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東京と静岡から知人が来た。静岡の知人が札幌に所有しているマンションの空室が埋まらないため、売却したいというのが用件。金利4%のフルローン1億5千万で買ったもので、残債は1億強。満室時年収1200万、現状800万。現状では年間300万の赤字なので、残債の値段で売れればと考えているようだった。自己資金で買うなら問題のない物件だ。しかし、不動産投資は借金でレバレッジをきかせるからこそ(株式投資などとは逆に)ローリスクハイリターンになる。全くの自己流で大ざっぱにこの物件の妥当価格を算出してみる。家賃は下方硬直性があるので、半値に下げれば満室になると思われる。したがって、空室が半分出ても楽にローンが返せる値段なら安い。年収600万に下がるとして、さらに1年を12ヶ月ではなく10ヶ月で計算する。なぜなら退去~募集~入居まで4ヶ月かかると見るからだ。2年契約なので1年分は10ヶ月、つまり年収500万と考える。これに12.5をかける。利回り8%の逆数である。妥当価格は6250万と出る。取得費を考えるとぎりぎり6000万というところか。毎年の固定資産税、修繕費用については考慮していないが、自己資金1000万、金利3%で5000万を借りたとして、20年だと返済額は6070万、年300万ほどである。現状の年収800万がそのまま続くとして、自己資金は2年で回収し、18年間で9000万-(固定資産税+管理費+修繕費)の利益を生む。ほんの少しリスクをとるなら、1000万が毎年500万を生む、というようなことは可能なのだ。子どもでもいれば別だが、自分で住むマンションを何千万も出して買うのがいかに愚かなことかはこういう例からもわかる。このマンションは6000万まで下がれば買いだ。売れずに4年たてば残債はそこまで減るから、それまで待つのが得策。このマンションが不人気なのは暖房がガスだからだろう。ランニングコストに敏感な人はガスを避けるものだし、そういう人は増えている。このマンションは築18年。築20年を超えるような物件は、表面利回りが20%になるくらいでないと買えないと思う。
March 30, 2007
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昨年亡くなった岩城宏之とは一度だけ話したことがある。芥川也寸志との対談のテープ起こしの仕事。芥川の「交響管弦楽のための音楽」の最初の部分のテンポについての話で、「ぼくのテンポはヘルメス・ジンジンのテンポと同じ」という部分の意味が分からず、楽屋を訪ねて教えてもらったのだった。ウィスキーのCMで使われていた音楽か何かのテンポと同じだという意味らしかったが、リズムをそういうふうに感じているのかと感じておもしろかった。指揮者としての岩城宏之には納得できないことが多かったが、体感人間、徹底して現場の人間なのだと妙に納得したのを覚えている。このところ、20代のころ読んだ本をもう一度読むことが多くなった。文庫になって再版されたりということもあるが、あの頃読んだ本をいま読み返してみてどう思うか、自分自身の変化を知りたいと思うようになった。この本もそんな本のひとつ。20代のころは、さらっと読み流して大したことのない本だと思ったが、読み返してみて「こんなにおもしろい本だったのか」と感心した。あの頃は、難解な本がいい本だとかんちがいしていたのだ。自分が音楽家になる過程や指揮者になってから経験したことと日本の音楽教育の問題点を、誰が読んでもわかるほど平易な言葉で語ったこの本、題材としては決して柔らかくないのに読み物としてもおもしろい。こういう本と著者の価値は、当時はほとんどわからなかった。今回特におもしろいと思ったのは、「顔を見れば才能がわかる」という一章。コンクールや新人音楽会、学生オーケストラの練習などを見にいくと「顔の良し悪しと演奏の良し悪しは一致するものだ」と思うことが多かったので、わが意を得た思いだ。これは音楽家に限らない。何か光るものを持った人というのは、ぱっと顔を見た瞬間にわかるものなのだ。美醜ではない。優れた人は、眼に力があったり、清冽さが感じられたりしてすぐに見分けがつく。レナード・バーンスタインが、一言話しただけで小澤征爾を副指揮者に雇った話を思い出した。正規の音楽教育を受けたことのない岩城宏之は無手勝流ともいえる方法で指揮者になった人だが、この人の勉強法や世渡り術はやはり戦後まもなくの何もない世界を知る人ならではという気がするし、共感する部分が多い。小さいころからの英才教育は決して間違いではないけれど、自由に野山をかけめぐり、遊びは自分で作り出したような子供時代を過ごした人の方が大成するというのはその通りだろう。カラヤンはトスカニーニを聴きに自転車で200キロ走ったそうだが、自転車で200キロ走ることをいとわないほど学ぶことに情熱を持っていたからこそ、カラヤンはカラヤンになったといえるのではないだろうか。音楽教育について書かれた本だが、教育一般におきかえて読むことができるので、親や教育に関心のある人なら教えられることは多いはずだ。
