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言うまいと思えど口に暑さかな 青穹 氷菓食い頭痛こらえる暑さかな 青蔦やきのう垣根を越えにけり 青蔦の先端腕を撫でにけり 蔦しげる人無き家の窓暗し
Jun 30, 2010
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残念、日本敗退。まさに死闘のすえPK戦にもつれこむも、5対3でパラグアイの勝利、8強入り。
Jun 29, 2010
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さあ、まもなくW杯決勝T、日本対パラグアイ戦がキックオフ。8強入りをめざして、アア、どきどきするなー。みなさん、TV観戦の準備はととのいましたか? 私の明日のスケジュールは1週間で一番忙しいのだが、なんとかがんばって応援しますよ。では、のちほど。-------------------------- 東京北多摩地方に大雨警報がでた。このブログを書いていると、北方の遠くで雷鳴がとどろいて聞こえる。我家のあたりも雨が次第に強く降出した。北多摩地方の方は、どうぞ御注意ください。 銀鼠の向こう半里に雨寄すや 青穹
Jun 29, 2010
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教会の瓶に白百合なげこまれ 青穹 夏の野やただ一輪の鹿子百合 夏草や少年の性狂おしき 夏あざみ手に血潮して倒しけり 炎天やわれは裸体を旋回す
Jun 29, 2010
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老鶯や地に降りたちて鳴かずおり 青穹 ひるがおや打ち捨てられし竹の籠 二時間で腕の日焼けや夏野かな 唐きびやまだ実の入らぬ細さかな
Jun 28, 2010
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サッカーW杯決勝T、ドイツ対イングランド戦をいささかうとうとしながらTVで見た。どちらも優勝候補といわれていたので、激戦ではあったが、ドイツのパス・テクニックとシュートの確かさはイングランドを抑えた。結果は4対1でドイツの勝利。 しかし、この試合、後味の悪さを残した。3対1になったところで、イングランドのシュートがドイツ・ゴールを割った。しかし審判はノー・ゴールと判定し、試合はそのまま続行した。たとえこのとき1点を返していても、ドイツの勝利に終ったにはちがいない。が、問題は結果としての勝敗であろうか? たぶんハーフ・タイムにイングランドは何等かの抗議をしたであろうが、判定はくつがえらなかった。 これと同様の「世紀の誤審」といわれる事態が、44年前、くしくもイングランド対ドイツ戦においておこった。このときはドイツが猛抗議したのだが、受け入れられなかった。今回、まさに因縁めいたことがおこったわけだ。 審判の、いわばその聖性を守る、という大儀はわからないではない。これなくしては、あらゆるスポーツの審判は、きわめて恣意的で御都合主義におちいって収拾がつかなくなるであろうことは推測がつく。だがしかし、たとえば44年前と状況がことなるのは、国際サッカー連盟(FIFA)によるれっきとした映像が残ったことだ。しかも全世界にTV放映されている。審判の判定はくつがえらなかったとしても、それが誤審であったことは、後世長く記憶されるだろう。選手当事者のみならずサッカー・ファンの記憶に。いや、当の審判の記憶にも。彼は他の人とはことなる苦悩を生涯にわたってもちつづけるだろう。自分が正しかったのか間違っていたのかを自問しながら。 ・・・こういうことを考えると、審判のありかたについて、きわめて現代的な意味をもった議論がでてくるかもしれない。議論が出なければ、むしろ不自然だ。判定の御都合主義を回避するべき審判の聖性が、かえって恣意性を高めてしまうことになるからだ。誤審を受けた選手やチームが、おとなしく従順に引き下がってしまうことが、美しい行為かどうか。美しいはずはなかろう、というのが私の意見。なぜならそのような世界には、欺瞞こそあれ、正も不正もきわめてあいまいな渾沌しかないからだ。日本の相撲界にも通じる道理であろう。
Jun 28, 2010
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東京地方のきょうはたいへん蒸し暑い1日だった。この暑さは明日もつづくようで、TVの気象情報は熱中症対策を呼びかけていた。 寝たきり状態にある老母のような要看護者は、体調管理が難しくなってくる。往診の医者によると、脱水症をおこして点滴をしている患者が多いのだそうだ。 我家の母の管理はまあまあうまくいっていると、おほめをいただいたが、なかなか苦労のいるところなのだ。常時、体温を計測し、それによって経管による水分補給をしている。しかし、母のように身体が小さいと、1度に補給する量に限界がある。経管注入時は常にベッドの傾斜を25度から30度に設定し、栄養注入は1時間をかけ、注入後も胃から逆流して肺に入らないように1時間以上そのままの姿勢を保っている。