まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2004.03.06
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TVで見ました。

とりあえずミーハーなんで、
話題作はとり上げておこうかなってことで。
(放映してからアップするまで遅くなりました)

山田洋次って、
こんなのも撮れるんだあ、と。
予想外によかったんでビックリ。

何十年も「寅さん」なんかやってる間に、
こういうのをたくさん撮ればよかったのにと思った。


名作といわれてる『砂の器』(映画は見てないけど)の脚本が、
「山田洋次&橋本忍」だったので、
山田洋次の脚本家としての能力というのも気にしながら観ました。

宮沢りえちゃんがとってもステキでした。
そして、
田中泯相手の最後の立ち回りが、凄かった。

あんまり感動したので、
山田洋次の監督としての力量を見直したんだけど、

ネットでいろんなレビューなんかを見てみたら、
けっこう批判なんかもあって、
なかには、かなりナルホドと思える批判もあった。


あと、もうひとつは、
岸恵子のナレーション と、
物語の「 後日談 」に対する批判も多かった。
なかでも「後日談は不要だった」という意見がけっこうありました。


わたしはあまり分からないというのもあるし、
べつに時代劇の話に「リアリティ」も期待しないので、
さほど気にもならなかった。

たしかに、
「なんで大勢で鉄砲で田中泯を退治しないんだろう?」
というのは、ちょっと思いましたけど。

岸恵子 にかんしては、
あの金属的な声のナレーションが、静謐な映画の雰囲気にそぐわないというのはあるし、
あのバタくさい顔が、「後日談」に登場してくるのもそぐわないかも、というのはあった。

でも、「 後日談 」そのものは、映画にとって必要だったと思う。
以登(次女)の目をとおして映画を語ることは、絶対重要だったと思う。

真田広之の「清兵衛」と、りえちゃん演じる「朋江さん」の人物像は、
清廉で、潔白で、慎ましくて、
いわゆるステレオタイプな「古き良き日本人像」だけど、
それが「次女の目」をとおして語られるからこそ、
記憶の中の「父と母」の姿が、
ステレオタイプな「理想の日本人」として描かれることを許されるんだと思う。
そうじゃないと、
ステレオタイプな昔の日本人の、
あまりに陳腐な時代劇になっちゃう。

じっさいの昔の日本人が、
ほんとうにそんなふうに清廉で潔白だったかは分からないわけで、
でも、すくなくとも「次女の記憶の中」ではそうだった、というのが、
たぶん大事。

そして、同時に、
そういう「古き良き日本人」としての父が、
「侍」としては、強く、立派に、正しく生き抜いたんだけども、
時代の変化のなかで、
「けっきょく鉄砲にあたって死んでしまった」ということも重要なんだと思う。

もし、その 後日談 が無いと、
「しがない下級武士がじつは剣豪のスーパーヒーローでした」
みたいな話になっちゃうし、
それじゃアメリカ映画の「スーパーマン」や「ゴーストバスターズ」と変わらない。

そういう意味で、
この映画は「古き良き理想の日本人」を描いたいい作品だったと思いますが、

ただ、
冷静に考えてみると、
山田洋次の脚本も、たしかに過不足なくよくできてるし、
演出もすごく正確だと思うけど、
逆にいえば、オーソドックスにすぎる。
心憎いような過剰な繊細さとか、おどろくような大胆さはない。

最後の立ち回りのシーンは、
山田作品としては、仰天してしまうほど大胆だったけど、
あれはたぶん、やっぱり田中泯に負うところが大きいんじゃないでしょうか。



というわけで、
映画史を塗り替えるような傑作ではありませんけど、
日本人の話題作になるのには、ふさわしい佳作だったと思います。

山田洋次のオーソドックスな演出と、
宮沢りえちゃんの演技力と、
田中泯の存在感と、
真田広之の運動神経が、
ちょっとずつ良かったんじゃないかな。(~~)





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最終更新日  2020.07.26 02:04:30


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