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昇龍やさらば五月よ水青し 青穹 白妙の雲居にまごう花水木 熟れ茱萸や落ちて果肉を散らしける 古傷を薔薇でたどれば五月行く 花いばら面影立つや唇のへに 皐月空きょうの雲居の軍用機 軍用機また軍用機五月逝く
May 31, 2010
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きょうは毎年春秋恒例の町内清掃の日。朝9時から1時間ほどで終了。各家でほとんど毎日のように自宅前の街路を掃除しているので、一斉清掃といってもたいしたことではない。 しかし、我家はこのような、いわばよんどころないスケジュールが入ると、老母の看護の朝のスケジュールが詰まっているのでやりくりが大変。危険を回避するために目を離せない事もおこなっているからだ。看護しなければならない人がいる他のお宅でも同じであろう。 母が腹部大動脈瘤にステントグラフト(人工血管)を移植して、来月で1年になる。1年目の検査をしなければならないが、ともかくも安定した状態にあると医者にいわれている今日この頃である。もっとも医者は、すぐそのあとに、「爆弾を抱えていますが・・・」と付け加えることを忘れない。血圧の急激な変動で、動脈解離(血管が裂ける)が再発するおそれがつきまとっているからである。 一方で、先日も訪問看護士にほめられたばかりだ。看護士が安心してまかせていられるほど、家族による日常の看護がみごとにおこなわれている、と。排便処理などに、画期的ともいえる独自の工夫がなされているとも。・・・そうだとしたら、嬉しいかぎりだ。毎日の観察にもとずく工夫をつみかさねて、手早く仕事をするシステムができあがっている。出口がないことだけに、毎日毎日の看護のなかにストレスを感じないようにすることが大切になってくる。そのためには、仕事を手早く美しくおえることだ。そう、私は思っている。これは、絵を描く過程となんらかわらないのである。
May 30, 2010
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口笛が途切れて聞こゆ皐月雨 青穹 五月雨や会わざるべきか会うべきか
May 29, 2010
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豌豆の莢が弾けて翡翠かな 青穹 豆飯や残り三日の五月かな 小畠に豌豆植えし八総の日 思出に豌豆の花枯れずあり
May 28, 2010
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白黒の雲いれかわり皐月雨 青穹 青空を雨雲押すや夏相撲 五月雨や連打のリズムつづきけり 雨よけて蟻が列なす夏木立 夏茱萸やそろそろ火入る小提灯
May 27, 2010
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言の葉も風にゆらぎて根切蟲 青穹 山鳩や現の證據の煎じ薬【註】「現の證據(げんのしょうこ)」;周知の薬草である。古来、下痢止めに用いられた。葉や茎を陰干しにし、煎じて呑む。呑むとすぐ効くことから、「現の證據」、あるいは「いしゃいらず」とも言う。呑み過ぎても便秘や下痢などの副作用がなく、すぐれた健胃整腸剤。 フウロソウ科フウロ属、ゲンノショウコ、(和名)現の證據。 ことしに入って430、431句目の拙作俳句。ちょいと諧謔をこめてみた。季語は「根切蟲」と「現の證據」
May 25, 2010
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濃さ増して若葉といえぬ昨日今日 青穹 柿葉叢あめのしずくを染めてあり
May 24, 2010
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雨音は絶えず夏書(げがき)の墨の香や 青穹 心経の一文字にじむさつき雨 皐月あめ老母に着せる衣かな【註】夏書(げがき);僧が安居(あんご)の行法を修している期間(陰暦4月16日~7月15日)、俗家でも経文を唱えたり書写したりする。それを夏書という。
May 23, 2010
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種蒔きし鉢に卯の花腐(くだ)しかな 青穹 茱萸いまだ青く卯の花腐しかな 荒れ庭に色をかえゆく花うつぎ
May 22, 2010
