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今朝はたいへんだった。 老母の朝食である鼻からチューブで栄養剤と薬液を点滴で入れおわり、やれやれと思っていた。およそ10分後、母が痰がからんだかのように強く「エヘッ、エヘッ」と咳き込んだ。見ると、口をもごもごさせて、いつもの咳き込みと様子がちがう。あっ、嘔吐するかもしれない、と思った瞬間だった、実際、口から、たったいま入れた栄養剤などの液体がゴボゴボと溢れだした。 私は急いで、吸引ポンプをセットし、ベッドの28度にしてあった上体を水平にした。じつは家には私ひとりだけで、医者に緊急電話をする人手がなかった。吐瀉物が気管支から肺に逆流するのが最も危険なことなので、それをくいとめるには一刻をあらそう適切な処置が必要である。 吸引カテテールを吐瀉物があふれている口の中に入れると、かえってオエーッとむせてさらに嘔吐をうながすことになるので、枕をはずし水平にした母の身体と顔を右を下にし、口の中の吐瀉物は自然に口の端から外に流れだすようにした。同時に鼻からカテテールを挿入。吐瀉物を吸引しながら、横倒しにしたまま身体を逆さまにするようなぐあいに、片手で下半身をもちあげ、肺が頭より上になるように、母の腰のあたりを私の片膝立てた膝のうえに抱えあげ、上半身が折曲らないように枕で支えた。もちろんその間にも、左手でカテテールを鼻腔から咽喉深く挿入しながら吸引しつづていた。 私はあまり動転するたちではない。が、とにかく咽喉や鼻腔につまっている吐瀉物・・・それは吸引しつづけている間も間欠泉のようにあふれでてきた・・・を取りのぞかなくては窒息してしまう。そしてカテテール吸引の経験があるかたはお分かりになろうが、吐瀉物はかならずしも喉をいっぱいに塞いでいるわけではない。どこにカテテールをつっこんでも吐瀉物に行き当たるというわけではないのだ。しかもカテテールの太さは1.2mm。3っつの小さな穴があいている。そこから吸い込むのである。まだるっこいと言えばまだるっこい。右手でチューブをくるくる捩るように操作し、深くさしこむときは左手でカテテールと吸引機のチューブとの連結部を押さえて瞬間瞬間で吸引を止める。そうしなければ、吸引圧によってカテテールが喉や食道や気管支の内壁に吸着してしまうのである。 ・・・そうして吸引しつづけること2時間あまり。 なにしろ視認できないので、カンにたよるしかないのだが、少しでも吐瀉物が喉や気管にへばりついて残っていると、やがてそれが固まってしまい、やっかいなことになる。気管支でそのような状態になると、気管支炎や肺炎になるであろう。2時間もかかったのはそういう心配があったからだ。 吸引をつづけているうちに、赤かった母の顔が通常の色にもどった。窒息はまぬがれた、と思った。 吐瀉物も出てこなくなったので、一旦吸引をやめ、聴診器で肺の音を確認した。左肺の音はきれいであった。右肺にプツプツという音が入り、それが気になった。背中から肺のあたりをトントンと軽くたたきつづけ、それから右に向けていた身体を左に向けた。 呼吸は正常、体温も高くなっていない。たぶん肺に吐瀉物は入っていない、と判断した。 汚れたシーツやアンダーシャツやパジャマを取り替えた。 1時間後。まだ目をつむったままだが眠りから醒めたようなので、呼びかけてみた。数度呼び掛けると、かすれた声で「ハイ」と返事をした。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫」と言う。 それからさらにしばらくして、何事かを言った。聞き取れなかったので、「どうしたの?」と聞くと、「楽しいね」と言う。「そう、楽しい? お母さんが楽しいと、僕も楽しいよ。だから、もっと楽しませてね」 ・・・もう、たいじょうぶだろう。心配ない、と私は思った。 人間の身体はよくできていると思うことがある。しかし、気管支と食道とは、口から喉にかけて同じ管であって、とちゅうで分岐する。この仕組みが問題だ。食道から逆流した吐瀉物が気管支に入り肺に入り、最悪の場合は肺炎をひきおこす。老人の死亡原因で肺炎が多いのは、じつは嚥下機能が衰えて誤嚥したり、食道から気管支への逆流によるのである。 このように一つの道が二つに分岐する器官としては、ほかに排泄器官と生殖器官がある。こちらのほうは、死にいたるような誤働はなさそうだが、食道と気管支の部分は、まあ、神の失敗かもしれません。
Nov 30, 2010
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忙しくてというのは言い訳にならないが、実際、当面の問題を処理することに忙しく、前もって組まれていた予定や依頼の返事を、すっかり失念することが多くなった。きのうは、全市の、つまりは自分の住んでいる町内の秋季の大清掃の日だった。その開始時間が、ちょうど老母の経管栄養剤と薬剤の点滴投入の時間と重なっていた。無意識にチューブを抜いてしまうことがあるので、危険予防のために見守っていなければならない。そのために、町内清掃のことをすっかり忘れてしまったのだ。思い出したのは、数時間後のことだった。 そして今日、「あっ!」と思い出したのは、9月初め頃に某新聞社から依頼されていた一件の返事の締きりが明日だったということ。さきほど大急ぎで返信書類を投函してきた。 歳のため? そんなこと思いたくないが、事務処理がテキパキしなくなっている昨今である。要注意!
