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山裾をぐるりと廻り木の実落つ 青穹 山道を覆いうねりて濡れ落葉 挨拶は知らぬ同士で山路秋 山雀(やまがら)の鳴声すなり雨後の里 隧道で放吟するも秋思かな
Oct 31, 2010
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建学130周年を迎えた東京薬科大学の東薬セミナーに行ってきた。毎年、学園祭「東薬祭」のひとつのプログラムとして開催されている。この講演会に参加して、薬学・生命科学の先端研究の梗概を、当事者である教授から聞くのを、私は楽しみにしている。 理工系、そのなかでも医学、薬学、生命科学の分野は、直接的な社会貢献を目的として、弛まざる研究・発見そして実際治療の、まさに最先端でしのぎを削っている。その研究当事者である教授の講演なのだから、おもしろくないわけがない。 さて今回は、第1部が、薬学部製剤設計学教室・岡田弘晃教授による「がん、糖尿病、アトピー性皮膚炎を治す新しいクスリ:DDS(薬物送達システム)を用いた新薬の創製」。 第2部が、生命科学部ゲノム情報学研究室・深見希代子教授による「皮膚からのメッセージ」。 私は、第1部は残念ながら聴講できず、第2部に文字通り汗だくになって駆けつけた。 深見希代子教授の「皮膚からのメッセージ」は、皮膚の局所的な遺伝子欠損が白血病などの全身疾患を誘導するという、そのメカニズについてマウス実験から解析した研究、および、京大の山中博士のiPS細胞による再生医療の現状までの講義であった。 私がどこまで理解したか、講義の全容を書くことで検証したいところだが、なにしろいまは時間の余裕がない。昨年も同様で、結局このブログに講義の紹介はできなかったと記憶する。まあ、自分の頭のなかに入っていれば、それでいいのだが。・・・私のリフレッシュでもあるわけです。
Oct 31, 2010
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秋雨や山からのぞむ町とざす 青穹 軍機行く爆音暗し秋霖雨 台風が過行くをまつ孤閨かな きょうは家族全員がインフルエンザの予防注射をしてもらうことになっていて、医師の来宅をまっている。雨が降りしきり、到着はまだ。きのう「今から行ってもいいですよ」と言うのを、小用で外出するので「土曜日にしてください」とお断りした。天気予報で雨が降ると言っていたのを失念していた。気の毒なことをしてしまった。来宅は夜になるかもしれない。
Oct 30, 2010
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菊籬(きくまがき)声かけられて立ち話 青穹 秋深し青霄(せいしょう)はわが胸のうち 昨年来、老母の在宅医療看護で忙しく、小庭の手入れもできず、鉢には花がひとつもない。おまけに、この夏の猛暑のなか水やりを怠ったために、トウジュロを枯死させてしまった。枯れてしまった枝葉は切って捨てたが、幹だけはまだそのままにしてある。新しい芽がでてこないかと期待しているのだけれど、のぞみは薄い。 そんな荒れた状態で、雑草も伸び放題の隣家との境側の我家の露地に、小さな三色菫(パンジー)が咲いているのを見つけた。そんな所に花を植えはしないので、どこか他所から種が飛んで来たのだろう。どういうわけか、我家にはときどき植えたおぼえのない草木が芽をだすのだが、それにしても秋も深まったこの時期に、菫が咲くとは! これから冬に向って、さてこの花をどうしたものか。植え変えようか、このままにしようか。たった一株の小さな菫だけれど、せっかく我家にやって来たのだ、なんとか居着いてほしいものだ。 まだ、家人には話していない。私ひとりが見守っているのである。 枯れ庭に種飛んできて菫咲く 青穹 秋深し春咲くすみれこぼれ花
Oct 29, 2010
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坂町にしぐれ落葉や色溜り 青穹 膝ぬくみ猫まるくなる秋時雨 猫たちに話し聞かせる夜寒かな 私の句作は、前回の「柿箱に・・・」の句が今年の900作目。残り2ヶ月で100句詠み、全1000句でしめくくる予定。忙しい合間のつぶやきである。 ここまでを読み返してみると、駄作多いなかに、いくつかは良さそうな作もある。と、自画自賛。許されよ、許されよ。
Oct 28, 2010
