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1人でNZを15日間、旅をした。いつもの一人旅ならすぐグループの中に入って賑やかに過ごしていたのだが、今回は多少異なっていた。というのはミルフォードにしてもルートバーンにしても参加者はほとんどが恋人同士、新婚さん、再婚者同士の新婚さん、家族連れで独り者は私だけだった。そのため恋人同士が仲良く歩いている間や新婚さんの間に割り込むような無粋なことはできないし、みんなアツアツで入り込む余地は無かった。昼間はトレッキングだから一人旅を満喫できるが、夜が無聊をかこつことになる。夕食後を1人でどう過ごすか?幸運なことにどこのロッジにも小さなライブラリーがあった。ここで私はナイスな本を見つけた。以下の2冊でどちらも日本語で記されている。驚いたことにすべてのロッジにこの2冊は必ずあったのだ。言うなれば常設本だ。たくさんの日本人が見たのだろう。実物はけっこうくたくたになっていた。毎晩これをじっくり見て、読んで、植物の名前を頭に叩きこんだ。 翌日のトレッキングでいろいろな花や樹木の実物を見、また夜、復習した。1度や2度読んでもすぐ忘れるが毎晩見て日中に確認するとそこそこ名前が覚えられた。ガイドに聞いて確認もした。何より夜の手持ちぶさたを解消できたうえ、学習ができた。最後にハーミテージのショップで「NZ南アルプスの植物」を購入して日本に持ち帰った。約30NZドルで安くはないがいい記念になっている。次回はNZの植物紹介します。学習の成果をみせなくちゃ!!。
2013年01月31日
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久し振りに山友のエーデルワイズさんとハイキングに出かけた。丹沢山系の東端、相州アルプスと言われている低山の縦走である。ルートは本厚木から半原方面のバスで野外センター→高取山(705m)→宮が瀬越→仏果山(747m)→半原越→経石→経ヶ岳(633m)→華厳山(602m)→高取山(522m)→大厚木ゴルフ場という初めて行くルートだった。スタートの高取山と最後の高取山は同名だが全く別の山である。スタートの高取山はしばらくするとする雪道になり、山頂は雪で覆われていた。展望塔の上まで登ると雲一つない晴天でうっすら雪化粧した丹沢山系とブルーの宮が瀬湖が箱庭のように美しく見えた。 雪の高取山頂 展望塔で高取山から穏やかな稜線をたどると仏果山で、書道家が書いたような立派な山名標と小さなお地蔵さまがあり、こちらも雪があった。目の前には先日登ったばかりの丹沢山、蛭が岳、大山、表尾根などすばらしい山の眺めが広がっており、眼下には宮が瀬湖がまるで出島のように入り組んだ形をして水色に輝いていた。 丹沢と宮が瀬湖 仏果山頂 経石仏果山でランチにし、絶景を楽しみながら1時間ほど寛いだ。そこからは稜線が細くなり、雪や岩などもあり、多少慎重に歩いたが、日差しがたっぷり降り注ぎ、風はなく、本当に日だまりハイクだった。低山だが左右がスパッと切れ落ちた稜線は変化に富んで面白く、左右の景色が楽しめてすばらしかった。昔、弘法大師がお経を隠したという経石を過ぎ、経が岳に到着。ここからが本日の核心部。というのは通常のルートは半僧坊へ下山するのだが、今回は地図に道が載ってない華厳山、高取山を通って縦走を完成させようという計画なのである。ルートの説明書が木に打ち付けてあって参考になった。エーデルワイスさんと時間と地形を確認しながらピークをたどっていった。 多分地元の山岳関係者が手書きで作成されたのだろう、味のある標識が立っていた。説明によるとこの経が岳、華厳山、高取山を西山三山というらしい。西山保存会というものもあるようだ。地図に道が載ってない地元の山を愛する皆さんの気持ちを感じた。経が岳から下は雪も消え、しっかりした道があったので、何の不安もなかった。一日中温かく最高の友と最高のハイキングができた。
2013年01月30日
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クライミング復帰2回目で再び伊豆城ヶ崎に行った。朝、関東では雪がちらつき、新幹線も前原付近では雪のため徐行して20分程度遅れると放送していた。しかし伊豆の海岸はうららかな日差しが降り注いで温かかった。シーサイドへ懸垂下降した。大磯ロックの名探偵登場とハジノラインでアップしてサンセットエリアへ移動した。日差しを浴びて海の色が群青色に輝き、遠くには利島と大島の姿がシルエットでよく見えた。すぐに「海賊フック」(5.10b)に取り付いた。2回目なのでルートは一応頭に入っていたが、同じ場所でつまずく。核心のノッペラボウのフェースでわずかな凹みに右足を置き、立ち込んで左足を切ってクロスするのだが、どうしても右足に体重移動して立ち込む体勢が作れない。あれこれさまざまな方法をトライしたができない!!諦めてヌンチャクに掴まり、右壁に着地したが、ここでも精一杯つま先立ちしても1.5センチほど上のホールドに手が届かない。要するにリーチがなさ過ぎる!もうイヤ!!。私はどうしてこんなハンディの多いことをしてるの??音楽会か美術館に行ってた方がいいんじゃないの? ピーターパン 核心部 しばらく休んで再度トライ。異なるルートで昇ってみたがそれは泥臭くクライミングではないと思った。しかし曲がりなりにも2度トライするができた。午後、トムボーイ(5.10d)に取り付いた。ここは現場に行くと困難が浮かび上がってきて、下でみているより数段難しかった。ホールドがどこもかしこも遠い上、城ヶ崎特有の丸い形状で安心して体を預けられるホールドがない。中間部の難しいトラバースを悪戦苦闘の末、やっとクリアしたものの、次がもっと手強かった。足下にしっかりしたホールドがあるにも関わらず、腰の前辺りに岩が出ている、上のホールドには手が届かない状態で、そこに足を乗せると体が剥がれそうになる。何度もあれこれトライしたがどうにも解決法を見つけられない。手も足も出ないとはこのことだ。私にしては滅多にないことだが、心底から「悔しい!!」と思った。 悪戦苦闘の末、退散 トム・ボーイ 群青色の海のかなたに大島・利島諦めて下降。最後に人気ルート「風に吹かれて」の左クラックから上にトラバースするロングルートを楽しく昇り、悔しくすっきりしない気分を落ちつかせて終了したのだった。
2013年01月29日
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12月29日帰国の日になった。まず早朝のドメスティックでクライストチャーチからオークランドへ移動。荷物が直接成田まで届くと確認して一安心。入国の時にはこれができず、乗り継ぎ時間が少なくてストレスだった。当然のことだが日本人の乗客が多かった。クライストチャーチ空港前のオブジェ がライトアップされてブルーに輝き、綺麗だった。 クライストチャーチ空港前のオブジェ シダマークのNZ航空機NZランド航空機はどれもシダをシンボライズした模様が機体に描かれ、尾翼にはゼンマイ型の渦巻き・生命力の象徴・コルーがデザインされていて愛国心(?)に満ちている。定刻通り無事離陸してほっとした。空から見る陸地や湖はどこまでもクリーンでまだNZだった。 NZランド航空 カウンター 離陸 雲を映す湖そこから先は11時間のフライト、慣れていても狭い機内でけっこう辛い。アイポッドに入れてきたモーツアルトを聴き、日本語の映画を観た。「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」と「ツナグ」を観た。どちらともなかなか面白く旅の無聊を癒してくれた。出来る限りゆっくりと機内食を食べ、一口ずつワインを飲み、時間を稼いだ。窓の外の空模様が少しづつ変化してきた。 長い忍耐の時間が過ぎ、遂に窓の下に九十九里浜の弓のような海岸線が出現した。「ああ、日本だ」安堵の気持ちが広がった。遂にNZランド15日の一人旅が無事完結した。 九十九里浜の海岸線 成田空港