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雨があがったと思ったら、今日の東京は、夏をおもわせる暑さとなった。 我家の裏山を二階の窓からのぞむと、山頂のうっそうとした葉叢はゆるやかに動いてい、少しは風が吹いていることがわかる。しかし、この二階の部屋まではとどかぬ。きのうまでの雨に濡れた地面から、温気がたちのぼり、じっとりとした暑さだ。顔と眼鏡との間にモ~ッとした熱がたまる。いや、暑い暑い。 こういう日の在宅看護は、脱水症状がおこらないように、注意がたいへんだ。機能が低下しているから、健常者にくらべて比較にならないほどたちまち脱水がおこるのである。さいわい老母の状態は安定している。が、訪問医師や看護士の寄せる情報は、この3月以来、たくさんの方々が脱水症状で入院しているとのことだ。【脱水を予防するための看護の注意点】 1)検温を日に何度かおこなって、熱がこもっていないかどうかチェックすること(記録しておくとよい)。 2)血圧も測定すること。普段より低目だと、暑さのために血管が太くなっている可能性がある。医師と相談すること。 3)汗をかいていないか、不汗蒸散(汗をかいていないように見えながら、実は水分が蒸発している状態)していないかどうかを注意して観察する。 4)小便がたくさん出ているかどうか(少なくとも一日1,000cc(ml)は必要。成人男性なら1,500ccくらいがのぞましい)・・・これは腎機能が低下していないかどうかの重要な目安。 5)下痢がつづいていないかどうか。 6)聴診器があれば(常備しておくと大変役立つ)、心音や肺音(正常な肺は、雑音がなく、スースーと風船がふくらんだり凋んだりするような音がする)を確認する。 7)白湯など、できるだけ水分を多めに与える(嚥下機能が低下している場合は、特に、誤嚥に注意。一回一回飲み込みを確認しながら、ゆっくり、少しづつ飲ませる。ゼリー状の飲料水もある)。 なお、与えた食物量や飲料など、薬のための飲み水も含めて、また、一日の小便の量や大便の状態もいっしょに、すべて日記のように記録しておくと、脱水かどうかのプラス・マイナスのバランスを客観的に把握しやすい。医師や看護士にとってもたいへん良い参考になる。記録は、たとえば、「薬+水 30cc(ml)」というふうに。スポーツ・ドリンクのような飲料水でも、むやみに飲ませるのではなく、吸呑などで測って与えるとよい。
May 21, 2010
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皐月雨やめば重たき長靴(ブーツ)かな 青穹 花よりも青葉繁れる半ばすぎ 風吹いて残り少なの花の香や 空落ちて五月碧瓷(へきし)を壊しけり
May 20, 2010
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五月雨やおわりし花を摘みにけり 青穹 五月雨や白檀燻ゆる病間かな 蔭落ちて白き雨ふるさつきかな
May 19, 2010
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思い出はアカシヤの花汝が刺よ 青穹 アカシヤに寄りて文をば読みにけり 針槐(はりえんじゅ)愛でて灯りを消しにけり
May 18, 2010
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薄手碗替えてとろとろ新茶かな 青穹 あおばずく青葉籠れる昼寝かな 草笛や吹きて子供に還りなん
May 17, 2010
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きじばとや青葉繁れる背戸の山 青穹 いずこにて子雀待つや麦熟れる たまさかの休みと見れば風光る 風光り雲また光る夏近し 茄子苗や移し植えたか畔の籠 蚕豆(そらまめ)の翠や画布に並べ見ん
May 16, 2010
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浅草三社祭り 荒事も江戸の華なり三社祭 青穹 掛け声がなだれ出て行く雷門 揉みおうて玉の汗散る御参道 浅草に怒濤逆巻く夏祭り 締込みの荒若衆や三社祭 仲見世をいなせに抜ける法被哉 香煙を身に降りかける祭り客 御旅所に長老つどう茶碗酒 祭酒かしこまりたる若衆かな 褌を新妻に照れる祭笛
May 15, 2010
