全35件 (35件中 1-35件目)
1
さりともと座して春愁押し寄せる 青穹 春愁や笑みをつくりて立ち上がる わが指の強さや蔦の若葉かな ぼってりと八重の桜の疎ましき
Apr 30, 2010
コメント(0)
行く春を雨に嘆くや山帰来 青穹 柳絮飛ぶ銀座に雨の嘆くごと 盛りすぎ雨に倒れし桜草 若衆の姿とどめる藤の花 寄せ返し藤の花房揺れにけり 暮の春去り行くものは追わぬなり【註】「柳絮(りゅうじょ)」とは、春、柳の実が熟して綿のようなものが飛ぶ、それを言う。
Apr 28, 2010
コメント(0)
春の月きのう朧や今日の雨 青穹 春雨に音くぐもれる軍用機 雨に花散って散らすや軍用機 雨寒し孕み雀の落下見る 雨降って地も固まらず国の春
Apr 27, 2010
コメント(0)
きょう、老母のリハビリは画期的だった。6ヵ月ぶりに車椅子に坐ったのだ。これは昨日のベッドに端座後の「病気がなおったような気がする」という言葉を受けてのもの。 しばらく膝関節や股関節の運動をやった後、ベッドから車椅子に移乗させた。部屋の中をすこし動き、濡れ縁に面したガラス戸を開け、晴れた春の日が射す庭先を見せた。 私は外にまわって桜草が咲き誇るおおきな鉢を濡れ縁に運んだ。 「見えますか? 花がきれいですよ。香がしますよ」と理学療法士が言う。 母は無言で、うなだれたように目をつぶったままだ。 私は花を折って、理学療法士に渡す。 「目をあけてください。花が見えますか。風を感じますか?」 母はかすかにうなづく。 「何が見えますか?」 「息子が見えます」と母が言う。 私は腰をかがめて花の上に顔を出す。 「息子さんが見えますか?」 母の目がしだいにはっきり大きく見開かれる。 桜草の鉢を見ているようだ。 ・・・そうして20分間。 「疲れましたか?」 母はうなづいた。 「それではベッドに戻りましょう」 わずかこれだけのことなのだが、母にとっては戸外を見るのさへ半年ぶりなのだった。 血圧の変化もなく、体内酸素量も好調だったので、「今後様子をみながら、車椅子を使ってみましょう。しかし、移乗時に怪我などさせる危険性がありますから、ご家族はこれまで通りベッドでの端座だけにしてください。車椅子移乗は私がやりますので」と、理学療法士は言った。 「濡れ縁の前に花の鉢をつくりましょう」と家人が言う。時間があるときに園芸店に出かけ、花の苗を買ってこよう。 車椅子は、母の退院が決まった日に、手回し良くというか気が早くというか、購入したのだった。車椅子に乗せて散歩に連れだせたら・・・と、期待をこめて。 しかし、一度も使用することができず、母は寝たきり状態になってしまったのだ。 「はじめて車椅子を使いました」と言うと、 「車椅子がなければこういうことは出来ませんから、車椅子があって良かったです」と、理学療法士は言った。 折畳まれて玄関内に置かれた車椅子は、半年の眠りを醒めて、いよいよ出番が来たというかのように、輝いていた。
Apr 26, 2010
コメント(0)
緑摘む庭師の指の妖しけり 青穹 西山に月朧なり蛾うまるる おぼろ夜に樹液滴る光かな【註】「緑摘む」は、季語としてもちいる場合、春に松の新芽を摘み取ることを意味する。これは、松が過度に勢力を使い果たさないためにおこなうのだが、私はきょうの句で、それをいささかセクシャルに諧謔的にとらえた。あとは言わなくてもよかろう。想像次第である。
Apr 25, 2010
コメント(0)
寝たきりの在宅医療がはじまって6ヵ月余になる老母は、まもなく91歳になる。2年半前までは年間200册におよぶ読書をしていたのだが、命にかかわるたてつづけの大病の手術後は、それが成功したとはいえ、別人のように変わり果てた。痩せ細って、まるで枯れ枝そっくり、皺のなかに命がうずもれてしまっているかのようだった。しかし、家族の必死の看護のかいあって、ちかごろでは栄養もゆきわたり、太ってきた。 周囲をおどろかすほどの記憶力を誇っていたのだが、さすがにこちらは昔日の面影もない。ポロポロ抜け落ちてゆくように昔の記憶も失われ、現在の事を記憶する力もない。