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アンドレ・ジィドの『日記』や『一粒の麦もし死なずば』等々の作中に、自分が書いて差し出した手紙が、捨てられたり、焼却されてしまったことに対する、憤りにも似た怨みごとが書かれていて目をひく。それらの手紙は、のちに妻になる従姉マドレーヌに宛てたものだが、マドレーヌは結婚後のある日、すべて処分してしまったらしい。 ジィドの憤りの第一の理由は、それらの手紙が彼の文学活動、もしくは後の創作の重要資料と考えていたからである。彼にとって手紙を書くということは、御気楽事ではなくて、自己のその時の全存在に匹敵するものだったのである。といっても、それは何もジィドに限ったことではなく、西洋文学の伝統に汲みされるべきこと。いや、わが東洋、わが日本においても同様である。 こんなことを思ったのは、先日の私のE-mailが使用不能になったことからの連想である。 私は、どちらかというと手紙を書くのが好きで、それも紙に自筆でしたためるのを好んで来た。やや過去形気味なのは、近年はE-mailのほうが多くなっているからだ。海外との交信に、昔はタイプライターを叩いていたから、感覚的にはその延長線上にE-mailはある。 契約にまつわるもの、自分の大事な意見を述べているものなどは、相手の返書とともに複写して、ブック形式でファイリングしている。E-mailの場合も同様で、紙にプリント・アウトしている。ただし、それは本当に重要なものだけで、多くは完全に削除して、サーバーの私のメール・ボックスを軽くするようにしている。 つまり、ジィドのような感情や感覚をもつことから、いまや私はほど遠いわけだ。一般にコンピューターや携帯電話でE-mailを使用している人は、その交信内容について、どのような考えをしているのだろう。大切な思い出のラブレターなどを、どうしているのだろう。紙に書かれた自筆のラブレターと、感受性にうったえるものが違うような気がするけれど、そのあたり、どうなのだろう。 手紙を保存しておくことに関して、先日、このブログで、老母の持っている結婚前の父からの手紙について書いた。70年以上、所持しつづけていることになる。もちろんそれらを読むことなどまったくない。いつまでも持っている、という気持の問題にかわっているにちがいない。 じつは、その母が、中学・高校生の私に宛てて書いた手紙を、私は50年後の現在も所持保存しているのである。 私は13歳の中学生のときから、勉強のために、両親家族と離れて暮らしはじめた。当初は2時間ほど蒸気列車に揺られると会いに帰れる距離であったが、やがて札幌と会津若松、札幌と東京、と距離ができた。 そのころに母が書いた手紙。衣類や食糧品の小包のなかに入っていたり、仕送りの現金封筒のなかに入っていたものだ。私は何度も何度も引越しを繰り返したが、それら母の手紙を捨てることができなかった。そしてついに、50年間所持しつづけているわけである。 以下はその画像。
Aug 31, 2010
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秋蝉の鳴音すくなき昨日今日 青穹 蟻たかる蝉のむくろに風立ちぬ 窓下に百の蟲の音漏るる灯や
Aug 30, 2010
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幾たびか母の危急や酷暑越す 青穹 秋来ぬと思えば夢は帰らざる 廻り来て吾廻り来て風たちぬ
Aug 30, 2010
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きのうの午後早くから、E-メールの送受信アイコンをクリックすると、Macのタイプ2のエラー警告が出て、それなりの対処と再起動を何度繰り替えしてもなおらず、メールが使えなくなっていた。インターネットは支障なしである。 ほぼ1日経っても同様なので、サーバーの状態を調べてもらったが、機器は正常だという。メールがたまっているけれど、詰まるほどの量ではないとのこと。 さて、どうしたものか、と考えて、私のほうからサーバーのメール・ボックスに入り込んで(契約会社は、プライバシーに関わることなので、削除してくれないのだ)、たまっているメールの差出人を確認してから、すべてを一斉に削除した。それからコンピューターを再起動して、メールの送受信をクリックしたところ、ジャ~ン♪、なおっていた! フ~!! これ、いったいどうしたことなのでしょう。わけがわからないが、とにかくメールは使えるようになった次第です。
Aug 29, 2010
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さきほどまで多チャンネルTVのザ・シネマで、マーティン・スコセッシ監督の音楽ドキュメンタリー、ザ・ローリング・ストーンズのライヴ「シャイン・ア・ライト」を観ていた。ザ・ローリング・ストーンズが2006年秋に、ニューヨークのビーコン・シアターで開催した2回のライヴを、ストーンズの大ファンだというスコセッシ監督が迫力ある映像であますところなくとらえている。 ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツ、ロニー・ウッドに加えて、クリスティーナ・アギレラ、ジャック・ホワイト、バディ・ガイがゲスト出演している。 エネルギッシュなパフォーマンス、ミックの全身エンタテイニング、すばらしい、すばらしい。ローリング・ストーンズ健在! いや、私は、むしろ若い頃のストーンズより現在の彼等のステージングのほうが好きになってしまった。すごいね~、ロックが成熟しているんだね。2時間、たっぷり堪能しました! ミックやキースの顔、描きたくなるような素晴らしい顔だ。
Aug 28, 2010
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落柿や色づきそめて末期なり 青穹 色々のかさね夕雲あきちかし
Aug 28, 2010