2013年01月28日
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12月28日、NZ旅の最後に日になった。昼過ぎの高速観光バスでマウントクック・ハーミテージホテルからクライストチャーチへ移動した。このルートでもあちこち見所があった。まずはおだやかなブルーの水をたたえるテカポ湖にそって風光明媚な小さな街を見ながらしばし走ると善良な羊飼いの教会(CHURCH OF THE GOOD SHEPHERD)という素朴な教会がある。 石造りでとっても小さくシンプルな教会で、中は薄暗い。祈祷の椅子の向こうはステンドクラスではない素通しの窓で美しい湖と十字架が見事にマッチしている。狭い堂内には教会らしくオルガンもあった。 テカポ湖と十字架 古いオルガンそこからほんのちょっと歩くと犬の銅像がある。これが忠実な羊飼いの犬なのだろう。 教会を見た後、バスは直走りに走り、休憩を入れながら午後4時過ぎにはクライストチャーチに到着した。クリスマスはとっくに終わっていたが街はまだまだクリスマスの装飾で小綺麗だった。明日は早朝のフライトなので空港のすぐ近くのホテルに宿泊した。ここでも時間があったので周辺をうろついた。ホテルの隣にペンギンマークがかわいいANTARCTIC CENTRE があった。アメリカ軍の南極方面の基地がここにあるそうで米軍の立派な施設やオレンジ色のヘリコプターもあった。 ANTARCTIC CENTER 外観 アメリカ軍の施設 時間が遅かったので入場は出来なかったのが残念、建物の周りから中をのぞくと皇太子御夫妻の大きな写真があった。 とても懐かしかった。皇太子御夫妻はこんな遠隔地を訪問されて親善を果たされていたのだ。雅子さまの表情がお疲れ気味でお気の毒に感じた。 皇太子御夫妻 クライストチャーチ空港その後は空港への道を踏査し、明日に備えた。
2013年01月27日
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2ヶ月振りに伊豆城ヶ崎海岸にクライミングに行った。さすがに伊豆でかなり温かく腰痛再発防止のため、日々慎重に行動している私には有り難かった。伊豆高原駅からちょっと歩き、崖を懸垂下降してシーサイド・ロックの海辺に降り立った。平日だったが岩場は若者中心のグループでそこそこの混雑だった。私はすごく間隔が空いているので先生の配慮でまず大磯ロックで「名探偵登場」(5.8)、「ハジノライン」(5.10a)で体にクライミングを思い出させ、ウオームアップした。何とかこなしたものの、指の力が無くなっていて、岩を掴む感覚が全く無かった。 賑わうサンセット・エリア 大磯ロック 名探偵登場その後、常連の熱心な皆さんのトライしているサンセット・エリアの方へ移動した。こちらのルートは海辺から崖の上まででかなり長く、「名探偵登場」の3倍は距離があるルートばかりだった。ここにトライするのは初めてだし、とても不安だったが、海賊フック(5.10b)に取り付く。未経験ルートということで先生が取り付きからルートの道筋を示して下さったのでそれに添って昇るがとても難しい。どこもかしこも難しい。握力も腕の筋力もかなり衰えているので指に力が入っている感覚がない。どうにかこなして中間地点まで到着。つるつるの壁を右トラバース、岩に精一杯短い足を伸ばして着地できたもののそれで両手両足はツンツン、どうしてもあと1センチ上のホールドに手が届かない。そのうち腕が疲れてくる。苦肉の策で植物の枝を掴み何とか切り抜けた。リーチが無いって何て非情なんだ!!終了点直下は水に濡れていて掴めるホールドが無くあと1,2手というところで四苦八苦。でもどうにか「海賊フック」をトップアウトして満足した。 海賊フック 前半 同 核心部その後はピーターパン(5.10b)にトライ、核心のつるっとした1枚岩をクリアするのが難しいと聞いていたが、そこに行くまでのラインをどうやっても突破できない。ホールドが丸っこく甘く、体重を預けられるホールドを見つけられず、適切なムーブを作れない。何度もトライしたができない。結局、無理は禁物と潔く撤退。悔しいがこれが2ヶ月振りクライミングの現実だ。最後に「人生楽ありゃ苦もあるさ」(5.8)という黄門様ルートを楽しく昇って終了した。久し振りに先生ご夫妻や気のあうクライミング仲間と再会してとても嬉しく、自分をさらけ出すことができてストレス発散できた。
2013年01月26日
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充実したアウトドアライフを満喫しているうちにハーミテージホテルも3日目・最終日になった。もう12月28日だった。午前中タスマン氷河探険に出かけた。今日も晴天で朝からマウント・クックもセフトンも惜しみなく完璧な容姿を見せてくれた。タスマン氷河はサザン・アルプス山脈からマッケンジー盆地に向かって南や東に流れる氷河の中で最大のものである。長さ29km、4kmもの幅があり、最大の深度は600mで全体がアオラキ/マウント・クック国立公園内にある。この氷河を見るタスマン渓谷4WD&ARGOツアーというアクティビティーに参加した。75NZドルで安くは無かったが二度と機会はないし、バスの出発までに十分な余裕があったからである。ホテル前からまず4駆車に乗って出発する。客は私と1カップルの3人のみ。屈強そうなドライバーが案内人である。日本語でタスマン氷河ツアーと書かれているのがいかにも日本人客が多いと告げている。 未舗装の道を砂埃をあげながらしばらく走ると荒野のような未開地に到着。そこからARGOというらしい8輪駆動車のような特別車に乗り換える。これが岩だらけのモレーンの道を走るのだ。外枠が無いので少し不安だったがドライバーを信じるしかない。 実際に乗るとものすごかった。前の席でドライバーの隣だったので道がよく見える。ホントに岩だらけで普通なら走れない荒野をスピードを出してガンガン飛ばす。右に左に体が振り子のように揺れてものすごい振動と埃。手すりを力一杯握りしめて振り飛ばされないようにしていた。しかし慣れるとジェットコースターのようでスリルがあり、楽しかった。遊園地の乗り物に乗っているようにキャーキャーと声を出してはしゃいでしまった。さすがドライバーは巧みで激しく運転しつつも要所要所でSPEEDを落として安全確保し、鳥がいる水辺ではゆっくり運転してくれた。そうこうして荒野のドライブに興奮している内にavalanch area まで到着。下車してジグザグの坂道を登ってモレーンの上に出た。眼前に灰色の湖が広がり、前方にはタスマン氷河の末端が見えた。 タスマン湖 タスマン氷河末端 はるかに氷河がうねるここが末端で砂のモレーンが覆っているが、この先ずっと何十キロも氷河が続いているのだ。周囲の山々もよく見えたが、風景は荒涼としていた。 氷河と鈍色の氷河湖、びょうびょうとした風景の先まで氷河が埋まっている 水辺では鴨が遊んでいた 自生するマーガレット岩だらけででこぼこの道の両サイドは大きなスパニアードがたくさん聳えるように咲き、マーガレットの大群落だった。スリル満点のドライブと氷河を観てアオラキ・マウントクックナショナルパークの3日間が終了した。
2013年01月25日
