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クライミングを始めたのは60歳と6ヶ月、2007年9月だった。初めて買ったクライミングシューズはボリエールディアブロのレースアップである。ところがこのサイズが1センチ大きくて不適切ということが判明、先生のご好意で頂いたクライミングシューズで練習していた。その頃はクライミングに燃えていたので肩を壊すほど熱心に練習した。ほどなくつま先が破れて使えなくなった。そして買ったのがファイブ・テン(5.10)のアナサジベルクロである。これは非常にフリクションが効いて心強い味方になった。特にスラブでその威力を発揮した。足にぴったりのサイズで引っ張りながら履くのである。当然長時間の使用は足が痛くなる。そこでマルチ用にモカシムオンサイトを購入、少し余裕があるので長いマルチにも全く苦痛なく履ける。アナサジとモカシムの二足でずっとジムも外岩もこなしてきたが、ついにアナサジにアナが開いた。修理に出してもらったが、もう修理するより新しいのを買ったほうがいいですとの診断。はき潰してください、いやはき潰してますね。ということになった。 歴代クライミングシューズ つま先が破れたアナサジベルクロ右足のほうはまだアナが開いてないのでもったいない。ジムで使用する分には支障がないのでジム専用にすることにした。私はもう使えなくなったシューズを捨てることができない。その靴でどれだけ苦労して登ってきたことか、汗と悔しさと努力の証明品なのである。どのシューズも壁にディスプレーしている。 さあ、どの靴を買おうか と考えるだけで楽しい。
2010年06月30日
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曇り空の中、6月最後のお花のお稽古に行った。今日の花材も変わっていた。姫みずき、アザミの大型のようなエリンジューム、やや小ぶりの花がやさしいピンクのユリ・スィートメモリーの三種である。姫ミズキが小枝でなよなよしてどうにも形が作れず、苦戦。エリンジュームは扱いやすかったが、ユリを短く切ったところ花が下を向いてしまい、これにも苦戦。とりとめのなり出来上がりになって最後までまとまらなかった。おまけに写真もぼけていてがっくり。
2010年06月29日
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小川山の二日目、今日こそは外岩へ出たいというみんなの期待を裏切って夜中から雨音が屋根をたたき、朝もしっかり雨が降っている。100パーセント外岩は無理で、今日もオンサイトでの練習になった。今日の参加者は昨日と一部入れ替わって9名、3チームに別れ、その間にハイレベルの人が入って模範クライミングを見せるなど多彩なクライミングが展開された。私は身長も年齢も類似の女性3人組で楽しく仲良く練習した。クライミングは身長と手足の長さが決定的にものを言うスポーツである。身長140センチの私は最初から大きなハンディを背負って登っている。しかし身長がある人たちはその苦労をほとんど理解しない。「身長なんか関係ないわよね」とか平気で言う人すらいる。同じ位の身長の人と登ると共感することが多いし、ムーブも参考になる。しかし私くらい小さい人はメッタにいない。そういう意味で今回は3人で組んでとても楽しかった。 クライマー、ビレイヤーにアドバイザーが勢ぞろい うん、確かに小さいね!! ハングにさしかかり ハングを越えるそんな小さい私にはハングがとっても苦しい。ハングの下に身長が呑み込まれてしまい、ハングの上のホールドははるか彼方に遠い。肩を壊して以来、ハングは敬遠していたが、最近はトライすることも増えた。でもやり過ぎないよういつも意識している。
2010年06月28日
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久しぶりに信州川上村の小川山にクライミングに出かけた。天気予報は土曜日が曇り、日曜日が曇りのち雨だったのでどちらか一日は外岩でクライミングできるのではないかと期待していた。しかし初日から小川山が近づくについて地面が濡れていて雨も少し降っている。できるかどうかきわどい判断を要したが、これから更に悪くなるという予報で結局岩根山荘のジム・オンサイトで練習することになった。オンサイトは同じ状況の他のグループもいて、けっこう混雑していた。参加者は男女11名、3チームに分かれて垂壁のトップロープからハングのトップロープ、リードとグレードを上げながら練習した。私もやっと以前と同じレベルでクライミングできるようになり、ほっとした。他の皆さんはとても意欲的で上手だった。
