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(6)もともと爆弾闘争には強く反対していた私の責任 ベトナム戦争への反対の運動や、大学闘争の盛んだつた1970年頃、急進的な人々・セクトの1部の人たちは、権力.警察などの彼らを押さえ込む力に対抗し、戦いをより力のあるものにしていくためにも、爆弾闘争を含めた武装闘争に発展させなければならないとして、実際に爆弾闘争などを実行し始めた。 当時の私は地方の小さな町の中で反戦運動などしていたこともあり、武装闘争によってこの日本の社会を変えていくなどということに、全く同意できず強く反対していた。私たちのグループにもそんな武闘に肯定的な人はいて、私は批判されたりしたが。私はその頃からw・ライヒの「性と文化の革命」などの本を読み強く共感していたから、日常的で地道な活動のなかからしかこの社会の変革を実現していくことなどできないと、強く思っていた。だから私はそうした思想、考え方を深めてゆくことができた可能性が大きなものとしてあり、そうしていれば後に友人になった大森勝久さんが道庁爆破の犯人として逮捕され、死刑判決を受けるような状況に入ってゆくことを防ぐこともできる可能性が生まれていたはずだった。なをその事件について大森さんはでっち上げだとしてげんざい再審請求に取り組んでいます. そのようにして私は自分と仲間、みじかなひとびとが爆弾闘争に苦しみ、それに対する警察などの強力な捜査体制下に置かれるということから生まれる苦しみを防ぐこっともできた存在だった。そういうことの全体に私は私一人分の関係責任のある存在だった。 (7)爆破闘争によって傷つけたりした人々への責任 私は88年1月にこうした捉え直しを始めるまでは、はやく出所して和尚の下に行き、その直接の指導のもとに瞑想し自分を見つめるということを最優先し、そのために利用できることは利用しようとしていった。こうしたあり方が、和尚がつねずね批判し、私自身もそうっ考えるようになっていた、今ここにいきるということからかけ離れた、未来の美しい夢に囚われ現在の生を貧しくする生き方だということに、私は気づいた。 そして私は思想の科学という雑誌に、私がなぜあのような誤りを犯したかといったことについて、見つめなおす文章などは書いていたものの、自分が傷つけ建物を破壊するといった被害を与えた人々に対し、その責任をどうとっていくのかといったことについてはほとんど考えていなかったことにも気づいた。損害を賠償してゆくといったことは、獄中にいてできないにしろ、なぜあのような誤りを犯したのかといったことを、もっと徹底的に見つめなおすことをとおして、この社会から犯罪を無くすことに後見するといった形でも、少しずつそれを果たしてゆくことも可能だっつた。(8)権力、体制批判を回避していた私 アビが以前私の『意見書』の感想として書いていたことにつながるが、この捉え直しを始める前までの私の東アジア反日武装戦線の人たちへの批判(特に大道寺さんへのそれ)は、精神分析的な理解で彼らの内面にメスを入れ切り刻むような破壊的な1面も持ったものになっていた。その私は以下のような問題を抱えていた。 当時の私は、すでに明らかにしてきたように少しでも刑が軽くなるようにという欲求を持ち、それは人それぞれ違った状況に生きているわけだから仕方がないとも考え、それを合理化していた。 そしてそのために私は権力をもった人々、国家権力、検事、裁判所、天皇制などといっつたものを、あからさまに明白に批判することを避けていた。そして十分にその自覚が合った。その一方で東アジアのメンバー、大森さんなどには、執拗で徹底した批判を加えていた。 なぜならそうすることは安全で、体制の側から評価されこそすれ危険視されるようなことではなかったからだ。その自覚も十分あった。もっともその頃の私は、あのような過ちを犯してきた自分が、そうした人々をあからさまに批判することに、負い目を抱いているようなところもあった。 