全27件 (27件中 1-27件目)
1
父が入院してから1ヵ月半が過ぎた。父は今日、朝から夕方までのほとんど眠っていた。隣で座っていると私もつられて眠ってしまう。ま、これでちょっと睡眠不足が解消されているから助かるかも。時々目が覚めると、明るすぎる喋り方とそうでない時とがはっきりとしている。夢と現実が区別できずに、いろいろと不可思議な事を言うけどはっと気付いて口を一文字にしている父を見ると辛い。酸素の量が低くなっても、父は苦しんでいない。日増しにお別れが迫っているのを感じざるを得ない。昨日は昼食の茶碗蒸しを誤嚥したらしく、ずっと卵色のタンが出て苦しかったらしい。母があまり話をしてくれないので、今日は昨日の様子を看護婦さんに聞いた。その方が端的で早い。今まで何で気付かなかったんだろう(^_^;)父は食後に飲む薬の時の水を飲むのも辛くなってきて、食事で出されるゼリーの中に混ぜて飲むようになっていた。今朝かららしい。さらにベッドの背もたれの微妙な位置によっては喉から食道へ降りていく食べ物が気管にいってしまう。そのうち父本人がもう食事は欲しくないと言い出しかねない。今日の夕方に父が目覚めた時に、喉が渇いたといわれた。ベッドを起こすから待ってねと言って、ベッドのレバーを回していると、待ちきれない様子で父が手を伸ばしてコップを手に取り水を飲み始めてしまった。まだ完全にベッドを起こしきっていなかったので、レバーを回しながら「ゆっくりね」と声をかけたけど、遅かった。一口の量が多かったようで、一気に口に入れてむせこんで苦しんでいた。「もういらない」と言って暗い顔に戻ってしまった。「ごめんね、待ちきれなかったんだよね。」と言って今度からは父が簡単に手が届かない場所へコップを置こうと思った。おとといは積極的に自分で精油をティッシュにたらして香りを感じている様子だったが、昨日は何もしていないらしい。母はそこまで気が回らない。「今日はどれがいい?」とボトルを見せて尋ねると「オレンジ」と言った。オレンジスイートは本当に心がほっとして暖かくなる。私もティッシュに1滴落として深呼吸した。父がおむつをつけた頃から、手元にはアルコールスプレーを置いている。いわゆるファブリーズのような物のノンケミカル版てとこかな。ローズマリーとティートリーとレモンをブレンドして無水エタノールで混ぜたものなので、リネンやパジャマなどに直接スプレーをすると、あっという間に不快な匂いが消える。洋服を入れたままのロッカーや、これから使うタオル類、看護婦さんが来る前にちょっとスプレーしておくと、皆喜んでくれる。病室でパピエダルメニイを炊けないので、父はあの香りが良いというんだよね~個室でこっそり炊いたら…火災装置が鳴りそうで怖い。ベンゾインの精油って、樹脂だから使いどころが難しい。帰ろうとした時に看護婦さんが来たので、もう帰るので後はお願いしますと挨拶をして、水を飲んでむせた事を話した。話をしている途中で看護婦さんに「この看護婦さんが一番好きなんだ」と私に言った。リップサービスが出来るようになっているのはいつもの父らしくて少しほっとした。「お父さんたらぁ~来る看護婦さん皆に言ってるじゃん~(笑)」「あはは~ばれたか~~~」さっきまで暗かったのに、アロマテラピーや笑顔だけで気持ちの切り替えをしてくれた父に感謝。「また明日来るからね」と手を握りながら言うと、「お前の方がいいな」と父が言うので、「何が?」と返すと「お母さんだとうるさいんだ。だからお前の方がいい」と言った。「お母さんもお父さんに元気になって欲しくていつものようにおしゃべりなんだよ~。そんな事言っちゃだめだよ~」うふふ。これもリップサービスかも(笑)帰りに吸い飲みを探してみたけど、結局のところ横になったままで飲ませる事が出来ないから、買うのはやめた。そろそろ脱脂綿などで水分を口へ入れるようなものを考えておかないといけない頃なのかも。色々と調べていると小さい氷などを口に入れるのも良いと出ていたけど、少量の氷を常に用意するのも今の環境では難しい。カキ氷…じゃダメだしなぁ。とかあれこれ考えているうちに、いつしか居眠りをしてしまい例のごとく電車を乗り過ごしてしまった(^_^;)明日も早く行って目覚めた父が不安にならないように横で居眠りしてよっと(笑)
2009年04月29日
コメント(0)
今日はアルバイトの日。朝起き上がる事が出来ず、遅刻しそうになったので非常手段の新幹線通勤をしてしまった…(^_^;)添削の作業はグループ単位で机を並べて行っている。今日はお互いの添削を見比べて、表現などの良い点があれば盗める所は盗み、誤字脱字など気になる事は話し合おうという時間が設けられた。私のグループの人達はプロの雑誌編集者だった人から主婦を経て久々に現場復帰する人、会社をクビになって少々やけっぱちな人、人材派遣会社で長年キャリアを積んだ人…年齢も私より上から、20代まで。今回の仕事への取り組み方が半端じゃない。始業時間30分以上前から出社して、作業をする人もいるし、食事も惜しんで仕事をする人、そうかと思うと自分の子供が気になって仕事が出来ないと延々と話す人などなど。今回は自分の今おかれている境遇や状況を一切誰にも話せない。誰からも聞かれないし、自分からぺらぺら喋るような話題が無い。皆聞いて欲しいと思っている人ばかりなので、聴いている。ただ、仕事は別だとは思っている。仕事帰りに真っ先に病院にいる母に電話をした。今日も父は元気がないらしいけど、それはもう仕方がない。母はパニックになっていて、またお昼を食べられなかっただの足が痛くて死にそうだと言い続ける。父の目の前でそういう話はやめてと何度か言ってどうにかおさまった。ところが夜になっても電話が来て、話が終らなかった。外反母趾が酷くなってしまった事で、歩けないと言うが、足を診てもらう為に病院へ行かない。昔から手術を勧められていたのに、母は手術をしなかった。父が車をどこへでも出すし、自分は家から一歩も出ないから不自由なく何年も暮らせただけの事なのに。今回は状況が変わったのだから、病院へ行ってせめて痛み止めの薬などをもらってきたら?と話した途端に、手がつけられないほど怒鳴りだした。「お前は頭痛持ちだとか、生理痛が酷いとか、腰痛があるとか言ってすぐに薬を飲むのと私はわけが違う。どれだけ足が痛いのかなんて、あんたにはわからない。そもそも根本的に外反母趾の知識がないあんたからとやかく言われたくない。だからあんたはすぐに薬を飲めと無責任な事を言う、薬は副作用があるから絶対に飲まない。どこか痛いと言うと、あんたはすぐに薬を飲めというけど私はあんたとは違うから薬なんか飲まないんだ」…ずーっと怒鳴っていたので、途中は受話器を置いてお茶を淹れたりタバコを吸ってメールチェックが出来るほどだった。…私も外反母趾だから、ヒールが高い靴をやめたしストレッチとかして努力し続けているんだけどな。もう途中で話を続ける気力が切れた。明日は用事を済ませようと思っていたけど、明日から毎日私が病院へ行くから、せめて足を休ませる事に専念してと言った。すると今度はお父さんをあんた一人にはまかせられないと言う。じゃあどーすりゃいいの!って話になる。正直途中から面倒になってきたので、とにかく明日は私が行くからと言って尋ねないとまったく話してくれない今日の父の状況をどうにか聞きだした。最近私の精神状態がおかしいので、先週あたりには叔母から精神安定剤をもらえと言われていた。病院へ行く時間が取れなくて行けないのが辛いという話もしていた。胸痛についても、循環器の専門の病院へ行く事が出来なかった。叔母はかつて両親とも自宅介護でガン患者と接してきた。だから今私が向き合っているガン患者の家族としての苦しさをわかっている。患者本人も辛いけど、家族は別の苦しさがある。へたをすると患者以上に身体を壊してしまう。以前からずっとそういう話をされて、気遣ってくれていた。母が恐らく一生分位動き回っている事で疲れているのはわかるけど、どんなになっても、頑な過ぎるから困る。叔母からはもう母に振り回されてはダメだと言われて、そうしたいのに出来ない事がイライラすると言った。長電話も途中で切れないし、父の様子が一番最優先なのに自分の身体の不調が最優先のような言い方をする。叔母たちには悪いけど、母への説得はまかせることにした。確かに、母の言動に振り回されている場合じゃない。ただ、私自身も思うように出来ない事が多すぎて辛い。いつもは母のおしゃべりは父が全部受け止めていた。今それが出来なくなって、話し相手がいない母は私にしか話せないと言う。もうちょっと我慢出来ないのかな。出来ないんだよね(^_^;)いずれにしても、私が親切だと思ってした事が裏目に出る事が多い1日だった。難しいなぁ。年配者相手って。長年凝り固まった考えや思いは、そう簡単には砕けないんだよね。まあそれもこれもいい勉強になってますよ。ええ。←やや投げやり気味
2009年04月28日
コメント(0)
今日はいつにも増して早めに病室へ行った。父はこの2日間が嘘のように沈んだ表情をしていた。笑顔で「おはよう」と言っても、頷くだけ。看護婦さんが着替えを終えた直後のようで少し息があがっているようだった。母はこれから病院へ行くとかで、電話をかけてきた。父に電話を代わって話をしようとすると、父の表情が険しい。母は病院へ自分が行けない理由を長々と話したようだった。自分の足が痛い事を切々と父に訴えるなんてどうかしている、としか言いようがない。昼食後に酸素が足りずに、ずっと苦しそうだった。看護婦さんがつきっきりで深呼吸をしたり、肺に手を当てて深く息を吐くように促していた。ついでに私にも出来るようにレクチャーしてもらった。これ以上酸素の量を上げても、血液中の酸素量は増えないようでさらに数値が下がった時は人工呼吸器とかをつける事になってしまうらしい。今日は父はほとんど寝ていて、テレビも見たがらないしつけておくと消してと言われてしまった。昼食のゼリーと茶碗蒸しは食べるけど、他の物は欲しがらなくなった。食後は脈拍も上がるし、酸素量も少なくなる。叔父さんが見舞いに来た。父は笑顔も見せず、窓から見える景色を見たり、天井を見たりしている。食事はちゃんとしているか?とか、痛いところはないか?とか色々と質問をしていたけど、父は全部首を縦に振るだけ。「お前、早く元気になれよ。もっと頑張れよ」と何度も父に言っていた。最初のうちは聞き流していたけど、どうも私もぴりぴりしているせいかつい反論してしまった。「叔父さん、お父さんはもう充分頑張ってるから…これ以上頑張れないです…ね、お父さん?」と父に向かって言うと父は黙って大きく頷いた。自分の兄弟が目の前で苦しそうにしていて、かける言葉も見つからないからついつい言ってしまうんだろうけど、私にはどうしても毎日頑張っている相手に対して言って欲しくない言葉に感じてしまう。その後看護婦さんが検温に来てタンが出せないと管をいれなくちゃいけない事を話した。父は出せないといった。では管を入れるよと伝えるとこれも嫌がった。何を言っても首を振っていた。「お父さん、何でも嫌がったら看護婦さんが困っちゃうよ」「いいんだ。○○(看護婦さんの名前)さんは困らせても」すると看護婦さんは「まあ!○○さん、ひどいわ…(笑)」と言った。かすかに父は笑った。結局タンが出せずに胸がごろごろ言っているので、管を鼻から入れた。ものすごく痛がってずっと首をいやいやしていた。私も耳鼻科で鼻へ何か入れられるだけで涙が出る。痛みは相当のものだけど、結局タンが出せなかった。父はその後どんどん無口になっていった。苦しそうにしている時に、何度となく父に謝っている。「お父さんが辛そうなのに、何も出来なくてごめんね」足をマッサージしている時に、むくみで足が重たくて辛そうだったから「少しでも足が軽くなるといいけど…マッサージもまだ上手に出来なくてちゃんと効いているかわからないんだ。ごめんね」と言った。父は「ううん」と言うけど、本当に何もしてあげられない。夕方近くになってやっと皮膚科の先生が診察に来た。体中に広がる湿疹は蕁麻疹とのことだった。何種類も短時間で身体に入れている薬のアレルギーか、ストレスが原因かといった所のようだ。私が毎日飲んでいる薬と同じものを処方されていた。蕁麻疹は精神的な要因が多くを占めているという。ベッドで動けず、物も食べられず、不自由な生活がストレスにならないはずがないだろう。母は蕁麻疹じゃないと言っていたが、私は父の湿疹の具合が自分と酷似していたのでもしかしたら蕁麻疹かもと思っていた。痒いのは本当に我慢が出来ない。薬を飲んで少しでも痒みが治まってくれることを祈るしかない。夜になると父は居眠りをする回数がさらに増えた。夕食が運ばれてもベッドを起こすまで寝ていた。テレビをつけても反応がいまいちで、とても疲れているようだった。朝は元気でだんだん疲れが溜まってきてしまうようだ。「お父さん、私そろそろ帰るけど、明日はお母さんが来るって。ずっと会ってなかったもん、会いたいよね」父は大きく頷いていた。私がいらいらしたりすると、父にも伝わってしまうのでとても気をつけて接するようにしているけど、看護婦さんが呼んでもすぐに来なかったり、今日の叔父の言った事などにものすごい反応してしまう。父は自分が辛くていらいらするのはとても良くわかる。明日から気をつけなくちゃ。明日は仕事が終ったら、そのまま病院へ直行しよう。平常心!!
