全31件 (31件中 1-31件目)
1

4月以来、町会費、社会福祉協議会費、日本赤十字寄付金、キラット祭り協賛金と4回の集金があり、各班の班長さんからの集金がやっと揃った。会計担当のお宅へ集金を届けに行った。お金の受け渡しが無事終了してほっとしていたら「スミダノハナビを持って行きませんか」と言われて耳を疑った。スミダノハナビって墨田の花火?それを持っていく?!?その会計の女性は花バサミで庭先に咲いている枝を切っていた。葉があじさいである。「墨田の花火というアジサイですね。」「よく着きますよ」 お礼を言って帰宅した。自宅で落ち着いてよく見ると薄紫がかった白い花弁が上品な八重咲きの額あじさいである。名前の通り花火のようにとびでた花姿で美しい。 我が家はハイドランジアという大きな花が咲く西洋あじさいがあるがこんな優雅な名前と繊細な花を持つあじさいはない。何とか庭に根着くよう試みよう。 優雅なあじさい 墨田の花火
2009年05月31日
コメント(9)

今日も雨、雲が立ち込めた空から静かに雨が降ってアスファルトを濡らしている。バラに気をとられていたが、いつの間にかユリも咲いていた。何の手入れもしないのだが球根の強さで芽を出し花を咲かせている。ありがたい。沈んだ空気の中に朱色の花がアクセントになってそこだけ華やいでいる。
2009年05月30日
コメント(10)

昨日からエネルギーが沈滞しているところに、今日も朝から雨が降っている。音楽を聴くような気分にもなれず、沈黙して本を読む。石川直樹の「今生きているという冒険」で「山と渓谷」などアウトドア関係の雑誌でよく名前をみる若い冒険家が著者ある。この青年のこれまでのセブンサミッツ世界最年少達成、Pole to Pole で北極から南極まで人力で走破した記録、ミクロネシアでの星の航海術(スターナビゲイション)、アマチュア冒険家の神田道夫と二人で熱気球に乗ってあやうく死にそうになった体験など世界各国の川、海、山、空の冒険が日常生活のように淡々と記されている。 表紙 開口健ノンフィクション賞を受賞した著者最近は植村直己のような冒険家がいないと思っていたが、その後をいく人に思えた。どんな未知の分野にでも躊躇なく自分を投じて必要な技術を学び、したい冒険をしていくのが実にきっぱりして迷いがなく、爽快である。彼はその後、手製の熱気球による太平洋横断に挑み洋上で消息を絶った神田道夫にスポットを当てたルポルタージュ「最後の冒険家」で、第6回開口健ノンフィクション賞を手にした。とても刺激的だった。自分の生き方を振り返えさせられた。私はこのところ一人で未知の旅、リスクの高い旅に出ていない。年齢と安全がその理由である。でもこれでいいのか。求め、知恵を絞れば自分なりの冒険ができるのではないか。もう私の人生は限られている。親として妻として果たすべき責任と義務は十分に果たしてきた。この先の人生は自分のために生きると心を決めたのにいつも年齢や安全や体力や長生きにこだわっている。出来る限りの冒険をして、悔いのない日々をおくるべきではないか。
2009年05月29日
コメント(4)
3時起床、土合山の家を3時半に出発して一の倉沢出合いまで行く。出合いの数十メートルは全く雪がなく河原の大きな石だけが暗がりの中に見える。途中から急峻な角度で雪渓が見えるが、その上はガスっていて岩や山らしき姿はほとんど見えない。しばし様子をみたものの改善する気配もなく登攀は断念。榛名の黒岩に転戦しようということになり高速を飛ばしたが、そうこうしているうちにフロントガラスに雨のしずくが点々と着き始める。空には暗い雲が広がっている。ラジオの気象情報も「今日は一日雨でしょう。傘の用意を」などど報じている。結局「どこに行ってもだめだから帰りましょう」ということになり、一路東京に向かってばく進。早朝なので快調に距離を伸ばし、朝の7時前にJR小金井駅に到着してしまった。完膚無きお天気敗退!!。こんな経験は初めてである。晴れ女の異名が泣く。むなしい気持をなだめながら雨の中を帰宅。さすがにめげました。
2009年05月28日
コメント(13)
これから谷川岳一の倉沢へアルパインクライミングに出かけます。今夜は土合の山の家に宿泊し、明日の早朝から登攀開始です。昨秋以来の一の倉沢、今回は衝立岩中央稜を登攀する予定で、今からわくわくしています。このエリアは気象状況が大変不安定なため岩に取り付けないことが多いし、天気予報も今いちなので何とか登れるよう祈りながら出かけます。ではまた。
2009年05月27日
コメント(4)