2010年06月27日
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相撲界の野球賭博が大問題になっている。私は相撲にはあまり興味がなく真剣に観たこともないのだが今回は驚いた。お江戸の話かと思っていたのに、何と地元の話になっているではないか。阿武松(おうのまつ)部屋の力士たち約半数が野球賭博に関与しているという。阿武松部屋は私の住む街、それも町名も同じでごく近いところにある相撲部屋である。確か畑の中にあり立派な字で部屋名が書かれた看板がかかっていたような気がする。ついでにロッテマリンズの球場もすぐ近くにある。相撲部屋が湾岸のこの地にあるのはとても珍しく、小学生がお相撲さんを見学に行ったりしてある意味名所だった。その周辺でゆかたを着た力士を見ることもたまにあり、なかなか風情もあり相撲に対する親しみが湧いた。今回の事件で廃止に追い込まれることは必死だろう。何と言うことだ。最近相撲界に関することでよいニュースを聞かない。国技なんだからもう少し立派になってほしい。
2010年06月26日
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6月2回目のお花のお稽古に出かけた。今日の花材も変わっていた。フトイ、ストレッチア、スモークツリー、ひまわりで、水生植物に熱帯植物に煙状の花(?)に夏の花という全く共通性のない組み合わせである。和風とも洋風とも言えず流行の無国籍料理ならぬ無国籍花材だ。フトイとストレッチアが縦に伸び、スモークツリーはもくもくとしている。ひまわりがポイントだろう。フトイを糸針金で三角形に形つくり、紅色のストレッチアを添わせ、スモークツリーを雲海状にして根締めにした。縦長の仕上がりになった。
2010年06月25日
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久しぶりに先生の無料講習会があったので、雨にもめげず西国分寺のランナウトまで出かけた。驚いたことに参加者全員が女性だった。男性は仕事が忙しいのだろうな。2チームに分かれて楽しく練習した。今日は何とか登れたが最後のハングがあるルートのリードでうまくムーブが作れず疲れた。でも17日よりは腕が慣れてきた。こつこつと登って取り戻すしかない。音楽でもクライミングでも技能が必要なものは日々の継続が肝要なのでキープするのが厳しい。他の皆さんはまるで上昇気流にでも乗ったような勢いで頑張って登っていた。 トップロープで練習 リードのビレイをする リードで登る
2010年06月24日
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以前、シンビジュームが咲いた写真を載せたところ、これは「あんみつ姫」という品種ではないかと書き込みを頂いた。贈ってくれた友人に尋ねたものの2年も前のことで記憶にないという。ところが最近鉢の裏側から花名を記した名札がでてきたのである。名前はエンジェル フェザー!!これには驚いた。エンジェルフェイスにエンジェルフェザー・・・友人は私がエンジェルフェイスという名前でブログを出していることを贈ってくれた時点では全く知らない。偶然だけど嬉しい。そのエンジェルフェザーは最後の一枝がまだ咲いている。 エンジェルフェザー あんみつ姫
2010年06月23日
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バリ島でたくさんの神々に出会った。神はどこにもここにもましまして日常的に遍在しているのだった。苔むしたのもあった。一体一体を念入りに見る時間がなくて心残りだった。 象の姿をした知恵の神 ガーネイシャ同じガーネイシャでも表情や耳、鼻など微妙に異なっていて興味深い この二神は顔は全く違うのに手の形が同じでとても気になった。何を表現しているのだろう。よくよく観察すると足の構え、腰の瓔珞、頭部の飾り、ネックの周辺など同じかその変形である。ご存知の方、教えてください。 悩ましいおっぱい バロン
2010年06月22日