2009年04月27日
コメント(0)
今朝病室へ着くと、父は看護婦さんと話をしていた。「看護婦さん達がお前の事を素晴らしいお嬢さんですねって言ってるんだって。」と父。「わ~、ありがとうございます♪」と私。看護婦さんは「とってもお父様思いで、良く面倒を見てますよね。本当にお嬢さんには感謝しなくちゃいけませんね」と父に言った。「お前に感謝状をあげなくちゃ」と父が言うので「私こそ、お父さんにあげなくちゃ」と言った。気負わずに普通の事を普通にしていたら、こんなに褒められた(笑)ちょっと複雑。母は今日も歩けないとか言うので、何度も父と電話をした。父がすぐ電話を催促する。話をした後は呼吸困難になるから、あまり話をさせたくないけど、仕方ない。父は覚醒している時と、起きて意識がしっかりしている時間が目まぐるしく変わるので、見極めが難しい。母とちょっと前に話をしたかと思えば、また電話をすると言う。テレビを見ていても1分も経たずにあっちをきょろきょろ、競馬を見ていてもすぐに集中力が切れてしまう。点滴の管を引っ張ったり、機械をいじろうとしたり、いたずらばかりしている。そうかと思うとうとうとして、また目を開く。ちょっと目を離すと酸素マスクがずれていて、アラームが鳴る。目の前で食事が出来ないので、私は連日お昼抜きになっている。何かと父の事で身体を動かすけど、腰痛が一晩寝てもリカバリーできなくなってきた。精神論だけでは乗り切れない事が多いのよね~さすがに気持ちとは裏腹に、年齢は正直だなとか痛感した。父は言っている事のおかしい事が頻繁に起きてきたけど、相槌を打って笑っていると一緒に笑顔になって寝る。昨日は一日中「ペヤングの焼きそばが食べたい!」と言い続けていたけど、今日はペの字も言わなかった。食後に胸が鳴る音が大きくなり、痰が出せないのでやはり食事はさせない方が本人の為なんだとか。可愛そうだけど、ゆくゆくを思うと食事は控えなくてはいけない。本人が欲しがっていて、説得しても忘れてしまうので明日主治医とまた話さなくちゃ。この2日間、起きた事は母へ報告をしているけど、それだけで終らないから私がめちゃくちゃ疲れてしまう。終った話題や、結論を出した話題をまたぶり返す。自分が病室へ来れないのに指示を出してくる。それも自分のやり方を押し付けてくる。父の状況と対応策を話している間に、母の頭には別の事があって、何も私の話を聞かずに、思いついた事を話し出す。こんなの連日長電話でやられたら、もうイライラを通り越して頭がおかしくなりそうになる。大声を出さないように気をつけて、ゆっくりと話していても母の父に関する話題は延々と続く。時間がどんどん経って行く。「そんな話をする為に時間を使うのよそうよ」「お父さんが目の前にいるのに、そんな話題を私に答えさせるの?」「もう個室になったんだから、廊下へ出て電話できないんだけどまだ長電話を続けないとダメなのかな」だいたいこの台詞を何度も言い続けて母が聞き入れて電話を終らせる事が出来る。母は最近私が話を切ろうとするのを覚えて「私の話を聞いて!」「これだけ聞いて」という言い方をしては結局何の実りも無い話をする技を習得した。聞くまでは不要かがわからないので、結局時間が経つ。だったら足が痛くても痛み止めの注射でも打ってもらって直に父の様子が見れるように、こっちへ来いよ!と言いたい。あんたの亭主だよ。父だって私の前では強がっていても母には話したい事だってあるはずだ。歩けなくなるまで動いて、要領が悪いのに教えても聞かず、自分の身体のケアもしないで、家で眠れないほどに何かを考えている。ただ痛い痛いとばかり言って、こちらの提案は一切聞き入れず、挙句の果てにはせっかく個室へ移ったのに親子3人揃わない。明日も来なくて、あさっては私が来れない。一体何を考えているんだか。腹が立つを通り越して怒りに震える。昨日は長男から色々言われた話を全部された。私がいない所で叔父は、自分の嫁一族を葬儀に呼びたいと母に話したそうだ。もう終った話だと思っていたのに、なんなんだか…母には一切話をせずに、私に任せているとだけ言えと言っても余計な事をあれこれ言ってしまう。困った…私はまさか母がこんな事になるなんて思わなかったから引越し準備が何も出来ていない事を焦りだしてきた。引っ越し日は決まっているけど、肝心の荷造りも掃除もアロマテラピーの試験勉強も、全部放置。試験はまた秋にあるからいいとしても、引っ越しはやばい。本当に母はこの状況でも周りが見えない。子供の事を全くわかっていない。どうしたらいいんだろう。彼は自分の荷物をレンタルルームへ預けるというので、その書類について私が手伝いをする事になった。それも思うように連絡が出来ず、電話をかけても繋がらず、メールでちょっとしか話せない。助けて欲しくても、話をしたくても、もう出来ないんだ。どうしていっぺんに色んな事が起きちゃったんだろとさすがに思うようになっている今日この頃…この試練に耐えた先にあるものが何かを楽しみにして…とかいう余裕すら失いかけてきた。はぁ~。
2009年04月26日
コメント(0)
今日病院へ行くと、看護婦さんから午後に個室へ移動できるって言われた。あ~良かった~~と思って父に伝えると、父はちゃんと数日前に個室へ移ろう話をした事を覚えていた。今日も斜め前にいる患者さんが大騒ぎをしていて聞いているのがとても苦しくて早く引越したかった。こんなに陽気な父と、対照的なその患者さん。いつ死んでも悔いがないと昔から言い切っている父はモルヒネの精神障害に対しても屈せずにいるのかもしれないな。本当にものすごく強い精神力を持っている。見習いたい。今日も父はものすごくテンションが高かった。お昼は自分で器を持って食べたし、良くしゃべるし、クロスワードパズルまでやった。びっくりした。家にいる母と何度も何度も電話で話していた。部屋を移るときに、うちから持ってきていた色々な物も全部移動する事になったので、大忙しだった。父が元気が良いので、ベッドの高さの調整とか、電話とか、色々と要求をするので、さらに忙しかった。だけど、こんなに用事を頼まれて動き回る事もこの先いつまで続くかわからないので、出来るだけ精一杯やった。看護婦さん曰く、ガン患者にも色んな人がいて、父のように笑顔で過ごせる人も稀にいるそうだ。ほとんどが対する恐怖と、モルヒネによる副作用で完全に精神と肉体の自由が効かなくなる人もいるらしい。父が最後まで笑顔で終れるように祈るしか、今は無い。看護婦さんもそうであってほしいと言っていた。ま、そんなこんなで今日は肉体労働が多かったし、超寒くて身体がおかしいので早く寝よっと。明日も頑張るぞっと。
2009年04月25日
コメント(0)
ようやく仕事のどたばたは落ち着いたようなので、やっと自分のことに気が回るようになった。ほっと一息。父は排尿が出来ないので、今日から管を入れた。麻酔をして膀胱まで管を入れる事を最後まで嫌がっていた父は、もうされるがままになっていた。かける声もなかった。こういう話題には一切触れないようにずっとしているので貫いた。昨日辺りから身体の発疹に一番気を取られている父は暇さえあればぽりぽり痒い所を掻く。掻けばさらに痒くなって、止まらなくなってしまう。昨日塗り薬を処方されていたけど、もはやそんなのでは効かない。母はそれでも父が痒いと言うたびに薬を塗り、身体がべたべたになってしまった。母が帰った後で看護婦さんからぼやかれた。主治医からも何度と無く今までぼやかれている。ひたすら謝るしかない。母は足が痛いのに無理をしてきた為、結局父のそばにいても何も出来ず、私があれこれと動き回っている。それでいて看護婦さんをつかまえて色々と話しだしてしまう。本当に、どうでもいいことばかり…私にも疲れた、足が痛くて死にそうだとぼやく。目の前にはもうすぐいなくなる自分の亭主がいるのに。「私お母さんの痛いの代わってあげられないよ。悪いけど、疲れた疲れたばかり言わないで。私に何かして欲しいの?」と聞いても「そうじゃない」と言う。早く帰って少しでも休むように説得して、いつもより大分早めに帰した。父は痒い事ばかりに気を取られているので、テレビをつけてあげた。蕁麻疹の時もそうだけど、痒い場所は時間ごとに変わるし何か別の事で気を紛らわせるしか他に治まる方法がない。モルヒネを使っているので、他の抗生物質などは使えないのだろうし、もはや何を飲んでも何をしても、ストレスや臓器の機能低下で皮膚にだって障害は起きてくるんだし…母は一生懸命になりすぎて、父の気を他へ向けるような工夫をすることすら思いつかないようだった。テレビのチャンネルを何度も変えている父。映像を目で追っているだけで、中身を見ているわけではない。音が聞こえれば目が画面へ行く。それだけでいい。あっという間に掻くのは治まって、すぐに寝てしまった。ゆうべから食事は出なくなったけど、父は不満のようでお昼には催促をしてきた。用意は無かったけど、事前に買っておいた流動食を飲ませてプリンを買ってきて食べさせてあげた。ものすごくおいしそうに食べて、ほっぺたを手で叩いて「おいしい」のジェスチャーをした。看護婦さんからも「○○さんすごいね。美味しそうに食べてるね」と言われてにこにこしていた。だけど、食後1時間くらいすると、胸の音が大きくなって呼吸が荒くなる。酸素の量をさらに増やした。食事は本当はしない方がいいんだよね…昼間は父が催促するのを母が可愛そうだと言い、プリンを買うよう頼まれた。主治医は食事を取らせる事はしない方が本人のためだと言う。父は意識が朦朧としているので、父の言う事はともかくとして、母は父が物を食べたら元気になるという気持ちをそろそろ捨てる時期に来ている事をわからせようとした。私は食事をさせない事が平気だというのではなく、どれだけ苦しまずに死ねるかを考えている。夕食も茶碗蒸し程度であれば用意が出来るということで、母が看護婦へお願いをした。夕食を食べさせると、父は満足はしているけど、食後はやはり苦しそうにしている。朝からずっと痰が出ていないというので、痰を出さないと機械を使って無理矢理出すと看護婦に言われた。「痰だけは出来るだけ頑張ろうよ。」と言うと、咳をしながら頑張って痰を出した。血痰だったけど出せた。自力で吐き出せないので、手伝ってあげた。今日は面会時間ぎりぎりまでそばにいて、寝たり起きたりする度に笑顔を見せた。父は今までに無くよくしゃべった。「お前、髪の毛が多すぎるぞ。あそこにはさみがあるから半分くらい切ってやる」「今日は沢山痰を出しているのに、お前がちゃんと数えないから出してないとか言うけど、ちゃんと数えておけ!お前も痴呆症じゃないのか?」指で空に向かって何かを書いているので、何をしているのかと思ったら「こうやってたまに書くのがいいんだ」と言う。意識が朦朧としたり、時々正気になったりしていた。自分でも話している事が良くわかっていないようにも感じた。ふざけて帰り際に手を握った時には指相撲までして私の手を離さなかった。「また明日来るからね」と言うと、手は握り返さなかったけど「ごくろうさん!」と大きな声で言って手まで振った。何だかやけに元気で、それはそれで気になった。明日から数日はとにかく母には休んでもらわないと困る。私ではいう事を聞かないので、叔母達に電話をしてお願いをした。今月の電話代、かなりやばい事になっている…ごめんね…母へも電話をして、心配なら私は一日ずっと病院にいるから、明日は天気がすごく荒れるというから、お願いだから休むように言った。あれこれとぼやいているけど、話を遮ってお願いしつづけた。本当にお葬式に出られなかったら困る。病院へも行かないで言い訳ばかりしている母と話すのがいらいらする。今一番何をしなくてはいけないのかを考えようよと何度話しても聞いてくれない。とりあえず、明日行くのはやめると言ったので、後はちゃんと連絡はするから心配しないでと言った。「そんなこと言われても眠れない」と言う。それは私も同じだ。でも母には言えない。本当に、ちゃんと休むように努力してくれないと…今日は本当に寒くなったので、久々お湯を溜めてお風呂へ入ろう。明日も頑張るぞ!でもお天気荒れるの嫌だ…(~o~)
2009年04月24日
コメント(2)
今日は朝から晩まで病院に居た。実はゆうべ仕事でトラブルが発生して、なんだかんだで夜中まで振り回されてしまった(-_-;)今日もまだトラブルが続いていて、現実逃避がてらのブログ更新。父は昼食はお粥を食べたし、ゼリー状の栄養食も完食した。食事前には買ってきたスポーツ紙を見て、ソフトバンクが昨日勝ったのを知り嬉しそうだった。記事を全部読まないけど、野球と競馬の記事は見ていた。食事の時は手に力が入らなくなってきて食器が持ちづらそうだったので、適度に手伝っていた。目の前の患者さんは、またいつもと同じようにじっとこちらを見ていた。父は昼食後に呼吸が乱れて、胸のゼイゼイという音がどんどん大きくなり、苦しそうだった。最初のうちは声をかけると「大丈夫」と言っていたけど、だんだん呼吸の乱れが酷くなり「苦しい!」と言うので看護婦さんを呼んだ。酸素の量を多くしても、ずっと苦しそうで見ていても何もしてあげられなくて歯がゆかった。斜め前にいる患者さんも、何かの薬の副作用のようでとても苦しそうにうなりながらベッドでじたじたしていた。布団を足で蹴り、全部床に落としてしまい、手元のペットボトルも落として看護婦さんを呼んでいたけど、誰も来なかった。私に向かって「助けて!奥さん、助けて!誰か呼んで!」と言うので、代わりにナースステーションへ看護婦を呼びに行った。「もう死にたい。苦しい。助けて」と何度も言っていた。ガリガリにやせ細っているその患者さんは、意識が混濁している様子だった。看護婦さんは事務的に対応をしていた。「お願いだから少しそばにいて」と言っている患者さんに対して「ちょっと寝ましょうね」と言って、その場を去った。父は酸素の量を増やしてしばらく経ったら、少し落ち着いたようだった。今日は何度も足をばたばたしているので、布団をめくると足のむくみが尋常じゃないほどに腫れあがっていた。膝を立てたり伸ばしたりという動作を数十秒ごとに繰り返していた。布団が重たいようだったので、布団を取るか確認をして足の下に掛け布団を置いた。今父は24時間おむつをしているので、足を動かすたびに着ている浴衣がはだけて下半身が丸出しになってしまう。バスタオルでは覆いきれず、近くのスーパーへ行って大判のバスタオルを買ってきた。つい最近までは周りの患者さんがおむつを交換している様子を見て、部屋中に漂う匂いが辛い事を言っていた父。今自分が同じような状況になったのが、とても耐えられないのだろう。おむつをつけ始めてから記憶障害が始まった。だから、これ以上は父の気持ちが乱れないようにするようにしてあげたい。昨日あたりからは浴衣がはだけても、何があってももう言葉を発しなくなった。