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続 忸怩戒
魚 雁 往 来 NO24
魚雁往来(ぎょがんおうらい)とは、手紙が往ったり来
たりするという意味です。
無着成恭
文●むちゃく・せいきょう
泉福寺住職 南無道場首管
村尾健二
え●むらお・けんじ
秋深し聞かれて知らぬことばかり
(季語)秋深し─秋(平成二十年)
秋も深まると、いろいろなことを考えてしまう。オレは学校の教師なんかになって、知ったかぶって(シッタカブッタ)子供の質問に答えてきた。TBSをキーステーションにしての「全国こども電話相談室」という番組をつくることに熱心になったりした。ついでに書いておけば、全国こども電話相談室は昭和三十九年七月の第二月曜日から始まった。最終回は平成二十年九月二十八日であった。四十四年半の長寿番組だった。しかしこれで終ったわけではなく、TBSでは別の形で子どもの質問を受けつけるコーナーがつくられるし、NHKの方は夏休みの間「全国こども科学電話相談室」として残り、そこにはTBSで育ったベテラン解答者が顔を出している。この世に子供がいる限り、質問が限りなく続くのであろう。
はてな? と思う。質問をする──ということこそ、ヒトは生きていることを実感するのかも知れない。ヒトが人間になるということはハテナ? と思う心があるからかも知れない。単なる哺乳動物の一種であるヒトが、人格を持った人間になれる──人間としての資格を持子とができるのは質問するからかも知れない。
しかし、このオレはシッタカブッテいいかげんなことばかり答えてきたなあと、しみじみ忸怩(じくじ)たる思いにとらわれているこの頃である。まさに「秋深し」なのだ。
しかし、「仏様と神様はどう違うのですか?」とか「道徳と宗教は同じなんですか、違うんですか」とか「戒律、戒律というけれど、戒と律は同じものですか、違うものですか」とか「なぜこの世の中には男と女しかいないんですか。男でも女でもない、中間はいないんですか」等々々。そのような質問にこのオレは何と答えてきたのだろうか。
この魚雁往来(ぎょがんおうらい)に紹介した橋本捨五郎さんから手紙がきた。
《『我ら同胞のために』という本のタイトルは始め『我ら祖国のために』だったのです。しかし、二世にとっての祖国はアメリカであり、一世たちの母国は日本であったのです。祖国と母国。この狭間で苦悩した日系二世という名の日本人に何が起きたのか? 日本という国家は、日本に住む日本人だけにではなく、海外に移民していった日本人たち(もちろん満蒙[まんもう]開拓移民も含めて)に対して、とんでもない犠牲を強いたのです。国家は国民のためにあるのだ──ということを主張するためにも『我ら同胞のために』としたのです。》──と。
もう一つ。オレは知らなかった──と声に出して言ったのは、憲法第九条ができるいきさつであった。
日本国憲法・第九条
「私たちは、まごころから、世界の平和を望んでいる。それには、どうしても戦争をやめなければならない。だから私達はどんなことがあっても、どんな時代になっても、よその国を軍隊の力でおどかしたり、戦争をしたりすることは一切やらないと決心した。そして、それを実行するために、私達は日本の国を軍隊を持たない国にするのである」
注*この口語(こうご)訳は、日本の子どもたちの憲法学習のため、宮沢俊義氏と国分一太郎氏の二人によって昭和三十年有斐閣(ゆうひかく)から出版されたもの(『わたくしたちの憲法』)である。それを東京都武蔵野市が復刻し、申し込めば無料(送料は自分持ち)でわけてくれる。
人類史の中で重要な役割をになうであろう日本国憲法(平和憲法)の、この第九条を変えて、日本を戦争のできる国にしようとするたくらみがある。それは間違いだとオレたちは言う。特に仏教徒であるオレたちにとって、平和こそがホトケの心だからだ。しかし、この第九条がどうしてできたのか知らなかった。政治家から「アメリカから押しつけられたのだ」と言われて、そうかな──などと思ったりした。