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冷たい雨が降っている。暑がりの私も、さすがに肌寒さを感じる。朝、老母の身支度のために、1時間ほど前からエアコンデショナーを暖房にして、部屋を温めておくようになった。きのう早朝、母は夢を見ていたらしく、「札幌で風に吹かれてねー」と言った。きっと寒かったのだろう。肩の掛け物をつつみこむように直してやった。するとTVニュースが札幌の初雪をつたえていたので、母の夢とのシンクロニシティーを想ったほどだ。 シンクロニシティーといえば、昨日のこのブログで碧梧桐の「會津城」の句を紹介し、私自身もしばし会津を懐かしく思い出したのだったが、なんと、今朝、宅配便で会津から名産の「みしらず柿」がとどいた。贈り主は恩師清水先生。なんだか私の懐旧の情が、先生に柿を催促したような気になった。シンクロニシティー、シンクロニシティー。おそるべし、おそるべし。先生、いつもありがとうございます。うれしく御馳走になります。 身のほどをみしらず柿の教えかな 青穹 柿箱に青木山の名なつかしき
Oct 28, 2010
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俳人河東碧梧桐の句に会津若松の鶴ヶ城を詠んだ句がある。季節は秋。「會津城」と添え書きがあるので、それと知れるが、無ければわかるまい。つくられたのは、明治38,9年頃から41年頃に東北行脚をした際のもの、と推測される。 幕末の戊辰戦争で敗れた会津藩の鶴ヶ城開城は1868年(慶応4)。廃城となったのは1874年(明治7)である。城は取り壊され、91年後の1965年(昭和40)に再建されるまで、石垣と掘割のみの文字通りの城跡であった。 私が第2の故里として中学・高校時代の6年間を過した当時、城の本丸跡は競輪場で、やがてそれを取り壊して跡地で博覧会が開催された後、整地されて公園広場となった。天守閣が再建竣工したのは、私が会津を去った翌年である。 河東碧梧桐が訪ねたときの城跡は、どんな様子であったか。それを知る資料はいま私の手元に無いが、碧梧桐の句を詠むと、やはりそこはかとなく懐かしさが胸にくる。わずか3句なので、それを次に紹介しよう。 「會津城」 河東碧梧桐 末枯の漆落葉を踏み行きぬ 境木の築地になりぬ末枯れて 末枯れて道迷ふ湖面いや照りて 季語は「末枯(うらがれ)」である。草は末のほうから枯れてゆく、それを末枯(うらがれ)という。碧梧桐は、会津城のたどった運命をその言葉に含めているのではあるまいか。 末枯や月に笛吹く少年もなく 青穹
Oct 27, 2010
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如何ならん捨て里のあの山栗は 青穹 風吹いて築地(ついじ)ころがる栗の毬 戸をたたく誰あらん初の木枯 勤行(ごんぎょう)の声もれてくる木枯しや
Oct 27, 2010
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午前中、住宅街を灯油を売る声が聞こえていた。気が早いなと思ったが、北海道では初雪が降ったそうだ。夏の猛暑がまだ忘れがたく感覚に残っている。時の流れと自分の感覚とにズレがあり、ただただ時の過ぎる早さを慨嘆するばかりだ。 灯油売る声して北の雪便り 青穹 唇に雨ひとつぶや想う秋 刈原に小さき酢漿草(かたばみ)残りけり
Oct 26, 2010
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昨夜、就寝直前にオランダ・ロッテルダムで開催されていた体操世界選手権の鉄棒をTVで見た。予選で難易度の高い4種類の離れ業をみせて2位になっていた植松鉱治選手が出場する。「金メダルをとる」と事前のインタヴューで話していた。その応援と期待をこめて注視したのだった。 演技順位がトップだった植松選手は、にこやかな笑顔で鉄棒に向った。その笑顔に、TVのレポーターや解説者が、「試合を楽しんでいる」と言った。 ここ20年、10年来、日本の若いアスリートたちは、競技試合を楽しむ精神の余裕、あるいはしたたかさが出て来て、時に羽目はずれて日本の代表選手だということを忘れたかのように見られてバッシングを受けることもあるようだが、昔のように、「負けたら国に帰れない」などとバカなことを言わなくなったのは、私には一層好ましい。 さて、植松選手だが、私がTVの映像から見てとったのは、TV関係者の感想とは少しちがっていた。その後ろ姿が、どこかフニャリとして定まりがなかった。いや、正確に言うと、定まりないように見えただけだが。・・・画家として肉体を見てきた、それだけの経験にすぎなかった。やはりあの笑顔は「余裕」のあらわれだろう・・・と、一瞬のうちに考え直した。 演技が開始された。(なんだか、奇妙な入りかただなー、と私はフト思った)。TVのレポーターが、「ここから難易度の高い演技がとぎれることなくつづく」という意味のことを言った。植松選手はいきなりG難度の伸身コールマン「カッシーナ」を決め、つづいて鉄棒から手を離す、つまり離れ業の「コバチ」に移り・・・その途端だった。植松選手は背中から落下した。 