ただ、認知症かというとそうではない。言葉を力強くはっきり発音することができなくなっているので、他人がみれば「ボケ」と思うかもしれないが、母の場合はいわゆる「ボケ」ではない。私たち家族を相手にしての反応は、素早い。 たとえば、こんなふうだ。 夜、私が眠っている母のベッドのそばに立って、良く眠っているかどうか、寒くはないかなどと見ていた。すると母が、ぱちっと目をあけ、 「なんで、ボサッと立っているの」と言った。 「おかあちゃんを見ていたんだよ」 「きれいでしょ!」 このすかさずの返答。 「おかあちゃんは、ユーモアがあって、おもしろい人だねー」 「ハハハ」と母は笑う。 まあ、こんなぐあいだ。 きょう、リハビリの一環として、支えながらベッドの端に15分間腰掛けさせた。たとえ5分でも10分でもこのようなことをしていないと、首の筋肉が衰え、いわゆる首が坐らない状態になってしまう。母は当初、くたくたと崩れてしまうような状態だったのだが、ようやく自分で短時間ながら首をまっすぐ立てていられるようになったのだ。 疲れたというので、15分で終了し、寝かせた。しばらくして、熱が出ていないか額に手をのせると、目をあけた。そして、「病気がなおったような気がする」と言った。 「よかったねー。がんばって来たからねー」と私は応えたが、このようなことを言うのは初めてだったので、内心で驚いた。もちろん嬉しかった。それは、母のたんなる気分的なこころよさから出たことばであろうけれど、自分はこのまま駄目になってしまうにちがいないと思うよりどんなに良いか。そしてそういう感覚や、気分をもつことが、事実体調にたいへん影響するのである。 リハビリというのは当人が自発して初めて効果がでてくるもの。家族や理学療法士が、自発しない者の手足をいくら動かしてもまったく効果がない。自分が、生きるという意志をもち、なおりたい、なおすのだという意志がなければ、周囲の努力も無にひとしいのである。 老母のような超高齢者(と、医者などは言う)は、とかく自発性がうしなわれている。老衰の、それが正体なのだ。 「病気がなおったような気がする」という感覚を、どうやって持続させるか。あるいは、繰り返し繰り返しその気持を起させること、そのための工夫が私たち家族のこれからだ。
Apr 25, 2010
コメント(0)
雪が降ったり冷たい雨が降ったり、天候不順は多方面に良からぬ影響を及ぼしている。しまいこんだダウンジャケットを出した。街行く人はマフラーを巻いているのを見かける。挨拶といえば「寒いですねー」である。四月も下旬にはいったというのに。 しかし、きょうは良く晴れあがった。タンクトップの人さえいる。 おもしろいことに、我家の近所はいたるところで外壁の塗り替えをしている。俳諧の『炭俵』の「むめがゝに(梅が香に)の巻」は、芭蕉の「むめがゝにのっと日の出る山路かな」を発句とするが、その三句目は、野坡が「家普請を春のてすきにとり付て」とする。春の農閑期に家の普請をはじめた、という意味である。私は御近所の家々の塗装をみながらこの句を思い出した。ただし御近所の場合は、冬期に仕事が減少していた塗装業者が、きょうあたりの天候回復をまちかねたように、やおら一斉に仕事に着手したのではあるまいか。 いずれにしろ、街路樹として植栽されているハナミズキが一斉に咲き、躑躅もすでに盛を過ぎようとし、藤の薄紫の花房が揺れているのを見ると、季節は初夏の隣にきているのであろう。 さまざまな緑はぐくみ春行くや 青穹 あちこちで壁塗り替えて暮れる春
Apr 24, 2010
コメント(0)
雨ななめ茱萸の花散る狂おしき 青穹 春暮れて雨に端居の胸さわぐ 萌える気を呼び込まんとす行く春や かぜあめゆき狂い狂いつ行く春や
Apr 22, 2010
コメント(0)
