まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.11.14
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カテゴリ: メディアトピック
宝塚で後輩叩きをしていた劇団員も、

自分たちの行為が「正義」だと信じている点で似ています。

これはたとえば、
子供を虐待する親や教師が、
自分の行為を「躾 しつけ 」だと信じているのにも似てるし、

後輩にシゴキをおこなう運動部員やサラリーマンが、
自分の行為を「指導」だと信じているのにも似ています。



これは一面では、
伝統的な縦社会の悪弊にも関係するけれど、

それだけではなく、
SNSのエコーチェンバーのように、
偏狭な「正義」が増幅しやすい現代的な環境も関係している。

本を読むこともなくなって、
テレビを見ることも少なくなって、
公共的な価値や多様な価値に触れる機会は減っているし、

一定以上の知性がなければ、
価値の相対性に気づくことが出来ず、
狭い世界の価値観だけに染まってしまい、




それどころか、
偏狭な「正義」が増幅した集団のなかでは、
それに疑いをもつ人間のほうが排除されてしまうし、
それを批判をする知性的な人間のほうが叩かれてしまう。



多くの日本人が、
軍国主義教育や大本営発表を信じていた時代では、
それを批判する人間のほうが「非国民」だと叩かれた。

人々は、天皇の玉音放送を聴くまで、
軍国教育や大本営発表を「正義」と信じて疑わなかったし、
敗戦してから気づいても後の祭りなのだけど、
敗戦しないかぎりは、その「正義」が間違いとは考えない。

宝塚の場合も、ジャニーズの場合も、
死者が出るまでは、その「正義」を疑おうとはしないし、
場合によっては、死者が出てもなお、
いちど信じてしまった正義を捨てることができないのでしょう。



とくに若い世代で、
こうした偏った価値観が増幅しやすくなっています。
これは危険な傾向だというべきです。

国民が公共的な価値や相対的な価値に触れる機会を、
従来の国家教育とは別の形で作っていかなければなりませんし、

官民が共同して、
偏狭な「正義」を疑えるだけの知性を鍛えていかねばならない。



宝塚で後輩叩きをしていた団員は、
いまや「社会悪」として世間から叩かれる立場になっています。
それまで自分たちの信じていた正義が、
外の世界からは「悪」だと見なされるようになってしまった。

それは、ちょうど、
"敗戦後の軍国主義者"に近い心境だろうと思います。
自分たちの拠り所としてきた基盤が完全に否定された状態ですね。

国が違えば正義は変わるし、時代が変われば正義も変わる。
外側の正義は内側の正義とは違うし、未来の正義は現在の正義とは違う。

小さな集団のなかで視野が狭まると、
そうした価値観の多様性や相対性を想像できなくなり、
偏った正義感で身を染めてしまうことになりますが、
それは結果的に自分自身を滅ぼすことになる。

そうならないための最低限の視野と知性は、
現代社会に生きる誰にとっても必要なことだと思います。


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最終更新日  2024.06.17 20:39:46


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