March 27, 2007
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10年以上前、旅行記や滞在記など紀行文を集中的に読んだ時期がある。数百冊は読んだだろうか。 そのとき思ったのは、書いた人の社会的ステータスが高いほどつまらなく、概して女性が書いたものはナルシスティックで、観察が細かすぎ大事なことがかえってわからなくなるということだった。自分がおもしろかったことは他人もおもしろいと思うはずだという思いこみが、女性のばあい特に強いのが、女性の書いた紀行文をつまらなくしている原因のようにも思った。 外交官の妻が書いたなんていう本は最悪だったが、女性が書いた紀行文は避けるか、ナナメ読みするようになった。 この本の著者は女性だが、経歴がかわっている。祇園でホステスをしていたこともあるという。永住するつもりでバブル期に日本の資産を売り払ってイギリスにわたり、イギリスではウェイトレスや掃除婦をしながら年金受給資格を得たという人。 そのためか、女性の書いたものであっても、ただ旅行するだけでは決して見えてこない、また恵まれた立場で「取材」することしかないジャーナリストの視点からもこぼれおちる、イギリス社会のリアルな内実がつづられていて興味深い本だった。 イギリスでは4年働くと永住資格が得られ、教育も病院も無料、20年働くと年金がもらえるというのには驚いた。 もちろんいいことばかりではないのだろうが、この社会福祉の手厚さは旧ソ連も真っ青だ。 いま30代でフリーターのようなことをしている人たちやニートは、著者のように厚生年金を「返還」してもらい、さっさとイギリスにわたってはどうかと思った、というかわたしならそうする。 この人の本は初めて読んだが、だめな日本をけなしてイギリス礼賛、という部分も多いものの、イギリスへの批判精神も旺盛でその点ではニュートラル(中立的)と感じる。感情的になって論理展開に首をかしげる部分もあるが、そのへんは大目に見るべきだ。 中途半端なインテリが書く外国礼賛に比べれば、リアルな現実を知る人ならではの説得力のある本だと思うし、日本批判、特に戦争責任を回避する政治家などへの批判は当を得ている。 この人の「イギリス本」は他にも何冊もあるようなのでまとめて読んでみることにした。
March 26, 2007
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「・・・でも、それもまた金銭結婚ですね。ぼくならそんな結婚はごめんです。ぼくは妻を幸せにしようと思っても、妻によって自分の幸運を得ようとは思いません・・・。われわれ下賤の貧しい人間は、互いに愛し合う女をめとらなければならないだけでなく、そうすることが許され、そうでき、そうしたいと思うのです」(モーツァルトの手紙より)死の年に作られたモーツァルト最後のオペラ「魔笛」では、二組の男女が結ばれる。王子と王女、しがない鳥刺し男と村娘である。王子は難行に打ち勝って王女と結ばれる。一方の鳥刺しは試練にことごとく落第したにもかかわらず、魔法の鈴の力を借りて娘と結ばれる。感激で口もきけない鳥刺し男パパゲーノと恋人パパゲーナ。そんな二人の気持ちを、モーツァルトは文字通り「絶句」で表した。パパゲーノは恋人の名を呼ぼうとして「パ・パ・パ」と声が詰まり、パパゲーナもまた「パ・パ・パ」と声を詰まらせる。この「パ・パ・パの二重唱」は、このオペラのクライマックスを作ると同時に、モーツァルトの作品全体のクライマックスとなっている。愛の喜び、性と生殖の喜びが飾りなく歌われるこの二重唱は、悲しみではなく笑いで人を涙にさそう。財産や地位、名誉。失うものを持たない自然人の純粋な愛、その喜びが、アレグロの音楽となって、熱したフライパンの上のトウモロコシのようにはじけていく。