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30日、ようやっと正月迎えの準備にとりかかる。さきほど午後5時、買い物をして帰宅した。門松もいまから飾る。例年だと27日か28日にはすませているのだが、老母の在宅看護がはじまってからは、すべてにおいて長い家風を守っているわけには行かなくなった。おせち料理も、15品を手作りしてきたが、とてもそれをしている時間がない。やろうと思えばできなくはなかろうが、看護には正月も休日もないので、ということは私には年間を通してまったく休養をとることができないということで、どこかあまり重要でないところで手抜きをするしかないのだ。 じつのところ、私自身は正月料理などなくてもよい。しかし、明日、大晦日の夜に家族全員が我家にあつまって年越しパーティをする習慣だけは、寝たきりの老母のためにもやめるわけには行かない。おせち料理はそのパーティのための料理でもあるのだ。 今晩中に例年のように15品も手作りすることは不可能なので、ここでも手抜きをすることにした。さきほどの買い物で、大きな真鯛を買ってきたので、これを姿焼きにして大皿に盛り、テーブルの中央にどかっと出そう。いつもの五目寿司のかわりに・・・錦糸玉子や紅生薑や刻み海苔などで人数分のトッピングをするのはやっかいなので・・・炊飯器で釜飯をつくることにする。それを錦手の祝い碗でお吸い物をそえて銘々にだそう。人数分の大海老を茹で、煮染めをつくり、肉料理をつくり、和菓子と果物で、なんとか賑やかなテーブルになるだろう。 眠っていた老母が、夢うつつに「忙しくて大変だね」と言った。 「えっ?」 私は、聞き違ったかと思って、母の顔をのぞいた。目をつむったままである。「あーあー」と口で呼吸しているので、 「苦しいの?」と聞いた。すると母は、意外なほど大きくはっきりした声で、 「苦しくないよ。大事にされているから」と言った。 「そう、良かった、良かった」 このところほとんど眠っていることが多くなり、こんな風な短い会話もめずらしいことだったのだ。
Dec 30, 2010
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今年も残り三日となって、今日はさすがにばたばたと忙しかった。病院、看護師、薬局等々が休みに入るので、老母のための数種類の医薬品や食事代りの栄養液剤の処方箋を依頼し、薬局に配達してもらったり、医師に来宅検診してもらったり、訪問入浴の準備をしたり・・・仕事は山のようだ。夜11時30分、本日最後の薬剤を投与して、母のための仕事は一応終了したところ。明朝は5時に仕事を開始しなければならないので、もう就寝である。そして怒濤のような一日がまたはじまる。
Dec 28, 2010
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福島県の会津地方が大雪にみまわれ、国道の長い車列が雪にとじこめられた。ほぼ丸一日経って、自衛隊の除雪によって救出されたというニュースが、ここ二日ほどつづいた。インターネットで鶴ヶ城の一時間ごとの画像を見ると、お城はすっぽり雪につつまれている。除雪車が城内に入っているようだが、回遊道が部分的に除雪されれば良いほうだろう。 年があければすぐ、一月十日、会津若松市の中心街神明通りで昔からの「十日市」が開かれる。昔、私が住んでいた50年以上前は、近年よりはもっと積雪量は多かったらしく、十日市の露店も雪のなかに設営されていたものだった。そして、それはそれで、味わい深い雪国の春にさきがける賑やかな市なのだった。私は、小さな円錐形の起上がり小法師をいくつか買ったりしたものだ。古くからの伝統の郷土玩具である。
Dec 27, 2010
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前回掲載した「青穹千句」のための最後の2句を、次のように改める。とはいえ、まだ、「紙白し」が良いか「紙白き」が良いか迷っている。声にだしてみると、「白し」は「し」が重なって音がもたつく。ただし、ぼんやりした紙を透かした光の感じがでるかもしれない。一方、「白き」とすれば、貼り替えた紙のきりりとした張りがでるかもしれない。そのかわり、私自身に立ち返りすぎて余情が失われそうだ。・・・まあ、しばらく迷うことにしよう。 そしてもう一カ所、あえて「貼り替ふ」と旧カナづかいにした。「う」と書くより、字面に安定感がでる。 夜なべして賀状したたむ灯のあかさ 青穹 蕪村忌 蕪村忌や障子貼り替ふ紙白し
Dec 26, 2010
