全30件 (30件中 1-30件目)
1

〇日本には古くから徒弟制があって指物師、大工などの職人や、一般の商家にあっても、たとえそれが雀の涙ほどのお給金であったとしても、丁稚奉公した者は暖簾分けの日まで親方や大店に雇われ、喰う・寝る・住むの3要件が保証されていました。確かに封建的であったことでしょう。大阪や京都の丁稚などの3食は、朝は味噌汁と漬物と御飯、昼はこれに1品おかずが増え、晩飯は朝と似たような粗食。紋日(ついたちや10日20日月末、祝日など)にはいつもと違って少しましなご馳走があったとか(きっとそれが希望の灯であったことでしょう)。御飯を与えられ、寝る場所も与えられるので職人や丁稚たちは必死に働きました(ご奉公)。近代になっても、この制度に近い状態で日本の会社が経営されていました。働き蟻とかエコノミックアニマルなどやや侮蔑を含んだ言葉で日本の勤労者と会社制度を評していた欧米が、一時、日本の最終雇用制を評価し直し真似た時期もありました。 世界に誇る日本の雇用制度が今やほぼ瓦解し、経営者側と労働者側の意思の疎通が図られず、アメリカ的な割り切った対応が日本の経営者に浸透してるとすれば、それは日本そのものの瓦解を意味するものでしょう。私にはその警鐘が聞えています。
2024.11.30
コメント(0)

〇京町家らしさを感じさせる店おもてにはいろんな格子があります。麩屋格子、炭屋格子、酒屋格子、糸屋格子、腰窓出格子、仕舞屋格子、米屋格子、堺戸格子など 格子という素材の縦線と横巾の織り成す隙間に品格豊かな日本人の感覚が表象されていますね。 17mの間口と42mの奥行きの四君子(きものや)は古色とモダンが混在し、しっとり感に浸れる紫織庵(きもの・小物)、木のやさしさに触れるセカンドハウス東洞院店やモダンな中に歴史を感じさせる祇園辰巳NEXUX(ビアレストラン)、大正・昭和の申し子あるとれたんと(窯焼ピザ)、壬生武家屋敷の黒竹家(喫茶)、南蛮好みの変化球もある百足屋(おばんざい)などいっぱい。
2024.11.29
コメント(0)

〇久しぶりのお湿り。庭に出てみると、先ずは樹齢60年の老桜が散りばめた落葉明りが目に留まります。赤く身を焦がしたものもあれば、黄色のまま地面に臥すものもあり、また虫に食われ所どころ穴空きの哀れなものもあります。それらは古来より累々と続く死者の姿のようであり、人間界の縮図にも見えてしまいます。真っ赤に燃え尽きた葉は幸せ。あやかりたいものです。背高のっぽの茗荷は全身すっかり黄色に覆われ横たわる始末、酔芙蓉は黒ずんだ花屑を先端に残したまま強まる寒さに抗っています。盛りを過ぎて40数株に減った石蕗の花明りも何処か侘しさを漂わせています。柿の木は何故あんなに上を目指すのでしょう、幾条かの幹が迷う事なく空に向かって伸びきっています。樹下に積むのは真紅、朱色に染めつくした大きな流線型の落葉。天狗が持ち歩くような大葉をそぞろ剥いで行くのは青桐。蘇芳もまた門先の石段に夜毎日ごと葉とマメ科のようなタネを落として行きます。これらの枯葉落葉はいつも家内が整頓してくれているものの、週2回の朝のゴミの持ち出しには、前夜に落ちた新イ仏の葉を掃き寄てせから・・・。
2024.11.28
コメント(0)

