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〇宝塚歌劇の創設者・小林一三翁の三男・米三氏が月刊誌「歌劇」に連載されたものが婿養子・公平氏の手によって出版されました。 「見たこと 聞いたこと 感じたこと」昭和36年2月号から44年2月号までの宝塚歌劇公演の歴史、それにまつわる秘話もあって興味津々。 ちょうどこの時節に私も時々大劇場に家族と行き、ファンとして、また批評家の目で楽しんで来ました。 当時、ある知人を介して明石照子さんが取っておられた7列目の中央辺りの極上の席で観劇いただいてだいておりました。さくらさんが雪組の娘役主役となられた頃にも合致します。 さて、昭和36年の記事では、純日本風の出し物に洋物を入れるべきかの思惑、「千拍子」が大阪で賞を貰えなかった原因や雪花月星の四組を三つに減らす討議、スター酷使への不安、特技ある生徒の育成、その必要性を感じておられたことなど。37年では、看護婦と女給の役では口紅の赤さを違えるべきだとご指摘、舞台でゲラゲラ笑わないこと、その他辛口批評も沢山、8月号は 明石照子退団に触れ、彼女が残した詩作も掲載。38年5月号では、「花のオランダ坂」での真帆志ぶきの歌唱力UP、それに宝塚一、二(宝塚だけではない、日本でも珍しい)の声量の持主である加茂さくらと一緒のデュエットは美しく楽しい云々。42年2月号では多くの生徒がレッスンを受けていた山田耕筰さんの逝去に触れ、その作「黒船」の公演に加茂さくらさんが特別出演。同年3月の彼女のリサイタルにも言及しておられます。 先日、プロボーラーで同じヅカ生の妹・加茂すみれ(みどり)さんから姉・加茂さくらさんの逝去の報を携帯にて頂戴しました。8月頃はいつもの澄んだ美声と電話で語らい、書道に勤しんでおられるので別の方から」頂戴した黒墨をいっぱい妹さんのお店へ持参する約束もしていたのに・・・。すみれさんの快癒とさくらさんのご冥福を毎日祈念しております。
2024.12.31
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〇もう既に無くなってしまった京都の家から持ち帰った書物の中に、棟方志功著の『板勁』という題の作品集があります。河出書房より昭和19年12月25日初版発行、部数2500部限り。定価は13円80銭、物品税4円12銭計18円22銭とあります。私の生まれた年で終戦間近の一番物資の乏しい時に発行されたこと、「板散華」の版元:山口繁太郎の友情による続編であったことにも意義があるように思います。10~15センチ四方の小さな和紙に力強く摺り込まれたいかにも棟方志功らしい息吹の伝わる作品が9編、B5版の頁に20編ほどの作品が組まれていて、目次の後には彼の随筆が10編ほど添えてあります。こういう作品集は作者の「生きる雄叫び」のような生命力が直に伝わって来ますので、折を見て何度も眺めてみたいものです。
2024.12.30
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〇この読みづらい表題は<ちゅうしんぐら>と読み、その序文が47士に因むいろは47文字を頭にした短文を繋いでいるのです。<イろとのみ、いへど浮世の情愛は、ロんにはおよばぬめうと仲、ハなれがたなき、そひぶしに、ニくらしいほどかあいさは、ホれて、なまなかひとまへを、ヘだて、いはでの、したつつじトかくいろづくはなの顔、チる紅葉とも、つまこふて、リんきは鹿のつのかくし、ヌれぬさきなるつゆの身も、ルいをもとめて、みそめこし、ヲしのうきねの薄氷も、 ワつていはれぬ、女きは、カたるいもせの恋の山、ヨぎのたにまや床の海、タとへ野ずへのくさまくら、レんりにならぶひよくもん、ソのこころねをしらゆきとツねるはだへえのむらさきは、ネぶたきそらの、あけのくもナじみかさねたこひなかも、ラくはしんくか、しんくがらくか、ムりをいふのは、男のくせ ウそをまことにつりぐるま、ヰどのはたべの茶碗でさへも、ノせられてより、あぶなさのオもひをしりて、そこふかく、クんだこころの、むねひとつ、ヤくそくしたり、せられたり、マたのあふせは、ともし火を、ケしてしのぶのすりごろも、フたりが仲を神かけて、コよひは首尾の松のえだ、エりもみどりの、うしろ髪、テくだは恋のすがたとて、アじなくぜつの、もつれ糸、 サぐりあてたる中なかは、キしやうせいしもいつわらで、ユらぐたがひの玉の緒は、メにみぬままの、うきおもひ、ミはさへやらぬおぼろ月、しんとふけたるかねごとに、 ヱんはたしやうの袖びさし、ヒとりぬる夜は、惚れぬ身の、モとのこころぞ、ましならめ、セきとめられし、にごり江の、スむ水いろの、うわきどし、京となにはと江戸とくにぐに> 流れは良いのですが、所々、漢字に直さないと文意が伝わりません。適宜、想像して再三再四お読みになりますか?