王子が吹く笛、パパゲーノがならす鈴には不思議な力がある。その音は魔物や野獣さえ魅了し、奴隷に自由の味を思い出させる。モーツァルトはこの笛や鈴のような音楽の力を信じていた。彼の一生はそうした音楽を求める旅だったといえるかもしれない。彼はついに「魔笛」でそうして音楽にたどりつく。死のわずか数ヶ月前のことだった。※オペラは演出で生きもし死にもする。ボネルが演出した1982年のザルツブルク音楽祭の公演がDVDになっている。アメリカの指揮者レヴァインがウィーン・フィルその他豪華キャストを「弾き振り」したもの。クリスティアン・ベッシュの、パパゲーノの純朴さのよく出た演技(熱演!)が出色。
March 25, 2007
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コンサートなどに通っていて、いつのまにかおぼえる顔というのがある。何十年も通っていると、話したこともないのに、顔なじみになってお互い挨拶をしたりするようになったりもする。何かの機会に、その人がどういう人かを知ったりすることもある。あるいはその逆もあるかもしれない。新妻博さんもそんなひとりだ。40年近く前から、札響の定期演奏会などで顔を見ていた。20年ほど前、あるコンサートの打ち上げに行ったら開会の挨拶をしたので、名前と顔が一致した。出版元によると、この本は「北海道を代表する詩人としてだけでなく、エッセイスト、俳人としても知られる著者が、エスプリあふれる視点で書き綴ったネイチャーエッセイ集」ということになる。時折見かけるこの本の著者は、かくしゃくとしていてとても今年90歳とは思えない。その秘訣は何だろうか、自伝的な要素の強いこの本にヒントはないだろうかと思って読んでみた。そうして驚いた。何と生家は果樹農家で、子どものころから果物をふんだんに食べて育ったという。もうひとつあった。この50年、朝食にはライ麦パンを食べているのだという。1917年生まれ、ノモンハン戦闘の生き残りのひとりである著者は、「文化とは人間がラクをして暮らすことである」といい、戦争で自由が何であるかを識ったという。菜園を作り、詩やエッセイを書き、ライ麦パンを食べ、「文化とは人間がラクをして暮らすことである」と、さらりと書けるような老人、ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ。
March 24, 2007
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高校のころ、歴史の授業が苦痛だった。あんなものをまともに勉強したらかえって歴史がわからなくなると思って、一切の勉強を放棄した。その後、日本史を専攻している何人かと知り合いになったが、ネクラな人が多かったので、日本史を勉強するとネクラになると思って読書のテリトリーから外した。しかしその後、森秀人「日本文化史」などの優れた歴史の本と出会って考えを変えた。この本は文化史とあるが性の歴史についての本で、多様な性のあり方と生と性の深い関係について教えられ、眼からイクラまちがいウロコが落ちる思いがしたものである。そこで思ったのは、学校で教える歴史は、結局、権力者の歴史であって民衆の歴史ではなかったということだ。もちろん大ざっぱに政治権力の交代の過程を知っておくのは有意義だが、それが歴史のすべてだと思いこむと官僚のようなアタマの堅い人間になってしまう。さて、篠田統『すしの本』。これは、すしの歴史について書かれた最もアカデミックな本ではないだろうか。何より、19世紀生まれの著者の徹底したフィールドワークにアタマが下がる。・・・米と魚を漬けこんで自然発酵させる馴れずしから今日の粋な握りずしまでのすしの歴史二千年を、調理学的・歴史地理学的に論じる。軽妙な語り口、横道にそれる楽しい蘊蓄。和漢の膨大な文献を渉猟し、一万七千通余のアンケートと八〇冊を越える聞取帳をもとに著わされた、自然科学・人文科学を横断する碩学の決定的な名著。(表紙裏の紹介)ということらしい。アカデミックといっても横道にそれる話もあり、決して堅い本ではない。それにしても、1970年、この本が書かれたころにあったさまざまなすしの多くが、今では姿を消してしまったであろうと思うと残念でならない。著者も、10年ほどの調査の間にもどんどん家庭の多様なすしが姿を消していくそのスピードに驚き、嘆いている。部落民で文字の読み書きのできないおばあさんが、識字教室で「夕やけ」という字を覚えた。そして言う。「夕やけ」という字を覚えて見る夕やけは、何と美しいことか、と。すしも同じだ。すしについての歴史を知り、食べるすしの、何とおいしいことか。篠田統の「すしの本」を読んだことのない人は、すしのほんとうのおいしさを決して知ることはないだろう。わたしもつい先日まではそうだった。
