まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2022.11.05
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朝ドラ《評論家をぶっ叩く》シリーズの2回目!


どいつもこいつも、
▶前回の碓井広義とおんなじ で、
例によって 「共感できない」と「ご都合主義」 を並べて、
一般視聴者と大差ない戯れ記事を書いてる奴らがほとんどです!

逆に、この人たちは、
「共感できない」と「ご都合主義」 というタームを取り除いたら、

…と心配になるほど、批評言語の貧弱なライターも目につきます。

そして、

そんな素人まがいの評論家にありがちな、
もうひとつの紋切り型の批判が、
「主人公が成長してない」 ってやつですね。
これもまあ、いたるところの記事で見かけます。

もともと朝ドラにかぎらず、
「ドラマは主人公の成長物語でなければならない」
みたいな無根拠な思い込みに縛られている人たちは多いのです。



朝ドラでも 「ヒロインの成長」
実際のところ、
人間なんて、そうそう成長できるものではありません。

年をとるほど醜くズル賢くなることはあっても、
基本的な人間の本性は、
むしろ子供の頃から変わらない、というほうが正しい。


たとえば「おちょやん」の千代は、
少女のころからすでに考え方が大人を上回っていたし、
逆に父親のテルヲは死ぬまでバカのままだった。

人間なんて、そんなものです。

今回の「ちむどんどん」の場合、
ヒロインの暢子はわりと早い段階で経済的な自立をし、
さらに経営的な独立をし、その後の紆余曲折をへて、
▶最終的には沖縄へ「野菜食」の発想と技術を持ち帰った。
それが彼女の《料理人としての成長》でした。

とはいえ、たしかに、
彼女は人格的にはほとんど成長しませんでしたし、
成人してなお幼稚園児みたいなキャラだったといえます。

しかし、
いったいそれの何が悪いのでしょう??



もともと、このドラマは、
「愛すべき沖縄のバカ兄妹」が巻き起こす珍騒動の話なのだから、
そういうキャラクターの設定で間違ってはいない。

良子も、暢子も、
たとえば婚約者の実家を訪問するときに、
ギトギトのサーターアンダギーをビニール袋に入れて、
心からの善意で持って行ってしまったりするわけだけど、

ある意味では、
それこそがこのバカ兄妹の愛すべきところなわけで、
妙に気の利いた高級百貨店の菓子折りなんぞを持っていったら、
かえって小賢しく嫌味に見えてしまうに違いありません。

結果的には、
重子さんも、家政婦の波子さんも、
そんなバカ兄妹の幼稚さや純粋さに心を動かされたわけだから、
物語の展開から考えても、ああいう描写には合理性がありました。



賢秀の破天荒なキャラについても、
一部には「沖縄人を愚弄した描写」と考える向きもあったかもしれませんが、
ただひたすら沖縄を美化すればいいってものでもない。

沖縄に実在するアンダーグラウンドなヤンキー社会を戒めるためにも、
そこで安易な商売が横行しやすい実態に警鐘を鳴らすためにも、
賢秀が引き起こす騒動の描写にはそれなりの意味があったと思うし、

本土の側にだって、
あいもかわらず詐欺に騙される人たちや、
ネズミ講などに手を出したりする人たちはいるわけだから、
そういう人たちへの注意喚起の意味でも、
ああいう泥臭い描写には一定の意義があったと思います。

朝から不愉快なものを見せられてイライラする、
と感じる人たちが多かったのも分かりますが、
見ていてひたすら気分が良ければドラマとして優れてるのかといえば、
かならずしもそうではない。

コメディのオブラートに包みながらも、
歴史や社会の不愉快な面に目を向けさせる工夫は必要です。



最終回では、
歌子が倒れる、というお約束の《釣りネタ》があって、
ここでもバカ兄妹たちが相も変らぬ騒動を巻き起こしました。

医者は「出来ることは全部やった…」みたいに言いますが、
それは、たんに「熱が下がらなくて目が覚めない」というだけのことで、
べつに誰も「死にそうだ」とは一言も言ってません。

あきらかに、お約束の《釣り》ですね。

まさか、
下地先生からの折角の手紙を宙に浮かせてまで、
ほんとに歌子が死んだりする展開にならないのは明白なのだけど、

例によって、
この愛すべきバカ兄妹の面々は、
放っておけば自然治癒で目を覚ますのも知らないで、
あろうことか、タクシーの運ちゃんまで巻き込んで、
やんばるの美しい海にむかってギャーギャー騒ぐわけですね。