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梅雨の一瞬の晴れ間、高尾から陣馬山の縦走をした。下山は和田集落である。春に和田集落に下山した時、斜面で仕事していたおじさんが7月になったらこの紫陽花が咲くから見においでと言ってくれたのを思い出したのだ。7月には行けないからちょっと早めだが見に行くことにしたのである。高尾~一丁平~小仏城山~影信山~明王峠~陣馬山の縦走路は梅雨のせいか人も少なく静かに歩けてよかった。樹木はすでに緑深く、草もみどり一面でこれという花は見かけなかった。ひとつだけ真っ白な花をたくさんつけている大木があった。花の形からしてヤマボウシにちがいない。 大木でこんなにびっしり花がついている ヤマボウシの花慣れ親しんだいつもの道、順調に歩いて陣馬から下り、おじさんと会った斜面に来た。紫陽花がたくさん咲いていた。時期が早いせいか色はまだ白とブルーだけで花の直径も小さかった。でも十分だった。あのおじさんが60歳から一人でここに紫陽花を植えて10年かけてここまで育ててきたのだ。 斜面に広がるあじさい 色鮮やかな若いブルー 下から見上げたあじさい畑 めずらしい雪ノ下紫陽花畑の入り口に看板が出ていた。よく見ると 日本の里100選ー佐野川地区ー桜と紫陽花の里 と記されている。私は下山に通るこの和田集落が自分のふるさとの田舎のイメージに近くてこの里を好きになっていたのだが、日本の里100選に入る里だったのだ。素晴らしいはずだ。下草の中に雪の下が群生していたのも嬉しかった。改めて村の景観を楽しみながらバス停まで歩いた。
2010年06月21日
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図書館で本を探していたらバナナ酢の作り方と効能が大きく載っている本を見つけた。村上祥子著「バナナ酢毒だしダイエット」という衝撃的タイトルが踊っている。これ以上やせる必要はないが毒だしや血圧や疲労回復に惹かれて借り出し、早速作ってみた。 作り方はカンタン!!バナナ正味100グラムに酢1カップ(200cc)、黒砂糖100グラム、これを混ぜ合わせてレンジで40秒チンして一晩おけば明日から飲める。 → → これがまたとってもおいしい。強い酸と濃い砂糖にバナナのエキスがミックスされて私好みの味である。すっかり気にいって三種類作った。1.黒酢+黒砂糖 2.りんご酢+黒砂糖 3.穀物酢+黒砂糖・蜂蜜毎日飲んでいる。目覚めの朝いちでひとなめすると五感にピッと感じて目がさめ覚醒する。豆乳に入れるとトロトロになって超おいしく何杯も飲める。ジュースに混ぜてもおいしい。しかし生が一番いける。どんな効果があるか期待はあまりしないが、おいしいので続けられそう。
2010年06月20日
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お花のお稽古に行った。花材はサルトリイバラ、アンスリューム、アスパラガス、マーガレットという珍しいものだった。サルトリイバラは秋の実の色が美しいのだが、葉も実も真緑のこの時期に登場したのは初めてである。アンスリュームの深紅が目が覚めるように大胆である。サルトリイバラが蔓になって垂れ下がるので扱いが難しかった。短く切って使うこともできるが、それではせっかくの蔓がもったいない。散々あれこれ試してみたがあまり形よく作れなかった。 アスパラガスの葉も茎がものすごく細いため綺麗な形に整えられず使えそうで使えなかった。今日はサルトリイバラが面白かったので何とかモノにしようといつもよりは意欲的に取り組んだのだが、腕と粘りが足らず不本意な仕上がりになった。修行が足りない。
2010年06月19日
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この日だけが晴れ予想の梅雨の合間の貴重な一日、ものすごく久しぶりに日和田山にクライミングに行った。結果は惨敗!!。思ったように全く登れなくてがっくりきた。すぐ剥がされてしまい、粘り抜くことができなくなっていた。どうしてこんな所がすいすい登れないんだ。日和田が登れないんじゃ、登れる岩なんかどこにも無いよ!!と自分を叱りながら帰った。クライミングから遠ざかっていた結果がこんな無残な状況を引き起こしている。ああ!(ため息)
2010年06月18日
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バリ島はバトール山の頂上直下に野生のサルがたくさん住んでいる。バリに住むサルはこの種だけだとガイドが言っていた。はじめこのサルを見た時は缶を持って中のおいしい物を食べているのだと思い、器用さに感心していた。しかし何分見ても同じ手指のもち方である。目を凝らしてみると、持っているのではなく手が缶から出せないのである。缶のぎざぎざが手を捉えているのか、狭くて出せないのだろう。可愛そうに・・・。私たち人間のしたことの被害者はほとんど動物たちである。