訪問入浴のスタッフが、「向いのお宅は、おおきな亀を飼っているんですね。いま、道端に水槽が出ています」と言った。 「そうなんです。小さなミドリガメが、20cmほどにもなったのだそうですよ。奥さんがときどき散歩させています」 「亀も散歩が必要なんですか-!!」 高浜虚子に、「亀鳴くや皆愚なる村のもの」という一句がある。季語は「亀鳴く」である。典拠は夫木集の藤原為家、「川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり」という一首だという。 私は虚子のこの句が好きだ。好きというより、何か日本の底しれない闇を掬いとっているようで、忘れられない。為家なんぞ及ぶところではない。 きょうの私の句は、この虚子の句を典拠としていると申せば、ほかに説明はいらないだろう。お向かいさんの亀が鳴くかどうかは知らない。 古池や徒党を組めば亀が鳴く 青穹 亀鳴いて汚泥の底のおどろ哉
Apr 21, 2010
コメント(2)
俳句の「季寄せ」には4月の季語として「羊の毛剪る」とでている。羊は春に毛を刈るからである。 それで思い出したことがある。 60年も前、戦争がおわって4,5年しかたっていなかったころ、私の一家は北海道の羽幌町に住んでいた。戦地から帰った父の勤めと一家をとりまく事情が、まだそれほど安定していなかった時期。静岡県の土肥で私が誕生して間もなく、父は勤め先を変えて、羽幌町に移った。その町で、どういう事情かは私は詳らかにしないが、我家では羊を牧場に飼っていた。 昔、母から聞いたところによると、牧畜生産者が、我家で羊を買って、それを預からせてくれないかと頼んできたらしい。父は承知して、以来、郊外の牧場で我家の羊は飼われることになった。私は4,5歳で、父の休日などに牧場につれていってもらい、羊に塩を舐めさせたことなどを記憶している。 ところが、羽幌町での暮しが2,3年も経ったとき、父は以前の会社にもどることになって、一家は羽幌町を去ることになった。 ・・・さて、そこから、私の羊にまつわる記憶はなにもなくなるのだが、いったいあの羊はどうしてしまったのか。どうやら牧畜家にそのまま無償でゆずったらしかった。・・・数年後のこと、父にすばらしい冬外套(オーバーコート)が送られてきた。紺色に若い緑がまじったような品のいい染色で、仕立も申し分なかった。あの畜産家からの品物だった。我家の羊から刈り取った毛を、繊維にし、染色し、織り上げ、そうして一着の外套を仕立てあげたのだという。 父はその外套を、長い年月着ていた。・・・そんなことを、「羊の毛剪る」という季語から思い出したのである。 亡き父の古外套や羊毛剪る 青穹 外套は牧の若くさ空のあお てのひらに羊の息や春毛刈る
Apr 20, 2010
コメント(2)
雪置いて四月なかばの残花かな 青穹 狂い雪袖にはかなく梅若忌 さざれ波みだれる胸や卯月雪【註】梅若忌:謡曲『隅田川』に因む、少年梅若の死を悼む忌日。 その物語。平安時代末。吉田少将惟房の子梅若丸は、幼くして都で人買いにかどわかされた。吾が子の行方をたずねる母は、狂女となって東国の隅田川べりにやってきた。梅若丸らしき少年がいると聞いて。そして、まごうかたなき吾が子梅若をみとめて、駆けより抱こうとするが・・・それはすでに此の世のものでなくなっていた梅若の亡霊だった。 東京墨田区の隅田川のほとり、梅若児童遊園の片隅に梅若塚と称する小さな塚と祠がある。謡曲『隅田川』の題材となった話は、江戸時代には「梅若伝説」として戯作小説などにとりあげられた。追福を祈る人の夢枕に梅若丸が現れ、七つの願いをききとどけるというのだ。梅若丸こそ山王権現の仮の姿にちがいないと、塚のそばに御堂を建てて梅若丸の霊をまつった。かつては梅若山王権現として、梅若丸の忌日とされる陰暦3月15日に法要が営まれていた。現在では4月15日に、近くの木母寺で営まれている。梅若忌は、実在の人物というより、むしろ伝説・物語の人物の忌日法要といって良いだろう。
Apr 18, 2010
コメント(0)