変わった本を見つけた。表紙の絵が奇妙で面白かったので手にとってみたのである。谷川 渥 著 図説 だまし絵~もうひとつの美術史~である。だまし絵といえばエッシャーしか知らない。しかし著者はエッシャーやアンチンボルドのような視覚的、心理的錯覚のだまし絵はだまし絵ではなく、実物がそこにあるかのごとくさまざまな技法を駆使して描かれた絵画としている。 表紙 エッシャー 滝 だまし絵の静物画 だまし絵らしきものが登場してくる初期から本格的にだまし、だまされる時代までの変遷を丹念に追って膨大なカラー、白黒の作品が載せられている。副題がもうひとつの美術史とあるが納得できる。緻密に資料を集めて論証した労作である。これまで好きだからという単純な考えで絵を見てきたが、不思議に感じていたことはあった。たとえば唐突に題材と関係なく描かれている果物、ハエ、張り紙、どくろ、くぼんだ壁に描かれて飛び出て見える人物、カーテン、棚、状差し、それにどんな意味があるかなんて考えたこともなかったが、この本で解き明かされると非常に面白い。要するにそれらはだますための道具だったのである。 腕が飛び出た聖マルコ 壁面の状差し ぶら下がるオブジェ 死んだニワトリ壁面にレターや絵葉書が留められているように見えますが平面的な絵であり、死んだニワトリがぶら下がっているように見えますが、絵です。5月17日NHK日曜美術館でだまし絵展についての放映があったらしい。更に名古屋市立美術館では 視覚の魔術 だまし絵展 が開催されているという。今まさにだまし絵ブームのようだが、この本は1999年に出版されたものである。おれおれ詐欺に騙されるのはお断りだが、絵にはだまされてみたい。
2009年05月26日
コメント(12)

休足日の日曜日、運良くNHK3チャンネルで喜多流の能「賀茂 御田(おんだ)」を観ることができた。能「加茂」は、賀茂(かも)神社の縁起をもとに、御祖(みおや)の神と別雷(わけいかずち)が出現して国土安泰・護国豊穣を誓う能である。まず舞台正面に置かれた白羽の矢の作物(つくりもの)が目に入り、賀茂神社の縁起を想起させる。とても華やかでにぎやかでよくわかる能だった。通常の能は登場人物が極端に少ないが、着飾った早乙女(勿論演者は男性)が5,6人出てきたし、後シテも優美な女体の御祖の神と赤頭で勇壮な別雷の神と二人も登場した。それぞれの神は目を奪う豪華な装束に身を包んで舞をみせ、観るだけでもうっとりした。 御祖(みおや)の神の面と装束 四拍子にのって舞う 別雷の神の面と赤頭をつけた装束 勇壮でかっこいい舞いワキに宝生 閑、山本東次郎、山本則俊、地謡に友枝昭世などなじみの名人の顔が見えるが、どんどん世代交代して若返っているのだろう、知らない人が多い。 とても長かったが、ゆったりした休日の午後になった。 参考に・賀茂神社の縁起播磨室(むろ)の明神に仕える神職(ワキ)が京都の賀茂の社を参詣すると川辺に新しい祭壇があって白羽の矢が立てられている。水汲みにやってきた里の女に尋ねると「昔、とある女が朝夕水を汲んで神に手向けていると、ある日白羽の矢が流れ着き、これを自分の家の軒に挿したところ結婚もしていないのに身ごもり男児を出産。その子が三歳の時、矢を指して父だと言う。矢は雷となり、子は神となって天にいってしまう。これが別雷(わけいかずら)の神であり、その母も御祖(みおや)の神となりこの三柱の神が賀茂三所(みところの)神として祀られるようになった」と縁起を語りきえる。・御田(おんだ)とはこの「御田」は一種の演出法を示している。いつもの間狂言は、賀茂神社の末社の神が出てきてこの神社の由来を語り、三段の舞を舞うのであるが、「御田」は神田の田植えに奉仕する早乙女(さおとめ)たちが華やかに着飾って登場し、賑やかに早苗を植えていく演出である。
2009年05月25日
コメント(10)

土・日と休足日にした。土曜日は曇り、今日は朝から雨で休むには丁度良い天気である。久しぶりにマーラーの交響曲第一番巨人「The Titan」を聴いた。ロリン・マゼール指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。この曲は第一、第三、第四楽章が好きなのだが、特に第三楽章は大好きである。憂愁に満ちた旋律が流れてとても魅力的で聴き入ってしまう。何と表現すればよいかその憂愁が悲愴でなく重くなく、甘美でアンニュイな響きで、この上なくデリケートな美しさなのである。以前たしか映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」のバックに使われていてその意外性に驚いたが、けっこうマッチしていた。とめどなく巡るように流れるこの憂愁の旋律には輪廻転生とか振り払っても振り払ってもいつの間にかついてくる人間の業のようなものを感じてしまう。 作曲家 グスタフ・マーラー 指揮者 ロリン・マゼール
2009年05月24日
コメント(4)

昨年末からの肩の故障、最近は膝がきしむなどこの頃体の老化を感じるようになった。年齢を考えるとこれまでの筋トレではなく、体に負担のかからないトレーニングを考える必要があり、プールが良いとの結論に達した。今日、通うのに一番近いスポーツジムに入会手続きし、6月から通うことにした。主にプールで心肺機能を高めること、余裕があればジムでプログラムを組んでもらって筋トレ、さらに余裕があればスタジオでダンスでもという欲張りな希望である。気が変わらないうちに早速水着も買ってきた。何十年ぶりに着る水着である。どこまでできるかどうか全くわからないが、気軽に遊び半分で行ってみようと思っている。
2009年05月23日
コメント(8)

