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朝、父からメールがあり母がまた仕事で東京に来るとの事。珍しい。家の家業は九州中を動き回る事はしょっちゅう(頻繁)だが行って関西までがほとんど年に二回も関東行きの仕事が入るのは本当に珍しい。母の仕事終わり、6時ごろに京八の駅ビルで待ち合わせ、パスタ屋で食事。 以前自分が駅前でよく利用していたイタ飯屋がなくなってしまったので新しい所を覚えておこうと駅ビルの上で食事。店の中は綺麗で主に女性向けの感じだった。盛り付けも凝っていて面白い。機会あれば今度は想人とも一緒に来よう。写真は撮る暇が無かった。最近めっきりお酒を飲むことがなくなった母もこの日はワインを飲み良いご機嫌。 自分はビール。「明日が何もないけん、安心して飲めるね。」普段は夜中の急な仕事が入ることもあるため、あまり飲めない。兄貴が今日は誕生日だったので「本人のいない誕生日会」と銘打ち食事を楽しんだ。「久しぶりにアルコールを身体にいれたけん、眠くなってきたわ。」 アパートに着いた時、そう言っていたので早めに寝支度を済まして10時頃には母が就寝。いびきを掻きつつお休みされてました。 自分はカーテンで仕切った方で本を読んでいたが一段落ついたので寝袋へ。(部屋には客人用の寝袋がある) 「お休み」 と声を掛けると眠っていたと思った母が返答。 「更年期やけん、最近夜中に何度も起きるっちゃね~。んで朝方に爆睡する癖があるんよ。」 私には分からないけれども軽く話しているので大丈夫なんでしょう。 それから寝ながら布団(寝袋)の中で少々雑談。 教授との事、来年に向けての心情などを暗い部屋の中、川の字になって語る。次の日は朝一で授業だったので早めに起き、支度をして母をバス停で送る。 突然の来訪だったけど自分としてもいい時間が過ごせたし、母もリラックスしてくれたよう。充実した時間を過ごせた。
2006/10/31
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アーシュラ・K.ル=グウィン作『ゲド戦記第5巻アースシーの風』を読んだ。最後の巻とされている作品。(ネタバレ一切考慮に入れてません) 4巻からまた数十年が経過した所から話が始まる。 お話としては毎夜冥界の入り口に迷い込みうなされるまじない師ハンノキをメインとする死後の世界についての動き、テハヌーを中心とした竜の動き、王レバンネンとカルガドの王女の動き、物語はこの3つの筋が合わさって展開する。 死後の世界と思われていた場所は実はまじない師たちが永遠の生命を得るために西の果てのそのまた西に竜たちが住んでいた土地を奪い石垣を築いた。まじない師たちの魂は知らず死後そこに向かう事になり永遠の生を希望していないものまでその地で生き続ける事となった。この巻ではその石垣を壊し、魂を開放する役を修繕屋であるハンノキが担う。 自由を選ぶ代わりに所有を放棄したものは竜となり、所有を選んだものは人間となった。テハヌーが竜になり太古の風に乗って竜たちと西に向かう事で完全に世界を住み分けることとなる。 王レバンネンとカルガドの王女セセラクはお互いを蔑視し合う。しかしテルーの働き、セセラクの努力と勇気により理解しあうようになる。 ゲドが序盤に登場する以外、回想や話題に上るのみで出番が頗る少ない。4巻もそのような感じだったけれど存在感はあった。今回、それも薄い。3巻で彼の役目は終わったのだから脇役なのだろうな。 アースシーの世界観としては生死を繰り返す輪廻転生の考えに統一されはしないがそれが残る事になり、結果としてそうなる。西洋の人がファンタジーという西洋文化のひとつの中で東洋的世界観を受け入れるなんて不思議な作品だ。宮崎吾郎さんはこれが引っ掛かって3巻をそのまま描く事に躊躇したんだそうな(『ユリイカ』ル=グウィン特集より)。確かにそれはあるかもしれない。3巻までは死後の世界として描かれていた場所が実は死後の国ではないということになるのだから。でも軽く受け入れてしまった自分は東洋人だからだろうか。輪廻の世界観に慣れ親しんでいるせいもあるだろう。 竜と人間の関係はなにか色んなものを連想させる。自由と所有。所有を選んだ側の強欲。なんだかアメリカのフロンティアを連想してしまった。 レバンネンとセセラクの言語の壁、文化の違い、国情から来る相手への疑心暗鬼、敵愾心は異文化が触れ合う時必ず起こる問題だろう。特にレバンネンの憎悪と軽蔑、セセラクの恐怖と蔑視は真に迫るものを感じた。それを乗り越えた要素はセセラクの勇気。アースシーを束ねる偉大な王であるのに実に人間的に描かれていると感じた。