呆然とする植松選手の顔・・・私はTVを消した。 ここまでの一連の流れの中で何がおこっていたのかを、今日になって新聞の報道で私は知った。 朝日新聞夕刊は次のように伝えている。 演技順位が2番目の地元オランダの選手に対する観客の声援が鳴りやまず、演技開始まで余裕があると聞かされていた植松選手は、緑色のGOサインがすでに出ていることに気がつかなかった。周囲のスタッフが声をかけて促したが、その声が声援に消されて植松選手にとどかない。GOサインが出て30秒以内に演技開始しなければならないのだが、植松選手が慌てて鉄棒に飛びついたのは制限時間終了ぎりぎりだった。〈演技に臨む決意も覚悟もできていない状況だった。「気づかなかった自分が悪い」。植松は言い訳しなかった(朝日新聞引用)〉・・・このように新聞は書いている。 私はこの報道された時間の流れの前に、もう数秒の時間を付け足したい誘惑にかられる。TV映像から見取った、鉄棒に向う植松選手の笑顔のある後姿だ。「どことなく定まりない」と、私が述べたその身体のかすかな気配。(それは今後、TVで繰り返し放映される映像で確認することができるだろう。) 世界選手権の優勝候補に私ごときが言うのはまことに気がひけるが、植松選手の笑顔は競技を楽しむというより、・・・あるいは競技を楽しむあまり、ほんの少し注意が散漫になっていたのではあるまいか。 背筋はピンと通っているというより、どことなくフニャリとしているという、画家としての私の印象が、いまあらためてよみがえってくるのである。逆に言えば、一流選手だからこそ、そのわずかな身体のゆるみが、私ごときにも見えたのであろうが。 植松選手、応援していますよ。
Oct 25, 2010
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たわいなく人家崩れて秋の風 青穹 人逝きて里は行水名残りかな 傷洗う河岸のさざ波ひやひやと 我在りてクラインの壷星月夜
Oct 25, 2010
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高枝に柿採り残し日暮れけり 青穹 佛飯を供えて朝のやや寒し 病床の母に足袋着(は)く足寒み 湯気の香に心楽しも栗の飯
Oct 24, 2010
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干柿や身の枯れてこそ甘さかな 青穹 柿干すや陽にとけてゆく胸の渋 渋柿や人の世に身のおきどころ 柿みっつ越前黒の盆に盛り
Oct 23, 2010
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先日、我家の庭に生っている柿で、柿酢をつくるために瓶に仕込んだ。しかし、柿はまだまだ木に残っている。今朝、手にとどく限りの熟しきらないものを採って、さきほどそれを干し柿(吊し柿)にした。 初めての試みである。皮を剥き、竹串に刺し、紐で両端を結わえて縄梯子状にして、ベランダの軒下に吊した。今日は秋晴れ、陽がふりそそいでいる。・・・はたして、うまくできあがるかどうか。 木には、まだ数十個が生っている。遊びの気持ながら、私の目はだんだん本気になってきて、獲物を狙う鳥のように、残りの柿をベランダの上から見ている。 秋晴れや軒に干柿つるしけり 青穹
Oct 23, 2010
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垣越えし七竈の実福とせり 青穹 遊びして背に草の実の猫帰る 生牡蠣の喉こしてゆくエロスかな 牡蠣喰えば三千世界のエロスかな
Oct 22, 2010
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秋雨や少女見上げる米軍機 青穹 たたずめば白糸のごと秋の雨 午後の茶にマロングラッセ秋添える奄美大島の豪雨被害 手をとめてテレビに見入る秋出水
Oct 21, 2010
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秋暮れて静か屋にただ咳一つ 青穹 雨去りて出でし朧の後の月 露ふくみ未練ごころや後の月 障子戸を一尺開けし十三夜 点滴の一秒の間の夜長かな 今夜は陰暦の長月十三夜。八月十五日の満月のあとの名月ということで、「後の月」という。別名「芋名月」あるいは「栗名月」とも。 昼頃に降っていた小雨がやみ、さきほど夜空を見ると、露に濡れた月が出ていた。唐傘が似合いそうな月である。そいうえば昔の歌謡曲にその名もずばり『十三夜』というのがあった。といっても歌詞を思い出してみると、長月十三夜ではない。一番に「柳」、三番にたしか「千鳥」が出てくる。季語としてみると、「柳」は4月頃で春。「千鳥」は12月で冬だ。まあ、そんなことはどうでもよろしい。 昔別れた恋人同士が、思いがけなく擦れ違う。ふと顔を見合わせて、お互いに気がつくのである。しかし、何と言葉をかけたものか。面影は昔のままに懐かしいが、年月が話の継ぎ穂がないほどに二人をへだたせている。そのことにあらためて気がつき、ただ「さようなら」と言って再び別れる・・・そういう歌である。 『十三夜』 石松秋二作詞、長津義司作曲 河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる 顔と顔 立止り 懐しいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜
Oct 20, 2010
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朝寒や母の毛布を着せなおし 青穹 身にしむや胸元ひろげ検温す ひとり来て少年球蹴る秋日暮
Oct 19, 2010
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瀰漫せる秋陽われの根に斂(あつ)む 青穹 日暮なば茸飯など炊くとせう 老農の貧しき林檎四つ生りき
Oct 18, 2010
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車椅子ぽつねんとあり柿照葉 青穹 秋鮭の身の色ほどに秋たけて
Oct 18, 2010
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秋高しくの字に眠る旅づかれ 青穹 まざまざと夢の中なる手の芒 覚悟問う夢ようつつよ柘榴の実 秋暮れて朱殷(しゅあん)に染まる離れ雲【註】朱殷(しゅあん)とは、血が古くなった赤黒い色のこと。
Oct 17, 2010
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かつて1958年から2002年まで東北本線を走っていた特急〈はつかり〉が、往時の583系車輌できょう1日だけ、上野から青森まで公募した乗客を乗せて運行した。東北新幹線の延伸を記念しての催しだとか。 特急〈はつかり〉、私にとってじつに懐かしい列車だ。高校・大学時代を通じて、当時札幌に住んでいた家族のもとへ帰省するために、何度乗車したことか。時には飛行機を使ったこともあったが、45年以上昔のこと、まだ学生がひんぱんに飛行機など使える時代ではなかった。特急〈はつかり〉で青森に着くと、青函連絡船〈十和田〉あるいは〈摩周〉に乗船し、函館からは特急〈アカシヤ〉に乗り継ぐ。夏休みと冬休み、年に2回の往復であった。 きょう夕刊を読んでいたら、特急〈はつかり〉の文字が目にとびこんできて、なんだか不意を突かれたように、昔の一人旅の気持がよみがえってきて、・・・つまり、一瞬、センチメンタルな気分になったのだった。この記事を読む前に、偶然にも、このブログにアップしていたのが、「記憶分け入りて荒れ野や秋の風」の一句。私は茫茫たる荒野をさまよっていたのだから。 初雁や常陸の海の暗きこと 青穹 雁渡るくの字に月の丸さかな 夕鴉鳴いて熟柿の在り処かな
Oct 16, 2010
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記憶分け入りて荒れ野や秋の風 青穹 秋ふかし青春の家崩れあり 画布張ればげに茫々と秋野かな 秋の川流れて此処に渦となる 宇宙(そら)見ばや我一塵に月澄みぬ
Oct 16, 2010
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栗茹でる湯気の白さや窓あかり 青穹 静かさや栗茹でる音ことことと 初栗のほのかに甘き老の舌
Oct 15, 2010
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家人がふと「老ける老けると自分で言っていると、ほんとうに老けてしまうから、言わないことにする」と言った。私は含み笑いをしながら歌のひとふしをつぎつぎに口ずさんでみせた。 「フケば飛ぶよな 将棋の駒に~」 「フケゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに心悩む」 「好きでそえない人の世を 泣いて怨んで 夜がフケる」 「心の罪をうちあけて フケ行く夜の月すみぬ」 「フケそよそよフケ 春風よ~」 「傘をさす手のか細さが・・・露地の石段 夜フケに帰る」 「風にまかせて身は旅役者 フケて流しの三味の音きけば」 「男同志の合々傘で ああ嵐呼ぶよな 夜がフケる」 「虫の鳴く音を淋しくきけば いつか夜フケて 露が散る」 「君恋し 唇あせねど 涙はあふれて 今宵もフケ行く」 たてつづけに10曲。「たちどころにこれだけ思い出せれば、頭はまだフケていないな」「でもねー、みんな古い歌ばかりだから、やっぱりフケている証拠」 そう言って大笑いしたのである。 さてみなさんは、以上の歌のタイトルを、お分かりになりますでしょうか? 答はつぎのとおりです。『王将』『旅愁』『悲しい酒』『長崎の鐘』『春風』『忍ぶ雨』『お島千太郎旅唄』『夜霧のブルース』『名月赤城山』『君恋し』