谷津バラ園シリーズのトリはやはりマイ ローズ、エンジェル・フェイス(Angel Face)です。「ブルーローズ」のコーナーに一株咲いていました。 エンジェルフェイスエンジェルフェイスは 1968年にアメリカで作出されたフロリバンダ系・藤色のバラです。 花びらがまるでフリルのようにひらひらとやさしく、それでいてしっかり形を保っていてとってもチャーミングです。 香りも強いということですが、あたり一面バラだらけだったのでよく嗅ぎ分けることができませんでした。愛らしいエンジェル・フェイスを見て気持ちさわやかにバラ園を後にしました。
2009年05月22日
コメント(12)

谷津バラ園には鈴木省三コーナーがあり、彼の創出したバラを見ることができる。彼は別名ミスターローズとも呼ばれ、生涯で108種の新種を創出し、日本が誇る世界的なバラ作出家である。京成バラ園芸の研究所所長として永年活躍し、世界的なバラコンテストで何度も栄冠を手にしている。まずそんなすごい人がこの近くにいたのかと驚いた。ド素人の私がいうのはおかしいかもしれないが、この人が生み出したバラは比類ない完成度を持っている。バラの造形美を究極まで追求した色と形・・・・すごく惹かれ、感動してしまった。バラの名前も天の川、金色堂、春の武蔵野、夢殿 、光源氏、せせらぎ、法隆寺、 陽明門、かがりび など日本人なら心に響くゆかしいネーミングばかりである。ご覧下さい。素人写真ですが鈴木省三のこれらのバラ、心に迫るものがあります。 黒真珠 日本を代表するビロード系黒バラ 系統 HT 作出年 1988年 完璧なこの造形美!! 紫雲 (しうん) 系統:HT 作出:1984年 秋月(しゅうげつ) 系統:HT 作出:1982年 この人のバラを知ってバラに対する認識が変わった。それまでは単に「美しいバラが好き」に過ぎない私だったが、バラは命を持つ芸術作品という見方に変化した。ちなみに「絶対音感」で有名なノンフィクション作家最相葉月さんの『青いバラ』は鈴木省三をモデルに書かれている。
2009年05月21日
コメント(8)

夏のような日差しが降り注いだ今日、1年ぶりに越沢バットレスに行った。背丈の高くなった草を踏み分け、涼しげに水が流れる沢を見ながら丸木橋を3回渡って岩場に着いた。最初に一般ルート4ピッチを攀った。久しぶりのマルチでスムーズにできるか心配だった。やはり「メインロープにクローブヒッチでセルフビレイして」と言われて、クローブヒッチの結び方が瞬間的に閃かず記憶がよみがえるのに時間がかかった。 越沢バットレス全景 第二スラブの登攀しかしそれを思い出した後は大丈夫だった。40mと30mの懸垂下降がありそれも不安だったが、1回やってその感覚を思い出すと慣れてきた。次に第2スラブ4ピッチを攀った。高度感のある岩の上から見下ろす木々が実にさわやかな若い緑色で清新だった。昨年同じルートを登攀した時は初めてのマルチで一生懸命だったが、今日は少し余裕があった。岩を楽しみ、マルチを復習して次に備えることができ、楽しい一日だった。
2009年05月20日
コメント(2)

本来なら今日はお花のお稽古日であるが、先生のご病気で今月中のお稽古はなしということになった。少し残念だけど、開放感もある。ということで今日はバラの3回目、珍しい色のバラを紹介します。珍しい色のバラといえば青いバラで、それは長年不可能の代名詞とも言われ、世界中のバラ作出家の夢であった。近年サントリー(あのお酒メーカーの)がバイオテクノロジーでバラ自身が青色色素を作り出すことに成功。不可能を可能にしたのである。青いバラを日本人が創り出したということにまず驚くし、誇りにも思う。確かにサントリーのバラは他の青いバラとは青さが違う。 サントリーが開発した青いバラ オンディーヌ ブルーへブン このブルーへブンはシルバーブルーで半剣弁咲き、青というよりグレーに近い。青ざめた感触で「ブルーへブン」の語のイメージとはちょっと違うと私は思う。朝顔にもヘブンリーブルーという品種があるが、天上の青はこんなにも蒼いと思わせる突き抜けた青さだし、音楽にも同タイトルの曲があるがさわやかさを感じる曲である。 私が若い頃、青いバラといえばブルームーンだけで超貴重品だったが、最近は青、紫、藤色と青系統のバラはけっこう増えていてたくさん見るようになった。 大変めずらしいみどり色のバラ 緑光 コーヒー色のコーヒーオベーション 写真ではコーヒー色よりオレンジに見えるが実物はもっと褐色で落ち着いた華やかさがあります。このバラは2000年オランダで作られたミニローズです。
2009年05月19日
コメント(16)

すばらしい天気になったので山に行こうと思った。先週は熊でひやひやしたので熊の出没情報のない安全な山を探したが、どこも決めてがない。裏高尾には熊出没の噂を聞いたことがあったものの、人が多い高尾は安全と判断し、結局高尾山に足が向いた。暑い日ざしを避けて沢筋のびわ滝コースを歩いた。沢から峰まで新緑で埋め尽くされ、涼しくてとっても爽快だった。沢筋にはしゃがの花がたくさん咲いていた。 谷筋に咲き乱れているしゃが 樹間の富士山高尾山まではそこそこ人がいたが、その先の小仏城山、影信は人の姿が少なく静かな山旅が続いた。陣馬山には4,5人しかいなかった。月曜日のせいか茶店まで休業していた。 一丁平のあやめ みどりと猩々が対照的な城山のもみじ植物や花も様相が変わり、夏に近づいていた。陣馬山から和田集落に下る斜面に鳴子ユリが群生していた。緑の葉っぱに白と緑の釣鐘型の花がとても新鮮だった。 鳴子ユリ
2009年05月18日
コメント(4)