2006/10/27
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普段は開かない楽天のメールを数日前、たまたま開いてみた。…クリックされてる。しかも購入してくれている人がいる!驚いた。自分は映画や本の表紙があった方が絵があって分かり易いし見易いなぁ、程度の気持ちで使用しているに過ぎなかった。…アフィリエイトで購入してくれる人がいるとは。どなたかは分かりませんが購入していただきありがとうございます。m(__)mつまり自分の映画or本の感想を見て購入してくれたということだ。なんだか嬉しい。報酬とかそのようなことではなく認められた感じがして嬉しい。もう一度お礼を。ありがとうございました。
2006/10/26
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相手に対する思い入れが深い程、心の振れ幅は大きくなる。それが深まりすぎると相手の一挙一投足を深読みしすぎて不必要に落ち込んでしまう。――それでいいのではないだろうか。確かにその生き方はつらいかも知れない。でもそれこそ生の醍醐味といえるのではないだろうか?最近は思いいれが過分に強くなりすぎて相手に完璧を求めだしているので、口では期待していないように人に言う振りして、自分に言い聞かせている。――人間は完璧じゃないんだ。君だって完璧を求めてはいるけれども、実際は甚だ不完全ではないか?そんなことは疾うの昔に自覚している。しかしながら時々忘れてしまうようだ。――そう。人間は忘れる生き物。だからこそいつも心に感動を持てる。今日の第一声は嬉しかっただろう?そういうものを大切にしよう。少し感傷的になり過ぎている嫌いはあるが、悪くない感情ではあるね。こういう生き難い生き方を私はいつまで続けられるのかな?――分からない。未来は誰にも分からない。出来うるのは予測のみ。煮詰まった状態から抜け出せそうだ。また新たな課題に取り組もう。今日はとても清々しいいい天気だ。今日は生きるのにもってこいの日(笑)。
2006/10/25
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ケイト・ベッキンセイル主演『アンダーワールド;エボリューション』を観た。『アンダーワールド』の続編。前作を観ていたので気になって観た。 前作で最強のヴァンパイアといわれたビクター卿を倒したセリーン(ケイト・ベッキンセイル)とマイケル。 しかし実はヴァンパイアの祖はマーカス。マーカスはライカン(狼男)の血を飲み混血種に。彼の兄弟であるライカンの祖で囚われの身であるウィリアムを救おうとする。 ウィリアムの牢の鍵は2つあり一つはルシアン(前作)からマイケルへ、もう一つはビクターから不死の遺伝子の祖、マーカスとウィリアムの父、アレクサンデルに渡っており、マーカスはその両方を強奪。牢の場所もセリーンの血の記憶から探り出しウィリアムを牢から解き放つ。 しかし両族の混血種マイケルと不死の遺伝子の祖アレクサンデルの血を飲んだセリーンが二人を倒し一件落着という内容。 前作に比べグロさがパワーアップしてる…。なぜか不必要な濡れ場が今作はある…。 今作はとても怪獣VS怪獣になってるからまさにそういうアクション、そういう映画。ケイト・ベッキンセイル以外ほぼみんなグロい。彼女が好きな人にはいいんだろうな…。たしかにきれいだし…。 何を求めて自分はこれを観たんだろう?そうだ。一度読みかけた物語は最後まで見ないではいれないから観たんだ。 でも前作と全然別物という感じがした。
2006/10/24