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楽天ブログは機能がよく考えられていてとても使いやすい、と私は思っている。ただうんざりするのはスタッフの言葉の感覚だ。 以前にも疑問を呈したが、子供服のブランド銘“STARVATION”。推測するに、たぶん日本語で子供のことを「餓鬼」などと言うので、それをそのまま英語辞書でも引いて“STARVATION”としたのだろうが、逆にSTARVATIONには「子供」という意味はないのだ。STARVATIONは、あくまでも「飢餓」「餓死」「窮乏」である。よしんばStarvation kidsとしたところで、それは事実として飢餓状態にある子供である。日本の品の悪い親や大人たちが、子供をつかまえて餓鬼よばわりするような意味はまったくない。 さて、それに加えて、もうだいぶん前から、トップページのブログタイトルの右下あたりに「このブログを購読する」というアイテムが出るようになった。またもや言葉の誤使用。「購読」とは、金を支払って、つまり買って読むことである。お気に入りとして常時読みたいがためにブックマークするというのとは違う。そんな意味は「購読」にはない。言わなくてもいいはずのことを言うが、「購」は「あがなう」と読み、「買う」ことだ。 もっとも、この「購読」という言葉の誤使用は、楽天ブログに限ったことではなく、たとえば私が使用しているMacのツールにもある。その他、笑うより仕方がなくなってしまうのが、フリーペーパーにわざわざ「購読します」などとチェック欄があるものにでくわすことがある。フリーペーパー、すなわちFree paperのフリーは、無料という意味。そんなことお分かりでしょう? その無料の印刷物を「購読」するとは、どういうことかね。無料のものをわざわざ金を払って買うバカがいるのかね。 インターネットはグローバル(地球的規模)のメディアなのは、楽天スタッフはよくよく承知のはず。それで商売をしているのだから。それだったら、もっときちっとした言葉を使ってほしいものだ。楽天ブログは無料、それこそフリーで提供しているのだから何をやってもいいわけではあるまい。しかもブログパーツは、使用者が削除できないのだから、言葉の誤使用の「恥じ」は、使用者もかぶっているのです。
May 14, 2010
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当麻寺練供養を想いて そよかぜや無量寿願いて練供養 青穹 五月晴れ吾が生を享くこの日哉
May 14, 2010
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昨日の日記で会津若松市の鶴ヵ城天守閣改修工事について書いた。再建50周年にむけての企画だという。 ところで、私が同市に在住した当初、昭和33年頃は城中本丸はそっくり競輪の擂り鉢状のリンクとして埋め立てられていた。この事実を知っている市民は、63,4歳以上の人であろう。というのは、間もなく競輪場の移転と取り壊しがはじまって、昭和35年(1960)に往時の本丸の形状に復旧したからだ。私にとって懐かしいのはこの復旧後の城中である。このときをもって「再建」とするなら今年が50周年になる。天守閣の再建落成は昭和40年(1965)であるから、そこを50周年とするなら2015年がその年だ。 私は昭和39年4月に、大学入学とともに東京に移住したので、再建天守閣は私の「青春の城」としての思い出はない。むしろ当時は「不粋なものを建てたものだ」と思っていた。 しかし、私の青春と再建天守閣がまるっきり断絶しているかというと、そうでもなくて、揺れ動きさまよい歩いていたまさに青春の情動の記念碑のように思い出のなかに浮かんで来るのだ。 私は天守閣が落成した直後の昭和40年9月に、当時北海道に住まいしていた両親のもとから東京に帰る途中、列車を遠回りして、会津若松市に立ち寄ったのだった。・・・このブログを書くにあたって、ふと思い立って当時の日記を資料箱のなかから探し出した。たしかその日のことを書きとめていたはずだと。 9月4日のことだと分った。いまその19歳の日記のくだりを引き写してみよう。《 その時稲妻が光って、雷鳴があった。雨が降るかも知れない。一瞬、紫色の火花が行手を明るくして閃いた。 上野行準急行〈ひばら〉は、22時47分に会津若松を発つ。それまで3時間近くある。 ぼくは二つのスーツ・ケースを一時預り所に置いて、駅前よりタクシーに乗る。 「どちらまでですか?」 「え、そうですね、鶴が城の西出丸まで・・・」 何処という当てもなく、不意に口をついて出たことばであった。と、フロント・ガラスに幾筋か雨がぶつかって流れた。 雨が降って来たな、とぼくは思った。車を止めて、傘を持って来ようかっしら。いや、面倒なことだ。 雨はひどく降って来た。ワイパーが動きだした。まだ8時だというのに、商店街は店の戸を立てはじめ、人通りは少ない。街路灯の明りが、ちらちらとシマ模様になって車の中に入って来た。運転手の肩やぼくの膝をぼんやり照らした。 このひどい雨の中を、城に行ってどうしようと云うのだろう? ぼくは自分に問いかけてみた。が、ぼくは、黙って前方を見たきりだった。 車は石の砦に突っ込んで行った。ヘッド・ライトが前方を一瞬間照らし、車はカーブする。突然、暗闇の中に、頬をよせあった男と女が浮かび出る。彼等は、男の上着を頭からかぶって雨をふせいでいる。