しかしこうして私は捉え直しを深めてゆく中で、私たちが武装闘争という形で犯した誤りに関し、その主体的責任は負わなければならないが、そもそも私たちが日本と日本人の他のアジアの人々への侵略や差別などを批判して武装闘争を行ったのは、その手段、方法それを支えた思想に深い誤りがあったのは事実であるにしろ、げんざいの日本国家と日本人の多くが、過去の侵略に無反省であったり差別していたりするといった現実があり、それが一向に改まらなかったからこそだった。そのことに対し日本国家も多くの日本人も、それぞれに応じた責任があった。そういうあり方の変革のための適切なかかわり方は、私たちのような罪を犯したものにも当然必要なことだったのだ。 とらえなおしをとおしてそんなふうに考えるようになった私は、こうした自分の誤りを詳細に明らかにすると共に、減刑への欲求を落とし今ここで罪の責任をとってゆく1つの試みとして、日本国家のあり方や裁判所のあり方、天皇制なども批判をしていった。 しかし、私は以前のようにそうした人々に対する憎しみや、敵対意識といったものを全くもたなくなっていた。捉え直しなどを通して繰り返し自らの醜悪な姿に直面したこともあって、他者に対してそうした感情を向ける気持ち、理解がなくなってしまったのだ。自分の醜悪さのことを振り返れば、他者のそれも人間にありがちなこととして、こころの深くで受け止められるようになったのだ。 そんな風になったとき、物心ついて以来どこかに常にあった気がする、今の私はなにか本当の自分ではないといった、自分自身に対する不全感がいつのまにか消えているのに気づいた。 私は私たちのような誤りがが生まれてきた責任について,そのある部分は日本国家や日本人のあり方にも関係責任があるということで,自分の責任を転化しようとしているわけではない。主観的には。もちろん同じような体験をしても,武装闘争などやらなかっつた人が圧倒的多数であり,そうしたことを選んだのはこの私でありその主体的責任は免れえない。それ踏まえた上でを,しかし国家などのあり方の中にも過去の侵略の責任をとろうとしない形で,私たちがネガティヴに走る方向へ影響をあたえた事実がある,ということを明らかにしたかっただけだ。多くの犯罪に関して,その個人だけに責任があるような言い方があるが,そのような犯罪はありえず,様々な相互的な関係の中でそれは生まれている。アキラさんはそれを私の成育史の中の問題により大きな比重を置きたいようだけど,それもあるにしてももっと大きな事柄として侵略や差別の問題があると,私は思う。和尚の弟子や精神分析的に考えることになじんでいる人は,人間の考え方・感情などがそのときどきの状況の中でのさまざまな選択によって,主体的に形成されてゆくことを見ず,もっぱら幼少期の育ち方に条件ずけられているように言う人が多い気がするが,それが事実かどうかよく見つめているかどうか疑問がある。
2004.02.29
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4 (昨日のつづき) そして私は88年1月1日から,自分の人生,成育史,犯した罪、そこに至るまでの人間関係などを文章化して捉えなおす作業に入っていった。私がそうしたのは未決無期囚の友人の飯田博久さんから,そうするように強く勧められていたからだった.彼とは84年頃に手紙のやり取りをするようになり、1週間に1度くらいの頻度で手紙をやり取りするようになっていた。彼自身がじぶんの犯した罪,成育史,精神分裂症になった経緯などを文章化して捉えなおすことで,大きく深い精神的変容を体験してきていた.そのことは彼からくる手紙の内容が,とても深く,柔軟で,知的で,愛に満ちたものだったからとてもよくわかった.だからこそ私は彼をとても信頼するようになっていた.そんな彼との長い関係があって、私はそのとき自分も自分の人生などを文章化して捉え直すことで、自分が直面しているどうしようもない醜悪さから立ち直る道を探そうとしたのだった. それまで私は和尚の弟子であるということに囚われていて、私は和尚の瞑想法などで自分を見つめてゆこう、飯田さんの勧めに従うことは和尚の弟子としてのあり方に反することになる,などと考えてその勧めを受け入れないできていた.しかし、拘置所の中にいるということもあったと思うが,そこでびぱさななどのできる瞑想法をやっていても,それが今自分の抱えている問題を見つめるためには,ほとんど役に立っていないのを感じてきていた.