東京西部は、昨夜から今朝にかけて、季節外れの雪が降った。四月半ばの雪は、45年以上東京に住んで、ちょっと記憶にない。気温が10℃以下というのは30年ぶり、とTVで言っていた。その矢先の降雪。 庭の木々の花が散って・・・木瓜(ぼけ)、茱萸(ぐみ)、椿も花桃も桜草も、そのほか野草の花も・・・それらの花弁をわざと掃かずに敷石を彩るままにしていたのだが、みな雪の下になってしまった。 天候不順がたたって、野菜が高騰しているようだ。一昨日の我家の夕食に、10種類の春野菜をたっぷり使ってスープをつくった。さらに、みず菜、三つ葉、春大根、林檎を、レモン・ジュースと黒胡椒とオリーブ・オイルに塩少々のドレッシング・ソースでサラダにし、チキンのハーブ焼きに添えた。・・・春野菜がおいしい季節だ。
Apr 17, 2010
コメント(2)
艶やかに取りをつとめる遅桜 青穹 緋桜や某女のドレスを想いけり かろやかに裾を捌きし春の宵
Apr 16, 2010
コメント(0)
天候には文句のつけようもない。せいぜい「天候不順」と言ってすませるしかあるまい。とにかく、初夏のような日だと思うと、きょうのようにヤケに寒い日となる。ぼやいても仕方がない。せめて井上ひさし流にこんな語呂合わせでもいかがか。 四月中旬 天候不順 頭は単純 心は不純 企業は利潤 消費者従順 政権一巡 公約平準 密約批准 厚顔隆準 物事淳淳 世の中矛盾 アジャパー伴淳 嵐の松潤 このへんで終りにしようジャン 冬物をまた出して着る深き春 青穹 胸にネコ腹腰足にも春寒み【註】春寒み = 春寒いので
Apr 15, 2010
コメント(2)
早朝から忙しい一日。老母の看護のためにほぼ毎日のように手助けをしてくれる人を迎えるが、今日もチーム・スタッフを含めて5人。家のなかに他人がいることに慣れたといえば慣れた。しかしいっかな慣れないといえば慣れないものだ。私は人に会うことはむしろ好きだが、それとこれとはまったく別。週の半ばだというのに気疲れがたまる。午後4時過ぎにようやく独りになって、自室でコーヒーを飲んでいると、心が急に静まり返って、広大な宇宙のなかにポツンと坐っているような気持になる。芭蕉に「静けさや岩に沁み入る蝉の声」という衆知の句がある。その句を思いだしながら、静けさが私の身体に痛いように沁み入ってくるのを感じる。 物売りの声も間延びす春の風 青穹 眼とじ耳そばだてば行く春や
Apr 14, 2010
コメント(0)
半ばなる身の置きどころ春惜しむ 青穹 空ともに散る桜抱く童女かな きょうの2句は、じつは常連客ちゃれさんの日記に触発されたイメージである。と言っても、人生観というか社会観は無論私自身のもの。自作を解説するのは好きではないが・・・ 「半ばなる・・・」の句は、天国でもない地獄でもない、いまここに生きている世だからこその春。しかし、その春が終わろうとしている。そして人生はうつろう。ああ、春よ・・・という心である。 「空ともに・・・」の句は、舞散る桜のはなびらを幼女が手をひろげて追いかける。空を一緒に抱き取るように。・・・という叙景ではあるが、私はここに嘗て桜の花が散るように潔く死ねよと駆り立てられて大空に散っていった若人の姿と、その生命を受け止める新しい生命としての童女という、象徴図を描いた。死に追い立てられた若人は、「散華」という美称で教育され、また生き残ってある側もその美辞麗句に酔う。このマヤカシ。 ・・・井上ひさし氏を追悼したことでもあり、「九条を守る会」の発起人でもあられた氏の意志を、私は自分のなかで確認しておきたかったのである。
Apr 13, 2010
コメント(2)

井上ひさし氏が9日に亡くなられた。浅草六区のストリップ劇場フランス座の文芸員として出発したという、その経歴に因んで、私の書棚から戯曲『珍訳聖書』の書影を掲げて追悼いたします。 戯曲幕開きにストリップ嬢が唄う一節・・・ 「春は弥生の 桃のお節句 六区ふらつく 見習コック たぎる思いは 凄いファック 思い立ちまら トルコにアタック やれずに空しいおスペのテクニック」昭和48年2月25日 新潮社刊〈書下ろし新潮劇場〉
Apr 13, 2010
コメント(0)
雨降りて細き流れに花筏(はないかだ) 青穹 雨垂れが穿ちし穴や花の壷 涙帯といてはらはら散る桜 春雨や小石に堰(せ)かれ花の渦巻 Cherry blossom petals are falling, I abruptly take it in my hand・・・ toward the end of spring (散る花をつと手に受けて春の暮)