おむつかぶれも起きているし、睾丸がひどく腫れあがっている。これも足や腹水同様、むくみだそうだ。今日はお腹全体と、太もも、背中に私の何十倍もの範囲で蕁麻疹のような赤い発疹があり、時々痒そうにじたじたしている。主治医は原因がわからないので、数日様子を見てから皮膚科へ連れて行くと言っていた。明日行けよ…と思った。父は寝ているかと思うと時々目を大きく開けて周りを見る。うとうとしていても、肩を叩くとすぐに目覚める。声をかけても手をちょっと動かしてジェスチャーで伝えようとしている。時間の事や私達の事も何も聞けなくなっている。今朝は補聴器も時計も外してあったので、補聴器だけつけてあげた。何分か置きに呼吸が乱れて、咳をしても痰が出せない。「苦しいのに何もしてあげられなくてごめんね」と言ったらじっと私の眼を見て黙って苦しそうにしている。今日一日、一度も笑顔を見る事はなかった。母へ電話をして、状況を伝えた。電話を父の耳元へ近づけて、母が何か言っていたけど、「うん」としか言っていなかった。母はいてもたってもいられないようで、明日は行くと言い出した。くれぐれも転ばないように、タクシーで病院へ来るように言った。主治医は呼吸が苦しいのが食後に多いことから今夜から食事を休ませようと思うと言った。痰が出せなくてさらに苦しくなっているので、出来るだけ痰を出すように、ネブライザー吸入をしてみると言っていた。ずっと仰向けで寝ているので、時々寝返りを打って痰が出しやすくなるように、臓器が動く方が良いと言った。父は寝返りを打つのも身体がしんどそう。ベッドの両脇の手すりにしがみついてどうにか横を向く。何度も何度も寝返りを打っても、痰も出ないし呼吸も楽にならない。夕方になって、昼間よりも胸の音が治まってきたので、話しかけると意識がしっかりしていた。メモに一人部屋へ移ろうよって書いて見せた。「保険がきかない。高い!」と父は言った。「お母さんが大丈夫だって言ってたよ。個室だったら大きな声で3人で話せるよ。ここは、悪いけど騒々しくて落ち着かないよ」と言った。すると父は「わかった。一人部屋へ行く」と言った。看護婦さんに話をしてみたけど、今個室の空きがないそうだ。いつ空くかもわからないと言ったので、空き次第すぐに移れるようにお願いをした。父に「今空きがないけど、空いたら移れるって」と言うと黙って少し頷いていた。夕食時間になったけど、もう食事はしないので、周りの様子が見えないように、カーテンを全部閉めた。先週からオレンジスイートの精油を持ってきていたので、気持ちが少しでも明るくなるように、ティッシュにたらして枕元に置いた。「わかる。匂う。」と父は言った。母から電話が来て、夕食も取れないのだから、後はもうお父さんは寝るしかないので、私に帰るようにと言った。面会時間内ぎりぎりの21時までいようとしたけど、お父さんが気を使うから、適当な頃合いで帰りなさいと言われた。父の手を握って「また明日来るからね」と言うと、また力強く手を握り返してくれた。食事が出来なくなったら、さらに消耗が激しくなるんだろうな。飲み物も気道に入ると危ないからと言ってあまり飲ませないようにと言われた。点滴だけになってしまった。家に帰ってくると、私もいてもたってもいられない気持ちに襲われる。一人で苦しんでいないか、看護婦さんはちゃんと気づいてくれるか色んな気持ちでいっぱいになる。1日ごとに父の変化が目まぐるしくて、だんだん冷静でいられない事が増えてきた。落ち着いて、父には笑顔で接したい。明日もまた父に会えるから、私も頑張ろう。
2009年04月23日
コメント(0)

今日は午前中から病院へ行った。お昼過ぎまで病院に居たら、後は母と交代する予定だった。午後から夜までは仕事があって、しかもちょっとややこしい内容なので仕事の事をばーっと自分の携帯にメモして自分に送信。父へいつも買っているスポーツ紙を買って、ぱっと見出しを見て絶句。清水由貴子の記事は今の自分の状況があるからこそ人ごとには感じられなかった。自宅介護は本当に本当に大変で、苦しいものだと思う。病院へ着くと、父は2人がかりでおむつの交換をしてもらっていた。私は終わるまで外で待っていた。交換が終わると、父は私に気づいてちょっと微笑んだ。先週から急激に痩せていった父は、1日ごとに身体が弱っているのが見てわかる。自力で起き上がる事が出来なくなっていた。呼吸が苦しいのは片方の肺が潰れているからだけでなく、心臓の機能も、他の臓器も弱っている事で起きているそうだ。モルヒネの効果がどこまであったのか、わからない。少しすると叔父さんが来た。父は叔父を見ても表情が変わらない。まさか自分の兄をわからないとか…叔父さんは私に「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」と言って廊下へ呼び出した。父が先日叔父へ渡したメモの内容について、聞きたいそうだった。父は自分を見送って欲しい人の名前を書いていた。兄姉と、その子供達…仕事がある人は無理しなくて良いとも書いてあった。その中に無い人、たとえば先日のAさんとかなんだけど、そういう人が他にも数名いて、叔父さんにそういう人たちを呼んでも良いかを尋ねられた。父が子供の頃疎開している時に、仲の良かった人だという。「来る者はこばまないですが、あまりに派生してしまうと肉親だけでの見送りではなくなるので、人数がわかった段階で教えてくださいね」とだけ言っておいた。病室へ戻ると母が来ていた。今日も父の為にうなぎを持ってきたと言っていた。一口でも食べてくれるといいなと思いながら昼食時間になった。お粥の上に細かくしたうなぎを乗せてあげた。味なんてわからないだろうけど、父は美味しいと言った。かなり無理をして食事をしているように見えたけど、お粥は完食した。この一口がまた1日へと繋がるんだなと感じた。今まで父はリクライニングベッドの背もたれを起こす事を嫌がって自分で起きて食事をしていたが、昨日からはもう起き上がれず背もたれを起こして食事をした。食後はまた真っ直ぐに戻してしまうので、その前に顔と頭だけでも拭こうと思い、急いで洗面器を借りてローズマリーとティートリー、タンジェリンをブレンドした香りのタオルで頭を拭いて、顔を拭いて、手と腕も拭いた。ずっと歯磨きをしていないので、舌の苔が酷く汚れて、唇には食べかすがいっぱいついていた。お水で口をすすいで、唇はアルコールで綺麗にしてあげた。嫌がらないで頑張っている父は本当にすごいと思った。叔父さんは食事を見た後は帰ってしまった。「思ったより元気そうで良かった」と言っていた。今日は3人も見張りがいるから、きっと頑張って食事したんだねと皆で笑うと、聞こえない父も笑顔を見てにこっとした。私は仕事へ行く時間になったので、耳元で父に言った。「今日、私誕生日だよ。お蔭様で40になったよ。無事に40になれたよ。ありがとう」父は私を見て頷いて「えらいな」と言った。「お父さんはもっと偉いよ」と返した。何か他にも話したいような気配だったけど、言葉が出てこないのか、話す事が辛いのかわからなかった。手を握って「明日も必ず来るからね、ゆっくりしていてね」と言うと力強く手を握り返してくれた。そのまま夜になり、家に帰る途中で母に電話をすると、私が帰った後で、父はほとんど眠っていたそうだ。昼間に頑張りすぎて疲れちゃったのかもしれないねって話した。後は、新しく入ってきた患者さんの家族や子供が病室で騒いでさすがに聞こえづらい父にも周りの様子が騒々しく目に付いて気になってしまい、機嫌が悪くなってしまったそうだ。今日のお昼の時には、父の向かいにいる患者さんが私達が父の周りを囲んでいる様子をじっと見ていた。片手にお茶碗を持って、片手にスプーンを持ったまま、じっと見ていた。途中で看護婦さんが「あら~全然食べてないじゃない~」とか言ってちゃっちゃっとおかずをご飯の上に乗せて、食べさせようとしたけどダメでずっと動かずにこちらを見ていた。その患者さんの視線は痛かった。辛かった。やっぱりこの環境は辛すぎる。父はカーテンを閉めて視界を遮るのが嫌と言うので常に開けたままにしているけれど、外以外の余計なものも色々見えるのは気になってしまう。母は個室の話を看護婦さんにしたそうだけど、残念ながら今個室に空きはなく、いつ空くかもわからないと言われたそうだ。空いたら移させてもらおう。まだ父に話をしていないというので、私から話す事にした。母は足が動かないから、明日は病院へは行けないと言った。思わず深いため息が出た。一番恐れていた事だった。明日からは私がずっと行くから、とにかくちゃんと休むように言っても「眠れるわけないじゃない!」とか言う。私一人ではもうフォローが出来ないので、ここは肉親にまかせようと思い、叔母へ電話をして母にきちんと休むように言って欲しいとお願いをした。眠れなかったら眠るような工夫をしないといけないことや私がちゃんと父のそばにいるから、少し休んで体調を整えて欲しい事、過ぎた事をいつまでもぼやいていないで、お父さんの事だけを考えて自分に出来る精一杯の事をすれば良い事、これ以上具合が悪くなったら、お父さんが一番悲しむ事を伝えてもらった。私が言っても言う事を聞かないから、これしか方法が浮かばなかった。電話を終えて、やれやれってことでご飯。誕生日ディナーとしては、思うところはあるけど(^_^;)さすがに今日はお疲れだったので、成城石井で値引き品をゲットしたわ~友達からバースデーカードが届いていた。嬉しかった。母からは「何も出来ないから」と言ってお小遣いを貰った。助かった。彼からは…何も連絡は来なかったけど、きっとすごく忙しいんだろう。寂しい事も辛い事も頑張って一人で乗り切らなければ。まずは仕事を早く終わらせなくては…頑張ろう。<ブログ記事書く前に仕事しろって(笑)
2009年04月22日
コメント(4)
今日はアルバイトへ行く日だったので、早起きしてお弁当を作って、それでもいつもより時間が余った。どうせだったら早めに家を出て、会社の周りを散策するかな…と家を出て駅へ行くと、電車が止まってた…(-_-;)さらに乗り換えた電車も止まっており、大遅刻で出社をしちゃったよ…途中で何度か会社にメールを入れて、到着予定時間を知らせても予定通りに電車が動かずだった。まいったまいった。遅刻で出社して、作業をして、何だかとってもスムーズに仕事が出来てしまったので、終った人は帰って良いと言われ、遅く来て早く帰るという幹部並みの私…食材を買う時間が余裕で取れて、大満足で帰宅後…病室にいる母と電話で話をした。父はモルヒネを投与した後でも、起き上がって食事が出来たそうだ。ろれつは回らないけど言葉も喋るし、テレビも見たそうだ。電話を代わってもらって、一言二言だけど話が出来た。だけど、今日主治医から母は後数日、または今週いっぱいもどうかわからないだろうと言われたそうだ。もう苦しみながら死ぬというよりも、気づかないうちに眠るように静かに息を引き取るような気がするとも言われたらしい。母との電話を切った後で、すぐに叔父さんや叔母さんに電話で連絡をした。もしも時間があるなら、最後になるかもしれないと伝えた。叔父さんは明日行くと言ってくれた。母方の叔母さんへも連絡をした。最後だから悔いの無い様にしっかりねと言われた。出来たらあの大部屋ではなく、個室で家族3人で最後に過ごせたらいいのにと私が話すと、それは良いんじゃないかと言ってくれた。しばらくしてまた母から電話があった。父の車を売る為に必要な書類をそろえなくてはいけなくて、私が頼まれていたので、いつ持ってこれるかを聞かれた。今ごたごたしているから、母が混乱しないようにと思って何も言わなかったけど、もう全部用意は出来ている事を伝えた。明後日仕事へ行く予定だったけど、明日病院へちょっと顔を出したら前倒しで明日仕事を済ませて、明後日から来週の火曜までは全部病院へ行くから、明日だけお母さんに頑張ってもらいたい事も話した。後は個室について聞いてみた。母は、お父さんは個室に入ったら、もう自分はそんなに状況が良くないのかと勘ぐるのが嫌だと言った。今まで癌の告知をされて以降、一度も母の前で泣かなかった私だけど、つい泣きながら話をしてしまった。元々お父さんは目の前で癌の告知もされているし、遅かれ早かれこうなる事はわかっていて、出来るだけの事をすると治療を頑張ってきたけど、自分の身体の異変や、周りの様子を見て、何も言わなくても自分がどうなるのかくらいわかっていると思う。それでも今だって愚痴らしい愚痴も言わないし、辛い事もほとんど言わない。足がむくんで太くなっても、お腹が脹れて水が溜まっても、話しづらい事も、記憶が飛んで辛い事も、聞くと大丈夫だと言う。とても終末期のガン患者と思えないほどの気力で頑張っている。本当に最後まで立派に生きようとしている事は尊重したい。それでも、大部屋だと周りの環境は良くない。看護婦さんは事務的に作業をするし、周りは皆一人でベッドで頑張っていて私達だけ毎日ほとんどお父さんといるのも、周りから見たらきっと羨ましいとも思う。周りに気を使って筆談したり、小声で聞き取れない声で話さずに、最後は気兼ねなく、大きい声で3人で話したい。個室は保険がきかないから、自分の為に部屋を移るよう勧めても父はきっと自分の為にお金をかけなくていいと言う。最後の最後まで父に気を使わせたくない。だから、嘘をつけと言っているわけではなく、個室が空いたから、個室だったら気兼ねなく3人で話が出来るし、って言ってみようよって母に言った。母は「わかった。明日話してみる」と言った。これで後は個室になったら、24時間一緒に居ても良いかもしれないし、周りに気兼ねなく、おむつの交換や着替えも出来る。皆で食事が出来る。最後くらい…最後だから、家族だけで過ごしたい。それくらいしか私には思いつかなかったんだもん。電話の後は、さっき買ってきた食材を下処理してしばらく帰って来れなくても、帰れたとしてもすぐにきちんと食べられるようにしておいた。これからが本当の私の頑張り時になるんだから、体力をつけて倒れないようにしなくては。父をしっかり見送るまで、しっかりしなくては。自分の身体に祈るしかない。ポンコツだって、火事場の馬鹿力が出せるくらいのエネルギーは蓄えているはずだもの。この後倒れても、父がいなくなった後だったらかまわない。休んだら元気になれる。
2009年04月21日
コメント(0)