2010年06月17日
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谷津バラ園の2回目は鈴木省三の作品以外の薔薇です。 谷津バラ園全景 満開期に比べるとやはり花は少ない。 ゴールデンシャワー ブレイズ ラバグルート 見事に剪定された株 ブルームーン スケルッオ 1975年 フランス メイアン 花弁の表は輝く朱色で、裏は白色と紅色の複色花、中輪系では珍しい剣弁高芯咲きです。株は半横張り性で1mくらいになります。 トリはいつものようにエンジェル・フェイスですが、一番花が終わり二番花が蕾をつけていました
2010年06月16日
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6月15日今日は千葉県民の日である。小・中学校は休み、県立各施設は無料開放や割引がある。ディズニーランド・シーも大幅割引である。県民の特典を生かすべく千葉県立美術館に行った。無料である。親子連れや夫婦連れがそこそこ入っていた。「青木滋芳の染色」「描かれた房総ー海辺の風景ー」「浅井忠・フォンタネージとバルビゾン派」新収蔵作品展」「描かれた女性たち」と5つの小さな企画展が催されていた。 千葉県立 美術館入り口 芝生の上にユーモラスな作品 いつものことだが浅井 忠の作品が際立っている。コロー、ミレー、ルソーなども展示されていたが、小品だったし、今ひとつ魅力を感じる作品に出会わなかった。とても気持ちのよい天気だったので館外の彫刻を観に芝生の上を歩いた。庭せきしょうのとっても小さな花が無数に咲いていて気持ちよかった。 帰雲・春 1978年 鈴木 徹 憩い 1984年 青木三四郎 とっても小さい 庭石菖(ニワセキショウ)の花 千葉大教育学部 風の骨格 (旱魃材と棕櫚) 午後は千葉県国際総合水泳場に行って水中ウオーキングと初級水泳を習った。こちらも無料。だんだん年金生活者らしくなってきた。
2010年06月15日
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谷津バラ園に行った。今年は5月末に旅行していて最盛期に行きそこなったものの、やはり春・秋と年に二度はバラ園に行かないと悔いが残る。特に鈴木省三の薔薇は必見。日曜日の午後やっと出かけた。満開期は5月第3週あたりだったので、今は二番薔薇も咲いていて開花率70パーセントだということであった。既に終わって剪定されていた株もあったが、馴染みの名作薔薇が咲いていて嬉しかった。入場者が少なくてゆったり見れたのもよかった。鈴木省三の作出した薔薇5点を紹介します。 希望 1986年日本 鈴木省三 表面緋紅、裏弁は黄色の復色花、ハーグ国際コンクール、欧州コンクールで多数入賞 あやおり 1989年 日本 鈴木省三 表面緋紅、裏弁は黄色の復色花、株は矮性で育てやすい 青空 1973年 日本 鈴木省三 英名 ブルースカイ 微香 魅惑 1988年 日本 鈴木省三 クリーム白地に弁端が紅色の巨大輪、芳香種 1988年JRC銀賞受賞 芳純 1981年 日本 鈴木省三 桃色の優雅な花、10年の歳月と数万本から選ばれた最高芳香種帰りに名物「薔薇のアイスクリーム」を食べた。このバラ園の設計者で世界的薔薇作出家ミスターローズこと鈴木省三がその香りをティスティングしてできたアイスだという。薔薇の深い香りがしておいしかった。
2010年06月14日
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バリツアーで思いもよらない大きな収穫を得た。それはこの旅のツアーリーダー安藤浩正さんとの出会いである。安藤浩正?それ誰?と思われた方は私と同じです。実は私もツアーリーダーの名前を聞いても何の感慨もなかった。知らなかったのだ。安藤さんが植村直巳賞を受賞した冒険家であるということを。どの道でも一流の人物は決して自分の功績をひけらかさない。安藤さんから簡単な自己紹介はあったものの、そんなすごい冒険家という風に自分のことを強調宣伝されなかったので、うかつにも彼の真価を知らないまま旅は終わってしまった。 