2024.12.29
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〇編集責任者の席を有能な女性にお譲りして以来精神的にも時間的にも少し余裕ができました。他方、『續・野風呂俳諧日誌』上梓に向けて索引作成や最終校正作業に差し掛かっているので、手帳の予定表は当面、それほど空白の日が続いている訳でもありません。恒例の吟旅の頃には、かなり自由な日が巡ってくる事でしょう。 内容について略記するなら、編集長の「奥の細道」令和紀行が丁度50回をもってめでたく稿了。実にうまくまとめておられました。同人紹介コーナーも2ページに跨り、充実してきました。同じ句会におられる福嶋氏が「續俳諧日誌」を採り上げて下さり、有難く思いました。吟旅の歴史では、昭和56年には、網走・知床・納沙布岬へ2泊3日の長旅。父も参加していて、観光バス内の様子がミニカセットテープに録音されています。
2024.12.28
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〇九州の佐賀市から2年ぶりに都会の大阪、住吉区帝塚山の社宅に移って来た頃は、戦後の日本が緩やかな曲線で豊かな暮らしに移行してゆく時代でもありました。 南海電車「姫松」駅前の電気屋さんの店先には大相撲のテレビ中継に子供や帰宅途中の勤め人が群れだって観戦していました。母の実家には大きなテレビが据えてありましたが、まだまだ高級品で普通のサラリーマンには手が出せない時代でもありました。 私が中学に入った頃、父の計らいで我が家にもビクターテレビが置かれました。あの頃の大相撲は平幕力士が東西、20枚目ほど居て、横綱鏡里のようなあんこ型の力士や鳴門海といったひょろ長い力士も居て多彩でした。小学館の月刊誌の付録によろず辞典があって、その中の相撲48手の決まり手を丸覚えたりしていました。 コマーシャルは静止画面のものがほとんどで、ミツワ石鹸やカネボウ、ヤンマーディーゼルのヤン坊マー坊のCMは動きと歌がありました。8チャンネルだったか、一週間ずっと同じ映画を流す番組があって、「止めろフィリップ、止めろフィリップ!」というセリフまで覚えるくらい毎日楽しんでいました。この時代は抱っこちゃん人形、フラフープ、ホッピングなど大流行するものもありました。 子供はそれでも外で暗くなるまで遊んでいました。子供の遊び場である道路を車道にしたのは自動車メーカーの功罪の罪に当たったのかも知れません。家中で遊ぶ時間が増えるに従い、民放の人気番組も急増していったのでしょうね。
2024.12.27
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〇堀江誠二著『「吉本興業の研究」』を読めば、浪花という街を舞台に興行師の戦国時代を垣間見ることが出来ました。今の若い方々には馴染みが無いでしょうけれど、鼓を手に扇子で相方の女性にビシバシ叩かれていなさった捨丸師匠は、偉大な万歳師であったことが解ります。ペアーの漫才師が背広姿で舞台に立ったのが花菱アチャコ・横山エンタツ両人が初だったとは、今の世では余程の老齢者しかご存知ないことだと思います。世の中が目まぐるしく変遷を遂げている中、時代の先取りをして行かないと企業は衰退、斜陽化して行きます。 余談ながら桂米朝師匠の「私の履歴書」には、枝雀師匠が寝泊りする弟子の第一号だったという記事の他に、大阪フィルハーモニーの朝比奈氏と面識があったご縁で、米朝師匠が指揮棒を振り上げて居られる写真が添付されていました。私達は幾つになっても大志を捨てないで、貪欲に知識や情報の収集に接して行かなければなりませんね。
2024.12.26
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〇亡父が残した新聞の切り抜きのページを繰りますと、昭和42年10月29日の記事「活躍さんシリーズ」のNo19 「名勝天王山を守る」と題し、急に舞い起こった開発(大阪の観光開発業者と或る村民が共同で、頂上付近にヘルスセンターやゴルフ場、ドライブウェーを作る計画)に、小林清さんを初めとする乙訓の文化遺産を守る会の皆さんが、神谷村長あてに「日本の歴史上、数少ない史跡の地だから、開発には慎重な態度を」と要望書を提出したり緑地公園の構想を明らかにされました。こうした人々のご尽力で乙訓地区は観光被害の憂き目には遭わずに済んでいますし、山崎の駅前からアっと言う間に自然の山林、山麓地に入っていけます。 ガイドをしていた折も、天王山の自然環境を称賛して下さるお客さんの多さに、ついガイドにも身が入っていた記憶が薄れることはあり得ません。