夕べも胸痛で眠れなかったし、頭痛が治まらなかった。薬を2回飲んで、明け方近くにやっと痛みが治まったので、うとうとしながら起床時間を迎えた。昨日から父はナースステーションに近い部屋へ移った。窓際のベッドだけど山はあまり見えなくなってしまった。病室に着くと、父はいびきをかいて寝ていた。起こさずに隣で座ってじっと父を見ていた。周りの患者さんも末期癌の終末期の人たちばかりで看護婦さんの行き交いがいつも以上だった。机や椅子に高々とおむつを積み上げている人、ずっと眠り続けている人、起きているけどぼーっとしてベッドに座っている人、自力でタンが出せないので、機械を使って無理矢理出して苦しそうな人…こんな部屋の中で父は最期を迎えるなんて…私がもっともっと働いて稼いでいたら個室でのんびり過ごす事が出来たかもしれないのに…遠くても経済的に気にならなければガン専門のホスピスへ入れてあげて、設備も何もかもが整った場所で楽しく過ごせたかもしれないのに私は本当に無力ですねかじりで情けない娘だ。父の寝顔を見ていると、「こんにちは」と言って主治医がエコー検査の機材を持って来た。お腹が膨らみすぎているので、様子を見に来たようだった。父を起こしてエコーをしている間も、父はうとうとしている。機械を片付けた後、主治医と話をした。お腹に管を入れて溜まっている水を抜こうかと思うと言われた。水を抜いても別に水が減るわけではない。ただでさえ低たんぱくで栄養障害のためのむくみで今食事量がどんどん減っているという事は、栄養障害がどんどん進み、むくみはさらに悪化する。ただ、父は水が溜まっている事や、むくんでいる事を一度も辛いと言わない。今日も先生が聞いてもなんともないと言った。痛みはないけど、時々呼吸が苦しくなるのが辛いと言った。それならば、今せっかく麻薬のおかげで疼痛が治まっているのに新たな痛みを与える事が父にとって良い事なのかがわからなかった。父はもとから延命治療を望んでいない。水を抜いても例えば数日程度しかもたず、ただ痛いだけなら、父の気持ちが休まるどころか、これも延命治療に近いものなのではないか、私は必要性がないと思うと主治医に伝えた。もう少ししたら母が来るし、父が意識のしっかりしている時だったら話をしてから決めたいと言った。最近の記憶障害や眠る時間が増えた事は、麻薬のせいかを確認した。麻薬も、父の体力の低下もどちらもありえるとのことだった。この先、もしセデーションに入る際には家族に必ず伝えて欲しい事もお願いした。まず今日は水を抜くのは待って欲しいと言うと、主治医は納得して帰っていった。(セデーション…最期を迎える時が近づいた時に、眠る薬を使って意識を意図的に落とすこと。「鎮静」)母が来たら、真っ先に今の話をしようと思い、待っていると母が来た。なぜか一緒に父のお兄さん(長男)夫婦が来た。最寄り駅でたまたま会ったらしい。長男夫婦は私が先日知らせた斎場の下見へ行ったそうだ。叔父さん達に父のそばにいるようお願いをして、私は母を廊下に呼び出して、今さっき起きた事を話した。母は私の考えに反論する事無く、それがお父さんの為だろうと納得しているようだった。話を終えて病室へ戻り、4人で父の様子を見ていた。時々起きて水を一口飲んで、またいびきをかいて寝て、数分するとまた起きて…と同じ動作を何度も繰り返していた。言葉を発する事無く、大丈夫?と聞くと頷くだけ。父に「また来るね」と挨拶をした長男夫婦が帰る前に呼び出し、母にした話と同じ話を叔父さん達にもした。二人も水を抜かない事について、お父さんの為だという意見は一致した。これで後は主治医からセデーションを薦められた時こそが最期になると伝え、場合によってはそんな事もなく突然異変が起きるかもしれない事も話した。この話をしている間も、私は自分の感情をコントロールする事に精一杯だった。何度も涙が出そうになってこらえた。だけど、長男の嫁は容赦なかった。叔父さんが土曜に来たAさんについて私にこう言った。「Kocrispちゃん、この前は悪かったね。あの人の言った事は全部忘れていいから。嫌な思いをしちゃったよね」私は「なんでしたっけ?私は何とも思ってないですよ」と返した。この言葉以降、嫁はAさんバッシングが止まらなくなってしまった。「貴女のお母さんとAさんはいつもグルになって私を苛めるのよ!私がどれだけ辛い思いをしたかわからないわ」「お婆ちゃんがガンになった時、何で自宅で介護をしないんだってさんざんお母さんとAさんに責められたのよ!」などなど、延々と話し始めた。この期に及んでそんな話やめてほしい。母は人を苛めたり、陥れるような事だけは神に誓ってしない人だ。バカ正直で、世間知らずで、自分の気持ちを抑えられないだけだ。Aさんの事だって、母は最初から相手にしていないはず。二人が吊るんで嫁を苛める意味がどこにあるんだか。それでも「母の事は許してあげてください。いつもいつも本当にごめんなさい」私は二人に頭を下げた。それしかない。そうして欲しいんでしょ。だったらそうしてあげる。こんな事くらい、何の屈辱でもない。くだらない人に希望通りの行為を返してやるだけ。叔父さんはずっと昔から、こういう雑音を聞き続けてきたんだろう。黙って聞いているから、皆が叔父さんへあれこれと言っている。母も、この嫁も、Aさんも…叔父さんも辛いだろうけど、父も含めてこうやってどうでもいい事を言わせ続けて野放しにしてきた結果、見境なく私にまで余計なおしゃべりをしている事も止める事が出来ないのだろう。もうちょっとしっかりして欲しいけど、きっと無理なんだろうな…「もう行こう」と嫁に言って話を切り上げようとするしか出来ないんだ。病室へ戻ると「遅かったのね、何話してたの?」と母に聞かれた。「さっき先生と話した事を言ったよ」「それだけでこんなに時間はかからないでしょ」「お母さんは別に知らなくていいよ。何でもないから」「どうせあの人(嫁)の事だから、おかしな事を言ったんでしょ。さっきお兄さん(叔父さん)に言っておいたわよ。Aさんが土曜にKocrispをつかまえてあれこれと話した事についてあんたは何も言わないけど、どうせあのAさんの事だから何を言ったか検討がつくわよ。お兄さんに私だったらAさんは帰していたわって言ってやったわよ。Kocrispはお父さんに言われた事をやっているだけなのにあの子とAさんは面識がないのに、娘を困らせるような事をしてってしっかり言っておいたからね!」ああ…また余計な事を…(T_T)私はそんなの望んでも頼んでもないよ…私は母に「もういいよ。今日ここへ来たのはこんな話をする為じゃないでしょ」どうにか母をなだめた。みんな、何に怒っているんだろう…父の最期をしっかり見送る事だけ考えて欲しいのに何をそんなにいがみ合うんだろう。今度は緩和ケア専門の先生が来た。呼吸が苦しいのがオキシコンチン錠(麻薬)では治まらないので、別の麻薬…モルヒネの点滴に切り替えてみようと思うと言われた。そうなったら、父がどうなるのか聞いた。痛みはなくなるし、呼吸が楽になる。そしてほとんどうとうとしたままになる。最近記憶障害もあるというので、服用するタイプの薬を誤飲したり、口から何か入れた際に器官へ入ってしまうのが危ないと言われた。点滴から薬を入れるのが妥当だと言われた。しばらく母と先生と3人で話し合った。モルヒネは量の調整が難しいと聞いた事がある。そのまま眠るだけの人もいれば、幻覚や睡眠障害に悩む人もいるという。常にぼーっとしているので、もう車椅子でトイレへは行けずベッドからは動けないそうだ。話がほとんど出来なくなり、意識はあっても朦朧としている時間が長くなるそうだ。食事も点滴になって、必要最低限の栄養を身体へ入れる事になる。それでも、痛みは消える。呼吸も楽になる。父は苦しまなくなる。母は明らかに混乱している様子だった。私も何が父にとって最善なのかがわからなくなった。わからなくなったけど、父が訴える辛さを取り除く事を優先させるしかないのではないかという結論を出した。母もお父さんの呼吸が楽になるのなら、食事が出来なくても話が出来なくても仕方ないと言った。さっそく今日からモルヒネに切り替えましょうという事で先生とは話を終えた。病室に戻ると、すぐに看護婦さん達が「点滴の準備をします」と言い父の腕へ点滴をする準備を始めた。私は耳元で父に言った。「あのね、今までは痛み止めに飲んでいた薬を今度からは点滴にするんだって。そうすると呼吸が楽になるかもしれないって。点滴は痛いし、腕の自由がきかなくなっちゃうけど、いいかな?」父は頷いた。黙って看護婦のされるがままになっていた。もう耐え切れなくて涙が落ちそうになった。話題を変えた。昨日父に頼まれていた皐月賞の馬券の事を話した。父の馬券ははずれだったけど、私はワイドを当てた。「私、ワイドで取ったよ」「おお、そうか…良かったね」会話は短かったけど、一瞬だけ父はいつもの父に戻った。私は間違った選択をしていないか、本当は父は眠りたくなんてないんじゃないか、お腹の水を抜いて、痛い、辛いといってからやめさせる方がいいのではないか、自力で呼吸が出来なくなるまで、流動食でも食事を口から取る方が良いんじゃないか…何が父にとって一番良い選択なのか今も頭の中でぐるぐる巡り続けている。以前にも使っていた生理食塩水をまず体内へ流してその後でモルヒネを追加していた。これで本当に良かったのか、止めるなら今なのか…父は黙って天井を見つめていた。母に「これでいいんだよね?」と聞いた。母は「お父さんの呼吸が楽になるなら、それしかないじゃない」と言った。どんな事をしても、私達がどんな選択をしたとしても後悔は出てしまうかもしれない。そう思うけれどやっぱり割り切れない。点滴をされた腕を何度も何度も見つめてはまたいびきをかいて寝てしまう父をずっと見ていた。目を覚ますとまた腕を見つめて天井を見ている。帰る時に父の手を握って「明日は仕事だからここへは来れないけど、明後日は来るね。ゆっくり休んでね」と言った。父はいつも私が帰る時と同じ、「いつも悪いね」と言った。少し微笑んでいた。笑顔を見る事が出来て、何だか救われた。私も笑顔で返して、病室を去った。
2009年04月20日
コメント(0)
ゆうべは久しぶりに寝付く事が出来なかった。私は心底辛い事があると、可能ならば出来るだけ早く床につく癖がある。眠って現実逃避をしたいから。とっても辛かった時に、楽しい夢を見れた時があってからは眠っている間はすべて忘れられる事を覚えた。そして、朝に目覚めたらまた新しい一日が待っている事も。ゆうべは日付が変わる前に布団へ入ったけど、ダメだった。なんだかんだ言っても、父の事が頭から離れなかった。そのまま朝になって、朝食を食べ終えた頃彼が来た。昨日のびっくり話を少しして、今日の予定を確認した。夏物を持っていくというので、荷造りをした。今日の私との用事が済んだら彼はこちらの会社へ行くそうだ。日帰りというのはわかっていたけど、もしかしたら…と思ってゆうべ仕込んでおいた夕食はさっき一人で食べた。余ったのはお弁当になるからいいっか。しょうがない。不動産屋へ一緒に行って、契約をしてきた。その後は新居へ行って、寸法を測って、あっという間に時間が経った。会社へ行った後はそのまま名古屋へ戻るというので、駅のホームで彼とは別れた。もう泣かないつもりだったけど、やっぱりこれまたダメだった。一人帰りの電車で涙を流している私はかなり恥ずかしかった。それでも涙が止まらなかった。寸法を測っている時も、それ以外でも、父とメールをしようと試みたが、私が出しても返事が来ない。皐月賞出走の頃も、その前も、その後もずっとメールが来ない。もしかしたら、携帯の使い方も忘れてしまったのかも…携帯に電話をかけても誰も出ない。ずっと気になりながら彼といた。彼が一緒にいると一番落ち着くのに、今日は落ち着かなかった。後少しでまたいつ会えるのかわからない相手と、今どうしているのかわからない相手。さすがに最近は自分自身を責め始めるようになった。自分の存在が…自分がしている事は、周りの人を不幸にしているんじゃないかいつも私の周りにいる人は辛い事が起きる。私自身は周りに何があっても、なんだかんだで元気に生きている。気持ちが荒れる事はあるくらいで、生きている。結局家に帰ってからもずっと電話には誰も出ず、メールも来ずで21時過ぎた。気になるから病院へ行ってみようかと思った矢先に母から電話が来た。ものすごい興奮した声で、何だか嫌な予感がした。また携帯がおかしい、壊れているとかわーわー騒いでいた。先日騒いだ時は、充電をしていなかったからだけど、昨夜に充電はしたと言い張っている。それよりも、電話機の電源は入れたのか入れていないのかを確認するのに5分以上かかった。「私は何もしてないのに、お父さんがメールを見ていたら…画面が真っ暗になって…お父さんが壊したのよ!私は何もしてないのにっ!なんでいつもこうなるのよ!」などと針の飛んだレコードのように繰り返している。私も大声出さずにはいられない。落ち着いて!と何度も言った。母の看病疲れもきっとピークなんだろう。電源を入れる事を忘れてしまった母に、落ち着いて私の言う事は聞いてもらえるかを確認して、電源の入れ方をゆっくり話した。電源が入ったので、母はようやく落ち着いたかと思いきや、まだ自分は何もしていない、父がおかしくしたとばかり言っている。母が携帯を壊したって、ショックだろうけど別に怒らないし、水の中にでも落としたり強い衝撃がない限り、簡単には壊れない。また犯人探しをしないと気が済まない母にもう電源が入ってこうして会話ができるんだからと何度も何度も話をした。父は今日もおむつがらみで色々とあったようだ。母はすべてにおいて要領が悪いので、トイレへ父を連れて行って自分では出来なくなるまで色々とした後で看護婦さんを呼ぶのが、非常に父にとって良くないと常々言ってきたがまったく私の言う事に耳を傾けてくれない。今日も父がぐったりするまでトイレでおむつ交換をしようとして結局看護婦さんを呼んだけど、新人の看護婦さんがもたもたして父の呼吸が完全におかしくなった頃に叫んで誰かを呼ぼうとしたらしい。結局婦長さんがかけつけて、事なきを得たそうだ。これからはベッドで看護婦を呼んでと言われたそうだ。婦長さんにはお手数をかけてしまったようで…それなのに母は、新人看護婦に対する怒りしかなかった。ずっとずっと何度も「これだから新人は困る」「あんな所で新人を使うべきじゃない」「明日一階の受付で訴えてくる」などなど…新人さんがどこでも多い時期だ。私も最近結構腹が立つ事はあっても、ずいぶん丸くなった。誰にだって社会に出て新人の頃はある。沢山失敗して時間をかけていくしか今の段階で新人に出来る事はない。好きで失敗をする人なんていないはずだ。と何度も母に言い聞かせてみた。明日からはトイレへ行きたいと父が言ったら、すぐ看護婦さんを呼ぼうって言った。聞いていなかったけど、しつこくゆっくり話してみた。だから、もう今日の嫌だった事は忘れて、気持ちを切り替えて明日また頑張ろうよって言った。ようやく母は落ち着いたようで「わかった」と言った。ああ…ここまで1時間…明日は母は自分の用事があるので、私が一日病院へ行く予定だったが母は父の所へ行くと言う。足が痛くて歩けないから、用事はいいと言い出した。…だったら病院もいいのに…歩けなくなったらお葬式出れないよと色々と言っても言う事を聞かないので、もう電話を切る事にした。はい。お疲れさんでした。あたし(~_~)泣き過ぎて腫れた目の修復に勤しんでさっさと寝ます。
