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思い出したことがある。46年から48年前、私が在学していた会津高等学校の第1・第2・第3体育館がならんでいた校舎の南側は田圃で、春になると一面の紫雲英(げんげ、れんげそう)の原っぱとなった。紅紫色の花が霞のようにけむって地をはっていた。校舎をとりかこむように桜が植えられていたので、4月初めころになると、男子校だったがピンクの雲につつまれたようになった。 先年、40年ぶりにおとずれると、四囲の景色は私の記憶を消し去ってしまうかのようにまったく変わっていた。思い出をたどるよりどころとなるものは何もないに等しかった。あの紫雲英田だったところは住宅が密集して建っていた。私はただ呆然として、時の流れを感じるというよりは、見知らぬ土地へ投込まれた浦島太郎のようだった。懐かしさも何もまったく感じなかったのだ。いま見ていることが現実なのだから、私の記憶はむしろ偽の記憶のようだった。 きょう、不意のように、46年前の紫雲英田の紅紫が靉靆(あいたい)として目の前にうかんできた。あの当時は、春になれば目にしていた景色で、さほどの感激もなく見ていたと思うが、いまになって鮮やかに目の前にうかんでくると、ああ、懐かしいなー、と思ったのだ。 高校に入学して最初のころの美術(選択科目)の時間に、風景写生をするよう指示された。私はあまり気乗りもせずに外に出て、南側の田圃の縁に坐って、紫雲英田をながめながら、しかしその景色を描きもしないで、石ころの表面を画用紙いっぱいに描いたのだった。・・・そんなことも思い出した。まさか画家になるなんて、夢にも思いもしなかったなー。 会高の紫雲英の原やその昔 青穹 げんげ田を幻にして建つ家並 私が在学した46年前の会津高等学校
Mar 31, 2010
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三月三十日は陰暦二月十五日にあたりすなはち西行忌。 白峰も春の嵐ぞ西行忌 青穹 春寒く月も隠れる西行忌 白峰に春雷ひびく西行忌 春雷や圓位圓位の声すなり この句のイメージは、上田秋成の『白峰』に拠る。 『白峰』は『雨月物語』全5巻におさめられた9篇の怪異短篇小説のうち、第1巻の巻頭に『菊花の約(ちぎり)』とともに置かれている。私の好きな怪異譚だ。 鳥羽上皇に仕えた北面の武士斎藤義清(1118-1190)は、世の無常を感じて出家し、法名を圓位、またの名を西行とあらため、歌枕の名所旧跡をたずねて諸国周遊の旅にでた。 物語は・・・西行は鳴海潟、噴煙あがる富士、清見が関(現・興津市近郊)、大磯小磯、武蔵野の原、鹽竈、木曾の桟橋・・・等々を見て、さらに西国をめざし、讃岐(現・香川県)の眞尾坂(みおさか)の林というところにしばらく逗留することにした。 近くの白峰山に新院(崇徳院)の陵(みささぎ)があると聞き、10月の初め頃、山にのぼってみる。木立をわずかばかり開いて土を盛り、その上に石を三つ重ね、それがどうやら御墓らしかった。荒れ果てたように茨や蔦葛におおわれていた。これがあの華やかな都の紫宸清涼殿の御座所で政をしていたお方の墓か、と西行は心をかきむしられる思いがする。まったく世ははかない。涙がわきあがってくるままに、夜通し供養をしようと、経文を誦し、「松山の浪のけしきは変わらじを かたなく君はなりまさりけり」と歌を詠んで奉った。 深山の夜はただならず、衣は夜露に濡れ、寒さがしんしんと身に滲む。月は出ているが、鬱蒼とした林のなかまでは光がとどかない。 するとその闇のなかから、「圓位、圓位」と呼ぶ声がした。眼をひらいて暗闇をすかして見れば、背が異常に高く、痩せおとろえた異形の人が立っている。僧侶である西行にとっては恐ろしくはないが、「そこに来たのは誰です!」と問えば、その異形は、「松山の浪にながれてこし船の やがてむなしくなりにけるかな」と、さきほど西行が御墓に捧げた歌への返し歌。まさしく新院の霊なのであった。 そして新院の霊は言う。近頃世の中が乱れているのは、自分の仕業だ。魔道を志し、平治の乱をおこさしめ、死後も朝廷に祟っている。今後はもっともっと大乱をおこさしめてやろう! 私の怨みを忘れぬがよい! 西行は崇徳院の怨霊のあさましい振る舞いをまのあたりにする・・・ 白峰山の位置をおおざっぱに示せば、香川県の高松市と丸亀市とのちょうど中間、瀬戸内海寄りになる。高松の沖合いには屋島があり、『白峰』の後の歴史ということになるが源平合戦の舞台である。 先日、私が古書店で井上靖『後白河院』を見つけて買ったことはこのブログに書いた。まさしくそこに語られていることが、『白峰』で崇徳院の怨霊が語る保元・平治の乱前後の原因となる事情なのである。 崇徳院は鳥羽院の長子として生まれ、5歳にして即位、在位16年で異母弟近衛帝に譲位し、その後は上皇として暮らした。しかし父である鳥羽法皇の下におかれて実権はなく、法皇が亡くなると保元の乱の渦中の人物として讃岐に配流され、その地で没した。46歳であった。 父鳥羽法皇は長子崇徳院を疎んだとされるが、それには理由があった。鳥羽院の祖父すなわち崇徳院の曾祖父は白河院である。白河院には祇園女御という寵妃がいたが、この祇園女御の手元で閑院公実(かんいんきみざね)の娘である姫を育てさせ、姫が17歳のときに孫の鳥羽院の中宮(待賢門院)にした。鳥羽院は15歳であった。この中宮に生まれたのが崇徳院である。鳥羽院は長子崇徳院は自分の胤ではなく、祖父白河院の胤だと思った。