わたしは、
そのバカっぷりに大笑いしながらも、
ボロボロと泣いてしまうわけですが、

あの最終回こそ、
いつまでも成長しないバカ兄妹たちが、
最後の最後に辿り着いたバカっぷりの集大成だったわけだから、

ああいう描写に本気になって目くじら立てて文句を言うほうが、
かえって無粋で滑稽だというべきだし、
ほとんど無理解、あるいは曲解に近いんじゃないか、と感じずにはいられない。


《バカ兄妹の最後のさけび》




わたしは、
つねづね疑問に感じるのだけど、
「うんうん、ヒロインも成長したねえ。私と同じように!」
などと満足げに論評する視聴者って、
いったいどういう目線でドラマを見てるのかしら?

たとえば今回のドラマでは、
《他人に忖度できる大野愛》と、
《他人に忖度できない比嘉暢子》とを比較して、
「忖度できるようになってこそ人間の成長!」
みたいな主張がSNSのなかに湧き上がったのですが、

SNSの炎上に「同調」してツイートしたり、
SNSの風潮に「忖度」しながら記事を書いたり、
そうやって集団で徒党を組んで大声をあげる人たちを見てると、

もしかして、この人たちは、
周囲の空気を読んで、同調して、忖度しながら、
集団でバッシングをしたり、
集団でいじめをしたりする行為のなかにこそ、
自分たちの 「成長」 を感じているのではあるまいかと、
なにやら寒気がしてきます。

むしろ、
その種のいじめや炎上に加担しないためには、
空気も読めず、同調や忖度もできないことのほうが、
よほど人間として素晴らしいんじゃないかしらと思えてくる。



まあ…

ドラマやコメディのお約束が理解できず、
大真面目になって目くじら立ててしまう滑稽な視聴者や、
なにがなんでも些末な粗探しをせねば気が済まなくなって、
自分の存在意義をそこに賭けてしまう視聴者がいたとしても、

あくまで個人の行為としてなら問題ないのだけど、

よりによって、
評論家やら、大学教授やら、政治家までが、
そういう集団的な炎上に便乗してしまうのだとすれば、
これはもう職業的な意味で「不適格」と言わざるをえません。
本質的に批評的な姿勢が欠落しているからです。

とりわけ、
大学教授やら政治家にかんしては、
「そんなことまでして自分の名前を売りたいのかしら?」
と、これまたうすら寒い気持ちになります。

今回の件で、
SNSの炎上騒動に便乗して名前を売ったような連中は、
学者倫理の観点からいっても、
政治倫理の観点からいっても、
完全にアウトというべきでしょう。



じつは、
今回の苛烈なバッシングを裏側から見ると、
テレビ視聴率の下落傾向を食い止めるための手段として、
SNSの「炎上」が逆に利用されていた面もうかがえますから、

正義感を振りかざして必死で叩いていた人たちも、
NHKの策略にまんまとハメられていた可能性がなくはありません。

とはいえ、
メディアやジャーナリズムが炎上を煽る状況はけっして健全ではないし、
ましてアカデミズムや政治なんぞが安易に乗っかるべきではない。



なお、
▼こちらの記事を読むと、
news.yahoo.co.jp/byline/suzukiyuji/20220917-00315564
実際にSNSを炎上させていたのは「ラウドマイノリティ」ではないのか、
との推察もあるようです。

わたしも、
今回の炎上を牽引していたのは、
ラウドマイノリティの可能性が高いかな、と思う。
つまり、 書き込み回数が多いだけの少数者 です。
ツイッターの場合はフォローによる相互連携も関係してくると思いますが。

実情はよく分からないし、
かならずしもラウドマイノリティの言論を抑圧する必要もないのだけど、
すくなくともメディアの側は、
その主張をあたかも「世論」であるかのように報じるべきではないし、

かりにラウドマイノリティと実数的な世論とのあいだに乖離があるのなら、
その実態を把握するための技術や方法論を、
なるべく早めに確立すべきだと思います。



※10/5の記事の再掲になります。






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最終更新日  2022.11.20 12:52:22


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