2009年04月19日
コメント(0)
今日は父の71回目の誕生日。非常に残念ながら今までの中で一番父にとっても私達にとっても辛い1日となってしまった。お昼に病室へ行くと、いつも笑顔で迎えてくれる父に笑顔はまったくなく、とても難しい顔をして目の前の昼食を見つめていた。私が持参した昼食にも、誕生日用に皆で食べるために買ったプリンも次々と袋から出す様を見ているだけで、何も発しない。食事をしながら「今日の調子はどう?」と尋ねると、「今朝起きたら、ここ数日前の記憶がないんだ。昨日の事も、一昨日も、誰が来て何を話したのか、自分に何があったのか、覚えてないんだ何日か前からそうだったけど、今日は一番ひどい」と言った。元々父は脳の萎縮が少しあった。昨年の夏に脳外科で検査をしてそういう話があった。今回はガンの脳転移なのか、萎縮が進んだのかは定かではないけど、父は記憶がない事がきっと悲しくてショックだったのだろう。だからずっと難しい顔をしているんだろう。私は数日前から父がそんな事になっていたと気付かずに父の前で母ともめて、嫌な気持ちにさせた。父はもう、いやな事を全部忘れたかったのかも…認知の症状は、家族にとっては辛いけれど、もしかしたら本人にとっては…父にとっては良いのかもしれない。少し経ってから母が来た。こっそりと記憶障害の事を伝えて、その話には触れないように言った。そうこうしている間に、父の兄姉と、祖母の弟の娘(私にとって何だろ(^_^;))の3人が来た。父とは小さい頃から仲が良いらしい。一気にベッドの周りが賑やかになって、父は気分転換できるかと思いきや笑顔がまったくなかった。父の好きなベートーベンの第九が入ったカセットを誕生日プレゼントにと叔父が持ってきてくれたけど、手渡しても父は反応が薄い。テープを入れて、再生ボタンを押して、ボリュームを調整するという今までだったら何てことはない作業ですら、面倒そうだった。叔父がセットをしてあげても、喜んでいる様子がなかった。叔父や叔母が話しかけても、何も反応しない。ほんの数十秒聞いて、すぐに耳からイヤホンを取ってしまった。「今日は調子が悪いみたいね~」などど言って、父には横になるように勧めた。叔父さんと叔母さんには、この後父の見えない所で葬儀についての相談をしようとしていたんだけど、想定外のお客様が一緒だったので、どうしようか迷った。母が「叔父さんだけ呼び出して話せば?」と私に聞いてきたけど、一応身内だし、1人だけ帰すわけにもいかないので、「大丈夫。3人いても話をするのは叔父さんにだし」と言った。ところがっ…!!!!この想定外のお客様に、私はえらいエネルギーを使うハメに…3人が父の病室を去る時に、私はお見送りがてら買い物をしてくると言い、4人で別の場所へ移動をした。木曜に葬儀屋さんと事前打ち合わせをした事、一人で心細くて叔父さん達に気になる事を相談したかった事、私の仕事の兼ね合いがあるので、父は健在でもいざという時にはスムーズに事が運ぶように、葬儀屋さんの決定までを済ませた。とまず話をすると…「まだ生きているのに、葬儀屋と話なんてしたの?」と祖母の弟の娘(長いので以下Aさんと略)が言った。父は無宗派で、そもそも葬式自体に意味がないと思っているので、最初は海に骨を撒いてと言っていたのを、一応葬儀までは行なうように私達で父に言った経緯を説明。さらに家族葬を行ない、ごくごく内輪で見送って欲しいと父が希望しているので、その希望に沿って話を進めている事を言ったところ…「うちは○○宗なのに、お坊さんも呼ばないお葬式なんて聞いた事がないわ」「うちは先祖代々○○宗なのよ。日本一の宗派なのよ。」「お父さんが戒名をいらないって言うわけがないじゃない」「家族葬はいいけど、お線香くらいあげさせてよ」「貴女が話を進めているっていうけど、お坊さんくらい呼びなさいよ」「お経も読んであげないなんて、おかしいんじゃないの」「献花だけするなんて、そんなのお葬式じゃない」「火葬場で最後にお坊さんがいないなんてのは、寂しすぎるわ」…あとなんだっけ(^_^;)まあとにかくAさんは止まらない。とりあえずAさんが黙るまで、じっと話を聞いてみた。言った事全部を否定的な言葉で返すのは、非常にリスキーな気がしたので、ここはガラにもなく、しおらしくおとなしくお上品に返そうと…「そうですかぁ…父の言っている事をそのままお話しているだけなんですけど…どうしたら宜しいでしょうかぁ~」と捨てられた子犬のような眼差し(爆)で言ってみた。そろそろ叔父さんが助け舟を出すはずだと思ったし、この曲者はまともに受け答えしたら、さらにこんがらがるんじゃ…とかも思った。そもそもAさんの葬式じゃねえっつーの。ってか、あんたは親族といっても遠いだろって!自分の葬式の時は好きなようにやればいいじゃんかっ!この人、超面倒臭そうっっっ下手すると叔父さんの嫁以上かもしれん…あたしの演技力がどこまで通用するやら…(>Kocrisp心の叫び)叔父さんは「まあ、○○(父の名)が望んでいる事なんだから、俺たちが何か言うのはおかしいでしょ。納得ができなくても、それが望みならそうするしかない。Kocrispちゃんはお父さんの意思に従っているだけだし」とかなんとか一生懸命言ってくれた。よしよし。いいぞいいぞ!さすが長男、さすがお父さんのお兄さん!パチパチパチ…最後までだらだらとAさんが茶々を入れてくる中で、私は叔父さんと叔母さんに聞きたい事はとりあえず聞けた。うちの母並みに、同じ事を繰り返し言うので、「私が勝手に決めているわけじゃないんですよ~(にっこり)」と返し続けた。そう、私がやっているのは、父のお別れの時に父が好むやり方を忠実に行なう事だけ。それを理解しようとしていないので、何度も口を挟んでくるわけで…ま、最後には「気になる事や、お話足りない事は全部私が聴きますので、またご連絡ください」と言っておいた。そう言いつつ電話番号教えないけど(笑)長時間こんな話をして、ぐったりして病室へ戻った。こんなこと母に言ったら、逆上して血圧が上がってしまうのでAさんが何者なのかだけ確認してみた。母が色々と話を始めた。なるほど…ヒストリーオブAさん話は、なかなかすごい。しかも叔父さんの嫁とも相当仲が悪いらしい。すげー。そりゃどっちもどっちだろうに。みたいな感じ。私が何を話したのか気になる母に「お母さんは知らなくても大丈夫。叔父さんや叔母さんに聞きたい事は全部聞けた。それ以外はぜんぶ雑音だから、報告するまでもないよ」と言った。私で全部留めておけば済む事。こんな雑音をいちいち気にしていられない。葬儀当日にまだこういう無駄話をAさんがしたらつまみだしてもいい。くらいに思った。文句があるなら私に言えばいいし、私が全部引き受けるので母にも念を押して、すべて娘に任せたと言う様に伝えた。おかげで中山グランドジャンプがライブで見れなかった~~~(T_T)でも…父は今日競馬中継を見ていなかった。今日の父は別人になってしまったかのようだった。明日の皐月賞の予想を書いたメモはくれたけど、皐月賞の話をしようとしても、のってこなかった。しょっちゅういびきをかいて寝たかと思うと、むくっと起き上がってまた寝る。この繰り返しをしていた。今日は話し方がいつもと違う。私や母と話をしていると呂律が回らない時がある。競馬予想の時に買い目を書く文字の震えがひどい。断片的に記憶が飛んで、数分前にした事を忘れて何度も何度も確認をしてくる。昼食は片付けを頼まれたから片付けたのに、何時間も経ってから「お前が勝手に片付けるからお父さんは食事ができなかった」と言われた。途中でトイレへ行きたいと言ったので、車椅子を出そうとした所、脱糞していた。母と手分けして看護婦さんを呼んで、父の気持ちがこれ以上沈まないように出来るだけ迅速に事を進めた。トイレの中でもなかなか言う事を聞かず、着替えを終えた頃には、息があがって苦しそうだった。看護婦さんは酸素の量を増やして、素早くおむつを履かせた。ベッドに戻った父は、横になると数分で寝息を立てていた。次に目覚めた時、今起きた事も忘れてくれるといいのに…と思った。母と私は父がどんな風に変わってしまっても今と変わらず看病しつづける。記憶がなくなるのは、辛い事だと思っていたけど今の父にはそれもいいようにも思う。認知症が悪化した最期の頃の祖母は、赤ちゃんに帰ったようだった。病気の痛みも、それまで耐えてきた治療の事も全部忘れてしまえるのなら、それも良いのかもしれない。私の事を忘れてしまったとしても、私は父を一生覚えている。私達が辛いのは耐えていくしかないのだろう。泣いてばかりもいられない。いよいよ忙しくなる時が来るのかもしれない。明日に備えて早く寝よう。明日は彼が一時帰宅する。一緒に新居の寸法を測りに行くんだ。笑顔で迎えたい。引越し準備も本格的に始まる。あともうひと頑張りだ。
2009年04月18日
コメント(0)
![]()
急激な気温の低下はこたえますなぁ。昨日までが暑すぎたので、今日はかなり寒く感じたわ~引越し準備も兼ねて、先週冬物の大半を一旦片付けてしまったので、着るものに困った~(-_-;)今日は病院へ行くと、父は起き上がっていた。昼食の時には普段の食事プラス、液体の補助栄養食が用意されていた。「昨日は散々だった。最低だった」と何度も言う父。昨日の昼食の時から、既に酷い目にあったと何度も言っていた。話を聞けば、母が昼食の時に出た根菜の煮物を見て、身体に少しでも良いから食べてと嫌がる父に一口食べさせたらしい。その時、咀嚼後に飲み込もうとしたら、吐き気をもよおして、その後の食事は普段なら食べるお粥も一切食べられなくなり、ずっと吐き気が治まらなかったそうだ。母に悪気はないけれど、父が嫌がっているのに自分の気持ちを曲げないあたりが端から見ると間違った愛情だと思われてしまうわけで…それは私に対しても同じ。何かと心配をしているのは充分わかっていても、自分の思った事を絶対に曲げないし、言う事を聞かない。だからうっとおしがられるし、相手の立場で物事を考えられないから衝突が起こるんでして…その後も下剤の影響で、おむつをするのも父には相当堪えたらしい。母は献身的なんだけど、介護をしなれていないので、父がぐったりするまで着替えやトイレに時間をかけたらしい。私が昨日病院に行っていたら、そこまで大惨事にならなかった…母は「お父さんに悪い事をした」と私に言っていたけど、父は本当に疲れて苛立ってどうしようもなかったようだった。今日は懲りてしまったのか下剤を飲むのを拒否した。看護婦さんが薬を持ってきても「下剤は飲みません!」と言った。私は何も言わなかった。また便秘をしたら、それはそれで辛いだろうからその時考えればいい。今は昨日の辛かった事を早く忘れさせてあげなくては。病院の売店に、食事の時に出される栄養食が売られていた。食事の際はいつも同じ味なので、他に何かないかと思っていた。いくつか買って、どの味なら問題ないかを調べる事にした。ネットで調べると、幾分安く手に入る事もわかったので父が飽きないで飲めるように、さっそくいくつか注文をしてみた。昼食後は主治医が来たので、お粥以外ほとんど食べられない事とむくみが足以外にも出てきて、お腹がとても膨らんでいる事も言った。食事についてはトラウマになってしまったようで、固体の食べ物を全く受け付けない事を伝えた。本人は食べたくても、受け付けられない事の辛さは本人にしかわからない。私には想像の域を越えている。主治医が去った後で少しすると栄養士が来て、今後の食事についての話をした。今日の夜からはハーフ食といって、全粥と補助用の栄養食、茶碗蒸しなどなら用意できると言うので、お願いをした。少し前まで毎日持ってきていた温泉卵などは、暑くなったので、保存が出来ないからやめた方が良いということで持ってきていない。冷蔵庫はあるけれど、有料で24時間しかもたない。テレビも冷蔵庫もみんな有料な事を、父はとても気にしている。正直私達も気にはしていた。けど、こういう時だからしょうがないと思っている。それでも父はこのためだけに冷蔵庫を使わなくていいと言うので、それも栄養士に伝えておいた。看護婦さんのチェックの時には、むくみが酷いのを気にして足を触ってもらっていた。看護婦さんは「足だけでもお布団かけて温めないとダメですよ」と言った。そう、父はいつも何もかけないでいる。かけようとすると嫌がる。だけどむくんだ足はとても冷たい。足湯をした後も、タオルで包んで保温をしていると、早く取りたがる。血が冷えるととにかく良くないし、少しでも流れを良くしないと…と私と看護婦さんで説得をした。父は「わかった」と言って足だけ布団をかけた。良かった。今日は洗面台へ移動をせずに、お湯を張ってベッドの上で手浴をして芳香浴をして、顔や頭を拭いてあげた。手が温まって血が巡る事も話してみた。身体を冷やす、という自覚がないので、今からでも伝えてみようと思った。若い頃から父はそうやってきたので、慣れてしまったのだろう。とにかく血を冷やす事は本当に良くないのです。すべての病気は血を冷やすことから始まるのです。母は口だけで「冷えるから着なさい」と言っても、言う事を聞かない父に無理矢理でも何かかけるという事までしない。長年にわたるその詰めの甘さが、こうやって今も続いているのだ。今さら母を責めてもしょうがないけど、やっぱり無念だとは思う。私は私で今日は絶不調だったので、父に気づかれないように薬を飲んだり、トイレでぐったりしたりしたけど頑張ってやりきった。このところ私が行くと、昼食後に父は眠ってしまって起きない。疲れているのもあるだろうし、母がいる時と違って私はおとなしくそばで座っているから、気持ちが落ち着くんだと思う。要求された事はしっかりやって、後は無理強いもしないし過剰に心配をしている言動も見せない。病人はやたら心配されるのは辛いように思う。ましてや余命がわずかだと知っていながらも、あれこれと気を使いすぎて後でとんちんかんになるよりずっといいと思う。病院にいる間も、出てから仕事をしている時にも、家に帰ってからも今日はやたらと母と電話で話ばかりしていた。母は家でやることがあったので、出かけられないから何かと気にして私に電話をしたがる。昨日の話も、やる事も、何度も同じ事を話す。2回目くらいまでは黙って聞いているけど、それ以上は注意する。それでもやめないとキれる。すると母が怒り出す。いつもこの繰り返し。明日は父の兄姉がくる。父のお誕生日だから、少しでも元気になるといいなと思う。母が余計な事を言わないように祈ろう。父に楽しい最後の誕生日の思い出を作りたい。静かに時間が流れて、笑顔で終る1日にしてあげたい。大豆を主体とした高カロリー総合栄養食です!【液状総合栄養食】 リカバリーMini バナナ味 1...