バラの名前にはカタカナつまり外国語が付けられたものが多い。それははほとんど海外の有名なバラの作出家(例えばメイアン)の作品である。しかし雅やかな和名がついているバラもあり、それは日本人のバラ作出家の作品であることが多い。今回は日本語のバラを紹介します。 しのぶれど そどおり姫(衣通姫)しのぶれど色にでにけりわが恋は・・と続くのでしょうか。そどおり姫は身につけた着物を透して美しさが輝いたほどの美しい女性とか、誰も手を触れたことすらない沈潜した美を感じました。 花かすみ 琴音(ことね)花かすみは絞り染め模様のフロリバンダ系、花びら一つひとつがたおやかでそこはかとない風情です。たくさん集まっていると花の波のようです。琴音、花の中心に向かうこの求心力、とても惹かれます。 桜霞 初恋花かすみと同じフロリバンダ系ですが桜霞は八重咲きの花が密集していてボリュームがあります。初恋は淡くはかなく美しい・・・・ぴったりですね。バラの名前はそれだけでもとても興味深い。バラの名前を書いていたら、昔「薔薇の名前」という映画を見た記憶がよみがえった。暗い修道院の中で起きる殺人事件でショーン・コネリーが出ていた。でもどうして「薔薇の名前」というタイトルだったのだろう。
2009年05月17日
コメント(6)

今日は有名人の名が付けられたバラの花を紹介します。ピンクに深紅にオレンジとはっきりした色がほとんどなのもその人の印象が強いということでしょうね。 マリア・カラス プリンセス・ド・モナコさすがは歌姫の圧倒的存在感!鮮やかなピンクで花の大きさは20センチはありました。それに対しプリンセス・ド・モナコは白に上品なピンクの縁取りで楚々とした雰囲気、優雅です。ステキな女性二人のイメージどおりにバラが作出されているのがすごいです。 ビクトル・ユーゴー ニコロ・パガニーニ文豪とバイオリニストも深紅の華麗なバラの名前になっています。 ケーリー・グラント クリスチャン・ディオールオレンジと赤の柔らかい色のバラ、なぜケーリー・グラントなのかわかりませんが少し慎ましやかでとても美しかったです。それに対しこれでもかというほど一点のにじみもなく真紅のディオール、さすがファッション界の帝王らしく他を寄せ付けない強さと美しさです。 プリンセス高松 プリンセスミチコ高松宮様はバラをいたく愛され、ご自分でも育てていらっしゃったのですが、そのバラ園から一部が谷津バラ園に寄贈されたそうです。典型的な剣弁高芯咲きの典雅な花姿、この気品には誰もかないません。谷津バラ園には高松宮コーナーがあります。それに対してプリンセスミチコの親しみやすさ、更にこのバラは強健でクライミングプリンセスミチコ(つるバラに仕立てた同種)もあるんですね。つまり強靭で美しく親しみやすいバラということになり、バラの作出家もよくイメージを捉えて生み出しています。
2009年05月16日
コメント(10)

からりと乾いた空気の中、すっきりと青空が広がる五月らしい一日だった。谷津バラ園にバラを観に出かけた。谷津バラ園には世界各国のバラ700種類、7000株がある。今日はほぼ満開で園内はバラの高雅な香りが漂っていてすばらしい別世界だった。 一面のバラ・バラ・バラ・バラと大バラアーチ 輝く色とりどりのバラの向こうにはつるバラの巻く白いパゴラも見える 炎のように燃える赤 グラデーションをつくって咲くバラ園は皇室王室、有名人、新品種、香りの庭、青バラ、イングリッシュ・ローズ、鈴木省三、高松宮などの各コーナーに区切られてテーマごとにまとまっている。花のネーミングも大変工夫されていて興味深いものがあった。明日から2,3回に分けて紹介しますのでお楽しみに。
2009年05月15日
コメント(10)

とても面白い本を見つけた。サッフィ・クロフォード、ジェラルディン・サリヴァン共著の「誕生日大全」である。著者は二人とも占星術と数秘術の専門家であり、この本は占星術、心理学、数秘術、恒星占星術などの要素を総合的に分析し、何千件にもおよぶケーススタディをまとめて書かれたものだという。生まれた人の誕生日ごとに性格、隠された自己、仕事と適性、恋愛と人間関係、数秘術による運勢、相性診断、この日に生まれた有名人などが1年365日細かく記されている。 早速自分の誕生日のページを見た。私の星座は魚座である。良い面、悪い面ともに書いてある。多視点から記されているので、当たらずとも遠からずの気もした。相性占いには恋人や友人、力になってくれる人、運命の人、ライバル、ソウルメイトなどの誕生日が記載されている。一体どうやってこの日付を割り出すのだろう。生まれた日と月の数がその人の性格に影響を与える!! ほんとに?そんなバカな・・・。とても不思議である。更にもっと大きな影響を生涯にわたって与える秘数というものがあるという。自分の秘数を計算し、その項を読んだら誕生日より当たっていた。!!だけどどうして??いわく「情熱的で・・・・・」、欠点はかなりシビアに記されていた。以前「アガスティアの葉」で占星術が出てきてその予言の確実性の高さに驚愕したが、今回も驚きである。しかし深入りしないでおこう。
2009年05月14日
コメント(12)