March 23, 2007
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これは講義の記録であって映画ではない、などと評論家ぶるやつもいるのだろうなと思いながら観たが、これは新しいタイプの優れたドキュメンタリー映画だと思う。・・・アメリカで公開されるやいなや、ドキュメンタリー映画史上に残る記録的大ヒットとなった話題作。アメリカの元副大統領アル・ゴアが、温暖化へと突き進む地球を憂い、温暖化によって引き起こされる数々の問題を説く。監督は「24 TWENTY FOUR」や「ER緊急救命室」など、人気TVドラマのエピソード監督として手腕を振るってきたデイビス・グッゲンハイム。地球の危機を訴えるアル・ゴアの真摯(しんし)な姿勢とユーモラスな話術が作品の魅力を高めている。地球の温暖化によって引き起こされる数々の問題に心を痛め、人々の意識改革に乗り出すべく、環境問題に関するスライド講演を世界中で行うアメリカ元副大統領アル・ゴア。そんな彼の勇気と希望に満ちた闘いを追いながら、人類が滅亡するまでの真実のシナリオを明らかにしていく・・・配給側のコピーにはこうあるが、何より印象的なのは、ゴアの人柄の魅力、その真摯な姿勢、緻密なデータを積み重ねた予測や結論の説得力である。農家に生まれ、姉を肺がんで失い、6歳の息子を交通事故で失いかけ、といったゴアの人生も挿入されるが、彼が環境問題に取り組むようになった内面的な必然性のようなものも納得させられる映画だった。ひとつだけ違和感を感じたのは、最後の部分。ファシズムにも、共産主義にも打ち勝ってきた、不可能と言われたオゾン層の破壊も食い止めることができた人類は、地球温暖化にも勝利できるといった発言は、雄弁術としては大したものだが、ちょっと上滑りなアジテーションではないだろうか。この映画を観る数日前に、テレビで海外ロングステイの番組を見た。リタイアしてゴルフや釣りを楽しむ人生と、ゴアのような人生と、どちらがいいだろうかと考えたが、答えは明らかだ。歳をとるとどうしても発想が小市民的になってしまうものだが、ゴアのようにチャレンジのない人生など生きるに値しないのだ。地球温暖化の重要性と同時に、年配の人が多かった観客の中には、ゴアの「生き方」に感銘を受けた人も多かったのではないだろうか。
March 21, 2007
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オペラばかりでなく、モーツァルトの作品中でもきわだって特異な作品。ゲーテなど多くの文学者が絶賛する一方、ベートーヴェンは題材自体を嫌い「見る必要はない」とまで極言した。ドン・ジョバンニはスペインの貴族でヨーロッパをまたにかける名うての好色漢。女性をたぶらかしては捨てるが、その行状が知られ追いつめられる。しかしあくまでも改しゅんは拒み、彼がかつて殺した騎士長の石像によって地獄にひきずり落とされる、というお話。好色漢の地獄落ちというストーリーそれ自体は、いかにも神罰のおそろしさを訴える教化劇ふう。しかしこのオペラにそういた説教臭はなく、思わず笑いを誘うユーモラスな場面が小気味よいテンポで続いていく。このオペラの特徴は心理描写の巧みさ。特に、ドン・ジョバンニと彼をめぐる女性たちの心理は、アリアで入念に描かれる。たとえば「ぶってよ、マゼット」「薬屋の歌」。彼によってかきられた官能のうずき、憎みつつも愛さずにはいられない心情が、時に優美に、時になまめましく歌われる。「多くの女性を愛するのは心が広いからだ」とうそぶく主人公の陽気で活力ある人物像、悪魔的な迫力は従者が歌う「これが恋人のカタログ」、主人公が観客を挑発するように歌う「シャンパンの歌」でリアルに表される。筋とは別に、モーツァルトはこれらの歌を通じて、ドン・ジョバンニと彼を愛する女たちを、というより刹那の官能を礼賛しているようにきこえる。モーツァルトはここでも問いかけている。自分の心にウソをつき道徳や常識やしきたりに従うのか、それとも内心の声に耳を傾け自由を選ぶのかを。きわもの的な笑劇が魂のドラマに昇華されたオペラである。※このオペラではオーケストラ・パートも繊細かつ雄弁で、時として歌以上に登場人物の心理を語り、人間の奥底に潜む不条理な感情を浮き彫りにしていく。そのためオーケストラの表現力が優れていることが重要。その点では意外だがショルティが指揮したロンドン・フィル盤がいい。