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自転車のブレーキの調子が悪いので、昨日、自転車屋に調整をたのんだ。ブレーキ・シューズがすりへっているため交換が必要とのことで、そのまま預けて帰った。 きょう、昼食後、ぶらぶら歩きながら受け取りに行った。東京は、きょうも酷暑。「酷暑」「猛暑」は、気象用語としては気温によるとりきめがあるのだが、それはそれとして、とにかく連日うだるような暑さである。 山の上から裏道をおりてゆくと、背後から私の顔の真横をかすめて大きなトンボが追い越した。オニヤンマだった。 我家のあるあたりは、山の上とはいえ、じつはトンボをみかけることが少ない。おそらく水場がないためではないか、と私は思っている。 山を越したところに自然の小さな池があり、さらに下って東京農工大の広大な自然観察林を過ぎ、東京薬科大学のキャンパスにはいると、これもおそらく元来は自然池水なのであろうが、趣きある景観をつくりだしている大きな池がある。つまり、山に降った雨水は地下にもぐって、しかしどういうわけか、我家のあるほうにはながれず、反対側に沼沢地をつくっているのだ。そのあたりには、おそらくトンボがいるにちがいない。 めずらしいオニヤンマは、悠然と滑空し、透明な羽を美しくきらめかせながら、私の目の前を北上していった。その向こうには、入道雲が立ち、なんだか絵にかいた夏盛りの感じがした。しかしかたわらの栗畑をみやると、遠目にもイガ坊主がたわわに稔っているのだった。やはり秋はそこに来ているのである。 畑中にトマト忘らる残暑かな 青穹 オニヤンマ宙を滑りて北上す
Aug 27, 2010
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家籠る炎暑の街の静けさよ 青穹 母の身を拭えば安し猛暑かな 注射器で給水つづくこの炎暑 一日を終りて明日も猛暑かな
Aug 26, 2010
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十字路に炎暑とどめて手巾かな 青穹 自転車で熱風を掻き分けてゆく 山めぐる道細まりて蓼の花
Aug 26, 2010
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風立って土埃舞う日照りかな 青穹 夜の戸を立ててひときわ蟲の声
Aug 25, 2010
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古九谷の破れ芭蕉に冷酒かな 青穹 かかさまの頭撫でおる地蔵盆
Aug 24, 2010
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これまで数回にわたって途中経過を掲載してきた、広島被爆犠牲25万人のための、250,000の点を紙にしるすコンセプチュアル・ドローイングが、きょう最後の点を描いて終了した。 世界はようやく核兵器廃絶にむかって動き出したかにみえる。しかし、まったく予断を許さない状況であることは、言うまでもない。核保有が、核拡散の防止になるという思想の基底にあるのは、最終戦争の予想である。想像力と真の知性ある者には自明であろう。このような思想にもとづく国家エゴイズムの行きつくところは、自らの滅亡のみならず、地球の絶望的な汚染にほかならない。 地球は、60億人の人類と、我等と共生している鳥獣虫魚草木、その他ありとある生命体がしがみついている、小さな星だ。いずれこの地球も宇宙の大原則によって消滅する。それが数百億年さきであろうと、それまでは、人間が、その手で、自分が乗っている船を破壊することは止めようではないか。愚か者よと歌えるうちに。 It seems that the world is changing for to abolish nuclear weapons with difficulty. However, it is impossible to tell what the development of the situation will be like. Every one of ideas caused by that a nuclear power will be useful for to control nuclears nonproliferation, implies the supposition of the final war. I am sure that such a thing speaks for itself for the people who is imaginative and intelligence. A state-egoism will bring ruin to itself by its idea, and cause hopeless radioactive pollution. The earth is a little star where all of vital phenomena hold on, where six billion human beings, birds, animals, fishes, worms, insects, vegetations and others are living in symbiosis. Well, anyway, the earth will disappear with the principle of the macrocosm. But, let's stop to destroy our ship which we ourselves are boarding on. Within we can sing ' a fool I am! (or you are!)'. 山田維史《広島被爆犠牲250,000人のための250,000の点》ボール紙にフェルトマーカー、インク、墨汁 2010年8月Tadami Yamada “The 250,000 dots for atomic victims in Hiroshima”Felt-marker and Chinese ink on cardboard, 2010This drawing is made from to put 250,000 dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. And the number of victims were 250,000. 下は部分拡大図The below is magunification figure of a part.