2009年04月17日
コメント(0)
![]()
今週に入ってから、父にCDを買ってきてと頼まれた。朝に父がテレビを見て、すぐにメモを取ったらしい。こういう時は、大抵お店での購入が難しくなりそうな気がしたので、Amazonでお急ぎ便で送ってもらった。ついでに病室でも手軽に聞けるCDプレーヤーも買った。■樋口了一 CD【手紙 ~親愛なる子供たちへ~】08/10/22発売実は私は開封せずにそのまま渡してしまったので、どのようなものかは一切知らないの(^_^;)そのうち聞かせてもらうとしよう。父は昨日からおむつをつけるようになった。痛み止めの薬には便秘になるという副作用があり、一緒に下剤を飲んでいるんだけど、どうも腸の調子がおかしいらしく着替えのストックがなくなり、何かと大騒ぎだったようだ。母はこういう時に騒いでしまうので、父が気を使ってしまうのが辛い。何があってもなんでもない顔をしていようねといくら言ってもすぐに忘れちゃうらしい。昨日はもう、書くのも本当にしんどくて嫌になったので更新をしなかったけど、母は酷かった。父の前で喧嘩はしないと言っても、母から言われた事で私が無言でも表情で父には伝わってしまうらしい。父は「悪いけど今日はお前は帰る方がいいかもな」と言うので、看護婦さんのチェックを待ってから、母とは会話をせずに帰った。母は昔からタチが悪いんだけど…昨日も酷すぎて怒りのぶつけ処がなかった。頭痛と胸痛が酷かったので、夕べは一人部屋の中でアロマテラピーしていた。今日の葬儀屋さんとの打ち合わせでも、叔母と私で話をしていて母はいつものようにほとんど何も聞いていない。そのくせとんでもない話題を突然話し出す。葬儀屋さんから叔母が私の母だと間違われたほどだった。それでも良かったんだけど…叔母は今日の葬儀屋さんで決定だというので、これでひとつやる事は減った。後は土曜にお見舞いに父方の親族が来るので、お見舞いが済んでから時間を作ってもらって、説明をする事にした。遠方から来るので、お通夜や告別式の時の宿泊場所を確保するとか、斎場までの案内やらを事前に伝えておけば、もしも私が仕事中だったとしても、葬儀屋さんを呼べば済むだけになる。とりあえずそれだけ出来ていれば、後は電話対応でどうにでもなる、と思ってる。でも一人でするのは初めてだから、何かぬけがあったら怖い。ま、いざとなれば葬儀屋さんにまかせてしまおう。私の中での今一番の悩みは…数日お家に帰れないと仮定して、荷造りを始めたのはいいけど、パソコンを持っていかないと仕事が出来ないからお外でパソコンできるようにと以前使っていた携帯とネット接続をする際のケーブルを探してるのに見つからない…(^_^;)さっきから探しているんだけど、ないんだよね…(-_-;)このままだと樹海にはまりそうで怖いので、そろそろ探すのやめて何か他の方法を考えるか…
2009年04月14日
コメント(0)
今日から始まったお仕事でしたが…毎回仕事をする時に思っているんだけど、待遇が良い所or自分の希望条件にフィットしている所って仕事内容も当然比例しているのよね(^_^;)ええ、わかってましてよ。楽に稼げる仕事はこの世にはないってことくらい。派遣とか委託だと、なかなか交通費全額支給してくれる所が減ってきている中で、超久々に交通費全額出してくれるって嬉しい!日給で金額もまあまあだし、これで後は仕事内容さえばっちりだったら…というよりも、私が不得意な物が多ければ多いほど、覚えるまでに時間がかかってしまうので、今の状況でどれだけお勉強に時間が避けるかと心配でした。とか色々と思う中、実際に一日終えたら、非常にハードルの高い世界へ急にぽーんと放り出されたような初日でした。決して謙遜ではなく、私って良く採用されたな…というのが正直な所。ちなみに今回のお仕事は、とある大学の生徒さんが書いた作文を添削するというもの。授業は就職関係の内容で、必ず最後に作文を提出させるらしく、その作文を添削してフィードバックするというもの。…この段階で笑えるでしょ。日頃手書き嫌いなこの私が添削!お父さんへの手紙だってパソコンで印刷するってのに。(爆)それなのに、応募しちゃったんだもん。そしたら通っちゃったんだもん(笑)添削といっても、決まり事が多いので、それに沿って進めていく為、意外と手間がかかりそうな予感。採用された何名かで手分けをして行うらしいけど、その私以外の人達の経歴がすごすぎるのよ~自己紹介でいきなり資格の事とか、キャリアの話をし出してさ~それがまた、今回のお仕事に直結しているものばかり。既にCDAの資格を持っているとか、会社で人事を何十年やったとか…ほら、私なんて、キャリアカウンセラーの勉強を途中で辞めちゃったでしょ。(注:記事はどこかにあるんで、暇な方は探してみてね(^_^;))どう考えてもひよっ子&したっぱ&新人以下&お荷物?!も~私の自己紹介なんてここは笑いを取る以外にないだろと思ってキャリアとか今の仕事の話は一切カットしたわ。周りの立派なキャリアに比べると、少なくともここでは場違いだもん…てなわけで、初日からハラハラな感じでした。今日は研修だったんだけど、添削の仕方もだし、グループディスカッションで色んな原稿を元に、どんな風に添削をするか話し合うとかさ。まだ実務じゃないので、今日は元気にハキハキしゃべくれました(笑)恐らく実務が始まったら皆におんぶに抱っこな気がしたので、ディスカッションの司会も進んで行って、人に振って自分は意見を言わないで済んでラッキー…とても姑息なKocrisp…何はともあれ、漢字が書けないとまずい!「ここは漢字にしましょう」とか偉そうに書いたその赤い文字が誤字だったらすげー恥ずかしい。ホワイトは使っても良いというのは安心した~後はいかに赤を入れるのを一発で終らせるように工夫するかだよな…ああ、来週からが怖い…いやぁ。週1の仕事で良かった…思ったより終わった後はくたびれていて、またしても電車で爆睡&乗り過ごし…今日こそ早く寝て、明日からも頑張るっ
2009年04月14日
コメント(0)

今日は前日に頼んでおいた病院近くの鰻屋さんで父の為にうな重を受け取ってから病室へ行った。以前からうなぎが食べたいと言っていたので、一口でもいいから食べられたら満足かなと思ったんだよね~お店の人がとっても親切で、今日は休業日なのに私達の為に作ると言ってくれた。まだまだあるんだね。こういう素晴らしいサービスをしてくれる所。すごく有難かった。そんなわけででかい重箱に入ったうな重を持って病室へ。父はちょっとびっくりしていたけど、嬉しそうだった。かれこれ1ヶ月近く普通に炊いたお米を食べていないのでやや不安げな表情をしながらも、嬉しそうに箸を取ってうなぎを一口、そしてたれの浸みたご飯を一口…味覚が完全に崩壊しているのはわかっているけど、父は「おいしい」と言った。結局少ししか食べなかったけど、後は私にくれるというので、思いがけない所で栄養チャージができた(笑)病院の食事はまったく手をつけなかった。これだけでも食べた事の満足感もあったのかもしれないし、これでもう食事をするのが辛くなったのかも。その後休憩をしてから頭と顔を拭いて、足浴とマッサージをした。父の足は良くなるどころか毛細血管がばんばん出てきてくるぶしの骨も見えないし、足の甲が盛り上がってきている。私が超疲れた時の足以上のむくみだった。でもマッサージをしていると、父はうたた寝を始めた。気持ちが良いのか、薬のせいかはともかくとして…更にその後は汗だくでいる私に「外の方が涼しいから外へ行こう」と言った。桜はもうなくなったので、別の日陰に行こうと言った。連れて行くと涼しいというよりも、風が強かったのでびっくり。それでも父は外の空気が嬉しそう。良かった。そんなこんなであっという間に夕方になり、帰りに母の家へ寄って私の喪服などを置かせてもらってきた。今日一日病院へ行かなかったのに、母は何度も「今日は忙しくて疲れた」と言う。そんなに言われてもどうしたら良いかわからない。手伝うと言っても断るし、何かする事あるかと尋ねても拒否するし。それでいてずっと今日一日どれほど自分が疲れたかを話す。私ならもっともっと自分が楽をする為に効率良くやるよう考える。特にこういう時期に無駄に疲れるのだけは避けたいから。だけど今までも何度となく話し続けても、言うこと聞かないからもういいっ聞き流して帰ってきた。家に帰ってからはメールの処理をしていた。今週末にたてつづけに仕事が入ったので、ここはきっちりやっておかないと。来月の収入がかなりまずい。さらに葬儀屋に依頼をしていた見積がPDFで送られてきたので、さっそく打ち合わせをする段取りを取って、その都度母へと連絡をしていた。これで今日の私の中でのMust to doは終えたはずだった…今朝彼氏が母へ電話をしたようで、母はご満悦だろうし。何を話したか知らないけど、どうせ一方的にしゃべくって彼の話なんて聞いちゃいないんだろうけど。それでも電話が来るという行為で満足しちゃうタイプだから、まあいいや…彼にも、両親にも、めちゃめちゃ謝った。私が至らないからこうやって双方がイライラしているんだろうし…許してもらえるといいけど。で、晩御飯を終えてやれやれと思っていたら、叔母から電話が。「なんで新しい所(葬儀屋)を見つけたの?私は見積を見てない」とかなんとか…別に新しい所じゃないんだけど…提案するのはいくつかであって、その前にいくつもの葬儀屋を見て比較検討をしてから、今回の要望に近いものから出しているだけなんだけど…そういう地道な事は別に言う必要がないので、責められてもしょうがないけどそれにしても、叔母もちょっと首を突っ込みすぎ。本来は父方の親族と話し合う事なのよ、たぶん。それなのに圧倒的に母方で物事決めようとして、母は母で自分の兄妹の話しかまともに聞かないんだもんなぁ。いかにして両家をまとめるかっていうと、私一人でやったと言って父方の親族には納得してもらおうとしているけどさ~てなわけで病院にいる間は肉体的な疲れだけでよかったのになんだかんだでまた母とやりあうハメに。かなりこれでも要領良くやってるんだけどさ~~~~~~(-_-;)私は絶対におばあちゃんになっても今のスタンス曲げないぞっ辛い時こそ、どれだけ要領良くやるかだっそれでも容量オーバーしたら、ブログで愚痴って寝るんだっ(笑)
2009年04月13日
コメント(2)
最近母と会話するのを極力減らしていたので、いらいらブログじゃなかったんだけど(^_^;)どうしてこうもよりによって私が疲労困憊な時に私の一番嫌いな根掘り葉掘り&過去を引っ張り出す&第三者と比較するそのくせ話し終わらないうちにどんどん質問責めにあうめちゃくちゃ話しづらくて大声になるってことをするんだか…今日は叔父さんやら叔母さんやらと電話をしてすごい長電話になって、それがちょと辛かった。電話代もばかにならないでしょ。相手は私の現状なんて知らないからばんばん話を続けちゃうし…葬儀屋についてもまた振り出し気味で、調べなおしてみたけど私だって初めて全部一人でやっているのに、周りがうるさすぎるよ。そりゃ私は頼りないだろうけどだったら代わりにタウンページででも調べて手伝ってくれてもいいような気がするけど…さらにこの数ヶ月は、ずっとずっと親と彼との板ばさみになって苦しいですよ。説明をしたって理解しようとしてくれない親に対して今まで何度となく彼の話はしてきたし、実際に両親に対して迷惑ばかりかけてきたけど、私は私なりに彼へ親に対して誠意を見せて欲しいとお願いをし続けているし、それでも仕事が忙しすぎて出来ないと言われればじゃあ時間が空いたらお願い、としかいえないのじゃん。うちの両親は以前いろいろとあったので、私がこんなに彼に世話になっているのに未だに良い印象を持っていない。双方に対して私はずっとフォローをしつづけてきた。お互いに仲良くなれとは言わないとしても、少なくとも娘が選んだ人だし、彼女の親だしってそれぞれが思い合えたらきっとうまくいくと思ってたんだよね~こうもたてつづけに色々と起きると本当に私だって脳がおかしくなるって。私に何でも言って気が済むのならいくらでも言えばいいけど、それだけでは済まされないんだもんなぁ。しかもしつこいくらい同じ話をされちゃうし…それを全部年寄り相手だからってせいにはしたくないんですけど…私の知っている年配者で、こんなにネチネチしたのはいない。今回の私の新居代は、いきなりすぎたのもあったしもともと貯金なんてないから、お金を作れなかったので私の親から借りることにしたんだけどさ。それを先月くらいから彼に親へメールでもかまわないからしてやってくれってお願いをし続けて、未だにないことで父はイライラしちゃってる。ただでさえあんなところに一人でいたら、いろんなことを考えてしまうのだろう。私がいずれ捨てられるんじゃないか、とか、本当に今後の家賃は支払ってもらえるのか、面倒を見てもらえるのか、色々と父が私や母に言う。母はよせばいいのに、いつも通り会話の内容を全部私に話す。だから私が苦しくなるのも知らずに…母には先日、だったら自分で電話してみればいいじゃんと何度も言ったけど、あれこれと理由をつけて彼は彼で忙しさを理由に連絡が出来ないと言い、結局お互いに連絡を取らない。確かにうちの親に誠意を見せて欲しいから、彼には早く連絡をして欲しいと言っている。彼はそんな卑怯者じゃないし、非常識でもない。だけど、一般的な家庭に生まれ育ってきた両親には彼の境遇や現状はまったく理解してもらえない。私がいくら説得しても、もう私も限界。挙句の果てには私まで騙されているんじゃないかと言われる始末(-_-;)私けっこう1人で頑張ってるんだよ…彼との事も、葬儀の事も、親族がらみも、仕事も、引越しも…同時進行できる人はたくさんいると思うけど、私はもともと不器用なのにやるしかなくてやってるから当然疲れは人一倍くるっての。自分自身で疲れたと口にした時は、かなりのピークなのでその時にさらにもっともっと頑張れといわれても無理!なんかストとかやりたくなってきた…(^_^;)