そうした中で私は自分の直面している自分の醜悪さを見つめるためには,飯田さんの勧めてくれていることをやる以外にないように感じたのだ。 (つづく) ところでこの日記の中では,私がそれからどのように自分を見つめてきたかを,詳細に語ることはできない.すこし筒長い時間をかけて書いてゆきたいけど。大まかに箇条書きにしておく。 (1)、減刑目的の結婚に関して 私はS・Kさんと減刑を目的とした結婚をし,その目的を実現しようとしてその結婚を宗教者同士の理想の結婚のように美化し、裁判官に減刑を訴える長い意見陳述書を書いて提出していたのだが,その結婚が減刑目的のものであることと共に,裁判官の目を欺こうとして宗教的に美化した個所を,できるかきり明らかにした。しかも私とS・Kさんの関係は,非常にギクシャクした軋轢の多いものであったし,いまもそうであることなど。 (2)、私たち子供に重荷を負わせた母のあり方 私はそれまで母は私たち子供に対して,やさしい人であったようにもっぱら書いてきたりしたけど、私たちに対して父から受けた苦しみについてしばしば語り、子供の心に父への憎しみを植え付け,自らの選択で行った父との結婚の自己責任を回避していた存在でもあったこと。 (3)、父は私の養育者でもあったこと それまで精神分析的な理解で,父をもっぱら母と私たち子供に対する,抑圧的な権威者のように書いてきたけれど、彼はその農業労働などを通して、私たちを養育してきた人であったこと。それを彼が作ってくれた米・きゅうり・スイカ・芋などを美味しく食べていたなど思い出しながら自覚したこと。 (4)、20歳頃の性欲に責任を転嫁する考え方について 私は20歳ころ数ヶ月同棲したことのある女の人との、苦しい別離を体験したのだが、その一つの原因になった、彼女がその直前にあの女の人とは抱き合わないでほしいといい,しないと約束したにもかかわらず、その直後に抱き合いセックスしてしまったことに関し、それまでは、性欲が強かったから仕方がなかった,性欲は自然なものでありそうしたことはそう問題ではない,などと考えていた。そのことに関し、性欲を満たし自らの快感を得ることを選択し、彼女の苦痛を無視する選択をしたのは、この私であり性欲それ自体が主体としてそれを選んだのではないことに気づいたこと。 (5)、Kさんとのかかわりの自己美化性 私は19歳頃から美濃加茂市で反戦運動を始め、そのはじめから参加していたKさんという女性と、24歳ころになって親しくなり共同生活したりした。その人を後に私の武装闘争に巻き込み苦しめたのだが。彼女は知り合ったはじめの頃から、私にとっては人と人との関係のとり方になにかなじめないところのある人で、なにか内的な深い問題を抱えているようにも感じた人だった。私はそのようなKさんと親しい関係をもち始めたのだが、そのとき私は彼女はなにか深い内的な問題を抱えた、抑圧された人であり、そのような彼女の力になって生きていくことこそが、革命的な人間なのだ、と思ったりしていた。実際は彼女との当時の関係は喜びの少ないものだった。しかし、武装闘争の誤りを自覚した後も、その彼女との私の関係の仕方に大きな問題があるようには感じ、考えていなかった。 しかしあらためて見つめなおすと、私のそういう関係の仕方は、彼女に対する優しさや愛から生まれていたものではなく、苦しみを抱えた人を支えながら生きてゆくことこそ革命的な人間であるとか、そうまで言わなくとも人間として大切なことであるとかいった観念によって、自分の評価を高めそのことに喜んでいるような、自己陶酔的なものだったのだ。そのことに気づいた。だからこそKさんは私との関係の中で、ますます依存的になり主体性をなくし、苦しむことになったのだ。 もちろん彼女の選択は彼女の主体的責任があることであり、私は私の関係責任を引き受けるという、相互的な関係責任の相において理解する必要のあることなのだが。
2004.02.28