鏡の歴史を辿れば、古代では呪術・祭祀、或いは権威の象徴として用いられていました。 鏡は物の姿、形をうつす道具で、<影見>から派生しているとも言われています。容飾の為の家具として使われ出したのは平安時代まで下り、ましてや民衆に行きわたったのは江戸時代に入ってからで、それは鋳造技術が高度化によって、大量生産されるに至ったからです。私が幼かった頃は、母の嫁入り道具の鏡台や、祖母の時代の小ぶりな姫鏡台なども残っていました。鏡はおろそかに出来ません。何故ならあの世に行ったとき、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のうち、亡者を何処に送るかという閻魔さんのお裁きの場には<浄玻璃の鏡>があって、生前に犯した罪を拒んでも、その光景が再現されるようです。をんなの一日の始まりが鏡の前、寝る時も鏡の前に座りますので、鏡と女性の縁は切っても切れませんね。
2024.11.27
コメント(0)

〇永らく大都会・東京には行っていませんが、電車の並び方やエスカレーターの立ち位置が整然としていて、感動すら覚えます。それに引き換え、関西人のそれは、本当に悲しい。電車のホームの一列目に立つのはどの扉前でもほぼ一人。直ぐ後ろに並ぶ人の左右のいずれかが、一歩前に出て一列目を完成すれば、前に習え式に、後列も順次、何とか形になりそうなものを。 信号待ちも然り。梅田のJRと阪急デパートを結ぶ地上の広い横断白線の場所。関西人は信号がまだ青に変わっていないのに、勇み足風にもう前進! その癖、歩行者用の青信号が点滅し始める時から、遅ればせに駆け出し渡る人々の何と多いことやら。小学校で正しい交通ルールを学ばせたとしても、多勢に無勢、 悪貨が良貨を駆逐するがごとく、折角の良いマナーも掻き消されそう。エスカレーターの並びも、きちんと左右を埋めた方が良いはず。 デパートやしかるべき施設が広報アナウンスにて洗脳して行かないと、関西地区のマナーが文化圏として遅れをとっていると言われても仕方ありませんね。
2024.11.26
コメント(0)

〇人付き合いの悪い書生ふたりが心を打ちとけ合ったのは、共通の趣味だった寄席好きにあったとか。その後ふたりは漢詩文の回覧、批評を通じて互いの才能を敬慕し合い、友情は生涯に至りました。 子規は随筆『筆まかせ』で漱石を畏友と称え、また、漱石も子規の天真爛漫な性格を畏敬の念で称えました。 松山市立子規記念博物館編集の『漱石と子規』という愚陀佛庵100年記念本(朝日新聞社)には子規については第一高等中学校在学中の写真は掲載されいて、 正岡常規(愛媛)と書かれているし、 漱石については大学予備門(第一高等中学校)時代の写真があり、成績表には塩原金之助(東京)とあります。俳誌「ホトトギス」第11巻12号の漱石のエッセイには、好き嫌いが激しく、豪放な子規の一面を書いています。
2024.11.25
コメント(0)

〇今は昔、昭和の御世に男ありけり。名をばくりおとぞなむ言ひける。世に名だたる金貸し業に就きて、ひねもす難波の企業など伺ひ居りしが、とある社の男より、暫し語らひたきことのあり、請け給ふやいかにと問はれ、茶房に入りたり。 その男の言ひやうは、我がともがらにくりお殿を慕ひゐる女人あり。何卒聞き入れ給ふべしと懇願し侍りぬ。くりおと言ひける男、いみじく小心ものなれば、迷ひ迷ひつ汗など流し居たり。 くりお、とほの前より彼の乙女の胸の中、それとなく推し量りゐたりけるが、もし此処にて聞き入れなば、その女を嫁にせざる成り行きに至るべしと思ひて、そもならじとて断わりたりけり。さるほどに、をんな、なかなか諦め得べかりき様にて、旅の土産など男の許に送りなどしける。商用にてその女の許に参りし折りも、そのをんなの全身より迸るもの感ずれば、可愛ゆしとも思いけるが、そのまま打ち捨ておきぬ。 このをんな、なりは小さけれど、肢体、目鼻立ちなど余人に非ず、いとおかしければ時々、心揺れ動きなどするも、色に出さざるやう努め侍りければ、やうやう女も諦めたるにやあらむ。 さてもさても、いつの世も縁と言ふ赤き糸の無かりせば、鴛鴦の仲など叶わざるとぞなむ語り伝へける。
2024.11.24
コメント(0)