2009年04月12日
コメント(0)
今朝は間違い電話と勧誘の電話で目覚めてしまい、結構不機嫌だった。二度寝して目覚めなかったら怖いので、早かったけど起きて布団を干したり洗濯をしたり不用品片付けたり…結局病院へ行く時間があるので、慌しくなってもうた。不動産屋から電話があって、支払いや契約の事を言われた。入居日は来月で決定した。まだまだ時間があるので、引越し業者への連絡以外はひとまず引越しの事に関する用事はお休みして父の事に専念することにした。病室の気温がめちゃめちゃ暑くてさらに外も暑くて、風が強くて…困った。病室で座っているだけでも暑いのに、車椅子を引いたり、何か運んだら汗だく(~o~)寒いのは着ればいいけど、暑いのって本当に困るわ~~~さすがに父も暑いらしく、比較的水分を多く取るようになった。利尿剤のおかげで、トイレへ行く回数が増えた。まだむくみは改善されてなかった。後数日様子を見よう。今日は父と桜花賞の予想をした。一緒にTVKの競馬中継を見て、新聞を片手にあれこれと話した。ばっちり馬券も買ったし、後は自分の分だなぁ。今週は北朝鮮がらみのニュースが印象的だったから適当予想で北朝鮮の国旗の色で白、赤、青の枠で買ってみるかな(笑)夜はお仕事へ行った。みなとみらいへ行ったんだけど、海っぷちは風が強いし気温が下がって寒い…結構な薄着だったので、上着を持ってくるべきだったと反省した。マジで寒かった。やばいやばい。今日は寒かった事に気を取られて撮影もしなかった~途中で父方の叔父から電話が来た。最近毎週末にお見舞いにきてくれていたので、父が楽しみにしていたけど今週は忙しくて行けなくてごめんという話だった。父の状況を聞きたいだろうと思ったので、今仕事中なので明日電話をすると言い、おじさんがいる時間を聞いた。そうしないとおじさんの嫁に話さなくてはならず、非常に信用できない人なだけに、父の事は肉親以外には話したくない。事を穏便に済ませる為にも、常に気を抜かずにいなければ!私は母のように嫁と真っ向勝負なんてしない。するだけの価値もない人だもの。仕事も明日に回せる所は回して、無理をしないようにした。明日病院へは行かない事にしたので、雑用を全部済ませようっと。そして今日はお風呂でしっかり温まって寝るぞ~~~
2009年04月11日
コメント(0)
今日もお昼ご飯の時間に間に合うように父のいる病院へ行った。風がものすごく強くて、目がかさかさ&しょぼしょぼ…(~o~)今日は父を外へは出せないなぁと思いながら歩いていた。昨日肉じゃがを作った。父は病院の食事が鶏肉ベースな事が不満で、他の物が食べたいらしい。つい先日までは何も欲しがらなかったけど、ほんのちょっとでも何かを食べてみたいと思っているようだ。そんなわけで国産牛を買って、肉じゃがを作った。父は「牛肉久しぶりだな」と言って合計10グラムも満たない量だったけれど、しっかり咀嚼して食べた。良かった。嬉しそうだ。他の野菜も少し食べたので、本人は満足したようだった。昼食後に話をしようと思ったら、珍しく熟睡をしてしまったので、そのまま横でアロマ検定の本を見ていた。そう、来月に試験があるんだった(^_^;)やばい…しばらくすると主治医が来た。廊下で父の状況を聞いた。昨日母と話をしたようだったけど、母は相変わらずぼーっとしているので先生から「お母さん、大丈夫ですか?」と心配されてしまった。実は昨日気がついた事だったけど、わき腹全域が信じられない位赤紫色にうっ血していた。痛みはないようだけど、見るからに痛々しい。体内であらゆる場所にガンの転移があることであらゆる臓器を圧迫しているし、血管が細くなっているので血流が悪くなり、今回のようなうっ血が出てしまったそうだ。今後も気をつけないと血小板がほとんどないので出血は命取りになるといわれた。また、足のむくみが昨日より酷く、サンダルに足が入らなかった。それも一番太い静脈が圧迫されている事でそうなっているから利尿剤は処方するけれど、治る事はないそうだ。先生が父は少しずつ終息に向かっている事を私に言った。言い方は変だけど、順調に死んでいく準備を始めているという事のようだ。もう父はいつ何があってもおかしくないので、1日1日を大切にすることと、絶対に転んだりぶつけたりしないように気をつけて見てあげるように言われた。さらに脳へ出血をしたら、本当に危険になるのでくれぐれも力を入れすぎたり、重たいものを持ったりなどしないよう言われた。放射線治療はもうストップして、緩和ケアのみを行う事と、うっ血をこれ以上増やさない事しか出来る事はないそうだ。余命は、日単位、週単位、という事のようだ。先生にもうすぐ父と私の誕生日だから、それまではどうでしょうと聞くと「うーん…」と言ったきりだった。今月いっぱい頑張れたらかなりすごいらしい。父の精神力と、周りの努力で、まだまだ頑張れるかもしれない。今日母は色々な用事があるので病院へ来るのはお休みしてもらった。その分、電話で色々と報告をした。その後は母方の叔母さんへ電話をして、葬儀社の事を更に詳しく話した。更に直接葬儀社へ電話をして、不明な点を聞いた。これからは本格的に父がいなくなった直後からの段取りを考えていろんな手配についてリストを作らなくては。父に主治医と話した事を簡単に伝えた。とても苦しかったけど、余命はそれほど長くない事も言った。「そっか…」と父は言ったきり、沈黙が数分。父がいなくなってから面倒な事になるのは辛いので、遺言書を書いてもらおうと思ったところ、ノートにいくつか覚え書きを始めていた。有難かったので、言い辛いけど話すなら今だ!と思って、お別れをする時に呼びたい人を書いてもらうように言った。痛みが治まった事で父はテーブルに向かえるようになったのでいつでもいいからと言える状況ではないので無理はしないで、毎日少しずつでもいいから、伝えておきたい事は書いてとお願いして了承してもらった。これさえあれば、親族同士でのトラブルもある程度は避けられる。何しろ父本人の言葉なのだから、誰にも文句は言わせない。私とお父さん以外、親族同士はまともに話を聞かないんだからと父に言ったら、納得していた。これさえ無事に出来れば、これだけ父に頑張ってもらえたらもう後は旅立つ前の残り僅かな時間を大切に過ごせる。昨日桜を見て本当に良かったなぁって思った。そんな中、不動産屋から審査が通った連絡を聞いた。けど、何だかちょっと引っかかる事があって、この物件どうしようって感じなんだよね~月曜に最終的な結論を出すか…でも結構迷ってきた。一応書類はそろえなくちゃということで病院の帰りに、一番近くにある出張所でぎりぎりセーフで母の印鑑証明書をゲットした。母からカードを預かったのはいいけど、暗証番号を知らないと言われ結局窓口での手続きだった。はぁ。さらに浜松町のアルバイトが決定したのはいいんだけど、絶対に休めないという契約なので、これまたどうしよう…でもさ、忌引は別だよねぇ。鬼じゃないもんねぇと思ったりもしている。今日はもういっぱいいっぱい!すげー頑張った。もういいっ
2009年04月10日
コメント(0)
今日は病院へ行くと、ちょうど昼食時間間近で配膳をされているところだった。私もお昼ご飯を持っていったので、一緒に食べようと思ったけど最近は食事中にむせる事が多くなったので、背中をさすったり、お茶を飲んでもらったりと忙しい。父の食事が終って、薬を飲ませて少し横になって呼吸を整えている間に持参したご飯を食べた。私が食べているものに興味は持つけど「いる?」と聞くと首を振る。明日も同じ時間に到着するように病院へ行って今日仕込みをしたものを食べるか試してみようと思う。私が食事をしている間も筆談はする。今日は食後に10分以上起き上がっている事が辛そうでないので、良かったら明日かあさってあたりにでも、外の桜を見に行かないかと誘った。車椅子で行ける範囲なので、あまり遠出は出来ないけど父は間近で桜を見たいに決まっている。多少痛くても、きっと私でも見に行きたいと思うだろう。痛み止めの薬のおかげで、身体から痛みが消えたようで飲み続けていれば苦痛からは開放されているらしい。呼吸が乱れるのは変わらないけれど、身体の痛さで顔が歪む事がなくなった。さらに放射線治療も辛くなくなったらしい。これで転移は多少は防げているのかもしれない。良い事なのだろう。麻薬といっても後遺症があるものではないし、常習性も身体にも残らないというし…少しほっとした。「じゃあ、今見に行く」と父が言うので、急いで支度を始めた。くれぐれも辛くなったら我慢しすぎない事と、遠出はせずにいようねと言うと、いつも放射線治療をする時に移動する棟の途中から見える大きな桜の木が見たいと言った。車椅子を引いて、父が言う案内の通りに病院の敷地からちょっとだけ離れた大きな桜の木へ向かった。私も間近で見た事はなかったけど、本当に大きな幹でたくさんの花びらが風に舞っていた。「もう(花びらが)落ちているな…でもすごいな…」と父は喜んでいた。後数日したら葉桜になってしまう所だったので、今日行けたのは本当に良かった。外の気温が高いことも、ひと月前の寒かった時に入院した父には驚きだったようで、でも新鮮だったようでしばし上を見ていた。特に会話がない時間。数分だったけど、この短いお花見も車椅子を押すこの感触も本当にあと何回あるのか…こうして父が目の前にいるという事実は記憶から消える事はないけれど、毎年毎年桜が咲く度に蘇る思い出は懐かしくもあり、きっと悲しいのだろう。「もういい。ありがとう」と父が言ったので、父に降り注ぐ花びらをそのままにして、病室へ戻ってきた。何枚かの花びらは病室までついてきた。そのまままだ頑張れるかを確認して、洗面台へ連れていった。頭と顔を拭いて、手浴をした。ベッドへ横になると、呼吸を整えながら父はずっと笑顔だった。今見てきた光景を思い出しているかのようだった。にこにこしている時に、チェックに来た看護婦さんへ声をかけた。「今あそこの桜を見に行ってきたんですよ」看護婦さんは「まあ!良かったですね!」「うん!!」父は満面の笑みで答えていた。私は笑顔を作れなかった。看護婦さんを見て頷くのが精一杯だった。週末には競馬の桜花賞がある。スポーツ紙を見て予想をしようとする父。また馬券は買いに行くねという話をした。そういえば前回の高松宮記念は、父は見事に馬連が的中していた。これから先のGIも、当たるといいなと思う。母が途中で来てからは、着替えをした。その時父の足が以前にも増してむくんでいるのがとても気になった。簡易マッサージをして、足の指を広げるようにと言って血流やリンパが流れやすいようにと話した。お腹もだんだん膨らんでいるし、痩せてきたのも見てわかる。もうすぐお父さんも私も誕生日だよ。一緒にお祝いしようよ。その後は緑が綺麗な季節になるよ。そう言いたい気持ちを抑えて、マッサージをしていた。今日のお花見は絶対に忘れない。明日だって明後日だって、行けたらまた連れて行こう。
2009年04月09日
コメント(0)

今日は仕事のはしごだったので、仕事してからは病院へは行かずに家で不用品の処分をちまちましていた。いやぁ、ゴミ屋敷だからさぁ。掃除大変だわ~~~昨日の面接会場は浜松町だったんだけど、朝に春霞っぽい霞がある東京タワーを撮ろうとしてどたばたで忘れたので、お昼近くの撮影。来週からもずっとここに来れるといいなぁ。先週から今週頭にかけて、常備菜で重宝したのが鯛の白子と卵の煮物だったのね。生まれて初めて買ったんだけど、白子は医食同源っぽい発想で食べたら元気になれるかもとかって思ってさ~しかも卵と白子でかなりたっぷり1パック250円だったので、5日に分けて食べられたからまあまあのコスパでないかい?大根とかそこらへんにあった根菜を入れてちょっと甘めに味付けたです。本当は父に白子を食べさせたかったけど、元々魚卵系が得意でないし、聞いてみたけどいらないっていうから私一人で堪能しました♪見た目はグロいよね(笑)しかも箸で触りすぎて形が崩れちゃったし~あはは~それにしても未だ審査が通った連絡が来ず…いったい私はどうなるのよぉ~明日に備えて今日こそさっさと寝ようっ
2009年04月08日
コメント(0)
夜に一旦彼が帰宅。明日の朝は早く出てしまうので、話したい事をお互いに話す。途中で不安だらけな気持ちがつい出てしまい弱音を吐いてまた泣く。それでも話すことはしっかりと話して今度はいつ帰ってくるかわからないけどそれまでにやらなくてはいけない事をしっかりとしなくちゃ。身体の疲れと色んな気持ちで、さすがに弱音しか出てこないけど、いずれにしても私しか出来ないんだから、気持ちをしっかりと持って行うのみ。ってとこだな。それにしても、物件の審査が通らない…どうやら私が不動産屋さんにあまりにも正直に話しすぎたようで彼から注意をされた。はぁ。反省。明日からもとにかく頑張ろう。ってそればっかだな(^_^;)
2009年04月07日
コメント(0)