2024.12.25
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〇父は素敵なものをこつこつマメに貯めるのが好きな人物でした。呉羽紡績の「クレハ・ホームソング」、サントリーの「洋酒天国」、朝日麦酒の「ホロニガ」どれも安価で手にいれています。掲題の冊子は、京都の老舗が費用を持った無料の冊子。「えり萬」の主人から良い応対をして貰えなかった作家・小島政二郎、井伊大老の菩提を弔って尼になった村山たか女、太田垣誠子コト連月尼に触れた杉本苑子、落語に見る正月風景として宝くじ当選し、有頂天八公の「御慶」等綴った江國滋らのエッセイ。鈴鹿野風呂先師の 初日拝む八十路無病のたひらぎに 迎春の拝領双幅つゝましく 金婚は去年に過ぎて初明り 輪飾の一つに足れる吾が書室 誌齢五十歳好新年にめぐりあふも掲載されています。発刊当時の蜷川虎三知事・俳優中村錦之助と山鉾連合会長・田中常雄三氏鼎談の「祇園祭」、石峰寺「五百羅漢の表情」を綴った花岡大学、玄琢居による「京の歳時記」もあって、五十冊ほどの本書は、鞄に入れ、車中などで読むのに好都合な冊子なのです。
2024.12.24
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〇一時ほどで無いにしても、歳末ともなれば暖房に頼りがちですね。寒々しい光景を歌った曲と言えば石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を連想します。斉藤茂著『この人この歌』には昭和の流行歌百選・おもしろ秘話が網羅されていて、15歳の時、「かくれんぼ」でデビューした石川さゆりさんは、その後、低迷の日が続きました。高校を卒業した時、彼女の才能を信じて疑わない三木たかし・阿久悠の両氏はコンビを組み、彼女に365日花模様という12曲のLPを編み出したのだそうです。 「花供養」を4月に、そしてデビュー15枚目の12月は、作曲担当の三木氏から作詞家の阿久氏に「津軽海峡冬景色」のフレーズで終わるよう依頼された由。<この主人公は、上野発の夜行列車に乗るまでにどんなに苦しみ、どんなに迷ったか知れない。連絡船への桟橋に一足かけた瞬間から今日までの過去を全部捨てる、そうしたぎりぎりの女の情念や覚悟というものを、彼女(さゆり)に理解して貰うのに、かなり時間をかけました。>(三木氏談)<・・それから竜飛岬へ行きました。風というのは横から吹いてくるものじゃなくて、下から吹き上げてくるもの、そして冷たいというよりは痛いものだということを知りました。その風の痛さが、歌の中の”風の音が胸をゆする 泣けとばかりに”の本当の意味を教えてくれたような気がしました>(さゆり談) わたしはこの「津軽海峡冬景色」という曲が好きでカラオケでは時々歌います。最初の3連音符(?)の繰り返しを巧くリズムに乗せ、”降りた時から”まで盛り上げて行きます。”青森駅は雪の中”は、少しトーンを下げて歌います。”北へ帰る人の群れ・・”は同じように繰り返します。”わたしも一人連絡船に乗り”は、極力丁寧に歌い、”風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに”は、”風”・”胸”・”泣け”にアクセントをつけ、フォルテシモで最高潮に持って行き、”嗚呼 津軽海峡冬景色”は切なく、冬の手前の休符を活かして歌い収めます。 歌う側が泣いてしまってはダメで、その一歩手前の状態まで、感情を昂めるようにしています。
2024.12.23
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〇動物園に行ったら一度は覗く猿山。そこでは小春日を浴びながら毛づくろいするつがいが幾組か。万物の霊長と自負する人間だって、これに似たポーズがありますね。そう、耳かきの姿。子供の頃、母に甘える至福のいっ刻。結婚して子供が生まれるまでの数年間は、新婚よろしく、家内にして貰っていました。銀と鉛かニッケルかの合金製の父愛用の耳かきは、つい数年前まで使っていた記憶があります。大ぶりのゆったりとした感触の優れものでしたが、リフォームをきっかけにこちらの家に住んで以来見かけません。現在使っているのは和倉温泉の旅館で買った竹製の華奢なものですが、感触が少々理想的ではありません。持ち手の部分にかすかなバネが感じられる銀合金製の、父の遺したあの耳かきが忘れられないのです。
2024.12.22