つまり自分が手をつけた女が子を孕んだので、妃である祇園女御の手前ぐあいがわるいので、その女を孫の第二夫人にしたわけだ。権力構造のなかで有無を言わさぬ段取りで中宮にしたものの、15歳の鳥羽院は見抜いていたのだ。生まれて来た長子崇徳院に対してまったく父子の愛情がなかった。 鳥羽院には待賢門院のほかに美福門院と高陽院という3人の妃があり、なかで美福門院を寵愛した。美福門院に子ができると、その子を帝位につけるために崇徳院に退位をせまって実現する。それが近衛帝である。 もとはといえば白河院の閨房の乱れが、やがて世を保元・平治の乱へとみちびき、その中で崇徳院は不遇のうちに没し、さらに源平合戦により平氏が亡んでゆく。・・・ 歌僧西行法師が生きていたのはそういう時代だった。世をはかなんで出家した武士は少なくはなかった。西行の場合、出家したといっても寺住みの僧ではなく、『白峰』にあるように歌をもとめて諸国を旅して歩いたのであろう。このあたりの「無常観」と「歌作」については、私の論文『「ささめごと」に現われた十識について』で述べている(フリーページに掲載)。 西行も三里の灸や涅槃西風(ねはんにし) 青穹 ひともとの桜尋ねん西行忌
Mar 30, 2010
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自作の俳句でも、それを英語で5語7語5語のHAIKUにしようとすると、いわゆる日本的な情緒をふくむものほど難しくなる。たとえば先日の、「花冷えや雨にくずれる重褄」。「桜が咲いているというのに、雨が降って、重ねた着物の裾が乱れる」というほどの意味。・・・まず、「花冷え」という表現が英語にはない。「重褄(かさづま)」という粋もない。 5、7、5でなければ翻訳は可能だ。しかしそこをなんとか・・・と思ってひねくりまわし、次のようなものになった。自分でもまだ不安定なのだが。Cold weather in flower seasonThe rain dishevel the skirts wearing "kimono"over another of a woman(In oral Japanese)Hanabie yaAme ni kuzurerukasanezuma花冷えや雨にくずれる重褄
Mar 29, 2010
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前回の朧月の句から2句を、英語のHAIKUにしてみた。 「朧月」の英語表現はいくつか考えられるが、たとえば「a misty moonlit night of spring」とすれば6語になってしまう。春の季語とするためには、「of spring」は必要。そこで「a hazy moon of spring」とした。A hazy moon of spring---There is a maiden who is tellingherself fortune with a flower(In oral Japanese)OborozukiHana de uranauotome ariおぼろづき花で占う女ありA hazy moon of spring---To be secretly in love with eachThey deepen more their shadow(In oral Japanese)OborozukiIsso kage masufutari zure 朧月いっそ影増すふたり連れ
Mar 28, 2010
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物干に取り忘れてかおぼろづき 青穹 おぼろづき坂を降りくる男女哉 朧月いっそ影増すふたり連れ 朧月身寄せ身を泣く水気かな おぼろづき花で占う女あり 影さして立てる障子や朧月 朧月さびしくもある夜更かな
Mar 28, 2010
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たらの芽や摘んで着せかく衣かな 青穹 たらの芽やほろにがき恋乙なこと たらの芽や焼いて味ます恋ごころ たらの芽や衣片敷くほろにがき
Mar 27, 2010
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今朝、訪問看護士が母の状態を診たあと、私の看護日誌を見て必要な箇所を自身の日誌に引き写しながら、「坦々(たんたん)と書いていますね」と言った。 大学ノート1ページに1日当りの記録をつづって、そのノートがすでに3册になる。感情的な事柄などは一切書いていない。 7時頃、朝一番におこなう心臓血管拡張のためのフランドルテープという貼り薬を取り替えて貼ることに始り、検温、血圧計測。次いで湯を沸かして排泄の始末と全身清浄。皮膚の乾燥防止のための軟膏塗布。8時には経管栄養の注入を1時間かけておこない、終了後に血圧コントロールのための3種の混合薬を注入する。その後、胃からの逆流防止のためにベッドを25度~30度傾けた状態で1時間保つ。その間、カテテール排尿のバッグを空にし、病室の清掃と空気の入れ替えをし、10時、午前中の必ずやらなければならない看護をひとまず終了。 次は昼の経管栄養と薬の投与。そして夜、排便の始末と全身清浄。検温、血圧測定。経管栄養と薬の投与。終わると22時である。 ・・・それらひとつひとつの事項の実行を時間とともに記録しているのである。