〇 愛用の手帳太りて師走かな 秋の日暮れを釣瓶落しと言うのなら、この11月下旬近くから正月への慌しさを何と表現すればよいのだろう。 掲句は一昨年(2002年)の今頃に詠んだ句です。我々勤め人は、大なり小なり予定を日記代わりに手帳に書き込んで行きます。年の暮れともなると、愛用の手帳が横から見ると、でこぼこしています。何かの約束事や仕事の予定などを書き留めておくと、手帳の紙面が少しずつ膨れ、厚みがでますね。 熱燗の喉元すぎの天下人 私はどちらかと言えば下戸。週にに2度ほど、銚子1本の晩酌を楽しんでいます。菊正宗のCMは上手なことを言ってました。「うまいものを見ると、菊正が欲しくなり、辛口の菊正を飲むとうまいものが食いたくなる。(現在はアルコール中毒助長とかで放映されていません。)」身体の為になるべく晩酌が続かないようにしていますが、鍋物や和風の美味なものがテーブルに広げられると、禁を破りたくなってしまいます。 仕事を終え、電車に揺られ、普段着に着替えて、やっとこさ夕食を目の前にする。ぐつぐつ煮える鍋の音。誰憚ることなく、ぐ~いと猪口を傾けた時の快感。天下人になったような気分になるのです。(サラリーマン時代の心境でした。)
2024.11.23
コメント(0)

〇戦国期までは天子も将軍職も世襲制に慣って来ていましたが、自分の息子たちよりも後世を託すには能力者が良いという考えを記したものが、斉藤道三の遺言状で、京の妙覚寺に残されています。<わざと申し送り候意趣は美濃国の地、織田上総介の存分に任すべきの条、譲状、信長に対し贈り遣わし候事> この時は長男の義龍によって道三は滅ぼされたので、遺言通りになりませんでしたが、後年、孫の義興が信長に奪回されています。歴史的には秀吉が五大老に秀頼の事を託した部分が強調されていますが、宣教師フランシスコ・パシオ宛の手紙では、一旦家康に政権を譲り、秀頼が成人した暁には豊臣家に政権を戻して欲しい意向が記述されているそうな。秀吉の時代ではまだ、世襲制には戻らぬ戦国の名残があった事は秀吉にとって不幸と言えましょう。しかし家康とても二代目将軍を誰にするか重臣に相談したところ、意見が分かれていたようで、 本多正信は二男の秀康を、大久保忠隣は三男秀忠、井伊直政は四男忠吉を推したという事は、家康の子に秀逸な子の無かった裏付けとも。 小和田哲男著『国盗りの組織学』の副題<乱世を生きき抜いた知恵>を参考に拙文を書きましたが、秀忠の次の将軍選定は、ドラマ大奥にも・・・またの機会に。
2024.11.22
コメント(1)

〇古書店の店先にどれも100円という扱いで売られている文庫本に交じって、児童文庫の色鮮やかな『千夜一夜物語』が目に入ったので、パラパラページを繰ると、「船乗りシンドバッド」や「アリババと四十人のとうぞく」「アラジンとふしぎなランプ」など、誰でも一度は読んだことのある名作が、時折色鮮やかな挿絵を挟んでいます。あの挿絵は蕗谷虹児によるもので、昭和初期から戦後にかけてモダニズム溢れる詩歌と絵画を提供した人物。<きんらんどんすの帶締めながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろ・・・>今でも風呂ン中で口ずさむ童謡、彼の作品だとか。
2024.11.21
コメント(0)

〇私達はいつも何かを求めながら待っています。食べる物と寝る場所さえあれば最低限生きて行けますが、それだけでは犬畜生と変りませんので、人間らしいプラスアルファを求めているのでしょうね。 最近の女性は外国製のバッグなどに憧れているように見受けられますが、そのバッグを手に提げるに相応しい雰囲気、教養、人間としてのハイセンスを具えていないと高級バッグとはアンバランスな関係になってしまいます。金さえあれば、金を支払えば簡単に手に入るものは宝物ではありません。野球界なら新人賞とか年間MVPとかベストナインに名を連ねる名誉が宝物でしょう。これは運と努力無しでは手に入れることが難しいから。でも、郷里の美しい山や川、畑の産物、海で捕れる魚介類も本当は宝物なのかも知れませんし、自分を大切にしてくれる知人・友人・家族も又と得難い宝物なのでしょうね。
2024.11.20
コメント(0)