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〇上前淳一郎著『読むクスリ』の19巻には山形県は西川町の逸話が載せてあります。昭和50年代の終り、西川町は県内44市町村の中で一人当りの平均所得が最下位で、過疎化に苦しんで居られた横山町長は”町おこし”のため、若い職員らを東京に住まわせヒントを探らせました。良い案も見つからずヤケ酒を飲み、翌朝不味い水で二日酔いを醒ます日々からヒントを得、西川町の美味しい水を東京で売ってみようと発案しました。上司はとんでもないとはねつけられましたが、彼らは町長にアピール、町の乏しい資金をやりくりし700万円で「月山自然水」を東京のデパートに送り出しました。翌年の夏、異常渇水に陥った東京では給水制限が始まり、この商品も飛ぶように売れ出し、その美味を知った都会人は渇水状態が終息しても買い求めるようになり、年20万本を突破、〆て3600万円の売上げを計上しました。10年後再び渇水が東京を襲ったのですが、「水が無くて困る人から儲けるのは宜しくない」と40円値引きして売る行動を示し、デパートから感謝状が贈られたという美談。平均所得もどん尻からゴボウ抜きに上昇、県下6位まで躍進したという町長さんの回想話でした。
2024.12.21
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〇某年、京都新聞誌上には「漱石の未発表書簡発見」「平等院で公開」という見出しで、<文豪・夏目漱石が京都の華道家元・西川一草亭にあてた未発表の書簡が見つかり、19日から始まった宇治、平等院の特別企画展で公開された。>とあります。 学生時代、大学のすぐ傍にあった叔父(母の弟)の家によく寝泊りしましたが、その洋間の書棚にずらり並べてあったのが漱石全集で、巻の一部は書簡集だったと記憶しています。漱石の書簡はもう既に殆どが集成され尽くしていた筈ですが、今回の発見はその点、意義深いものと言えましょう。大正4(1915)年2月7日、芍薬(実は牡丹)を贈って貰った礼と、祇園「大友」の女将・磯田多佳が西川一草亭の邸へ話に行きたいと言った話が大阪の実業家・芝川照吉から聞いたと書かれています。この年の3月には加賀正太郎の「大山崎山荘」へ夫婦で訪れたことや京都独特の言い回しによる誤解から磯田多佳と心の行き違いが生じ、「春の川を隔てて男女哉」の句を扇に遺しています。
2024.12.20
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〇父は音楽にも興味を示し、クラシックや流行歌、長唄等の古いレコード、つまり78回転の重たいレコードの大盤も手にしていました。従って、大盤用のキャビネットと普通サイズの2つは既に砕いてゴミとしてレコードと共に処分。それでも普通サイズがあと2つ、そして写真の立派な左右とも10段のキャビネットが健在。このキャビネットの右下4段はまだSPレコードが残っていますが、それ以外の容れものには、小さな包装紙、リボンの数々、色鉛筆、版画のゴム印、電池一式、墨等のほか、絵の具も入れていましたが、家内が目を離した隙に、1歳半の孫(2番目)が顔やその他に塗りたくっていたようで、家内の悲鳴を耳にするや、娘が、まるでライオンの親が口に咥えて運ぶ時そっくりの両手をぶらんと下げたまま、洗面場へ運んだときの孫の姿が、動物番組の動画を観るたび、思い起こされて、おかしくってと。
2024.12.19
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〇折角の洒落を言ったとして、〇〇だけに~と付け足すのは愚の骨頂で、予め用意した洒落だから、本当の笑いは取れません。それに近いものでも、問答風にすると俄然、面白くなるから不思議です。晩に吊っても、麻(朝)蚊帳とはこれ如何に? 外で使っても、うちわと言うが如し。青いものをき(瓜)とはこれ如何に? 白いものでも大こん(紺)と言うが如し。あるものをなし(梨)とはこれ如何に? 買うてもうり(瓜)と言うが如し。一羽のとりを、にわとりとはこれ如何に? 一羽のとりを四十からと言うが如し。そこに居てもいぬとはこれ如何に? 立っていても、ねこと言うが如し。顔をふいても手ぬぐいとはこれ如何に? 足にはいても、はなおと言うが如し。こういう下地、基礎を若い間に身につけておくと、咄嗟の当意即妙な「洒落」で、場を和ませる筈ですね。 (参考図書・秋田實著『日本語と笑い』)
2024.12.18
