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今日は朝から一日雨が降り続き、千葉県地方には暴風注意報も発令されて午前中は風が吹き荒れた。肩の痛みで早く起きれず、やっと9時半頃整骨院に出かけた。以前このブログで鍼が効くというアドバイスを頂いていたのだが、地元の情報が全くなくてそのままになっていた。一昨日思いもよらない所から情報を得て、早速訪ねてみた。藁をもつかむ思いとはこのことである。整骨院という所に行ったのは今回が初めてである。何もかも珍しかった。3時間待ってやっと治療を受けられた。実は鍼というのが何となく怖かった。でも実際に受けてみるとパチパチという音が聞こえてわずかにちくちくと感じるだけで何でもなかった。治療後は腕の可動域が広がっているのがはっきりとわかった。しばらく整骨院にも通おうという気になった。問題は莫大な時間を要するということだが、それだけ人気があると言う証拠だからやむをえない。待ち時間に何か有効なことをする対策を考えて臨もう。
2009年01月31日
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後楽園球場近くの文京シビックホールで岩崎元郎さんの「1億2千万人総登山者化計画」という講演会があった。岩崎さんから招待状を頂いたのでモンブランの友Gさんと一緒に参加した。私が初めて無名山塾の会議室で岩崎さんとお会いした時の印象は「何て飾り気がなく、ありのままの人なんだろう。この方が教えて下さるのなら私もできる」であった。とても失礼な話ではあるが、私は身長141センチ、岩崎さんは147センチで二人並ぶと丁度お似合いのカップルになる身長差だったのである。岩崎さんの人気は凄い。ホールには平日の夜7時に200人以上の中高年が集まっていて熱気に溢れていた。 講演する岩崎元郎さん みなみらんぼうさんとトーク 講演第一部は岩崎さん自身の山との関わりやエピソードを挟みながら、何につけても元気がない今の日本、すべての人が山に登ることで元気を取り戻そうという趣旨の話であった。ふるさと800名山も募集されている。第二部ではみなみらんぼうさんがゲストで登場、NHKの「中高年のための登山学」からのつきあいである二人の山を巡る軽妙なトークがあった。、らんぼうさんは多分身長180センチ以上だろう。でこぼこコンビなので最初からユーモラスである。さらに最新の著書「山で困った時のテクニック」~入山後に遭遇するトラブルへの対処法~の販売もされていた。値段が1000円と手ごろだったので買ってしまった。岩崎さんのサイン入りである。 会場で無名山塾に所属していた頃、とてもお世話になったMさんにお会いできた。ほぼ2年ぶりである。お年を重ねられていぶし銀のような輝きで一段とダンディだった。Mさんと谷川の白毛門、五月の槍、残雪の富士山、厳冬期の八ヶ岳などあちこちトレーニングした日がとっても貴重でなつかしい。もちろんモンブランも一緒に行った。この雪山の訓練が今の私を支えている。講演後、Gさんと地下鉄を乗り越して引き換えしたり、まだ電車に乗ってもないのに改札から出ようとして駅員さんに苦笑されたりと、やじきた珍道中のような滑稽な言動を繰り広げながら楽しく帰った。
2009年01月30日
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リハビリの予約の日で整形外科に行った。いつものようにホットパックから始めて高周波まで終わったところで理学療法士のケアを受けた。最近は肩甲骨周辺はかなり柔らかくなったが、悪い右肩だけが5センチほど前に出ているらしい。痛みの場所も変わってきて背中の重いのは消失し、腕が痛む。角度によって腕を上げることができない。ひっかかってしまう。寒いという状況を考えてもあまり回復しているようにも思えないと言うと、再度ドクターと相談してみたほうがよい、筋肉が切れていると治療をしていてもなかなか直らないとのこと。今になってそんなことを言われても困る。最初から言ってほしかった。でも来週はドクターチェックをする予定なので再度相談しよう。こんなに回復に時間がかかるのなら、この一年の行動計画を大幅修正する必要が出てきたと真剣に考えざるを得なかった。それが妥当かもしれない。それでいいじゃない、今更登山家になる訳でもクライマーになる訳でもないんだから、単なる趣味なんだからと言い聞かせたが、マイナス志向になっている自分を否めない。本当に単なる趣味なのか?私にとって山とはそんな気安いものだったのか。そうではない!!単なる趣味ではなく生涯学習で生きがいではなかったのか。志を曲げるんじゃない!! 自分で自分を叱りながら帰った。
2009年01月29日
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1月のお花のお稽古は2回で今日がその日だった。遅い時間に先生宅に伺ったら既に何人かお稽古していて、他の人の作品も見られてよかった。今日の花材はあじさいの枝3本、水仙(黄色)3本、スイートピー(ピンク)2本、がまずみ2本だった。スイートピーが春らしく黄色の水仙と上品にマッチしている。いつもの奇想天外な花の取り合わせとは少し異なっていて、仕上がりはともかくとして、お花をお稽古したという気持ちになれ、気分的に落ち着いた。 これで花代が1250円ということである。いつもは月3回のお稽古で1回の花代は1000円である。いまどき1000円で花を何種類か取り合わせて花材にするのはかなり金額的に厳しいと思う。これまでの花材が貧弱だったのもある意味仕方がない。250円の差でまるっきり花の雰囲気が違っている。花代を1回1500円にして月3回お稽古、月謝混みで10000円はどうかという案も出ているらしい。現行の8000円というのと10000円ではお稽古に費やす金額の印象が違う。10000円を高いとするか当然と考えるか、他の皆さんがどう考えるだろう?。アンケートか何かでみんなの意見を聞くと言う結論になった。私はどちらでもよい。花材がよくても自分の腕がなければ勝負にならないから。しかし、いずれにしても度を過ぎた和洋混在、新旧ミスマッチ、奇天烈な花材の組み合わせはお断りしたいというのが正直な気持ちである。
2009年01月28日