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b サリン事件などの首謀者とされているオウム真理教の代表者だった浅原に死刑判決が出た.現在の裁判ではそうなるだろう。数日前にNHkで、その弟子たちのうち死刑判決が降りている人々に取材した番組を見た.誰だったか、そのなかの一人が,迷いに迷いながらいくつかの殺人事件にかかわっていく過程を見て、とても身近に感じたりしたこともあった.何かに疑問や,不全感を感じながらも根本的にそれを疑うことができず,次第次第に深みにはまっていく.その姿に自分が反日武装闘争に入っていくときに似た何かを感じたのだ.そして,できるなら彼らと親しく深く話し合いたいと思った.刑務所を出る前からそんなことできるならほんの少しでもやってみたいと思っていた. ところで私は78年1月に東京のアパートで誤爆事件を引き起こした後、Kさんという女性と共に2度目の逃亡生活に入り、まもなくKさんの心身の衰弱からのめざましい回復を契機に,自分の思想と行動の誤りを自覚するようになった。そして日本と世界の他国の人々への侵略や差別といったものは、人間が自然なあり方から疎外され精神的にも病んでいるから起こっているのであり,それをどんなに強く道徳的に批判しても直らないこと、そのようなあり方自体が病んだあり方から生まれているのだと,w・ライヒの思想を取り込んで考えるようになった. 和尚の弟子になってからもほぼ同様な考え方をしていた.それに付け加えて,全ての悲惨なことは人間の無自覚さから起こっており、自分を見つめ根源的な気ずきを得ることが、そうしたあり方から自由になることだとか考えもして.そして瞑想センターでダイナミック瞑想やいろいろな心理療法を受けたりして,心理的に浄化され癒され,今ここに目覚めて生きられるようにしようと考えていたりした.こうした考え方や努力は私をそれなりに柔らかくし,心を癒してはいっつた. しかしこうした考え方,実践には根本的な欠陥があった.病んでいた,ということで私はそうした行動によって多くの人々を傷つけ,建物を破壊したというそのことにどのようにして責任をとっていくのかといったことを考えなくなっていた.病んでいたという理解からは,そういう発想がでてこないのだ.それゆえに,というかそれだけではなかったのだが,私は裁判の過程で行きずまった.私は自分の力では目覚めることのできない,無自覚な人間であり、一刻も早く出所して師・和尚のところヘ行き、その直接の指導のもとに瞑想し、自分をみつめることを最優先すべきなのだと思ったりした。だから私を支えてくれていたサニヤシンの女性のSさんと,減刑目的で獄中結婚し,彼女に情状証人に立ってもらった。 しかしそのとき裁判官に,それが減刑目的の結婚であることを見破られたのに,私はなおもそれを言いつくろおうとした.そんな中で私は,自分がどうしようもなく醜悪な存在になってしまっているのを,生々しく感じるようになった.(つづく)
2004.02.27
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ここに帰ってきた直後に、4箇所ほど屋根のひさしのところが大きくめくられて、かわらがそばに積んである所があった.もちろんその下は雨をしのげなくなっていた.兄がかわら職人に金を払わなかったため、仕事が途中でほっぽられていたのだ.そこを私は何とか応急処置的に直して置いた.雨漏りがしない程度に、板を貼り付け、その上にかわらを載せて拭いておいたのだ. 昨年の夏頃だったかそのかわら職人のリーダーがきて、その直した屋根を見て、「あんたなら屋根拭きの仕事ができるから、やってみないか」と言われたことがあった.するつもりはあったがその後すれ違いが多く、そこで働くことにはならなかった.しかし昨年末に2月末までは仕事がないが、それからだったらあるからやってみないか、と声をかけられていた.その人が昨日電話をかけてきて、やらないかというからやってみる気になったのだ.今日もその打ち合わせなどのために、朝から午後2時頃まであって話をした.そして明日からその現場にいくことになった.仕事は一杯あるから金はかなりの稼ぎになる、とも言った.ただ私には、とりあえず屋根拭きの仕事より、仕事をとってくる、営業の仕事をして欲しい、とも言った.仕事をやるだけではそのうち仕事が切れるから、誰かがしなければならないが、職人は下手だしわしはいそがしくてなかなかやれないから、とも.自分の下の人間のしでかした失敗の尻拭いのための借金が,まだ150万そこそこあるとかも。いろいろ都合の悪いことも明らかにしてくれたし,一応信頼できると思った。 だから明日から現場に行くつもりだけれど,少し迷う. というのも、今日は夜になって美濃市・賢治の学校ホホツトにいき,屋根屋で働くことにするむね言うと、そのあたりではやねやがしょちゅうきて 多くの人から嫌われている、。とも。 きょうは、もうやめる。もうれつに眠いので。