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アーシュラ・K.ル=グウィン作『ゲド戦記第4巻 帰還』を読了。 4巻の内容は三巻の直後の設定。2巻でゲドに救われた喰らわれし者・アルハだったテナーの視点で描かれる。 テナーはゲドに救われた後、彼の師、オジオンの下に身を寄せ魔法を習っていたが断念し、農園の婦人ゴハとして生きる道を選択する。しかし子供は全員独立し、夫は脳卒中で亡くなる。そこから物語が始まる。テナー(ゴハ)はひどい大火傷を負った少女、テルーを助ける。テナーだけは恐れずその子の養育を引き受ける。そんな時オジオンの元から使いがあり彼の危篤を知る。テナーが駆けつけるとオジオンは真の名を明かして様々な言葉を残し亡くなる。また竜・カレシンに背負われゲドがゴントに帰還する。魔法を使い果たしたゲドは蘇生した当初、戸惑い、王の招聘を拒み山へと逃れる。一方テナーも領主の魔法使いに呪いをかけられ、またテルーに暴行を加えた連中の一人に追われる。が、間一髪で王に助けられる。空っぽになってしまったゲド、大火傷を負ったテルーの未来、テルーを追って襲い掛かる人々等、そのような様々な事件をテナーの視点で描いていくお話。 1巻よりも2巻、2巻よりも3巻、3巻よりも4巻の方が哲学的な深さがあるように感じた。 4巻は魔法を使える者がほぼ全員脇役なので、これはファンタジーと言えるのだろうか、という感想を途中で感じた。1巻に比べて対象年齢がどんどん上昇しているように思える。ストーリー的な読み易さから言えば1巻が一番だが。 作中でテナーとゲドの展開する女性論、人の持つ潜在能力についての議論が興味深かった。また、テナーのテルーに対する一つの台詞とそれに対するテルーの反応を受けての描写が心に残った。答えを出していない所が好きだ。 他人の評価はどうか分からないが私の中ではこの本は今年の収穫だ。いい本に出会えた。
2006/10/22
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角田光代原作、夏川結衣、財前直見主演『対岸の彼女』がDVD化されてレンタルにあったので借りてみた。 内容は35歳の女性二人の友情、それと回想のように高校時代の少女二人の友情が描かれる物語。 原作を読んでいないがやさしい映画だな、と感じた。 結末を迎えて一緒に観ていた想人が言った事は「まだ始まりという所で終わるんだね。」たしかにその通り。一つの困難を乗り越えてまだ続いていく、という所で物語は終わりを迎える。色々な謎も語られずじまい。例えば回想シーンの高校時代の親友だった子とはその後どうなっていったのか?なぜアオイ(財前直見)は突然人を誘い出す癖があるのか?等等。 観ていて頭に来たのはサヨコ(夏川結衣)の夫。あの無理解はなんなんだろう?自分だったら一撃を間違いなく加えたくなる。 あと、いじめられていた親友が「私は何されても構わない。私には大切なものがあるんだもの。」といっていたけれども何なんだろう?友情?信頼?それとも別のもの?その辺がはっきりしなかった。 まあ、実際の生活は小説の世界のように終わることが無い。続いていく。だからこういうラストにしたのだろうか? 原作ではこの事が語られているのだろうか?文庫版はまだ出ていないようなので買えない。図書館で探してみよう。
2006/10/21
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トニー・ジャー主演『トム・ヤム・クン』を観た。 内容は象使いの青年カーム(トニー・ジャー)が家族同然の象を奪われそれを取り返しに向かうというもの。 ムエタイの動きってキレがあるな~、と感じた。 『マッハ!!!』をアクション映画好きの友達と一緒に観て、個人的には昔のジャッキー・チェン(成龍)を思い出してしまった。ジャッキーの『プロジェクトA』は大好きで子供の頃何度も見返した記憶がある。体一つの大立ち回りは本当に素晴らしかった。『マッハ!!!』をみてそんなことを連想した。 トニー・ジャーはキレがあるな~。そんなことを感じながら前作を観ていた。 今回もすごい大立ち回りなんだけど、自分的には前回の方が好きだった。今回は人間が多すぎてちょっとごちゃごちゃしすぎな感が。 また、予定より帰りが遅くなり当日返却だったので半ば強引に観たのも良くなかったのかもしれない。もっと余裕があるときに観よう。そろそろ本業が切羽詰ってきたことだし。
2006/10/20
