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仕事を効率的にこなすコツは,「梃子の原理」と「並行処理」だと思っている.「梃子の原理」とは,例えば名人芸をマニュアル化して,普通の人が出来るシステムを構築するようなことである.一人の人が一定時間に出来る量は限られているから,特定の人でなくてもできるシステムに落とし込んで,それを大勢でやるようにするようなことである.しかもこの場合,大勢の人と言うのは必ずしも自社の社員でなくて,必要なときだけ頼める外注先であればもっと「梃子の原理」は働いてくれる.昔の出版業は,一人が一ページずつ手で書いていた(写していた)のだろうが,印刷技術の発明で一度の大量のコピーが製作でき,また今ではIT技術の発達で,ほぼ無料で無限大の人々にコンテンツを公開することまで可能になってしまった.これも科学が可能にした「梃子の原理」である.そして「並列処理」とは,同時にプロジェクトを稼働させ,かつ各プロセスの遊休期間に他のことを同時に処理しようとすることである.タクシーで移動しながら打ち合わせをするなんても簡単な「並列処理」だし,食器洗濯機を動かしながら自動給湯器にで風呂を溜めながら,自分はウォーキングマシンなんかで運動しながら本を読むってのも,身近な「並行処理」である.対極にあるのが,プリンターの前でじっと印刷を待っている要領の悪い社員みたいなもので,コンピューターを見張ってその間ぼーっとしているなんて,並行処理どころか,自分だけさえもうまく稼働していない. ではこうやって,「梃子の原理」や「並行処理」を使って生み出された効率性はどのように活用したらいいのか?そりゃ答えは決まっていて,こうやって「余裕」を作り出して次のアイデアを検討していくのだ.効率性が高い人は実は暇そうに見える.そして頭の中はフル回転しているってのが,理想の働き方だと思うのだけど,どうだろうか?
Apr 27, 2008
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司法試験受験者では知らない人がいない人である伊藤真氏が書いた「続ける力」を読んでいる.「すべての成功は『続ける力』から生まれる.そして『続ける力』はだれもが持っている」というのがこの本の彼の主張だ.会社の経営で一番難しいのは,何かを発明したり画期的な成功をおさめることでもない.一時的に業績を上げたり,たまたま時流に乗ったりするのは,確率的に運が良ければあることなのかも知れない.しかし長年に渡り会社を存続させ,利益を上げ続け,社会に貢献しながら社員の生活を向上させ続けることが一番難しいことだと思う.会社を続けるには,経営者はもちろん,そこにいる社員が「当り前の地味なこと」をずっと続けられるかにかかっていると思う.経営者は経営のことをずっと何十年も考え続け,社員は日々の業務を如何に効率的かつ効果的にやれるかを考える.ずっとずっと考え実践し続けることが一番難しい.「退屈で単純なこと」を続けることが一番難しいのだけど,次のステージに行くためにはそれを必ず通らなければならない.そして次のステージに到達しても,また違った「退屈で単純なこと」が待っているのだ.一時的に楽しいことだけを求めていては大成しないし,かと言って,一時的にも楽しくないことばかりだとモチベーションが下がってしまうこともある.だから「退屈で単純なこと」に如何に意味を持たせるか,地味なことがすごいことにどうつながっているかを伝えるのが,経営者の役目かもしれない.また明日から月曜日,地味な仕事が待っている.でも一歩ずつ進んでいこうと思っています.