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今日はクンダリニー ヨガのレッスンに吉祥寺まで出かけた。レッスンの内容はパワンムクタアーサナと重心安定法、さらにウディヤーナ バンドハとナウリという興味深いものばかりだった。ウディヤーナ バンドハは下腹を窪ませて内臓を引き上げ、チャクラに集中する行法である。ウディヤーナ バンドハそれを実際に先生が自分の身体を見せて指導してくださった。あまりの美しい体に目を見張った。先生は年齢不詳であるが女性で、着衣の時から吉祥天のように容貌もプロポーションも際立った美形である。その先生が上着を上げ、パンツを下にずらして裸の腹部と背中を私達に見せて実演された。(画像は先生ではありません)ウエストがこれ以上無いというくらい引き締まっていて、ウエストを真ん中にしてバスト、ヒップのラインが見事な曲線を描いている。皺一つない真っ白な肌で美しい。男性の受講者が一人いたが沈黙、初心者の私だけが思わず「すごい!!」と声を出していた。女の私でも目がくらみそうだった。何十年ものたゆみない修行がこの美しい体を造ったのだろう。くびれた体の美しさに仰天していたが、次にナウリの実技があってこれにも驚いた。写真で見たことはあったが、生身の人がするのを初めて見た。バンドハでお腹を引き上げた上で、腹筋を操作する。下腹部にはっきりした凹凸ができている。さらにそれをぐるぐる回す。これは難しい。 ナウリ最後に瞑想して終了。バンドハといい、呼吸法といい重心安定法といい、けっこう難しい。ナウリなんてできる日がくるのだろうか。「私は全く修行が足りない」と反省しつつ、またしてもドトールでコーヒーをのんで電車に揺られて帰宅した。
2009年01月27日
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花嫁街道を下山して、花園広場から黒滝ハイキングコースへルートを取り、山道を歩いて抱湖園(ほうこえん)を訪ねた。ここには有名な元朝桜(がんちょうさくら)がある。和田町は全国的にも有名な花の原産地で、昔『間宮七郎平』という薬剤師が安房で初めて花作りに成功した。七郎平は花作りによって、半農半漁の和田町の人々の生活が救われていることを何よりも願っていました。花作りで成功した七郎平は、次に山を切り開き、花木を植えることを考えつき自ら鍬を持ち花園の裏山の堰の周りを開墾し、「抱湖園」と名付け花木を植えました。七郎平が植えた桜が元日の朝から咲くことから「元朝桜」と呼ばれるようになりました。(HPより)前回訪ねたときは12月末でまだ咲いてなかったので、今回は期待していた。予想どおり見事な桜だった。既に八分咲きくらいになっていて、春霞のようだった。この時期にこんなにたくさんの桜が咲いているのを生まれて初めてみた。興奮してしまった。さらに抱湖園から見下ろす和田浦の景色がこれまた素晴らしかった。一面の菜の花畑とポピーなどのお花畑、白いビニールハウス、緑の松林の先に力強いブルーの外房の海が果てしなく広がっている。すばらしい!!また、独りで歓声をあげていた。温かい陽光の中、サングラスを出してかけ、ビニールハウスの横の道を歩いた。菜の花、キンセンカ,ポピー、水仙などが路地でそこにもここにも咲いていた。ビニールハウスの中にはカーネーション、キンギョソウ、ストックなど春の花が切花用に栽培されている。最後に松林に分け入り、浜千鳥の歌碑を見た。海では白波の中、かなりのサーファーが波と遊んでいた。 松林の中にある浜千鳥の歌碑 サーファー 旅の終りに「和田浦歩こう会」の店に寄ってきんかんを買った。広場には和田浦のシンボル鯨とお花畑が広がっていた。別世界にいるような気分で気持ちが伸び伸びした。 巨大な鯨の尻尾のモニュメントとお花畑
2009年01月26日
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先週行った保田が春を先取りしてよかったので、今日はもっと南に下って南房総和田浦から入るその名もゆかしい花嫁街道と烏場山(からすばやま)にハイキングに出かけた。和田浦の駅からすでに南国の風情、駅舎には一人旅のおばさんを気遣って言葉をかけてくれた駅員さんがいた。花嫁街道入り口でも優しい顔の双体道祖神が私を迎えてくれた。空は真っ青、いちめんの菜の花、人の人情は豊か、気持ちよいスタートだった。フェニックスの大木が南国の雰囲気 内房線和田浦駅 いたわり合って寄り添う道祖神 穏やかな起伏の登山道を歩く。和田浦登ろう会の手で指導標が要所に設置されている。人気コースなのでけっこう登山者もいる。すだじいの林を過ぎ、経文石、じがい水のあたりに来ると何と谷間に雪が降っていた。 すだじいのトンネル 南房総でも雪が降る さらに駒返しと快調に歩き烏場山の山頂に到着。スタートから約2時間である。山頂直下にも雪が積もっていた。山頂にはかわいい花嫁さんが鎮座ましましていた。昔、花嫁がこの山間の道を歩いて嫁いで行ったから花嫁街道と言う名がついているというのだが、ほんとにこんな道を花嫁姿で歩いたのだろうか。いや、駒返しという地名があるからそこまでは馬に揺られてきたのかもしれない。想像すると楽しくなる。どんなドラマがあったのだろう。ふと後ろを振り向くと何と背後に富士山がぼーと大きく見えた。予期して無かったのでこれには不意打ちをくらい、思わず「おおっ」と感動の声を出していた。 唇に紅がさしてある烏場山山頂の花嫁さん 南房総からの富士山 南房総の低山から見る富士山は膨張して見えた。日差しが温かい割には風がとても冷たく山頂からの眺めを楽しんだらすぐに下山開始。今度は花婿コースを下っていく。花婿コースのほうが花嫁街道より少し坂道が多いかもしれない。途中黒滝を通過し、黒滝不動という珍しいお不動様を拝んだ。 黒 滝 滝不動 光背が火炎模様で朱の色がはっきり見える。足元が少し寒そうでお気の毒。見晴台、金毘羅山とどんどん下り花園広場まで降りきった。紅梅、さざんかが見事に咲いている。この後左にルートを取り黒滝ハイキングコースに入り、抱湖園(ほうこえん)をめざす。名物元朝桜(がんちょうさくら)を一目見るためである。 つづく さざんか散る道
2009年01月25日