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夜なべして賀状したため昼寝かな 青穹 蕪村忌 蕪村忌にへなちょこ千句詠み納む 計画どおり俳句1,000句を詠みおえた。 折しも12月25日は与謝蕪村(1716-1783)の亡くなった日。俳人にして画家。漢詩文に多くを学び、その俳風は、画家としての目によるのであろうか、きわめて印象的だ。私は、どちらかというと芭蕉の句より蕪村のほうが好きだ。 たとえば、こんな句・・・ 寒月や枯木の中の竹三竿 とかくして散る日になりぬ冬のうめ 二もとの梅に遅速を愛すかな 畑打や耳うとき身の唯一人 肘白き僧のかり寝や宵の春 石工の指やふりたるつつじかな ゆく春や逡巡として遅さくら 御手打の夫婦なりしを更衣(ころもがえ) 四五人に月落かかる踊かな 鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 月天心貧しき町を通りけり 一行の雁や端山に月を印す 落し水田毎の闇となりにけり 身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む こがらしやひたとつまづく戻り馬 蕭条として石に日の入枯野かな 我骨のふとんにさはる霜夜かな 私にとってはいずれも削除しがたい。 そして人口に膾炙(かいしゃ)して現代人にも親しい次の2句。 春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな なの花や月は東に日は西に
Dec 25, 2010
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1724年12月22日(陰暦享保9年11月22日、一説に21日)、歌舞伎狂言・浄瑠璃作者近松門左衛門が没した。享年72。狂言二十数篇、浄瑠璃百数十曲を残し、シェイクスピアに比肩する我が大劇作家。しかし、この人物にして、忌日がはっきりしない。 隣家の紅椿の花弁が、我家の敷地に、数も知れず散り積っている。 散り敷くは椿の花や近松忌 青穹
Dec 23, 2010
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言葉なき老母横たう柚子湯かな 青穹 生き死にの帳尻合わしょ冬至粥
Dec 22, 2010
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降りだして皆既月食夜寒かな 青穹 蓮枯れて月も御堂に籠るらん 今年1,000句を目標にして詠んできた俳句も、上記の作で995句目。残り5句。つくろうと思えばたちまちできる数なので、気持のうえで延ばし延ばししている。いささかバカげていると我ながら苦笑。アラビアン・ナイトの1001夜にならって「1001句」というのも魅力的なタイトルだが、まあ、1句増やしたからどうだということもなかろう。当初の計画どおりに1,000句で2010年をしめくくろう。
Dec 21, 2010
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今夕は満月。そして、皆既月食が全国的に見られるはずだったが、残念、東京は雨である。晴れている地方でも、皆既は午後4時40分から5時53分までなので、すでにおわっている。月食は7時1分におわる。今回は、今春におこったアイスランドの火山噴火による灰の影響で、月の光がさえぎられ、暗赤色の月食が見られると予想されていた。ちょっと怪奇な皆既月食と、私は期待していたのだが。先日の流星群とことなり、月食はただ一度の天文ショー。明日を期待はできません。
Dec 21, 2010
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「良いお年を」と、今年はもう会わないであろう人と挨拶をかわした。親戚からは老母にお年玉がとどいた。毎日の医療・看護のスケジュールは、365日変ることはないので・・・(変えることができないので)・・・年末だからと言って、とりたててあわただしいわけではない。むしろ、世間並みに、あわただしくしたいような気持がして、我ながらちょっと驚いている。 散薬を白湯に溶かしつ古暦 青穹
Dec 20, 2010