Apr 20, 2008
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橋下知事もなかなかやるもんだと思う.聖域なしに,「本当に官がやるのに必要か」という観点だけでゼロベースで大阪府の財政を見直している.もちろんこれから議論と批判で大騒ぎだろうが,単年度ベースでこれほどタブーなしに問題に切り込んだという点では,期待以上の活躍だと言える.批判派の第一点は「公共サービスの低下を心配する」という大義名分だ.そしてこれと密接に結び付く理由として,「これまで頑張って府政を支えてきた職員はどうするんだ」という論理である.個別の是非論はここで議論するつもりもないけれど,象徴的なのは,予算カットの対象となっている大阪府下のオーケストラ団員の言葉だ.「これまで音楽の普及と,子どもたちに本物の音楽を知ってもらいたいという思いでやってきたのに,我々は一体どうなるんだ」.オーケストラの価値は否定することもないし,その役割を担ってきた団員には何の恨みもないけれど,「僕たちがやってきたことを否定されたような気がする」というのは,ちょっと違うと思う.何でもそうだけど,「役割を終えたら解散」するのが基本的なことだと思う.「最初は意義が大きかったから始めたが,その内役割が小さくなって解散」,「その社会状況では公的サービスとして始めたが,民間が育ってきたので解散」,「お金がたくさんあったので提供していたが,お金が足らなくなってきたので解散」,「昔は大事だったけど,今は優先順位が下がったから解散」,などというのが原則的な考えだと思う.必要だから始めると同じように,優先順位が下がった,環境が変わったから止めるというのが当たり前の考えだと思う.それでは,いつまでも継続して提供するにはどうすれば良いか.他人からいつまでも優先順位が下がらず求められるように,自ら変わっていくしかない.現状の環境を当たり前と思っていつまでも続くとは思わずに,「役割を終えてしまったら解散だから,常に新しい役割を自分で創造しないと生き残れない」ということを肝に銘ずる必要がある.そう,企業活動も同じ.環境が変わって顧客から求められなくなったら「解散」なのである.いつまでも自ら変化し,顧客にとっての優先順位が下がらないように必死で毎日努力しないといけない.予算カットを憤るオーケストラ団員は,「商品が売れなくなったからと言って給料が減るのはおかしい」と駄々をこねる社員のようなもの.常に顧客(=府民)から支持される様,努力しますというのが筋だと思うけどなあ.
Apr 14, 2008
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また時事ニュースネタ.終戦記念日の靖国神社の様子を撮影した「YASUKUNI」という映画が,都内各地の映画館で上映中止になったらしい.右翼団体などの圧力を恐れての配給停止になったわけだが,そのことをマスコミ各社は,「表現の自由の危機」などと映画館の対応を非難している.昨日のブログと同じ話なのだが,映画館を非難するくらいなら自社の施設を提供する位の根性を見せてほしいと思う.朝日新聞でも朝日ホール,読売新聞でも読売ホールがあるだろう.しかもマスコミの方が映画館よりもずっと巨大な企業だ.自社ならどうすると考えず,個々の映画館の対応を「表現の自由の危機」などと非難するのは,なんだか違和感がある.こういう話はどこでも転がっていて,「それならお前がやれよ」といつも言いたくなります.
Apr 14, 2008
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以下のニュースで感じたこと.「千葉県八千代市の県立八千代西高校(大迫太校長)が、入学金を納めなかった新入生2人を、8日に行われた入学式に出席させなかったことがわかった。同校は「入学金を納めてもらわないと入学を許可できず、苦渋の選択だった」と説明している。」ニュースになるくらいだから,マスコミとしては学校側が機械的で,問題が多い対応だったと捉えているのだろう.世の中の意見(各ブログや評論家の意見)を見ていると,「ルールはルールだから仕方ない」と言った学校擁護派や,「教育の現場として,生徒の気持ちを考えない処置」という批判派まである.僕はどう感じたかと言うと,「ルールはルールだから仕方ない,でもどうして校長先生が自腹で立て替えられなかったのか」というものだ.一般社会でも会社組織でも,社会には従わないといけないルールがある.お金がなくて義務教育でない高校にいけない子供も実際いるし,逆に経済的には多少余裕があっても,義務教育で必要な最小限の給食代を払わない無法者の保護者もいる.ルールに従って諦めざる得ないことも,ルール違反を罰せられることもあって,社会は成り立っていく.このようにルールは大切なんだけど,一人の人間として,ルールを守ることで傷つく人が目の前にいたらどうするか?ルールを公的に破るのではなく,個人としてその人を助けられないのか? 会社のためと言って犯罪を犯してしまう人たちがいる.ノルマに追われた訪問販売員,競争に勝つために(談合など)違法な行為も犯してしまうビジネスマン.こうしたことも,「個人の良識で考えるとどうか」という視点を忘れてしまっているような気がする.校長先生は,「事前に十分に説明したし,学校としては苦渋の選択でした」と言う.それほど「苦渋の選択」なら,どうして一人の個人として目の前の生徒を救ってやれなかったのかと思う.入学金一人9万円,二人で18万円の立て替えがその代償だとしたら,その人の「苦渋」はその程度以下の重みしかなかったんだろうなと思ってしまう.ルールも大事だけど,個人の良識を忘れてはいけない.組織人である前に,一人の人間だから.会社のために組織のためにと言い訳をして,個人として出来ることを放棄してはいけない.まあこんなことを考えさせられたニュースでした.