これは必ずしも楽な姿勢ではなく、疲労がでてくる。つまり水の補給量の限界のみならず姿勢維持の限界もあるので、実際のところこまめに水を与えられるわけでもない。 これから盛夏にむかって、いよいよ管理がむずかしくなる。 というわけで、今日ははや手まわしに、ある物を楽天ショップに発注した。寝たきりということは、背中や後頭部から熱が逃げてゆかない、風が流通しないということ。そこで、高温作業所で使用している「空調服」の技術を応用した、「空調ざぶとん」を買うことにした。電池式のファンが仕込まれているのである。これを母のベッドに敷こうというわけだ。ついでに電池を充電するためのバッテリーと、枕に敷いて通風をよくする特殊なシートも一緒に注文した。・・・さて、これで夏を乗り切れるかどうか。---------------------------------- 年寄もいっそ冷や水暑さかな 青穹 幽霊も出たそな梅雨の蒸し暑さ 青梅や落ちて赤らみいたいたし
Jun 27, 2010
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決勝T1回戦はガーナ快勝、アメリカ残念。1対1で延長戦へもつれこみ、ガーナは底力をみせた。アメリカはスタミナ切れか、疲れがみえた。いずれにしろ両チーム死闘の善戦。ガーナのGKキングソン(本当はキングストンさんというらしい)が、すばらしい活躍だ。 観客のなかにクリントン元米大統領の姿。仮装もしてくれると嬉しかったのだがなー。---------------------------------- さみだれや青石塔婆の滲む文字 青穹 青梅雨や生瞬豪(しゅんごう)の酒一合 佛法僧青葉こもりて鳴き音かな 紫陽花や枯れて散らぬは執念(しゅうね)かな 石垣を南瓜の花のくだりけり
Jun 27, 2010
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決勝T1回戦、韓国対ウルグアイは1対2でウルグアイの勝利。韓国の2010年大会は終った、残念、残念。 それにしても今大会の南米勢はすごい。5ヵ国すべてが決勝に進んでいる。29日の日本もその南米パラグアイとの試合だ。がんばれ、がんばれ!
Jun 26, 2010
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蜘蛛の圍に露連なりて朝日かな 青穹 朝霧や白鷺の首細きこと 夏川や昔の渡し万願寺 雨しずく青葉の陰や鮎の宿 渓谷に鮎を食いけり隠れ宿 青草を刈りて街路に日暮かな
Jun 26, 2010
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大の字に猫も昼寝の暑さかな 青穹 杜若ふたりつれなる江戸若衆 かきつばた春章描く振袖の 八橋のななつ折れたり杜若
Jun 25, 2010
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W杯1次リーグ、対デンマーク戦、日本チームが勝ちましたねー。3対1。残念ながら私は見ることができなかった。しかし、3対1という点数は予想していなかったなー。捕らぬ狸のなんとやらはしない私だが、日本の決勝トーナメント出場は、引き分けでもよかったので、せめてその線でも・・・と思っていた。 先制点は前半17分に本田のフリーキック。つづいて遠藤のフリーキック。2対0。後半も終盤になってデンマークのボールがGK川島の頭上を擦り抜けて1点を返される。そして4分のアディッショナル・タイムに入って、48分ですか、ゴール前での競り合いで本田がみごとな切り返しのフットワークで岡崎にパス、岡崎が決定的な1点を追加した。・・・と、まあ、今朝の各社のニュースをつなぎあわせて試合の流れを見た。 それにしても素晴らしい勝利。8年ぶりの決勝T進出である。 ところで決勝Tでの対戦相手はパラグアイ。前回大会のチャンピオンのイタリアを完膚なきまでに叩き決勝に進出してきた。恐るべし。とにかく激しい闘いをするチームだ。日本チームのさらなる善戦を期待!29日が楽しみだ。この試合は、私もどうやら見ることができそうである。
Jun 25, 2010
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あと3時間半ほどで、サッカーW杯の決勝トーナメントに出場をかけた、1次リーグE組の最終戦、日本対デンマーの試合がはじまる。キックオフは午前3時。 残念ながら私は見られないなー。明日も早朝から忙しい。しかし、見たいなー、見たいなー。 こんなつぶやきをすると、戯曲「夕鶴」の与ひょうのセリフみたいだ。 「はあ、見たいのう・・・。見ちゃいかんかのう?・・・のう、つうよ・・・のう、ちょっと見るだぞ。・・・いんね、いかんいかん、見ちゃならんとつうがいうただ。」--------------------------------- 家近しひと汗ぬぐう木下闇(こしたやみ) 青穹 山梔子(くちなし)の甘き香や月明かし 山梔子の夜目にもしるき白さかな
Jun 24, 2010
