まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2008.06.12
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スキル一覧表についてですが、現在、ちょっと脱線して、
子供の教育への応用について考えています。



しばしば、親とか先生は、
「ゲームなんかしないで、もっと勉強しなさい」と言います。
でも、じつはゲームと勉強はとてもよく似ている。

一つの段階をクリアして、次の段階に進む。

このことに人は面白さを見出すと思いますが、
これがテレビゲームの面白さの根幹を成す部分です。

これは勉強が本来もっているはずの面白さでもある。

にもかかわらず、
なぜか学校の勉強には、このような面白さが無い。



テレビゲームでは、
今、自分がそのステージをクリアできるかどうか、
そのことに没頭できる。
そのときの達成感を味わいたい衝動に突き動かされる。
集団のなかで比較されることもない。
自分の能力だけを鍛錬し、挑戦していくことができる。
失敗したら、何度でもリベンジする。


あくまでも自己本位に満足を味わえる。
そして、またすぐ次のステージも達成したい、
という欲望が次々と生まれてくる。

けれど、学校の勉強はそうではありません。
学校の教室の空間は、テレビゲームの空間とは違う。

出来すぎれば嫉妬され、出来なければ蔑まれる。
教室には、同じ年齢の子ばかりが集まっていますが、
同じ段階を、同じようなペースで進んでいかなければならない。
他人との違いが、否応なしに際立ってしまう空間です。

規定の期間内に、同じ課題(ノルマ)をこなさなければならず、
そのつど評価が決定する。
再チャレンジの機会はほとんどない。
そこは、互いの価値評価を決めるための場所です。

大人にも同じことが言える。
ビジネスの世界はむろんですが、
学区内の大人の関係にも同じことがいえる。

地域のつながりが薄いぶん、学校を通した付き合い以外にない。
それは、同じ年齢の子をもつ保護者どうしの関係でしかありません。
そこもまた、自分の子と他人の子を比較し、差別化しあう場所です。

かつての地域の共同体の中には、
お兄ちゃんやお姉ちゃん、
あるいは妹や弟(年下の子)らとの関係がありました。
また、いろんな世代の大人や、青年や、年寄りがいた。
年長の子供は、まだ小さな子供の面倒を見たし、
年長の大人は、まだ若い大人に、色々なことを教えた。
そもそも、みんな年齢が違うわけですから、
同じことが当然なのではなく、
むしろ、違うのが当然だった。
互いを比較しあうことが意味を為さないような空間だった。

そのような、おおらかで柔軟な場所は、もうありません。



わたしは、この連載のいちばんはじめに、
資本主義社会の負の側面として、


人間の価値や存在理由を「商品価値」でしか測れなくなっている。


ということを挙げましたが、

学校における子供の価値づけかたと、
市場における商品の価値づけかたとは、
きわめて相似した関係があります。
市場社会の価値観は、学校の中にも、見事に浸透している。
逆にいうと、
市場価値以外の価値観を養える場は、今はほとんどありません。



学校というのは、
スキルを身につける場であるというよりも、
互いを価値づけ、差別化しあうような空間です。

ぶっちゃけ、学校ってのは、
スキルを身につけるのにふさわしい場所じゃありません。

話を戻しますが、
教育が、テレビゲームから学ぶべきことはきわめて多い。
テレビゲームの面白さは、勉強に応用することができる。

ドミトリーの「スキル一覧表」は、
ライフ・スキルや学習スキルなどを獲得する面白さ、
あるいは蓄積していく面白さを実感するための道具です。
もちろん、「生涯学習」に応用することもできます。

(つづく)




















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最終更新日  2008.06.12 19:26:47
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