Aug 23, 2010
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遠花火胸に虚ろのきのう今日 青穹 行く夏を惜しんで旅の疲れ哉 心張を入れずば崩る夏草の戸
Aug 22, 2010
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炎天に三角帆掛ける午睡かな 青穹 足踏みす夏去りがたく木槿垣(むくげがき) 日も月もはてぬ廻りや木槿垣 空青く赤きカンナは哀しけれ【註】木槿(むくげ): 中国、インド原産のあおい科の落葉低木。花は朝開き、夕べには凋み、翌日にはもう咲かない。「槿花一日栄(きんか一日の栄え)」という言葉がある。おそらく中国、インド原産なので、仏教的な無常観とむすびついている言葉であろう。その植物が、日本では古来、家の生垣として植えられてきたというのは興味深い事実である。 木槿(むくげ)と発音するのは、漢語の植物名をそのまま日本語読みにしたもの、と牧野富太郎博士は言う。
Aug 21, 2010
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2,3日前、玄関わきの塗装壁を、揚羽蝶の緑色をした幼虫が、ゆっくりゆっくり登っているのを見つけた。そこは、初夏にはアガパンサスの花が咲くのだが、今はそれも地中で眠っていて、地上はこの暑さでただ乾いた土があるばかり。そのうちどこかへ行くのだろうと、それきり幼虫のことを忘れていた。 今朝、ふと思い出して見てみると、なんと茶色の蛹が、まるまった枯葉のように壁にくっついていた。さて、これで成虫に、つまり揚羽蝶にかえるのだろうか。たしかに屋根廂が深く、雨が降っても濡れることはあるまいけれど・・・ さて、次は法師蝉。デスクトップ・コンピューターがある机の正面はガラス窓なのだが、さきほど、不意に蝉が飛んできて、廂の下にとまった。ぶつかるような勢いだったので、驚いた。とたんに「オーシツクツク、オーシツクツク」と大きな鳴声をあげた。法師蝉(ツクツクボウシ)である。なんと無遠慮な、と言いたいほどの大きな鳴声だったので、二度びっくり。 我家は、山のうえにあるせいか、ときどき蝉が飛込んでくる。小庭に落ち蝉の骸をみつけることもある。猫が追いかけて、家の廊下をドタンバタン、ジーギャージジジと大騒ぎをすることもある。 きょうやってきた法師蝉は、つづけざまに「オーシツクツク、オーシツクツク」とやって、少し間をおき、また「オーシツクツク」と、3,4度鳴いたと思ったら、ふたたびガラスにぶつかりながら、どこかへ飛び去った。 ミンミンゼミやクマゼミは夏まっさかりの感じだが、ヒグラシやツクツクボウシの鳴声を聞くと、暑さは暑いが、やはり秋がもうそこまで来ているのである。 寄せ返す暑き岸辺や夏わかれ 青穹 夢うつつ亡き人とあり秋めくや 秋めいて細き手の母なつかしき 訪れて三つ鳴いて去る法師蝉
Aug 20, 2010
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秋めくと思いたけれど額(ぬか)に汗 青穹 蝉鳴けどはや遠近を聞き分かつ 暮れたれば蟲のすだきや夏過ぎぬ
Aug 19, 2010
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雷鳴を聞いて残暑の昼寝かな 青穹 狂い飛ぶみんみんぜみの断末魔 遠雷や暮れゆく里のカンナかな 降りそめて今日は明日の夏別れ なんとなく終るも淋し残暑かな
Aug 18, 2010
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猛暑とはよく言ったもので、きょうの東京は、もしかしたらこの夏一番の暑さだったかもしれない。エアコンデショナーを25℃に設定してあるのだが、ちょっと窓を開けようものなら、たちまち28℃を示し、窓を閉めてもなかなか温度が下がらない。家人が、機械が壊れたのではないかと、リモート・コントローラーをしばらくいじくりまわしていた。 私は外出をひかえて、先日来の英国史の原書を読みつづけていた。 思い立って、最初のページにもどって、日本語に翻訳しながらコンピューターに入力している。4章まで完了。紀元前2500年頃から説き起こしているので、部分的に知識はあっても、一国の歴史としてながめたことはなかったから、いま、それを知るのがおもしろい。全37章だから、この調子で翻訳しながら読んでいると、さて、いつになったら読了するやら。まあ、暑い暑いとぼやかずにすむことはたしかである。 半月をめでる気も萎え残暑かな 青穹
Aug 17, 2010
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身を焼かれ心焼かれて残暑かな 青穹ひぐらしの鳴き音乾いて残暑哉 花芙蓉まっすぐ立ちて丈高し丈高き芙蓉の幹に風めぐり送り火に英霊たちの背中行き -------------------------------------------------- 広島原爆忌の被爆犠牲者250,000人のための、犠牲者を表わす黒点によるドローイングは、現在、200,000の点を台紙に描き込んだ。ボール紙の台紙は何重にもなった点のために、干割れて、最初のころとはまったく表情がかわってしまった。 山田維史《250,000の点;200,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker and ink on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally. Now, 200,000/250,000.