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子等つどう貧しき川の雑魚二匹 青穹 老農が手にとる茄子や黒光る 筋雲や宙(そら)に逆巻く波頭(なみがしら) 炎天や背に雷神の壮夫(おとこ)かな
Jun 23, 2010
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母の看護をしながら、NHK・TVから流れて来る「歌謡コンサート」を聞いていた。サブタイトルに「美空ひばりを歌い継ぐ」とあったからだ。 途中から聞いたので歌い手全員の歌い方をのべることはできない。伍代夏子さんの「東京キッド」、名前を失念した若い女性の歌、森進一さんの「さくらの唄」、大月みや子さんの「ひばりの佐渡情話」、吉幾三さんの「りんご追分」、小林幸子さんの「みだれ髪」である。 みなさんには悪いが、あまり感心しなかったと最初に申しあげておく。伍代さんには、ひばりさんにあった溌溂さと切れの良さがない。印象が薄い。次の若い歌手は、問題外。何を歌っていたかさえ耳に残っていないのだから。 さて、つぎの4人はいわば大ベテランである。それだけに選ばれた曲も、おそらく難曲中の難曲、と私は以前から思っている。はたせるかなこのベテランたちにも手におえるものではなかった、と私は聞いた。美空ひばりさんと比べるわけでもない。似ている必要などさらさらない。ご自身の歌にしていればそれでよい。しかし、である。 何よりあらためて思ったことは、美空ひばりの呼吸使いのすごさである。いわゆるブレスだけではなく、たぶん身体論として述べれば、背筋の強さではあるまいか。一瞬にして静動や長短をきりかえて音楽的にブレない身体の使い方。背骨を骨盤に真すぐたてる強靱な背筋力を、私は指摘したいのだ。 個々の歌手について具体的に述べてみよう。 大月みや子。歌い出しの「佐渡~~~の」は、もっとドスをきかせて荒々しい程に入らなければ、つづく「荒磯の岩陰に」から「咲くは かのこの百合の花」の可憐さがまったく引立たない。それは2番の歌詞でも同様である。同じく「佐渡は」から「四十九里」へ至る間に、美空ひばりは荒海の距離感を表現してしまうのだ。ただし2番の「佐渡は」は、テヌート(やや押えながら音の長さをしっかり保つ)している。この出だしの強弱によって、その後の悲恋物語は決定してしまう。作曲者の船村徹氏の見事な作曲術が、この出だしにある。この部分の呼吸法で曲に命が吹き込まれるのだ。 森進一。ちょっともうけものの曲が回って来た。観客は誰もが、この歌詞に森自身の実人生を重ねてしまうだろう。森はそのことを存分に承知し、てらうことなく自分の歌にした。しかし、森の歌唱力にして、森が思いを込めれば込める程、曲が単調に流れた。元来、起伏の少ない、メロディーラインが同じような繰り返しに終始する、その意味で、難曲。美空ひばりが印象深く歌い上げていることをあらためて驚きをもって回想した。 吉幾三。やはり呼吸だ。単純にブレスがまずいと言ってしまおうか。出だし。「りんご~~の はなびらが」の部分、「りんご~~」で呼吸を切ってしまい、つまりブレスを入れてから「の」と歌っている。つづく「風~~に 散ったよな」も、「風~~」でブレスして、「に」と歌う。これでは日本語の美しさがだいなしだ。音楽的にもオカシイだろう。ヘンなところで言葉を切ってはいけない。吉幾三、年をとったか。昔はこんな程度の肺活量ではなかったはず。 小林幸子。やはり全体的に呼吸法に問題あり。そのため言葉が生きて来ない。言葉を粒だたせようとすると、言葉の背景にある物語が消えてしまう。いわゆる口先の処理。ベテランだからなんとか技術で音楽にしようとするものの、言葉というものの不思議で、そんなことでは情景が起ちあらわれるようなことはない。ここにも美空ひばりの言葉に対する驚くべき感性があった。 美空ひばりは一語一語が明瞭で、語の関連性によってドラマを構築する以前に、単語そのものにドラマをつくる異常な能力があった。そのため、良く聴いていると、彼女の歌唱はめまぐるしいほどにドラマチックな情景が言葉にまとわりつくのであるが、これもまさに天与の才というほかないのだが、最終的には音楽的に一個の完成した情景にまとめあげてしまうのである。 美空ひばり「裏町酒場」の歌唱に例をとると、3番の歌詞、「思ったものを」の「思った」に、すでにその後につづく「別れ」の思いが気持にこめられている。歌詞の理解は、すべての歌手にあるだろう。しかし、その一語一語に、音楽的時間の流れを超えて、つまり楽譜上の流れを超えて、いわば歌詞の裏にある物語の時間の流れにそった心の内の思いを表現することは、すべての歌手にできることとは言えないのではあるまいか。美空ひばりの歌唱に私はそれを気付く。 歌がうまいといわれる歌手は少なくはないが、上記のような完成度を誇る歌手は、すくなくとも私は美空ひばりと越路吹雪より知らない。 呼吸の問題で、じつは、美空ひばりはただ一度「ミス」をしている。最後のステージといわれるドーム球場公演での「みだれ髪」においてである。その1番の歌詞の最終部分。「涙をしぼる」の「る」がかすれてしまった。これはめずらしいことだ。いや、おそらく完璧主義者の彼女にとって生涯に一度のことだったのではあるまいか。2番以下、彼女はもちなおしていた。 それにしてもNHKは、歌手に対して酷な企画をたてたものだ。鈍感なのかしら?
