『福島の歴史物語」

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2008.01.17
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 まさにこの日、長岡藩を盟主とした北越六藩がこれに加盟し、奥羽越列藩同盟が成立した。奥羽列藩同盟に代わり、新たに奥羽越列藩同盟の盟約書の起草を委嘱された仙台藩の案は、
「薩長は朝廷の姦敵である。虚名を張り、策謀を巡らし、陰に大権を盗み、暴動をほしいままにしている国賊である。奥羽越諸藩に対し、すみやかに国賊追討の綸旨を頂きたい」というものであった。
 余りに過激な文言に列席者は驚き、「これでは、宣戦布告文だ」と言って論争となったが、誰かが大きな声で、「これでよし!」と叫ぶと、出席者の多くがそれに雷同した。
 奥羽列藩同盟からの流れもあり、結局三春藩も、藩主の秋田万之助映季名で奥羽越列藩同盟に賛成せざるを得なかった。いまさら「会津救解・不戦論」など持ち出せなかったし、反対論を唱えればその場で斬殺されかねない雰囲気であった。勤王の主旨を声高に言えない状況であり、反対意見はくすんでしまってまったく生彩を失ってしまっていた。帯刀は押し黙ってしまった。このように殺気だった中での穏健派の発言は、かき消されてしまったのである。さらに会場には酒が持ち出され、大宴会となってしまった。そして会議場全体が、異様な雰囲気に包まれていったのである。その宴会の乱れを見ながら帯刀は、奥羽越列藩同盟の本質を感じて慄然としていた。
 それでも、その後に修正された文言は、積極的に新政府に対抗したものではなく、時局の推移に加盟諸藩共同で対処すべきであると述べられているに過ぎなかった。

   今度奥羽列藩会議於仙台告鎮撫総督府欲以修盟約執公平正大之道同心協力上尊王室下
   撫恤人民維持皇国而安宸禁仍条例如左
    一、以仲大義于天下為目的不可拘泥小節細行事
    一、如同舟渉海可以信居以義動事
    一、若有不虞急要之事此隣各藩速援急可報告総督府事
    一、勿負強凌弱勿計私営利勿泄機事離間同盟
    一、築造城堡運搬糧食雖不得止勿謾令百姓労役不勝愁苦
    一、大事件列藩集議可帰公平之旨微細則可随其宣事
    一、通謀他国或出兵隣境可報同盟
    一、勿殺戮無辜勿掠奪金穀凡事不義者可加厳刑事
    一、右之條々於有違背者則列藩集議可加厳刑事
       慶応四年五月

 仮にこの内容が建前であったとしても、この文面から穏便であることを確認した三春藩代表の大浦帯刀は、藩主の映季の名で奥羽越列藩同盟に参加の署名をした。

「いよいよ、恐れていたことになったな。文言はともかくとして、同盟が気負い立っている今、わが藩としては朝廷、つまりは新政府支持の主旨を公にし得ないのう」
 季春が言った。
「はい。しかしどうもこのままでは、わが藩は、新政府に抵抗する側に組み込まれてしまいましょう」
 嘉膳がそう言うのを聞いた明徳堂学長の山地純之祐も、「しかし嘉膳殿。奥羽越列藩同盟が新政府と戦うと決めた以上、同盟はすなわち国の賊となるということではあるまいか。天朝に背かずというのがわが藩是なのに、このままでは国賊の名を後世に残すことになってしまう。これは大変なことだ。わが殿は幼く、事のご理解が難しい。これでは訳も分からぬまま、藩を挙げて賊軍となってしまう」と厳しく言った。
 嘉膳も苦渋の色を顔に浮かべていた。
「私も、心を痛めておりまする。情報によれば、秋田・秋田新田・本庄・矢島・亀田・弘前・黒石・新庄・天童藩などがすでに反盟を明確にしており、あげくに本庄・矢島・新庄などは同盟軍に押しつぶされ、亀田藩などは再び同盟側に転向したそうにございまする。どうしたらよいか・・・」
 そう言いながら季春に向きを変えると、
「とにかく季春様。すでに秋田藩も同盟軍に領内深く侵攻されておるそうでございまする。このような状況の中で、奥羽越の主導者である仙台と米沢藩がわが藩より遠くない北にあることは、まるでわが藩は同盟という海の中の孤島のようなものでございまする。守山藩はわが案に同意はしたものの、奥羽越列藩同盟の方針が明確になった今、あのときのような意気込みは感じられませぬし、相馬藩も地域的に離れておりまする。二本松藩は、白河の攻防戦で、奥羽越の諸藩に莫大な借りを作ったようなものでございましょう。借りを返すためにも、二本松は戦わざるを得ないのかも知れませぬ。とすれば、先に話した二本松藩士の秋山次郎左衛門も、動けぬかも知れませぬ」
「秋山次郎左衛門も動けぬとなると、これは困った。秋田藩の例もあること。こうなればわが藩としても、新政府との戦いに引きずり込まれる危険性が高いということになるな」
 季春は山地の顔を見ながら言った。
「はい。それにわが藩領内には、仙台・会津・二本松・平などの各藩が兵を送り込んで来ておりまする。戦いが始まれば、重要な位置にあるからでございましょう」
「もはや、引きずり込まれてしまったも同然か?」
 季春は憮然とした面持ちで言った。
 嘉膳が答えた。
「いや。それでも、なんとかせねばなりますまい。ここはともかく、私と山地様の二人で、新政府へ御救助嘆願書の提出のために上洛したく思いまする。くどいと思われてもわが藩の主旨を何度でも申し上げ、忠誠の意を明らかにすべきかと思いまするので・・・」
「うむ、そうか、行ってくれるか。しかしこの辺りには、奥羽越列藩同盟の兵が散開しておる。嘆願書を帯同しての旅は危険じゃ。内密に常陸を経て、東海道を上るように」
 季春はしばらく考えていたが、そういう助言をするのを忘れなかった。