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10年前ハーミテージホテルに滞在する客の8割は日本人だったと言う。最近は厳しい経済状況を反映してか減少しているらしいが、それでもかなりの日本人に出会った。ほとんど団体でNZ縦断10日間というような駆け足ツアーだった。食堂の従業員にもハイキングのガイドにも日本人が働いていた。 ハーミテージホテルメイン棟 シンプルで格調高いレセプションこのホテルの売りはどの部屋からもマウントクックが見えるということだ。看板に偽りなしで見事なマウントクックを3日間居ながらにして見ることができた。マウントクックははにかみ屋で姿を見せないことのほうが多いらしいので、これはラッキー中のラッキーだ。 マウントクック自分の部屋もパブリックスペースもこの上なく清潔でクリーン、人が生活している場に滲み出すいささかの汚れも無かった。水回りは完璧な真っ白だった。 寛ぐ人々 自分の部屋の洗面所 トイレ食堂はカジュアルなカフェスタイルのものとディナー用と二つに別れ、ラウンジは全く無駄が無くシンプルながらも洗煉されていた。1日目のディナーをビュッフェにしたら、ものすごい品数の料理が並んでいて仰天した。肉類、魚類、乳製品など和洋中華のゴージャスな料理、お寿司に刺身、誘惑を振り払えないおいしそうなスィーツ、色とりどりのサラダ、これらを見て私は陥落した。写真を撮ることも忘れて食べていた。 ピアノもあるロビーさらにシアターとヒラリーミュージアムが付属していた。プラネタリウムと3Dの映像が観られる。マウントクックの自然を3Dで観たがすばらしい作品だった。プラネタリウムの作品もブラックホールとか科学的探求心をくすぐる内容の濃いもので何より映像美が卓越して、充分満足できた。ホテルから少し離れた場所にマウントクック村という小さな集落もあるのだが、通常の村人が住んで居るわけではなく、ここで働く従業員のための宿舎が村になっているとのことだった。ホテルだけでなくシャレーなど様々な施設がハーミテージ傘下の経営でなされている。ハーミテージがマウントクックの登山や観光の発展に果たしてきた大きな役割を考えれば当然なのだろう。三日間このホテルに滞在し、ガイドとハイキングに行き、シアターでプラネタや映画を観、近くのビジターセンターで学習し、ヒラリーミュージアムで彼について知り、最大にホテルを活用した。
2013年01月24日
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ハーミテージホテルの中にエドモンド・ヒラリー博物館が付属している。ヒラリーはNZオークランド出身の人で、言うまでもなく1953年世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに世界で最初に登頂に成功した。このホテルにも毎年訪れていたらしい。彼の登山や持ち物など様々な資料が展示されていた。 ヒラリー博物館入り口 曲線の美しいクラシックカー彼はホテル前に銅像で立っている。190センチの長身だった。私の小ささが際だっている。またNZドルの5ドル紙幣にその姿が印刷されていたので、2枚ほど使用しないで記念に持って帰った。 博物館の次は少し歩いてアオラキ・マウントクック・ビジターセンターを訪ねた。マウント・クックや登山の変遷、先住民族マオリ族などについての資料が沢山あった。館内はガラス張りで明るく気軽に自由に見学できてよかった。自然にある草や木を利用してつくった衣類を着たマオリ族の姿も大変興味深かったが、昔の登山スタイルを観ると、とても優雅な服装で登山は裕福な貴族階級の遊びであったことを実感させられた。 マオリ族の服装 スーツにスカートスタイルで登山マオリ族の独得のデザインがあってとても惹きつけられた。それぞれに意味をもつのだろうが、呪術的要素と原初的なパワーを強く感じた。 表 裏
2013年01月23日
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葵、キャリアウーマンなの 誰が思いついたのだろう、めがねをかけさせてみたらこれがあまりににぴったりで大傑作!!こましゃくれて可愛くおかしく大笑いしてしまった。ウワッハッハハハ(笑い)久し振りに孫と会った。めざましく成長して公園を自分1人ですたすたと歩く。子どもの成長は何て速いんだ。こちらは老いていくだけなのに・・・・・。 部下に指示してるのよ 大丈夫、1人で歩けるんだから
2013年01月22日
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フッカー谷ハイキングから戻ってまだ時間があったので、すぐケアポイント方面のウォーキングに出発した。このルートはフッカー谷と同じ入り口からスタートするが途中で左手にルートを取る。そのため正面とは異なる形の男性的かつ孤高のマウント・クック(3,754m)がくっきりと見えて心騒いだ。 くっきりと屹立するマウント・クック今度はマウント・セフトンが正面に見えてフッカー谷から見るよりはるかに雄大に広がる。ピークから峰々を連ねた端がフットスツール(足置き場)と呼ばれるポイントで山を足に例えるのが面白い。マウント・クックとマウント・セフトンの位置と山容の関係は北アルプスの槍ヶ岳と穂高連峰に似ている。マウント・セフトンに近づいていくとミューラー氷河の細部が手に取るようにみえて迫力たっぷりだった。 雄大に広がるマウント・セフトン 青く光る氷河がせり出しているさらに低潅木を掻き分けて近づくとミューラー氷河の末端で砂状のモレーンが楯のように連なり、ブルーの底が見えた。ここまで来る人はほんの少しだったが、外国の女の子が両親と一緒に来ていてとてもキュートだった。 ミューラー氷河のモレーンが城砦のように立つ 氷河湖の底 可愛い少女と ジキタリスの自生する川原陽がいつまでも明るいのでゆったりとトレイルを歩き、時間とともに変貌するマウント・クックとマウント・セフトンの景色を目一杯愉しむことができた。ジキタリスやおだまきが自生する明るい河原を自由気ままに探索し逍遥してホテルに帰った。ハイキング2回戦でさすがに疲れたが、10時頃まで明るいので寝付けず、ホテルの窓からずっと夜のマウント・クックを見続けていた。マオリ語でアオラキと呼ばれるマウント・クックの登頂は大変難しい。標高は富士山と同じくらいだが、氷壁の連続でアイスクライミングで7時間から8時間と聞いたことがある。さらに気象が不安定で登頂率は20%だとも読んだ。半端じゃない。いつかチャレンジする日が巡ってくるだろうか。
2013年01月21日