Jun 22, 2010
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老母が腹部大動脈瘤のステント・グラフト(人工血管移植)をして丁度1年になる。その部位に異常が起っていないか、血液の漏れはないか等を検査するために、きょう、CT撮影をした。 手術をした三鷹市の杏林大学病院は我家から遠いので、主治医と相談のうえ、また日頃の訪問医師の紹介で、近くの医療施設でCT撮影のみをおこなう。後日、フィルムを主治医に診てもらうのである。 携帯用医療酸素吸入器を装着して、ストレッチャーにのせたまま病院の送迎車で行った。出発してから帰宅するまで、ちょうど1時間半。血圧の変動もなく、無事に終了。
Jun 22, 2010
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夏葱のぞっくり生える太さかな 青穹 茜さす西の山端や立葵 立葵わずかな風に揺れにけり ががんぼやいつまで窓を叩くやら 姿なき夜間飛行や月潤む
Jun 21, 2010
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きのう来て今日も飛来るしじみ蝶 青穹 薮蔭にどくだみの花すがた良し 夏木立トンネル抜けて陽の白し 梅雨のひま温気沈めるビルの谷 苔さくや参るもならず父の墓
Jun 20, 2010
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垣越ゆる梅雨の晴れ間の蟻の列 青穹 おいしいか蜜吸う蝶や鉢の花 梅雨曇り見わたす屋根の重さかな 軒下に洗い物でる梅雨のひま 梅雨茸や浮世の憂さの肌湿り
Jun 20, 2010
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日本、敗れる。 後半8分、オランダのスナイデルのミドルシュートが見事に決まって1点を先制される。ようやく日本チームに火がついたようだが、それは相手も同じ。勢いが増した。 日本は松井に替えて中村俊輔を投入するも、中村にボールが渡らない。ゴール・チャンスは何度かあった。しかし決まらず、1点を挽回できずに試合終了した。 守備は良い。攻撃はどうした! オフェンス・ラインがほとんど上がって行かないではなかったか。それでは点を取れるはずはなかろう。 闘莉王のデフェンスでの活躍、GK川島の活躍に拍手。
Jun 19, 2010
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日本対オランダ戦、前半0対0で終了。日本のシュート数5本、オランダは3本。日本善戦。ボールのポゼッショニングがちょっと少な過ぎか。後半に期待。
Jun 19, 2010
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サッカーw杯、日本第2戦、対オランダ戦がまもなくキック・オフ。日本の先発メンバーはカメルーン戦と同じ。さあ、TVで観戦だ!