〇カキは1時間に15リットルもの海水を濾す能力があります。これを巧く利用すれば、無菌のカキを作れると考えたのが佐藤忠勇博士。カキの毒性は生殖腺に含有されているようで、その時期は4月から七月の産卵期、西洋ではひと月づれて、Rのつかない月のカキは食べるなと言われています。なるほど、May5月、June6月、July7月、August8月にはrがついていません。精力を使い果たした夏場は体力を回復するので、グリコーゲンなどの栄養分が豊富になり美味になります。カキは牡蠣と書きますが、これはオスしかいないと誤解されていた為で、産卵期になると一部のオスがメスに変ることで子孫を残しています。雌雄同体のミミズを思えば納得できます。フグも卵巣や肝臓などの内臓に有毒物質を持っていますが、やはり春の産卵期になると毒性が強まるようです。でも、こんなことを綴っていると、牡蠣や河豚をたらふく食べたくなります。(参考:樋口清之監修「雑学おもしろさ歳時記」)
2024.11.19
コメント(0)

〇俳句の歳時記を日捲りにしたものを数年から使っていますが、机やノートパソコンとの配置でやむを得なく真右の壁に吊っていると、つい見過ごして数日間の季語が溜ってしまって、日捲りの用を成さないのでパソコン背面の本立てに挿すことにしました。例えば11月13日(金)は、旧9月28日赤口、季題は蕪汁で、 白河に風がうがうと蕪汁 福原 十王<蕪を具材にした汁もの。蕪は加熱すると柔らかくなるのが早く、味噌との相性もよいので、まずは味噌汁がよさそうです。>の説明が添えてあります。 「蕪」と言えば四条南座近くの「一平茶屋」のお任せ蕪蒸しコース料理は、季節柄是非とも顔を出したい店。サラダ良し、あんかけ、ふりかけ、ソテーも良し。パスター、漬物、それに他の具材と容易に組合せそうです。
2024.11.18
コメント(0)
〇名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな 三條右大臣逢坂山のさねかずらとは暗示的だね。きみに逢う逢坂山、きみと同衾するさ寝、それに蔓草であるツルをくるくるたぐり寄せるように、人目につかずここへ来る術はないのかな 三條右大臣とは藤原定方のことで、父は高藤、母は山科の豪族の娘。父母のロマンスが『今昔物語』にあって、若き高藤が鷹狩に出かけ、山科で豪雨に遇い、近くの邸で雨宿り、そこの娘と一夜を過ごしました。数年を経て再びその邸に寄ると娘は更に美しく、可愛い女児の母でもあったので、二人を引き取り、他に妻を持たず、仲良く連れ添い、定国、定方をもうけました。高藤は凡庸でしたが、雨宿りにもうけた姫を源定省という官吏と結婚させました。この男は光孝天皇の皇子で臣籍に下っていましたが、崩御を起点として皇族に復帰、宇多天皇に、姫は女御格に。お産みになった皇子が醍醐天皇となられ、後年、母の里を大切に思われ、山科の豪族の菩提寺として建てられたのが勸修寺なのでした。 〇
2024.11.17
コメント(0)

〇ホトトギスから独立して「駒草」を主宰した阿部みどり女さんと何故か父すばるは懇意にしていました。彼女の短冊や葉書も少々遺していますが「駒草」に寄せた句評やエッセイを記録したファイルが出て来ました。それによると、 昭和11年5月号「シャボン玉の幻想」と題して、みどり女さんの 雪掻いて普請はじまる弥生かなの句評などいろんな資料がまとめられています。同年11月号「俳諧漫歩」というエッセイ。善さん雛、句選評や13年10月「大阪に迎へたみどり女先生」など、実に42編もの記事を献じていました。片隅に絵筆によって描かれた無地の短冊がいくつかあって、「あ」のサインがあるのは、彼女の筆と思いつつ、私の拙句を書いています。
2024.11.16
コメント(0)