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ハーミテージホテル到着の翌日12月27日はフッカー谷のハイキングに出かけた。ハイキングそのものはたいした急坂があるわけではなく、のんびり歩ける気楽なルートで、ここも見所満載だった。若い日本人女性ガイドの案内で福岡から来た女性2人と愉快な時間を過ごした。ホテルから案内板に沿ってフッカーバレー方面にルートをとる。しばらく歩くとルピナスの大群落に目を奪われる。ルピナス、ルピナス、ルピナス・・・・。紫、ピンク、青と紫色系統のグラデーションで華麗である。あたり一面を覆い尽くしている。興奮した。 さらに少し歩くと女性のマウントクック初登者フレダさんが (Freda du Fau)が1910年に記念撮影した大石がある。元祖山ガールでスカートを穿き、優雅さが漂う。みんなで同じポーズをとって遊んだ。 そこからは谷らしくなり、第一吊り橋、第二吊り橋が登場。小高い丘にはアルパインメモリアルという三角形の塔が建てられている。裏側にはここで遭難した人の名前が記されているプレートがたくさん貼ってあった。これも抽選だそうで遭難したからといって全員の名前がここに貼ってもらえる訳ではないらしい。 アルパインメモリアル 遭難者のプレート肝心のアオラキ・マウントクックは朝から厚い雲の中でなかなか姿をみせなかったが次第に雲が上がって見えてきた。なかなかドラマティックな変容だった。隣のマウントセフトンの氷河が大迫力で迫って見えた。 雲の中のマウント・クック途中に素朴な避難小屋があり、中はたくさんの落書き。日本語も多かった。傍らには景観に溶け込む可愛いトイレもあった。 避難小屋から尚も上流に向かって歩き、最後にフッカー氷河の末端に到着した。氷河の断面がブルーに切り立ち、それから狭い谷にモレーンの積もったフッカー氷河が延々と続いている。フッカー湖はグレイシャーブルー、ヒマラヤのドートコシと同じミルク色にくすんでいる。 フッカー氷河末端 フッカー湖 ここでランチになった。ガイドがコーヒーを炒れてくれて嬉しかった。もう昼過ぎだった。この頃になると雲は上がりマウントクックが完璧な姿で天を突いていた。めったに見えないのに何という僥倖とみんなで幸福感に浸った。 完璧なマウント・クック帰りもゆっくり景色を楽しみながらホテルに戻った。まだ2時半頃だったのですぐ次のハイキングに1人で出かけた。 ルピナスの向こうにマウント・セフトン
2013年01月20日
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12月26日、年の瀬も迫っていたが私はまだ遊んでいた。朝7時50分クイーンズタウン発マウントクック行きの高速観光バスに乗った。完全予約制でドライバーは現地人、車掌兼ガイドが日本人女性で日本語が通じるので気楽だった。とても親切で道中いろいろな案内をしてくれた。マウントクックまで半日だったが、道中興味をひく場所がいろいろあって飽きなかった。 グレイトサイト車の高速観光バスに乗って プルシャンブルーの湖その一つがメリノ羊に関するものである。NZはメリノ羊の毛だけを使用したメリノウール製品アイスブレーカーの産地である。私は6年ほど前からアンダーウエアにはアイスブレーカーを熱愛している。これまで訪ねた世界の山々にはいつもアイスブレーカーを着ていた。冷えない、暑くない、蒸れない、匂わない、へたらないと絶大な信頼を置いている。弱点は高価だということかな。でも一度買うと酷使しても5年は大丈夫なのでコスト的に高価ではないことになる。この日は住民200人とか1000人とかのとても素樸な村々を通過したが、その中にメリノ羊が飼われている地方があった。特に脱走して6年間も毛を刈らなかった羊シュレックは世界的に有名になっていて、銅像やカフェまであった。 大きなメリノ羊の像 メリノカフェ シュレックの毛刈りカフェの中はシュレックに関する絵本や羊柄のTシャツ、羊毛の靴擦れ防止材などのグッズに溢れていた。メリノ羊のおかげで盛大な村興しが出来たという感じがした。 バスは順調に前進し、昼過ぎには今夜の宿ハーミテージホテルに到着した。噂に聞く世界的に有名なリゾートホテルだ。自然の景観を損ねないよう配慮した渋い色だったが、けっこう周囲を威嚇する観は否めなかった。
2013年01月19日
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ゴールデン・グローブ賞3部門受賞で話題の「レ・ミゼラブル」を観てきた。文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説を基に、世界各国でロングラン上演されてきたミュージカルを映画化したもので、筋書きは貧しさからパンを盗み19年も投獄された男ジャン・バルジャンの波乱に満ちた生涯を描いている。ヒュー・ジャックマンのジャン・バルジャンや彼を追う警官にラッセル・クロウ、薄幸の女性ファンティーヌにアン・ハサウェイ、コゼットにアマンダ・セイフライドらのキャスティングが容貌と演技力・歌唱力のすべてにおいてぴったりだった。 文句をいわせない圧倒的仕上がりだった。私はジャンバルジャンを執拗に追い続けるジャヴェールを見るのが辛く、ストレスを感じつつみていたが、そのうち、革命騒動や恋愛模様の方に話が展開して、とても変化に富んでいた。神への信仰は人をどう変えるか、罪はいつまで償わねばならないのか、愛とは何かと様々なことを考えさせられた。更に深読みしてこれは本当はキリスト教布教映画か?とも思えたし、罪を糾弾し続ける法的映画にも、フランス革命後の民衆運動にも見えた。しかし恐るべきなのはそれらの多面的要素を巧みに配合し、有無を言わせぬ作品していることだ。ベジャールの葛藤に満ちた人生と悲劇的末路に作者の人間に対する深い洞察を感じて共感できた。ソロで歌う人達の歌唱力が素晴らしかったのは勿論だが、各人物が自分の心境を歌い、それが絡み合って一つの曲になっていて、オペラの場面を見るようだった。アン・ハサウエイやアマンダ・セイフライドの声がとっても美しかった。更にサマンサ・バークスが演じるエポニーヌの演技力・歌唱力は抜群でコゼットをさしおいて目を惹きつけていた。初めて見る俳優だったがすごい。昨年最後に観た映画は「スカイフォール」、今年最初にみたのは「レ・ミゼラブル」と良質な作品が最後と最初に連続して何だかさい先がいい。
2013年01月18日
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12月25日はもうルートバーントラック最終日だった。今日のルートはルートバーンフラット→ロードエンドまで9キロだった。朝、ルートバーン滝を再度見て見納めにし、ロッジからどんどん坂を下った。この頃になるともう私は完全に1人行動が定着していたが、今日はガイドと一緒に歩いた。3人のガイドはそれぞれの先頭、中間、最後と分担が決まっていてがっちりした男性ガイドが本日の先頭だった。 一端坂を下りきってしまうと平野部になり、穏やかなトレイルや長い吊り橋を渡り、樹木や苔やルートバーン川の真っ青な流れを愛でながら歩いた。反対側方向からトレッカーがみんな「メリークリスマス」と声をかけてくるのが嬉しかった。 途中の川べりで休憩となり、石投げなど川遊びに興じた。ここでも何人かの皆さんは水着になって泳いでいた。山に昇るのに水着を持参する・・この感覚は日本人には無いものだ。とても気持ちがいいから泳ごうと誘われ、泳ぎたかったものの何しろ水着を持参していない!! 水遊びに興じた後は快適なトレイルをもうこれで終わりという感慨に浸りながら歩いた。渓流がことのほか美しかった。トレイルにはブナの小さな落ち葉がたまっていてシックな色合いになっており、その上を踏んで歩くのがとっても幸せだった。そしてついにロードエンドに到着。トレッキング終了である。今日もまた一番の到着でスタッフが飲み物を持って迎えてくれた。 ブナの落ち葉がたまりしっとりしたトレイル ついにロードエンド帰路の途中、グルノーキーという街で完歩証の授与式とちょっとした打ち上げ兼さよならミニパーティが行われた。1人1人名前を呼ばれ、完歩証をもらった。みんなでサンドイッチをうまみながらお互いの労をねぎらった。楽しいひとときはすぐ終わり、それぞれの帰途についた。 グルノーキーから再び大型バスに乗ってクイーンズタウンへ戻った。クイーンズタウンは夏そのものの天気で酷く暑かった。久し振りにブルーピークホテルに戻り、1人になってほっとした。ミルフォードとルートバーンの旅は完了した。明日からのマウントクックに向けて荷物を整理し、高速バス停を確認し、早く眠った。