Jun 19, 2010
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午後3時過ぎ雨が降り始めた。この雨はこのまま1週間は降続くらしく、本格的な雨期到来である。暑さも籠りがちで、老母の体調管理がむずかしくなってきた。 拙作俳句は500句目となった。予定では507句のはず。7句さぼっていたわけだ。どこかで挽回しなければ。 長雨の前夜半月おぼろなり 青穹 遠きより青葉さざめき雨来る 長雨や香ひとすじの家籠り
Jun 18, 2010
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一輪の撫子が咲いているのを見つけ、幼少のころの信濃川上村を思い出した 撫子や千曲川原の芋煮かな 青穹 水石の深き碧に泳児かな 堰堤の真白く照りて千曲川 千曲川かの日かの夏吾在りて 道草や桑の実食いし山畠の
Jun 17, 2010
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雨あがり蜥蜴憩える日射しかな 白蝶や無限記号をえがきつつ 夏夜着にかえて老母の寝息かな 豆飯に奴は白し初鰹 新生姜三年味噌で齧りけり
Jun 16, 2010
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サッカーW杯 日本のチームカラーや青き四葩 青穹 紫陽花やつわものどもの球白し 夏草や球蹴る選手の肉のおと
Jun 15, 2010
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日本、勝った! 対カメルーン戦は、1対0で4大会初の初戦勝利、勝ち点3をあげた。後半戦の終了間際、はらはら冷や冷やの場面もあったが、GK川島よく守り、またすべての選手良く集中した。 さて、次は19日、優勝候補でもある対オランダ戦だ。オランダはきょう、デンマークに勝っている。
Jun 14, 2010
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W杯対カメルーン戦、前半39分、右サイドから松井のボールを待ち構えていた本田が得意の左足でゴールに押し込む。日本の初シュートが決まった。そのまま日本リードで前半戦を終了。ただいまハーフタイム中。
Jun 14, 2010
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さあ、いよいよW杯は日本の出番だ! 早朝から忙しく仕事をしている私にとっては、深夜12時過ぎまでのテレビ観戦は正直辛い。しかしやはりライヴで見たいヤネー。ガンバリ、マッショ! 紫陽花や山路に青き玉散りて 青穹 あじさいや雨沛然と不動坂
Jun 14, 2010
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サッカーW杯は、おもしろい試合がつづいている。開幕戦の南アフリカ対メキシコは、強豪メキシコを1対1の引き分けで抑え込んだ南アフリカの善戦。韓国対ギリシャは、欧州の覇者ギリシャを韓国が2対0で敗った。マラドーナ監督の初陣として注目されたアルゼンチン対ナイジェリアは、1対0でアルゼンチン。攻守の布陣にまったく穴がない。そのうまさに舌を巻いた。イングランド対アメリカは1対1の引き分け。1点を先取して圧倒的なイングランドだったが、イングランドのGKの痛恨のミスがでた。一旦止めたボールが弾いて、そのままゴール内にころがってしまった。 あしたはいいよ日本がカメルーンと闘う。 さて、東京は今夜あたりから雨になり、どうやら水曜日ころまで降続くようだ。あるいはこのまま梅雨入りとなるのか。 というわけで猫の食糧を補充しておこうと買い物に出た。 いつもの店で、レジの前に私よりさきに若い青年がやはり猫の食糧をかなり大量に買っていた。レジのおばちゃんと話しているのを聞くともなく聞いていると、青年は12疋の猫を飼っているのだそうだ。おばちゃんは次の私にも話しのつづきをし、近くの某さん宅では母屋の1階と2階の二部屋を猫専用の部屋とし、なんと数十匹飼っているとのこと。 「ほら、○○丁目のSさんよ。御存知でしょう? 1ヵ月の餌代が12万円くらいかかるんですって。・・・可愛いし、動物には癒されるけどねー」 あいにく私はそのSさんを知らなかったけれど、数十匹も飼っていれば餌代12万円くらいはかかるだろう。 我家の今の猫たちは御先祖猫のひ孫になるが、一時は十匹くらいいて、月に7万円くらいかかっていた。友人はあきれて、あるパーティーで某国大使と話しをしながら、「山田さん宅の猫は月に7万円の刺身を食べているのです」と言うと、大使は「私の家では子供にもそんなにかけていません」と大笑いしたことがあった。まさか刺身は食べさせないが、友人もまんざらおおげさではなくて、御先祖猫が医者も見放すような大病をしたときに刺身や牛肉を細かくして喉に押し込んでいたのだ。病院から器具を借り、3ヵ月ほどかかったが私はその猫を病気から救った。「たいしたものです」と医者は言ったものだ。 レジのおばちゃんが言うとおり、動物には癒される。母のベッドにあがって身体を寄せて寝ようとするので、一応母に聞いてみる。 「猫がいっしょに寝たいんだって。重くない?」 「だいじょううぶ。可愛いねー」 あるいは、猫は猫で、母の病気を気づかっているかもしれない。数十匹も飼う勇気は私にはないけれども。 門前にほたるぶくろの揺れにけり 青穹 灯ともしてほたるぶくろの花の影
