『福島の歴史物語」

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2012.11.02
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カテゴリ: 街 こおりやま


 日高見という地名は、大和または蝦夷の地を美化して用いられた語で、特に大和から見て東方の辺境の地域のこととされていました。ですからそれは、特定の場所を指すものではなかったそうです。長脛彦(ながすねひこ)が神武天皇に敗れて逃れた地であるとも言われます。

 神話学者の松村武雄氏は、日高見に『日の上』という意味があるということから、日向から見て東にある大和のことを『日の昇る国』と呼んだとしています。

 日高見国という地名の最初は、武内宿禰(たけうちのすくね)が東国視察を終えた際の報告書の中にあり、日本書紀に記載されているそうです。また日本武尊が東国遠征からの帰途、陸奥国から常陸国に入るところで『日高見国から帰りて』という一節があるそうですから、日高見国は茨城県よりも北にあったことになります。養老5(721)年に成立した常陸国風土記の信太(しだ)郡の条に、常陸国は『ひたかみのくにへの道』の意味で、元『日高見国』とあるそうです。

 また日高には『見る』という意味があり日の出(日立・茨城県)の意味も持つので、信太(しだ)については、日の出(鹿島神宮の方向)を見る(拝む)地、ということではないかとも推測されています。いずれにしろ、日高見国は時の王権の支配する地域の東方で、大和国の東進とともに北方に移動していったものと考えられています。なお北上(きたかみ)川という名称は日高見(ひたかみ)に由来するという説があり、平安時代には北上川河口のある石巻市より北を指す言葉になっていました。石巻市の平孝酒造では日高見国にちなみ、『震災復興酒 希望の光 日高見』を販売しています。

 福島県でも棚倉町の八溝山は日高山と呼ばれていたそうです。須賀川市の長沼城跡のある日高見山には日高見稲荷神社が祀られており、日高見山公園があります。また須賀川市今泉には日高見国御影神を祀ったという白方神社もあります。この日高見の『見』には周辺という意味もあるそうです。

 茨城県が元『日高見国』であったということは、それより北にある棚倉町や須賀川市に日高見という名が取り残されていても、不思議ではないのかも知れません。




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最終更新日  2012.11.02 08:18:50
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