March 18, 2007
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たこ焼の旗やあんどんを見ると、女子高生に限らずなぜか笑う人は多い。人の気持ちを和ませ、笑いを誘うどこかユーモラスな食べ物、それがたこ焼だ。カップルが仲良くなるための必須アイテムとしても知られている。合計しても半年に満たないが、最も「成功」したのがたこ焼屋ビジネスだった。シネコンの映写技師をやっていた友人が、会社をやめる代償に、そのシネコンでたこ焼を販売する権利を手に入れたことがあった。友人は運転免許を持っていなかった。そこで免許をとるまでの間、自宅で焼いたたこ焼をシネコンまで運んでほしいと頼まれたのが、たこ焼というものに関わるようになったきっかけだった。昼はシネコンへの配達、夜はワゴン車での販売を一ヶ月ほど続けるうち、いつの間にかノウハウを身につけた。友人は京都出身だったので、京都風と称していたが、たしかにこんにゃくを入れたりと個性的なたこ焼ではあった。1980年代のはじめごろの話。北海道ではまだたこ焼を知らない人がけっこういた。食べる機会も、ほぼお祭りの屋台に限られていた。この京都風たこ焼は、雨降りの日など、映画館が満員になると生産が追いつかないほど売れた。「これはおいしい商売だ」と感じたものである。そこで、材料の入手ルートなども教えてもらい、いつでも自分でできるように準備をしておいた。そのノウハウを生かす機会は、比較的すぐにやってきた。そのころ同棲していた彼女が精神病であることがわかり、目を離せない状況になったからである。たこ焼の移動販売なら、彼女といつも一緒にいられると考えたのだった。何カ所かで試して、えらんだのが名古屋の原という地下鉄駅の出口付近。このあたりは新開地なので、ヤクザの利権などがあまりうるさくないだろうと考えたのである。道路に面して一階が喫茶店、二階がスナックというビルがあり、頼んで電気を貸してもらった。札幌ナンバーのクルマが京都風のタコ焼を売っているのが興味をひいたのか、いつも待つ客がいるほどよく売れた。夕方3時間だけの営業で平均15000円の売上。利益は10000円ほどになった。3ヶ月ほどやっただろうか。常連客もでき、そのうちの何人か(もちろん女性)と親しくなったころ、地場のヤクザがテラ銭を払えと言ってきた。大した金額ではなかったが、ヤクザにテラ銭を払うと「準暴力団員」とみなされる。3日ほど悩んだ末、ヤクザの事務所に電話をして廃業する旨を伝えた。ついでに罵倒してやったが相手の三河弁がきつく何を言っていたかは全く理解できなかった(笑)道路での営業中、一度も駐車禁止や目的外使用で注意されたことはなかったのが不思議だ。名古屋では公道を管理しているのは警察ではなくヤクザなのだろうか。翌年、今度は札幌に帰ったときにやってみた。一日10万人以上は乗降客がいる地下鉄駅の出口近くで、周辺はちょっとした盛り場になっている。狙いは当たり、スナックの女の子に持参するおみやげとして買う客などがいて、生産が間に合わないほどよく売れた。客の半分くらいは断ったと思う。一ヶ月ほどたって、たこ焼を焼く専用のクルマを別にもう一台用意してもいいかなと考え始めたころパトカーが来た。通報があったので取り締まりに来たという。自発的な取り締まりではなかったようで、「警察の立場もわかってくれ」みたいなことを言われた。ここらが潮時と思ったのと、ちょうど喫茶店を買う話が持ち上がっていたので、おとなしくやめることにした。それから10年、バブルが崩壊して数年たったころ、失業した友人と同じ場所でやったことがあった。友人が雇用保険をもらっている期間、職業安定所に知られない収入がほしいというので「それなら」と思ったのだった。これは非常におもしろい経験だった。というのは、一日の間に二つの仕事をするという体験をしたからだ。その頃、昼間はデスクワークだった。たいてい自室にこもり、人に会うこともなく孤独に仕事をしていた。夕方からは一変して客商売。通りすぎる客に声をかけ、買いに来た客といろいろな世間話をして時間を稼ぐ。なぜそうするかと言うと、日本人は誰かが買っているとつられて買うものなので、次の客が来るまでお客をひきとめておくわけである。