Jun 13, 2010
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梅雨近し言わずなりけり身の湿り 青穹 江戸切子オンザロックの梅酒かな 二十年梅酒は息をひそめしか くちずさむ光太郎の詩や梅酒干す 暗がりに古き梅酒をもどしけり 厭われし銭苔の青うつくしき
Jun 11, 2010
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会津鶴が城天守閣の屋根瓦葺き替え工事は、昨日10日、鯱(しゃちほこ)が取り外された。きょうの朝日新聞朝刊は、その鯱の写真を掲載し、目に2カラットのダイヤモンドが嵌め込まれていることを伝えている。 この鯱は、45年前、天守閣再建工事を請け負った株式会社ハザマが、完成を祝して市に寄贈した。全身を銀箔、白眼の部分と歯とを金箔でおおい、瞳にダイヤモンドが埋めこまれている。19日から城内で一般に公開するそうだ。 目にダイヤ青葉しげりて会津鯱 「目には青葉山ほととぎすはつ鰹 山口素堂」のもじりである。
Jun 11, 2010
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梅酒や枇杷酒など、果実酒を仕込む季節である。我家でも数年前まではほぼ毎年つくっていたのだが、その後はちょっと途絶えている。上の2種に加えて、洋梨酒も1本、全部で1升瓶(1800ml)が10本ほどがキッチンの戸棚に眠っている。15,6本貯蔵していたのだが、飲んだり料理の隠し味につかったり、弟の家庭にプレゼントしたりした。一番古いものは1989年に仕込んだ梅酒。21年物ということになる。 高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収録されている最後の詩は「梅酒」という。それを以下に。 梅酒 高村光太郎 死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は 十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、 いま琥珀の杯に凝って玉のやうだ。 ひとりで早春のよふけの寒いとき、 これをあがってくださいと、 おのれの死後に遺していった人を思ふ。 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、 もうぢき駄目になると思ふ悲に 智恵子は身のまはりの始末をした。 七年の狂気は死んで終った。 厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを わたしはしづかにしづかに味はふ。 狂瀾怒濤の世界の叫も この一瞬を犯しがたい。 あはれ一個の生命を正視する時、 世界はただこれを遠巻にする。 夜風も絶えた。 私はこの詩が好きだ。 『智恵子抄』が出版されたのは昭和16年8月。以来、版を重ね、私が高校生のときに買った決定保存版は昭和38年1月に刊行された通版第54刷である。たしかずっと依然、このブログでその画像を掲載したが、見返しに智恵子作の梅の切絵を使い、紅絹で装丁した美しい本だ。 この短い詩に、人間の愛と悲しみが、諦念に似た感情とともに「玉のように凝って」いる。その孤独が私自身のこころに深々と降り積る。高校生のときとはまったく違う感覚で。 毎年毎年、果実酒を1瓶造りながら、智恵子のように身のしまつをしてゆくのは、いいかもしれない。その酒を誰が飲むかは知らないが・・・
Jun 10, 2010
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2010 FIFA ワールド・カップ 南アフリカ大会が、明日いよいよ開幕である。1次リーグ開幕戦は南アフリカ対メキシコ。日本はE組、14日(月曜日)の対カメルーン。そして19日(土曜日)の 対オランダ。24日(木曜日)の対デンマーク戦。いずれも、もちろん侮れる相手ではない。決勝トナメントに進むことができるのは各組上位2チーム。日本は、はたして決勝トーナメントに絡んでゆけるのか。 強化試合ではオウン・ゴールを連発するなど、勢いが空回りしていたが、もう、それを言うまい。若いGK川島永嗣のめざましい活躍があったし、FW岡崎慎司やMF本田圭佑に期待し、DF田中マルクス闘莉王の対人プレーの果敢さも期待したい。 とはいえ、カメルーン戦オランダ戦はかろうじてTV観戦できそうだが(NHK総合:夜10:35~1:35)、デンマーク戦は翌日の看護スケジュールに照らして到底無理。録画しておきましょうかね。
Jun 10, 2010
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きぬぎぬや光濡れける梅雨の先 青穹 爆音のくぐもる空や明日の梅雨 遠雷やどくだみの花青白き
Jun 9, 2010