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かねてより気になっていた映画チェ 28歳の革命を観に幕張メッセに出かけた。単に面白いという種類の映画ではなかった。キューバ革命を成し遂げるまでのさまざまなドラマティックなゲリラ作戦場面があったが、ソダーバーグ監督は不思議なほど淡々と描いていた。むしろ戦闘場面よりもチェの人間性を描く場面が豊富だった。それは戦闘場面を見るのが苦痛の私を画面から目をそむけさせないですんだ。 負傷した兵士を決して置き去りにせず医者である自らも治療し大変な苦労をしつつ移動し治療を続けていく、農民を尊敬すると言って絶対に兵士に略奪をさせない、革命は単に銃が撃てればいいというものではなく読み書きが必要だと言って戦場で文盲の兵士を教育する、身分に関わり無く一人一人の兵士を大切にする、自分自身はひどい喘息持ちでほとんどの場面で咳きをしている、なのにいつも葉巻をくゆらせている。一言で言うとなんという高い倫理観、豊かな人間性の革命家だろう。特に印象に残っているのが「革命に最も必要なものは何か」と聞かれて「それは愛だ」と答える場面である。さらに演説が巧みで国連で演説する彼は自信と説得力に満ち、ほれぼれする。「祖国かさもなくば死か」という迫力ある言葉は超かっこいい。ゲリラ戦法のプロだけでなく名文家、もちろん革命家だから一面アジテイターでもあろう。 国連で演説するチェ・ゲバラ彼は私が少女のころ革命家として活躍し、39歳でボリビアで処刑された。その悲劇性と若さは彼を永遠のヒーローにし、今でも国境や人種・言語を越えて世界中の人の心の中で真のカリスマになっていると思う。 チェが処刑された村のモニュメント この作品はエンタメ映画のような面白さや楽しさはないが、観ておくべき映画だと思う。ろくに知らなかった中南米の歴史やゲバラについて理解が深まった。かってこんなに偉大で魅力的・人間愛に満ちた革命家がいたのだという思いを新たにした。今まさに世界は彼のようなカリスマの出現を求めている時ではないだろうか。
2009年01月24日
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今日も朝からはっきりしない天気で雨も降り、日差しがほとんどなくて寒かった。週一のリハビリに整形外科に行った。整形外科関係の病気を持つ人には決して良くないこんな気象状況の時にもたくさんの患者が詰めかけている。予約だからしかたないか。私自身この天候のせいか肩も腕もいつもよりずっと悪い。「両腕を上に挙げて下さい」と理学療法士から指示されたが、右手は肩から上には挙がらない。ある角度以上になるとひっかかって動かせない。インピンジメントの症状である。理学療法士が腕や肩を押してくれ、とてもイタ気持ちよい。次に腕を斜めに挙げたり押したりしてインナーマッスルを鍛えるトレーニングをした。これもある角度になると響く部分がある。以前は背中の筋肉も硬かったけど、今は柔らかくなっているとのこと。「少し良くなっています。これからは筋肉をつけていきましょう」という言葉を半信半疑で聞いていた。 インピンジメント症候群
2009年01月23日
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今日は朝からしとしと雨が降り、お日様は全く顔を見せず、とっても寒い一日だった。先日登った裏鋸と水仙ロード周辺の水仙以外の花と石仏以外の風物を紹介します。裏鋸でたくさん見たアオキの実 日本寺 お願い地蔵 日本寺境内の紅梅 日本寺境内のくちなしの実 同 樹齢800年の大ソテツ 同 藪椿 ビニールハウスで温室栽培されていたスターチス 二世代新旧のたんぽぽ 水仙に負けじと咲く白梅 農家の庭先にアロエの花 房総といえば菜の花 珍しい桐の実と乳牛・酪農も営んでいる 春先に咲く野の花 垣根の赤い実 切花用ソテツの栽培 天寧寺のさくら今回の山旅では水仙以外にもたくさんの花が咲いていて小さな春を感じました。特に最後安房勝山駅直前に立ち寄った天寧寺には樹齢600年の柏槇、樹齢150年の白梅の近くに樹齢10年(?)ほどの小さな桜の木に花が咲いていて驚きました。まだ1月18日なのにもう桜の花を見ることができた。超嬉しくなっていいことがありそうな気がしました。
2009年01月22日
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図書館の返却日ぎりぎりで三浦雄一郎流生きがい健康術「デブでズボラがエベレストに登れた理由」をやっと読んだ。 いやあ、驚いたことばかりだった。この有名なプロスキーヤー・冒険家一家の体質が敬三さんを除くとみんな大食い・大酒のみで太りやすいとは予想外だった。雄一郎さんは60代前半身長164センチで体重86キロだったという。もちろん成人病の巣窟だろう。メタボで高血圧、高脂血症、糖尿病等すべて数値が悪く生活習慣病の百貨店だったとも書いてある。素人の私ですらモンブラン登頂のため59歳で6キロ減量して44キロに、さらにマッターホルンに登攀するために2キロ減量して42キロという涙ぐましい摂生をしたのだ。いくら何でもそれは酷すぎるし、だらしなさ過ぎるし、プロのプライドは無いのかと思ってしまった。しかしエベレストという目標ができてからの努力はこれまたすさまじかった。足にウエイト、背にザックというスタイルで3年も忍耐強くトレーニングして筋力を鍛えた。1年目 片足1キロのアンクルウエイト ザック10キロ 一般的なウォーキングシューズ 2年目 片足2,3キロのアンクルウエイト ザック15から20キロ 片足2キロの登山靴 3年目 片足5キロのアンクルウエイト ザックは25キロ 片足2キロの登山靴さらにもっと震撼させられたのはエベレストに登るために心臓の手術を2回もしている。手術なんてあんなつらいことを山のためにできるか?そこまでするか!!?普通の人はしないだろう。せいぜい白内障の手術を延期する位だ。 軽めのタイトルからこの本をあなどっていたが、とんでもなかった。プロでありながらここまで食生活がだらしなく飲食のコントロールができない自分をありのまま記述しているということにも驚いたが、さらにエベレスト登頂という生きがいを持ってさまざまな努力と工夫をし続けて目標を達成した彼を尊敬せずにはいられなかった。今やエベレストは商業登山の山と化して、ルート工作も十分してありシェルパが荷物を背負い、お金さえあれば登れると言う人もいる。しかし8800mの高度はたとえ酸素を吸ったとしてもそんな生易しいものではないと思う。それに高齢でチャレンジする。三浦ベースキャンプの低酸素室には何度もお世話になった。そこでお会いした雄一郎さんや豪太さんは素朴で温かいお人柄と感じた。しかしこの本は改めてそれだけではない敬三・雄一郎・豪太・雄大と続く三浦一家の冒険家としての精神の強靭さを教えてくれた。 さて、私は生きがいをもって目標に向かっているか?