Apr 12, 2010
コメント(0)
鬱金香(チューリップ)はらりと花弁散りおちる 青穹 散る花をつと手に受けて春の暮 春の気のはげしきゆえに尚淋し 春光のやや翳りきて茶を喫す
Apr 11, 2010
コメント(0)
さまざまな花弁散り敷く春行くや 青穹 我を置きうつりてゆくや春おしむ たんぽぽや野に純情の星の影 相撲とる少年激し草の原Dandelion(たんぽぽ)by Tadami YamadaSuch a blue sky is spreadin' o'er meWith open arms I'll go to meet theeDandelions are in bloom there and hereI picked and sowed the seeds last yearMurmurin' "Nothin' comes of nothin'"Many such golds are brightenin' up meLike the stars I kissed thee under thoseEmbracin' closely and fallin' on my kneesOh! I remember thee dyin' thy cheeks roseAlthough it's memory which passed awayIt's been long long time since thou left meBut now I'm going to accept thy return with smileI aged, and probably, thou also grew oldLet's see dandelion's downy seeds dancin' in the windIt'll seem that dreams of our youth had scattered
Apr 11, 2010
コメント(0)
契りきし花も朝(あした)の別れまで 青穹 春暮れて終(つい)の別れや右ひだり 春愁やただ青草の倒れしを
Apr 10, 2010
コメント(0)
桜貝おもいだす爪ひとつあり 青穹 江ノ島の朝の浜辺や桜貝 ○ 鶯やひとり遅れて鳴きにけり
Apr 9, 2010
コメント(0)
花祭り。芭蕉の句に、 灌佛の日に生れあふ鹿の子かな どこで鹿の出産を見ているのだろう。奈良あたりであろうか。実景か、それとも芸術的な想像か。 曼荼羅図のなかに〈春日鹿曼荼羅〉と称すものがある。月輪に通じる円相のなかに衆生救済の佛菩薩を配し、またそれを鏡像とみたてて、鹿の背に生えている藤に鏡を懸けている図である。奈良時代に神仏習合がおこなわれ、平安時代にいたって本地の佛菩薩が衆生救済のために日本の神となって現れる本地垂迹思想がひろく浸透した。 〈春日鹿曼荼羅〉はそのような思想によってうまれた。したがって鹿はかならずしも仏教と無縁ではなく、芭蕉のように釈迦生誕と仏教の使役獣である鹿の誕生とを結び付けて「詩」を創造することもできようはずなのである。 前回、花祭りは所によってさまざまな形態があるであろうと書いた。私自身にも思い出がある。寺院からお練り行列が出て、ふたたび寺院にかえってくるのであるが、私は稚児装束でそのお練りをした。まだ3歳にはなっていない頃。いま記憶にあるのは、花綱につかまって歩きながら眠ってしまい、僧侶がつききりで私の世話をしてくれていたこと。ゆめうつつで歩いていたことをぼんやり覚えている。戦争は2年8ヵ月前に終わったばかりだった。 戦(いくさ)後の何を祈るや花祭り 青穹
Apr 8, 2010
コメント(2)