2004.02.26
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私は熊本刑務所に在所中の2000年頃に、受刑者が新聞社などの報道機関に、刑務所における不当な扱いなどの事実を知らせ、その改善を求めたりする自由の実現などを求める裁判を、熊本地裁に本人訴訟で提起した.全部で20項目ほどにわたる事柄に関する、国家賠償を求めるものだった.2002年5月に前面敗訴し、その後高裁も敗訴し、現在は最高裁で係争中だ.出所後いくつかの新聞社などにそうしたことについて、なにか報道してくれるよう働きかけたが、どこも取り上げてくれなかった.内容は次のようなものだった。 1、 不利益処遇実施の脅迫による手紙のないようの書き直しの強要など. 97年6月頃から98年3月頃までの間に私は、見受け人のBさんへの手紙の中に、施設の受刑者に対する不当な処遇をあからさまに批判する内容を、書き込んだりした。 それに対し、大西重俊統括はそのような手紙を出すなら、厳正独居処遇にするとか、Bさんの見受け人を取り消すなどと脅して、書き換えを強要などした。 2、私に対する暴言の繰り返しについて 98年4月から99年3月にかけて、明石雅己統括、所長らは、私は犯した罪を全く反省しておらず、きわめて独善的だなどと言う暴言を繰り返し行った.自分なりに内省を深めてきていた私に対して、刑務官にあるまじき暴言だった. 3、願箋に所長宛書くなという不正な指導 99年4月から秋頃までにかけて、桜田統括らは、私に対し願箋に所長宛書くななどという不正な指導を繰り返した.以前行った訴訟で施設の側は、私が提出した願せんには所長宛書いてないから、それは所長の処分ではないとして、私の請求を退けようとしたことがあったから、私は自己防衛のためにも願せんに所長宛て書いていたものに対するものだった. 4、元号使用、国旗拝視などの強要の件 99年10月から日用品の購入のコンピュウター処理に伴い購入用紙がマークシート方式のものに変わった.その際統一的な処遇をするとかいった理由で、年月日を元号で記載するよう強要した.私は思想.宗教上の理由から元号を使いたくないこと、コンピーターは西暦でも機能すること、またこれまで一貫して西暦を使いつづけてきてきていることなどから、西暦の使用を許可するよう求めたが、許可されなかった. また99年9月に国旗・国家法が成立したことから、運動会の開会式・閉会式に行われていた、国旗拝視・国家拝聴の強要に従いたくなかったので、開会式などの欠席、もしくはそれに従わない行動うの許可など求めたところ、不許可とされた. 5、新聞社への手紙の発信の不許可の件 99年9月、以上1から4までで述べてきたことを含む、刑務所の受刑者処遇の非人間性を明らかにし、その改善を社会に訴えるための手紙を朝日新聞社に出そうとしたところ、不許可とされた. 大まかに分けると以上5つの件で私は訴訟を提起し、地裁.高裁段階では、全面敗訴しました.そして4・5の件のみ2002年秋頃、まだ刑務所にいる頃に上告し、今も係争ちゅうです。 その詳しい内容については、おりをみて明らかにしたいと思っています。 トップページの写真のバイクは、私の愛車、そよ風号です。しきみなどを採りにいった山の中の、林道でけいたいのカメラを使いとりました。
2004.02.25