Aug 16, 2010
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老母が文箱に保存し、現在、私があずかっている父のラブレターの束がある。全部で139通が現存する。ふたりの婚約時代に、父が兵隊に召集され、国内の兵舎や、その後、まさに戦場から母に宛てた葉書や封書である。 亡くなる直前、病床から母の顔をまじまじと見ていた父が、「お母ちゃんは、お父さんの手紙、まだ持っているのかい」と言った。 「持っていますよ」 「そうかい」 会話はそれだけ。父はうっすら微笑して、目をつむった。私はそばにいて、その短い会話を聞いていた。 この父が母に宛てた手紙については、以前、そのうちの何通かをこのブログで「戦場からのラブレター」と題して書いた。敗戦記念日のきょう、そのラブレターの束の一部の画像を掲載しようと思う。 きわめて個人的なことだが、戦争というのは、結局、個人に還ってくるのだと思う。どの家族にも、我家と同じような辛い時代の思い出の品が残っているのではあるまいか。 画像のなかで右端手前にあるのは電報である。北海道旭川で入隊した父は、まもなく東京の赤坂近衛聯隊に移された。当時はいわばエリート・コースなのだが、その移動にあたって旭川を出発した父は、間もなくの石狩深川駅で婚約者の母に電報を打った。「四ヒゴ ゴ 一○ジ ハコタテタツケンコウヲイノル」 昭和15年10月4日、午前0時8分の電報局印が押されている。 当初、2年間で除隊のはずであったようだが、戦局がいよいよ厳しくなったためであろうか、やがて中国北方派遣隊に配属された。そして砲弾の下をかいくぐって無事に帰ってきたのだった。自分の家にも帰らず、まっすぐ母の家に。ただし、これは行き違いになった。母は、父の家に駆けつけていたのだから。 父が戦地から帰国するにあたって、ちょっと耳をうたがうような事実があった。戦場や転戦する駐屯地で、日本兵の中国人に対する野蛮な行為を目撃し、その傲慢さ、横柄さ、無教養にほとほと嫌になった父は、部隊長に自分を帰国させてほしいと申し出、なんと受理されたのである。父らしいと言えば父らしい行動である。慎重だが無鉄砲。腹のどこかに、恐れるものあらずという覚悟がある。切るというなら、切られてやろうじゃないか、というわけだ。・・・この無鉄砲さ、どうやら私も受け継いでしまったらしい。・・・が、この場でどうにかなっていたら、私はこの世に生まれなかったことになる。
Aug 15, 2010
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あした65回目の敗戦記念日を前に、2007年につくった2篇の詩と、2008年の40首の短歌をふたたび掲載します。------------------------------------『戦争が大好きな家族』 山田維史 戦争が大好きな おじいちゃん 戦争が大好きな おばあちゃん 戦争が大好きな おとうさん 戦争が大好きな おかあさん 戦争が大好きな こどもたち 人殺しが好きな おじいちゃん 人殺しが好きな おばあちゃん 人殺しが好きな おとうさん 人殺しが好きな おかあさん 人殺しが好きな こどもたち 戦争で殺される おじいちゃん 戦争で殺される おばあちゃん 戦争で殺される おとうさん 戦争で殺される おかあさん 戦争で殺される こどもたち 人殺しを止められない おじいちゃん 人殺しを止められない おばあちゃん 人殺しを止められない おとうさん 人殺しを止められない おかあさん 人殺しを止められない こどもたち 涙をながす おじいちゃん 涙をながす おばあちゃん 涙をながす おとうさん 涙をながす おかあさん 涙をながす こどもたち All of Us Really Love a Warfare by Tadami YamadaGrandpaReally loves a warfareGrandmaReally loves a warfareDaddyReally loves a warefareMammyReally loves a warfareChildrenReally love a warfare GrandpaLoves to commit murderGrandmaLoves to commit murderDaddyLoves to commit murderMammyLoves to commit murderChildrenLove to commit murderGrandpaHe'll be killed in a warfareGrandmaShe'll be killed in a warfareDaddyHe'll be killed in a warfareMammyShe'll be killed in a warfareChildrenThey'll be killed in a warfareGrandpaCan't quit doing warfareGrandmaCan't quit doing warfareDaddyCan't quit doing warfareMammyCan't quit doing warfareChildrenCan't quit doing warfareGrandpaSheds tearsGrandmaSheds tearsDaddySheds tearsMammySheds tearsChildrenShed tears『ノー! ノー! ノー!』 