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J.R.R.トールキン原作『ロード・オブ・ザ・リング』を観た。徹夜の発表明けで珈琲を飲みすぎたこともあって頭が冴えて眠れなかったため、学内の視聴覚室にて鑑賞。 内容はホビット族のフロド・バギンズが冥王サウロンの強大な力を持った指輪を9人の仲間と共に捨てに行くという話。 三部作のために途中で終わる。しかし一作が3時間もあるためしばらく次を見る気が起きなさそうだ。 オフィシャルサイトには「20世紀最高の文学」と銘打たれている。でも自分はこれを読んだ事が無い。先日、友人ミャオフウと話しをしていてこの物語が話題に出た。彼女は原作を先に読み、映画も観たそうだ。面白かったといっていた。けっこう色々な賞を取っていたけれど観てなかったのでこの機会に観てみた。 感想としては良く出来ている映画だなぁ、と感じた。ファンタジーってCGとかがお粗末だとどうも世界に入り込めなくなってしまうのだがこれはそんなことが無い。またロケはニュージーランドらしいが風景が壮大。丁寧に作っているなあという感じがした。 40年前の作品というから私が小さい頃お世話になったRPGなどこれに影響を受けているのだろう。 賢者ガンダルフが言った言葉が印象的だった。フロドがこんな指輪など手にしなければ良かったと嘆く時、「自分の運命を嘆いちゃいかん、それよりもいま自分が前に進むにはどうすればいいのかを考えろ(うろ覚え抜粋)」というのと、ゴラムに追われているとき奴を殺してくれというフロドに対して「簡単に殺せなどと言ってはいかん。奴にどんな運命があるかは誰にも分からんのだから。お前は奴に生をあたえる事ができるのか?(これも適当なうろ覚え)」というのが印象に残った。 強大な力というのは非常な誘惑だ。それに勝つには強い心が要る。指輪を前にしてのそれぞれの葛藤する姿が印象的だった。これは原子爆弾を象徴していると当時言われたそうだが、必ずしもそれだけを指しているわけではないと思う。強大な権力や楽な道、独占欲、とにかくそういった概念的な欲望を表しているのではないのだろうか。そんなことを考えた。
2006/10/18
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想人に貸していた『カラマーゾフの兄弟』4巻が帰ってきた。全て読み終えたことになる。「トルちゃん(注;トルストイ)は人物描写がすごいって思ったけどドスちゃん(ドストエフスキー)は吸い込まれるほどではなかったかなぁ。まろにんに説明されてやっと大審問官の意味するところがわかったけれど、とにかくイヴァンの思考が理解できなかった。」去年はトルストイ著『戦争と平和』を貸した。劇中でアンドレイが戦いの中旗を持って駆け抜け、ぶっ倒れそこで見た空の描写が大好きでその話をした。それが痛く気にいったらしくて4巻をものすごいハイスピードで読みきっていた。余談だが想人は読むスピードがとてつもなく速い。 今、返してもらって折り目をつけたところ(当時の自分が印象に残った所)を読み返してみた。入るところもあり、入らないところもある。 考えてみるとドストエフスキーの作品は彼にしかない熱に浮かされたような饒舌さを持っている。その感覚が好きだった。どの言葉が名言というわけではないがその作品が持つ雰囲気が当時好きだった。 読んだのはもう5年も前のことになる。あの当時、飛行機があるビルに突っ込む事件が起きて衝撃を受けた。さらに衝撃を受けたのは私の留学先の世界ではまだ話題にも上らず、大して大騒ぎもしていないことに驚いた。そこで漠然とした疑問を抱いた。「世界って何なんだろう?」その頃は世界とは繋がっていてひとつの現象が全ての世界に影響をもたらすものと思っていた。しかしその場所の人々の態度は「だから何?」という態度だった。あまつさえそれを冗談にすることもあり、私の価値観がひどく揺さぶられた。 そんな時に読んだ。彼は一緒に思考してくれる仲間だった。だから気に入ったんだと思う。好きな本の一冊にこれを挙げるのはそのせいだと思う。 今はなぜなんだろう?あまり入ってこない部分も増えた。「人類の平和への道とは?」「全ての人間が幸福になるためには一体どうすればいいのか?」というのを考えなくなったせいだろうか。最近、そんな大上段に構えて考えることはなくなった。人間が小さくなったのかな?考えても悪くはない事だと思うんだが、なぜか恥ずかしさを感じる。これが大人になるということなのだろうか?でも決してむなしくはない。あれ?ミスチルの歌詞にあったような…。かぶったかな? たぶん、私はこれを読むことで自分の中に没頭することを覚えたんだと思う。その門を開いてくれたのがおそらくこの本だったのだろう。 久々に飛ばし読みしてそんなことを感じた。
2006/10/13