Nov 29, 2010
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会津鶴ヶ城補修工事 時雨きて工人去りし天守かな 青穹 遠きよりネットで見つむ里の冬
Nov 28, 2010
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Three Haiku in Winter by Tadami YamadaThe water confinedto dead leaves, but gives off dimlight: Winter moon !A silvery horsegalloped in the sky ! -- A split of winter in an instant A winter cloudrose up with the shapeof Mt. Fuji
Nov 27, 2010
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訪問看護の年末年始のスケジュールがとどいた。なんとなく気持が忙しくなる。 掃けばまた散りて四方に落葉かな 青穹
Nov 26, 2010
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モーツァルトの九相想いし冬隣 青穹 点鬼簿にページ重ねて冬構 あふれたる想いの色や菊籬【註】九相;仏教では、人の死体が腐敗し変化してゆく様子を壊相・血塗相・膿爛相・青お相(おは、广のなかに於と書く:しょうおそう)等々、九種にわけている。「苦相」とも書く。 鎌倉時代に制作された『九相詩絵巻』にそれが描かれている。また、谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』には、修行として屍体の九相を観想する「不浄観」の描写がある。 私の「モーツァルト・・・」の句は、彼のピアノ・ソナタを聴きながら、「神の愛でし人」のその天与の才が、その死とともに消失してしまったのだと、よしなしごとを考えていたのだった。驚異の音楽を泉のように湧きださせていた脳が、死とともに腐敗してしまったことを。そればかりでなく、彼の死体さへ何処に埋葬(と呼べるなら)されたか分らないのだ。・・・私は想像のなかで、時空を超えて、消えてゆくものをあわてて掴みとろうとした。
Nov 25, 2010
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わが庭も赤黄乱れる木の葉雨 青穹 軍機飛ぶ音の繁きや冬寒し
Nov 24, 2010
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昨日の拙作Haikuに対して、さっそく、インドのカリヤナサンダラム氏(たぶん、このようにお呼びするのだろう)から、メールでコメントが寄せられた。[Shedding leaves in fall]の1句が、特にお好きだとのこと。嬉しいことだ。ちなみに氏は、50代半ばの公共機関にお務めの男性だそうだ。
Nov 24, 2010
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きょうは英語の俳句(Haiku)をつくりました。10月にこのブログに掲載した俳句のなかから選びました。ただしストレートな翻訳ではなく、英語のシラブル(母音)で5・7・5にするため、ニュアンスを少し変えています。 欧米ではHaikuはなかなか盛んなのですが、私の見聞では意外に厳しい定がある俳句とはすこし異なっていて、季語もなければ5・7・5にこだわるでもなく、3行の短詩と解釈するむきもあるようです。 確かに英語で5・7・5にすることは極めて難しく、私自身、単語で5・7・5につくってみたり、今日のように母音を5・7・5につくってみたり、試行錯誤です。 いずれにしろ、定型詩としての俳句の規則と文学史的な知識をある程度もっている限り、Haikuにおいてもできるだけそれを実現したいと思っています。とはいえ、言葉は生き物、逆に私には英語の本質的なニュアンスを掴みきることなど到底できないのです。したがってHaikuは言葉遊び以外のなにものでもありません。Shedding leaves in fallan astringent persimonis to the nude treeA person dies; anda stream as if reluctanceof leaving autumnIn withering blastsThe voice of the religious servicefrom a Buddhist templeFall deepens its tingeto extent of the color of meat of salmonFresh oysterpasses through my throatErotic autumn !