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〇宝物とは行かなくとも大切に残しておきたいものが多々あります。父の親友だった新関一杜(淑郎)氏の書簡集もその一つ。 それは「みちのくだより」と称し120号まで及び、彼が東北に単身赴任して居られた頃の亡父との往復書簡で、季節折々の植物などがデフォルメされた逸品なのです。図柄は、笹巻き、山菜の王しほで、さくらんぼ、早咲きのリンドウ、杜若、蔵王スケッチ、蕎麦の花、ねこじゃらし、囲炉裏端、なすび等等。 父は菓子道楽、うまいもん道楽していましたが、一杜氏もしかりで、手紙の中にはうまいもんの紹介や感想も書かれています。 俳句を介して同じ勤めの同僚が、恰も恋人に文遣るごとき頻度で、その友情の深さには余人の入る隙すら無いほどです。 亡くなる前の、病床にある父が彼に送った最後の手紙は、「ちょっと旅してきます。どうか、このまま放念下さい」という内容の葉書であったことを葬儀の席で披露して戴き、どっと涙が溢れたことを思い出しました。
2024.12.17
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〇日野草城ら数名の同人と「京大俳句」発表の場として「京鹿子」を発刊された野風呂先師は昭和7年を皮切りに綴られて来た『野風呂俳諧日誌』1巻2巻を昭和38年12月に発刊しておられますが、戦時中、政府からの規制の為、「京鹿子」誌が一部途切れた時代があり、当時の京洛の生活状態、戦況および終戦、直後の生活の変容と俳句を媒体とする人々のつながりを赤裸々に記された意義のある毛筆の日誌を旧漢字のまま、800頁を超える書として数年前から京国文学の教授たちと7名にて起こして参りました。この程、人物編、地名編の各索引を作成していまして、上梓へあと一歩まで近づきました。
2024.12.16
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〇2000年3月、父逝去以来、逐一チェックしながら断捨離を続けています。漆器や陶磁器の包装紙は、昭和27年(1952年)4月8日付のデイリースポーツ紙。京都の家に預けていたのか、佐賀、大阪、長岡京まで変遷したのか不明です。セ・リーグ名古屋のエース杉下早くも五連勝を記録、国鉄の金田三度のシャットアウトゲームを樹立、パ・リーグで全勝と最好調を誇る毎日野村の各投手の写真が並んでいます。 見出しは一歩も退けぬ大映、西鉄。好調毎日に見参す曲者阪急。パの順位は毎日、南海、大映、西鉄、阪急、東急、近鉄。セの順位は名古屋、巨人、阪神、松竹、大洋、広島、国鉄。裏面は関西六大学の記事で、鼻息の荒い立命、関大一躍三番の新人小田に期待。若人熱闘の甲子園、静岡商優勝の原動力、正攻法と田所投手の好投。また大相撲はこれまで年三回開催を翌年28年から一、五、九月の三回を東京で、三月は大阪で行うと決めました。よくぞ見つかってくれた古新聞よ、撫で撫で。
2024.12.15
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〇2007年12月「しぐれ茶屋おりくの日記」では源氏物語千年紀を翌年に迎えるので「源氏物語ゆかりの地」説明板を設置する計画について触れていました。内裏跡=下丸屋町「上京歴史探訪館」前飛香舎跡=土屋町出水下る西神明町(民家)弘徽殿跡=出水千本東入下る東神明町(民家)清涼殿跡=下立売千本東入田中町承香殿跡=浄福寺出水下る西入東神明町(民家)蔵人町屋跡=下立売千本東入田中町(民家)内郭回廊跡=下立売千本東入田中町(史跡指定地)紫宸殿跡=下立売浄福寺西入田中町(民家)淑景舎・桐壷=出水浄福寺東入田村備前町(民家)南限跡建礼門跡=中務町二条城北小学校その他岩倉や雲母坂、嵯峨野や荒神口、蘆山寺、梨木神社、鳥辺野、大原野神社等、40か所もあります。
2024.12.14
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〇生協で購入した木製のベッドはダブルとシングルの中間ほどの幅があるので落ちませんが、若き日、9カ月ほど入院していた北野病院では、女の人でもベッドから落下した話がありました。であるのに、雀や小鳥たちは枝に止まってこっくり寝入っても落ちません。仮に落ちたとしても羽があるから安心です。その不思議さを話題の達人倶楽部編の『天下無双の大人の雑学』にて解明すると、鳥がもつ足指の腱の構造が独特だから。つまり鳥の腱は足の上部の筋肉とつながっていて、それを引っ張ると指が自動的に曲がる仕組みになっているから、枝に止まって寝るとき、鳥は足を曲げてうずくまるのですが、その姿勢なら自然に腱は引っ張られ、足指はしっかりと枝をつかんで離さないようにできているようです。
