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移 民 船
一八九八年一月十五日、富造を乗せたモアナ号は、ハワイ共和国のオアフ島に近づいていた。船客たちもデッキに出て、島の様子を飽かず眺めていた。
突然ホノルル港の方角で大きな水煙が上がり、瞬時の間を置いて大きな爆発音が聞こえた。
「なんだ、あれは」
富造は船客たちのざわめきを聞きながら、パールハーバーが工事中であったことを珍田総領事の講義から思い出していた。何年か前にハワイを視察していたアメリカのジョン・スコウフィールド将軍は、ハワイの軍事的価値を即座に認識し、ハワイ併合間題が論議されていた米国議会で「ハワイを併合し、即刻要塞化すべきである」と主張し、それに基づいて工事がはじめられていたのを聞いていたからである。アメリカは本土から離れたハワイを要塞化することで、その西部の国防に備えようとしていたのである。
その間にも、崩れた水柱が立てた大きな波が拡がりはじめていた。
──湾の入り口の珊瑚礁を幅六百メートル、長さ九千メートル、深さ九十メートルの航路聞発のため掘削すると教えられていたが、さすが目の前で見ると大工事だな。
富造はそう思った。
大陸横断鉄道、ソルトレーク大神殿、サンフランシスコのビル街の工事などを見てきた富造にも、底知れぬアメリカの経済力が驚異であった。
爆発によるうねりが、ゆっくりと近づき、船が大きく傾いだ。
やがて船は、ハワイを象徴するダイアモンド・ヘッドを右手に見、左手のパールハーバー軍港との間のホノルル港に入っていった。アロハタワーと桟橋が近づいてきた。ふと気がつくと、地元の青年たちが船のまわりを泳いでおり、船客がコインを投げ込むとそれを目がけて潜水し、拾ってきて見せていた。コインを拾った青年はそれを客に見せると口にくわえ、拾えなかった青年ともども泳いだまま手を叩いてもっとコインを与えるよう囃し立てていた。オアフ島の日差しが、サンフランシスコのそれとはまた違っていたのに驚いた。サラッとした風が、その日差しとは似合わぬ涼しさを運んでいたのである。
船から見る限り、ここにはドール社のビルの向こうのアロハタワーとパイナップルタワー以外には、低い建物しか見えなかった。船が桟橋の近くに来ると、船客を歓迎するための楽隊が鳴り、派手な衣装のフラダンスの踊り子たちが緩やかに腰を振っていた。その陽気な様子と華やかな原色に、富造は目を奪われていた。そしてその桟橋の一隅に目をやって、はっと気がついた。
──おおっ! あそこで帽子を振っているのは、菅原ではないか? そうだ菅原だ。菅原が迎えに来てくれたんだ! しかしあの隣に居るのは・・・。小野目だ。小野目先輩だ! 仙台中学の先輩の小野目さんが、ハワイに来ていたとは・・・。
「おーい! ここだここだ!」
目ざとく見付けた富造はちぎれんばかりに帽子を振り、大きな声を上げた。しかしその声は、まだ二人の耳に届くほどの距離に近づいてはいなかった。小野目文一郎もまた、ハワイ共和国の移民官として日本から派遣されて来ていたのである。
その港にいる人たちの服装は、多彩な各地の文化をそのまま表わしていた。服装はハワイのスタイルのほかにアメリカで見慣れたもの、そしてアジア人ものと雑多であった。それであるから、服装のモードで国籍を当てることも簡単であった。そして多くの国籍の言語が、群衆の中から聞こえていた。船客たちは桟橋で歓迎のレイを首に掛けてもらって上陸した。陽気な楽隊が、より一層歓迎の音を高くしていた。ハワイの雰囲気は、日本人移民の占める割合が多く、アメリカ本土のそれとはまた違っていた。富造としても、心が安らぐ感じがしていた。
この二月十五日、バハマ海域のキューバの暴動に備えて派遣されていたアメリカの戦艦メイン号が、ハバナ港で突然爆発炎上して沈没し、二六〇名もの水兵の犠牲者を出すという事件が起きた。
アメリカの世論は沸騰した。
「メイン号沈没は、スペインによる爆破だ!」
「リメンバー・メイン!」
燎原の火のように燃え広がったこの声はアメリカの世論を統一し、開戦一色に駆り立てていった。
富造たちは知らなかったが帝国政府のハワイ移民に対する本意は、アメリカを刺激せず、ハワイにおける日本人の参政権と欧米人との対等な地位の獲得することにあった。そのために、すでに何度か派遣されていた帝国軍艦は、戦闘的な意味ではなく、単に建前上の儀礼として訪問し、日本の存在感を示そうとしていたに過ぎなかった。アメリカもまたその意を汲み、日米軍艦の艦長は、互いに表敬訪問を繰り返すだけの穏和な関係に留まっていた。しかし、この政府間の本意を知らない日系移民たちは、日清戦争の勝利を背景にして、参政権の獲得だけでなく、
談判のための全権大使並びに軍艦の派遣。
帝国軍艦のホノルル常駐。
移民監督法を改良し日本移民を保護すること。
現行労働契約を暫時改正してこれを廃止に導くこと。
日本移民に対するハワイ永住の奨励。
日本移民を改良振作する計案の樹立。
などを強く要求していた。それであるから移民の中には、「あまりアメリカが日本人に嫌がらせをすると、日本の軍艦がわれわれを助けに来るぞ」などと、真顔で言う者も出てきたのである。
しかし日本移民のこのような強硬な主張は、かえってアメリカのハワイ合併派に味方していた。アメリカ政府内部でも合併推進派が急浮上し、アメリカの世論はメイン号の事件もあって国粋的になり、ハワイ併合に大きく舵を切りはじめていた。
ホノルル・アドバタイザー紙(英字紙)は、「日本人同盟会は単に政治上の目的を持って組織せるものにして、平和の手段以外の方法を採らず。かって藤井領事が、ハワイに在る日本人の為に参政権を要すと言へると同一の目的なり」と評した。しかし一方でテレグラフ紙(英字紙)は、布哇が日本に合併される危険性を説いていた。これら連日の新聞の見出しは、次のようなものであった。
「日本側は攻撃的態度をとっている」
「深刻な状況から、危機的状況に移る」
「ハワイを日本にくれてしまうのか」
「邪教対キリスト教の戦い」
「アングロサクソンを日本化から救え」
「太平洋の要を占めるのは野蛮な東洋か、文明国のアメリカか」
帝国政府も苦慮していた。過大な人口を抱え、なおかつ貧困の中に喘いでいた日本の社会経済情勢が、多くの移民の受け入れ先を求めていた。その最大の受け入れ先であるハワイが、揉めていたからである。
(ハワイ州州旗。ハワイ王国国旗、ハワイ共和国国旗を経て現在に至る)