安藤浩正さんのHPより 冒険の一部帰国して1週間後、安藤さんから旅のDVDが送られてきた。DVDの写真もすばらしかったが、彼のHPを見て驚愕・仰天した。すごい冒険家であった。あの穏やかで物静かな青年がこんな前人未踏の冒険をしていたのだった。尊敬の念で一杯になった。帰国後間もなくカッパドキアのツアーに出発し、そこで熱気球のフライトをするとメールが届いた。熱気球のガイドができる人なんてそんなにはいない。やはり熱気球太平洋横断の冒険をやろうとする人でなければこのツアーリーダーは勤まらないと思った。そして仕事がたくさんあっていいのだが、自分の冒険がなかなか出来ないともメールには書いてあった。すばらしい人と出会った喜びがこみ上げた。人との出会い、これが私を強く勇気づけ、前進させるエネルギーの源である。
2010年06月13日
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今回のバリ旅行ではサヌール地区の近代的なホテルに2泊3日、ウブドのホテルに2泊した。都市部、地方とどちらもそれなりの味があって寛げた。 サヌール地区のホテルの中庭 レストランから見下ろしたところいかにも南国らしい中庭が広がっている。サヌール地区のホテルである。乾季になっているはずが雨季が抜けず、このような青空は少ししかなかったのがとっても残念だったが、エントランスや内装・仏像などもいかにもバリでエキゾチック、敷地内には公園とも言える広大な庭が広がり散歩にもってこいだった。知ってる人が誰もいない強みでプールで泳いだり、ハリウッドスターのように白いデッキチェアーに寝そべったりして大胆に遊んだ。 バリの青い空 ホテルからすぐビーチが広がる 熱帯植物がふんだんに育つ広大な庭 レストランの女性従業員次にウブドで泊まったホテルは更にゆったりしてのんびりした雰囲気の中にあった。ここは全体が熱帯植物園のようで個室の入り口が熱帯植物の小道を歩き、戸を開けて入るスタイルで農家の隠れ家のようで楽しかった。 熱帯植物の茂る気持ちよい小道 個室の入り口 一間くらいの戸を開けると中にまた小庭がありその先の奥まった所に部屋がある。バスが広々としてちょっとした露天だったのは開放的だった。しかし湯がでないとか排水が悪いとかお決まりのトラブルがあった。でもクレームをつけてもすぐ改善されないだろうと確信し、ぬるいお湯でガマンしたのだった。 通気性のよい自然素材の高い天井 こじんまりとしたしつらえ 巨大な瓶(?)に飾られたきれいな南国の花 よくよく見るとハイビスカスとニチニチ草かな。バリでは至る所にハイビスカス、ブーゲンビリアなど溢れ咲いていた。日本の園芸店で見るクロトン、ドラセナなど熱帯植物が公園や通りのあちこちに路地で植えられて垣根になっていた。何より空気が濃密でよかった。室内のあちこちには生の花が添えられているのも花が豊富なこの地ならではで、贅沢な雰囲気を醸し出していた。
2010年06月12日
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ほったらかしの庭の片隅にいつの間にかスカシユリが咲いていた。明るいオレンジ色で花が何個も着いている。薔薇が終わってまたもや殺風景になっている庭のそこだけが目の覚めるような美しいスポットになっている。手入れもしないのに毎年咲いてくれて有難い。
2010年06月11日
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舞踊が終了して撮影に応じるレゴンダンスのメンバー 衣装が華麗である最後の夜、ケチャを観たあと空港に行く前に、中華料理店で夕食を取ったが、そこでレゴンダンスショーを行っていた。はるか遠くにステージがあったが、中華なんか食べてる場合ではない、そこまで走っていって観た。華麗な衣装でガムラン音楽に乗って舞っていた。何とも優美だった。 4人の娘の踊り駆けつけたもののすぐ終わったのがとっても残念だった。やはりウブドの王宮前で観るべきだったのである。ディナーに惑わされて食べることを優先させたのが浅はかだった。
2010年06月10日