2009年01月21日
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12時5分に保田駅に到着したら、裏鋸とはうって変わってたくさんの人たちがいた。水仙祭りが開催されていて水仙を観にきた人たちである。ベンチで昼食を済ませ、今度は保田駅から安房勝山駅まで山間の道を巡る水仙ロード周遊のコースにスタートした。歩き始めると道の両サイドにすぐ水仙が姿を見せる。江月水仙ロードの始まりである。水仙は一輪一輪はとっても小さいのだがそれが密集して斜面が薄クリーム色になっている。水仙の花は好む向きがあって全員(?)が一様に同じ方向を向いて咲いている。もちろん好きな方向はお日様が照る方向である。自生する水仙は香りが高い。気高い香りが漂う中、たくさんの人と行き交いながら小一時間で水仙広場に着く。ここで水仙祭りが行われており、お土産も売られていて賑わっている。水仙10本で100円である。甘酒を飲んで再出発。ここから10分ほど登った地蔵峠付近はもっとすごい水仙数で斜面の上も下も水仙で埋め尽くされていて、その中を人が歩いている。 地蔵峠から観る水仙の大群落山のピークを越えても尚も水仙が続く。どんだけ!!と言う感じなのだが見飽きない。地蔵峠を過ぎると極端に人がいなくて、独りで延々と安房勝山まで歩き続けた。いやあ、すごい水仙だ。パンフレットに一億本の水仙の香りとあり、いくら何でも一億本は言いすぎだろうと思っていたが、一億本はあると思わせるほど莫大数の水仙が斜面を白で埋め尽くしていた。もちろん切花用に栽培もされている。日差しは今一だったものの、さすがは房総、草や花や風物が同じ千葉県でも私が住む県北とはかなり違っていて自然の恵みや早い春の訪れを十分感じ取ることができた。保田駅を中心にして午前中は裏鋸を4時間余、午後は水仙ロードを3時間と今日はけっこう歩いて充実した。やはりこれ位歩かないと私の脳はセロトニンのバランスがとれないのだと実感する。いい一日だった。東京湾に沈む夕日を見ながら鈍行列車に揺られて帰った。
2009年01月20日
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千五百羅漢は表鋸山頂から日本寺に下る崖の中にある。2年前はじめてこれを見た時そのすばらしさに驚愕した。今回裏鋸をハイクに選んだのにはこの羅漢を再度見たいという気持ちがあった。私はものに接するとき、事前に知識理解を入れない。著名な人物がすばらしいと書いていればそれはすばらしいという先入観で観てしまう。そうではなく自分の感性でものを見たい。それでこの羅漢についても全く予備知識無く、2年前下山途中に通りすがりで観たのだが非常にすばらしく、さまざまな興味が湧いたので少し調べてみた。それによるとこれは曹洞第九世、高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井(現木更津市)の名工、大野甚五郎英令が1779年から1798年に至る21年間、門弟27名と共に生涯をかけて1553体の石仏を刻み、太古よりの風蝕によってできた奇岩霊洞の間に安置し奉ったものであると記されていた。謎が解け理解が深まった。一箇所づつ足を止めて丹念に見た。言い知れぬ感動を感じた。 いわゆる芸術品ではないから素朴なものが多い。しかしその数の多さ、種類の豊富さ、大きいものから小さなもの、像のとるさまざまな姿勢、仏像には見られないニュアンスに富んだ表情、手足の組み方、手にする持ち物など実に多彩で訴えかけるものを感じる。いわゆる仏像となるとその一定様式になってしまうが、ここの羅漢様はけっこう自由で野仏的な自由さを持っている。 さらに頭部のないもの、壊れかけのものなどもかなりあり、とても痛ましいが何か惹かれて見つめてしまう。200年以上の風雪にさらされ頭部や腕を失いながらも今なおそこに存在する石仏群!!心の奥がしーんとなってしまった。 日本寺という寺の歴史と価値を発見し、これらの羅漢様を風雪にさらしておいていいのかという気持ちを抱きながら保田駅むけて独り歩いた。
2009年01月19日
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今日は曇り空であったが、地元と言うには少し遠いものの房総の山にハイキングに出かけた。体に負担が少ないよう、少しでも温かい地の山ということで目指すは裏鋸(うらのこぎり)である。山並みが鋸の歯のように見えるから鋸山の名がついたそうだが、随分円い鋸の歯ではある。 穏やかな山並み 鋸山の稜線保田駅から林道口まで延々と歩く。記念碑のある林道口から登山道に入り、房総特有の照葉樹の林を登り下りして尾根道を縦走し三角点のある鋸山まで登った。全く登山者はいない。標高が著しく低い割には風が吹いて寒かった。 照葉樹の登山道 鋸山(329m)の一等三角点 その後は急勾配の石段を用心深く下って石切り場を経て、裏側から観光地の表鋸山へ登り返す。石切り場の巨大な絶壁と表鋸の奇岩が大きく迫ってくる。どういう方法でこんな絶壁から石を切り出したんだろう。 石切り場 せりだした地獄のぞきと巨岩 巨岩にはさまれ地獄の底のような石切り場から逆にまた急坂を登り、600円の拝観料を払って表鋸・日本寺の境内に入ると強大な百尺観音が崖の石に刻まれている。こんな巨大な観音様を誰がどうやって何のためにここに刻んだのか。でも威圧感はなくちょっと大雑把な感じは否めないが雰囲気は明るい。思わず手を合わせる。 百尺観音山頂へ一登りすると東京湾が一望できる。曇り空であまり鮮明には見えないが白い船が浮かび三浦半島がかすんで見える。裏と表の鋸山を歩いたがあまり体を動かしたという気はしない。12時までに保田駅に到着したら水仙ロード周遊をしようと決め、五百羅漢・日本寺方面にルートをとって下山する。千五百羅漢はこのルート最大の楽しみである。 つづく
2009年01月18日