車はその傍で停車した。 160円を払うと、ぼくは一目散に本丸への坂を駆け出した。雷鳴がとどろいて、火花が散る。杉の大樹が、うっそうと出現する。 ぼくは雨にうたれながら、天守閣を見上げた。稲妻が光るたびに、暗黒の中から紫をおびた天守が浮かび上がるのだ。ぼくの心に寂しい感動がわいた。電灯がついているのではない、ぼくひとりだけの暗闇である。ぼくは、ずぶ濡れになっていた。 城内の稲荷神社の石段を駆け上がった。靴音が奇妙に反響した。雨宿りにはならないが、社の屋根廂の下にいた。そこは、蛍光灯がひとつ、辺りを明るくしている。 小さな狐の彫り物があり、油揚が山盛りになって、それが雨に濡れ蛍光灯の光の中にある。ここから天守の紫に閃くのを眺めることが出来る。 雨は止みそうにない。ぼくは暫く佇んでいる。 再び駆け出し、ちょうど店をしまいかけている小さな菓子屋にとび込んだ。 「電話をおかりします」 「どうぞ」と、高校生らしい少年が云う。 「タクシーは何番でしょうか?」 「ええと、ここに・・・」 ぼくは10円硬貨を入れ、ダイヤルを回す。 「小型をお願い出来ますか?」 「・・・申訳ございません、全部出ているのです」 「中型もないですか?」 「・・・何もないんです」 ぼくは別の番号を探す。と、電灯が消え、文字が消失してしまった。 「停電だ。あんちゃん、早く明り!」と、少女の声。 「懐中電灯はどこだ!」 ぼくは稲妻の光で、文字を一字一字読み取る。手探りでダイヤルを回す。 「車、お願いっしたいのですが、ありますか?」 「どちらです?」 「会津若松駅まで。鶴が城西出丸にいます」 「お待ちになっていただけますか。予約がありまして、それからでないと・・・」 「ええ、いいですよ。何分ぐらいでしょう」 「・・・そうですね」 暫くして、「そちらの方面に出ていますから、拾ったほうが早いですよ」 「そうですか、待つのは時間がかかるのですね?」 「拾ったほうが、早いですよ」 同じ言葉をくり返す。 雨は止みそうにない。 間もなく車が来る。手をあげる。 が、先客があった。ふと見ると、先程の男女だ。男が乗込み、つづいて女が乗る。車は走り去る。 俺も、酔狂なことをしたものだ、と思う。ズボンがぴたりと腿にはりつく。 車が来る。手をあげる。止まる。 駅。一時預り所。 「すみません。荷物を出してください。服を取り替えたいのです」 ぼくはその場で、シャツ、ズボン、上着、靴下と、文字通り上から下まで着替える。・・・》 この日、1965年9月4日以後、私は天守閣も鶴が城も見ることなく過ぎる。ふたたび見に出かけたのは2005年7月のこと。ちょうど40年ぶりだった。そのことは当時のブログに書いた。城はもう私の思い出にある「青春の城」とは無縁の姿をしていた。
May 13, 2010
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会津若松市の「鶴が城」が、この3月から来年3月までの予定で、天守閣の屋根瓦改修工事をしている。5年後の天守閣再建50周年に向けて、現在の黒瓦葺きを本来の赤瓦に改めようということらしい。竣工成れば、ずいぶん印象がちがってくるだろう。 工事期間中も天守閣の内部(博物館)は公開しているそうだ。この工事の様子は、定時ライブカメラによってインターネットで見ることができる。ただし解像度がきわめて低いのが残念。http://www.tsurugajo.com/cam/「鶴が城」は桜の名所でもある。もう花の時期はすぎたであろうが、城内のいたるところが桜でいっぱいになる。ソメイヨシノ、八重桜、コヒガンザクラが、じつに見事。全国桜100選に入っている。 しかし、この桜、江戸・幕末期の往時の姿ではなく、明治21年に若松に陸軍聯隊が設置されたときに植樹された。コヒガンザクラは長野県伊那市高遠町から寄贈されたもの。 高遠町は会津松平家の祖・保科正之にゆかりがある。 保科正之は3代将軍徳川家光の異母弟であるが(・・・家光が弟の存在を知ったのは後のことであるが)、江戸城内に迎えられることなく、7歳(1617)のときに譜代の信州高遠藩保科家に迎えられ、以後、高遠城で成育した。1631年に養父保科肥後守正光の死去により高遠藩3万石を相続した。高遠藩は2万5千石であったが、正之の実父将軍秀忠が養育費として5千石加増していたのである。 保科正之が高遠城に在ったのは1617から1636年まで。そのうち藩主だったのは5年間で、その後は山形に移封されるのだが、会津松平家臣団が「高遠以来」と称されるように、保科正之は自分を育ててくれた高遠には特別な思いがあったのである。 会津に転封になったのは寛永20年(1643)。将軍家光の命により会津松平姓をたまわったのは9年後である。もちろんすでに家光は異母弟の存在を知り(その時期は確定的ではないが、家光が将軍となり正之も肥後守に任ぜられて以後のことといわれている)、その頭脳明晰を愛でて江戸城内で自らの補佐役として重用した。 鶴が城は、これよりさき当時の藩主加藤嘉明が天守閣を5層にするなどして1639年には現在見られるような結構になっていた。この城が、幕末の戊辰戦争で破れて開城し、明治7年に取り壊されるのである。 以上のようなことを私がくだくだ述べる必要もない。 こんなことを書く気になったのは、城の改修工事を知ったためと、もうひとつ、楽天ブログ「山野草 則利写真館」に高遠町の写真が連続掲載されているのを見たからである。則利氏は高遠町にお住まいのようだ。http://plaza.rakuten.co.jp/noritoshisan/