山田維史 もうたくさんだ 広島原爆 もうたくさんだ 長崎原爆 私が生まれた1945年以降 世界の戦争は300回以上 2,000万人が殺された もう戦争はたくさんだ もうたくさんだ アルジェリア戦争 もうたくさんだ キプロス紛争 もうたくさんだ コンゴ動乱 もうたくさんだ 中東戦争 もうたくさんだ ヴェトナム戦争 もうたくさんだ イラン-イラク戦争 もうたくさんだ アンゴラ内戦 もうたくさんだ ブルンジ内戦 もうたくさんだ ルワンダ紛争 もうたくさんだ バスク内乱 もうたくさんだ 西サハラ紛争 もうたくさんだ カンボジア内戦 もうたくさんだ カシミール戦争 もうたくさんだ タジキスタン戦争 もうたくさんだ 東チモール内乱 もうたくさんだ スリランカ民族紛争 もうたくさんだ ソマリア内戦 もうたくさんだ モザンビーク内戦 もうたくさんだ シエラレオネ内戦 もうたくさんだ アフガニスタン紛争 もうたくさんだ ダルフール紛争 もうたくさんだ ミンダナオ紛争 もうたくさんだ コソボ内戦 もうたくさんだ ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争 もうたくさんだ ユーゴスラヴィア戦争 もうたくさんだ チェチェン紛争 もうたくさんだ アメリカ9.11同時多発テロ もうたくさんだ イラク戦争 もうたくさんだ アフガン戦争 何が戦争を起すのだ? ノ-! ノ-! ノー! ノ-! ノー! ノー! もう戦争はたくさんだ もうたくさんだ 広島原爆 もうたくさんだ 長崎原爆NO! NO! NO! by Tadami YamadaNo more Hiroshima atomic bombNo more Nagasaki atomic bombAs from I was born in the year 1945The world caused more than three hundred warsMore than 20 million people were killed in warsEnough of that! No more war!No more Algerian WarNo more Cyprus ConflictNo more Congo CrisisNo more Middle East WarNo more Vietnam WarNo more Iran-Iraq WarNo more Angola Civil WarNo more Burundi's WarNo more Rwanda GenocideNo more Basque National LiberationNo more Western Sahara ConflictNo more Cambodia WarNo more Indo-Pakistani Wars and ConflictsNo more Tajikistan WarNo more East Timor 's War and GenocideNo more Sri Lanka Civil WarNo more Somalia Civil WarNo more Mozambique Civil WarNo more Sierra Leone Civil WarNo more Afgan Civil WarNo more Darfur Conflict and GenocideNo more Mindanao ConflictNo more Kosovo Conflict No more Bosnia-Herzegovina WarNo more Yugoslavia WarNo more Chechen WarNo more 9.11 Attcks in U.S.A.No more Iraq WarNo more Afgan WarWhat caused the war?No! No! No!No! No! No!Enough of that! No more War!No more Hiroshima atomic bombNo more Nagasaki atomic bomb 壕厭う吾を背負いてグラマンの 機影かぞえおりあの夏の母 乳飲み子の吾をくるみし綿蒲団 機銃掃射の弾貫通せざれよと 乳飲み子の腹満たさんと吾が母は わずかな米を研ぎし水啜る 流れ藻を集めて急ぐ家路なり 空見上げれば戦闘機の行く 初の子の吾に名付けし、改めよ 戦の歴史、平和いのりて 吾五月十四日に生まれ 八月十五日終戦となりし 一九四五年五月十四日生まれ 古きを継がず吾はよろこぶ 涙涸れ老いしとぞ言う、慟哭は 心中に在り、屍踏み来しと 人間は不思議なりしよ、空襲の 劫火美しと思うことありと 後陣に居りて采振らば前線の この世の地獄知らず済むらん 生きし者などて戦を美化するや 二百三十万兵の屍蛆むす 自らが戦場に出ずば兵は ただの数、数の数なり 敵ならぬ我が軍隊に殺されしと 山河に充つ怨嗟の声々 暴力は隠微にして常態たり 軍律厳しとは片腹痛し 国民を欺くための謀略のみ 日本軍部智恵はたらきし 尊大に寿命を終えし人のあり 酸鼻きわまる戦場も知らず かの人の命は重くこの人の 