ところが『憲法第九条はなぜ制定されたか』(古関彰一著・岩波ブックレット・四八〇円)を読んでびっくり仰天、オレの目ん玉がひっくりかえったのだ。
簡単に書けば昭和天皇が、この条文を入れよいう「勅語(ちょくご)」を出していたのだ。それは昭和二十一年三月六日である。
「(─略─)日本国民カ正義ノ生活ヲ希求シ文化ノ向上ヲ希求シ進ンテ戦争ヲ放棄シテ誼ヲ万邦ニ修ムルノ決意ナルヲ念ヒ(─略─)憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ以テ国家再建ノ礎ヲ定メルコトヲ庶幾(コイネガ)フ政府当局其レ克ク朕ノ意ヲ体シ必ズ此ノ目的ヲ達成セムコトヲ期セヨ」
というのである。つまり、憲法第九条は、昭和天皇の積極的なご意志で条文となったのだ。そのために、天皇を戦犯として取り調べるべきだという連合国側からの圧力が天皇からそれていき、第一条の象徴天皇という形で天皇制? が残ったとしても。
逆から考えてみよう。もし、日本国憲法の中に、第九条がなかったらどういうことになるのか。答えは簡単である。昭和天皇は戦犯として、絞首刑になっていたのだ。
この事実を、憲法改正をとなえている方々、戦争のできる国にしたいと考えている政治家、そういう方々はどう考えるだろうか、とくに日本のお坊さんたちはどう考えるだろうか。
青い空仰ぐ八月十五日(昭和二十年)
オレが羽黒山の社務所のラジオで、天皇陛下の「玉音(ぎょくおん)放送」を聞いた直後の気持だ。そして十月、テニスをやっている山形師範(学校)の中庭で、
青い空白いボールがぽんと飛ぶ(昭和二十年)
この俳句をつくったとき「それには季語がないよ」などと仲間からバカにされたのだが、この句を知っている十人ほどの仲間が集まると、この句の話になる。
B29がいなくなった青い空だった。そして「青い空」という映画ができた。けれども、そこでも、憲法の第九条はなぜ出来たのか明らかにされなかった。事実を知ってオレは「ふ─」っと息をはいた。
海を見て空を見上げて秋惜しむ
(季語)秋惜しむ──秋(平成二十年)
大分県の教育界をゆるがした汚職事件は七月半ばから八月・九月と毎日のように報道された。もちろん今だにほとんどの問題は決着していない。ただ平成十九年度、点数を嵩(かさ)上げしてもらって採用されたという二十一名の教師は退職を勧告された。前年度までも、嵩上げで採用された教師はたくさんいたらしいが、証拠が不十分ということでそれは問われないことになった。内部事情を全く知らないオレはおかしなことをするもんだと思った。案の定「嵩上げされて採用されたなんて知らない」「自分は何もたのんでいない」という教師がでてきた。
オレが一番心配するのは、処分を言いわたされた教師から担任されている子どもたちのことである。
「オレたちの先生は成績が悪いのに点数をかさあげしてもらって先生になったんだそうだ」ということが心の底に沈むだろう、これは教育上はかり知れない汚点となる──とまず思った。
つぎに、学校の成績がよかった人が、よい教師になるとは限らないということだ。むしろ成績が悪くても、わかろうと努力して、「なるほど!!」とわかった人が、子どもの心にとどく授業ができるのだ。学校の成績がよい人がいい先生なら東大卒業生を先生にすればいい教育ができる──ということになるだろう。
とにかく教育委員を選挙制にして、政治から教育を独立させることが先決だ。
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50位以内に入れればいいなと思っています。是非応援して下さい。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。
戊辰150年・新聞記事 2018.01.17
ハワイの新聞で紹介されました 2017.12.28
ハワイでの報道 2013.11.24