Nov 23, 2010
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小雨降るなかで元気な声をあげて遊んでいた子供達が、夕方4時半を告げる街の音楽が鳴ると、みな一斉に家に帰っていった。「♪みんな散りぢり もう誰もいない」である。 それまで「それそれ、それそれ!」と囃したてる声が聞こえていたのだが、いったいどんな遊びをしていたのか。あまり品の良い掛け声ではなかったが、まあ、子供に品が良いも悪いもあるまい。元気で楽しければそれでよい。 掛け声といえば、我家でも老母のリハビリのために、理学療法士と、そのリハビリを見にきたケアマネージャーとが、かわるがわる母に呼びかける声がひびいていた。 二人への対応を家人にまかせ、私は寝室で日頃の睡眠不足をおぎなう昼寝をしていた。ちょうど雨がどしゃぶりとなり、叩きつける雨音もにぎやかだ。 来客があると身を隠す5匹の猫たちは、みな私のベッドに上がり、私を暖房器がわりにして、腹や脚のうえ、脇腹のあたりにずらりと並んで陣取っていた。猫たちの寝息が静かだった。 バカなことを得意げに演説したお調子者の法務大臣が更迭された。頭はからっぽ、国会しいては国民を愚弄するようなことを言ったのだから、更迭は当然である。 日本の政治屋(政治家ではない!)は、屁のような音ばかりたてている。
Nov 22, 2010
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満月を透かし見せおり冬木立 青穹 裸木に渋柿の実の五つ六つ さんばらと芒乱れる枯野かな
Nov 21, 2010
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大阪在住の若き友人シルフさんの慫慂と手助けによって開始したこのブログも、すでに5年を過ぎて6年目に入っている。アーカイヴを見ると、我ながらまあよく書いてきた。で、年ごとに編集して、一冊の手作り本にすることにした。 かのビル・ゲイツ氏は、紙と本をこの世界から消滅させることを目的としているのだそうだ。私はそれとは反対に、webで公開しているものを収集して、紙に移し替えようというわけだ。 1,900日を超える日記の文章をあらためて収集する作業は、なかなか大変である。つまらないことも書いている。それでも私は、性分として、自分に対して無責任に書き捨てにすることができない。忙しい時間の許すかぎり少しづつ編集しながら、あらためて読み返しもし、自分の考えや感覚の発露を確認している。
Nov 19, 2010
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午後2時頃、意外なおおきな音をたてて雨が降ってきた。客が来宅するので、散り敷いた柿や楮の落葉を掃いておこうと、ちょうど扉を開けたときだった。雨は柿の厚い葉に落ちて、一層おおきな音をたてているのだった。 雨はすぐにやみ、さきほど夕刊をとりに外に出て空を見上げると、西は夕焼け、中天には月がでていた。 寒風が吹き、遠くからかすかに聞こえてくる消防車のサイレンの音が、あたかも虎落笛(もがりぶえ)のようだ。サイレンというたしかな形体を失い、ただヒューヒューと妖しく悲しげな音。 秋深しである。だが、冬の到来とも思える。ことしの秋はあっというまに過ぎてしまったような気がする。 そんななかで、訪問入浴のスタッフは半袖のユニホームだ。 「寒いでしょう」と心配すると、 「どうしても半袖でないと仕事ができないので・・・」 「たいへん、たいへん。ありがとうございます」 凩やサイレンの音うやむやに 青穹 こがらしや月中天に凍る影
Nov 18, 2010
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ひさしぶりの自由スタイルの英語詩。「10月」と題しました。きのうブログ日記を書かなかったのは、この詩をつくっていたからです。時間がないので日本語に訳しません。すみません。OCTOBER by Tadami YamadaWhen I went through a woods of larch tree outIt was just setting sun dyeing the clouds goldA broken wings butterfly was fluttering about in her last moments; Ah October !One year passed as I nursed my old sick motherShe is calling my name while her dreamingI stop my hands to cut her hair, leave her silvery hair In my garden a nut of camellia falls, A faint