もうすこし詳しく述べると、たとえば経管栄養注入は、「栄養剤液250cc+無脂肪牛乳100cc+スポーツドリンク50cc(400cc)」というふうである。これはカロリーの総量を計算するためと、脱水防止を念頭においての一日の水分摂取量を見るためである。また不定期的におこなっている血液検査の結果と照合しながら、ナトリウムを補ったり、カリウムの摂取を減らしたり、鉄分を増やしたりする目安となる。あるいは、その時々の状態により、栄養を少しだけ入れて薬の投与を先にまわすこともある。・・・そういうことがらを、きわめて無機質に事実だけを記録している。看護記録は思い出のためではないからだ。 というわけで、看護士が「坦々とした」記録と言ったのは、「淡々とした」という意味もふくんでいたかもしれない。 休みはない。私の都合にまかせることはいっさいない。そしてまさに坦々としていること。それが、じつは母の状態が平穏にたもっているというこになる。 しかし、そうだからこそ、私は家人の食事には気をつかってメリハリをつけて美味しくあらねばならないと思っている。 食卓がめっきり春らしくなってきたとは先日も書いた。 今日の夕食はこんな献立だった。 筍炊込み御飯、鰤煮付、タラの芽のてんぷら、ウドの酢味噌和え、海老真薯(えびしんじょ)の清汁。 ウドの穂先きもてんぷらに。海老真薯の清汁は、海老をすり身にして擂った大和芋と混ぜ、塩と味醂を加えて丸めたものを蒸して椀種とし、澄まし汁を注ぎ三つ葉を散らした。 看護のあいまに、1時間ほど近所を自転車で走る。先日のように八百屋で筍をみつけ、タラの芽もみつけた。するとそれらを中心にした献立が思い浮かんで来た。忙しいので買い物はこうしたちょっとした外出時にまとめてしてしまう。1週間分くらいの献立がそのとき出来上るのである。
Mar 26, 2010
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花冷えや傘のしずくの簾越 青穹 花冷えや雨にくずれる重褄 春雨や二日三日で愛想尽き【註】重褄とは、着物の褄を重ねて着ること。
Mar 25, 2010
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春雨や想いに重き旅衣 青穹 春雨に花散る里もありぬらん 涙なら拭えどもただ春の雨 門を出て一寸たたずむ春の雨 ここぞとて若葉鞭打つ春の雨 春雨や駄々こねてから眠る猫 250句目である。めざす1,000句のちょうど4分の1。予定通りというところ。
Mar 24, 2010
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会津若松市に在住の恩師清水和彦先生から恒例の「九条りんご」葉書がとどいた。日本国憲法第2章第9条を守ろうという主旨でつくっておられるリンゴである。80歳になられる先生だが、自分にできることだからと、こうして葉書にしたてられて発送されているのだ。 きょうの葉書には、「3,4月は東京大空襲で、中2で川崎に動員された私は、怯えていました。」とある。 先生は、私の母校会津高等学校(旧制会津中学校)の先輩でもあり、先生の時代と同じ校舎、同じ教室で私も学んだ。先生の中学時代の写真を拝見してそれを知った。その写真に写っていた教室に据え付けられた放送用スピーカーも、私の時代に使用していたものと同じだった。 先生の同級生たちは、戦後から現在まで会をつくって旧交をあたためてこられた。そして1991年に、戦争中の思い出をつづった『戦闘帽の中学生たち』(会津中学五三会文集編集委員会編刊)を発刊した。「3,4月は東京大空襲で、中2で川崎に動員された私は、怯えていました。」と葉書にある、まさにそのことが記録されているのである。 私は先生に本を贈られ、一読して感心したのは、それらの文章がたんなる回想ではなく、当時の日記をもとにしていること、また、巻末には昭和17年(1942)第1学年第1学期から昭和22年第5学年第3学期までの会津中学校の学校行事全記録が付されていることだった。戦時下の学校行事の詳細を知るうえにまことに貴重である。 私は先生にお願いして別に本を送っていただき、先生のお名前で、東京都立中央図書館に寄贈した。国会図書館にも入っている。 「だんだんできることが少なくなっている」と電話でおっしゃる。しかし「9条りんご」は今日も私のもとにとどいた。
Mar 23, 2010
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東京も桜の開花宣言がなされた。例年より6日早く、昨年より1日遅いのだとか。 東京の桜も咲くや連休(やすみ)明け 青穹 私は、桜は好きだ。しかし、「花見」というヤツは、どうも関心が向かない。この年まで、ただの一度もおこなったことがない。「酒は独りで飲むべかりける」という言(げん)に倣えば、「桜は独りで見るべかりける」である。 朝火事のサイレン遠く椿落つ 青穹 蛞蝓(なめくじ)の粘液ひかる落椿 痩せ土に名もなき草の美しき 暖房を切られて猫の困り顔
Mar 23, 2010