月1回の無料講習会にランナウトまで出かけた。室内壁は復帰2回目である。参加者は7名、いつものように先生とスークララさんの2グループに分かれて練習した。私は復帰間もないので先生のグループで基本を復習したかったのだが、人数の関係でクララさんのほうになった。でもこれでよかった。来週は越沢バットレスにマルチにでるのだから少し登り入んでおいたほうがいいにきまっている。それにクララさんが基本形を丁寧に指導して下さったのでとてもよく理解できた。その通りにすると腕・指・肩に負担が少なくとても楽だった。でも先を急いだり前傾壁になるとこの基本を忘れて自分流になってしまう。グレードを上げず基本形ムーブを体にしみ込ませることだ。 今日はランナウトがあまり混まず、ゆったり登れた。リードもさせてもらった。やはりクライミングが楽しい。クライミングをすると生きる喜びを感じる。性懲りも無く困ったものだ。
2009年05月13日
コメント(6)

五月第1回目のお花のお稽古に行った。ところが先生が熱のためお稽古は中止で花材だけ頂いて帰宅した。こんなことは初めてである。花材は白い花序が可憐な枝もの(先生と会えなくて名前が分からない)芍薬、スプレー菊である。リビングでワグナーのタンホイザー序曲を聴きながら取りかかった。タンホイザーが颯爽としていて気分爽快、調子よく緑の枝を思い切って矯めたところ、あえなくポキンと折れてしまった。短くなってしまったので下に配置し、その緑の枝の中に芍薬を入れた。芍薬が季節感を主張している。満開になった時が楽しみである。
2009年05月12日
コメント(6)

順調に水根からカヤの木尾根を下っていた。落葉松の芽吹きがこの上なく美しい樹林帯である。しかし木の幹に何か動物が歯でかじった様な荒々しい跡があるのが気になってはいた。私以外には鳥がさえずっているだけで誰一人いない。静寂な山旅を優雅に楽しんでいたのだが、倉戸山まで下って思わずびっくり「熊出没要注意」の看板。不意打ちだった。ぎょ!!、やはりあれは熊がかじった跡かも。あせってザックから熊よけ鈴を出し、りんりんりんりんと鳴らした。 倉戸山頂の看板 熊には恐怖を感じる。さりとて今更どうにもならない。それからは前方に見える黒い切り株などが熊でないかとやたら神経質になりながら下った。やっと倉戸山登山道入り口まで下山、ここでも「熊出没要注意」の大きな看板。こんな奥多摩周遊道路のすぐ上に熊がでるのか。以前、山野井泰史さんが奥多摩で熊に襲撃され、顔面と大切な腕を怪我し、90針縫ったとニュースは伝えていた。その場所も決して山奥ではなかったようで、もう熊はどこで出ても不思議ではない。熊と突然遭遇した時の恐怖!!熊との戦いだけは絶対避けたい。
2009年05月11日
コメント(18)

天気がよいので奥多摩に出かけた。今日は稲村岩尾根から鷹巣山(1736m)に登り、水根山南面を巻いてかやの木山、倉戸山のピークを踏んで奥多摩湖の岸辺熱海に下山するコースにした。明るく燃えるような新緑が谷から頂上まで森を埋め尽くし、全山清新な空気に満ちていた。 輝く新緑 全山新緑の鷹巣山 稲村岩まで行って岩を見、岩尾根の急坂を登って鷹巣頂上に着くと雲取方面・奥多摩方面すべて良く見えたが、暑いせいか霞んでいてクリアではなかった。つつじ類の花はほとんど終わっていた。かろうじて数本の花をみることができた。 東国みつばつつじ やまつつじ途中猿のこしかけを見つけた。大きいものはまだよしとして、小さいのが木全体にたくさん付着していると生き物のようで(実際生物ではあるが)何だか気持ちわるかった。 大きい猿のこしかけ うじゃうじゃと木の幹一面に生える猿のこしかけ水根山からかやの木・倉戸山に下山するコースは大変よかった。適度な起伏があり、森が広々として伸びやかで開放的である。小鳥がたくさん啼いて一日中耳を楽しませてくれた。マイナーコースのせいか上からも下からも誰にも出会わなかったのもよい。でも怖いことがあった。今日はもう眠いのでその話題は明日にします。
2009年05月10日
コメント(8)

今日はすばらしい五月晴れで午後は半そででも暑いくらいだった。夫の薬を頂きに病院へ行ったら連休明けのせいか3時間待ち。帰宅したらもう午後2時になっていた。明るい日差しを浴びてオレンジのバラと赤と黄の房咲きのバラも開き始めていた。 バラの蕾の姿が大好きである。我が家にはないが、剣弁高芯咲きで花びらが三角形を形作ってるバラの蕾にはこの上なく魅力を感じる。でもちょっと気位が高い。それに対し中輪房咲きは花びらがひらひらとして庶民的な(?)可愛さ満載である。すべての種類のバラがある谷津バラ園に近日中に必ず行こう。
2009年05月09日
コメント(12)