〇ダーウインの進化論によって、例えばキリンの首が次第に伸びて来たと思い込んでいますが、それなら、何故、首が中ぐらいの長さのキリンの化石が発見されないのか説明がつかない面もあります。猿から進化した人間だって、その過程のものの発見が少なく、急に人類になっているような気がしますね。 中原英臣・佐川俊共著『進化論が変わる』(講談社)によれば、「キリンの首は、ある時期にいっせいに長くなり、その後変化していないのです。そう考えれば(キリンの首は)短いのと長いのと2種類しか化石が出てこない理由に説明がつきます」「原因はウイルスです。キリン集団は突然、首が長くなる病気にかかったのです」 これらと同じ理屈で、ネアンデールタール人が、集団でウイルスに感染した結果、体毛も骨格も異なる現代人が誕生したという学説ですが、これを耳にすると、私たちは進化論かウイルス論か悩んじゃいますね。(参考資料・上前淳一郎『読むクスリ』20巻」)
2024.11.15
コメント(0)

〇今昔物語の巻4、天竺の部に「かくれぐすり」という話があります。 三人の悪童がいわゆる透明人間になって悪さの限りを尽くし、うち二人は灰を塗った廊下に附いた足跡から所在が知れて斬殺されたという話ですが、男ならずも誰しもが透明人間に憧れるのではないでしょうか。 田辺聖子さんはお菓子屋さんの大福餅やアンパンも食べられるし、駄菓子屋のアテモンも片っ端からめくってしまえるし、学校の教員室で試験問題を覗くこともできる・・・と書いていらっしゃる。 男児なら女風呂が覗けるっていう下卑たこと位しか考えないのでしょうけれど・・・。 小学館の学年シリーズの雑誌には工作の付録があって、日光写真や幻燈機などの付録は楽しかった。 印象的だったのは、子供向きの百科事典で、なぞなぞシリーズ、相撲の48手の解説書(これを勉強して相撲が好きになり、いろんな技を覚えた)、 野球ルール、理科実験、暗記法、その他盛り沢山の内容があって、愛読書になっていました。 同じ小学館の漫画には「腕を廻して空を飛行するシーン」ものや、「魔法のクレヨンで書けば、描いた自動車が実際に立体的になり、やがて動き出す」というような子供の夢を駆り立てるものがあったし、毎号にはそれぞれの行事などが掲載されていて季節感がありました。
2024.11.14
コメント(0)

〇乙訓地区で育った某合唱団。結団以来、毎年リサイタルを開催。これは10数年前、10回目の記念すべき演奏会の模様を日記に認めていました。ソプラノ15名、アルト9名、テノール7名、ベース5名総勢36名の小団体ですが、音楽を探求する姿がそのままステージに顕われていました。大曲モッツァルトの「レクイエム」は、8つの部門に分かれていて、どの1曲を採り上げてもスタミナを消耗する曲です。それを僅か36名の構成メンバーが声を衰えさせることなく、謡い上げたのですから、日頃の地道な研鑽ぶりが伺えると言うものです。団員各自が受身ではなく、貪欲に理想のハーモニィの実現に挑戦され、切磋琢磨された能動的な情熱以外の何ものでも無いと思いました。最後には頬を涙が伝わる感動を戴きました。
2024.11.13
コメント(0)