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SPRING SKETCHESby Tadami YamadaA plum tree being attached an old bamboo stick aslant is its the old.Wind rages through everyday, I'm bitter against spring for coming late.It is just today that can be called spring! The wind is nice.The scent of plums lingered in the air, I walk slowly naturally.Ask me about spring, I've greeted spring many times already.Ask me about spring, I'll talk about visages that had disappeared like haze.A dog getting drenched in the cold spring rain lost his way, go on to walk.The garden was quite ruined and abandoned. The spring snow mottled on there.A flake of spring snow is the visiter's shoulder.Close the gate. The day is drawing to an end. It's spring cold.I passed by a girl having a pot of safflon in her arms.A spring bird is walking ahead of my steps, like an usher.My shoes are shiny, and tread lightly my own shadow with spring sunshine.Things are beginning to sprout mellowly mellowly in secret.The east wind is blowing, I'll write a short letter!The snake comes out from his own nest hole in spring. This infernal world!A spring egg in my palms, I feel it's warmth, it's life!I slipped on the road with slushy, felt the sole of the foot erotically.The spring storm blew the big tree which has lived through a thousand years.After watching sinful man the god-tree died in the spring storm.Shining warm wind, I polish window panes.Clams cry in a pool after an ebb tide.Picking up wild little flowers, I transplanted them in my garden.Spring glass! It feels soft and tenderly old man's wrinkles.To throw myself down on the spring glass, I dream the altitude of the sky.Peach, japanese magnolia, cherry blossomes are in bloom, and azalea too.
Mar 22, 2010
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春嵐の荒れたる夜の寝覚めかな 青穹 梅の香も薄くなりたる彼岸過ぎ 山寺の築地明るむ黄水仙 桃辛夷まんさく咲いて小手鞠も
Mar 21, 2010
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しばらくぶりの英語俳句。ただし5語7語5語で。以前は日本語でと同じように「音」でつくていたが、これはなかなか難しい。句としての意味を成立させずらいのだ。A crimson camellia comes out!---A little motion of old mother's eyewho is in ill bed(In oral Japanese)Beni tsubakiByouga no haha nome no ugoki紅つばき病臥の母の目のうごきBeing disillusioned from my dreamI begin to walk this delightful world and off to the another(In oral Japanese)Yume sariteShigan- Higan woayumi keri 夢さりて此岸彼岸を歩みけり
Mar 20, 2010
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あくびして春や春やの眠気かな 青穹 黒土の手に温くして菊根分け 春草や老の皺みにやわらかき 草に伏し空の高さを夢みばや
Mar 20, 2010