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眠っていた老母が、一瞬、目をさまし、「戦地に連れていって」と言った。 私は顔を寄せて、「戦地? 戦地に行きたいの?」 母はかすかにうなづく。 「どうして戦地に行きたいの? もう、戦地はないんだよ。・・・夢を見たんだね・・・」 その言葉が聞こえたかどうか、母はもう眠っていた。 どんな夢を見ていたのか分らない。 しかし、夢を支配している心理と過去の現実は、なんとなく推測がつく。たぶん若き父への懇願だったのであろう。 父が召集されて赤坂の近衛聯隊に入ったとき、父と母とは婚約者同士であった。応召と同時に結婚をする人たちも多かったようだが、ふたりはそうしなかった。まさか間もなく北方中国方面へ派遣されるとは思っていなかったのかもしれない。いつ帰るとも分らない、あるいは帰らないかもしれない、・・・そういう状況にいたって、母は自分も戦地へ連れていってほしい、と思ったのではないか。 そのときの切なる思いが、70年ちかく経って、今日91歳になった母の夢となって現れたのかもしれない。 ほととぎす九十一の歳月よ 青穹 ほととぎす(時鳥)の鳴き声は非常に強い。気魄がこもり、超俗のイメージを日本の詩歌にあたえてきた。
Jun 8, 2010
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短夜や朝発つ声のかすかなり 青穹 投薬の時間を見れり明け易し 蛞蝓や箒にのたり身をすくめ 木下闇ぬけて風過ぐ山路かな 夏茱萸や熟れて廃れて蟻たかる 青梅や道におちこち散らばりぬ 汗拭う顔をそむけし栗の花
Jun 7, 2010
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万緑や葉先鋭き日のひかり 青穹 万緑や背に受く日射し強くあり 青葡萄ぬしなき家をおおいける
Jun 6, 2010
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このブログの管理データによると、ブログを開設して今日で1,800日である。その間に御覧下さった多くの方々には「ありがとうございます」と申し上げるほかに、お礼のしようもない。ほんとうに、ありがとうございます。近々の2,000日をめざして、またつづけることにいたします。 夕せまり雨も降りだし七変化 青穹 パレットに紫陽花の青ためしけり 紫陽花や雨に濡れゆく石畳
Jun 5, 2010
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痩土のグラジオラスや葉のみなる 青穹 剣葉の折れ曲りたる唐菖蒲 柿の花ひそかに雨に零れけり【註】「唐菖蒲」はグラジオラスの和名。------------------------------- 会津若松市の鶴が城天守閣の瓦葺き替え工事も、そろそろ大掛かりな足場組立が終りにちかづいているようだ。これからシートで覆われ、1カ年におよぶ葺き替え工事がはじまるのであろう。市の広報によると、シートには天守閣の巨大な影像がプリントされるらしい。それも楽しんでほしい、と言っている。 ところで、私の青春のその会津若松に、数年前に40年ぶりにおとずれ、3年後にも再びおとずれ、昔の面影のない市中をひととおり見てまわった。私が見た街は、歴史の降り積った街ではなく、日本全国に見られるような安っぽいガサついた街並であった。いかにも昔風に見える建物は、それらしく新築したもので、どこかのテーマー・パーク然としていた。観光立市のはずなのに、大事な本物の宝を破壊してしまったようだ。まあ、それでも偽物の建築がたちならぶテーマ・パークに満足する人がいるのだから、会津若松市もそれで成り立つのかもしれない。 私の記憶の影像として浮かんでくる街並は、街路に添って整然としてしっとりとしている。友人たちの家々もそのように浮かんでくる。それを幻を見るように眼前に思い浮かべていて、はたと気がついた。そうか、昔とちがって市民が自家用車をもつようになったからだ。 専用駐車場の必要から、城下町として区画がきっちりした所では、駐車場は必然的に街路に面していなければならないだろう。裏口へ回り込ませる余裕はなかろう。したがって表通りは各家、各商店、各ビジネス・ビルがめいめい勝手なところに駐車場を設けたために、整然とした美しさは失われ、デコボコ、ガタガタな街並になってしまったにちがいない。 そう気がついて、あらためて現在の街並を思い浮かべれば、あちらにもこちらにも駐車場が浮かんで来た。 生活者は日常の生活の利便性を選択するであろう。私の見方は、もはや観光客のものなのかもしれない。あるいは青春を踏みにじられたような気持が、どこかにあるのかもしれない。 が、一方で、街並をふくめて風景の美をいかに保ち、つくって行くかは、住民の文化的意識の問題であり、ひいては日本人の公共的な風景に対する文化的意識の問題に帰着するはずだ。あらかじめの「美しい日本」などは無い。そんなものがあると主張するのは極端な自己愛のために、正しい判断ができなくなっているのだ。少なくとも美しい日本の風景であるためには、環境に対する造形的な美意識が必要なのである。
Jun 5, 2010