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アーシュラ・K.ル=グウィン作『ゲド戦記第二巻 こわれた腕環』を読んだ。 テナー(アルハ)を中心にし、彼女の成長を描いた物語。 テナーはカルガド帝国の貧しい家に生まれるが、幼い時、名なき者に仕える大巫女の生まれ変わりとされ、喰らわれし者を意味するアルハとして神殿で一生を暮らすことになり、その教育を受ける。 名なき者の神殿には地下迷宮がありそこには世界の平和をもたらすエレス・アクベの腕環の半分がある。それを求めて魔法使いの青年がある日、迷宮に忍び込んでくる。アルハは上手く彼を迷宮に閉じ込め捕えることに成功する。その青年はハイタカ(本名:ゲド)と名乗る竜王にして大魔法使い。彼と話すうちに次第に物事の本質が見えてくる。 自由か服従かの選択を迫られ、テナーは自由を選び、ゲドの持ってきた腕環の片割れを重ね合わせ崩れゆく迷宮を脱出する。 テナーの全く新しい生が始まろうとする所でエンディングを迎える。 第1巻が少年の成長物語だとすれば第2巻は少女の成長物語だろう。第3巻は青年と師とする人間との出会い、生と死についてだろうか。少女が運命に縛られ徐々にその構造に気づき、人の手助けを得て自由を手にする。女性が読んだらどう思うのか知りたいので想人に読んでもらおうと思う。 この物語は安易な結末に落ちていない事が素晴らしい点だと感じる。自由を得た後、一緒についていきたいとテナーに言われたゲドの答えが私なりにはとても気に入っている。まさにその通りだと思う。 前半は情景描写が細かい。よくできていると思う。 3部作を読み終えてみて1,2巻はファンタジーが主体で3巻は哲学が主体と言った感じを受けた。 映画を観て原作を読んだが、どちらもそれぞれにいいところがあり楽しめた。
2006/10/10
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2000年製作の映画『リトル・ダンサー』(英国)を観た。想人のお勧め。 ある少年がバレエの才能を見出されそれを開花させてゆく物語。 お話の舞台は1984年、イングランド北部の炭鉱町。 主人公は11歳の少年、ビリー・エリオット。始めはボクシングを習っているがひょんなきっかけからバレエに目覚める。しかし内緒で習っていたのが父にばれて「男が軟弱な事をするな」叱られる。バレエの先生に辞める事を告げると逆に止められバレエ学校を受ける事を勧められ、また内緒で練習を始める。一度は諦めかけるが父がビリーの真剣さにうたれ全てを投げ打って彼を支援する。そして彼は見事学校に合格し、プロへの道を進みだす、という内容。 最後のビリーが踊っている時の感覚を聞かれたときの答えがよかった。全ての雑音が消えていき、没頭する時の感覚は好きなことをしている時にしか味わえない。それは人それぞれに違う。自分の場合は本を読んでいるとき、書いているとき、それがいえるのだろうか。 また、ビリーと炭鉱マンである父、兄との家族の交流も感動した。最後に兄が出発する弟に向かって言う一言は素晴らしい。無骨な父親と生意気盛りの息子ビリーの関係はとても微笑ましいし、父親を演じている人がとてもいい味を出している。 心温まるいい映画だった。
2006/10/09
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この日、昔の同期の研究会メンバーと集まりがあった。大体20人とちょっとは来ていたと思う。かなりの集合率だった。 私は煙草が嫌いなので一ヶ所に固まっている男性陣と長時間いる事が耐えられない。無理せず同じクラスだった人間たちがいる座に座った。 主に話したのは班長、ジェニ、刀嘴そして自分。この四人の元クラスメート兼元wuhanメンバーと固まって飲んだ。 ジェニとは以前も会っている。詳細はこちら。 班長は見た目、優等生だし振舞いも大体そう。しかし気まぐれで心許せる人に甘えたがりな一面も持っている。彼女は色々あって会社を辞め今は放浪しているという。辞めた経緯はとても彼女らしい真面目なものだった。 自分は灰色を許せるだろうか?そんなことを思った。 刀嘴は真面目な人。言いたい事をズケズケと言うので皆から毒舌と思われているが、私から見たらそうでもない。皆が意見を持たな過ぎだからそう見えるのだろう。ただもう一歩踏み込んだ想像力が必要なように感じる。とてもいい人なのだけれども。今回、真正面から問題に向き合いつまづいたことを話してくれた。彼女らしい。悪くないと思う。でも苦労する娘だろうな、そう感じた。 久々に集まったので話も弾み盛り上がっていた。いいひと時だった。 しかしながら少々時間が長く、場も間延びしていた。私も体力が続かずテンションが下がってしまった。オールの予定で居たけれども、一度白けてしまったら元に戻れずアパートに戻った。 作業の徹夜は全く苦にならないのだけれども、こういうことに慣れていない。来年に向けて少しは戻さないといけないかも。そんなことを感じた。まあ、同窓会で無理する必要は無いよね。