2024.12.13
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〇大山崎歴史資料館に展示されている行基さんと山崎院のガイドには、決まって奈良の大仏建立の話題を織り交ぜています。 永井路子著『日本夫婦げんか考』にそってお二人に触れますと、第45代聖武天皇の御世は、藤原氏と橘氏との軋轢や、天然痘とおぼしき疫病が蔓延し、一般庶民だけでなく、光明皇后のご兄弟が一度に亡くなってしまいました。紫香楽宮で他の勢力主導の大仏建立は権力維持を図る藤原氏には不具合な地域。ところが折よく紫香楽宮の周りで山火事が次いで起こり、止む無く奈良の都に帰還。藤原氏による指導で大仏の建立も進められたのでした。
2024.12.12
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〇某年某日、室内や物置の書物など整理していたら、「捨てられない手紙箱」があって、中には母方祖父母、叔父、叔母、父方の祖父母、姉妹や俳句にからむ方々の手紙、大阪市の筆頭助役になる前の祖父の「中央卸売市場について」という論文や甥や姪、わが家の子たちの幼い手紙や絵、作品などに交じって、母結婚時の荷目録が出てきました。 紅白の水引きで綴じられた和紙の目録は母方の祖父の筆で父方の祖父宛になって居て、+1.総桐羽織箪笥 一棹1.総桐衣装箪笥 一棹1.総桐手許箪笥 一棹1.総桐長持 一棹1.人形 三個1.帛紗箱 一個1.鏡台 一揃1.本箱机 一組1.火鉢 一対 以上右幾久敷御受納相成度候也昭和十四年一月吉日となっています。他にも婚荷は多々あったのですが、長持と鏡台以外の箪笥などは今も残っています。婚前の荷のお披露目の時だけに婚荷にかけた大袱紗は可なり大きなもので横幅は1メートルを越える錦繍でどっしりと重く、この生地で日本人形が何体も造れそうな立派なものでです。花嫁衣裳も当時の桐箪笥に保存してあります。
2024.12.11
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〇家内は家内成りに、庭の手入れを楽しんでいます。で、この度庭のデザイン④『垣・塀』(中根史郎著)を図書館から借りていました。光悦寺垣は有名だから知っていましたが、金閣寺垣や銀閣寺垣、建仁寺垣、竜安寺垣、南禅寺垣、二尊院垣、大津垣、木賊垣、それに鉄砲垣や御簾垣。矢来、四つ目、ななこ、忍び返しや穂、萩垣などのほか黒文字垣、生垣、袖垣、その他いろいろ。 塀では板塀、土塀、瓦塀、木柵などを挙げています。光悦寺垣の美しさ、京都御所の茶筅垣の渋み、桂離宮の竹穂垣の趣。隙間なく縦横に敷き詰められた建仁寺垣、栗林公園の竜安寺垣、竹を横に敷き詰めた鶴岡八幡宮の御簾垣、偕楽園の矢来垣などどれも心を和ませる画像です。わが家の庭の御簾垣が枯れ色になって古びています。一方、丸太町東大路の熊野神社近くの某社長邸の泥棒除けの鋭い忍び返しは怖くて忍び込めません。
2024.12.10
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〇日本人たる誇りを失わず、日本の古き良きものを次世代に伝えて行きたいものです。某日図書館から借りた『有識故実図鑑』(河鰭実英編)を順に追ってみますと、最初に、<色目>黄・黄丹・朱紱・朽葉・黄櫨染・香・柑子・萱草・赤・紅・薄紅・紅梅・蘇芳・濃・紫・薄紫・薄色・二藍・比曾久・縹・薄縹・萌木・薄萌木・青・黒・錫紵・鈍色・そして白28色が載せてあります。 次に「日晴の図」これは後一条天皇行幸の駒競行幸絵図のことで、数年前まで、わが俳誌「京鹿子」の刊行を依頼していたITP石田大成社の所在地が、藤原頼通の豪華な邸宅「高陽院」跡に位置すると同社が23年5月5日付で説明図を出されています。屋上には「高陽院」を復元した庭もあるようです。3頁目には「直衣姿」とて佐竹本三十六歌仙絵巻から女房装束を。4頁では天皇家のご結婚式を彷彿させる束帯姿と十二単を載せています。 本文は服飾編、舞楽編、甲冑編、馬具編、殿舎・調度・輿車・尊像・仏具編に分類して実物の写真がふんだんに載せてあります。これらは映画・テレビドラマなどの時代考証に役立つことでしょう。
2024.12.09