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遠火事に寝覚めて闇を見つめおり 青穹 戸を閉(た)てる音おちこちに冬日落つ 火災の多い季節となった。家のなかにいても、毎日のように遠く近くどこかで消防車のサイレンの音が聞こえる。昨夜も深夜にその音で目がさめた。今年も残り少なくなったが、暮もおしつまっての被災はひとしお悲惨にちがいない。 ところで、美空ひばりの『お祭りマンボ』の歌詞の一節に、「おじさん、おじさん 大変だ。どこかで半鐘が鳴っている。火事は近いよ すりばんだ」とある。 「すりばん」とは「擂半鐘」の略。昔、出火すると半鐘を擂り鳴らして報じていた。その鳴らしかたにきまりがあって、火元がきわめて近いときは連続して撞ち、もっとも近いのが二っずつ(二ッ半)、すこし隔たりがあるときは三っずつ(三ッ半)うった。遠い場合はただ一つだけ(一ッ半)。この鳴らしかたを総称して「すりばん」と言ったのだ。 半鐘を使わなくなったのはいつごろからだろう。調べたことがない。たまに地方へ出かけて火の見櫓を見かけることがある。しかし、半鐘はぶらさがっていなかったような気がする。・・・そういえば、黒澤明監督の『用心棒』や鈴木清順監督・高橋英樹主演の快作『けんかえれじい』には、火の見櫓がじつに効果的印象的にでてきたことを思い出す。
Dec 19, 2010
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「就活」だ「婚活」だと、聞くにたえない、読むにたえないウソ寒い言葉が大手を振って横行している。どこのどいつが言い出したか知らぬが、よほど漢字言葉の成立に無知、しからずんば鈍感。 いまさらこんな説明をしたくはないが、漢字による言葉の成立は、そもそもが漢文式文法に準じている。「就活」の正しい言葉は「就職活動」、「婚活」は「結婚準備活動」であろう。そして、「就職」は「職に就く」であり、「活動」は「動き活かす」である。同じように、「結婚」は「婚姻を結ぶ」、「準備」は「備え準(なぞらえ)る」もしくは「備え準(はか)る」である。ちゃんと言葉を成立させるための規則がある。 たとえばよみかたが音読み訓読みがまじった「じゅうばこ読み」といわれる言葉でさへ、「重箱」は「箱を重ねる」と、規則にしたがっているのだ。ほとんどすべての漢字言葉は、このように分解して意味が成り立つようにできている。子供にもそのように成立規則をおしえることができる。それを知っていれば初めて接する漢字言葉でも意味を容易に推測できる。受験受験でクイズのような問題を解くような断片的知識ではなく、事の基底にある規則を教えれば、一を知って十を知る道理だろう。 いまこの拙文で使った漢字言葉をためしに分解してみてください。「規則」「分解」「成立」「容易」「推測」「受験」「問題」「断片」「知識」「基底」「道理」・・・みな上にのべた漢文式文法の規則によっている。 しかし、「就活」「婚活」は、漢字を使っていても意義のない、たんなる空虚な記号でしかないといってよい。そこから広がってゆく漢字のエネルギーがないのだ。まことに貧困。ウソ寒いと私が言ったゆえんである。こういう貧困なる造語を、いかにも得意げに使用する雑誌、新聞、TV等々のメディア。その軽薄さは、社会的な責任感を喪失して、鈍感になっているだけに、一層ウソ寒い。 符牒でコミュニケーションをとろうとするのは、ヤクザ社会の特徴。閉塞的なグループが、おのれの特異性を誇示する常套手段である。日本社会がヤクザ社会ときわめて類似しているというのは、じつは言い方が逆なのだが、日本の社会がどのような様態をしているかは各論からは見え難いけれども、このような言葉の符牒化を論じることで、常にはぼんやりしている総論的な日本社会の真の姿が見えてくるのではあるまいか。・・・・・・・・・・・・・ 山門の鐘の音凍る女坂 青穹
Dec 18, 2010
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何やらの球根植うる冬日向 青穹 書き入れる看護プランや新暦
Dec 17, 2010
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天網を洩れて流星彼岸かな 青穹 寒空や流星ひがし月は西
Dec 15, 2010
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双子座流星群、さきほどベランダに出て夜空を見上げたが、厚い雲におおわれていた。夕方5時頃には、半月が雲間隠れに見えていたので、あるいはと期待していたのだが・・・ 私が双子座流星群にこだわるのは、・・・こだわると言うほど大袈裟な心情ではないが・・・この「遊卵画廊」にいささかの関係がある。 双子座というのは、地球から見ると2月下旬頃に天空のほぼ真上に二つの星が並んで輝いている。一等星であるアルファ星カストールとベータ星ポリュデウケース(ポルックス)である。この名はギリシャ神話の神々の王ゼウスとスパルタ王テュンダレオスの妻レダとのあいだに生まれた双子の息子たちに由来する。ゼウスは白鳥に化身してレダとまじわったのだった。この神話が、ヨーロッパ美術史において「レダと白鳥」というテーマで長らく多くの画家たちの関心をひきつけてきた。私は、卵から生まれた双子をそれぞれの画家がどのように作品のなかで扱っているかに興味をもち、調べてきた。