そんなお客とのやりとりや出会いがおもしろく、やれやれ人助けも大変だと思って始めたのに、昼間の仕事のストレスが夕方からの別の仕事で解消されるのだから楽しかった。さらに翌日の昼間の仕事が、また新鮮に感じられたのも驚きだった。昼は役所勤め、夜はディスコのDJをしているベルリンの中年男性をテレビで見たことがあったが、まったく性質の異なる二つ以上の仕事を持つということのすばらしさに、いたく感じ入ったものである。こればかりは体験してみないと絶対にわからないと思う。短い期間だったが、ハイチ料理店のシェフ、美人トランペット奏者など、興味深い知り合いもできた。。名古屋時代に知り合った女子大生とは、なぜかその後一緒に北海道旅行をした。近くのパン屋やケーキ屋の人たちとも親しくなり、売れ残りを交換したりタダでもらったりした。日本社会、というか日本人の変化も肌身で感じた。バブル以前は、お客は寒風の中でも30分待ってくれた。しかし、バブル以降は5分以上は待たなくなった。全体に世知辛くなったというか、オンボロワゴン車のたこ焼屋を見ておもしろがって笑う人は減り、無表情のまま通りすぎていく人が増えた。バブル以降は日によって売上に非常にばらつきが出るようになった。バカ売れが続いた次の日、ぱったり客足が途絶えたりと、商売がやりにくくなった。パン屋やケーキ屋も管理が厳しくなり、売れ残りは処分されてしまうようになった。失業中の友人とのコンビは、やはり一ヶ月たったころ警察に通報されたので解消することになった。父の台湾の友人に、屋台から始めて大成功して富豪になった人が何人もいる。そういうことが起こりうる社会の方が、そういうことがあまり起こらない社会よりおもしろい。いわゆる先進国では、わずかのタネ銭で誰でも始められるような小ビジネスの成り立つ余地が非常に少なく、規制や管理が強く起業そのものが難しい。利権にぶらさがるかコネで世の中を渡るか、日本株式会社に永久就職して身も心も売り渡す生き方しかなければ、無気力で老成した若者が増えてあたりまえだ。銀行や大企業がバンバンつぶれるようなことが起きるといい。1960年代のようなおもしろい時代が再びやってくることが、あるだろうか?
March 11, 2007
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ベートーヴェンはこのオペラが大嫌いだった。いわく、「不道徳のきわみ」。姉妹のそれぞれの恋人である士官が、彼女たちの貞節を試すため、変装し相手を取り換えて迫るというお話。姉妹は陥落し、士官たちとの賭けに勝った老哲学者は言う。「コシ・ファン・トゥッテ」(女はみんなこうしたもの)。このオペラの特徴は「アンサンブル・オペラ」と呼ばれることがあるように、重唱がふんだんに用いられていること。登場人物たちの気持ちを同時に表現できる重唱の利点がフルに発揮され、あやとりのような物語のおもしろさを加速させているのには、あらためてモーツァルトの天才ぶりというか直観力に舌を巻く。たとえば第一幕のフィナーレ。狂言自殺をした男達の求愛を迷いながら拒絶する部分。姉妹の揺れ動く心が乗り移ったかのような絶妙な音楽と相まって真に迫る。モーツァルト自身の登場人物への評価や共感は音楽に表れることが多い。皮肉屋の老哲学者には単調な、「貞淑と浮気は使い分けるべき」と登場人物の間をとびまわる狂言回しには、いかにもモーツァルトらしい軽快で楽しげな音楽がつけられていることからもそれはわかる。そうとすれば、モーツァルトは姉妹の味方である。モーツァルト自身は狂言回しの位置にいながら、姉妹には甘美な歌を歌わせている。真実の愛であれば、それがどのようなものであれ尊い。モーツァルトは音楽を通してそう語っているのだ。人間(ここでは姉妹)の自然な感情を抑圧する不条理な「道徳」への問いかけ、告発と弾劾が、一見、軽薄な内容のこのオペラの主題だろう。モーツァルトの柔軟な人間洞察力には驚くばかりだが、ベートーヴェンはこの隠された主題を読みとった上でこのオペラを嫌ったのだろうか?※名指揮者カール・ベームがイギリスのフィルハーモニア管弦楽団を指揮したハイライト盤がある。煽動するモーツァルトとでもいうべき演奏。
March 10, 2007