sound !Standing a visitor by the window in autumn rainStewing white gourd melon in the kitchenI've its vague smell while talking with the visitor A stone wall tumble down quiet, towards evening !Decadence of the skin of ripen persimmon which has lost its shape to be exposed to rainMy pet cat's eyes become clear with blueA wheelchair alone in the porch, like to be abandoned !When I went deep into my memories;My castle of youth crumbled to pieces I found the land lying waste without to care of,brushed aside a thicket, Ah only red snake gourd !October like a river whirls around hereLet me see the universe, I'm dust, the moon clearMigrantory wild geese are flying over the dark sea But but permeated dim light is astringent on my root !Cold this morning, I laid again a blanket over my mother, I thought she might feel piercing cold to take her temperature, Ah October !In my withered garden a boy is kicking a soccer ball
Nov 17, 2010
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ここ数日、小春日和の好天がつづいていたが、いま午後4時をまわったところでポツリポツリと雨が落ちて来た。 そういえば、昼過ぎ、外出から帰宅すると、玄関前の敷石のうえを一匹の毛虫が移動中だった。何の幼虫だろう。黒ないし濃い褐色の密毛におおわれ、背の中央、頭部下端から尾部にかけてオレンジ色の筋がはいっていた。蛾の幼虫ではないかと推測したが、確実なところはわからない。・・・それはともかく、雨が降出したことで、「ははー、あの幼虫は、雨を予知して、避難場所をさがしていたのだな」と思った。 時雨れるや毛虫急げる石のうえ 青穹 山の上にある我家にいたる幾つかの道筋のうち、裏道といってよいような山際に添ってゆるやかに曲りくねる細い道がある。片側には昔からの農家の敷地、そして比較的近年に建てられた住宅が並ぶ住宅地、もう一方の側は山の斜面で雑木林が山頂までつづく。路傍に古い馬頭観音の石仏が立ち並ぶ。山頂一帯は東京都が管理する緑地公園や野鳥保護区域がひろがる。 外出して駅へ向うときその山道を通ると、腰のまがった御老人と、娘さんであろうか老人の手をひいている二人連れとすれちがった。 「こんなところに、こんな道があるなんて、ここが東京だって思えないよ」と老人が言った。 「ほんとだねー」と娘さんらしい人も感に堪えないように相槌をうった。 雑木林は落葉がはじまっていて、黄色くなった葉が舞散っている。道端は落葉が風に吹き寄せられて積っていた。二人の足の下で、落葉がカサコソと鳴った。 私は聞こえてきた二人の会話に微笑した。私が自分の俳句にときどき登場させるのもこの道である。人によっては、特別どうということもない道と思われようが、・・・実際、どうということもない道なのだ・・・しかし、春には春の、夏には夏の、そして今時の秋や、これから迎える冬には冬の、一瞬、感に堪えないような表情を見せる。 「ここが東京だなんて思えないなー」と、ここの住人である私も、じつはときどき思うのである。 西吹ばひがしにたまる落葉かな 与謝蕪村 降る如き落葉の絶間ありにけり 高浜虚子 石仏の御足(みあし)をおおう落葉かな 青穹
Nov 15, 2010
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きょうはこの日記は休みます。殻に閉じこもって夢想します。 「胡桃の殻の中に閉じこめられても、私には広すぎる。その中で私は、無限の大宇宙の支配者だと思うことができるのだ」 シェークスピア『ハムレット』第2幕第2場より。 山田維史《くるみ》 紙に鉛筆
Nov 14, 2010