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きょう3月19日は陰暦2月4日にあたる。307年前のこの日、すなわち1703年2月4日、赤穂浪士の頭領、元赤穂藩家老、大石内蔵助良雄が切腹した。京都祇園の万亭(一力)では長らくこの日に大石良雄の法要を営んできた。大石忌という。法要の後に、名妓による舞が手向けられるならわしである。 浮かれぶし散らす命や大石忌 青穹 姥桜居ならんでおり大石忌 姥桜手向ける舞や大石忌 おすすめの小説をひとつ。400字詰の原稿用紙にして24,5枚のごく短いものながら、端正な文体が私の好むところ。 芥川龍之介『或日の大石内蔵助』 その書き出しの一節・・・ 「立てきった障子にはうららかな日の光がさして、嵯峨たる老木の梅の影が、何間かの明みを、右の端から左の端まで晝の如く鮮に領してゐる。元浅野内匠頭家来、當時細川家に御預り中の大石内蔵助良雄は、その障子を後にして、端然と膝を重ねた儘、さっきから書見に餘念がない。書物は恐らく、細川家の家臣の一人が借してくれた三國志の一冊であらう。・・・」
Mar 19, 2010
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牡丹餅の甘さほどよき彼岸かな 青穹 夢さめて此岸彼岸を歩みけり きょうは彼岸の入り。 牡丹餅(ぼたもち)をつくった。我家では「ぼた餅」とは言わず「おはぎ」という。「おはぎ」は「萩の餅」のことで、「きたまど」とも言う。要するに糯米(もちごめ)と粳米(うるちごめ)を半々に混ぜて炊き、すりつぶして丸め、餡や黄粉や胡麻をまぶしたもの。 「彼岸」の語源は、サンスクリット語の漢字表記「波羅密多(はらみた)」である。もっとも短い仏経典である『般若心経』の冒頭にでてくる。「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五薀皆空一切・・・」と。すなわち「自在に観想したまう菩薩が般若波羅密多の行を深くなさった時に、五薀(ごうん;現象界の色・受・想・行・識)は皆一切が空と悟り・・・」という意味であろう。 「彼岸」は俗世間的には「あの世(死後の世界)」とされているが、この解釈はむしろ日本的といってよいかもしれない。私はこのような二極化した世界観(宇宙観)は好むところではない。 波羅密多やああ波羅密多や波羅密多や 青穹 もちろん芭蕉の「松島や」のパロディである。
Mar 18, 2010
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昨夜遅く、NHK・HIで、まったく遅ればせながらベネット・ミラー監督の劇映画第1回作品『カポーティ』を見た。 アメリカの作家トゥルーマン・カポーティ(1924-1984)が『冷血』を執筆する過程を追っている。カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンが、アカデミー賞主演男優賞を受賞した。この作品はほかにも16に及ぶ外国の映画賞をふくむ賞を受賞して、2005年度の話題をさらった。 脚本が良くできている。ほんの短い台詞やシーンによって、カポーティの人間性が浮き彫りにされるのだ・・・ 処女作『遠い声 遠い部屋』以後、『草の竪琴』『ティファニーで朝食を』ですでに内外で名声をはくし、マスコミの寵児でもあった作家が、実際に起きた残虐な一家殺人事件を取材して、ノンフィクション・ノベルという分野を、高度に文学的に創造するのだが、それはまた精神的にも事件に巻込まれてゆくことであり、小説家としてはその後に新たな作品を創造できなくなってしまう・・・そうした心理的過程が、私にはよく納得できた。そして、カポーティ文学は「孤児の文学」と言われるが、『冷血』もまたそうなのだということを、私はこの映画によって認識を新しくした。 キャンザス州ホルカムという僻村で一家殺人事件が起きたのは1959年11月14日から15日にかけての深夜。カポーティは、11月16日付けの『ニューヨーク・タイムズ』の記事を読んだ直後に、幼馴染みで『アラバマ物語』を書いたハーパー・リーに同行をたのんで事件現場に向った。その時点で、犯人は捕まっていなかった。 やがて二人組の犯人が逮捕され、カポーティは彼等に面会する。そして彼等が絞首刑されるまでを見届ける。 『冷血』執筆には6年間を要した。初版がランダム・ハウス社から刊行され、カポーティは200万ドルを手にしたと言われている。1967,8年当時の日本円に換算すると、約7億2千万円である。 映画の細部について語る余裕がないが、私の手元には『冷血』(1967、新潮社)の翻訳本があり、さきほど蔵書をあちこち調べていたらそれが見つかった。 学生時代に読んだもので、奥付をみると、もう43年経っている。その画像と、ついでだからローレンス・グローベルによるインタヴューをまとめた『カポーティとの対話』(1988、文藝春秋)の画像も掲載しておこう。カポーティはマスコミに出るのが大好きだったので、インタヴュー記事はたくさんある。しかし、この『カポーティとの対話』は最良のものと評価されている。『冷血』執筆についても1章が割かれている。 映画の最後に字幕で、カポーティはこの『冷血』以後完成された作品はないと説明されていた。じつは『叶えられた祈り』というノンフィクション・ノベルを執筆し、部分的に雑誌に発表していたが、完結するにはいたらなかった。しかし一般的には『叶えられた祈り』が遺作とされるようだ。