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〇某所から古い時代の家計簿が8冊出て来ました。 特に古いのは1957年(昭和32)、その後は’82や’86と続いています。 最も古い’57年は1月5日から書き込まれ、宝塚みやげ250円、足代(2人半)470円等。翌日おもちつき賃120円、七草10円、千里山(母の実家)おみやげ230円、お利玉600円、足代3人360円。当時の物価を参考までに、ほうれん草20円、きな粉20円、主義袋5円。それから4半世紀経つ’82年になると、クッキーが400円、口紅2700円、阪急友の会4000円、うなぎ720円、ウインナー3本150円、バナナ180円、水道料2620円、’86年の7月27日(日)、わが家族が3時半訪問、9時前実家を発った旨、豚カツ6枚1486円等々。同年8月7日(木)、主人(すばる)と珍皇寺まで盆の迎いの鐘を衝きに行った記事。日ごとに誰それが来て泊り、何日帰って行ったかを、欄外の記事として遺していました。
2024.12.08
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〇東京には「東京はとバスツアー」が今なお健在だと聞いていますが、初代コロンビア・ローズさんの「東京のバスガール」の歌声と紺地の制服姿が鮮明に残っています。 バスガイド嬢にも、哀しいかな優劣があって、その日の団体客の本質・特色を捉え、自分のペースに巻き込むベテランもあれば、覚えた教科書通りに、兎に角、左右の景色を指し示しながらのガイドに徹するタイプの比較的に若いガイドさんも居られます。 自慢話にとって貰うと困りますが、中学の修学旅行の記憶は曖昧なれど、高校2年での修学旅行は別府温泉と阿蘇、グラバー邸を巡る九州観光。亀の井バスのガイドさんが披露された『別府音頭』と『阿蘇の恋歌』は、60年ほど経った今も、歌詞とメロディを覚えていて、時折口ずさんでいます。
2024.12.07
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〇千号記念出版本の原稿の一部、千句ほどの作品の照合作業をしていた15年前の日記。<12月下旬の寒さにあって、専ら膝掛け電気毛布を愛用しています。父譲りの寒がり屋ですから、厚着も人並み以上。子供の頃の方が今よりずうっと気温が低かったようだし、手にはいつも皹がありました。学校の廊下の拭き掃除は指先の感覚が無くなってしまいそうでした。それでも子供は風の子。日がすっかり落ちてしまい、真っ暗になるまで表で遊んでいました。櫓炬燵に湯たんぽ、母が読み聞かせてくれるお伽噺の懐かしいこと。小学生の頃は小学館の「小学○年生」を毎月楽しみにしていました。12月号はクリスマスの付録が多く、新年号はさらに金色の文字や縁取りが施されていて豪華でした。背を丸めて櫓炬燵に家族が坐り、一人が席を立とうものなら他の者からついでの用事が幾つもあって、これはサザエさんにも載っていました。風邪等ひかないように睡眠と栄養、運動のバランスを保ちながら、草萌えの春まで頑張ることに。
2024.12.06
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〇数十年前の某日、二十数人乗りのワゴン車にて高野から花折へと山道を登り降りすれば朽木。367号線から303号線へと走り続けると滋賀から福井の県境。やがて熊川宿に着きました。二列に並ぶ住宅の前には水嵩も豊かな水が迅く流れ、鯖寿司だの大き目の小豆だの、焼さば寿司だの、へしこなど山海の産物を並べる店々を覗きこみながら牛歩の時間を過ごしました。水流を利用した芋洗い器は竹製の水車のようなものですが、「芋水車」「芋ぐるま」の呼称。 羽賀寺の女性ガイドさんは、私達が俳句のサークルと知って、芭蕉句碑や著名な俳人の句碑についても言及して下さいました。 奈良二月堂のお水取りの出発点として十日前に行われるお水送りの儀式で有名な「神宮寺」は文字通り神仏混合、本殿には六つの神と薬師如来を平等に祀っています。明通寺の本堂、三重塔はいずれも国宝、降三世明王・深沙大将の彫刻の出来映え、その他の寺も、十一面観音や十二神将、二十四面観音、薬師如来など重要文化財の宝庫でした。出来映えの良い彫刻は人間のこころの中にぐう~と迫って来られる勢いがあります。
2024.12.05