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小春日やおとなう医師の襯衣(シャツ)の青 青穹 短日や遠くに吠える犬の声
Nov 13, 2010
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在宅医療・看護をこなっていると、医師をはじめ看護師や理学療法士や訪問入浴スタッフ、そして介護保険のケア・マネージャーや地域の民生委員等々、じつに多くの人たちのお世話になる。その方々はそれぞれに多くの患者をかかえているわけで、ときどきそれとない言葉の端々から患者の死亡を知らされることがある。 医師や看護師が守秘義務をもって仕事にたずさわっているのは無論で、私にはどこの誰とはわからないものの、突然の死による来宅スケジュールの変更の打ち合わせでそれと知れるのだ。 どこの誰とは知らなくとも、たとえば老母の看護の仕方のアドヴァイスに病状の例として示されることがあり、1年以上も在宅看護をしていれば、耳から入ったそのような病状のいわばサンプルが、私の記憶にかなり蓄積されている。その会ったこともない、男性か女性かさへ分らない患者さんを例として、老母の看護をより良いものにしているわけだ。だから、なんとなく、「ああ、あの人は頑張って生きているんだな」というような、シンパシーがある。ポロポロと歯が抜けていくように、と表現するのは悲しいが、力尽きて、命もまた尽きたことを聞くと、私の胸のなかにジワリと落ちて来るものがある。今朝もそのような悲報があった。 芭蕉忌や菊の香にがき侘寝哉 青穹 力尽き逝きしひとあり時雨の忌
Nov 12, 2010
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小春日や落葉しずかに積りけり 青穹 短日や子らの下校も月の下 芭蕉忌や鉄塔の上にいでし月
Nov 11, 2010
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冬めくや雲風に散り月鋭利 青穹
Nov 10, 2010
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なるほどと思い、そぞろ寒気がしたのは、日本国民の遵法(じゅんぽう)精神が深いところで崩壊しつつあるのではないか、と感じたから。 尖閣漁船衝突映像の流出問題に関して、今日の朝日新聞の伝えるところによると、市民から映像の投稿者を擁護する声があがっているとのこと。「映像が見られてよかった」とか「国民の知る権利に応えるもの」とか、「海上保安庁が現場で頑張っているのが分った」などという声だそうだ。一方で、「統制無視の姿勢に危うさを感じる」という声もないわけではない。このような投稿の是非をめぐる意見は、いわゆる識者といわれるような人たちをも二分しているらしい。 朝日新聞はまた、東京都知事石原慎太郎氏が、「インターネットに流れている尖閣諸島のあの漁船の衝突問題の映像を見ましたが、あれ、何で(日本)政府は発表しないのかね。(中略)どこの局所の人間か知らんけども、冗談じゃねえやということで、国民の目に実態を見てもらいたいという形であれ(映像)が流出した、結構なことじゃないですか」(新聞よりそのまま引用)という、定例会見での発言を報じている。 さて、冒頭で私が「なるほど」と言ったのは、尖閣漁船衝突映像の流出問題、および郵政不正事件における検察官による電子メディア証拠物件書き換え問題、そして遡って、自衛隊の田母神元航空幕僚長が解任されることとなった政府見解と異なる誤った歴史認識にもとづく2008年公表の論文問題等々を瞥見するに、なかんずく、漁船衝突映像流出と田母神論文公表問題は、文民統制違反(映像流出問題は捜査が開始されたばかりだが)という共通性のみならず、これらの事件を是とする反応が、まさに石原慎太郎氏がヤクザ口調でまくしたてる、そのような発言を臆面も無くおこなう異様な精神にもとづくと見てとったからである。 手前勝手な正義をふりかざして、現社会の基盤としている法を手続きなく無効としてふるまう。その基盤の箍(たが)をはずしてしまえば、もはや社会に「信」も「真」も失われてしまうものを。検察官による証拠書き換えはそれを示している。映像の流出問題で、投稿者や海上保安庁に対して擁護の声があがるのは、海上保安庁を告発した検察に対する不信のあらわれであると見ることもできるのではあるまいか。 法治国家の理想というのは、じつに脆いものなのだ。脆さ承知で堅守することによって、はじめて社会に社会的真実とか社会的な信頼・信用がうまれる。 石原氏の発言は、私としては前半部分は同意できる。すなわち映像を隠蔽する理由がなへんにあるのか、政府から納得いくようには説明されていないからだ。しかし、氏のヤクザ口調の後半は、なんら根拠のない憶測でしかない。田母神問題における肯定論者と同じ、誤った愛国主義のプロパガンダの臭いがする。 