2013年01月17日
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再びNZの報告に戻ります。12月24日ルートバーンの2日目はクリスマスイブだった。ルートはマッケンジーロッジ→オーシャンピークコーナー→ハリスサドル→コニカルヒル→ルートバーン滝ロッジで11キロ+アルファ(コニカルヒル往復)である。この日も晴天で実に素晴らしい景観が満喫できた。 朝、ロッジ前のマッケンジー湖を散策した。透明度がものすごく高く前方の山が完璧な姿で逆さに映っていて驚嘆した。鏡のよう湖とはこのことだ。ガイドのカレンは赤いサンタの頭巾を一日中かぶってクリスマスイブの雰囲気を演出してくれた。朝はかなり冷え込んでいたので各自防寒着やフリースを着て、記念撮影した。 ちゃっかり真ん中にいる私マッケンジー湖からはすぐ登りになり、ぐんぐん高度を稼いでオーシャンピークコーナーへ着いた。反対側には雪を抱くダーラン山脈がのびのびと広がっていた。 一休みした後は起伏の激しいポリフォードフェイスを明るく輝く太陽を浴びながらひたすら歩き、ハリスサドルに到着。ここでランチ。小屋の右手にジグザグの坂道が見え、これがコニカルヒルへの道だった。マウントクックリリーやNZ独特の様々なデイジーが咲き乱れる谷を小1時間ほど登るとコニカルヒルに着いた。谷の向こう側に350度の絶景が広がっていた。しかしどの山を見ても綺麗だけど明確な特徴がなくてどれもこれも同じように見えてしまった。 サンタ姿のカレンと写真を撮ったり、飛び跳ねたりして、みんなではしゃいで過ごした。 全員でバンザイジャンプ!!コニカルヒルからハリスサドルへの下山は一部雪渓もあったりして楽しめた。再びトレイルに戻り、ハリス湖の横を巡りながら歩いた。とにかく湖の色が美しく何度も見とれて立ち止まっていた。いつの間にか「♪ 森と湖にかこまれて~静かに眠るブルーシャトー♪ 」などといにしえの歌を口ずさんでいた。 ハリス湖その後は暑い日差しの中をルートバーン渓谷を黙々と登り、最後に一下りするとルートバーン滝とロッジに到着した。けっこう歩き応えがあった。 この滝は上下何段にも別れて落差と幅があり、水量も豊富で目を見張った。NZは何て滝の王国なんだ!! ルートバーン滝 上部 々 下部
2013年01月16日
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翌1月13日、朝はけっこう寒くて冷え込んだ。私の体は正直ですぐ腰が重くなり、じわぁと鈍痛に襲われた。木々の隙間から真っ赤に凝縮した太陽が昇った。エネルギーの塊だった。 陽が昇る小屋前の広場から朝の富士山が鮮やかな輪郭を見せてくっきりと聳えていた。実に見事でかっこよかった。富士山は何度見てもいつ見ても心が洗われる。 7時出発。ルートを宮が瀬方面に取り、冬枯れのブナ林を瀬戸沢の頭、太礼の頭、円山木の頭、無名の頭、本間の頭と頭がつく丹沢三峰を上り下りした。いずれのピークも1300m台でぽこぽこと出た小さな頭のような山塊が稜線を形成している。ここも日陰は凍っていたため、ストックを使い慎重に下る。南面は陽が当たっていて早春のような日差しの中、温かく快適な縦走ができた。「気持ちがいいね!」と何度も言い合って歩いた、他には2人程度の登山者にしか出会わなかった。昨夜の多数の登山者はほとんど蛭が岳方面に行ったのだろう。 本間の頭 はるか下に見える宮が瀬湖とやまびこ大橋のんびり歩いたが通常よりは随分早く下山してしまい、本厚木のカフェでゆきちゃんとコーヒーを飲んで寛いだ。2年ぶりの親睦山行が終わった。
2013年01月15日
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1月12日急遽丹沢に登ることになった。昨秋マナスル登頂に成功したアコンカグア3Yの1人ゆきちゃんから丹沢三峰のお誘いを受けたのだ。即座にOKして出かけた。やびつ峠から表尾根を登るつもりだったのに、路面凍結でバスが蓑毛までしか入らないという。仕方なくまた小田急に乗り換えて大倉尾根を登った。途中で雄大な富士山が見え、歓声をあげた。笠雲がかかる珍しい姿だった。 いつ登ってもこの大倉尾根は単純極まりない。一直線に続く木の階段を延々と登って塔の岳(1491m)に到着。尊仏山荘でコーヒーを飲んで寛ぎ、稜線に出て丹沢山に向かう。ゆきちゃんは私より16歳も若いけど同じような高所登山をしているので話が直に合うし、キャリアウーマンで職業意識や生活感覚も共通する部分が多いので話していて飽きない。心を開いて登山意外の私的な話もいろいろできた。途中で立派な鹿がゆうゆうと座しているのに出会った。鹿害防止のため、あちこちに金網がはってある。晴天で稜線は明確、丹沢山(1567m)も蛭が岳(1573m)もはっきり見えて爽快だった。 塔の岳からの稜線は日陰に雪があり、凍っていたので慎重に下ったが、ほとんどは乾いた土の道でこの時期とは思えないのどかさだった。富士山の眺望を愉しんでいるうちにソーラー発電施設が見えてきて今夜の宿みやま山荘に到着した。 立派なソーラー発電施設が並ぶみやま山荘 蛭が岳に続くおだやかな稜線みやま山荘は小さく可愛い山小屋で三連休とあって登山者で一杯だった。久し振りに休日の山小屋に宿泊し、喧噪を味わった。でも1人にふとん1枚もらえ、毛布がふかふかで温かかったし窓から街の灯がはっきり見え、きらきら輝いて美しかった。夕食は焼き肉だったがタンパク質量が不足気味。また、この小屋は図書が充実していて立派な写真集や山岳関係の本がたくさん揃っていた。白川義員さんの「世界百名山」や川喜多三郎さんたちのネパールの鳥葬に関する調査資料や写真があり真面目に読んで山小屋の夜を過ごした。 みやま山荘 夕食のメニュー
2013年01月14日
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テアナウで1日寛いだ翌12月23日次のコースルートバーンルートにスタートした。第一日目の今日はまずクイーンズタウンからバスで来た3人のガイドや参加者とモーニングティーを頂きながらミーティング。総勢16名で、ミルフォードの26名よりはるかに少人数だった。日本人は私1人、ほとんどの皆さんが夫婦、恋人、家族連れで1人の私はかなり場違いだった。ルートはバスで登山基地のデバイド峠に入り→キーサミット→ハウデンハット→イアーランド滝→オーチャード→マッケンジー湖ロッジまでで12キロ+アルファ(キーサミットへの往復)である。 お揃いの赤いユニフォームを着た3人のガイド ルートバーン入り口デバイド峠デバイド峠からはシルバービーチ(銀ブナ)や頭巾ランが生える素晴らしい道だった。この辺りの年間雨量は5000ミリを超え、湿気を好むコケ類、シダ類の宝庫になっている。特にゴブリンモスが垂れ下がっている深い森は異次元の世界に迷い混んだような幻想的な風景だった。小1時間登るとキーサミットへの分岐点になり、ザックを置いてキーサミットへ登った。キーサミットからは360度の展望が開け、素晴らしかった。 キーサミットキーサミットから分岐点へ戻り、更に下るとハウデンハットに到着、ランチになった。ここは森の中にハウデン湖がブルーの水をたたえ天上の楽園のような美しい場所だった。水着姿の女性が居たのには驚いた。 山中の湖で美女が水着姿で 本日のランチ ゴブリンモスのかかったシルバービーチに見とれた 無数の苔・シダ類を育むブナの古木 落差80mのイヤーランド滝結局のところ、私は1人で歩いた。みんなとても仲良いカップルばっかりだったのでそこに入り込む余地は全くなかった。ルートバーントラックはミルフォードとはかなり趣が異なっていて上り下りがかなりある。トレッキングというより登山に近い。風景を楽しみながらも真面目に歩いてイヤーランド滝に来た。この滝はものすごい。見上げる山頂から一気に落下してくる。水しぶきがかかる。真っ青な空から真っ白な滝が落ちてくる。何とも素晴らしい景観だった。更に歩いてオーチャードを過ぎると行く手に万年雪を抱いた美しい山が大きく見えてきて嬉しかった。 その後は急坂を下り、銀ブナの森を歩いてマッケンジーロッジに到着した。一番乗りだったが、そんなことはここでは自慢にならない。早く歩くのはもったいないトレイルなのだから。他の人たちは道中を愉しみながらゆったりと到着した。ここでは昼が随分長く夕暮れはなかなか訪れない。ロッジの反対側の山々がバラ色に染まり夕暮れらしくなったのは夜も10時頃だった。カーテンをしっかり閉めて眠った。 やさしい色合いに染まる夕暮れ時の空