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〇皆様、そろそろ年賀状に着手する時期ですね。値上がり幅が凄くって悩みますね。 ところで亡父は数学パズルが大好きで、著作を多く残された数学博士・藤村幸三郎とも直接文通していたようです。父が考えた昭和四十六(一九七一)年の年賀状は 明けましておめどとうございます 本年もよろしく ところで、これからスペシャル・メッセージを差し上げたいと思うのですが、それは下記の10の中からあなた自身で1つを選んでいただきます。新年そうそうごめんどうながら次の計算をして下さい。あなたが元旦に召し上がったお餅の数に、1年の日数365を掛けて下さい。その答えに本年の年数1971を加えて下さい。これを73で割って下さい。割り切れましたか。これはラッキーです。この答えにラッキー・ナンバー73を加えて下さい。その答えの下2ケタの数はいくらですか。この2ケタの数を最初のお餅の数で割って下さい。その答えこそあなたへのメッセージの番号です。 ◎スペシャル・メッセージ◎1.いのししのようにつっぱしろう。2.スキーに行きましょう。あすお電話します。3.あなたはパンタロンが似合いますよ。4.飲んでるかい。食ってるかい。5.あなたはますます美しくなりますよ。6.数学が大好きになりますよ、今年は。7.1月15日の朝、あなたに話しかける人こそ !!8.フォーク・グループを組みませんか。9.月旅行の旅券を差し上げたいのですが。10.本年も頑張りましょう。亡父は良く夜中に計算などもしていましたが、このようなパズルを考えたりしていたのでしょう。本件はノートルダム女学院中・高生用ですから、どの数の餅であっても、どれも5番になるのです。
2024.12.04
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〇衿野未矢著『恋は強気が勝つ!』を簡単にまとめると、恋の良き指南書になること請合い。(ご注意)本文はこの著作を熟読せぬ儘、私の私的な説明を入れています。<捨てるには惜しい男>ながら、女友だちに羨ましがられる男、貴女の成功を祝福しない男、腐れ縁の男、元カノにこだわる男などは、早々に縁を切って、新しい恋に邁進しよう。<どこから見てもダメ男>貢がせる男、ほかに本命のいる男、束縛する男、女から女へと渡り歩く男、暴力をふるう男なんかさっさと見切りをつけて、捨てちゃおう。<結果を貴女次第にするグレーゾーンの男>マメな男、一途な男、過去にこだわる男、堅実な男、女性経験の多い男、身勝手な男たちは、一緒に生活するや、幸福感を味わえなくなりそう。<不倫する既婚男性がダメな理由>妻子のある男、シングル女性に近づく既婚男、人妻やバツイチに近づく男たちは、結局自己中心型で、優しさのかけらもないことが多い。<弱気体質は変えられる!>見捨てられ不安型、恋愛最優先型、先を急ぎすぎ型、いつまでも引きずり型、決断できない型、過剰防衛型それぞれにアドバイス。<終章、その男は毒か、それとも薬か>この項、字数より略。
2024.12.03
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〇永山久夫著『たべもの日本史』はイラスト入りの本で、どの頁を開けても興味深い内容で埋められています。 土器を持たず野生動物の肉への依存度の高かった旧石器時代から、煮炊き用の土器を使った縄文時代への様変り。 魚や貝類、鳥・猪・鹿などの肉にアミノ酸の溶けだした旨味をも知ることになりました。 縄文期の後期から弥生時代にかけて稲作が渡来し、胡麻蕎麦、黍、里いもの栽培など、食は多様化して来ます。 それが証拠に、古事記には、稲、栗、小豆、麦、大豆の五穀が記載されています。 20世紀末に発掘されたのは、幅40m、長さ1Kmにもわたる東京都北区の中里貝塚で、カキが養殖されて居たことがわかりました。乾燥させて物々交換用の商品にしていたようです。
2024.12.02
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〇’73年再版発行の別冊「太陽」百人一首のランダムに開いた頁には27番目、中納言兼輔の みかの原わきてながるるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむが掲載されていました。『新古今集』恋の部に題不知として挙げられているようです。しかし古今六帖、川の題に見当たり、この歌の数首前からの作者を兼輔としていたので、新古今の撰者たちは同一人物の作と考えたようですが兼輔自身の歌集には入っておらず、読人しらずとすべき歌。みかの原は山城・相楽郡の地名で、聖武帝の恭仁京、国分寺址があり、棺つまり甕(みか)を埋めた場所から水が湧いた言い伝えに由来するとか。兼輔は藤原冬嗣の曾孫にあたり、世に堤中納言と称された従兄・定方と共に延喜歌壇の中心人物、三十六歌仙の一人でした。
2024.12.01
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