2006/10/07
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私が始めてあった外国人を思い返してみると、近所に住んでいたロシア人のおじさんが思い当たる。 彼の名前は知らない。常に「おじさん」として呼んでいた。本名を一度聞いたが長すぎて(笑)覚えられなかった。 彼と始めて知り合ったのは私が小学生の時。同級生が家の前に集まって釣竿を整備し、これから出発する所だった。「つりに行くのかい?」彼はとても友好的な笑顔を讃えて話しかけてきた。彼は今思えば『ダーリンは外国人』のトニーに似ている。私は子供だったのでとても大男に見えた。どうやら彼は釣りが好きで一緒に行きたいとのことだった。しかし父親が横にいて彼の同行を断った。見ず知らずの大人を子供たち数人に同行させるのは親としてできない事だったのだろう。今に比べて子供にとってはそれほど物騒な世の中ではなかったので、私は不思議だった。なぜなら彼が善い人の雰囲気を醸し出していたから。 おじさんは少し寂しそうな顔をしたけれども笑顔でその場を去った。彼がそれでショックを受けていなかった事はその後近くを通るたびに声を掛けてくれた事から分かる。 その後、しばらくして母が新聞を読んでいて地方版の欄におじさんの写真を見つけた。彼は音楽家であった。その関係で当時、しばらく日本に滞在していたらしい。 ある日、町内の集まりであるトランペット吹きの人が来るという事があった。親は私を呼びつけ「おじさんも誘ってみてくれん?」初対面で無碍に断ったのを気にしていたのだろうか、それは分からないが彼を誘う事にした。彼は快く誘いに乗ってくれた。 集まりの場所に行くとそのトランペット奏者とおじさんは知り合いでおじさんの方が何倍も有名だという事だった。そしておじさんが即興で何かすることになった。おじさんは日本の歌を最近、研究していてこの唄には感動した、とのことで歌いだした。 それは『荒城の月』だった。 マイクを通して響く歌声は会場を震わし私たちの心を揺さぶった。非常に伸びるいい歌声で今でもその時に受けた衝撃を覚えている。「いい人を連れて来たね。」大人達から口々に誉められた事も一緒に覚えている。 その後道端で遊んでいた時に何度か声を掛けられ雑談したがその内容は忘れてしまった。彼の傍にはいつも町内の子供が一緒にいたイメージがある。 また大きな黒いケース、今思い返してみればあれは何かの楽器だったのだろう、それを抱えて歩いていたイメージもある。 なぜか昨日、ふとしたことで彼を思い出した。中学に入る前ぐらいに彼はいつの間にか引っ越していた。あのおじさんが何者だったか今となっては分からないが彼の歌った『荒城の月』の衝撃ととても気さくに話しかけてくれた印象が残っている。
2006/10/05
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昨日から考え続け一つの決断をし、行動に移した。実際、相手に対して私の真意が伝わったのかは甚だ疑問だ。人付き合いと言うのはやはり非常に難しい。だからこそ一瞬、一瞬を真剣にいきたい。
2006/10/05
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アーシュラ・K.ル=グウィン作『ゲド戦記第一巻 影との戦い』を読んだ。3巻⇒1巻という順序で読んでいる。3巻に比べてこちらは真性のファンタジー。(以下、ストーリーなので読んでない人は読まないほうがいいです。) ゲドの少年期から青年期の始めまでの物語。 ゴントの鍛冶屋の息子として生まれた彼は生来、強い魔法の力を持ち、それをまず村のまじない師をしていた叔母に買われ羊飼いをしながら色々な魔法を教わる。ある時、村が侵略に遭った時、それを駆使して敵を撃退した事で有名になり正式な魔法使いオジオンに名付け親となってもらい薫陶を受ける。 