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今日は寒かったが日差しがいっぱい降り注ぐ穏やかな日だった。朝から気が沈むし肩も痛む。トレーニングもせずじっとしていたがとにかく日光だけでも浴びようと考え、幕張新都心までウォーキングしてその後映画を見ようとのろのろ出発した。出かけてよかった。陽光を浴びて幕張メッセまで90分ほど歩き、コーヒーを飲み、映画館に入った。 新都心幕張メッセの高層ビル群 オブジェの向こうにもビル群 幕張はかっては海、その名残が水路に いつも行くシネマコンプレックス 「チェ・ゲバラ28歳の革命」にするか「K-20」にするか迷ったが今日は「K-20」にした。お馴染み怪人20面相と明智小五郎を中心にした話である。結論を言うと何もかも奇想天外なストーリーだったが、けっこう楽しめた。明智小五郎の中村トオルが前半は知性の塊のようでとってもクールでかっこよかった。金城 武が演じたサーカスの曲芸師が(スタントなのかもしれないが)ものすごい運動能力を見せつけ、これまた見どころ満載だった。泥棒になる訓練(?)で金城が地図の一直線上を走るトレーニングをする。直線上には建物など障害物がたくさんあり、そこを走るためには壁を登り屋根を走りビルの谷間を跳躍する。すごい訓練である。それを何度もやる。見ていて爽快感があった。松たか子ふんする令嬢もなかなか良かった。美しく上品なお嬢様がどんどん活発になり、最後には自分を持つ一人の人間として大きく変貌してしまう。小気味良い面白さである。 新エネルギーを手にいれようとして20面相が画策するというストーリーが今風で、その伏線がさりげなくあちこちに出ていて飽きさせない映画になっていた。レッドクリフの諸葛孔明とはうって変わった役づくりで金城 武は相変わらずかっこよかった。脚本・監督は佐藤嗣麻子さん、女性でこの独創的脚本を書き映画を製作する。すごい人だ。うん、でもやはり女性ならではの思考の柔軟性を感じた。
2009年01月17日
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今日は穏やかで風もなく、寒かったものの日差しが嬉しい一日だった。退勤後社会保険事務所に直行した。着いたのが3時半、超混雑して受付付近はごった返していた。待つこと2時間以上、自分の番が来たのは5時半を過ぎていた。終了したのは6時半ころだった。しかしまだ申請完了しない。今回の夫の申請でここにきたのはもう4度目である。1回目は委任状が必要と言われて出直し、2回目は委任状は持参したが超混雑で時間切れ、3回目やっと相談できたが書類が不足と言われ出直し、4回目が今日であった。年金って何て複雑怪奇なんだろう。共済・厚生・国民・基礎・障害・裁定・老齢・二階建て・受給権などなどいろいろな用語が次々と出てくる。何の学習もせずぼんやり来た私の頭はこんがらがるばかり。過去の記録を確認し、データを照合し、担当者が夫に何とか有利になるよう考えてくれている様子がわかって、やっと担当者の苦労を推し量る気持ちになれた。申請者も手間がかかるがそれを相談にのって受給できるようにするこの人たちも実に大変だと思う。45分くらい相談にのってもらい、結局今回は私のボケで書類が1個足らずまた出直しという結果だったが、今までよりは気持ちが楽になった。お礼を言って帰宅した。 春を先駆ける蝋梅
2009年01月16日
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この間新年を迎えたのにもう1月も半ば、日が経つのは本当に早い。今日はリハビリの日で退勤後そのまま病院へいった。担当の理学療法士が肩や背中のあちこちを押してくれると、とても気持ちがいい。これを1時間ほどやって欲しいのだが、20分くらいで終わってあとは自分のプログラムのトレーニングになる。ホットパック 胸はり、腕伸ばし、高周波、ひじ曲げの5種類をやった。リハビリのプログラムってこんなことやって効果あるの?と思うような決め手のない動きなのであまり意欲が湧かない。病院ではやるが自宅では自分が考えた筋トレのほうがやった気がする。この調子じゃきっと春までかかるだろう。いくら音楽や能やバレーや彫刻が美しくても自分は鑑賞者に過ぎない。すなわち受身である。自分が主体となって体力・知力を尽くすクライミングの面白さにはとうてい太刀打ちできない。クライミングには緊張感・集中力・達成感がある。ああ、早く完治してどきどきわくわくひやひやのクライミングをしたい。ハーネスを着けアナサジベルクロを履いて岩で指先を血に染めたい。
2009年01月15日
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新年になって初めてのお花のお稽古の日だった。用事があって普段より2時間程度遅い時間に先生宅に伺ったら、いつもは会わない在職中の皆さんと顔を合わせた。独りでお稽古するのも好きだが、皆さんが居るとその人達が生けた作品も見る事ができるのでとても勉強になるし、目が啓ける。全員が同じ花材なのにまるで異なる作品になっているのだ。まさに花は人なりである。今日の花材は姫みずき(黄色)、アマリリス(赤)、ストック(うす紫)、白椿(緑)の5種である。1月はお稽古日が2回なのでその分、1回の花が少し通常より上質である。姫みずきははじめ蝋梅かと思ったが、枝が細くて花の色が薄黄緑である。蝋梅の力強い黄色とは少し趣がちがう。アマリリスが登場したのは始めてのことである。椿は花を生けるのでなく、根締めとして足元をうずめるとよいとの先生のアドバイスがあったので納得した。 姫みずきの枝が茫洋として頼りなくなかなか形が決まらなかったが、椿は短く切り詰めると根締めにするには適していた。緑のはっぱがつやつやして白い花もアクセントになっている。またしても平凡な仕上がりではあるものの一応はできた。マンネリズムに陥っている華道で「もう止めようか」と考えてもいる。第一に刺激がないし、花材が奇抜で意欲が湧かない。クライミングのように心躍らせるものが何もない。でも止める決断もまだできない。今年もなんとか細々とでも続けるしかないという気持ちを確認して、先生宅を後にした。
2009年01月14日
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温かい日差しを浴びながら鶴岡八幡宮から荏柄神社への道をのんびり歩いた。横浜国大付属中の横を通り、すぐに華麗な朱色の壁と梅の家紋がかわいらしい荏柄天神社に着いた。樹齢900年の大銀杏が脇に陣取り、早くも紅梅が咲いている。菅原道真をお祭りしてあり、受験生らしき家族が合格祈願に来ていた。 さらに足を伸ばして鎌倉宮を訪れた。入り口では骨董市が開かれていて古い食器や年代ものの着物等が売りに出されている。鎌倉宮は大塔宮とも言われ護良親王が幽閉されていた土牢が裏側にある。鎌倉宮と言うと薪能である。私が薪能を知ったのはこの地に住んだ立原正秋の小説の中である。それまで能は知っていたが薪能については全く知らなかった。35年ほど前の話である。その後薪能もあちこちで演能されるようになり何度も観たが、鎌倉宮の薪能を観たことがない。社務所でチケットを申し込む場所などについて情報を仕入れた。 鎌倉宮から更に歩いて瑞泉寺まで足を伸ばした。花の寺なので蝋梅、梅、水仙などを期待して行ったが期待はずれだった。水仙は咲いていたが梅はつぼみが固く、やっとみつまたが小さく咲いていた。梅の古木が多い庭園はすばらしかったが冬枯れて寂しかった。 さまざまな文学者の碑が園内に建てられていた。心に残った一碑。 死をいとい 生をもおそれ 人間の ゆれ定まらぬ こころ知るのみ 吉野 秀雄引き返して入り口まで出た。ここから右に鎌倉アルプスに行くルートがある。低い山というより丘だが鎌倉が一望できる。数年前雪の日に軽アイゼンつけて歩いた記憶がある。さらに歩いて石段を登り杉本寺に行った。 鎌倉最古の寺である。本堂で十一面観音像を拝んだ。しかし堂内が薄暗くてあまり見えないのがとっても残念だった。外には鐘楼と五輪塔、無縁仏があった。 寺を訪ねるのはここで終わりにした。道路が大渋滞でバスも進めそうにもなかったので鎌倉駅まで歩いて出た。駅周辺は大混雑で人が溢れている。鳩サブレーを土産にしようと思っていたが、その行列を見て気が変わり電車に直行。寒牡丹に美術館に古刹めぐりととっても充実した鎌倉の一日だった。