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今朝道の駅に、榊の小束20束、しきみ6束、ふきのとう4パック出してくる.3500円分ぐらいのもの。しかし1日で売れるわけではないから、2000円くらいになればいいほう.もうじきいろいろな山菜も出始めるから、次第に品物の数は増えていくだろう.とうめんネットビジネスからの収入は見込めないから、とりあえず山の仕事に戻ることにして、、、、. 私の山などでの仕事も稼ぎが少ないが、ここら辺で農業をしている人々の、そこからの収入も少ない.大きな大根1本100円とか、大きな白菜1つ100円とかで売られているのをみると、いたたまれなくなるときがある.長い時間と労力をかけて作ったものが、最低の値段でしか売れず、さしたる収入しか生まないから若い人たちは農業などやらない。年老いた人々、年金生活者のような人々だけで農業が維持される.例外はあるけど. それにここらは昔は山の木を切って売ることも大きな収入源のひとつだったが、外材が安くなったので、ここらの木は切り出して売る価値もなくなっている.だから山は荒れ放題だ. 出所してここに帰ってきて驚いたことのひとつに、私の少年の頃は子供たちの遊び場でも合った近くの山々、谷間が人が入るのが難しいほど荒れてしまっていたことだ.昔は一つ一つの谷間に、細い獣道のようなものがあって、私はよくその起伏の多い道を駆け上がり、駆け下りたりした.今は車のはいれるように作った林道以外には、そうした山に入る道が消えてしまっている.そして雪の重みで倒れたような木が、そのまま放置され横倒しになっていて、谷間は殺伐とした光景を呈している. おまけに国の政策もあり、山には杉や檜ばかりが植林されて、栗や楢科のドングリのなる木がなくなったりしたからか、山からサルや猪、しかなどが農繁期になるとしょっちゅう田畑に下りてきて、作物を食い荒らす. ここら辺の人々は、踏んだりけったりの目にあっているのだ. そんな現実をこの1年間見てきた.そして昨秋にはこんなうわさ、というか冗談も人々、特に年配の女の人の口にのぼった.そのころ、数匹のサルがあたりの田畑に毎日のように出没していた。そのなかの1匹のメスざるが、毎日のように群れを離れて野の花社の前面の塀の上をあるって、母屋の上に抜け、裏の畑のほうに消えていた.私もその赤い顔、赤い尻のサルが塀を渡りながら私を見てゆくのに出会ったことがあった.そんなことは初めての体験だった。ほんとに驚いた.でそんな驚きをこめてそのサルのことを近所の年配の女の人たちに何度も話した. するといつか「三郎君の所には夜になるとメスザルが、赤い尻を振り振り夜這いにきているらしい。」という噂か冗談が、人の口の端にのぼるようになり、私もからかわれた?もちろん私は逆らわず、「そうだよ、毎日サルの彼女と抱き合って寝てるよ」といっていた.女の人たちはどっと笑うのだが、、、、。
2004.02.22
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久しぶりに野に山に仕事に行った.2時間で2500円分ぐらいの榊の小枝を取り,もう1時間で1200円分ぐらいのフキノトウを摘んできた.最もフキノトウは帰ってきてごみを取ったりしなければならないのだが. フキノトウにかんして、はじめてきがついたことがある.日差しがさして暖かいところに早く出るというより,水分の多い湿ったところの方がよく出ているのだ。谷間の山際の,まだ雪が残っているところに行き,雪を掻き分けるとその下にも,いっぱいフキノトウがあった.雪の下でも、つぼみは膨らんでいるのだ.その写真を携帯でとったのだけど,どうしてかこのページに載せられない. ともあれきのう今日ととても暖かい.もうそろそろ林道の雪も解けているだろう。当分,また山の仕事をやることにする.それにしても長い冬眠だった.もっぱらパソコンに向き合うという. やっと信頼できるネットワークビジネスに出会えたから,気分が落ち着いた.すぐ金がもうかるわけではないこと,仕事を始める前にしっかり学んでおかなくてはならないことが,かなりあること,安易な勧誘はしないこと,そんなことを伝えてくれている.私自身はほんとに1から学んでゆくつもりだ.ハーバライフはやめる.彼らとの出会いでも多くのことを学んだ.何よりも自分があきれるほど安易にネットビジネスにかかわろうとしていたことに、きづかせてくれた。彼らへの批判者も含めて.