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ダンサーとケチャ合唱団 帰国のフライト寸前にケチャを観ることができた。専用の劇場(?)というか屋根の高い小屋のような場所に行った。円形劇場で中央のステージを囲んですり鉢状に観客席がしつらえてあった。ケチャはずっと前から聴きたいと熱望していたので上演前から期待でわくわくして興奮していた。 ケチャダンスは、バリ島伝統舞踊の中で最も有名な舞踊だろう。 通常の舞踊ではガムランを使った音楽に乗って踊るのだが、ケチャは数十人という男性が発声する「チャチャチャ」という特徴的なコーラスに乗って踊られる。 白黒の腰巻(?)をしている人たちがケチャを歌う人たち、一方踊っている人は配役に応じて華麗な衣装を着用している。ダンスで演じられる物語はインドの叙事詩「ラーマヤナ」の一部分だという。 コーサラ国の王子ラーマは第二王妃のたくらみで妻シータと共に森に追放されてしまう。美しいシータ姫を我が物にしようとしていた魔王ラーバナがシータ姫をとらえ城に監禁してしまうが、ラーマ王子は猿の将軍ハヌマンの協力を得てラーバナを倒しシータ姫を奪い返すという話らしい。(開演前に日本語のプリントが配布された。) 火の上を歩く男性 終演後一緒に記念撮影ケチャを歌う男性群は地元の人たちのようで、日本でいうなら~神楽保存会のような趣である。しかしその音楽にはものすごいインパクトを受けた。まず完璧アカペラである上、非常に高度・難解・複雑なリズムで到底楽譜なんかには記譜できるようなものではない。口伝で練習し何年も伝えてきているだろう。いやあ、実に驚いた。合唱の部分、レシタティーボのような部分、掛け声のような部分といろいろな部分があって、場面に応じてたくみに歌い分けられていた。このリズムというのが複雑でそれがいくつも重なり絡み合っていてちょっと真似もできない。音楽的カルチャーショックを受けた。こんな種類の音楽を聴いたことがない。これまでの音楽経験の範疇にない音楽だった。最後の最後になってケチャの刺激で頭を揺さぶられた。
2010年06月09日
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バリ最後の日は夜のフライトまで一日フリータイムだった。他の皆さんはとっても元気でラフティングなどいろいろなアクティビティーに出かけていったが、私は癒しを選んだ。オーキッドスパという店でバリトラディショナルマッサージとシロダーラの二種を受けた。トラディショナルマッサージも心地よく体がほぐれたが、シロダーラが最高だった。 入り口の看板 施術台と室内の様子シロダーラはアーユルベーダの一方法で頭部オイル滴下法と言われ、神経系に作用し、心の緊張や不安・ストレスを和らげ、頭痛や不眠症・眼精疲労などの不調にも効果的と言われている。脳内マッサージともいうらしい。まずサードアイと呼ばれる第三の目、ヨガで言えばアジナチャクラつまり眉間の部分と頭部を深く奥までマッサージしてくれた。額全体が柔らかくなった。そlこに人肌に温まった精油をたらし続けるのである。眉間と頭が至福の心地よさだった。20分から30分くらいは額に油が注がれていたと思う。 英語と日本語を話す20歳のセラピスト 精油の入った容器 これはイメージです。私ではありません。 最高のくつろぎと癒しになった。いつの間にか忘我の状態になっていた。精油注ぎが終わるとサロンに行って精油が染み込んだ髪の毛をシャンプーして終了。体が軽くなり、頭脳が明晰に(??!!)になった気がした。ホテルに帰るとすごく元気になっていて「さあ、これからガンガン遊ぶぞ~」という気分になったが、旅はもう終わりだった。今回のバリ旅行のベスト1はシロダーラだ。昨秋カトマンズに滞在した時、行きたかったのだがチャンスを逃し、やっと望みをかなえた。
2010年06月08日
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ホテルのエントランスで定刻になるとガムラン音楽の演奏があった。とても興味があったのですぐに近くまで行ってみた。 叩けば音がでるし、音階も音が少ないとのこと 演奏している皆さんがとても素朴でフレンドリーだったがここで目にした楽器は驚くほどシンプルな造りだった。演奏者も地元のおじさん風で4人のグループだった。竹でできた楽器を叩かせてもらった。一方、帰国間際の中華レストランでは又異なるガムランを見た。こちらはレゴンダンスと一緒に演奏されていた。旅の恥はかきすての心境になって図々しくもショーの終了後、楽団に行っていくつか楽器を演奏させてもらった。叩くだけならで飛び込みでもできる。突然の侵入者にみんな大喜び(?!)のように見えた。 こちらは楽器数も多くきらびやかにショーアップされているガムラン音楽を生で聴いたのは初めてで、どの音楽も同じように聴こえてしまった。
2010年06月07日