2009年01月13日
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寒牡丹の次は鶴岡八幡宮境内にある神奈川県立近代美術館鎌倉と別館の二つを訪ねた。(画像は館外彫刻の一部を除きすべてHPより)まず別館。絵画は関合正明さんの個人展だった。この画家のことは全く知らなかった。館外には緑の芝生の庭にモダンな彫刻というかオブジェが点在していて、日の光がさんさんと降り注いでいる。その光る三角錘や円柱、楕円形などの作品は遠めにも「何だろう?」と興味を湧かせ、わくわくさせた。作品の配置もとてもバランスが良く、庭を有効に使っていた。すぐに近寄って観た。面白かった。オブジェが空間に軽快なリズムを作り出している。寛いでのんびりと楽しんだ。左から 渡辺豊重Swing86-01 多田美波 時空 井上玲子 かげぼうし 小田 襄 円柱の展開 番浦有璽 風 湯原 和夫 無題 眞板雅文 静思空間次に鎌倉本館を訪ねた。ここでは冬の所蔵品展を催していた。絵画は梅原龍三郎など著名な画家の作品が展示されていた。ここには岸田劉生の「麗子立像」やシャガールの作品が三点あるはずだが、今回は展示されてなくちょっと残念。膨大な近代絵画が展示されていた。特にこの案内ポスターになっている古賀春江「窓外の化粧」は大作で明るい色調、すっきりした構図でさわやかな印象を持った。シュールレアリズムの影響を受けていると解説にあり、そういわれてみればそうかと思ったが、ずいぶん堅実なシュールレアリズムだなとか妙な感想を抱いてしまった。ここも彫刻が素晴らしかった。と言うより絵画もすばらしいが私は彫刻作品に惹かれた。 イサム・ノグチ 「こけし」 松本竣介「立てる像」 アントニー・ゴームリー Insider 7 (池の中に立っている)一通り鑑賞したら昼過ぎになったので、ミュージアム内のカフェに入った。テラスに出ると右下に平家池が広がり、鶴岡八幡宮の境内が見渡せ、日の光がまるで私だけのためのように惜しみなく降り注いで最高だった。ランチを運んできた女性の一言 「すぐコーヒーをたてますね」。「コーヒーを淹れますね」じゃなくて「点てますね」なのだ。 さすが鎌倉、コーヒーもお茶を点てるように淹れてくれたのかな。とってもゆったりと優雅にドライカレーとコーヒーを味わった。 平家池からの近代美術館鎌倉 カフェ Le Musse日の光をたっぷり体にチャージして次は鎌倉歴史ウォークに出かけた。(つづく)
2009年01月12日
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今日は昨日とうって変わって温かく風も無いいい天気だった。予定どおり鎌倉を訪ねた。温かかったせいか、肩はあまり痛まなかった。まず鶴岡八幡宮を詣でた。段かずらの道の真正面に壮麗なお宮が見えている。大銀杏は葉を落として裸になって枝を伸ばしている。新年とあって初詣の人々がけっこう多かった。屋根の甍の裏側(何と呼ぶのだろう)が色彩、描かれている花模様、幾何学的な配置ととても美しかった。 大銀杏と鶴岡八幡宮 美しい幾何学的構成の甍の裏側境内の中にある神苑ぼたん庭園に行った。わら囲いや日傘の下で濃いピンク、白、斑入りの赤など大輪のぼたんの花が華やかに妍を競っていた。まだ1月で咲きそろうというまでには至らなかったが、けっこうな株が花を開かせていた。 君が代で歌われている「さざれ石」まだ真冬なのにこんなに華麗にぼたんが咲いているなんて本当に不思議である。ここには春に咲くぼたんもある。庭園を往復して入り口に戻って意外なものを発見した。君が代で歌われている「さざれ石」である。 ♪~さざれ石の巌となりて苔のむすまで~♪ このさざれ石もなかなか大きいが巌となって苔がむすまでとなると一体どれくらいの年月がかかるのだろう。花の少ないこの時期に豪華なぼたんの花を見て心が潤ったところで、美術館に行った。 (つづく)
2009年01月11日
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昨日の雨があがり、今日は朝から真っ青な空が広がった。しかし気温は低く北風がびゅーびゅー吹き荒れて身も心も寒かった。その天気のせいなのか何なのか、またしても肩がうずき、三連休の初日だというのに何もできなかった。コタツの中に首から下を入れて温かさを確保し、うとうとしたり、ぼんやりしたりしていた。「がまん、がまん。今はまだがまん。いつかきっとまた山に行けるようになるから」と言い聞かせる。でも心の虚しさはごまかしようがない。 希望に満ちていた頃でもなあ、どこか行けないか。家の中でじっとしていると気が滅入る。そうでなくても冬季うつ病になる体質なんだから日光を浴びないとだめだ。肩が痛くても行ける所はどこ?千葉県の低い山と鎌倉を思い出した。そうだ、鎌倉の寒牡丹を観に行こう。ここなら肩に負担がないし、街なんだから痛くなればカフェにでも入ってコーヒーでも飲んでくればよいではないか。そうだ、鎌倉行こう。
2009年01月10日
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今日は朝から冷たい雨が降り、昨日までとうって変わった寒い一日だった。図書館から借りてた鈴木 晶著「ニジンスキー神の道化」をやっと読んだ。資料を綿密に検証しながら、ニジンスキーの生涯と彼に関わる人々の様子、バレー界・精神医学界を中心とした時代の様子がきっちりとした構成で書かれていた。驚くべきニジンスキーの生涯であった。おそらく世界一有名な伝説のバレエ・ダンサー、類まれな跳躍力を持つロシアバレーの寵児、その生き様とバレエの激しさと悲惨な最後でほとんど伝説化している。彼が踊る姿を現実に見た人はいない。もちろん私も見たことはないのだが、写真でその姿を見て著しく惹きつけられた。鬼気迫る才能を感じた。素人目にも感じたその中性的雰囲気の原因についても納得できた。 過酷ないじめにあっていたバレー学校時代、ディアギレフとの濃密な関係、結婚生活、そして精神病を病む。精神病は今でいう統合失調症なのであるが、彼を診たり関わりあった人たちがブロイラー、ビンスヴァンガー、フロイト、アドラーなど精神分析や心理学で今でも必ず名前が出てくる超一流のドクターや心理学者ばかりだったのでこれも別の意味で驚きだった。でもその症状は素人の私が読んでもかなりひどく悲惨だった。何が彼をこうしたのか?あの妖艶なバレエの天才はどこへ行ったのか?しかしこの悲劇的生涯こそが彼を伝説のバレエダンサーにしたのだろう。久々に内容のある本を読んだ。