Mar 17, 2010
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新掘りの筍撫でる男かな 青穹 初物の筍飯や湯気かおる 野の花を掘りて小庭に移しけり 紅つばき病臥の母の目のうごき
Mar 16, 2010
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行きつ戻りつしていた春も、すっかり観念したようだ。 昨日今日、陽気が一気に春めいて、我家の貧弱な小庭もさまざまな花が蕾をつけている。蜀木瓜の朱をおびた濃い紅色の蕾を今朝みつけた。地植のシンビジウムの寒除けの覆いをとると、ここにもすでに蕾が出ていた。雑草のなかのカタバミも小さな花を咲かせた。夏グミも若葉を出した。 昨日は全国にさきがけて福岡で桜が開花したと報じていた。とはいえ、この開花宣言は気象庁などがサンプリングしている所のもの。我家の近所ではこれより早く、すでに桜は咲いていた。・・・と或アパートの前庭に、植栽して何年もたっていないと思われる、細い幹の、こぶりの桜の木がある。この桜は、しかし、毎年いち早く開花する。今日、私はそこを通った。やはり桜は咲いていた。ちらりほらり、という感じではあるが。・・・もう一カ所、ある家の庭の桜がとても早く咲くのだが、今日は行ってみなかった。 そんなわけで、我家の食卓も春めいたものになってきた。 きょうは、昼食には浅蜊でクラムチャウダーをつくり、バゲットとコーヒー。バゲットはドンクのもの。 余談だが、我家の近所でまともなフランスパンが食べられるのはドンクだけ。ほかのベーカリ、たとえばK屋も、Lも、Mも、とてもバゲットと言えたしろものではない。いわゆるモチモチしていて、ほんとに感じが悪い。モチモチしていてはフランスパンとは言えないのだ。みんな旨いもの食べているだろうに、どうしてこんな薄きみ悪い食感をもてはやすのか、ワタシャさっぱり分りまヘン! モチモチは餅だけで結構。 夜は、新筍を買ってきたので、若筍煮にした。まだ小さかったが、私は筍が大好き。 ちなみに夕食のメニューは・・・ 若筍煮、ほうれんそうの白和、沼津弥平の縞ホッケ開き、南瓜の味噌汁、稲荷鮨。 もちろん私が調理した。忙しいのに良くやるワイ、と自画自賛しながら。
Mar 15, 2010
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浅蜊鳴く汐ひきあとの水溜り 青穹 ばらまかれ掘って採られる浅蜊かな 浅蜊剥きチャウダーにする昼餉かな
Mar 15, 2010
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暖かな風も光るや窓みがく 青穹 日曜の珈琲碗も春めきて 猫たちの日を含めける春毛かな
Mar 14, 2010
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客人のやや薄着して春の入り 青穹 脱水に注意する看護春ぬくし 暖かさが本格的になると病臥人の脱水に注意しなければならない。水分を補給し、腎機能が落ちないように一日の排尿量を1,000cc以上に保つこと。(看護日誌より)
Mar 12, 2010
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春嵐や千年の木を斃(たお)しけり 青穹 大銀杏倒れてしのぶ右大臣 八幡の神樹たおれて實朝忌 春嵐や業(ごう)をみて死ぬ神樹哉
Mar 11, 2010
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昨日10日午前4時40分ころ、鎌倉の鶴岡八幡宮の推定樹齢1,000年の大銀杏が、折しも吹いていた風速7~8mの強風によって倒れたという。 同神宮の御神木であり、観光客等にも親しまれて来た。もちろん私も鎌倉散策のたびに見てきた大銀杏だ。 鎌倉幕府3代将軍源實朝が、27歳、右大臣に任ぜられ、承久元年1月27日に鶴岡八幡宮にその拝賀の儀をおこなった帰途、この大銀杏の陰にひそんでいた甥の公暁(くぎょう)によって暗殺された。いわば歴史の証人のような樹木だったわけだ。 じつは、實朝の忌日陰暦1月27日は、2010年の太陽暦換算では明日3月12日にあたる。大銀杏が倒れたことは、まことに偶然ながら、これが鎌倉時代であったならきっと「怨霊」騒動に発展したことだろう。『大銀杏』などと題した能が作られたかもしれない。 源實朝は、歌人でもあった。『金槐和歌集』(別称;鎌倉右大臣和歌集)3巻が伝わっている。 そのなかから・・・ 雨そほ降れる朝勝長寿院の梅所どころ咲きたるをみて花にむすひつけし歌 古寺の朽ち木の梅も春雨に そほちて花そほころひにける 鶴岡の別当僧都の許に雪のふれりし朝よみてつかはす歌 鶴の岡あふきて見れは峰の松 梢はるかに雪そつもれる
Mar 11, 2010
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雪置いて数を増したる梅の花 青穹 淡雪に猫のあしあと梅のはな
Mar 10, 2010
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白無垢も一夜かぎりや春の雪 青穹 音たてて屋根滑り落つ春の雪 箒もて掃けばぬかるむ春の雪 春雪の溶けて流るる音たかし 春泥や靴あとをはや崩しけり 春泥に滑り蹠(あなうら)のエロス