私の住む町は町内会組織がしっかりしている。引っ越してきて20年の間に班長を3回やってきた。今年はブロック長という大役を引き受けて4月から働いている。仕事は主にポスティング、集金のまとめ、会議である。所属する町会は総戸数85、これを7班に分けてそれぞれ班長がいる。その班長の上にブロック長が置かれ、7つの班を統括する。日常的には町会長から届く防犯や市行事等の配布物・募金や寄付金のお願いなどのプリントを各班の戸数分に仕分けして、7班の班長さんのお宅に届ける仕事がある。 次に町内会費、寄付金などは各班からの納入を待って計算・合計し、会計のお宅に届けなければならない。4月から次々と配布物、各種集金がある。最初は班長さんのお宅がわからず地図片手にご近所をあちこち歩いたが、この頃はスムーズに行ける様になった。 わかったことはこれは市行政の最末端の世話役であり、集金システムだということである。任期は1年、班長が半年であることを考えるとこれは長い。地域にはお世話になっているわけだから断ることはできず、ポスティングと集金計算に励んでいる。
2009年05月08日
コメント(12)

連休に遠出している間に、いつの間にか我が家のバラが咲き始めていた。植えて20年目になる真紅の大輪、オレンジの中輪、赤とオレンジの中輪房咲き、2年前に頂いたミニバラ計4種が我が家のバラである。手入れもしないで花を望むのは虫が良すぎるが、バラは強くて虫のよい期待をけっこうかなえてくれる。昨年は一応お礼肥えを施し、冬には剪定をした。これからしばらくが楽しみである。
2009年05月07日
コメント(20)

今日は朝から雨が降っていて、ほぼ一日中しとしとと降り続いた。家にこもって体を癒すにはぴったりの天気である。久しぶりのハードな雪山で筋肉痛になった。足は乳酸がたまってむくみっぽくなっているが、心はクライマーズハイ状態で高揚している。この精神と肉体のバランスをとるには音楽を聴くにかぎる。こういう時はきまってショパンのピアノソナタ第2番変ロ短調を聴く。この曲は一般には第三楽章の葬送行進曲がよく知られているが、私は第一楽章グラーべェがとても好きである。ピアノ独奏はマレー・ペライア。出だしからやや暗い情念とひそかな輝きに満ちていて、昨日までの情熱を引きずりながらもそこで踏みとどまり、情熱を温存している今の私の気分に丁度合うのである。昨日燃やした情熱を愛しむ、これがいい。何の情熱か?もちろん山への情熱である。 ドラクロワ作ショパン フランスにあるショパン像 すばらしい指マレー・ぺライア自分の心と同調している一楽章から聴き始めるが、二楽章・三楽章と聴き続けるうちにいつの間にか気持ちが標準レベルに戻っている。不思議である。雨の一日をのんびり過ごした。
2009年05月06日
コメント(4)

剣岳山行では新築の剣沢小屋に2泊した。昨年までの小屋が傾いたので新しく建てたということであり、昔あった小屋の跡地に建設されている。玄関の剣沢小屋と書かれた看板もまだ新しく、家の中にはいると木の香りがぷんぷんと漂っている。 正面入り口 受付 上下4人づつで一室8人の部屋が10室あったと思う。一階建てでこじんまりしているが必要な設備は完璧である。カウンターバーにもなっていた受付、食堂、シャワー室、水洗トイレ、洗面所、乾燥室、ストーブが温かい談話室、天気予報など情報が手に入るTV,そして何より剣が真正面に見える広々とした玄関前広場。廊下にザック用の大きい棚が作りつけてあるのも、同室の人に迷惑をかけることがなく準備でき、使い勝手がよかった。 ストーブが温かく寛げる談話室 明るい光が嬉しい夜の小屋さらに食事がすごい。トンカツとハヤシライスのメニューには驚いたが、岩と雪の殿堂たる剣のバリエーションルートを登るにはこれくらいのハイカロリーと上質たんぱく質が必要なのである。これを食べたら登れるという気がしたが、実際にスタミナを切らさず登れた。 これを食べればどのルートでも登れそうな夕食 味噌汁がおいしい朝食さらにこの小屋は登山者の立場にたったもてなしの精神に満ちた経営がされている。ちょっとしたことだが、熱いお湯やお茶はいつでも無料でもらえるし、揚げ物はあつあつの揚げたてを出してくれるし、汁物も同様である。凍結して水道は出ないが雪を溶かした水が準備されていて手や顔を洗うこともできた。早朝2時から行動し始める私たちに食堂には熱いお湯が用意され、電気も早くついて明るい室内でスムーズに準備できた。 三代目 新平さん。この小屋にはガイドの親睦会でもあるのかと思うほど(実際、親睦が相当深まっていた)ガイドさん達が大勢集まっていた。勿論親睦会ではなくガイドディングつまり仕事のためである。そのガイドさん達はみんなガイド業が終わると、料理を手伝ったり受付をしたりして小屋の業務を手伝っていた。小屋とガイドの関係が緊密で信頼と相互扶助で結ばれているということだろう。先代の友邦さんはかなりの高齢だと思うが真っ黒に日に焼けてお元気そうだった。その後を継いだのが新平さんでがっちりした体格の頼りになる雰囲気の青年である。誰とでもわけ隔てなく気さくに交流でき、天性の人を受容する資質があるように感じた。今回の剣沢小屋の心地よい2泊は私に「また、来よう」という気持ちを抱かせた。
2009年05月05日
コメント(15)