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8ヵ月前、鳩山総理が誕生したときに、私はこのブログで小沢氏がネックになるだろうという意味のコメントを書いた。果たしてその通りになった。まあ、問題は鳩山総理自身にも多々あったわけで、この人の言葉は政治言語ではまったくなかった。この人の出現によって、日本国民は「政治言語」とは如何なる性質のものか少しは感得しただろう。理想を語っても、オバマ米大統領との違いは、実質的な政策に裏打ちされているかどうかということ。政治とは実行以外のなにものでもない、ということだ。 鳩山さんにとって、いささか気の毒だったのは、米軍普天間飛行場移転問題に関するかぎり、おそらく自民党政権であっても、沖縄県民に納得してもらうような案はなかったであろう。大胆なことを言うと、現政治家諸氏の誰もが、国民を納得させる最良の案は持っていないであろう。この問題は、方向を間違うと、軍備のための憲法改悪に発展する。それを画策する勢力も微々たるものとは言い難い。たぶん内心ウズウズしているはずだ。米軍普天間飛行場移転案件に関する賛否両論の底流にあるものを国民は見据えておく必要があろう。 さて、菅直人氏がどうやら新首相に指名されるのは間違いなさそうだ。学生時代から故市川房枝氏のもとで仕事をしてきた人。そういう意味では、お坊っちゃま2世首相とは異なるバックボーンである。途中で、「ボクやめまちゅうー」などと言いはすまいが、しかし、前途多難であることは他の首相経験者といささかも変わるところはないはずだ。拳を突き上げる姿は勇ましいが、その拳で日本の壁を突き破ることができるかどうか。わずか70数時間で国のリーダーが決まるのは拙速すぎはしまいか、という意見もあろうが、日本がおちいっている経済状況をふまえると事は急を要する。日本の総理大臣の選出についての議論は、この際、あとまわしである。せめて二重権力構造は打破して、新しい組閣をしていただきたい。
Jun 4, 2010
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照りそいし白磁の碗や桜んぼ 青穹 汝が皓歯麗しきかな桜んぼ ルーブルの貴女の密戯や桜んぼ 桜んぼ秘めるエロスや楚々として
Jun 3, 2010
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今日午前、首相が辞意を表明した。そこで川柳を2句。 山鳩や入り鉄砲に出女か 青穹 山鳩は入り鉄砲もデデッポウ もうひとつ、こんどは石川啄木の短歌をもじって。 国政を背負いてみれど言の葉のあまりに軽く三歩あゆめず 豚僕
Jun 2, 2010
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米国の彫刻家ルイーズ・ブルジョワさんが昨日5月31日にニューヨーク市内の病院で亡くなったそうだ。享年98歳。 ルイーズ・ブルジョワと言ってもおわかりにならない人は、東京の六本木ヒルズに設置されている巨大な蜘蛛の彫刻《ママン》の作者だと申しておこう。1911年パリに生まれ、数学を学んだのちに彫刻家に転身、アメリカに移住してニューヨークを拠点に、現代彫刻のひとつの局面を切拓く作品を創造していた。 暴力的な父親に支配された複雑な家庭で傷ついた自己と父親を形象化する、いわば自伝的な作品なのだが、個をつきぬけて神話的な普遍性を獲得していると言えるかもしれない。私はその点に強い関心をいだいてブルジョワ作品を注目していた。 1998年に横浜美術館で日本で初めての回顧展が開催され、71点が展示された。私はそれより早く、ニューヨーク近代美術館で所蔵されている《眠りの像 II》(1950)と《少女フィレット》(1968)を見ている。《少女フィレット》は、ラテックスと石膏でつくられた無気味な巨大ペニス、あるいは乳房から上を無理矢理ひきのばされた女を連想する造型で、頭部に針金の輪が突き刺して取り付けられ、鋼鉄の鋭い爪をした鈎にぶらさげられている。写真家のロバート・メイプルソープがこの彫刻を小脇にかかえたブルジョワの肖像を撮影している。メイプルソープの作品のなかでも有名な肖像写真なので、御存知の方も多かろう。 初期の《眠りの像 II》は、私見によればアフリカのマコンデ族の彫刻、もしくはピカソが参考にしたエトルスクの長身像の影響があるかもしれない。また、《少女フィレット》後に制作された《無邪気な女》や《か弱き女神》などには、遥か遠い古代オリエントの豊穣の女神像が揺曵する。・・・時あたかも30日の朝日新聞は、滋賀県東近江市の相谷熊原遺跡から、国内最古にあたる乳房と腰のくびれが強調された小さな土偶が発掘された、と報じていた。おそらくこの土偶も豊穣祈願がこめられているのであろうが、ブルジョワ作品にはそのような古代性・神話性に通底するものが感得されるのである。もちろんそれは彼女の女としての暴力的に男に引裂かれた痛みと怒りから発しているにしろ、ナルシズムを突き抜けて、人間のあらゆる現象を飲みこみ、吐き出す、大地母神のように起ちあらわれるのである。私が注目するのは、そこだ。 98歳だったので、創造活動は終焉していたであろうが、亡くなられたことは残念である。いや、作品があるか・・・ 1998年横浜美術館における展覧会の図録。灰色のボール紙に彼女の名前を黒で箔押しした、そっけないデザイン。それがすばらしい。デザインは桑畑吉伸。
Jun 1, 2010
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