命軽ろしと吾は思わず 戦とは鬼畜になりて殺しあう それより他に言うべきはなし 人生は短きものよ、などて君 いくさを謀り人を殺すや なぜかくも野蛮なりしか日本軍 吾が心性に在るものを虞る 凝視せよ我等心中の殺の快 仮面の陰の悪鬼の相 人殺し、血まみれの手で妻を抱き 生殖する我等の不気味 生みし子をまた戦場に送りだし 人を殺せと言うも親かな 海行かば水漬く屍と歌いしを サド・マゾヒズムと吾は見抜けり 戦争に肯定すべき意義はなし 吾言い放ち頭を掲ぐ 軍政は理想立たざる体制にて 目的化する軍の存続 軍政はつまり社会の未熟なり 人は本来多様、一ならず 軍政下幸福とは何ぞやこの問いに 応えし人を吾は知らず 戦史繙く、愚劣さのほか見出せず 暗澹として日本を憂れう 愚劣さを隠さんとする愚劣さよ 学成らずして戦後を過ぐる 好戦は学問にては治まらぬ 人の心の深き闇なれ 責任の所在あいまいなるをもて 日本文化と言うや君は 古き思想捨てきれずして跳梁 跋扈するかや日本の悪霊 品格を品格なきが言うおかしさよ かくも日本は空虚なりしか まやかしの入れ子なりしか我が社会 二千年かけ狂信はぐくみぬ でたらめを言いて巷間に寵児たり いまは彼の人も土となりにし 死者なれど鞭打つべきは鞭打たん 過ち糾すになんぞ臆する 敵なくば為せぬ人あり自らが 敵なることを知らぬなりけれ この国に生まれ育ちこの国の 空洞を見つ死ぬるか吾は 吾六十三、顧みれば慙愧のみ 世界は依然として戦争に充つ
Aug 14, 2010
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きょうは一日中老母の看護で、さすがの私も夜の11時半をまわったところでどっと疲れがでたきた。 午前中に訪問看護士を迎えて、定期的な検診をし、それからお昼の経管栄養と薬液を投与。その後、私はほんの少し外出した。 帰宅すると、家の中が、静かだが物々しい。医者が来ていて、母に何やらおこなっている。家人が、私をふりむいて、「嘔吐をした」と告げた。医者が気管や口腔につまった汚物を吸引器で吸い出しているのだった。 嘔吐は、一般健康人でも、気管や肺に汚物が入ると致命的に危険である。老人の死因のなかで、肺炎がおおいのは、このような嘔吐によるか、食事中の誤嚥による場合がすくなくない。嚥下機能がおとろえていたり、理由はさまざまであるが、たとえば身体をかがめて胃が圧迫されて胃のなかの物が逆流してくることもある。あるいは、経管摂取の場合、点滴で注入しているのだが、入れる速度が早いと、胃の吸収がまにあわず、それが嘔吐につながる。きょうの母の場合はどうやらそれにちかい状態だったようだ。 気管から吸引を終えて、一時血圧がぐっと低下し体内酸素量も低下していたのが、危険域を脱して快復した。しかし予断はゆるさないので、点滴をし、抗生剤を注射。2時間後にふたたび医者が診察することに。 ところが、夜9時、医者の車がどこかでパンクしてしまったとのこと。急遽、代りの看護士さんが駆けつける。肺には空気がきれいに入っているとのことで、一安心。 けれども、夜11時、いつものように一日の看護のしめくくりのように検温し、血圧を計ったところ、体温が高く、血圧も危険点には達していないものの高めである。血圧抑制剤を今夜は中止することになっていたのだが、急遽、薬剤を投与した。 どうも今夜は、朝までちょっと気が抜けそうにない。
Aug 13, 2010
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俳句で「流星」は八月の季語。今日明日にかけて、ペルセウス座流星群が見られるはずだが、東京は雨である。猛暑にこの雨は恵みの雨と言いたいが、台風の影響なので、地方によっては大雨が予想されている。上陸が報じられている東北地方の方々、どうぞ御注意ください。 そのペルセウス座流星群だが、晴れていれば、午前0時ころがピークのようだ。新月になったばかりだから、晴れていても空は暗いはず。絶好の観測日。東北の空に1時間に50個くらい見ることができそうだという。東京天文台が、流星の数をかぞえて報告してほしいと広告している。 流星は胸のうちにぞ雨斜め 青穹 他の星に願う平和か雨斜め 亡き人に傘さしかけて魂祭 新月の暗き夜をすぎ盆の月 暗夜行く精霊舟の灯の赤さ
Aug 12, 2010
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店裏で長距離ドライヴァ水を浴び 青穹 見つかってきまり悪げな脚行水 上空の暑気撹拌すヘリコプター 仏膳に冷たきものをまぜにけり
Aug 11, 2010
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朝発ちの隣にぎわう帰省かな 青穹 庭草の取り残したる赤まんま 赤まんま飛行機雲は遥かなり たまに来て何処へゆかる揚羽蝶
Aug 10, 2010
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蝉しぐれ瀧つ瀬となれ原爆忌 青穹 浮かれ世の三途の川で原爆忌
Aug 9, 2010