〇井沢元彦著『歴史不思議物語』を参考に、戦国武将の英傑・織田信長のアイディアをご披露。 戦国時代の兵は9割が領内の農民兵で占められていたので、武田信玄や上杉謙信と謂えど農繁期には兵力を本国に戻す必要性がありました。 *ならば年がら年じゅう戦のできるよう専門の兵隊を作れば良いという風に信長は考えたようです。その表れが鉄砲重視とも言えそうです。 *長篠の合戦では千梃もの鉄砲を使ったとされていますが、1梃5万石とすれば、5千石、5千人を1年間養え得る価額と言えます。兎に角、金がかかります。そこで目をつけたのが商業政策でした。 *楽市・楽座を推奨、商人に稼がせた売上金を一旦回収し、再分配するという方法を採りました。 国会議員の条件には「地盤、看板、カバン」と言われていますが、まさにその通り。信長には尾張という地盤があり、再興させた将軍(足利義昭)という看板、商業で吸い上げた金というカバンがあったのでした。 *農業生産を基準にしていない信長は、本拠地の尾張から、美濃、近江と経済基盤を拡大していったのです。恰も植民地政策的には、領地全体を取りに行ったポルトガルやスペインと異なり、商業都市を抑え管理し稼ぐイギリス型と同じ考えに徹したのでした。
2024.11.12
コメント(0)

〇徳川時代初期の長崎奉行所に残されている記録には、漂流して日本に着いたベトナム漁民の終始たばこを食べる様子に、人々は驚きを隠せなかったとあります。<煙を吸うべきものを、食ぶるとは異なることなり>と筆者の印象も添えられているのですが、これはどうやら<かみたばこ>だったようです。 かみたばこの習慣はアメリカ・インディアンの間に早くから伝えられ、水や食物を入手することが困難な砂漠地帯を旅する時には欠かせない携行品の一つだったようで、喉の渇きや飢えをしのぐ役割を果たしたと言われています。その原住民の知恵が欧州を経てベトナムの漁民に伝えられたものと考えられます。アメリカの大リーグの選手が、かみたばこしながらバッターボックスに立っていた光景が記憶にありますね。
2024.11.11
コメント(0)

〇すき焼きという言葉は十八世紀の文献に初めて登場するようですが、江戸時代は牛の屠殺が禁じられていましたので、牛肉ではなく、魚が具になっていたようです。魚の薄い切り身を浅い鍋て焼いたものを「すきみ焼」といい、それがやがて「すき焼き」になって行きました。牛肉がすき焼きに使われたのは大正時代になってからで、明治維新後、外国船が神戸に寄港したときに買い入れた神戸肉が、横浜に寄港して食べたところ、殊の外に美味だったので、すき焼きといえば、神戸肉、神戸から横浜に要する時間、肉の腐敗が絶妙だったのでは??
2024.11.10
コメント(0)

〇阿久さん、冒頭に曰く「昭和と平成の間に違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成は自分だけを語っている。」 また歌謡曲のほかに流行歌という分類が増え、生まれては消えて行くのがポップ系の流行歌。私見が許されるのなら、一時的に日本全土に行き渡る個性的、ユニークな曲が多々ありました。黒猫のタンゴやおよげたいやきくん、走れコータロー、或いは平凡な主婦の手に依る麦畑など。山本リンダのどうにもとまらない、八代亜紀の舟唄、森田公一らの青春時代、一世を風靡したピンクレディの透明人間<透明人間あらわる あらわる 嘘をいっては困ります あらわれないのが透明人間です・・・見事としか言えない表現ですね。
2024.11.09
コメント(0)

〇読書の秋。先日或る番組で日本の児童が本を読まなくなった現象を数値的に明らかにし、その原因の一つに親が読書しなくなったからと分析していました。 スイッチを捻れば面白い番組が音と画像付きで報じられるのだから、ついつい時間を忘れてピノキオになってしまうのも無理からぬ話です。 子供の頃漢字一つを覚えるのにザラ半紙に何遍も繰返し書きなぐって暗記したものですが、最近はパソコンや電子辞書、スマホという文明の利器がある為、 読む力は残っていても書き取りの能力が劣化している事に驚いてしまいます。 テレビよりはラジオ、ラジオよりは書物に書かれた文章の流れから、主人公の顔だちや声質、或いは景色などを自分の想像の世界で自由に羽ばたかせたいものです。 俳句の世界は僅か十七文字で一つの光景を演出する芸術ですから、思えば私たちは大それた事に挑戦しているようです。 クラシック音楽や美術・工芸、舞台芸術などから得た感動を雑記して置く手間さえ惜しまなかったら、後日それが一つの句として生まれ変わる事でしょう。
2024.11.08
コメント(0)