午前中、所用で外出した。昨日の雨とうってかわって好天となったので、少し遠いが運動を兼ねて自転車で行くことにした。2時間ほどのサイクリングになるだろうと。 わが町は意外なほどに桜の木が多い。我家の裏山は、遠くから望むと、白っぽい若緑のなかにまるで千切れ雲の群のように、満開の桜がちらばっている。多摩川添いの堤にも桜並木がある。公園や学校やその他の公共施設の周囲、あるいは各寺院の境内、武蔵野緑地等々。また個人住宅の敷地に大層な古木があったりする。 桜はすでに盛りを過ぎ、あるお宅の門前から玄関までが花弁で真白に埋め尽くされていた。葉桜となっている場所もあった。 桜、花桃、辛夷、木蓮、どうだんつつじ、椿、かいどう、こでまり、木瓜、沈丁花・・・。 そして、黄水仙、桜草、芝桜、アイリス、チューリップ、フリージア、アネモネ、スイートピー、ヒヤシンス、パンジー・・・。 路傍に目をむければ、たんぽぽ、すみれ、オオイヌノフグリ、ジュウニヒトエ、ニワセキショウ・・・。 いたるところ花盛り。 そういえば、今日は花祭だ。所によって呼び名をことにし、灌仏会(かんぶつえ)といって釈迦の降誕を祝う祭でもある。 花祭だけ切り離せば、奥三河のそれに代表されるように、湯立神事を中心とする霜月神楽をさすところもある。花祭という名称については二説あり、ひとつは花山院が退位以後に大入に流浪しそこで没したことから院に因んだという説、もうひとつは稲の花の成育を祈願したという説である。 あるいは、伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を産んで女陰を焼かれて死に、日本書紀によれば紀伊国熊野有馬村に葬られ、「此の神の魂(みたま)を祭るには花の時にはまた花をもって祭る」とあることに由来するとも言える。 いずれにしろ、仏教の浄土信仰や白山信仰とまじりあって「よみがえり」の祭りとなったと考えられる。しかもその底流には、春の芽吹きをことほぐ古代の生命讃歌の思想がよこたわっているにちがいない。この思想は、かならずしも日本独自のものではなく、中国は言わずもがな、ヨーロッパにもある。「メイデー」がそれである。ヨーロッパでもさまざまに分化して、ケルトのドルイド教の「春迎え」、キリスト教と結びつくと「復活祭」となっている。(フリーページに掲載の拙論『夢幻能の劇構造と白山信仰私考』、および『卵形の象徴と図像』を参照してください。) というわけで2時間たっぷり春を満喫して帰宅した。すると家の前を一匹の蝶が舞っていた。ことし初めて見る蝶である。
Apr 8, 2010
コメント(0)
色褪せた葉書はらりと散る桜 青穹 電子字は念無く捨てて鹿島立 遠き地にたちて望めば春の暮 1月1日の初句から数えて300句目である。目標のペースを9句上回っている。しかし油断は禁物。
Apr 7, 2010
コメント(2)
午後も3時過ぎになって、猫のトイレの砂の買置きがなくなったというので自転車で出かけた。ついでに猫用の缶詰やドライフードも買って、さてその帰り道。 横断歩道で信号待ちをしていると、斜前から老人が自転車を押してやってきて、いきなり私の自転車の前輪に自分の自転車をぶつけるように突っ込んで、物も言わずにグイグイと押して来た。私は自転車に乗ったまま半ば倒れながら左足で踏ん張った。 「危ない、危ない」と老人に言うのだが、老人はうんともすんとも言わずに、更にぶつける。「何をするんですか」と言いながら私は自転車を立て直すと、老人はようやくハンドルを切って私から離れ、そのまま自転車を押して行ってしまった。 私は振り返って老人を見た。奇妙な行動をする人は少なくはないとはいえ、木の芽どき、どうも危険な人物に出逢ったようだ。 たぶんそのときに、買った品物が自転車のバスケットのなかにでも転げ出していたのだろう、しばらく走行しているとその物がバスケットから飛び出して街路に転がった。私は自転車をとめて、3,4メートルバックし、左手で自転車をささえながら腰をかがめて右手で拾おうとした。そのとき、後ろからやはり自転車でやってきた男子高校生が、自転車をとめて、私の落とし物を拾ってくれようと手をのばした。私のほうが一瞬早く拾ったのだが、「ありがとうございます」と私は言いながら、腰をかがめてくれている高校生の顔を見た。高校生は笑いながら会釈して、そのまま去って行った。その笑顔は清潔だった。世の中で成功する人物の相を私は見たと思った。
Apr 6, 2010