その後、ロークにある魔法学院で学ぶがそこでも突出した能力でぐんぐん成長していく。 しかし祭りの夜、ヒスイの挑発に乗って自分の力を超える故人の霊の召還を行い術が暴走。時の大賢人が命と引き換えに食い止める。 魔法の暴発による瀕死の重傷から回復したゲドはその時の影が自分を狙っている事を知るが、ロークにて力を蓄え魔法使いとして小島に赴任。 赴任先で死へと向かう子供を助けようと冥府の手前まで足を踏み入れそこで影に見つかってしまう。 影に追われる恐怖に苛まれたゲドは赴任先の人々に迷惑はかけられないとして赴任先を離れるため、島民の不安の種である龍を退治する。 その後影に終われて逃げ続け、瀕死の状態になるが不思議な領主とその妻に助けられる。 しかし彼らは精霊の宿る石の僕でゲドもそれに属させようとするが、ぎりぎりで気づき、師オジオンの下に逃亡する。 ぼろぼろになって自身を失いかけているゲドにオジオンはヒントを与える。それを受けたゲドは影から逃げる事を止め向き合う。 海上で影と遭遇。影が逃げ始め捕えようとするが失敗。ローク時代の友人の所まで影を追跡する。 アースシーの世界の果てで影と最後の戦いになり影と自分の中に取り込む道を選び、結果的に影に勝つ事になる。戻って所で第一巻終了。 映画はこの部分からもエッセンスを抜いている。 この物語は3巻に比べてストーリー性が強いので児童向けに作られた感じがした。少年の成長物語という点でもそれが窺える。世界にはバランスが重要。名に対する考え方。影とは向き合わねばならない。などが面白い概念だった。
2006/10/02
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張芸謀(チャン・イーモウ)監督、高倉健主演『単騎、千里を走る(原題;千里走単騎)』を観た。 主人公、高田剛一(高倉健)が長年の絶縁状態にある息子、健一(声;中井貴一)と聞き会いに行く。しかし健一は会おうとしない。その後、健一の妻、理恵(寺島しのぶ)から健一が研究していた中国、雲南省の麗江に伝わる仮面劇のビデオを見て、病床の息子の約束を代わりに果たすため、単身で劇『単騎、千里を走る』を撮りに行く。 文化習慣の違う中国の田舎で悪戦苦闘しながらも、高田の人の善さに皆が突き動かされてゆく。また高田も彼らと触れ合う中で息子の心に近づいてゆく。 また病床の息子も父の行動を知り感動。最後に父への手紙を残して亡くなる。お互い心の中で許し合え、中国の人達の暖かさにも感動した所で劇終。 父と息子の確執から許し合いと中国庶民の暖かさがテーマだろうか。いまいち焦点をどこに置いていいのか分からなかった。 感想としては張芸謀監督が久々に原点回帰をしたな、と言う感じ。最近『HERO(英雄)』『LOVERS(十面埋伏)』と映像綺麗だけどらしくない作品を作ってたから。庶民を撮るというスタイルに戻った感じ。でも資本は必要だから有名で彼曰くアイドルだったという高倉健を起用したんだろう。…最近、映画を斜めから観るようになってる。評論家でもないのにストーリーを楽しめばいいのに裏舞台に想像がいってしまう。不味い。 気を取り直して、観ていて雲南の麗江は行ったことのある街なので思い出した。かなり観光地として整備されているからだろうか、とても綺麗でいい印象の街だった事を覚えている。 あと、健さんはいい人過ぎだろう。騙されまいとびくびくしている人は逆に騙されてしまう。またたとえ騙されていなくても疑心暗鬼からそう思い込んでしまうことも多い。善い人というのは自然になぜか善い人を吸い寄せる。徳というやつだろうか。とにかく相手が騙すという事を微塵も疑ってないからその人に対して逆に危害を加える事が出来ないという事が起こる。 私は前者だった。しかし後者である人間も見たことがある。そういう人間はまさにこの映画のように頼みもしないのに色んな人が手助けをしてくれる。まあそれは地方でのみ有効なのかもしれないけど。途中から後者を見習おうとしたけれどもそうする事は困難だった。 この映画、泣くシーンが色々あるのだが私の頭には?マークが消えなかった。中国的な泣き所というのだろうか、そのへんの感情が日本人と中国人では大きく違うような気がする。だからこそ研究対象になるのだけれども。 友人が見ていてよかったといっていたけどどこら辺が良かったのだろう。聞いてみよう。
2006/10/01
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