その概説は、この「遊卵画廊」のフリーページの論文室に『卵の象徴と図像』として掲載している。 レダと白鳥の神話では、じつはレダは2個の卵を産んでいて、一つの卵からはカストールとポリュデウケースが生まれ「和」を象徴し、もう一つの卵からはやはり双子のヘレネーとクリュタイメーストラーが生まれ「不和」を象徴している。美術史でこの神話がテーマとなった思想的背景は、拙論をお読みいただくとして・・・こうして書きながら窓から夜空をながめると、さきほどまでの曇り空はうそのように晴れ、月が輝き、星も輝いている。・・・ちょっとベランダに出てみましょう。 見えます、見えます。流星が東の空に飛んでいますよ! 今すぐ御覧になってください。15分くらいはじっと辛抱して夜空を見ていてくださいネ!
Dec 14, 2010
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元禄15年12月14日から翌未明にかけて、御存知、赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあった。その夜は雪であったという。ただしこれは陰暦12月14日で、現行の陽暦になおすと1702年1月30日となるようだ。しかし、現在では、赤穂四十七士に材をとった芝居興行や映画の封切など、陽暦の12月14日におこなうことが多い。12月の風物となっている。東京高輪の泉岳寺の義士祭も今日のはず。 そんなわけで、赤穂浪士にちなんで、今朝、最初の句を詠んだ。 赤穂四十七士 虎落笛(もがりぶえ)火影ゆらめく密議哉 青穹 事構う浪士(おとこ)の胸の雪景色
Dec 14, 2010
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星閉じて雨南天の実は赤し 青穹【註】タイトルは往年のグループ・サウンズ、タイガースの歌のもじりです。【註2】今日の句について、ちょっと解説しておきます。 謡曲『天鼓』に「人間の水は南、星は北に拱(たんだ)くの天の海面雲の波」という一節があります。これは中国の古典籍『潘岳・藉田賦』に出典があり、すなわち「似衆星之拱北辰也」で、「諸星が北極星をとりまく様に似ている」という意味です。 さて拙句は、双子座流星群を念頭におきながら、「星は北にたんだく(めぐる)」で北をイメージし、その対極にある南の天に「人間の水は南」の南と雨を重ね、さらに現実として庭の植物の南天の赤い実を重ねて、今日の雨に降りこめられて見えない星と濡れていよいよ赤い南天の実を詠んだわけです。 じつのところ、拙作を読んでくださる方には、この自解の部分を謎解きのように読み解いていただきたかったのですが・・・。自作を解説する禁をやぶってしまいました。
Dec 13, 2010
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明日の夜から明後日の夜にかけて、年間三大流星群の最後になる双子座流星群のピークとなる。東京天文台が、ホームページで観測コメントをつのっている。とはいえ、明日はどうやら全国広い範囲で雨の予報。残念、残念。 昨年、東京は13日が曇りで見えず、14日に私は見た。そして次のような俳句を5句詠んでいる。 東京のネオン凍るや流星群 双子座の流星降って山眠る 貧しきも富めるも冬の流れ星 いくつもの星が流れる冬の空 無窮のかなた明き星飛ぶ十二月 さて今年は・・・ 流星や老いて人世に呵々大笑 青穹
Dec 12, 2010
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焼藷の売声聞かぬ去年今年 青穹 猫の毛が風に逆立つ冬日向 便腹で猫が暖とる足がため【註】便腹(べんぷく):太った腹のこと。いわゆる太鼓腹。「便便」というのも同じ意味。ちなみに、「便便」のように、同じ文字を重ねた言葉を畳字(たたみじ)という。 ついでに申しあげますが、私の腹は出ていません。この句で「便腹」と言ったのは、言葉のアヤ。はい。
Dec 11, 2010
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きょうの東京西部は、ことのほか寒かった。水が冷たい。 我家の水道管は常時冷水用と一旦ボイラーを通過しているものと、2本が地下に埋設され異なる蛇口になっている。それはどこの家庭でも同じであろう。ところが我家の場合、この2本の水道管、どうやら埋設の深さがちがうらしい。どちらも冷水で使用しても、あきらかに水温が違うのだ。今日のように気温がいちじるしく低いときは、一方はしびれるくらいに冷たい水が出、もう一方はほんわか温かい。今年のような夏の猛暑日にも、その違いははっきり体感できる。つまり一方は地表の温度に影響されやすい浅い埋設ということだ。 この水温の違いは、それを湯にするときのガス使用量に明確にあらわれる。水道水を太陽熱で温める装置を屋根に設置している家があるが、その経済効果と理屈はおなじ。ただし、我家の場合は、ボイラーを通過している管の方が、どうやら地表に近いらしく、冬はやたらと冷たい水になる。そのため、ガス使用量がグンとはねあがる次第。 まあ、それはそれとして、この水道水の体感的温度差を俳句に表現しようと言葉をいじくりまわした。しかし17文字では、はたと膝をうつような表現がみつからない。とりあえずということで、次の句を掲載しておくことにしました。 冷たさに差あり水道地下深浅 青穹