Apr 13, 2008
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経営者の役割には色々な仕事があると思うけど,一番大事なのは,「社員がやりがいを感じる舞台づくり」だと思う.「やりがいを感じる舞台」はもちろんひと様々で,当社のような防虫関連の仕事だと,「虫に関係した内外の学会に参加できる」とか,夜中の食品工場に行って(!)虫の生息状況を見させてもらうとかも,(かなりマニアックな)社員のインセンティブになり得る.もちろん,顧客企業での研修会講師なんかも,モチベーションを高く保つには役に立っているかもしれない.経営企画関連だと,次々と新しい手法を社内に導入したり,顧客向けの新サービスを構築したり,何かと目の前に新しいチャレンジが転がっている.いつも新しい案件で大変だろうが,他の会社の事例も参考にしながら良いものを取り入れる作業は,「常に勉強」と言う感じで楽しいのだと思う.営業担当者の「やりがい」は様々で,ひたすら営業活動を充実させて売上をあげて,かつ給料も上がるというのも一つの形である.自分が顧客企業に出入りすることで,自社の情報を伝え,顧客から感謝され,かつ自分の成績にもなるというのは営業担当者ならではの楽しみだ.またそう言った営業活動を通じて,会社を次のステージに上げるヒントを掘り出してくるのも最前線にいる彼らの役割だと思う.業務担当者も事務担当者も,日々の業務を漫然とやっているだけではモチベーションは上がらない.「効率を上げるためにはどうすれば良いか」,「ミスを減らすにはどういう業務フローにすべきか」など,少しでも改善していくことが,人間の性質だし,やってて楽しい仕事だと思う.そして経営者の仕事は,こういったそれぞれの「やりがい」を実現する舞台を整備することだ.いつまで経っても同じ仕事しかやらせなかったり,会社自体が進歩していないと,必ず人は「飽き」が出てくる.そういう社長が実は飽きるのが一番早かったりするのだが,会社の成長は何もお金のためだけではなく,経営者も含めた社員のやりがいのためという面も多分にある.中途入社社員が,元の職場の人や親しい優秀な友人に,「楽しいからお前も来いよ」と言える会社を作っていくのが経営者としての僕の役割だと思う.まだまだ地味でニッチな業界だけど,「やりがいを感じる舞台」を作るのに,日々頭を働かせています.
Apr 8, 2008
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ふとこのブログのデータを見ると,なんと今日から4年目となるようだ.つまり丸3年間(日記記入率51%)続けていることになるんだけど,これって大したものだよなあと思う.でも言いたいことも,考えていることも,またこれから考え付くであろうことも,全然まだ終えていない.こうやって,また次の3年が過ぎるのだろうと思う.月日が経つのはとても早いものですね.