2013年01月13日
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ミルフォードトラックのトレッキングが終了し、次のルートバーンに出発するためテアナウというトレッキング基地の街に1日滞在した。この街はテアナウ湖に沿った花と樹に溢れる素敵な街だった。街全体を一回りしても1時間もかからない小さな街で南米のカラファテを思い出させた。 青い体に赤いくちばしPUKEKOの大きな像 日本の八重桜が咲いていた宿泊したホテル・ディスティンクションラックスモアにはツアーで来た日本人、中国人、韓国人が多かった。夏なので街には色とりどりの花が咲き乱れ、公園には大木が緑豊かに繁っていた。バラの咲き誇る公園を散歩した後フィヨルドランドの自然をヘリコプターから空撮したドキュメンタリーを観たかったので映画館に入った。(どこまで行っても映画好き!!) 街の中にはいろいろな物があって珍しかった。 日本の歌舞伎風の絵が描かれたバン 男女の愛らしいオブジェ今回のホテルは食事無しだったので街の中のカフェに入ってランチにした。夕食はスーパーでおいしいサンドイッチを買って食べた。NZで肥らずに帰れたのはこの食事無しのホテルのお陰だ。ホテルでコース料理を提供されると歯止めのきかない私は結局デザートまで食べてしまい、過食になり、その結果は当然体重増!。カナダでそうだった。その轍は踏むまいと決心していた。 街中のカフェで気楽なランチ
2013年01月12日
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再びニュージーランドの旅に戻ります。ミルフォードトラック53.2キロ(33.3マイル)を完歩した夜、マイターピークロッジで完歩証の授与式兼打ち上げパーティが催された。1人1人名前が呼ばれてガイドから素敵な写真が添付された完歩証が渡された。 ガイドとハグする私 それにしても小ささが目立つ お世話になった皆さんと次の日はこのルート最終日でミルフォードサウンドのクルージングだった。船に乗って湾の中をクルージングしたのだが、何しろ滝が次々と登場する。船は滝のすぐ近くまで寄ってくれるがしぶきがかかって全身水浸しになる。でもこの滝のしぶきを浴びると10歳若返りますというアナウンスを聞き、女性陣はみんなしぶきを浴びにいっておおはしゃぎした。 滝が次々と登場して飽きない ヨルダンから来たご夫婦と 滝に近寄る船 10歳若返る滝のしぶき途中にはアシカが現れて 愛嬌のある肢体を見せてくれた。湾はおだやかで半日の船旅を心ゆくまで楽しみ、同行の皆さんとの友好を深め、別れを惜しんだのだった。 この後、皆さんと別れて私だけテアナウへバス移動した。
2013年01月11日
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翌1月8日は峰の松目沢のアイスクライミングに出かけた。鉱泉からかなり下って二つ目の橋を過ぎた辺りから沢に入って雪坂をしばらく登ると取り付き地点に着く。土日に人が入っているので明確なトレースがあり、迷うことは全くない。小さく可愛い氷瀑が連続して出てくる。素晴らしい晴天に恵まれ、コンディションは最高だった。 小さな氷瀑が連続する松の目沢 核心部 F8氷瀑を1個登攀しては少し雪坂を登って次の氷瀑をクライミングするという形で次々と滝を登った。F8が核心で多少バーチカルだったが、何しろ短いので苦労は無く、楽しめた。 登るにつれて反対側に阿弥陀岳や中岳がぐんぐん大きく見え、南八つの名峰が圧倒的存在で迫ってきた。山にいる喜びをしみじみと感じた。 F9で終了点になりF8まで懸垂下降して、一休み。行動食を食べ飲み物を飲んだら、すぐ下降開始。小さな氷瀑とはいえ滝なので懸垂下降を4回、ロワーダウンを2回ほどして取り付き地点まで戻り、あとは鉱泉までの登り返しだった。道の両サイドのガラス細工のような繊細な霧氷を心ゆくまで味わった。
2013年01月10日
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1月7日八ヶ岳にアイスクライミングに出かけた。電車も沢も赤岳鉱泉もすべてガラ空きで平日の恩恵を預かった。好天に恵まれ、八ヶ岳連峰はどこも青空に美しく白銀の峰を尖らせ、名物の人工氷瀑アイスキャンデーもピカピカに輝いていた。 大同心と八ヶ岳 赤岳山荘前から雪道を1時間ほど登って堰堤、更に雪で埋まった北沢沿いに1時間ほど登って赤岳鉱泉に到着した。木々に雪が積もり霧氷になって、とっても綺麗だった。 雪と氷の芸術 赤岳鉱泉 アイスキャンデー じょうご沢 F2初日の今日は鉱泉から少し登ったじょうご沢で軽く練習した。1年ぶりで何もかも忘れていたし、腰痛明けで体も硬くアルツクライマーぶりを発揮したが、やさしい氷瀑なので思い出しながら練習したのだった。マイアックスの使い始めになった。
2013年01月09日
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冬期のスポーツにアイスクライミングがある。私は上手ではないが、結構好きで毎年氷瀑登りに何度か出かけている。このスポーツは特別なギアが要る。マストアイテムはアイスアックス1対と専用のクランポンである。クランポンは自分の足のサイズの物が必要なのでレンタルではちょっと不安に思い、最初からM10を買った。しかし堅実な(!?)私はアックスはずっとレンタルでまかなってきた。というのはアイスアックスは両手分1対必要で高価な上、シーズンが短いのでちょっとしか使うチャンスがないからだ。でも、何年もレンタルのアックスでは恥ずかしいような気がしてきた上、力の無い私でも何とか使いこなせそうな軽い新製品が昨年登場している。意を決してニュージーに出発する直前、遂に買った。登山用品店で使い方や改造法のレクチャーを受け、有能な研ぎ師に刃先を研いでもらった。外遊中に宅配便で届いていた。ピカピカの刃先は殺傷力があるので、持ち運びは細心の配慮を要する。 ぺツルシャルレ クォーク ブラックダイヤモンド スピナーリーシュこのアックスを氷瀑で落としてしまうと万事休すなので落とし止めも買った。これでギアは万全。しかしここ1ヶ月以上腰痛で運動は全くしてないので腕はなまくら、足も萎えている。さあ、今年のアイスクライミングはどうなることやらと懸念しつつ、出かける。
2013年01月08日