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大学のクラスメートなど30年もたつとほとんど名前も忘れてしまったが、忘れられない名前の女がいる。80歳の老婆より生気がなく、ゲシュタポの女看守のように意地が悪く、国防婦人会会長のようにアタマが堅い18歳の女をどうして忘れられるだろうか?そんな彼女の性格は、容姿容貌の欠陥のせいだとばかり思っていた。つまり、ドブスだから底意地が悪くなってしまったのだろうと考えたのである。クラスメートの男全員と、この点では意見が一致した。ちなみに、誰が美人と思うかについてはてんで意見が分かれるのに、誰がブスと思うかについては順位まで一致したのには驚いたものである。美は個別的だが、醜さは普遍的ということにちがいない。しかしそれでは彼女と同じくらいブスなのにとりあえず性格は悪くないクラスメートや、性格は悪いにしても常識の範囲内に収まるもうひとりのクラスメートことは説明がつかない。彼女の性格の悪さが、この二人をおさえてダントツのワースト一位に輝いたその容姿容貌に起因するものではないことに気づいたのは、それから何年もたってからである。札幌に藤学園という私立の名門がある。北海道では数少ないお嬢さん学校のひとつで、中学から大学まである。中島みゆきの出身校としても知られている。わたしの行っていた大学に、女子高出身者の二大勢力があった。ひとつがカソリックのこのF学園で、もうひとつがプロテスタントのH学園である。この二つの学校の出身者のキャラクターは、おもしろいくらい正反対だった。端的に言って、F学園出身者は陰湿で嫉妬深く疑り深い。物事を何でも悪い方にとる。女は良妻賢母になるべきで、教師は絶対に正しく、授業をさぼるのは悪だと思っている。まあそう思うのは勝手だが、そう考えない他人を断罪するあたりはまるでゲシュタポかKGBか特高のようだった。この学校の出身者は、腹の底から笑うということがない。彼女たちがからからと陽気に笑うのを見たことがない。H学園出身者は、性格は快活、人生に前向き、考え方は自由で、見るからに溌剌としている。よく笑って屈託がない。人を悪意で見ることがなく、何だか服装までカラフルだ。そういうキャラクターだとブスでも魅力的に見えるもので、若かったわたしはH学園出身のブスをつい彼女にしてしまったほどだ(笑)社会に出てみて、F学園出身者といえどもいくつかのパターンがあることに気がついた。A 中学から大学まで藤一筋というはえぬき。藤ピューリタン。B 中学と高校は藤で大学は他大学。C 中学・高校は公立で大学が藤。D 中学または高校のみ藤。AとBは救いがたい。Cにはその逆に傑出した人物が多い。Dはサンプルが少ないので何とも言えないがダメなケースの方が多いようだ。ちなみに中島みゆきはCのパターンだ。一般に、女子中・高出身者というのは(男子校出身者もだが)いびつな人間が多い。特に異性に対して異常な関心を持つ。その関心のベクトルもひねこびているケースがほとんどだ。とはいえ、異性に対して免疫がないのはH学園出身者も同じだ。中学・高校と女だけの環境で育てば、異性を見る眼が育たないのはこの学校だけの問題ではない。F学園出身者のどこが決定的におかしいのか、実例を観察しながら考察して25年ほどたったあるとき、はたと思い至った。詩聖・金子光晴の詩を読んでいて、彼女たちは、彼が言うところの「女であって女でないもの」だということに気がついたのだ。金子光晴流に言えば、彼女たちは愛のすべ知らぬ女たちだと言うことだ。愛のすべ知らぬというのは、わかりやすくいえば、人を愛することができないということだ。蝶よ花よと育てられた彼女たちは、自分を愛する以上に他人を愛する感性が育たなかった。いつまでたってもナルシスティックなお嬢さまにとどまり、夫や子どもでさえ愛することがない。というか、自分よりも愛することがない。実体験でもそう感じたことがある。思い出すのもおぞましいが、四半世紀ほどまえ、Bの、それも音楽大学進学者というきわめつけのお嬢さんグループと合コンをやったのだった。彼女たちは旧帝大生、それも理系学生がお気に入りだと聞いていたので、そうしたメンバーを苦心して揃えて臨んだ。合コンの席でちょっとしたトラブルが起きたのだが、そのとき彼女たちがとった態度は忘れられない。トラブルの解決など眼中になく、ひたすら保身に走ったのである。「愛のすべ知らぬ女」は、何もこのF学園の専売特許ではない。女子高出身者だけでなく、あまねく存在する。F学園は、そういう女の割合が際立って多いというだけだ。ここで断罪したいのは、しかし彼女たちではない。わたしが何よりバカだと思うのは、「愛のすべ知らぬ女」を配偶者にえらぶオトコたちだ。「女であって女でないもの」と結婚したオトコほど無意味なものが、ほかにあるだろうか?