2009年01月09日
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今日も温かく穏やかな一日だった。年末に更新申請していたパスポートを取りにいった。申請は千葉市のセンシティタワーまで出かけたが、取りに行くのは自宅から近い船橋市のフェイスビルにした。 船橋フェイスビル 新しいパスポート空いていて5分もかからないうちに新しいパスポートをもらえた。3回目の更新である。経済力と体力があれば、これであと10年は海外で遊べる。しかし、体力にも経済力にも不安がいっぱい。でも心配ばかりしていてもいい人生は歩めない。無ければないなりに知恵と才覚を使うまでである。また、ドトールでコーヒーを楽しんで帰宅した。
2009年01月08日
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1月5日に棒の嶺にハイキングに出かけたことは一度載せた。平日で仕事始めでもあり、登山者には会わなかったが、心がほっかりするような村人との出会いに恵まれた。青梅線軍畑駅から朝の8時半ころ、一人でとぼとぼ歩いていたら手編みの毛糸の上着を着たおばあさんに出会った。75歳くらいか。「若い人はいいねえ、今日は天気もいいし、朝早くから山に登れて・・・・。」「いや、そう若くはないんですけど」「気をつけて行ってらっしゃい」「行ってきまーす」二俣尾5丁目自治会という掲示板が道の端に建てられていた。駅は軍畑でもここの住所は二俣尾なんだと知った。 二俣尾の自然のままの小川 山麓は暖かいのか二俣尾で見た蝋梅すっかり気分が明るくなり川岸に沿って歩いていく。すると前から制服を着た少年が歩いてき来て「おはようございます」と挨拶するではないか。一度も会ったことのない見ず知らずのおばさんの私に中学生が挨拶した!!。私は感動した。「おはよう、行ってらっしゃい」と言うと「行ってきまーす」と答えて去っていった。部活動にも出るのだろうか。さわやかさが余韻となってずっと残った。ますます気分がよくなって尚も坂道を登っていくと、夏みかん畑が広がっていて剪定ばさみを持ったおじさんがいる。年末に高水三山に登った時にも、この男性はここで作業をしていた記憶がある。「おはようございます。年末にも作業なさってましたね」「そうだねえ。ここはよく来るのかい」「ええ、時々」「天気もいいから今日は山もいいねえ。気をつけてな」歩くこと小一時間、高水山不動尊に着いた。背中に大きな籠を背負い長靴を履いたおじさんが境内に立っていた。「おはようございます。ここは立派なお不動さんですね」「そうだね。年末年始に電気を配線したんだが、もういいだろうと思って今日は電気を外しにきたところさ」そうか、このおじさんは初詣にここに来る人たちのために真っ暗じゃ危険だと思って、電気を設置してくれた人だったんだ。なんてえらい人だろう。縁の下の力持ちである。 おじさんが立っていた高水不動尊 龍神か?とても珍しい左の石像(境内の中で)人は人によってこんなにも癒される、私を癒すものは山と芸術だけではないということを改めて感じた一日だった。
2009年01月07日
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今日も暖かく風も無く穏やかなよい一日だった。クンダリニーヨガに入門して2回目のレッスンに吉祥寺まで出かけた。ハタ・ヨガを実習してきて、あるアーサナをとると眼前に紫色の円い輪のようなものが広がり耳の中や頭蓋骨の中で音が響いてくる。「これは一体なんだろう」という素朴な疑問を解決したくてクンダリニー・ヨガの門を叩いたのだった。自分の体の探求である。吉祥天女のような年齢不詳の美しい女性が講師である。山歩きの翌日で体のあちこちが硬く、動きがぎごちなかった。バンドハの指導があった。「バンドハ」これが知りたくて私はここに入門したのだ。目を皿のようにして聞き、見た。バンドハはジャランドハラ・バンドハ、ムーラ・バンドハ、 ウディヤーナ・バンドハの三種がある。ビシュダ、ムーラダーラ、スバディシュタナ、の三つのチャクラに対応して肛門、お腹、喉を硬く引き締め(閉め)、精神集中と止息することによって大きな効果が得られるという。 修行中のブッダ今日は吸った息を止息して行うムーラダーラとジャランドハラの二つのバンドハを教えてもらった。バンドハをする時の姿勢が理にかなっていた。先生の説明が丁寧でわかりやすく、非常におもしろい内容だった。明日から必ず実習してみよう。
2009年01月06日
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今日も穏やかで風もなく、午後はやや曇ったもののいい一日だった。棒の嶺(棒の折山)にハイキングに行った。いつもは青梅線川井駅から入るのだが今日は軍畑から高水山、岩茸石山・黒岳、ごんじり峠と縦走するルートにした。朝の冷たく澄んだ空気をいっぱい吸い、熊よけの鈴を小さく響かせながら一人歩いた。霜柱があちこちにできていたが低温のため固く立っていた。高水山、岩茸石山とピークを踏み、そこから黒山への急坂を膝にこないよう丁寧に下った。 結晶のような固い霜柱 岩茸石山から遠望する棒の嶺 距離が長く起伏に富んだ道だったが雑木林の中、登山者にも会わず鳥も鳴かず風も吹かず実に静かな思索の山旅になった。黒山の大きな木に珍しいものを発見した。平成20年 熊野修験 奉修行武蔵野国黒山入峯天下泰平如意祈○ 九月吉祥日 那智山斉岸渡寺 という字が読める。はるか那智の斉岸渡寺からここまで修験僧が修行に来たのだろうか。同じものを棒の嶺山頂でも見た。身が引き締まる気がした。 熊野修験のお札 棒の嶺直下の雪 黒山からごんじり峠を越えるとすぐに雪の林になった。ひと登りで棒の嶺山頂にでた。平らなカヤトの頂だった。地面には雪があったが、日の光が溢れ、誰もおらず、沈黙に満ちていた。私一人で山頂を独り占めした。カヤトのかなたに飯能市・入間市が果てしなく広がり、遠くには新宿の高層ビル、さらに武甲山をはじめとして奥武蔵の山々が青空にくっきりと姿を見せていた。嬉しかった。知人に出会った気持ちだった。 奥武蔵の山々 かなたに広がる飯能市・入間市 心ゆくまで陽光を体にチャージし、景色を楽しんで下山した。途中わさび田がたくさんあり時々白い花も咲いていた。上日向まで下ったがバスが全くなく川井駅まで歩いた。 陽光あふれ誰もいない山頂 わさび田アスファルトの道を歩くのは苦痛だったが、時たま出会う村人が「こんにちは」と言ってくれるのに慰められた。冬枯れの静かな山旅が終わった。