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12月20日ミルフォードトラックの4日目、クインティンロッジからマイターピークロッジまで21キロのロングトレイルを歩く。クインティンロッジ→ダンプリングハット→ボートシェッド→マッカイ滝→ジャイアントゲート→サンドフライポイントと言う長いが見所満載のトレイルであった。 サザーランド滝の一部クインティンロッジの近くに有名なサザーランド滝がある。ところが最近の山の崩壊によってトレイルが無くなり、そこには半年ほど近寄れないという。とても残念だったが、自然には勝てない。滝の途中からを遠望した。それにしても滝の宝庫だ。 今日のトレイルはほぼ平坦で上り下りは少ない。巨大なシダ類と古木が森を覆いつくしてうっそうとしている。深山幽谷の雰囲気だった。 苔むしたブナの古木 マッケイ滝ルートは一方通行なので前後に人が居なければ反対側からは誰もこない。ひたすら1人歩きを満喫した。途中でマッケイ滝というとっても美しい滝があった。ニュージーランドの観光用の写真にはいつもこの滝が使われているという。段差がついた滝壺から流れ落ちてくる水しぶきがさわやかで優美な形になっているのが貴重である。滝だけでなく山々も美しかった。山と谷が絶妙なバランスで曲線を描いているのだった。 ランチを済ませ、相当歩いたところでジャイアント滝が登場。吊り橋の向こう側から轟音とともに大迫力で迫ってくる。水しぶきがもろにかかってきて寒い。あまりのすごさにしばし立ち尽くしてしまった。滝から流れでる水は透明度が非常に高く、川底が何もかも見えるほどだった。 男性的なジャイアント滝 透明度の高い流れ更にトレイルを歩み、どんどん下流に向かっていく。川も湖のように大きくなっている。 そしてついにミルフォードトラックの最終地点サンドフライポイントに到着。21キロだから結構長かった。待ちかまえていた船に乗ってマイターピークへ移動する。氷河によって削られてできた小さな湾ミルフォードサウンドを船に揺られて、本日の宿泊地マイターピークロッジに到着した。マイターピークがはっきり見えて爽快感と達成感に満ちていた。 正面の三角形の山がマイターピーク。ここから見る万年雪を頂いた山もとても美しかった。
2013年01月07日
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12月19日、この日はポンポローナロッジからミルフォードトラックの核心部とも言えるマッキンノン峠を超えてクインティンロッジまで15キロ、ポンポローナロッジ→ミンタロハット→マッキンノン峠→パスハット(ランチ)→プラットフォームセクション→クインティンロッジと言う行程である。昨日はほとんど平坦部だったが今日は峠超えで登山らしくなるので、早めの出発となった。 3日目になり、同行のグループの動向も大体掴めてくる。ほとんどの皆さんが夫婦、恋人、家族なので1人参加の私はやはり1人になる。そこでガイドと行動を共にすることが多かった。この日も若くて大きなガイドと元気よくスタートした。峠まではジグザグの登り坂が続くが日本の丹沢ほどでもない。途中マウントクックリリーが艶やかに咲いているので大興奮しているうちにマッキンノン峠に到着。雲が取れなくて晴天とはいかなかったが雨に打たれなかっただけでもラッキーと思うことにした。 マッキンノン峠は平らな峠で眺望がよかった。マッキンノンの記念碑がここのシンボルである。とっても寒かったが、ガイドがコーヒーやスープを用意してくれていたので嬉しかった。存分にながめを楽しんだらパスハットまで一登り。この景色も素晴らしかった。この辺りは小さな池が点在し、さまざまな花が咲き乱れ、天上の楽園のようだった。 峠の最高地点を越え、パスハットに着いたら、早く着いたようで「good job」などど言われた。昨日もものすごくゆっくり歩いていたのでよほど歩けないと思われていたのだろう。 ここにトイレがある。このトイレは世界一の絶景が見られるトイレと言われているのでトイレに入った。世界一の名に恥じない絶景だった。 ランチの後は再び1人で坂道を下る。この頃になると日差しが出てきて、日本の晩春の暖かさ、春風に吹かれながら景色を楽しんだ。ここからずーと滝と花のオンパレードで最高だった。何も苦労するだけが山ではない、こんな優雅な山旅もあったのだ。 山頂から流れ落ちる無数の滝、滝、滝、圧巻だった。山上の滝に見とれ、眼下の花に心奪われているうちにいつの間にか再び太古の森に入り、長い吊り橋を渡ったら本日の宿、クインティンロッジだった。
2013年01月06日
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ミルフォードトラック2日目はグレイドハウスからポンポロナロッジまで15キロのトレッキングである。昨日の雨は朝にはほぼ上がってカッパ無しでスタートできた。いよいよ本格的にミルフォードトラックを歩くことになるのでワクワクした。グレードハウスを出発するとまずクリントン川に架かる吊り橋を渡り、川沿いに南極ブナの茂る原生林を歩く。ブナが巨大でそこにまた巨大なシダ類が生え、足下をコケ類が埋め尽くして緑一色である。渋い緑色で正にモスグリーンの世界である。トレイルはブナの小さな葉っぱが落ちて黄色や褐色でとてもしっとりしている。 クリントン川と吊り橋 森の中 巨大なブナと苔 大きなシダ類ソフトツリーファーンが随所に生えている。このゼンマイの頭みたいな渦巻きはコルーと呼ばれて、生命力の象徴とされ、ニュージーランドのシンボルマークに使われている。ニュージーランド航空の翼にもデザイン化されたコルーがついている。しばらく歩くとフィレレ滝が出現する。山のてっぺんから滝が落ちてくる。一つだけでも目を見張るダイナミックさだったが、それがあちこちから幾筋も出てきて正に絶景だった。「雨が降った時に真価を発揮する」という意味はこの滝の出現だ。昨日の激しい雨がこの無数の滝を生み出したのだ。 滝の遙か先には雪を頂いた嶺が広がり、すばらしい景観だった。 途中のシェルターでランチ休憩し、午後もトレッキングを楽しんだ。サイドウォークでヒドンレイクに立ち寄った。1日この川縁でのんびりしたい透明度の高い湖だった。 ヒドンレイク更に歩くと森林の視界が開け、1886年にマッキンノンとミッチェルがこのミルフォードトラックを開通させるために切り開いたマッキンノン パス(峠)見えてくる。明日はあの峠を越えるのだ。 マッキンノン峠初見えトラックは再びブナの原生林に戻り、バスストップというシェルターを過ぎ、今日の宿泊地ポンポローナロッジに到着した。一日中、すばらしいブナとシダと苔に満ち、無数の滝と透明度の高い湖に囲まれた原生林を歩いた。肺の中まで清められたような清浄な空気だった。世界にこんな無垢な森があるということが奇跡に思われた。
2013年01月05日