Oct 14, 2010
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チリの鉱山で33人が全員無事に救出された。日本時間午前9時57分のこと。チリ国営テレビのテロップは、歴史的瞬間と伝えていた。世界の鉱山落盤事故でかつて経験しなかったことなのだから、まさに歴史的なのであろう。しかも、地下700メートルに69日間とじこめられた全員が、健康状態もとりあえず心配することもなく、カプセルによる前代未聞の救出方法によって、無事に地上に戻ったのだ。 8月5日の事故発生以来、私は地上における対処を注目した。当初、33人の生存は絶望視されていた。全員が無事であることが確認されたのは17日後のことだった。そこで確認のために掘削された穴から食料品や生活用品が差し入れられ、同時に救出用の縦穴が掘削され始めた。貫通したのは10月9日である。 チリ当局がアメリカのNASAに支援を要請したことも注目された。NASAは宇宙開発にともなう技術のなかで、密室に長期滞在するための心理的な研究を蓄積していた。 33人の心理面に対する細心のケアは、たとえば救出カプセルに乗込ませるときに心拍測定器をとりつけ、サングラスをかけさせていたことにも窺える。このサングラスはカプセルが岩盤をローラーでこすりながら昇降するので、飛散る岩石や粉塵から目を保護する目的であることは言うまでもないが、そのほかに不安感をやわらげる目的もある。サングラスの構造をみるとわかるが、側面すなわち目の横がふさがっていて見えないようになっている。視野を限定することによって、不安感を軽減しているのである。 救出を開始したのが現地では夜間であった。どうやらここにも33人への配慮が見てとれた。地下では睡眠をとる人と見回りなど警戒する人とを分けて、眠るときには灯を消していたらしいが、それでも69日間に喪失ないし変化した昼夜の感覚、バイオリズムの変化は否めない。救出後、地上での生活にできるだけスムーズに移行するために救出開始時間を配慮したと考えられるのである。 カプセルの引揚げ速度が15分で、少し遅いのではないかと思われるが、これは減圧するためでもあろう。もちろん何が起るか予測できないからでもある。テレビ中継の映像でもわかるとおり、この縦穴は地上から垂直ではなく、曲っているようだ。 昨日からの中継を見ながら、救出を開始するまでに3度ないし4度、実験を繰り返していたことにも、私は注目した。この救出現場には500人ほどの作業員が働いているそうだが、とにかく精神が安定していて、感情を抑制している。そして注意深い。地下の33人の気丈で安定した精神には驚かされたが、地上の人たちもまた驚くべき精神の持主達のようだ。
Oct 14, 2010
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チリのサンホセ鉱山落盤事故で地下約700メートルに閉じ込められた33人の作業員の救出が始った。事故から69日経っている。日本時間午後12時12分に、最初のひとりフロレンス・アバロスさんが救出された。 私はチリ国営テレビの実況放送を見ていたが、この事故には少なからぬ関心をもっていた。 というのは、私の亡父が鉱山関係者で、福島県の八総鉱山では保安担当者として落盤事故等の処理もしていたからだ。 八総鉱山は軟盤のため落盤が起る可能性は高かった。落盤が起ると鉱山一帯にけたたましいサイレンが鳴り響いたものだ。しかし、さいわいなことに、少なくとも父の在職中は、人身事故は、落盤事故に関しては一度も起らなかった。 落盤事故に関して、と断ったのは、ただ一度、八総鉱山における最大の死亡事故が起っているからである。父にとっては痛恨の事故で、死亡した3人の作業員のうちの一人は、父が長野県の甲武信鉱山から八総に転勤になったとき、一緒に連れて来た人だった。坑内の現場に入った父は、その人の遺体を背負って出て来た。坑内で死亡者が出た場合、遺体を搬出するときに鉦を鳴らしながら先導する独特の習慣がある。蟻の巣のように地下を這い廻っている坑道で、霊が迷わないようにという意味がある。 亡父は繊細な気質と剛胆さを合わせもった人間だった。霊魂など信じる気振りもなかったが、このとき背負った遺体だけは別だったようだ。霊が父の背中にはりつくのをひしひしと感じた、と後に私に話したものだ。そんな話をする父ははじめてだったので、よほど何事かを感じたのであろう。私自身も(他人からは霊感が強い人といわれるけれど)霊魂など一切信じないし、そんなことどうでもいい人間なので、「お父さんはその時だけだね、霊を感じたのは」と言う父を、興味深く見ながら話を聞いたのだった。 話が余計なところへ跳んだ。・・・そんなわけで、サンホセ鉱山の救出をさまざまな感慨をもってTVで見ていたのである。1時間に一人のペースで救出しているので、足掛け二日にわたるようだ。救出後のPTSD(ポスト・トラウマ・ストレス・ディジーズ)が懸念されているが、2番目に救出された人は、坑内から鉱石を袋に入れて持出し、救出してくれた2,3の人にお土産として手渡す冗談をみせる気丈さ。世界中が、33人それぞれの人間性のすばらしさを見せられている。