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きょう65年目の長崎原爆の日。一昨年に詠んだ祈念の短歌5首をふたたび掲載する。 十四万五千九百八十四柱 何もて慰撫す長崎原爆忌 青穹 かの地獄死者は語らず我等また 語らずば充つこの核兵器 現実の地獄といえど想像力なくば 見えざるらし、核拡散す 滅びよとおらぶ我等の心中の悪 核使用とはまさに其を言う 哲学も宗教もなし、核兵器 保有論理は破滅への欲【註】新聞報道によれば、長崎原爆により死亡した人の累計は、この1年間に死亡した3,114人を加えて152,276人である。 なお、広島原爆忌のための進行形ドローイングは、25万被爆犠牲者になぞらえた黒点の数、現在、134,000。
Aug 9, 2010
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間道を抜けて止みけり蝉時雨 青穹 朝顔の焼けたるような花仕舞 炎天や覆面レディー物々し 東京に静けさありと盆休み 医者殿も盆の休みを告げにけり
Aug 8, 2010
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嫋々と羽黒蜻蛉は舞いきたり 青穹 言いたげに羽黒蜻蛉は傍にあり 紗掛け婀娜に羽黒蜻蛉と端居かな【註】紗掛け:薄く軽い絹織物の紗の着物を、錦や刺繍の入った着物の上に重ねたもの。これによって下の華やかさは見えるか見えない程度におさえられ、あるいは灯火の明るさの加減によってちらりと輝いて覗き見えるのである。奥ゆかしさと婀娜(あだ)っぽさが醸し出され、夏の和服の装いとして最上級と言えよう。このような着こなしをする女性は、ちかごろではお目にかかることがほとんどない。まことに残念。
Aug 7, 2010
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朝顔の晁(あさ)を愛でけり原爆忌 青穹 南無草木鳥獣虫魚原爆忌 広島原爆の日のきょう、東京は猛暑である。あの日の広島も暑い日だったはず。そのうえでの焦熱地獄を、日本人の誰が予想しえたであろう。 私のドローイングはようやく90,000個の犠牲者になぞらえた点を描いた。250,000個になるのはいつのことであろう。紙はもう黒焦げのような状態で、ドローイングというよりペインティングの様相である。マーカー、インクと重ねて、いまは墨汁を使っている。原画は漆塗りのようだ。あるていど描くと、ベランダに置いて、焼け付く日射しにあてて乾かす。そのくりかえしである。 このブログに経過を掲載するのは、きょうで止め、次は250,000個の点を打ち終った時点で御覧いただこうと思っている。山田維史《250,000の点;90,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker and ink on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 6, 2010
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念じつつ死者にまみえん原爆忌 青穹 水捧げ水乾きけり原爆忌 燎原や精霊蝗(しょうりょうばった)の目に涙 広島原爆忌のための進行形ドローイングの黒点は71,000。すなわち71,000/250,000人。いまだ被爆犠牲者の3分の1に充たない。原画は黒焦げに炭化したようだ。台紙のボール紙は反り返り、もとに戻そうとするとパリパリ音がしてひびわれそうである。 山田維史《250,000の点;71,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker and ink on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 5, 2010
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夏燃えて死するものまた生くるもの 青穹 午さがり新豆腐売りあるく喇叭かな 広島被爆250,000犠牲者のための進行形ドローイング、8回目。被爆犠牲者を表わす点の数は、65,000。 山田維史《250,000の点;65,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker and ink on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 4, 2010
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落ち蝉の断末魔見る子の目良し 青穹 炎天や白迷宮のかよい道 日盛りに人なき道の白々と 炎天やただ立ち尽くす音絶えて 打水のたちまち乾く盛夏哉
Aug 3, 2010