May 12, 2010
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悲しみを何と得言わず五月闇 青穹 受話器置きそぼ降る雨や柿若葉
May 11, 2010
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きょう4月10日は、二葉亭四迷が亡くなった日である。俳句の世界では「四迷忌」として季語になっている。 日本文学史では小説『浮雲』(明治20年)を書き、言文一致体の嚆矢として、また心理描写の巧みなことでしられる。作品は他に『平凡』『其面影』がある。ロシア語に堪能で、ツルゲーネフをいち早く日本に翻訳紹介もしている。なかでも『あいびき』は名訳といわれている。 明治41年にロシアに赴いたが、病を得、やむなく帰国の途につき、インド洋上の船中で死んだ。享年48歳。墓碑はシンガポールにある。 昔の俳人の句に、 四迷忌や明治の古き墓多し 颯爽兒 この俳人にとってもすでに明治は遠かったのであろう。ましてや現代の若い人たちが二葉亭四迷を読むかどうか。いやいや、じつは「四迷忌」で一句詠もうと思ったのだが、私の心からも遠過ぎた。邪心はいけません。
May 10, 2010
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母の日や祝いに代える看護かな 青穹 耳元で呼びかけてみる母の日や 母の日や九十一に一ヵ月 執着を断ってこの世に松落葉
May 9, 2010
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女優の北林谷栄さんが4月27日に98歳で亡くなられたという。けだし一代の名女優。 私が北林さんをはっきり意識したのは、11歳か12歳のころ。市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』(1956年)が初めだった。北林さんは、捕虜収容所に物売りにくる老女を演じていた。日本兵たちがオウムに「水島! 一緒に日本へ帰ろうよ!」という言葉をおぼえさせ、水島らしきビルマ僧にわたしてくれと託されるのだった。 次は今井正監督の『キクとイサム』(1959年)における混血姉弟を育てる老農婦。この農婦はたしか会津の人だったと記憶する。今村昌平監督の『にあんちゃん』も同じ年。 私が『ビルマの竪琴』を観たのも『キクとイサム』や『にあんちゃん』を観たのも、会津の八総鉱山に住んでいたときである。そしてその3、4年後、たしか1963年、私は会津若松市の市民会館で、北林谷栄さんの代表的舞台『泰山木の木の下で』を観ている。北林さんは、原爆後遺症を恐れる妊婦を堕胎させる産婆ハナを演じた。 北林さんは若い時から老婆を演じて定評があった。ずいぶん昔、テレビの「徹子の部屋」に出演されたとき、老婆役のための古い半纏や着物、あるいは眼鏡などを数多くコレクションしていると話しておられた。老人の血管が浮き出た手を、輪ゴムできつく手首を縛って表現したという話もどこかで聞いたおぼえがある。 私は、芸術的な「表現」の奥義を、いろいろなところで学んできたが、北林谷栄さんも私淑する先生のひとりであった。御冥福を祈る。折しも泰山木の花が咲く季節である。 女優逝き泰山木の花白し 青穹 夏めくや畳に白き陽の光 家中の窓あけ放ちたり柿若葉
May 8, 2010
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むらさきの星を戴く鐵線花 青穹 閉じられし君が窓辺や鐵線花 鐵線花他生の縁にからみつき
May 7, 2010