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1月4日、身を切るような寒い風に吹きさらされながら、ちば室内管弦楽団の新春コンサートを聴くために市ヶ谷のルーテル市ヶ谷教会に出かけた。指揮者の高橋利幸さんと数十年の昔、同じ職場で苦楽を共にしたという縁である。開演15分前に会場に着いたが、案の定もう満席で補助椅子が出ていた。曲目は ベートーベン 交響曲第1番ハ長調作品21 メンデルスゾーン バイオリン協奏曲ホ短調 バイオリン独奏 前野咲希 ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調 ピアノ独奏 上野惠子 エントランスの花が会場に華を添える ルーテル市ヶ谷ホール交響曲第1番は学生時代に演奏したことがあり、あの第1主題が弦楽器で出てくるととっても懐かしかった。ベートーベンの若い時代の作品だが、あちこちに彼らしい有機的な展開がありそれをたどっていくだけでも面白かった。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は名曲中の名曲、あの甘美な旋律を聴いた瞬間、音楽を聴く喜びに包まれた。前野さんの演奏は張りのある音色と切れのよい演奏で素晴らしかった。前半多少音程がさがり気味の部分はあったが、全体にエネルギーに満ちた演奏だった。指揮者は彼女にかなり気を配っていてしょっちゅう独奏者を伺いながら管弦楽とコラボさせていた。若い独唱者との演奏は指揮者としても気骨の折れる作業だろうな。上野さんは昨年大学を卒業したばかりという若さで力強い部分と優美な部分を巧みに弾き分けていて、主題もよく浮かび上がらせていた。客席から右手が真っ赤なドレスを握っているのが良く見えた。そう大きくはない可愛い手だった。彼女の緊張した気持ちが表れているようで興味深かった。管弦楽は小人数にも関わらずとてもよく響いて安定していた。特に管楽器やティンパニーがかなりインパクトを出していた。これからの日本の音楽界で活躍する二人のソリストの協奏曲を聴き、新鮮な気分に満たされた。でも会場に知人が1人もいないというのも時代の変遷と指揮者の活躍の場が昔とは全くことなっているのだということを実感させた。私は行く必要がないのではないかと思いつつ北風に吹かれて帰宅した。
2013年01月04日
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1月2日は天気予報が完璧な晴れだったので、「この間、ニュージーランドトレッキングから帰ってきたばかりなのにもう登山なの?」と娘にあきれられながら、初登山に出掛けた。行く先をあれこれ考えたが、足腰強健の守り神である子の権現(ねのごんげん)で祈願しようと、奥武蔵は伊豆ヶ岳→子の権現→竹寺というルートを選んだ。5:47分に電車で出発、電車も山もどこも空いていて気楽だった。奥武蔵の山々も靜かで穏やか、素晴らしい初登りができた。子の権現や竹寺は一般初詣客もそこそこいた。子の権現で大草履に触ったり鐘をついたり、草履のお守りを買ったりした。草履のお守りは私は既に持っているので、足腰が悪くて辛い日々の多い四国の妹に送ってやるつもりだ。 伊豆ヶ岳 山頂 子の権現の大草履さらに歩きやすいいい道を歩いて竹寺に行った。ここはとても珍しい牛頭明王(ごずみょうおう)がいかめしい形相で鎮座ましまし、茅の輪や竹の鳥居(?)があり、竹寺という名前に納得した。 茅の輪 竹製の鳥居丁度新年の祈願をしに本殿に昇る僧侶の方と出会い、少しお話を伺う幸運に恵まれた。明治時代の廃仏毀釈によってかなりの混乱があったが、山岳信仰の道場として千年余の歴史を有している、本尊「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀り、本地仏に「薬師如来」を配し、神仏習合の姿を今に残す東日本唯一の遺構であるということだ。上に神社、下にお宮という二つの神様が同居するのには本当に珍しく、驚いた。 不思議な造りの本殿 牛頭明王(ごずみょうおう)竹寺を楽しみ、小殿バス停へ急坂を下り、飯能へ出た。心豊かな初詣が終わった。
2013年01月03日
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グレイドハウスに到着し、部屋割りが決まって間もなく、ネイチャーウォークに出るという。「えっ、この雨の中をまた歩くの?、いやだなあ」と思ったもののこれをさぼるとなると「じゃ、何のためにニュージーランドくんだりまで来たの?」ということになるので考え直して参加した。雨の森は真価を発揮して水だらけだった。 寒さにめげずこのスタイルで説明する女性ガイド しっとり濡れて苔むした森滝が見える地点まで1時間ほど登ってネイチャーウォークは終了。今夜はオーストラリアから来たジョアンという名の68歳女性と同室だった。娘夫婦と3人で参加しているが、娘夫婦は別室らしい。娘さんは学生時代に福岡に語学留学したことがあるそうで共通の話題が見つけられて親しみを感じた。その後夕食になった。ここで驚いたのは夕食のメインをあらかじめオーダーすることだった。本日のメインは朝のバスの中で選び、明日の夕食を今夜選んでおくのだった。 仮にもロッジ・山小屋なのにディナーのチョイス!! お金を払えばワインもビールもソフトドリンクも飲める。珈琲・紅茶などは無料で飲み放題。 夕食の風景 私の今夜のメインその後、初日ということで自己紹介と明日のスケジュール等についてガイドから説明があった。国ごとにグループになって自己紹介をしたがやはりニュージーランドとオーストラリアから来た人が多かった。ガイドはみんな若く手際よく親切でよかった。私たち4人の日本人も簡単に自己紹介した。 3人のガイドたち オーストラリアの皆さん 中央ジョアンと娘さんロビーの出口にビジターボードがあって、たくさんのメッセージや国から持参した小物が貼り付けられていた。日本人もかなり多かった。日本語や名刺、扇、うちわ、絵馬など日本固有のグッズがたくさんあった。私も気を許してしまい、自作名刺を貼り付けてきたのだった。
2013年01月02日
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謹 賀 新 年 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。早速ですが、今年のブログはニュージーランド15日の山旅報告から始まります。出来るだけ具体的に、問題点や困ったことなども報告したいと思います。12月15日成田18:30発ニュージーランド航空NZ090便にてクライストチャーチへ、国内線に乗り継ぎ12:15クイーンズタウンへ到着。成田の出発が2時間遅れた上、クライストチャーチで荷物を一端受け取ってから乗り継ぎしなくてはならなかったため、国内線の出発時刻にぎりぎりでヒヤヒヤした。クイーンズタウンではブルーピークスホテルに宿泊、夕方5時からミルフォードトラックの説明会がTHE STAITIONであったので、街探険しながら坂を下って街の中心部へ出かけた。 クイーンズタウン駅前 マオリ族のモニュメント ブルーピークスホテル南半球にあるこの街はクリスマス前で街にはクリスマスツリーと店々のバーゲンが目立ったが、小さな可愛い街に見えた。何しろ街のどこにも信号機が見あたらない。車の流れを見ながら自由に道路を渡れる。夏のはずだったが、思いの外まだ暑くなく長袖でちょうどよかった。説明会で一般会場の方へ行こうとしていたら、若い日本人女性から「英語の説明会に行きますか?」と声を掛けられ、日本語の説明会もできると聞き、別室のそちらの方へ行く。参加者は長身の若い男性と二人だけ。日本語とスクリーンの映像で説明を受けた。大体のことは呑み込めた。 街の中心部にある広場 聖ペーターズアンジェリカ教会街の中にはバラやマーガレットなど花が色とりどりに咲き乱れ、冬枯れの日本から来た私は心が潤うようだった。食事はついてないホテルなので街のスーパーでサンドイッチやサラダやヨーグルトを買って食べた。明日からの出発に備えて、荷物をホテルに預ける物、ミルフォードトラックの終着地に送ってもらう物、トレッキングで背負うザックの3つに分類した。登山がある旅行はこの荷物の仕分けが必ずある。時差でぼけた頭で思考が精密化しないまま、何とか分けた。明日からどんな旅が始まるのか、どんな人と出会えるのかワクワクしながら、大き過ぎるベッドで1人眠った。
2013年01月01日
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