〇大山崎町に在る古い琺瑯製の火災信号板は真っ赤に塗りこめられた鉄板に、火災を知らせる鐘やサイレンの符合を白抜きで記した一覧表で、所どころに錆が付着しています。1番上の段には火災信号という枠、山林火災信号枠、火災警報信号枠、演習召集信号枠の4つが並んでいます。2番目の段は種類を表す欄で、3段目が打鐘信号の図柄、4段目がサイレン信号の図表です。例えば火災信号の部の近火信号(消防屯所から800m以内)なら、都をどりの串団子模様そっくり、鐘は連打を示し、サイレンは高音5秒低音2秒。出場信号なら3連打ごと、応援信号は2連打で、サイレンなら高音5秒に低音6秒、間を置いて繰り返す。報知信号は1点ごと切り離して打ち、鎮火信号なら1点と2点の斑(マダラ)打ち。山林火災信号の部では3点と2点の斑ら打ちなら出場命令・応援命令を表し、サイレンは上10秒下2秒の繰返し。火災警報では1点と4点との斑ら打ち、サイレンは高音30秒低音6秒、その解除信号は2点と2点との斑ら打ち、サイレンは上10秒下3秒更に高音1分と長く鳴らのだそうです。
2024.11.07
コメント(0)

〇人間オギャ~と生まれた時から左肩に倶生神という神様が乗っかって居られ、その人の良い行いも悪しきも全て記録して居られます。この世からあの世へ行く時、一旦閻魔さんの前に出て裁判を経なければなりません。生前中の行いを読み上げられ六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)のいずれへ送り込むのか7日ごとに裁判を受けます。わたし達が七夜ごとに故人を回向するのは、裁判における弁護士の役目をしていることになります。 大山崎の宝積寺には160cmを超える檜彫の閻魔さまを初め、それと遜色の無い4名の王が揃って祀ってあって、睨みを効かしたその迫力たるや・・・拝観者の誰もが感心されるほどの凄さです。桂枝雀さんが面白・可笑しく演じられた「茶漬け閻魔」という落語と抱き合わせにしてガイドしますと、お客様は大喜びでした。
2024.11.06
コメント(0)

〇今からちょうど20年前の職場がらみのカラオケ同好会の翌日の一文です。 その折は27名の参加で、2巡目から私が司会をしていました。 一旦全員席より立ち上がって貰って、大きな伸びをして貰います。もっと、もっとと励まし、「ね!これで縮んでいた身長が1.5センチ戻ったでしょう?」。 初めに約束事をしておきます。 ご自分の歌をほかの人にちゃんと聴いて欲しいとお思いでしょうから、人の歌もしっかり聴いて(これは歌が上手になる秘訣)、いろんなものを盗みましょう、そして盛大な拍手を惜しみなく、みんなで盛り上げましょう。 リード次第で雰囲気はどんどん盛り上がります。私は司会する時は、できるだけ歌う人の個性を浮き彫りにして紹介します。例えばNさんは「歌もさることながら、その表情をみなさん楽しませて貰いましょう!」とか、歌い廻しの上手なKさんなら「プロになるには、Kさんのような歌いっぷりが必要ですね」とか、 「人生70余年、真面目一筋に生きて来ました、このAさんの清純さを分けて貰いましょう」といった具合です。 私の場合、その場その場の雰囲気を瞬時に判断し、浮かんだ言葉を口にします。こうして文章にしてしまうと即興的な雰囲気はお伝えできませんが、極力、場を明るくするよう図ります。これはガイドや俳句の集いの場でも同様です。
2024.11.05
コメント(0)