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7回目の進行形ドローイング。60,000/250,000。 あらたな画材をためしながら、上3分の1の点を打った。ことなった3種類の画材を用意し、まずドクター・マーティンのドローイング・インク、ブラック・スター・マットを使用。乾燥が遅いのが難点だが、肉眼では下のマーカーとの差がはっきりとした。コンセプチュアルなドローイングに、美術的なレイアー(層)の美の要素がはいってきた。 しかし原画のもっている層の厚みの問題は、コンピューターの表層的解析にはいまのところなじまない。したがってブログを見てくださる方には今後の画面の変化はほとんど感じとれないかもしれない。残念だが、それはそれでいたしかたあるまい。 ともかく、どの程度の差があるかを御覧いただくため、昨夜アップしたものに上3分の1以外はいっさい手をいれなかった。モニターでそれがおわかりになれば幸いだ。 山田維史《250,000の点;60,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 3, 2010
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広島原爆の日のための53,000/250,000の進行形ドローイング。250,000人の原爆犠牲者とひとくちに言っても、実際のところ私たちの多くは、おそらくイメージとしてつかみきれていないのではあるまいか。 戦争の形体は歴史的に変化してきた。1対1の白兵戦(肉弾戦)から、二十世紀に入って航空機による爆撃戦になると、標的の人間は視覚的に矮小化し、(おそらく)殺戮の心理は軽減した。そしてその傾向を私たちはイラン・イラク戦争における電子兵器とそのテレビ映像によって、まるでテレビ・ゲームのように心おきなく戦争をタノシンダのであった。その戦争形体の歴史的変化は、同時に、少数の死傷者は見えても、大量殺戮はむしろ見えないという心理的変化でもある。心に痛みを感じることなく、ならずもののふるまいを、国家の名のもとにおこなえるようになっている。それが現代戦争の一面であろう。 私は、広島に原爆が投下される3ヵ月前に生まれた。3ヵ月後にひとつの都市でたった一発の爆弾によって250,000人が犠牲になった。その数をイメージとしてつかんでおきたい・・・そう思って、目下ブログに掲載しているドローイングをはじめた。犠牲者になぞらえた一個の点を、自分の手で25万個を紙のうえにしるしてみようというわけである。 きょう、6回目になる画像は、53,000個の点から成っている。犠牲者数の5分の1にすぎないが、紙はすでに真っ黒だ。・・・私はいま、マーカーに替わる画材を考えている。というのは、このままマーカーによって進行すれば、25万個の点は、ただ一枚の黒い紙になってしまい、それこそ上に述べたように、実体の見えない大量殺戮と同じになってしまうだろうからだ。 山田維史《250,000の点;53,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 2, 2010
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進行形ドローイングは黒点40,000で、本日の作業を終了。モニター画像は真っ黒に見える部分も、原画は黒の微妙な濃淡になってい、なんども重なった部分の点は照りがある。それをお見せできないのがいささか残念。 山田維史《250,000の点;40,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 1, 2010
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子殺しの家や静けし遠花火 青穹 稲妻や子は地獄に声もなく 明日ありと思えぬ子等の手花火や 涙はや涸れもうしけり地蔵盆 描く絵もなくてからから走馬燈------------------------------------- 原爆の日のための進行形ドローイングの黒点の数は、30,000/250,000(被爆犠牲者数)。 山田維史《250,000の点;30,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 1, 2010
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きょうも暑くなりそうだ。朝からミンミンゼミの鳴声がかまびすしい。 さて、広島原爆の日のための進行形ドローイングの経過3回目。点の数は20,000。すなわち20,000/250,000。点は意識せずにアットランダムに打っているので、当然、なんども重なって描かれる。とはいえすでに真っ黒である。 山田維史《250,000の点;20,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker on cardboard, 2010This drawing is made from to put everyday some dots on cardboard. The dot is symbolic of the atomic victim in Hiroshima in August 6th, 1945. The number of victims were 250,000. So, the number of dot will be put 250,000 with this drawing finally.
Aug 1, 2010
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