に上陸してから10周年なんだって。そういえば上陸した10年前に、どういう経緯だったか忘れたけど使ったんだったなぁ。その時は良くわからない状態で買ったので、良さがわからなくて「ふーん」って程度で終わっちゃったんだよなぁ。そんなわけで、春のお肌の調子が乱れる前にせいぜい張り切って手入れしとかないと。ちなみに下の内容だと、半分以上は使えない(>_
2009年03月08日
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今日は夜まで家に帰れなかったので、昨日のうちからWBCを録画予約しておきました。19時過ぎてからは落ち着かずについつい携帯でWBCの速報を見てばかり。あああ、仕事しなくちゃ…(~o~)と頭ではわかっているんだけど、やっぱり気になる韓国戦!ふとひらめいた!!家電量販店、もしくはテレビがある店へ行こう!!そしたら家に帰らなくてもテレビが見れるじゃん!!てなわけで寄り道をしてヨドバシカメラへ(^_^;)おお、始まってるよ。すげー!もう先制点じゃんか~~~~…と興奮する事数十分…やはりテレビの周りは人だかりがすごくて、ナイスポジションを取るのが大変だった。アクオスとブラビア、でかいなぁ。すごいなぁ。画質は…ふむふむ…とCM中に余計な部分もチェックしてなんだかんだで気付けば1時間近く見ちゃった(^_^;)よせばいいのに途中で離れられなくなったんだもん。売場のマッサージチェアとか移動して、座りながらお茶でも飲みたかった(笑)その結果、買い物をするはずだったお店は閉まり、予定が全部ずれこんで結局またこんな時間まで仕事…(^_^;)馬鹿な私。でも我慢できなかったんだもん!それにしてもコールドで終わるとは予想外だった。高校野球みたいじゃん。ははは…まさか韓国ったら手を抜いていたとかじゃないよね?どうせまた対戦するから、様子見とかじゃないよねぇとついつい裏を読もうとしてしまうのでした~次は9日か…また韓国戦なのかしら…気になる~
2009年03月07日
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タイトル、ちょっとキャッチコピーに使えそう?…やや古めのタッチか(笑)今日は手元は画面見てパチパチ、でも音がないとつまんないのでスカパで撮りだめしていた音楽系のものをかけて流しておこうと思い、何があるかなぁと見ていると…(kocrisp、ずぼらなのでキーワード登録をして録画をしたまま放置を数ヶ月とかザラです(^_^;))今朝、こんな素敵なプログラムがっほぉ~~~!!!とくダネでは音楽通みたいなオグさんが角松の角の字も言わないのに(毒)スカパでは結構取り上げてるよなぁ…で、早速見たです。すると…誤植を発見!しかもたまたまパッと画面を見た瞬間。見えた?♪手を振るあなたを見てた なんだけど、あたなって…(笑)そんなことでちょと笑いを誘われ、もういっこ見てみる事に。今度は角松がメインではなかったので、撮影は割愛だけど、80年代ニューミュージック~リゾート気分~という番組の中。チューブだのオメトラだのと夏っぽい曲のオンパレードの中で杉さんが2曲も入ってて、稲垣潤一のオーシャンブルーとかもあって(すごい好きだったの。オーシャンブルー)「あ~超懐かしいっ」って思って、それだけで満足だったのに、しばらくすると何だか聞き覚えのあるイントロが流れてきた。これすごくない?このチョイスってスカパならではの感じがする~たいてい夏とかいうと、No End Summerとかじゃん。個人的にはBeach's Widowとかもいいなぁと思うんだけど、Summer Momentsですかっなかなかやるのう。感心感心。季節はずれに聞く夏の歌もなかなかいいものです。それはたぶん、涼しい(てか寒い)中で聞いているからかも。待望のニューアルバム!↓Amazonの割引クーポン、取っておいて良かった~~~(^O^)/■送料無料■通常盤■角松敏生 CD【NO TURNS】09/3/18発売
2009年03月06日