       嘆願書
   先般御届申上置候通・・・扨当藩之儀者僅々一藩ニ御座候得者如右四方
   之大藩を引受及接戦候儀難計当惑至極仕候・・・勤王之赤心動揺不仕官
   軍御到着奉待尽力仕候外他念無御座万之助始家来共迄決心罷在申候奉迎
   望候者右之赤心御憐察被成下早々御進軍御救助奉嘆願候                          
                           以上

      五月晦日
                     秋田万之助家来
                         秋田広記
   弁事御役所

  このような微妙な時期に、三春領のある神官が二本松領に入り、「新政府軍が三春に入り、二本松に攻めてくる」などと言いふらし、騒ぎを大きくした。そのため二本松や本宮は恐慌状態となり、二本松藩は三春との国境の稲沢村に陣屋を新設し、二本松と会津の両藩兵を進駐させた。さらに本宮に宿営していた仙台兵のうちの百人ほどが三春に入り、紫雲寺や法蔵寺に分宿した。
 やがてこの神官は捕らえられ、牢に入れられた。
 嘉膳は町で噂を聞いてきたトクに、「これは三春藩の本意故、秘密を守るように」と言いながら、この状況を説明した。
「三春藩が白河に出兵した際、あの黒禰宜も加わっておった。その黒禰宜が、勤王の志を泉、湯長谷、相馬の士に言ったのが漏れて、白河が落城したのは黒禰宜の手引きだと言われてのう・・・」
「黒禰宜でございますか? ああっ・・・」そう言うとトクは、思わず口を手で隠した。
「黒禰宜って、あの富沢村の禰宜様でございましょう? まぁー、本当にあの方は、赤銅色の黒い顔をしておりますものね」トクはそう言うと、今度は声を出して笑った。
 しかし嘉膳は、不謹慎と思えるその笑いを無視して話を続けた。
「そこで白河の三春陣所に引き立てられた黒禰宜は、仙台藩の塩森主税様など、各藩立ち会いの上で詮議を受けた」
 今度はトクは、笑わなかった。
「そのとき黒禰宜は、大声で叫んだそうじゃ。『この度一天万乗天子、王政復古の勅を垂れさせ給い、我等勤王の士相はかりて力を添え奉りかりそめにも錦旗に抗せん輩にはいちいち天誅を加えん決心なれど運命つたなくしてかく捕えらるる上は、一時も早く斬らるべし』とな。さすがにそこに居合わせた者は、皆な驚いたというわ」
「・・・」
「こういう考えの持ち主であったから、二本松領に入って騒ぎを起こし、三春藩を早く新政府の側に付けようとしたのであろう。黒禰宜も気がもめたのであろうな」 
  五月十三日、黒禰宜の問題を水に流すかのように、三春藩の秋田太郎左衛門指揮の三春兵は、舞鶴城の大手前にて剣付鉄砲や槍の隊列で閲兵を受け、盃を下げ渡されて仙台藩兵ともども白河攻防戦加勢のために出陣して行った。
 嘉膳の意志に反して、情勢は悪化の一途をたどっていた。







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最終更新日  2008.01.23 13:10:41
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