まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2008.06.15
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現代社会は、人間関係が希薄です。


たとえば、ニートの人は、
仕事をする気力や能力が無いのではなくて、
多くの場合は人間関係を維持する力が無いのだと思います。
フリーターの人たちにも、
組織の中の人間関係や競争を避けたがる人は多い。

ドミトリーも、複数の他人どうしが暮らす場所です。
だから、


しかしながら、
ドミトリーは、基本的に自由な個人の空間です。
かつての共同体のように、
濃密な人間関係を強要するような場所ではありません。
独りで、気ままに自由に過ごしてかまわない場所です。
また、大規模なドミトリーであればあるほど、
個々の人間関係に気をはらう必要もなくなると思います。



わたしは、人間関係というのは、
原理的には「経済関係」なのだろうと思っています。

「カネの切れ目が縁の切れ目」という言葉があるように、

不純で、えげつなくて、きわめて脆弱なものだといえる。
けれど、本当の「経済関係」というのは、それとは違う。
それはいわば経済的な役割分担のことです。

たとえば、生産者と小売業者の関係は、切り離せない。
お互いに信頼や信用が無いと成立しないし、

互いに補完的な関係です。

かつての地域社会にも、このような経済関係があった。
町の中に、八百屋さんや、魚屋さんや、電気屋さんがいて、
だれが欠けても町の生活が成り立たないような、
相互に依存した関係がありました。
また、町の行事があれば、みんながそれぞれ役割を担ったし、
地域で行なう作業があれば、分担して力を合わせた。

しかし、現在では、
八百屋や魚屋がなくても、スーパーがあれば事足りてしまう。
相対的に地域の関係が弱まったのは、そういうこともある。

同じことは家族関係にもいえる。
従来、夫婦は、やはり相互依存的な経済関係だったと思う。
夫と妻の役割は、互いに補完的なものだったと思います。
けれど、今は、夫がいなくても女は生きていけるし、
それと逆のこともいえるのだと思います。
そのことで、家族の関係も相対的に弱まってきたといえる。



ドミトリーの人間関係も、
気の合うどうしの仲良しの関係というより、
やはり経済的な関係、つまり役割を分担する関係だと思う。

もちろんドミトリーのサービスを利用するだけでは、
このような関係は生まれてこないかもしれないけれど、

たとえば、ドミトリーの中で
掃除をしたり、料理を作ったり、子供の面倒を見たり、
そうやってお互いに役割を分担するなかで、
自然に、他人への信頼とか親しみとか、
共同意識とかが生まれてくるのだろうと思います。

趣味が多いとか、話が上手だとか
そういうことだけで人間関係の有無が決まるのだとしたら、
それは、豊かな社会というより、かなり貧困な人間社会です。

たとえばニートの人がいるなら、
積極的にドミトリーの家事をこなしてほしいと思う。
人間関係なんてものは、そこからおのずと生まれてくると思います。

(つづく)




















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最終更新日  2008.06.20 16:51:00
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