Mar 10, 2010
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日本列島、広い範囲で雪が降ったようだ。東京は、都心も、我家のある西部も降った。午後10時過ぎ、窓から覗くと、塀の上には3cmほど積り、玄関前から門にいたる石畳も一面に白い。 降り始めたころ、障子戸を開けて、ベッドの母に雪を見せた。「雪が降ってきたよ。春だというのに」と言うと、枕にのせた頭をねじってじっとみていたが、「もったいないねー」と言った。何がもったいないと思ったのか。たぶん、いよいよ春到来と思ったやさきに、寒さも寒く雪が降ったので、「もったいない」と思ったのかもしれない。「雪国に生まれ育った人には、こんな雪は雪とも思えないでしょう?」「フフフ」と、母は笑った。 春の雪そこそこ愛でる病臥かな 青穹 飛石に一寸積る春の雪
Mar 9, 2010
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昼間、NHK・BS2が連日イングマール・ベルイマンの作品を放映している。私は見たいのだけれど満足な時間がとれない。今日は『野いちご』、昨日は『夏の夜は三たび微笑む』だった。どちらも後半部分をちらりと横目で見ただけ。『野いちご』はDVDを持っているし、たしかこのブログにも作品について書いた憶えがある。 さて、ちらりと見ただけの『夏の夜は三たび微笑む』だが、北欧の夏のあわい光を美しく撮っていることについては今さら言うつもりはない。ただ、これはずいぶんめずらしい映像だと思ったシーンがあるので、そのことを述べておこう。 伯爵邸での晩餐のシーン。すでに食事はすみ、庭の四阿(あずまや)でコーヒーを飲もうと、一堂が席を立ってゆく。・・・この晩餐のテーブルには燭台に蝋燭のあかりが灯され、またシャンデリアにも蝋燭が灯されている。しかし蝋燭はほとんど燃え尽きんばかりに短くなっている。そして、燭台にもシャンデリアにもまるで氷柱(つらら)のように蝋涙がしたたって固まっているのである。 私が「めずらしい」と言ったのは、その蝋涙のこと。ちょっとやそっとの量ではない。燭台やシャンデリアを覆ってしまいそうなほどの蝋のしたたりなのだ。ゆったりした晩餐の時間が流れ、そして終わったことがその蝋涙で一目瞭然である。 じつは蝋燭のあかりを使っているかぎり当然の光景なのだが、私はかつて映画作品のなかでそのようなおびただしい蝋涙を映しだしているのを見たことがない。 この光景は、たんに時間を表現しているばかりではない。物語とは関係のない伯爵邸の召使たちの仕事の一端が想像できるのである。召使たちは、晩餐後に、この厖大な量の蝋涙を燭台から剥ぎ取り、銀製の燭台をピカピカに磨きあげているわけだ。 おもしろいなー。まさに映画芸術の特徴が、ここにあらわれている。時間軸にそった物語の構造にふくらみがでてくる。 そして、考えてもごらんなさい。その蝋涙のこびりついた燭台やシャンデリアを、美術担当者が丁寧に造りあげているのだということを。映画美術万歳!である。
Mar 9, 2010
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なんだか気忙しい一日だった。そんななか、夕方近くになって近所の自転車屋へ出かけた。3,4日前、自転車を引出したところ前輪がパンクしていた。原因は不明のまま、その後は雨がつづいたので、今日になって修理に持って行ったのだ。 販売と修理を兼ねて2人いたはずなのに、ひとりが辞めてしまったとかで、店は忙しそうだった。春先のいま、自転車がよく売れるのだという。サイクリングに気持のよい季節到来とういことと、新学年が始り、登校に自転車を使おうと考えるひとたちがいるのだそうだ。たしかに、見てるあいだに2台3台と新車が売れ、修理を待つ自転車も私の前に3台。 午後6時までに修理しておくというので、私は1時間半ほどそこらをブラブラしたりコーヒーを飲んだりして過した。6時に再び店にゆくと、私の自転車は前輪を取り外したままの状態で、メカニクは新車を買う客の相手に余念がない。私の顔を見て、「もう少し時間をください。調子の悪いところは全部調べて直しました。あとは前輪を取り付けるだけです。代金はパンク修理の分だけにいたしますので・・・」 母の看護は家人に託してあるので、「ああ、いいです、いいです」と言って、・・・しかし、じつはそれから2時間待たされることになったのだが・・・、私は火災報知器を見に行った。この3月31日を期限として東京都は各住宅の全室に火災報知器を設置することが義務付けられている。家を出てくるときにそのことを家人に指摘されたので、ついでに買ってしまおうと思ったのだ。 さいわい出向いた店で、条例による期限がもう20日そこそこに迫っていることと決算期が重なって、火災報知器のディスカウントをしていた。かなりの割安である。我家の場合、最低で6個は必要なので、まともな価格で買っていては大変。商品の在庫も店頭にあるだけというので、取り付けは自分でやることにして(その費用だけで店の言い分だと1個につき3,000円)、とにかく最低限必要な個数を買った。 そういえば、昨日のこと、眠っていると思った母が、私を呼んだ。「なに?」と聞くと、「どこかで火が燃えていない?」という。 低い音で「コーコーコー」と鳴り響いていて、それが聞きようによっては火が燃えているような音に似ている。じつは母の酸素吸入のための室内酸素濃縮機の作動している音なのだ。室内の空気を取り込んで、窒素や水分を分離して濃縮酸素をつくりだす装置である。 私の説明に母はうなづき、「ああ、びっくりした」と言った。寝たきり状態の人の心のなかにある不安感、・・・何事か危急な災害にみまわれたときに、自分は救からないのではないかという不安が、無意識のうちに常にあるのであろう。 「だあいじょうぶ、心配しないでね。いつもそばについているからね」と私は言い、「ありがとう」と母は言ったのだった。