Dec 10, 2010
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きのう掲載した詩『空白の葉書に書くこと』を英語に訳してみました。A Matter Written on a Postcard by Tadami YamadaThough I recollect itthere is only a square hole thereSince I intended to forget it, I've really forgot itI have received a postcard which was blank, no the name of the sender;only my name and my address were written onPerhaps anyone knows nothing about self's birth, andhave been thrown out into this world immediately, and, however, only death is seen in the future surelyI try counting aloud from one to one hundred.I've not gone out for the cherry blossoms viewing,but it's my life if I do seventy times of the flower viewing.I look,I listen,I describe, andI draw pictures ---this world
Dec 10, 2010
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『空白の葉書に書くこと』 山田維史思い出そうとするのだがそこだけ四角い穴があいている忘れようと思ったので本当に忘れてしまった私の名前と住所だけが書かれた差出人の名前さへない空白の葉書を受け取ったことがあるおそらく誰も自分の誕生を憶えてはいまいいつのまにか此の世に放り出されしかし行先に死だけが確実に見えている一から百まで声に出して数えてみる桜の花見に出かけたことはないが花見を七十回したらそれが私の一生だ私は見る私は聴く私は書く私は描く、此の世のことを
Dec 9, 2010
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庭の落葉のなかに蛾の死骸をみつけた。アケビコノハ(ヤガ科)である。 アケビコノハの特徴は、前翅が光沢ある濃褐色で、その先端が尖り、そこから斜に後縁にいたって中程で抉れたような翅形をし、翅の中央に暗緑色の斑紋がある。後翅は橙色で大きな渦巻き状の黒い帯がある。静止しているときはムベの葉に似ている。食草は和名の由来ともなっているそのムベとアケビの葉である。 この蛾が我家の小庭で死んでいたので、なるほどと思ったのだが、2軒隣のお宅の庭にアケビがあるのである。金網のフェンスにからまって道路側にたれさがり、今、紫色の実がなっている。裏山にもアケビがあるかもしれないが、おそらくこのお宅のアケビの葉を食べていたのだろう。 ・・・小学生の頃、父に頼んで、会社の工作課の方に蛾のための標本箱をつくってもらった。夏の夜は蛾の採集にいそしみ、標本をつくった。廊下の端にすえつけた机の上には、試験管やガラス瓶に入れた水棲昆虫・幼虫、蝶や蛾、そして植物の標本でいっぱいだったものだ。65才の老人になっても、そのころの片鱗が残っているらしく、庭を掃きながら目ざとくアケビコノハの骸をみつけて拾うのである。 落葉積む枯れ葉擬態の蛾の骸 青穹
Dec 8, 2010