Oct 13, 2010
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柿の実のずしりと重き今年かな 青穹 古瓶に柿酢を仕込む日となれり ベランダに柿の朱色を並べ置き 一本の渋柿の木よ汝は愛し
Oct 12, 2010
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体育の日。 ・・・朝7時、遠くで消防車のサイレンがけたたましく鳴りはじめた。あちらこちらから何台も駆けつけているようだ。何やらマイクで叫んでいる。救急車の音もまじる。・・・隣町かもしれなかった。サイレンは次から次と15分もつづいていた。 我家では、老母のリハビリのために、理学療法士が来てくれることになっていた。リハビリが始る3時間前には経管栄養注入と薬の投与が終っている必要がある。きょうは、そこから逆算したスケジュールが組まれている。 母の場合、1回に510mlの液体が胃のなかに入るので、時間をかけて吸収を待たないと逆流して嘔吐する危険がある。日常、もっとも注意しているのが、嘔吐である。吐瀉物が気管に入ると、それを取り除くことはほとんど不可能にちかい。したがって肺炎を起し、死に至る可能性が非常に高い確率となる。 我家では医療器具の吸引機(バキューム)をレンタルして・・・(管理医療器具なので、レンタルに当って主治医から介護用品ショップへ連絡が必要)・・・母のベッドの近くに置いてある。 吸引技術については、私が実施指導を受けた。この器具は大変役にたっている。いままでは、緊急事態が発生すると、医師が蜜柑箱ほどの大きさと重さのその器具を持って駆けつけていた。しかし自宅に設置したことで、医師の負担が軽くなったばかりか、医師にたよらずに私が処置できるようになった。実際、吐瀉物が肺に入るか入らないかは、秒をあらそう素早い対応をしなければならないのだ。その処置をしつつ、聴診器で肺の音を聞き、異常音(呼吸のたびにザザザザとか、ガサガサとか、ブツブツとかいう音。正常な音は、スースーという音にちかい)がしたら、医師に連絡すればよい。たぶん医師は抗生剤を投与し、点滴をするであろう。 と、我家の体育の日は始ったが、午後2時過ぎ、あまり天気が良いので、庭の柿採りをした。 採ってから2,3日の間、陽に当て、さらに熟させて、柿酢に仕込むつもり。昨年も柿酢をつくった。やや軽いまろやかな酢ができた。サラダのソースにしたり、酢飯をつくったりした。さて、今年の出来はどうなるか。 仕事場の開け放った窓から見える空に、二筋の飛行機雲がかかっている。そういえば、さきほど軽飛行機が飛んでいた。調布飛行場を飛びたったものであろう。ユーミンの「中央フリーウェイ」に歌われた飛行場のモデルになった飛行場である。
Oct 11, 2010
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昔から江戸・東京の年中行事は、9月までは鉦や太鼓の音が絶えることがない、と言われていた。それが、10月はパタリと止む。せいぜい9日、10日の湯島天神と芝琴平神社(虎ノ門の金比羅さん)の大祭があるのみ。 なぜかは分らないが、じつは仏教のほうは10月から年末まで、各宗派でさまざまな仏会式がおこなわれる。もしかしたら神と仏のかねあいかもしれない。 昔の句に、こんなのがある。 朝の字は分けて金比羅御縁日 何のことかお分かりだろうか? まるで謎謎。しかし、ヒントは私がいま述べたばかりです。 ハハハハ、じつは「朝」の字を分解すると、「十月十日」となる。つまりこの句は、十月十日は金比羅さんの縁日ですよ、というわけ。深い意味はない。 さて、きょう10月10日の東京は、朝のうちの雨も10時前にはすっかり止み、好天となった。近所の子供達がカクレンボをしている。賑やかな声。「もーいいかい?」「まあだだよ!」そして、パタパタと駆け回る足音。 我家では、朝、看護士さんに緊急出動を願った。なに、たいしたことではない。老母が無意識のうちに、鼻から胃にいれている栄養摂取のためのチューブを、引き抜いてしまったのだ。これによって、栄養ばかりか薬液も注入しているので、母の生命にとっては必要不可欠なチューブである。 