〇ひぃ、ふぅ、みぃ、よ・・・と数え始めても、途中で何台目か解らなくなってしまう程に、40数台もの貨車を繋いで、JRの貨物列車が山裾を走ります。大阪府の北端に位置する此処は、阪急電車京都線の上牧、水無瀬辺り。 見渡せばやまもと霞む水無瀬川 夕べは秋となにおもひけむと後鳥羽上皇が詠まれたように、淀川と西山連峰の延長が平行するこの地域は、実に風光明媚な地域です。 JR高槻市駅から長岡京駅に至る間で、天王山と淀川とが接近する狭い部分には、JR東海道線、阪急電鉄、新幹線、国道171号線、そして淀川の対岸に在する男山の手前を京阪電鉄が京都に向かって走っています。それでも、この辺りは僅か10キロほどの区間ながら四季折々の風景がまるで箱庭のように、季節によって変化して楽しむことが出来る地域で、谷崎潤一郎の『葦刈』の舞台にもなっています。
2024.11.04
コメント(0)

〇父が一時、地酒に凝ったことがありました。さして上等でない頒布品の徳利や盃が残っています。ここに読売新聞社の「地酒の旅」(特集号)があって、その発刊日が昭和57(1982)年11月20日だから、その頃だったと思われます。目次には「酒の匂い、酒を讃(ホ)むる」大岡 信、「知られざる名酒を訪ねて」「北陸のうま酒」藤原審爾、「名醸地北摂は今」藤本統紀子、「旅で見つけるぐいのみの楽しみ」日本列島地酒の旅、地酒を育てた人びと、などのコーナーのほか、瀬戸内晴美、岡部冬彦といった方々の随想も載せてあります。熱燗の美味い寒さになりましたので、逸品を購入して来ようかとも思っています。驚くほど美味と思った日本酒は、奈良の「春鹿」や滋賀の「七本槍」など。
2024.11.03
コメント(0)

〇起床時の少雨には驚きましたが、間もなく回復、お客様の表情も晴れやかになりました。私の受け持った13名様は神戸市からの4名、高槻・尼崎両市の各2名のほか、守山、伊丹、京田辺市、茨木市などからお越しで、男女の比が9対4。60才代が7名、50・70才代が各2名、30代が1名、80代の男性も元気に歩かれました。お申込みいただいた往復はがきの返信には、台風21号の被害が甚大ゆえ登山コースは中止の旨お知らせしていました。山崎聖天・観音寺前に見えたものは、倒木が朱色の稲荷社の屋根に根こ削ぎ倒れ込んでいる光景。自然の破壊力の凄まじさに一同息を呑んだのでした。止む無く登山中止に至った事情は容易にご理解いただけたのでした。 隣り街、長岡京市のわが家の出窓から始終眺めていた酒解神社前に聳えるクリスマス・ツリーそのものに見えていた樅の大樹。それがまるで羽抜け鶏のような哀れな姿に変貌していたので、道すがら仰ぐ天王山の頂きの何れの大木が樅の樹なのか判別しかねる状態でした。ほたる公園の手前では、数段に及ぶ大送電線がぷっつりと見えなくなり、地中からやがて中腹の送電塔につながる訳ですが、塔そのものは山麓と同じ緑色に塗られている町の心遣いをガイドしました。そしてサントリービール工場見学後の生ビールの美味にお客様とご一緒に癒されたのでした。
2024.11.02
コメント(0)

〇昔から験担ぎの言葉や隠語が幾つか伝わっています。例えば一六銀行と言えば質屋さんのこと、十三里は焼き芋屋さん。九里(栗)四里(より)美味いをじっています。また肉屋の隠語は十八で、二九(肉)十八から。そしていよいよ本題の櫛の話。 古事記には素戔鳴尊が奇稲田姫の姿を櫛に変えて髪に挿し八俣の大蛇を退治した話があります。古来より櫛には魔を除ける力があると信じられてきました。縁を切る時に櫛を投げたり、櫛の歯が折れるのは凶事の予兆とみて恐れたりしました。「櫛は縁切り、簪は形見、指輪は繋ぎ」という諺も残っています。愛する人が旅に出ると、その安全を祈願して、その間、櫛を断つという禁忌の伝承も残っています。 櫛の話はこれ位にして、十七屋というのは飛脚屋の別称。十七屋は十七夜、それは「立待月」、「忽ち着き」をもじったとは何と風流な。
2024.11.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()