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A very short winter day ---As snowy chrysanthemums turned in purple alreadyMy garden, night was falling 短日や菊は紫に暮れゆくTonight---a pitch dark nightNo even one star, I am hearingsounds of dead leaves rolling 星ひとつ見えぬ闇夜や枯葉鳴る
Dec 7, 2010
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ためらいて枝の一葉を落しけり 青穹 裸木や近くなりけり鐘の音 枯すすき揺れて川面の銀波かな 冬山や竹林の青滲みけり 冬山に楔うがつや鉄の塔
Dec 6, 2010
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昨夜、ベッドに入ってから、ちらと横切った英語のHaiku。ブログに掲載したばかりの「面影や銀器の錆に冬ざるる」の英語訳。そのときは完成しないまま眠ってしまったので、きょう午前中にちょっといじくりまわしてみた。母音による5・7・5ではなく、単語によった。もとの句自体がすこしひねった日本語。意味だけとらえれば幾つかの英語表現が考えられたが、1行目と2行目の末尾を英語詩のように韻を踏んでみた。俳句ではおこなわれないことだ。私自身も初めての試み。さて、いかがなものか。Faded Visages from my memories・・・The silver receptacle gathers rust by degreesWinter decayed the whole creation !
Dec 5, 2010
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面影や銀器の錆に冬ざるる 青穹
Dec 4, 2010
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きょうの東京西部地方は、午前中にかなり激しい雨、昼過ぎには明るい日射しとなったが、強い風が吹き捲くった。気温もやや高めで、我家ではエアコンデショナーの暖房を止めた。 風の音を聞きながら、ふと、幼少時代に住んでいた北海道羽幌町の真冬の猛吹雪と30才くらいだった母の角巻(かくまき)姿を思い出した。 角巻というのは、四角い毛布の大きな防寒用肩掛で、三角折りにして婦人が着た。吹雪きがひどいときは、頭からすっぽりかぶり、口許をおおい、膝下あたりまでおおう。赤ん坊をおぶった若い婦人は、赤ん坊ごと包んでしまうのである。母親の後ろ首から小さな赤ん坊の顔がほんの少しのぞいていたりしたものだ。 角巻は東北地方でも用いられていたが、思い出すと、昭和30年頃までの冬の服装は現在とはまるきり変ってしまったような気がする。たぶん今では豪雪地帯でも角巻を用いる婦人はいないのではあるまいか。もしかすると、角巻その物をご存じないかもしれない。 角巻で弟(おとと)負いたる母若し 青穹 辻風に落葉ころがる暮れっ方
Dec 3, 2010
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見ていよう日が沈むまで山眠る 青穹 星ひとつ見えぬ闇夜や枯葉鳴る
Dec 2, 2010
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雪吊や古城の庭の此処彼処 青穹 極月や急に賑わう工事音 短日や菊は紫に暮れゆく
Dec 2, 2010
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看護師の独りごとなる十二月 青穹 冬の日や看護日誌を開きけり 冬の日や猫ひなた追い転々と 大学ノートの看護日誌が、数日後には7冊目に移る。日付と時間、天候、薬剤の投与や検温、血圧数値、経管栄養の注入時間と何をどのぐらい入れたかということ、その終了時間、そして大小の排泄の状態と量。また、時には皮膚の乾燥の痒みを掻いてできた小さな傷の状態等等。また、精神状態を知りうる言葉。医師や看護師、理学療法士、訪問入浴、そのほか母の看護に関する来訪者の名前など。まるで小学生のお天気記録のように、味も素っ気もないたんたんとした記録。私の感情は一切書かない。母の状態には無関係だから。・・・しかし、この毎日の記録があってこそ明日明後日、今後一週間から一ヶ月の看護の指針をえられるのだ。余計な感情が入っていないので、まどわされることがないといえる。看護師もまた私の看護日誌をみてカルテを記入し、「山田家の看護は、長い私の経験からしても特別です」と誉められもする。・・・その日誌がもう7冊目になる。
Dec 1, 2010
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