Mar 8, 2010
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降りやまずわが靴先の春の泥 青穹 春雨や傘立てかけて昨日今日
Mar 7, 2010
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春たまご手に温うして命かな 青穹山田維史《地球の子供》 油彩 2007年福島県会津若松市 清水和彦夫妻蔵
Mar 6, 2010
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「焼野の雉子、夜の鶴」という言葉がある。わが子のためには命を忘れる親の愛情の深さのたとえである。松尾芭蕉にこんな句がある。 父母のしきりに恋し雉子の声 芭蕉 「雉子(きじ)」が季語。春の句である。 「蛇穴を出る」という春の季語もある。そこで私のきょうの一句。 蛇穴を出てこの世の地獄かな 青穹 「お水をください」「御飯をください」と親に哀願しながら死んでいった幼子がいるという。
Mar 5, 2010
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バンクーヴァー五輪閉会後の記事に埋もれがちだったが、気に留めた新聞記事が2件ある。忘れないようにここにメモしておく。1)DNA研究の成果はめざましいが、その情報によってこれまでの植物分類体系を改めなければならなくなっているという。(朝日新聞 3月2日朝刊) カール・フォン・リンネ(1707-1778)の著わした『自然の体系』(1735)によって学問的に整合され、生物全般を、属・科という階層構造として位置付けるようになった。その後、チャールズ・ダーウィンの『進化論』によって、リンネ方式に生物進化の過程を反映させた、類縁関係をもとにした系統分類法が定着し、この考え方が現在までつづいてきた。 しかしDNAの変異差から類縁関係がより精密につかめるようになって、被子植物では1993年に初めてDNAに基づく分子系統樹が発表された。さらに1998年に、欧米でこれらの情報を集約して分類体系をまとめあげた。 ・・・まだ研究者によって用語のちがいなどがあるが、これが国際標準になってゆくだろう、と。 以上のことが、実際に植物図鑑にどのように反映されるか。身近なところでは、カエデ科やトチノキ科がなくなりムクロジ科に統一。スギ科もなくなりヒノキ科に。アジサイはユキノシタ科とされてきたが、独立したアジサイ科がうまれた。我家の小庭にもあるムラサキシキブはクマツヅラ科からシソ科に変更。等々。 私の愛書である『牧野日本植物図鑑』も役に立たなくなるわけだ・・・2)南米チリの大地震(M8.8)によって、地球の形がわずかに変わり、地軸が傾いたために自転が速まり、一日の長さが100万分の1.26秒短くなった計算になる、と米航空宇宙局ジェット推進研究所(NASAJPL)が発表した。(朝日新聞 3月3日夕刊)
Mar 4, 2010
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三月三日、ひな祭り。 訪問入浴のスタッフが、ベッドの母に折り紙の内裏雛をプレゼントしてくれた。「きょうは御雛祭ですよ」と。 「ありがと」と毋は嬉しそうに笑った。 それからスタッフは、透明な小袋に入った桃の花色の固まりを見せて、「入浴剤もいれますね」。 ・・・というわけで、母は花の香につつまれての入浴だった。 スタッフのいつもながらの細やかな配慮に感謝。 紙雛や三角顔で威儀ただし 青穹 紙雛も引き目かぎ鼻古典顔 九十の齢かさねてひな祭る
Mar 3, 2010
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ものの芽やほぐれほぐれて人知れず 青穹 東風(こち)吹いて短きふみをおくる哉
Mar 2, 2010
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小畠にも葱の白緑(びゃくろく)老爺植ゆ 青穹 葱青(そうせい)の九寸うるわし春の畠 葱管(つつ)や白緑の五鈷ならび立ち 葱畠の畔(くろ)に踏んばる老爺かな
Mar 1, 2010
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自作の俳句を編集して2册の手作り句集をつくった。 『青穹句集』と題したものには、2007年とそれ以前の作、俳句267句に附録として短歌48首を収めた。『青穹三百十五句』には2008年作を収めた。収録数が両者ともに315というのはまったくの偶然である。扉、中扉、見開き本文、遊び紙、あわせて70ページの冊子となった。 今年は1,000句つくるつもりなので、約210ページの冊子ができる予定だ。
Mar 1, 2010
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