このような国の枢軸にかかわる者たちや、その周辺の重要な地位にある者たちの手前勝手な遵法精神に悖(もと)る行為は、一般市民、とくに力のあるジャーナリズムによっても行われている。たとえば、少年犯罪事件の報道において顔写真を掲載するなどである。かつて、いわゆる酒鬼薔薇事件で、某大出版社の週刊誌が少年の顔写真を掲載し、このような凶悪犯罪においては少年法の規定は無効であると弁じた。正義は自らにあり、その違法行為は大衆に支持されているというのだった。 厳罰に処すべき司法がこれを見過ごしにしたため、ここにおいて、法は、その場その場の御都合によってどうにでもなってしまった。司法はそうは思っていないかもしれないが、市民にそのような手前勝手な傲慢な解釈を許してしまったことは事実であろう。 「日本国民の遵法精神が深いところで崩壊しつつあるのではないか」と私が憂慮するのは、最近ひんぱんに報道される学校教師の教育に悖る行為・授業などもあわせて思いめぐらせ、こうした「とんでも教師」が出現することとも、じつは無縁ではないのではないかと考えるからだ。法感覚、人権感覚の鈍磨である。 上に述べた問題は、今後、「事件」として処理され、それで終るであろう。われわれの精神の深部でおこっているかもしれない、ひとつの文明の崩壊に気がつかないままに。
Nov 9, 2010
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立冬 ほどほどの寒さよろしき今朝の冬 青穹 椿落ちぱりっと乾く洗い物 「幸」「福」と名付けた猫のひなたぼこ
Nov 8, 2010
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ひらき見てまたとず文や冬日和 青穹 そら耳か風にわれ呼ぶ神無月 驚夢醒め絵具のしみと紅葉散る
Nov 7, 2010
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老母の髪を梳く 木の葉髪すくや朝餉の炊けるまで 青穹 子ら歌いあそぶ日射しや石蕗(つわ)の花 日の色が刈安浅黄(かりやすうすき)に暮の秋【註】刈安浅黄:日本古来の染色の色名。黄色の色味には深黄(こきき)と浅黄(うすき)があり、次のような植物を使って染色する。それぞれの植物名がそのまま色名となっている。 イネ科の刈安(かりやす)の葉と茎を煎じた汁で染めると渋味のある落着いた黄色になる。 また、黄蘖(きはだ)はミカン科の樹木で、この樹皮を砕き煮詰めた汁で染めると、やや青味をおびた黄色となる。 タデ科の大黄(ダイオウ)の根を砕いた煎汁で染め、媒染に灰汁をもちいると、美しい緑がかった黄色となる。 梔子(くちなし)の実を刻んで煎じた汁で酢を媒染とすると、赤味をおびた黄色に染まる。 ショウガ科のウコンの根茎の粉で酢を媒染として染めると、いわゆる鬱金(うこん)色の黄色となる。
Nov 6, 2010
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公魚(わかさぎ)に白き衣や冬構え 青穹 天麩羅に大根引いておろし哉 短日や夕べの髯の青き影 短日や行方尋ねる人のあり----------------------------- 報道をにぎわしている大事を思いながら、ふと森鴎外に次の一句があることを思い出した。現代からみれば、明治はやはりのんびりしていたと言わざるをえない。・・・のだが、・・・現代の国の枢軸に関わる者たちの脳天気さは、昔のことなど引き合いに出せはしない、と思いを改めている。 春の海を漕ぎ出て明す機密哉 鴎外
Nov 5, 2010
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残光に黄色あふれて柚子熟れる 青穹 山茶花の寂しげに咲く垣根かな 石仏の白菊くずる冬近し
Nov 4, 2010
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文化の日ザンギリ頭叩こうか 阿窮 文化の日ハハのんきだね空っけつ 旗あげて旗さげないで文化の日 文化とはそもさん応えて文化の日【註】そもさん(作麼生):中国宋代の禅に起源をもつ疑問をあらわす、「どうじゃ?」というような意味の言葉。
Nov 3, 2010
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秋の蚊を叩きたる吾が指憎し 青穹 埋火や舞ってたじろぐ夕紅葉
Nov 2, 2010
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空高く雲かろやかに秋畳む 青穹 秋の雲ふちどる光のレースかな 銀翼が陽に突き刺さる神無月
Nov 1, 2010
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