2009年01月05日
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今日も穏やかで暖かいいい一日だった。目黒の喜多能楽堂へ出かけた。能を見るのは2年ぶり、喜多能楽堂を訪れたのは10年ぶり位である。新年でどうしても翁と三番叟を見たくなり、電話でぎりぎり指定席がとれたのだった。今日の演目 翁(おきな) 粟谷 能夫 三番叟(さんばそう) 野村 万蔵 舟渡婿(ふなわたしむこ) シテ 野村 萬 アド 小笠原 匡 仕 舞 田村 キリ 出雲 康雅 能 葛城 (かつらぎ) 前シテ・後シテ 谷 大作 ワキ・山伏 森 常好忘れてしまっていた能の世界が広がっていた。簡素かつ美しい能舞台、果てしない沈黙、能管、小鼓、大鼓の凝縮した濃密な音楽、彫刻のような演者、豪華で大胆な装束、シンプルこの上ないステージ、何もかも好きなものばかりだった。まず翁、これはめったに観られない特別な演目で元旦の教育テレビでしか観たことがない。白い翁の面をつけて国家安泰・国土安穏を祈願する翁。白い能面の柔和な微笑が慈愛に満ちていた。あの微笑には悪いもの、穢れたもの、つらいこと、悲しいこと、なにもかも吸い込んでしまうような包容力があって見入ってしまった。 次の三番叟がとても素晴らしかった。黒い地色に鶴・亀・松・竹をちりばめた装束を身にまとい、田畑に種をまくような仕種が何度も繰り返されるのであるが、非常にリズミカルで音楽とぴったり息があい、すべての動作の形がぴたっと決まっていた。後半は黒色の面をつけるがこれが翁の白面と対照的でモダン、かっこよかった。 翁で使う面 三番叟でつかう面コミカルな狂言で寛ぎ、仕舞を観て、最後は能 葛城(かつらぎ)を観た。白い笠をかぶり白い装束の胸元に朱の中啓をさして登場する里女。その美しさ。日本美の典型だと思った。つけている面が知的でろうたけていて笠の下で陰影がついてもうぞくっとするほど美しかった。あの面は増女(ぞうおんな)か? 中啓(能で使う扇)後半の後シテ葛城明神は頭に宝冠をつけ、さび朱の半切、銀色とねずみ色の上衣と全体に渋い色調の装束だった。最後は序の舞でなく御幣のようなものを持って神楽を舞った。とてもゆったりした舞だがこういうゆったりした舞はなかなか難しいと思う。約3時間半のステージ、上質で優雅なものばかりをたくさん観て、とても贅沢な気持ちになり、日本の美を堪能した。
2009年01月04日
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久しぶりに刺激的な演奏家に出会った。バイオリンのジュリアン・ラクリンである。ピアノ伴奏イタマール・オランでサンサーンス作曲のロンドカプリッチオーソを聴いた。この曲は若い時からあこがれていて、学生オーケストラでバイオリンを弾いていた頃、いつかは弾けるようになりたいと楽譜を神棚に奉っていた思い出がある。でもこの曲が弾けるようになる日は永久に来なかった。 フランスの作曲家 サンサーンスさらにたくさんの曲を聴いているうちにこのロンドカプリッチオーソが超絶的技巧をほしいままにしてはいるが内容的にそう深いものではないと勝手に思い込み、その後自分からすすんでは聴かなくなっていた。しかしである。偶然にNHK教育テレビでこのラクリンの演奏を視聴していつになく刺激を受け心が高揚した。とても魅惑的な演奏だった。まず、その音色の多彩なこと!!単に美しいというような標準的な一言では表現できない音色である。柔らかく軽く深く甘く激しく芳醇、扇情的、官能的、驚いた!!。演奏も指や腕だけを使うのでなくバイオリンと一体になって全身で演奏している。その演奏スタイルのかっこよさ。クラシックの範疇を超えている。さらにピアノ伴奏のイタマール・オランとの息がピッタリで、お互いを伺いながら合わせて曲を創っていく間の取り方がもう嫉妬するほど絶妙であった。 ジュリアン・ラクリン(バイオリン) イタマール・オラン(ピアノ)一体どんな楽器を弾いているんだろうとちょっと調べてみたら、使用楽器は1741年製グァルネリ・デル・ジェズ「エクス・カロドゥス」ということである。納得した。ストラディバリウスは時々話題になるがグァルネリの音色は初めて聴いた。いやあ。凄い名器である。名器は名人の手によってしか本来の音色が出ないのは言うまでもないことである。
2009年01月03日
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2009年1月2日晴れ。かねてからの計画どうり初詣登山で筑波山へ出かけた。上の娘も連れていった。これはC社の「岩崎元郎さんと行く筑波山初詣」という企画で先日会ったGさんも参加して、モンブラン関係者3人の再会の山行だった。上野駅からバスで出発。真っ青な空が広がり富士山も筑波山もくっきりとそれぞれの姿を惜しみなく見せてくれた。関東平野を挟んで東西の名峰が呼応しあうようにそびえていて、とても気持ちが良かった。風もなく暖かで最高の初詣登山になった。 広がる関東平野の遠くに富士山をのぞむ10時頃つつじヶ丘から登山開始。弁慶七戻り、母の胎内くぐり、北斗石、大仏石など巨岩を見て女体山に到着。名物のがま石を見てさらに男体山へと登った。山頂からは関東一円が完璧に見渡せ、八郎潟が遠く光っていた。 弁慶七戻り 1年半ぶりに再会した岩崎さんと下山時に筑波山神社に詣でた。とても立派な神社だったので驚いた。たくさんの初詣客が列をつくって参拝を待っていた。わずかなお賽銭で娘の良縁と家族の健康さらに肩の回復まで祈願した。(虫がよすぎる!!) 境内では保存会の皆さんが名物がまの油売りのパフォーマンスを披露していた。ゆったりと山を歩き岩崎さん、Gさん、娘との交流を深めた楽しい一日だった。
2009年01月02日
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新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 旧年中はいつも励ましや応援を頂戴し、心より感謝申し上げます。本年は中毒になるまで熱中しすぎることのないよう、分別を持って行動しようと思っております。皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。
2009年01月01日
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