まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.11.29
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カテゴリ: NHK朝ドラ
朝ドラ「エール」が終了です。

今作の内容には、おおむね満足しています。
とくに戦争以降の描き方は見応えがありました。



ただ、最終週を見て、
あらためて思ったのは、
このドラマが、当初の予定とは、
かなり違ったものになったのだ、ということ。

今年は、東京オリンピックが延期になりましたが、

やはりオリンピックをすっ飛ばしてしまった感じ(笑)。

開会式をテレビで見るシーンでは、
東京の友人たちや、福島の家族の姿が映ったのに、
豊橋にいる梅や五郎の姿が映らなかったのも残念でした。

もしかして、
森七菜のスケジュールが調整できなかったのでしょうか?





今回の朝ドラは、

1.脚本家の降板によって、
2.志村けんの死によって、


かなりの改変を強いられたと思います。

NHKのディレクターみずからが脚本を手掛けたのは、
朝ドラ史上初めてのことかもしれませんが、
ある意味では、
NHKに対する自己批判もふくむ形で、




最終週の脚本の変更。

たとえば、
小山田耕三(=山田耕筰)の手紙のシーン。

これは、そもそも実話ではないはずだし、
当初の脚本にすら無かったものだと思います。

おそらく、
志村けんが生きていれば、
主人公に対する謝罪の場面は、
もっと早い段階で描かれていたはずですよね。

しかし、そのシーンが撮影できなくなったために、
やむなく「死後の手紙」という形になったのでしょう。

結果として、
このドラマにおける山田耕筰の立ち位置は、
かなり分かりにくいものになってしまいました。
けっして、ただの悪役ではなかったはずですが、
本来はどう描く予定だったのでしょうか?





オリンピック開会式のシーンにも、
大幅な脚本の変更が加えられたはずです。

この開会式の場面は、
すでに第1話で予告されていましたが、
最終週で描かれた内容は、
それを受けたものにはなっていませんでした。

たんに、うわべだけ「伏線の回収」と見せかけたにすぎません。

第1話で、主人公は、
自分の曲が受け入れられるかどうかに自信がもてず、
トイレに引きこもってしまうのですが、
「長崎の鐘」を聴いたという青年の言葉に救われ、
ようやく気を取り直して、指揮台へ向かうのですよね。

本来、この場面は、
作品全体のテーマにもかかわるような、
きわめて重要な意味をもっていたはずです。

おそらく、
林宏司の当初の構想において、
主人公は、
オリンピックが開催された1964年になっても、
いまだ戦争に加担したことの罪悪感を、
完全には脱しきれずにいたはずなのです。

だからこそ、
長崎出身の青年の言葉を足掛かりとして、
オリンピックに「夢と希望」を託し、
その戦争という過去を乗り越えようとしたのでしょう。

そう考えるならば、
主人公が「オリンピックマーチ」を指揮するシーンは、
このドラマにおける最大のクライマックスになったはずです。



しかし、
脚本家が降板し、
さらには、
今年のオリンピックが延期になったことで、
このシーンの意味合いは大きく変わってしまいました。

主人公が指揮台に立つシーンは省略され、
「オリンピックマーチ」の演奏は一部分に短縮され、
開会式のエピソードそのものが、かなり淡白なものに終わった。

つまり、
このエピソードは、本来の重要性を失ったのです。

戦争に加担したことに対する主人公の罪意識は、
すでに「長崎の鐘」を書くことで克服されており、
「オリンピックマーチ」を書くときには、
さしたる葛藤も逡巡もなくなっていました。
作曲に時間がかかったのは、
その作業があまりに「幸福だったから」にすぎません。



今回の朝ドラは、
コロナの影響で10話分ほど回数が減ったのですが、
たとえそうだとしても、
削るべきエピソードは他にいくらでもあったはずです。

けれど、
脚本を引き継いだディレクターの吉田照幸は、
あえて、もっとも重要だったはずのオリンピックパートを、
大幅に削ったわけですね。

作曲のエピソードについていえば、
「オリンピックマーチ」よりも、
「長崎の鐘」や「栄冠は君に輝く」のほうに、
より重心を置いて、熱を注いだ形になりました。



結局、
「いだてん」のクドカンも、
「エール」の吉田照幸も、
本来のNHKの思惑とは反対に、
オリンピックをほとんど美化しなかったのです。

わたしは、それでよかったと思います。

オリンピックを美化しようという当初の構想のほうが、
むしろ間違いだったのだから。

そもそも、古関裕而が、
”オリンピックマーチの完成によって戦争の罪を克服した”
という安易な解釈にもとづく物語は、
あまりにも御都合主義的な創作だというほかありません。

ドラマの考証を担当した刑部芳則によれば、
「オリンピックマーチ」の曲の構造は、
「皇軍の戦果輝く」という軍歌の構造につながっているらしい。

刑部は、このことを、
古関の創造のための「忘却」によるものだと述べています。

しかし、
たとえ忘れていたにせよ、忘れていなかったにせよ、
「戦争のための国威発揚」と、
「オリンピックのための国威発揚」とを、
同じような発想、同じようなメンタリティで、
作曲してしまっていること自体が、
やはり微妙な問題を孕んでいるというべきなのです。

それを安易なかたちで美化するのは避けたほうがいい。



本来なら、今年は、
2度目の東京オリンピックが開催されるはずであり、
この朝ドラも、
現実のオリンピックに並走させるつもりだったのでしょう。

しかし、
正直なところ、現在の日本人は、
オリンピックなんぞに「夢と希望」を託す気分じゃありませんし、
吉田照幸による脚本の改変も、
こうした状況と気分を的確に反映したものになったと思います。





さて、
この朝ドラの最終回は、NHKホールでのコンサートでした。

多くのミュージシャンやミュージカル俳優を、
メインキャストとして起用したドラマですから、
このコンサートは、おそらく当初から予定されていたものでしょう。

それどころか、本来なら、
無事に閉幕したオリンピックを振り返りながら、
観客も入れた大規模な公演をおこなうつもりだったと思います。

しかし、コロナの影響もあいまって、
だいぶ控えめなコンサートになってしまった。



わたしとしては、
井上希美や小南満佑子のソロ歌唱による曲も聴きたかったし、
野田洋次郎が、古賀政男の曲を歌うところも見たかったです。

ちなみに、わたしは、
最後の最後まで、
二階堂ふみの歌唱場面が"吹替"だと思い込んでいました(笑)。

彼女の歌った「長崎の鐘」にビックリです。
あんなに歌える人なんですね。




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最終更新日  2024.06.20 17:14:36


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