5月4日6時朝食、7時出発。曇り空であるが、徐々に下り坂の兆候を感じる。最終日になった。名残惜しいが再訪を確信して小屋を後にする。朝のさわやかな剣沢をアイゼンを効かせて黙々と登る。「グワ、グワ」とお世辞にもきれいとは言えない声で雷鳥が鳴きながら雪の斜面を歩いている。保護色で真っ白な体であるが、どこかにわずか色がついていて識別できる。剣御前小屋のある別山乗越を過ぎ一気に雷鳥坂を下って雷鳥平で一休み。アイゼンを外して身軽になる。連休が続くため登山者が下からけっこう登ってくる。 雷鳥平のテント場 登山者やスキーヤーの姿が続く室堂方面室堂まで戻ると往路に倍するものすごい観光客がいた。午前中はまだ混まないだろうという予測を覆して、ターミナルは人であふれていた。下に下りれば降りるほど人の混雑は激しく、黒四ダムのコンクリートの上に乗り物を待つ人々が長蛇の列をなしていて驚いた。 緑の黒部湖と後立山連峰とケーブルさっさと歩こうにも人ごみで歩けなかったが、次々と乗り物を乗りついて扇沢に着いた。ここからの混雑もあるので、あちこち立ち寄らないでダイレクトに帰京することになった。この判断が正しくて7時前に帰宅でき、このブログもアップできた。今回はとにかく肩が心配だった。冬山用ザックを背負って行動して肩がどうなるか。右手でピッケルをしっかり突けるか。でもどちらとも杞憂に終わった。3日間とも肩は痛まなかった。夜明け前の痛みがあるのは仕方がないとして、なかなか良い回復状態と判断してよいのではないか。努力は人を裏切らない。(自画自賛です)それより脚が筋肉痛になった。こちらのトレーニングがおろそかになっていたかも。でもこれならアルパインに出られそうな気がする。今年一番の充実感と達成感にあふれた3日間であり、希望の灯をともすことができた剣山行だった。
2009年05月04日
コメント(2)

5月3日午前2時起床、2時50分出発。スパッツ、アイゼン、ハーネス、ヘッドランプを着け小屋前から剣沢雪渓を下り始める。ヘッドランプだけなのでうす暗くてよく見えないがかなりの急斜面、雪がしまってアイゼンがよく効く。9ヶ月ぶりのアイゼン歩行であることを十分自覚して慎重に慎重を重ねて下る。途中源次郎尾根に取り付く人たちのランプが見える。その平蔵谷を左に見て更に下りに下って長次郎谷の出会いまで下る。ここから長次郎谷を登り始める。一歩一歩暗い雪面を見ながら黙々と歩く。途中デブリがあって雪の塊が散らばる中を歩く時は脚が短い私は苦戦を強いられた。4時過ぎから明るくなりヘッドランプをはずす。登ってきた反対側を振り返るとものすごい急斜面、我ながらこんな坂よく登ってきたなあという感慨がわく。谷のはるか向こうには後立山連峰がくっきりと広がっている。 急峻な長次郎谷 後立山連峰が広がる 天を突く鋭い岩峰とV字に切れ込むコルが連続する八峰ストックをピッケルに持ち替え、途中5.6のコルを右に見てなおも長次郎谷右股を詰める。闇が去り雪面の白さがすこしづつまぶしくなる。鋭い岩峰の稜線がはっきり青空を突いている。こういう景色が大好きだ。熊の岩を過ぎ、やっと池の谷乗越に到着。細い稜線に昨夜ビバークしたのであろう、雪を四角に切って風除けが作ってあった。ここで休憩20分。北アルプスおよび裏剣側の大景観が惜しみなく展開していてすばらしいことこの上ない。源次郎尾根の1峰、2峰、懸垂下降点などもよく見えた。いくつかのパーティが豆粒のように見える。 大きく迫る八峰の岩峰と後立山連峰池の谷乗越から剣本峰に続く急斜面にトレースが点々と残されている。いよいよ剣をめざして最後のピッチである。ここでガイドとアンザイレンしヘルメットも被る。斜度が大きいためピッケルをダガーポジションにして雪面を這うようにして登らねばならない部分もあった。でも稜線にでるとものすごい絶景で、そのヨーロッパアルプスのような景観に私はもうわくわくして興奮してしまった。剣山頂までの稜線歩きは圧巻で本日のハイライトだった。でも稜線がとても細く滑落すると終わりなのでガイドから「足元に集中して」という注意が何度もあった。何度か登り下りを繰り返してついに8時、剣山頂に着いた。山頂に祭られている祠は雪の中に埋もれ上部がわずかに見えていた。 剣山頂にて 平蔵のコルにて(後は前剣)しばし休息して北アルプスの大景観を心ゆくまで楽しむとともにこの幸せを感謝しつつ、下山開始。下りは登りより怖い。すぐに雪と岩のミックス地帯になりぎしぎしとアイゼンをきしませながら下降。途中かにのよこばいもあり、くさりとはしごを楽しみつつ平蔵のコルまで下る。この安定した岩陰で昼食。目の前に前剣が小屋側から見るのとは異なる姿でかっこよくそびえている。 前剣を行く人私たちはこの前剣のルートをとらず、平蔵谷を下った。ここも急坂だったが雪がたっぷりで歩くのに困難はなかったものの谷筋なのでなだれの恐れがある。途中デブリもあり下の方は谷の幅が狭く左手は岩で落石の恐れもある。できるだけ早く歩くようにと言われたものの、早く歩けない!!体力的には大丈夫なのだが雪に慣れてないため自信をもってがんがん下れないのである。でも安全第一と言い聞かせ自分の早さで下った。長かった。折から陽射しが強く暑かったし、顔もほてった。やっとのことで平蔵谷出会いまで降りた。ついに安全地帯に戻ったのである。ここで休憩し、ハーネス・ヘルメットを脱ぐ。まだ10時半だった。ここから剣沢小屋までの登り返しがきつい。でも黙って我慢して一歩一歩前を向いて進めばいつかは着く。「ビスターリ」と言いつつ朝下った雪渓を上り詰めて11時40分小屋に到着。何とこの日の帰還一番だった。今日は自分で自分を誉めてもよい日である。朝2時50分から正午前11時40分まで剣沢小屋→長次郎谷→池の谷乗→剣山頂→平蔵谷→剣沢小屋までの急峻な雪渓・雪稜を下り、登り、登り、下り、登りで約9時間、一体累積標高差はいくらになるだろう。よくやったね。小屋に着いて 何ヶ月かぶりでビールを飲んで祝杯をあげた。自分ひとりならこんなことは到底出来ない。気象状況を把握し、剣の峰・谷・沢を知り尽くした上で今現在のルートがどういう状況なのか情報収集をし、更に私達クライアントの体力・技能を考慮した総合的判断の下でこのルートをアレンジしガイドしてくださった先生、本当に有難う。
2009年05月03日
コメント(4)