March 5, 2007
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「大きくなったらぼくのお嫁さんになってね」「いいわ」1762年、ウィーンの宮廷に招かれたモーツァルトと皇女マリー・アントワネットの会話である。転んだところを助けてくれた彼女に感謝してこう述べた6歳のモーツァルト。彼はまだ「身分」という不条理を知らなかった。彼女はのちルイ16世に嫁ぎ、フランス革命でギロチンの露となって消える。その革命のきっかけになったのが、貴族の堕落と横暴を痛烈に批判したボーマルシェ原作の戯曲「フィガロの結婚」だった。ボーマルシェ=モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」は、伯爵の召使いフィガロが、フィガロの婚約者を、権力をかさにきた伯爵の女漁りから守ろうと英知を尽くす物語。婚約者を守ろうとするフィガロの機略は、平民出身の伯爵夫人をも味方にしていく。終幕、婚約者スザンナと夫人は変装して入れ替わり、偽手紙で伯爵をおびき出す。スザンナのつもりで抱き寄せたら実は妻。浮気は露見し、伯爵は降参・・・「歌うアレグロ」がアクセル全開で駆け抜けてゆく序曲に始まり、随所に美しいアリアをちりばめながら軽快なテンポで進むこのオペラは、貴族は悪人、平民は善人といった「革命劇」にありがちな硬直した人間像とは反対に、人間味たっぷりに描かれている。快活で小粋な音楽が物語りを弾ませ、人間の弱さやずるさを洗い流していく。※モーツァルト生誕200年を記念して作られたエーリッヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルと当時最高のキャストによる録音が傑出している。
March 4, 2007
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オランダのアーネム・フィルが来るというので、病み上がりの重い体をひきずって聴きにいってきた。人口14万人の町のオーケストラがこれほどのレベルとは思ってもみなかった。たしかに超一流ではないが二流でもない。特に弦楽セクションの内声部の充実した響きがすばらしく、管楽器も温かく柔らかいトーンで豊かに鳴る。個性に乏しいメジャー・オーケストラよりも、ヨーロッパの小都市のこういう団体を聴く方が、たとえばビンボー旅行で地元の人とふれあったような体験に通じるものを得られる気がする。指揮は昨年からこのオーケストラの常任指揮者をつとめる小林研一郎。プログラムはベルリオーズの「宗教裁判官」序曲、バイオリンの千住真理子をソリストにメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、チャイコフスキーの交響曲第5番。コバケンは10年おきくらいに聴いている。札響定期で聴いたシベリウスの2番やチャイコフスキーの「マンフレッド」の名演は、10年以上たったいまもきのうのことのように思い出す。しかし今回は、60代も後半になり円熟の極地にあるコバケンの欠点、というか音楽家としての致命的な欠陥に気づいた。ほぼ満席の聴衆は熱狂していたが、その中で沈思黙考してしまったのはわたしだけだろうか。チャイコフスキーのこの曲は、コバケンの長所も短所もひときわあらわになりやすい曲だと思う。コバケンは、甘美な部分ではテンポを落とし、弱音からクライマックスへと周到に盛り上げる。一方、ダイナミックな部分は一様にテンポが速く、しかもどんどん速くなる。ゆっくりした曲はよりゆっくり、速い曲はより速くという具合になり、全体ではバランスが悪く、しかもクライマックスは矮小化して雄大さに欠ける結果になる。この手のデフォルメされた演奏というと、ストコフスキーを思い出す。あそこまでひどくはないが、何しろテンポ設定が主観的にすぎケレンがすぎる。もちろん美点も多くある。たとえば、響きのバランス。どんなに強奏してもブラスなどが突出することがなく、音楽的で美しいのには瞠目させられる。よく歌い、テンポが遅くなっても決してだれることがないのも美点だ。しかしいつまでも心に残る優れた演奏とは、速い楽章はむしろゆっくり目で、ゆっくりした楽章はぎりぎりと思える速さで演奏したものである場合が多い。つまり、全体としてのテンポは平準化されている場合が多いものだ。甘美な曲を情緒たっぷりに歌い上げるのは、表現としては安易なのだ。テンポを上げることで劇的な盛り上がりを作り出すやり方は、曲によってはうまくいくし、特に生演奏では効果的だし演奏者の生理にもかなう。しかし、モノには程度というのがある。コバケンのテンポ設定と解釈は芸術というよりチャイコフスキーのこの曲を素材にしたショーと言ってもいいのではないだろうか。深く内省的な演奏で感動させられたことも多いコバケンを久しぶりに聴いた感想は幻滅と失望でしかなかった。すばらしかったのはアンコールで演奏された弦楽合奏によるダニー・ボーイ。ヨーロッパ・トーンの温かく落ち着いた響きの弦と、歌い込んでも決して演歌的にならず、雄大な河の流れのように盛り上がっていくコバケン節の奇跡的なマッチングがチャイコフスキーでの幻滅と失望を吹き飛ばしてくれた。しかしそれでも、もう二度とコバケンのコンサートに足を運ぶことはないと思う。
March 2, 2007
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