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雲海のかなたにロンボク島・リンジャニ山のダイナミックな稜線が浮かぶ5月29日(土)4日目、ついにバリ島最高峰アグン山(3142m)に登る日を迎えた。日中は31度の暑さになるため夜中の出発である。深夜1時起床、2時出発。宿泊地のウブドから車で真っ暗な道を走りぬけ、パサール・アグン寺院(1500m)へ着いたが雨が降っている。ヘッドランプで寺院のシルエットを見ながら歩き始める。バリ島最高峰にして最も神聖なる地アグン山頂まで森の中の急登を登り、さらに足元がぬかるむ樹林帯の急坂を登ると溶岩の固まった岩肌が露出する上部山腹に出る。 深夜の月 固まった溶岩を登る 夜が明けてはるか雲海の彼方に山が浮かぶ あと少しで山頂標準登り5時間、下り4時間とされている山である。夜が明け始めてどんどん周囲が見えるようになってくると爆裂した山淵が荒々しく切り立つ山頂付近や周辺の山々が雲海の彼方に見えてきた。はるかロンボク島のリンジャニ山が海から裾野を引いて雄大に見える。一同歓声を上げて見入った。やっと山頂に到着。爆裂火口がすさまじく口を開けていた。火口の底までの高度といい、激しい爆裂の名残を残す茶色の岩肌といい富士山や八ヶ岳の硫黄岳の比ではない。予想以上の風景に一同「こわ~い」。山の縁も切り立っていてお鉢めぐりは不可能とのことだった。うん、ここに投げ込まれたら牛も人も生贄になるしかない。 山頂と爆裂口ガイドは早速お供えをして真剣な表情でお祈りをしている。白い像はどこかで見たことがある気がしたが、その独特のヘアスタイルはサイババだった。 お祈りを捧げるガイド 現地ガイドの皆さんと山頂でツアーリーダーが運んだドリアンをご馳走になった。悪臭で有名な果物だがそうひどく臭いもしなかったけど、特においしくもなかった。存分に展望を楽しんだ後に下山した。雲海の下まで降りてくると麓は雨模様、パサール・アグン寺院のシイタケの笠のような(失礼)甍が霧の中に幻想的に浮かんでいた。 山頂で食べた珍果 ドリアン 雨のパサール・アグン寺院
2010年06月06日
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6月5日(土)気持ちのよい初夏の一日、女声合唱団 ねむの花 のコンサートを聴くため浜離宮朝日ホールまで出かけた。 愛と心の歌 ~忘れられない名曲シリーズVol.4 高田三郎 作品集 没後10年メモリアルコンサート 指揮 高橋 利幸 ピアノ 小川万理江 ソプラノ独唱 枝松 瞳 合唱 女声合唱団ねむの花 浜離宮朝日ホール今回は高田三郎作品集ということなのでとっても楽しみにしてきた。期待を裏切らない素晴らしい演奏で使用していたピアノはベーゼンドルファーだった。特に高野喜久雄の詩に作曲した女声合唱組曲「わたしの願い」と同じく女声合唱組曲「水のいのち」は深く心にしみとおり、覆っていた心の蓋がはずされて奥底を揺さぶられた。高野喜久雄の詩は深い人生の内省と洞察に満ち、詩の一行一行が普段見ようとしないで誤魔化している人生の真実を突きつけられたようだった。日ごろ肉体は駆使するが感性をないがしろにして生きている私には非常に鋭く心に響いた。詩だけでも感銘深いのに高田三郎の音楽がさらに見事で、合唱団もこれを豊かな表現力で歌い上げていて心がふるえた。アルトが特に低く豊かでやさしく全体のバランスがよかった。「水のいのち」は若い時から大変好きで中でも「川」は昔よく合唱で取り上げた懐かしい曲だったので、時を経てこの曲を聴き、思わず涙がにじみそうな程感動した。輪廻転生を示唆する内容と、ある時は問いかけある時は語るようにまた呼びかけるように合唱が展開して音楽の素晴らしさを堪能した。この詩にこの音楽、合唱曲の最高傑作だ。「心の四季」の「雪の日に」もすばらしく心に残った。最後にアンコールが演奏され、その1曲「櫛」も心に残る名曲の名演奏だった。久しぶりに美しい合唱曲を聴き刺激された。団員は女性ばかり24名で小規模だが、聴くたび毎に異なる表現をみせ成長を遂げていてすばらしい。皆さんそれぞれの仕事を持ちながらの演奏活動でそれを維持しているのは合唱に対する並々ならぬ情熱があるからだろう。しかしその団員の力を引き出し、伸ばし、まとめて音楽を創っているのは指揮者である。この指揮者にはつくづく感心する。アマチュア合唱団やアマチュアオーケストラを育て大曲を指揮して年間に何度もコンサートを開いている。そのいずれもが精度の高い演奏で聴衆を納得させる。