家人によると、引き抜いてから、「これで眠れる」と言ったとか。 可哀想に。そりゃそうだろう、年柄年中鼻にそんな物を装着しているのだから、鼻は変形するし、おのずとストレスがあるはずだ。 このチューブに替わる方法としては、「胃瘻(いろう)」がある。胃に穴をあけてチューブを通す方法だ。医師や看護士は、再三再四、この方法を採ることを示唆していたが、私たち家族は、はっきり拒否している。 母の状態を知っているのは、誰よりも私たち家族だ。腹に穴を開け、ボタンを取り付け、一日三回そのボタンをパチンパチン開けて栄養液や薬液を注入し、さらに万遍なく消毒をし、風呂にも入りでは、今後通常の生活状態に回復する見込みがない老母にとって、最良の方法であるはずがない。鼻のチューブは、身体のどこにも傷をつけずにすむだけ、まだましだ、そう考えている。可哀想だけど、それで頑張ろうね、と私たちは心の内で言っているのである。 朝の字を分けて萌の字つくりけり 青穹
Oct 10, 2010
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雨崩す熟柿の肌のデカダンス 青穹 秋雨や慌ただしくも淋しき日 馬肥ゆる愛猫の目は碧く澄み 秋雨や長生殿に茶を喫す【註】長生殿:唐の宮殿の名称だが、ここでは金沢の銘菓、加賀落雁のこと。
Oct 9, 2010
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楽天さんの奇妙なネーミングの広告がまたぞろ割り込んできましたね。〈STARVATIONS〉。コケの一念でつかいつづけるつもりかな? 私は過去に2度、このブランド名に注意をうながしたけれど。 貴社では英語が社内語だそうだが、こんな誤解としか思えないようなネーミングをしていては、嘲笑されはしませんか。あなたがたの思考では、たぶん、子供→(下品な俗語としての)餓鬼→(英訳したつもりで)STARVATION、という経路なのではないかしら? 私がおもしろいと思うのは、異文化理解、ということですな。子供を餓鬼というのは、元来が仏教の六道思想に発していて、その意味では子供に限定される言葉ではない。それがいつしか成長期にあって食が必要な子供が、まるで餓えたように食べることから、餓鬼と言うようになったと考えられる。あくまで、下品な俗語だということをお忘れなく。 そういう仏教語であるからして、餓鬼が子供という意味では英語圏には通用しない。回りくどく説明を要するわけだ。そして、他方、starvationという言葉には、悲惨なイメージしかない。餓えて死にかけている状態だ。過日、報道された親から食事を与えられずに殺された子供。その哀れな子供の状態が、まさにstarvationなのだ。おわかりかな? それでも子供服のブランド名にその言葉を使うのかしら。 いくら子供服のブランド名だからといって、何でも付ければいいというものでもあるまい。いいかげん社内で検討して変えたらいかがか。一流の会社なのだから、社会的影響も考慮して、ネーミングは大切に。オバカといわれないうちに。
Oct 8, 2010
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昨日の日記において、オルゴールを「風簫」とか「自鳴琴」と称したこと、あるいは「風琴」と書けばオルガンをさす、と書いた。言い忘れたのはアコーディオンを「手風琴」と書くということ。また、「提琴」といえばヴァイオリンの訳語。ただし正確には、中国の明・清時代の音楽のための胡弓の大型のものをいう。そして「竪琴」は御存知、ハープである。そのほか「木琴」「洋琴」「月琴」など。 「琴」の原義は「禁」で、邪悪さを禁止するという意味らしい。古代中国において神農が創ったといわれ、空洞になっていて底に穴があいていて共鳴するようになっていた。上にあげた様々な楽器はこの「琴」から発展したものである。弦楽器としての琴類と、オルガンやオルゴールとはずいぶんイメージが異なるのだが、要は共鳴箱があるということで「琴」という文字が使われていると考えられる。 と、以上はじつは前置。 長らく日本語に翻訳しながら断続的に読んでいる英国史の10世紀初頭の記述のなかに、あまり正体がわからない不思議な楽器についてごく短い記述があるので、そのことをものはついでに書いておく。よほどの専門家でなければ英国史のなかのそんな記述を気にはとめないだろうと思って・・・ グラストンベリー大寺院の大修道院長でダンスタン(909-988)という人物がいた。いわば怪僧で、そのころイングランドは6人の少年がつぎつぎに王位についたのだったが、ダンスタンは彼等を陰であやつる、というよりほとんど表立って権力を揮い、真の王はダンスタンだったといってもよかった。 この修道僧、子供のころから熱に浮かされるような気質だったらしく、こんな話が残っている。