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朱雀院から、 「私も今では死期が近いような気がして、何となく心細く思われます。現世に未練はありませんが、今一たび女三宮に会いたいのです。会えなくば、この世に恨みが残るような気がいたしまして。何とか来ていただけないものか」 とのおん申し出でがありました。大殿は、 「ほんに、それは尤もなことです。仰せがなくとも、こちらからお見舞いするべきところですのに、まして朱雀院がこんなに切望していらっしゃるのだから、応じなくては心苦しい」 と、お見舞いの用意をなさいます。 『それにしても何のきっかけもなく、突然ご訪問をなさるわけにもゆくまい。どんな催しをしてご覧にいれたようか』 と思案なさって、 『来年は院も五十歳におなりだから、若返りのために若菜などを調理してお祝い申し上げよう』 とお思い付きになります。そうしてさまざまなおん法服、精進料理の御仕度など、俗人のお祝いとは違ったことばかりですので、そこを配慮なさりながら思いめぐらせておいでになります。 朱雀院は出家なさる以前にも音楽の方面に関心がおありでいらっしゃいましたので、その日の舞人、楽人などを格別配慮して定め、その道に堪能な人ばかりをお選びになります。髭黒の右大将の御子二人、左大将の御子では北の方腹二人に典侍腹を加えて三人、まだ幼いのですが、七つより上の御子はみなこの機会に昇殿をお許しになります。兵部卿の宮の、王孫でいらっしゃる御子はみな、それにしかるべき宮家や良家の子弟をみな舞人や楽人にお選びになりました。殿上人の君達も、容姿がよく、同じ舞姿でも格別に優れている者だけを定めて、それぞれに舞の準備をしておやりになります。晴れの御祝ですので、選ばれた人はみな熱心に練習なさいます。お蔭でその道の上手といわれる人たちは、稽古を頼まれて忙しい日々になるのでした。
October 8, 2014
紫の上は、年月とともに勝っておいでになる女三宮のご声望にくらべて、 『私は大殿のご寵愛だけが頼り。それは誰にも引けを取らないけれども、あまり年を取りすぎたらきっと失せてしまうにちがいない。そんなみじめな思いをしないうちに出家したいものだわ』 と、しきりにお思いになるのですが、そんなことを願い出るのは生意気なようですので、じっとお胸の中に秘めていらっしゃるのでした。 女三宮には、朱雀院はもとより今上までがお心添えあそばされますので、大殿ご自身もおろそかなお扱いがおできにならず、お渡りになる夜がしだいに多くなってまいります。紫の上は『それはお道理』と思いながらも『やはり』と、内心安からずお思いになるのですが、強いて平静を装っていらっしゃいます。そうして、春宮のすぐ下の妹宮でいらっしゃる、明石女御腹の女一宮を引き取って大切にお世話申し、所在ないおん夜離れ(よがれ)を慰めていらっしゃるのでした。紫の上は明石女御腹の御子たちをみな可愛らしく愛おしくお思いなのでした。 夏のおん方・花散里の君は、大勢のおん孫のお世話をしていらっしゃる紫の上が羨ましく、左大将の君の、典侍(ないしのすけ)腹の三の君と次郎君を迎えてせっせとお世話していらっしゃいます。お二人ともたいそう可愛らしく、心構えも年齢よりはませていますので、大殿も可愛がっていらっしゃいます。昔は御子の少ないことを残念にお思いでしたが、明石女御、左大将にたいそう御子がお生まれになりましたので、今ではおん孫たちのお相手をなすって徒然を慰めていらっしゃるのでした。 髭黒の右大将は六条院に参上なさる機会が以前より増えて親しくなり、今では北の方・玉鬘の君もすっかり大人になってしまいましたので、昔の好き好きしい気持ちがなくなったからでしょうか、しかるべき折には六条院においでになって、紫の上ともご対面なさり互いに親しくお話しなさる好ましいご関係でいらっしゃいます。中で一人女三宮だけが、相変わらず若々しくおっとりとしていらっしゃいます。大殿は、明石女御を今上にすっかりお任せ申しましたので、今では女三宮だけがたいそう気がかりで、ご自分の幼いおん娘のようなお気持ちで、大切にお世話なさるのでした。
October 7, 2014
松原にはるばると立て連なる御車の、風に吹かれた下簾の隙間からこぼれるお袖の色は、まるで常緑の松の蔭に花の錦を引いたようです。身分によってそれぞれ決まった色の袍を着た人が、風流な懸盤を取り次いで召し上がりものを給仕する様子を、下人たちは目を見張っています。明石の尼君の御前には浅香の折敷に青鈍色の上掛物をして、精進料理が運ばれて参ります。人々は、 「何とも幸運な女であることよ」 と、蔭口を言うのでした。 行きは仰々しいほど様々の奉納品あったのですが、帰りは身軽になりましたので物見遊山をお尽くしになりました。それをいちいち書き続けるのもうるさく面倒ですので、省くことにいたします。 尼君は、身に余る光栄なおん有様につけても、夫・入道がこれを見聞きできない山奥にいらっしゃることだけが残念に思われるのでした。けれどそれは難しいことでもあり、みっともない事でもありましょう。 しかし世間の人はこれを「幸運」の例として、高い望みを持つことが流行りそうなご時勢なのです。何につけても感心し驚いては、世間のはやり言葉で「明石の尼君」と、幸せ者をはやし立てるのでした。 致仕の大殿の娘・近江の君は、双六を打つときの言葉にまで「明石の尼君、明石の尼君」と言って賽の目に祈るほどでした。 入道の帝・朱雀院は、たいそう熱心に仏道修行にはげんでいらして、宮中のおん事にもご関心がなく、春秋の行幸の折には昔をお思い出しになることもあるようなのでした。ただ女三宮の御ことだけは今も見捨てることがおできにならず、六条院の大殿は表向きのおん後ろ身としてお立てになりながら、内々のお心配りをいただけるよう、今上に上奏なさるのです。それで女三宮は二品になり給いて御封(みふ)などが増し、ますます華やかなご威勢におなりなのでした。