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今日からWBC開幕したので、生活パターンをWBCモードにしようと頑張っていたんだけど…急に仕事がばたばたしだしてしまい、思うようにテレビ見れなかった。せめてご飯くらいはワンプレートで済ませようと努力。オーブンで勝手に焼いている間に適当(?)に作った。なんか最近グリルチキンにはまってるので飽きるまでしばらく作りそう。オーブンで勝手に焼いてくれるので助かるし。ま、いっか。WBCは日本が勝ったのは当然として…だってまだ予選だもんね~普通普通。イチローはもしかしたら3番でも良かったのかなぁ。この前練習試合(でいいんだっけ)でも1番だったり3番だったりしたじゃん。あ、そういえばあの時の西武強かった~~~いっそのこと日本代表ってことで、WBCに西武が出ちゃえば良かったのにとかふと思っちゃった~~今日の中国戦は合間合間に見てて、テレビに集中出来なかった(~o~)日本はちょと元気がないみたい?かなぁあと藤川汗かきすぎに見えたんだけど、大丈夫かしら…さて話題は変わってようやく新幹線N700系デビューしました~近くで見ると色味が暗いんだけど…内装は特になんてことはなく、綺麗だなぁという感じ。窓の所が若干デザインが違うかな?とか思ってとりあえずパチリ。そんなこんなで3月は久しぶりにフル回転かも。ちょっと身体がなまってるからしっかりしなくちゃ。
2009年03月05日
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更新をしていない間でも、職業柄(?)写真は結構マメに撮ってた。もうくせになってるのかも(^_^;)何かと写真撮ってる気がするわぁ。2月といえば、節分の次のイベントとしてバレンタインありましたね~今年は靴をプレゼントしました。チョコは食べられないので、チーズケーキを焼いてみたら、焼き立ての膨らみにテンションがあがり、思わずつまみ食いをしたくなりました~そのチーズケーキを作った時に使った生クリームが余ったので久しぶりに高カロリーバージョンのグラタンを作ってみた。濃厚なのはやっぱうまいなぁ。でもまた豆乳モードに戻らないと。同じ時期だったと思うけど、定期的にチェックをしているコンビニ(笑)でトロピカーナの春バージョンを発見したです。正直触手が伸びなかったので、1個しか買わずしかもまだ飲んでない(^_^;)確かテレビで餃子の画を見てから、どうしようもなく餃子が食べたくて家にあるものでどうにか作った餃子とか。皮も作りましたよ~。ちょと久々だったから勘を取り戻す間もなく作り終えてしまいました(^_^;)これまた同じ時期に、雑誌であんかけものを見てからどうしてもあんかけが食べたかったので、2日連続であんかけ丼になった週末もありました(笑)仕事でも結構色々と行ってました。今さらだけど東京ミッドタウンデビューもしました。…が、すいません、あまり感想がなくて…なんかあの建物って六本木ヒルズに似てない?ってか最近見るショッピングモールとかもだけど、建設会社が同じなのかしら、皆構造が似てる気がするのは私だけか?その後たまたま六本木ヒルズへ行く機会があったんだけどやっぱり新鮮さがないっていうか、何見ても同じに見えるというか…個人的にはお寺とか海の方が嬉しい。ってそんな仕事はない(~o~)てなわけでもうちょっと撮りだめした写真を公開していくかもです(^O^)/
2009年03月04日
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1ヶ月近く放置しちゃいました~いつもルーチン化していたものを止めると何だかとってもおかしいものでした。長い事放置したままでもアクセス数はあって本当に読者いるんだなぁとか思ってました。ありがとうございます。そしてご心配をおかけしてます。現状は特に変化なく日々過ごしてます。生活も変わらず、父の状況も、私の仕事も彼との関係も、何も変わらず。ただ自分があまりにも余裕がなくて、何も出来ませんでした。余裕は自分自身次第なのかもしれないなぁ日記は続けないとね。と思ってまたブログは書いていきます。こちらはみぞれっぽかったり、雨だったりとかなり寒い夜になっています。さすがに寒い方が良いと思う私でさえもこの寒さはこたえます(>_
2009年03月03日
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