コメント(2)
裏山の桜かさなる濃き薄き 青穹 しろじろと桜吹雪や風の波
Apr 6, 2010
コメント(0)
灯油屋の売れぬ日もあろ春深し 青穹 椿の葉ひそかに世代かわりゆき 鋭利なる刃(やいば)毀(こぼ)つや竹の秋
Apr 6, 2010
コメント(0)
桜湯や無沙汰の垣もほどけゆき 青穹 桜湯やおもむろに咲く談話かな
Apr 5, 2010
コメント(0)

芭蕉にこんな句がある。 さまざまの事おもひ出す桜かな山田維史《桜花図》 桜花あの日この日の形見かな 青穹 念いなく捨てにしあれば山桜 薄墨の桜咲きたり羅生門
Apr 4, 2010
コメント(0)
一転にわかに掻き曇り、というより、寒い日曜日だ。 『暗い日曜日』とはシャンソンの名曲。「腕に薔薇を抱いて 吹きすさぶ木枯のなか・・・」と唄う。しかし今日は花見の宴会も多かろうに、さしずめ「腕に酒を抱いて 桜咲く寒さのなかで・・・」という有様だろう。 私も裏山にのぼって山桜を見てこようかと思ってはみたものの、点々点である。 そういえば「春高楼の 花の宴」と唄う『荒城の月』の「荒城」のモデルについては、作曲者の滝廉太郎には彼自身の、また作詞者の土井晩翠にはやはり自身の思い出があって、一概に此処だとは決められないようだ。しかし、その昔、土井晩翠が会津若松を訪れて講演をしたとき、自分がイメージしたのは会津の鶴が城だと言ったそうだ。作詞者本人の言葉がもとになって、鶴が城本丸内には「荒城の月碑」がある。いつ建立されたかは失念したが、おそらく戦前である。50年前中学生だった私には馴染みの碑であった。 花ぐもり酒で暖とる宴かな 青穹
Apr 4, 2010
コメント(0)
我家の裏山の桜も満開である。 山霞みうすくれないの山桜 青穹 山の端に薄紅を刷く桜かな はらはらと花の弟(おとと)や鹿島立
Apr 3, 2010
コメント(0)
東京都心部の桜は今日明日が盛りのよう。土曜日、花見の宴をたのしむ人も大勢いるだろう。晴れてようございました。 ベッドに横になったまま、近くの寺の明方の梵鐘の音を聞いていた。そして今日のスケジュールを頭の中でたどっているうち、想いは他にそれて、小学1,2年を過した信州川上村の山二旅館裏手の田圃を思い出した。 春半ば過ぎると、蛙がゼラチン質につつまれた卵を産み、やがてオタマジャクシとなり、脚が生え手が生え、ひとりまえの蛙になるのを観察できた。その田圃の畦道や、卵の様子が、映像として目にうかんできた。オタマジャクシは他の土地でも見ているのだが、なぜか山二旅館裏手の田圃のそれだけが今はあざやかによみがえってくる。水のなかの土の色や、ゼラチン質の太い紐状の卵の様が・・・ 春暁や鐘の音きこゆ現(うつつ)なく 青穹 信州の水田(みずた)の蝌蚪(かと)や幼き日【註】「蝌蚪(かと)とはオタマジャクシのこと。
Apr 3, 2010
コメント(0)
四月だけ馬鹿とは行かぬ国政(まつりごと) 青穹 春嵐やあほ掻きまわす国政 きょう桜きのう嵐のつみかさね あほどもを選んだ儂の日永かな 春暢(しゅんちょう)や喉元すぎる茶の熱さ 春のんき命みじかし孫子(まごこ)の負【註】「四月だけ馬鹿とは行かぬ」。その心は、「年がら年中、馬鹿っぽい」。
Apr 2, 2010
コメント(0)
手をのべて与願の印や木蓮花 青穹 また一つ消えて荒地の繁縷(はこべ)かな 花はいま何処のあたり渡りしか【註】与願印とは、虚空蔵菩薩の結ぶ印形で、右手を膝にゆったりのばし掌を上にむけてひらいている。虚空蔵菩薩は、虚空のように限り無く広く大きい福徳や知恵を蔵し、それを衆生に与えて願いを成就させる。記憶力を得ようとするものは求聞持法(ぐもんじほう)の、福徳にあずかろうとするものは虚空蔵法の、それぞれ本尊となる。 私の句は、虚空蔵菩薩が与願印を結んだ御手をさしのべておられる。木蓮の花も枝をのばして、それがまるで与願印のようだ、という意味である。【註】「繁縷(はこべ)」は、ナデシコ科の野草。春の七草のひとつ。
Apr 1, 2010
コメント(0)
全35件 (35件中 1-35件目)
1