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花の種をプレゼントされた。アスターとバジル。さっそくプランターに蒔いた。 バジルはこれからの季節、冷製パスタに欠かせないので、発芽が楽しみ。【冷製パスタ・バジルソースのつくりかた】 パスタを茹でている間に、オリーブオイルを温めてニンニクで香りつけし、刻んだトマトと塩適宜を加えてソースをつくる。茹であがったパスタを手早く冷水で冷やし(ここでグチャグチャ揉み洗いしたり掻き回したりしないこと)、ソースを絡め(このときパスタの茹で汁を少し加える)、刻んだバジルをたっぷり散らし、パルメザン・チーズをかけて食べる。 パスタ料理は時間の勝負、手早くつくり、すぐに食べることが肝心。夏の昼食にいかが。パスタ好きには、たまらない逸品になること請け合い。
May 6, 2010
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枯死せりと思いし薔薇に新芽かな 青穹 薬の日や薔薇の褥に寝せたもう 薬摘む往時をしのび看護かな 子供の日暮れてようやく休みなり 矢車や黄金週間過ぎにけり【註】「薬摘む」とは、昔、五月五日に野にでかけて薬草を摘む習慣があり、「薬の日」と称した。 蕪村に次の句がある。私の好きな句である。 薬園に雨降る五月五日かな 蕪村
May 5, 2010
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3年前に病気のため全滅した庭の2種類の蔓薔薇は、その後、枝を払い、根を掘り起して捨てたのだが、大輪の花をつける種類は、一番太い幹のものは末の枝を払っただけで根を掘り起すのが面倒になって、そのまま放置しておいた。もう一種類の、赤い小振りの花を秋口まで次々にたくさん咲かせていたほうは、先端のひと枝を挿し木した。挿し木したほうは、枯れはしないが、芽を出しても成育せず、むろん花などつけることもなく3年経った。 今朝、庭掃除をし、ほったらかしにしておいた枯れ薔薇も、根を掘り起して捨てようとした。あたりの薮を切り払って、鋸で薔薇の太い幹を伐ろうとし、ふと見ると、なんと活き活きとした立派な芽が枯れた幹から出ているではないか。幹を上方へたどってゆくと、ごく小さなものも含めて全部で四つの芽が出ていた。 病気を克服したのか!、と驚いた。ところどころに残っている枝は、やはり枯れて、ポキリと折れてしまう。しかし、部分的には生きているのだ。私はあわてて伐り倒すのも根を掘り起すのもやめた。枯れている枝だけを整理し、親木の根元に活性肥料をほどこした。 この薔薇は、亡くなった父の病床から見え、薔薇が咲くのを楽しみにしていた。亡くなった年は、そのころ元気だった母が、「もう少しで薔薇が咲く」と、父に見せるのを心待ちにしていた。しかし、花が咲く前に、父は亡くなった。・・・たぶんそういうあわただしさのためだっただろう、薔薇の手入れをできずに年は暮れて、翌年あたりから薔薇は勢いを失いはじめた。気付いて薬剤散布をしたのだが、高くおおきく茂った蔓薔薇の全体を手当てすることができないまま、やがて全滅してしまったのだった。 それから3年が経っていた。まさか生きていたとは・・・病気を克服して、新しい立派な芽を出し、若葉をひらこうとしているとは、思いもしなかった。 「薔薇が生きていた!」と、私は家人に言った。
May 4, 2010
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此処其処に男児うまれて初幟 青穹 やわらかに楓若葉の重なりて 風匂う林檎の花の白さかな 緋牡丹やどきっとさせる咲きっぷり 飛魚ややれ男根の重きこと
May 3, 2010
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老母のリハビリに役立てるため、縁先に花の鉢を置くことにした。そのための花を園芸店に買いに行く。 アステリスカス(ゴールドコイン)、ダイアンサス(バナーシェピンクシェード)、マリーゴールド、ガザニア、スカピオサ(松虫草:ピンク)、ロベリア、八重咲きペチュニア・・・その他その他を寄せ植えにしたり単品植えにして、大きな鉢を五つ作った。これらの花々が母の感覚をひらかせることを願って・・・。 黙々と鉢をつくるも夏花(げばな)かな 青穹 衰微せし感覚ひらく夏花かな 苗背負い媼見得きる花の市 風薫る野球少年の薄き髭【註】「夏花(げばな)」とは、仏僧が陰暦4月16日から7月15日まで一室に籠って行法を修する、いわゆる安居(あんご)の期間、一般の俗家でも花を供えて祖先や有縁無縁の諸仏を供養する、その花を「夏花」という。安居は、釈尊が母である摩耶夫人(まやぶにん)のために報恩経を説いたことに起源をもつといわれる。
May 2, 2010
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高層の窓に居並ぶ五月鯉 今日こそと冬物しまい更衣 薫風や吹いて新樹の色を変え 在りてこそ誕生月のエメラルド
May 1, 2010
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