October 4, 2014
夜通し神楽を奏してお明かしになります。空には二十日の月がはるかに澄んで、海が一面にうつくしく見え渡り、地面には霜がたいそう深く下りて松原の色も白く変わり寒々として、風情も面白さもひとしおたちまさるのでした。 紫の上は六条院の内ながら、その時々に応じて朝夕興ある遊びに聞き飽き目馴れていらっしゃいましたけれども、御門から外での物見などめったになさいません。まして都から離れた旅は初めてでいらっしゃいますので、珍しく感興深くお思いになります。 「住の江の 松に夜深くおく霜は 神のかけたる木綿鬘(ゆふかづら)かも(住吉の入江に夜深く下りた霜は、住吉の神様がお掛けになった木綿鬘のようね)」 小野篁の朝臣が『比良の山さへ』と詠んだ雪の明朝を想像なさいますと、 『雪景色は、大殿のおん志を住吉の神がお受けになったしるしかもしれない』 と、ますます頼もしくお思いになるのでした。 明石女御の君の御歌、 「神人の 手にとりもたる 榊葉に 木綿かけそふる 深き夜の霜(神にお仕えする人が手に持っている榊の葉に、さらに木綿を掛け添えるような夜の霜ですわね)」 中務の君、 「祝(はふ)り子が 木綿うちまがひ置く霜は げにいちじるき 神のしるしか(神官が持つ木綿かと見まごうばかり一面に置かれた霜は、ほんに住吉の神が御願をお受けになったしるしのようでございます)」 次々と詠まれた歌は限りなくあったのですが、書き記すまでもないようでございます。このような折の歌は、例によって自信ありげにお詠みになった殿方の歌でも、松の千歳を詠むばかりで当世風な新しさがなく、精彩に欠けたものばかりでございますので省略いたします。 ほのぼのと夜が明けてゆくにつれて霜はますます深く下り、本末も分からなくなるほど深酔いしたお神楽の人々は、顔の赤いのも知らず興に乗り、篝火が消えかかっているのに、 「万歳、万歳」 と、榊葉を振りながら祝福申し上げる大殿の御行く末は、思いやるだけでもたいそうめでたく頼もしいのでした。何事も飽かず面白いままに、千夜をこの一夜にしたいような長い夜もあっけなく明けてしまいましたので、若い人たちは返る波と競うようにして帰京しなくてはならないのを残念に思うのです。
October 3, 2014
十月の二十日ですので、社の斎垣(いがき)に這う葛の色も変わり、松の下の紅葉などが美しく、秋は吹く風の音にだけ感じるものではないといった風情なのです。ことごとしい高麗や唐土の楽よりも東遊の耳慣れた音色が懐かしく面白く、波や風の音に響きあい、松風に競って吹きたてた笛の音は他の場所で聞く調べとは違って身に沁み、和琴に合わせた拍子は、鼓がないので仰々しくなくしっとりと面白く、まして場所が場所ですので趣深く聞こえるのでした。舞人の、山藍で摺り染めた竹の節模様の袍は松の緑に見紛い、かざしの色々は秋草の色に交じり、何を見ても色美しい風景なのです。『求子』の最後のところで、若い上達部が右肩をぬいでお下りになります。地味な黒色の袍に、蘇芳襲(すおうがさね)の葡萄染(えびぞめ)の袖をいきなり引き出しましたので、紅の濃い衵の袂に時雨がさっと降りかかって少しばかり濡れた様子はまるで紅葉が散るようで、ここが松原であることを忘れてしまうほどです。上達部たちは皆、見応えのあるすばらしい容姿で、真っ白に枯れた荻を高々とかざして、ほんの一さし舞って奥に入りましたのはたいそう面白く、物足りないほどでした。 大殿は須磨や明石にさすらっていらした昔の様子が目の前の事のように思い出されて、あの頃のことを打ち解けて心置きなく話すことのできるお相手もいらっしゃいませんので、致仕(ちじ)の大臣を恋しくお思いになります。それで奥にお入りになっておん畳紙に、 「たれか又 心を知りて住吉の 神世を経たる 松に言問ふ(住吉の神に願ほどきをする私のこの気持ちを分かっていただけるのは、あなたさまの他に誰がいるでしょうか)」 とお書きになって、明石の尼君の車にそっとお遣りになりました。 尼君は、あの頃には思いもよらなかったこのご威勢を見るにつけても、大殿が京にお帰りになった時の悲しみや、女御の君ご誕生の折などを思い出しますと、わが身の宿世をもったいなく思うのでした。世をお離れになった夫・入道も恋しく、さまざまにもの悲しいのですが、一方では縁起が悪いと言葉を慎んで、 「住の江を いけるかひある渚とは 年経るあまも けふや知るらん(住吉の入江が、長生きした甲斐のある渚だということを、年老いた尼も今日初めて知りました)」 お返事が遅くなっては不都合であろうと、ただ思った通りの事を詠んだのでした。そして、 「むかしこそ まづ忘られね住吉の 神のしるしを 見るにつけても(住吉の神の霊験を見るにつけても、やはり第一番目には明石での昔の事が忘れられません)」 と、独り言ちたとか。
October 1, 2014
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