まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.11.11
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ひさしぶりに映画館へ出向き『ゴジラ-1.0』を観てきました。
レビューはこちらに書いています

大迫力の怪獣エンタメに期待したのですが、
実際は、かなり陰鬱な戦争映画といった印象でした。

でも、観てよかった。
上記のサイトにも最高点につぐ9点をつけました。



タイトルが「-1.0 (マイナスワン)
戦争の "負の遺産" をいかに乗り越えるかが作品のテーマです。

戦争の負の遺産というのは、
米国が投下した核爆弾と放射能でもあるはずですが、
それだけではありません。
登場人物はそれぞれに戦争の負の遺産を背負っている。

神木隆之介が演じる男性は、
特攻の命令に背いた逃亡兵として負い目を感じている。
山田裕貴が演じる若者は、
その若さゆえに従軍できなかった負い目を感じている。
浜辺美波が演じる女性は、
空襲で両親を亡くしたらしき戦争孤児を育てています。


本来なら背負わなくていいはずの何かを背負っている。



物語の序盤では、
米軍が日本近海にばらまいた機雷の除去の様子が描かれます。
これも、やはり戦争の"負の遺産"です。


それを日本人が除去する羽目になっており、
終戦直後の日本には軍隊も自衛隊もないので、
あろうことか民間の組織がそれを請け負っている。

そして、
海域にばらまかれた機雷に怒っているのは、
かならずしも日本人だけではありません。

海中生物であるゴジラも怒っているわけです。

ゴジラは、その怒りの矛先を、
米国ではなく、目の前の日本に向けてきます。

米国の占領軍はソ連との関係に配慮して出動せず、
日本にも軍隊はもちろん自衛隊もまだ存在しないので、
結果的に、
旧軍人と民間人の有志がゴジラに立ち向かうことになる。

…そのような物語です。





ところで、
わたしが注目したのは、
ゴジラ撃退法が「ワダツミ作戦」と名付けられたことです。

ワダツミとは、
記紀神話に登場する海神のことです。

以前の記事にもワダツミのことは書きましたが↓
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202102260001/
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/

おもに長野や島根 (出雲) にゆかりのある神であり、
わたし自身は新海誠のアニメにも関わりが深いと感じています。

ワダツミは、
水の神である蛇神や龍神に比定されることもあるはずなので、
その意味では「ワダツミ=恐竜ゴジラ」と解釈することもできます。



しかし、
その一方で思い起こされるのは、
「きけ、わだつみの声」のタイトルで知られる学徒兵の遺稿集と、
それを原作にした1950年の関川秀雄の映画です。



手記を残した戦没学生のなかには、
上原良司のような特攻兵も含まれます。

とくに上原良司は、
ワダツミの故郷とされる長野県安曇野市 (旧穂高町) の出身なので、
彼自身が "海に沈んだワダツミ" だったとも言える。

安曇氏は、海神の「ワタツミ(綿津見)」を祖とする氏族。安曇は「アマツミ(海津見)」に由来するとの説がある。博多湾の志賀島から散った一族は、信濃国の安曇郡(現・長野県安曇野市)などに移ったとされ、穂高神社には安曇氏の祖神として「ホダカミ(穂高見)」や「ワタツミ(綿津見)」などの海神が祀られている。

そこから考えれば「ワダツミ=特攻学徒兵」とも解釈できます。





音楽惑星さんの以下の記事にも、
関川秀雄と本多猪四郎のことが触れられていたのですが、
http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-368.html#honda

「わだつみ」を作った関川秀雄は、
「ゴジラ」を作った本多猪四郎と東宝の同僚でした。

関川のほうが3つ年上ですが、
東宝に入ったのは本多のほうが5年ほど早いようです。

本多猪四郎には過酷な従軍経験があり、
復員後はもっぱら戦争映画を作っていました。
…といっても、本人が語っているように、
彼には左翼的な思想らしきものは見られません。

かたや関川のほうは、
従軍経験がない代わりに、
非常に理念的で左翼的な思想の持ち主だったようです。
労働争議を経て東宝を離れ、
1950年に「日本戦歿学生の手記~きけ、わだつみの声」を、
1953年に「ひろしま」を監督しています。

当時はレッドパージの余波もあり、
彼の作品は東宝や松竹のような大手の配給を得られず、
その後も長らく忘れられていましたが、
2019年にNHKが「ひろしま」を放映したことで、
ふたたび注目されるようになっています。



関川秀雄の「ひろしま」は1953年に、
本多猪四郎の「ゴジラ」は1954年に作られています。

どちらも反核をテーマにしており、
ひそかに反米色を滲ませているだけでなく、
両作品には《伊福部昭が音楽をつけた》という共通点もある。

しかも、伊福部昭は、
「ひろしま」の音楽を「ゴジラ」に転用しているらしい。
2つの映画が共通のテーマで通底していると考えたのでしょうか?



今回の『ゴジラ-1.0』は反戦的ではありますが、
非武装や非戦を主張しているとまでは言いがたく、

情報統制を敷く日本政府の隠蔽体質は批判しているものの、
米国への怒りを滲ませるだけで、
日本政府や日本国民の戦争責任を問うているとも言いがたい。

そのことには賛否両論あっても仕方ないと思いますし、
わたし自身、正直なところ、
山崎貴の憲法観や政治姿勢については、よく分かりません。
(これは庵野秀明についても同じです)

ただ、反米色をにおわせる傾向は、
関川秀雄の「ひろしま」や本多猪四郎の「ゴジラ」以来の、
伝統的な姿勢といえなくもありませんし、

今回の映画は、
その背景にある政治思想や信条とは切り離して、
とりあえず作品自体として評価したいと思います。



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最終更新日  2023.11.11 09:30:05


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