まだ少年だったころ、このときは本当に熱があったのだが、夜中にベッドを起きだし、当時修復中だったグラストンベリー・チャーチのほうへ歩いて行った。そして足場からころがり落ちて首の骨を折ってしまう。命に別状はなかったのだが、ダンスタン少年が言うには、天使が建築する現場を見せられていたのである。 こういうことを口にする子供であったが、当時の人たちはそれを信じてしまう、そういう精神構造だったわけだ。後にダンスタンは魔術師といわれるようになる。つまりは子供のころからの奇怪な言動がいよいよエネルギーを増大して国家をまきこんでゆく。 こんな話もある。 仕事をしていたある日、悪魔が小窓から覗き、怠惰な楽しみの人生に導くために彼を誘惑しようとした。そこで火のなかの真っ赤に焼けたやっとこを持って、悪魔の鼻をぐいっと掴んだ。その痛みに悪魔の太いうめき声は、遥か何マイルも何マイルも遠くまで聞こえた。・・・彼がみずから語ったことである。 少年王たちの父であるアゼルスタン王が彼をことのほか寵愛したからでもあるが、しかし、魔術師のような言動を非難する人たちもいないではなかった。そういう人たちに待ち伏せされて、手足を縛られ沼に放りこまれたのだが、ダンスタンはみごとに脱出したという。 どうもこのダンスタンという人物は、自分を神聖な男だと無知なひとたちに思わせたかったようだ。彼がのぞんだのはそのことだけであるとも言える。そのために彼は、さまざまな仕掛けと大芝居をした。 ただし、次のことは言わなければならない。 その時代の聖職者は、一般的に、最良の学者であり、優秀な大工であり、鍛冶屋であり、塗装工であり、医者であり、農場経営者であり、庭師であり・・・ある意味で万能のひとたちだった。というのは、王権によって授与された未開墾の土地に、彼等自身の手で女子修道院や男子修道院をつくらなければならず、あらゆる知識と技術を身につけていなければ、彼等の土地は彼等を維持してゆくためには貧しすぎた。 ダンスタンはこれらの修道士のなかでももっとも賢明なひとりだったことは間違いない。 そういう彼が発明したといわれているのが、自動演奏するハープである。実物が残っていないので推測の域を出ないが、風によって奏でられる、つまり風の吹くところに置くとひとりでに鳴る「イーオウリアン・ハープ(Aeolian Harps)」のようなものと考えられている。イーオウリアンは、ギリシャ神話の風の神アイオロスのこと。 さて、この楽器、漢字でどのように当てればいいだろう。
Oct 7, 2010
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秋晴れや門に散り敷く黄葉の数 青穹 夕告げる街の風簫(ふうしょう)早まりて【註】風簫(ふうしょう):オルゴールのこと。 私の住んでいる市の夕べの時報が、秋分の日をさかいに午後5時半から4時半に変った。市が音楽を流す時報は、この夕刻だけ。そのほかには、市の警察が小学校の下校時間にあわせて2度、学童の見守りを呼び掛けている。 ついでながら、「簫(しょう)」とは、切った竹をならべて作った笛のこと。長短の竹が鳥の翼を連想させるので、「鳳簫(ほうしょう)」ともいう。 オルゴールを「風簫(ふうしょう)」と、「風」の字を当てるのは、自動的に鳴るからであろう。また、「自鳴琴」とも言うのは御存知のとおり。そして、「風琴」はオルガンのことである。
Oct 6, 2010
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袋路の小薮払えばからす瓜 青穹 枯れ薮に一点の朱やからす瓜 末弟夫妻に贈りし絵 からす瓜取りて小画を描きけり
Oct 5, 2010
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おとずれて端居の人に秋の雨 青穹 冬瓜をとろとろ煮てる日暮かな 石垣が静かに崩れる秋の暮
Oct 4, 2010
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母を看て一年過ぎて秋の聲 青穹 身にしむや母眠りつつ吾を呼ぶ 剪らずおく母の白髪や椿の実
Oct 3, 2010
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金秋の雲を染めゆく入り日かな 青穹 末期なれ尾羽打ち枯らし秋の蝶 秋高し帰命無量や視而不見
Oct 2, 2010
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少年のころの信濃川上と南会津八総を思い出して 茸山や少年の日は遥かなり 青穹 岩茸を狩って峨峨たる二世(ふたよ)哉 落葉松(からまつ)の林を抜けて秋入り日
Oct 1, 2010
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