5月1日夜、車で出発して扇沢まで行く。12時半頃到着し、車中で仮眠。2日早朝4時ごろ目覚めると真っ青な空と白銀の峰々が広がっている。朝7時のトロリーバスでアルペンルートに入る。前方には雄大な立山連峰、背面には針の木岳など後立山連峰を見ながら黒四ダム、大観峰と越えて室堂へ9時頃着く。 雄大な姿を惜しみなく見せる立山連峰 ひときわ鋭い針の木岳(右)と赤沢岳これ以上望めないほど完璧な快晴の中、観光客で込み合う室堂でスパッツを着け、ストックをついて快調に歩く。硫黄の匂いを感じつつ雷鳥荘を過ぎると雷鳥平には黄色・赤などテントが雪景色に映えている。多少の上り下りを繰り返したあと、雷鳥坂の登りにさしかかる。はるかかなたにくっきりと稜線が見えるがかなりの急坂である。温かく風も無く雪の状態もよく、黙々と斜面を登って這い松の緑がわずかに見える頃、別山乗越に到着。ここには剣御前小屋があり、何人かの登山者が休憩していた。別山乗越からは雲の一片もかからない剣が大きくそびえていた。すごい!超ラッキー! 温かく軽装で歩いた雷鳥平 雷鳥坂を登る御前小屋から剣沢の急激な斜面をざくざくと下る。途中旧剣沢小屋がそのまま残っているのが見えた。そこより少し下がったところに新しい剣沢小屋がある。小屋の背面は雪で埋もれていて屋根だけが見え、前面が開けていて玄関である。小屋前から見る剣岳は今まで見たことのないすばらしさだった。急な雪の斜面が切れ落ちる前剣、予想以上に岩が黒く露出する剣岳本峰、どっしりとした源次郎尾根、のこぎりの刃のようにぎざぎざとした稜線を描く八峰など剣全景がくっきりと眼前に広がっている。思わず興奮して長い間見とれていた。 手前に前剣を従えて剣岳本峰(2999m) 中央源次郎尾根 右八峰前半周辺の斜面にはスキーヤーが描いたシュプールが美しい曲線を描き、変化にとんだ斜面を作り出している。夕暮れになってもまだ剣は何の障害物もなくクリアな姿を見せ続けてくれた。陽の光が雪を様々に変化させとても美しかったし、夜も幻想的で剣沢の夜を満喫した。 屋根だけが見える剣沢小屋と陰影が美しい尾根 陽の光がデリケートな空の色を生む夕暮れ時 スキヤーの描いた曲線の面白さ 剣沢の夜空 今回の山行は雪山用の装備を背負って肩がどうなるかという不安があった。しかし予想に反して登山中も登山後も痛みがなく、とても安心したし嬉しかった。期待を抱いて新しい清潔な布団にくるまって眠った。
2009年05月02日
コメント(2)
連休後半がすばらしい天気とともに始まりました。これから北アルプスの剣岳(2999m)に登るため、出発します。源次郎尾根を登る予定です。天気は一応安定しているようですが、剣周辺は日本海側の影響を受けて気象状況が大変不安定な地域、現地での判断になります。残雪期の剣は初めてだし、新装なった剣沢小屋もとても楽しみです。帰宅は5日か6日です。では皆様もどうぞよい連休をお過ごし下さい。
2009年05月01日
コメント(14)
全31件 (31件中 1-31件目)
1