同年代に生きる者として心から敬意を表するものである。 指揮者 高橋利幸 川 詩 高野喜久雄 何故 さかのぼれないか 何故 低い方へゆくほかはないか よどむ淵 くるめく渦のいらだち まこと 川は 山にこがれ きりたつ峰にこがれるいのち 空のたかみにこがれるいのち 山にこがれて 石をみごもり 空にこがれて 魚をみごもる さからう石は 山の形 さかのぼる魚は 空を耐える だが やはり 下へ下へと ゆくほかはない 川の流れ おお 川は何か 川は何かと問うことを止めよ わたしたちもまた 同じ石を 同じ魚を みごもるもの 川のこがれを こがれ生きるもの この詩 何度読んでも深いですね。
2010年06月05日
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バリ島に住んでいる人たちの言語は当然のことながらバリ語である。今回バリ語を学習して行く時間がなくて何も知らないで行ってしまった。早速現地ツーリスト(この青年は織田裕二に似たハンサムで日本語がとても流暢な有能な人だった)にいろいろ聞いて教えてもらった。スラマタギー おはよう トリマカシィー ありがとう スラマシア こんにちはスラマソレ pm2時~5時の時間帯のあいさつ スラマラム こんばんは スラマティンガル さようなら アユマカン 食べましょう ナシ 飯 ミンタ 頂だい これがなかなか覚えられない。旅のノートの裏側に書いて使うチャンスがあるごとに見ながら現地の人に声をかけた。結局覚えたのはスラマタギーとトリマカシィーだった。特にトリマカシィーは何十回も使った。観光業務の人たちはほとんどが日本語が話せるから thank you または ありがとう で通じたのだが、やはり現地語が親近感があるし、バリの人たちの笑顔が見られる。レストランで食事をしている時などトリマカシィーと言うとウエイトレスが「サマサマ」と答える。「どういたしまして」という意味なのだが、この発音や抑揚がゆったりしてとても楽しかった。
2010年06月04日
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バリ島の通貨はインドネシア・ルピアである。インドネシア・ルピアは日本で交換すると為替レートが非常に悪いので、必ずバリ島に着いてから両替すること、日本円も1000円札をたくさん持っていくのがよいと指示されたがその通りの実情だった。空港内の両替所で日本円3000円をルピアに交換した。1ルピア約100円で300000ルピアになった。30万というと数が大きいのでお金持ちになった錯覚を起こしてしまう。 この3000円分で5泊6日の飲み物等ちょっとした旅の必要品がすべて賄えた。最後にマッサージを受けに行く段になってやっと1万円札を出した。チップもほとんどいらないし、土産を買う時間もあまり無くて安上がりの旅だった。
2010年06月03日
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バリ島3日目の5月28日、午前4時起床、集合5時、登山口6時半という日程でバトール山(1717m)東山麓のトヤブンカに向かった。登山口に着いてみると現地ガイドが3人、ツアーリーダー、現地ツーリストと参加者8名にスタッフが5人もいて、大げさだった。 樹林帯のふかふかの道から歩き始める。しばらく歩くとバトール山がガスの中から浮かび上がってきた。立派な火山であり、爆裂したままの形になっている。ゆっくり歩いている上に途中休みながら登り、奥多摩なら御前山というところだろうか。ガイドは要所にある神様の祠(?)にお供えをし、真剣に祈りをささげている。 山頂直下、丁度肩に当たる場所に山小屋があった。そこでしばらく休憩して眼下の景色を楽しむ。バトール湖がはるか下に静かな湖面を見せて広がり、反対側には流れ出た黒い溶岩が見える。穏やかな風景である。 現地ガイドの背中 お供え物が溢れるバトール山頂小屋から一登りすると山頂だった。折からブロッケン現象が現れて一堂大喜びした。
2010年06月02日
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久しぶりに自宅に帰ってみたら、薔薇が満開になっていた。 真っ赤な薔薇がたくさんベランダに向かって咲き誇っていて、嬉しかった。
2010年06月01日
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