時間が足りないっ(~o~)1日の経つのが早いんだよ~~~ここ数日物件回りをしてきたけど、ようやくまあまあな所を見つけたので、仮契約をした。妥協しなくては見つけられなかったので、最低限どうしても譲れなかったバス・トイレ別ってのをクリアして予算内だったらいいやと思って色々悩んだけど、まあ住んでもいいかなって思っていた所に決めた。昨日不動産屋さんで書類を書いたんだけど、問題がいくつか…連帯保証人は父には出来ないので、母にしたけど母はほとんど病院に居るので管理会社が母になかなか連絡がつかないらしい。さらにもう一つ、私の職業…(^_^;)だいたいここにだって書かない(書けないというか…)のにおおっぴらに人になんて言えない&言っても通じない。結局面倒だったのでSOHOでやっていると言っても不動産屋さんがおじいちゃんで、通じなくて…(^_^;)そんなわけでなかなか審査が難航気味。これで通らなかったらちょっとショックかも…明日は早起きして面接へ行くです。空いている時間にアルバイトをしようと思ってちょうどWワーク可ってのがあったので、とりあえず面接行ってみようと…これから引越し準備の事も考えなくちゃなぁ。費用かかるよね~どうしよう。出来るだけ低予算にするのは当然だけど、持っていけないもので新しく買わないといけないものはいくつかあるしなぁ。そろそろちゃんと寝たいなぁ。とか思ってまたこんな時間になってるし…とにかく頑張らなくちゃっ
2009年04月06日
コメント(0)
今日も病院へ行った。ここ数日は母と会っていない。申し訳ないけど、忙しい時は母と話す時間は短いかない方が助かる。父は日増しに少しずつ調子が悪くなっている。放射線治療をするようになってから、最初は良かったけどだんだん副作用で痛みが増したと言う。実際には無気肺と転移した事でさらに調子が悪いようにも思う。おとといから緩和ケアが始まった。母が緩和ケア専門の先生から話を聞いたというが、詳しい話はちゃんとしてもらっていないので、一体何の薬を飲んでいるのかなと思っていたら今日父のゴミ箱から飲んだ薬の名前が見えた。オキシコドン製剤だった。この薬を見てようやく、昨日主治医と話した事が繋がってきた。まずは最低量から始めて、効かなくなったら量を増やしていくのだろう。麻薬の中では副作用も少なく、父の体の状況には合っているのかな。これを飲んでからは我慢が出来ないような痛みは少なくなってきたようだ。それでも疼痛は常に痛いから痛みが完全に消え去る事はないようだけど。この薬の量を限界まで増やしても痛みが取れなくなったら、父は次に何をされるんだろう…今日お昼ご飯を持参して、一緒に食べたけど、途中でまたむせこんでしまい、食事は中断。その後父はもう食事は欲しくないと言い、横になった。血痰は飲み薬で多少は治まっているようだけど、咳は止まらない。息苦しさも変わらずみたい。今日は物件の下見へ行く事になっていたので、あまり長い時間は病室にいられなかった。帰るタイミングを考えつつ、母へ申し送りの手紙を書いていた。今日母は叔母と会って、葬儀社の事の説明を聞くことになっている。私も一緒に同席する予定だったけど、物件の下見を優先した。母が後から来るから安心してと父に伝えようとしたら、父は寝息を立てていた。薬の副作用なのかも。うつらうつらしている時間が細切れにあったので、いつも書いている手紙を枕元に置いて帰ろうとすると父が目覚めてにこっとした。今日は物件を見に行くから帰るねと言うと、欠陥とかないかどうかちゃんと見てこい、と言われた。病院から不動産屋までかなり遠かったので電車に乗って座ったら、ちょと気が緩んで居眠りを…(^_^;)また乗り越してしまった…なんとか不動産屋へ行く時間には間に合いました~今月はほとんど仕事を入れてないけど、今週は少し仕事があるので、頑張ろう。
2009年04月05日
コメント(0)
今日は病院へ行くと父が起き上がって何かしていた。どうやら相変わらず看護婦さんを呼ばずに一人で車椅子を押してトイレへ行こうとしたらしい。私が連れて行くからと言って、トイレへ連れて行くとゆうべからトイレへ行かなかったそうだ。かなり我慢した時の尿の色だった。うーん。看護婦さんが見回りに来た際に話をしてみた。常々看護婦さんもとても気にしていたらしい。そこで看護婦さんと一緒に父を説得した。トイレへ行く負担を少なくしようと、水分も充分に取らないでいたので看護婦さんが脱水が心配だと説明をした。夜中に看護婦さんが忙しそうだからと遠慮をしてその結果排尿も排便もスムーズに出来ず、変な癖がつきそうだった。ちゃんと看護婦さんを呼んでからトイレへ行こうねと何度も言った。父は笑って返事をしていたが、何度話してもやっぱり嫌みたいで一人でどうにかしようとしてしまう。一人で車椅子を押して帰ってくる姿を、同室の患者さんが何度も目撃して心配していた。ベッドへ戻ると呼吸が辛くてしばらく動けないらしい。さらに昨夜はわき腹が痛くて一睡も出来なかったらしい。途中で2度も薬をもらって飲んだけど、それでも痛みが治まらなかったそうだ。看護婦さんは睡眠導入剤を試すか父に聞いたけど、父は拒否した。看護婦さんが父にハーブティーを入れに給湯所へ来た私を呼び止めた。トイレへ行く際に呼ばない事への対策と、夜になると痛くて眠れなくなる事について。トイレの事はとにかく言って聞かせる以外はないかなという事で落ち着いた。夜のわき腹の痛みは…父に限らず、ガン患者は比較的昼間は元気。お見舞いに来る人がいるし、人の出入りが賑やかで色んな気持ちが紛れているので、痛みも多少は和らいでいるように感じるようだ。夜になると色々な不安から寝付けない人がほとんどらしい。父の場合は夜になると痛むのは、精神的なものが強いように感じると看護婦さんが言っていた。強制的に眠る事はいやだと父は言ったけど、昼間がっつり起きているようにして夜にしっかりと眠る方が精神衛生上いいようだ。ただ、このところずっと一日中横になったままで寝返りも一人ではうてない日が何日か続いてきたので、床ずれが気になるといわれた。私も気になっていた。看護婦さんはクッションを貸してくれた。背中に敷いて少し高さをつけて寝返りがうてなくても高低差で床ずれを防ごうということだ。一人で満足に歩けない上に、寝ていても床ずれができてしまったらさらに父が痛いと感じる事が増えてしまう。父に説明をして、父も納得した。その後はバケツを借りて足浴をした。ティートリーとローズマリーの香りのバスボムを使った。お風呂は1ヶ月以上入っていないし、足も洗っていなかった。ちょっと足をなでただけで、垢がぽろぽろと出てきた。その後足のマッサージをしてみた。リンパの流れの滞りがひどい。むくみもひどい。ふくらはぎまでだったけど、マッサージをしてあげた。あまり時間をかけすぎると起きている父が疲れてしまうので、普通の人の1/3程度の時間しかできなかったけど汚れは取れたし、足の甲のリンパの溜まっているゴリゴリは取った。ティートリーの殺菌効果で石鹸は使わなくても大丈夫だし、3日に1回くらいこれが出来れば、足は快適になるかな。足を拭いた後は、ヴァージンホホバオイルでマッサージ。皮膚が信じられない位がさがさになって、白く皮がむけてひび割れてしまっている父の足から腿は痛々しい。ついでに手もオイルでマッサージをした。足湯の途中で主治医が来た。そのままお湯につかったままで先生は簡単な問診と診察をした。最新の血液検査の結果では、血小板がほとんどない状態になり、血小板の輸血をしても大差ないので、週末の様子を見て、来週からの放射線治療は保留にするそうだ。とりあえずは飲み薬を服用して炎症を抑えたりしているけど、もうそろそろ何をしても無理なようだ。食事が辛いのも、眠れないのも、痛いのも…もっと酷くなるらしい。こんなやりとりを父の前でしていたけど、父には聞こえていないのが本当に不幸中の幸いな気がした。主治医が去った後は、また淡々と足のマッサージをした。父は疲れたみたいだけど、気持ち良いと言って喜んでいた。ホットタオルを作って頭を拭いて、顔と耳の掃除もした。こんなことくらいしか私には出来ないけど、少しでも気分転換になればそれでいい。そして一通り終って、バケツを片付けて、父に新しい靴下を履かせて私の顔の汗を拭いたところで、そろそろ仕事へ行く時間に。ちょっと慌てて帰り支度をしたら、ベッドの脇に置いてある車椅子へスネを強打してしまった…両足のスネが超腫れてるんですけど(ToT)しかも超痛いんですけど…(>_
2009年04月04日
コメント(0)
今日は病院へは行かずに、仕事をちょこっとして調べてきた中の物件の見物に行ってきた。どうせだったら色々見せてもらおうと思って不動産屋と車でお出掛けを2往復もして午後の時間全部使ってしまった(^_^;)不動産屋さんも結構積極的に連れて行ってくれたのですごく助かったけど、なかなか疲れた~結局これだという所がなくて、また何かあれば連絡をってことで今日のところは終った。条件を結構絞ってはいるんだけど、難しいなぁ。特に3月終ったばかりだから、まだ出てこないのもあるらしい。値下げしている所もあったけど、それでもこの内容でこの金額ではちょっと住めないなぁというものばかり。帰宅後はさらにネットで調べていると、更新したての物件が結構出てきた。とりあえず希望を出すだけ出して、空きだったら見に行かなくては!今日は自分でもかなり頑張ったと思うわ~お家の中がすごい事になってるけど、もうしょうがないやご飯を作って食べながらやれやれと一息ついていると、母方の叔母さんから電話が来た。葬儀屋さんの事をそろそろ詰めようという事だった。先週あちこちの葬儀社さんから集まった見積を全部叔母さんへ渡して後は母と決めればいいかと思っていたけど叔母さんは3人で決めて、準備だけはしておこうと言う。はぁ。忙しすぎて困った…仕事もあるし、おうちも探さなくちゃだし、お父さんの事気になるしそれにそろそろ今の住みかの掃除だって始めなくちゃだしうーん。一人で全部は出来ないや(-。-)y-゜゜゜この頃変な夢ばかり見て、夜中に寝付けなくなっちゃうので辛いんだよなぁ。でも今日はお風呂にお湯張って入りたい!大好きなクラリセージでも入れて、まったりしたいっ目指せ就寝1時!!
2009年04月02日
コメント(0)

今日の父は昨日よりも元気がなかった。昼食中に突然むせこんで苦しそうに咳をしていた。吐き気が酷いらしく、朝食も食べたくなかったそうだ。背中をさすって、看護婦さんを呼ぼうとしたら、大丈夫だと言うのでそこで昼食は中断して、横になって呼吸が整うのを待った。夕べも夜中に目を覚まし、胸が痛いので薬をもらったそうだ。それでも痛みが治まらなかったらしい。食欲がまったくないのは、飲み込むのが辛いからなのか胃とかが痛いからなのかを父に聞くと、むかむかするようなのと全身がだるいから食事をする気になれないと言った。飲み込むのが痛いというわけではないけど、つかえるのが怖い。胸の奥がもやもやしているから、お腹も空かない。って言った。私が食べさせたら食べられるか尋ねるとそれも違うと言った。他の病室で良く寝たきりの肺癌患者さんの食事をお見舞いに来ている人がスプーンで食べさせている様子を見かけるけど、それは手などの末梢神経への副作用で物を持てない人が食事を取れずにいるためなんだけど、父は手足はまだばっちり動いていても、食に対する意識がどんどん変わってきちゃったって事だよね。一番嫌だなって思っていた事が現実になってしまった。まだ身体が動けなくても美味しいといって食べられる方が食べる楽しみがあるうちはまだいいように思ってた。今は何を聞いても欲しい物がないという。食事中に何度も血痰を出した。むせて苦しがっている時にさすった背中には以前ついていた肉がなかった。痩せた。こんな事で泣いている場合ではないと言い聞かせて横になってしばらくじっとした後で、父の呼吸の落ち着いた所で気分転換に高校野球を一緒に見た。途中トイレへ連れて行ったら、車椅子の患者さんが待っていたので少し待てるか父に聞くと、無理をして歩いて普通のトイレへ行ってしまった。戻ってきたら呼吸が乱れていたので、車椅子の上で落ち着かせて戻った。父は最近調子が悪い日でも、これらは皆放射線治療の副作用だから今だけだからしょうがない、と言う。無気肺とは知らないので、酸素チューブも今だけだと思っている。調子が戻ったら、家に帰れると思っている。それはいい事だけど、思いとは反して状況が悪くなっているのを父本人はどのくらいわかっているのだろう。もしも後1回でもいいから家に帰れたら、どんなにいいだろう。毎日買っているスポーツ紙の週末の産経大阪杯の記事を見ながら父が言った。「ウインズもだけど、もう競馬場はいけねえな」…そう…なのかもしれない…車椅子でも競馬場へは行こうと思えば行けるけど、起きていると胸が痛いから、移動は辛そう。でも外出の事は考えてはいた。主治医からOKが出たら外出させたい。せめてもうちょっと体力が回復したら…私が焦ってもしょうがないので、本人にまかせよう。それにしても、無力だ。他の何かに例えてわかちあえる痛みじゃないだけに目の前で苦しがっても、痛みを軽くは出来ない。せめて食事だけはさせてあげたいと強く思った。そういえば最近ぼやいてばかりで、写真とか載せてなかった。ぼやいてるのにも飽きてきたので、たまには晩御飯でもだしとこう。今日はお値打ち品チェックへ行った所、よくスーパーとかにあるカツオのたたきのサクが3本位1パックに入ってて150円っていうから、3度見くらいしちゃって、さらにお店の人に産地まで聞いちゃって、買ってきた(^_^;)一人ではさすがに食べきれないから、南蛮漬けにしようとサクを切ってみたら、なるほど納得。表面見ただけではわからなかったけど、血合いの部分が8割以上だった。どおりで安いはずだ。ま、私にとって血合いは非常に大事な部位なので(鉄分多いし)しっかりタタキをいただいて、明日用に南蛮漬けも作りました。後は山芋をすりおろして、ゆでた小松菜にかけただけ(^_^;)盛り付け超適当。こんなもんよね、一人の食卓なんて(笑)
2009年04月01日
コメント(0)
全27件 (27件中 1-27件目)
1


![]()