Apr 7, 2008
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「踊り場」とはうまい表現で,どんな成長過程にも,一見進歩が止まって見えることがある.勢いがある企業ならある期間を経て,そこからまた急成長が始まっていくし,そうでない企業は踊り場に留まることもできず,今度は下降曲線をたどってしまう.踊り場から次のステージに上がるためには,何かを変えないといけない.じっと力を溜めている間に,それまでとは違う「成長の仕組み」を導入しないといけないのだろう.同じことをやっていたら,少しずつ成長するとは,成長機会を実現化してしまうことでもあるから,いずれは天井にぶつかり,ビジネスモデルは陳腐化し,最初は勢いを評価されていても段々と飽きられ,そこから競争が激しくなったりして,いずれ下降局面になってしまう.安定しているように見えて,足元は確実に侵食されていくのがビジネスの世界なのだと思う.つまり,踊り場に差し掛かるということは,すでに足もとの浸食が始まっている状況だから,これまでとは違うルールを導入しなければならないと思う.「新しいビジネスモデル」と言えば簡単だが,一朝一夕には行かず,トライアンドエラーを繰り返しながらやっていくしかない.当社もそろそろ「踊り場」がやってくるような気がしてならない.トライアンドエラーは得意なんだけど,「次のモデル」に知恵を絞る毎日です.
Apr 6, 2008
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こう言っては身も蓋もないのだけど,企業のすべての活動は経費がかかり,従って営業活動だって結局は顧客に払ってもらっているということになる.つまり「営業活動は有料」ってことになる.だから何の用もなく,ただ単に御挨拶とか,また買っていただきたいと思いましてとか,期末になりまして,なんか言って,営業担当者の都合で訪問され,かつその経費も結局は負担しなければならないとしたら,顧客はたまったものではないだろうと思う.かと言って,営業活動を通じて顧客に情報提供をしたりしなければ,本業に忙しい顧客はぜんぜん業界情報や新技術,また色々な相談事ができなくなってしまう.特に当社のような専門領域においては,セミナーを開催したり,それだけでは伝えきれない個別の相談事を解決したり,悩める経営者の相談に乗ったり,営業活動,特に訪問をして対面で話をすることのニーズは大きいと思う. つまり,営業活動は,「有料」でも顧客にメリットがあるような内容が伴って正当化されることになる.どんな会社の活動であっても,「それが顧客にメリットがあり,最終的には負担してもらえるのか」という観点で,正当性を常にチェックしなければならないのだろう.豪華なオフィス,不必要な接待,光熱費から交通費に至るまで,「本当に顧客は払ってくれるの?」と自分に問いかけていきたいと思っています.
Apr 2, 2008
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こう言っては身も蓋もないのだけど,企業のすべての活動は経費がかかり,従って営業活動だって結局は顧客に払ってもらっているということになる.つまり「営業活動は有料」ってことになる.だから何の用もなく,ただ単に御挨拶とか,また買っていただきたいと思いましてとか,期末になりまして,なんか言って,営業担当者の都合で訪問され,かつその経費も結局は負担しなければならないとしたら,顧客はたまったものではないだろうと思う.かと言って,営業活動を通じて顧客に情報提供をしたりしなければ,本業に忙しい顧客はぜんぜん業界情報や新技術,また色々な相談事ができなくなってしまう.特に当社のような専門領域においては,セミナーを開催したり,それだけでは伝えきれない個別の相談事を解決したり,悩める経営者の相談に乗ったり,営業活動,特に訪問をして対面で話をすることのニーズは大きいと思う. つまり,営業活動は,「有料」でも顧客にメリットがあるような内容が伴って正当化されることになる.どんな会社の活動であっても,「それが顧客にメリットがあり,最終的には負担してもらえるのか」という観点で,正当性を常にチェックしなければならないのだろう.豪華なオフィス,不必要な接待,光熱費から交通費に至るまで,「本当に顧客は払ってくれるの?」と自分に問いかけていきたいと思っています.
Apr 2, 2008
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