2004.02.21
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やっと、まともにネットビジネスについて考えているホームページに出会った.この間の右往左往がむくわれるような気持ちになった.「ネットワークビジネスを考える」で検索するとでてくるはずだ.ハーバライフやーめた、のさちさんのページのどこかにも,違うタイトルで載ってたが.今日は昼過ぎからずっとその人たちページや,インターネットで送られてきた資料を読んでいた.ここまでたどり着いてこの1ヶ月間の彷徨が,無駄ではなかったのを感じた.迷うのが凡夫として当然でそのことの自覚が,思い上がりやすい私を,引き戻してくれる. 私の目にとまつたのは,たとえばこんなことだ. 商品の愛用者を大事にすること.彼らがネットビジネスを支えているのだから.彼らを金儲けの道具としかみなさないような人々の組織は,遅かれ早かれつぶれる.健全な商品を健全に流通させる.信じ込みではなく,疑うこと,嘘でごまかさず,本当のことを言うこと.といったごくまともなことをネットワークの中でも貫くこと.現在のビジネスは,あまりにも問題がありすぎること. またネットビジネスはたてにピラミドのような組織を作るのではない,上の人も努力しなければ下の人の収入より少なくなること.など,いろいろ考えさせられた。この1ヶ月いろんな疑問や違和感,批判を抱いたことに対して,それをきれいに整理して見せてくれている感じがした。 やっとネットビジネスのスタ-トラインにたった感じだ.
2004.02.20
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ほんとに自分でもあきれるくらい、ハーバライフとのかかわりで心が揺れる.こんなことは30年ぶりぐらいか.最も昔のように苦しいことはなくくつろいだ気分の中にいるのだが. 私をサポートしてくれているハーバライフの女性は、非常に柔軟な感じの人で、ハーバライフへの疑問や批判など向けても怒ったりすることなく、いつも丁寧に答えてくれる.もちろんそのなかにも私のうなずけない点はその都度いくらかはあるのだが.そしてともかくハーバライフのことに納得いかないところがあるうちは、仕事などしなくても良いとも言う.よく考えてくださいと. 彼女らと接していると強くハーバライフを批判している人々に対してそれほどひどくはないと、ほんとに思ってしまう. 仕事をするために、早く金を稼ぐために無理して製品を買うことはないし、むしろそういうことはしないように私たちは言っているという.イベントにでたくなければ出なくて良いともいい、そうしたところに出ず、地道にやっている人もいる、金もうけてもその金をボランティアにつぎ込んでいる人もいるとか.以前メールなどでルールに反したことをやっている人はいたが、いまはそういうこと会社も禁止するようになつテいるし、私たちもそれを見つけたら会社に報告する、自分の仕事が大切だから.とか。 そんな話をしていると彼女のことをとてもいい人にしか思えなくなってくる. (夜の10:40分から)追加何なのだろう、この吹っ切れなさは.私は昨年2月から榊やしきみ、山菜など採取して道の駅などに出し、月7,8万の収入を得て何とか生活を維持してきた.今年は慣れてきたからもう少し収入が得られるかもしれない.しかし、朝5,6時に起きて夜12時過ぎまで働いてやっとそうした生活を維持してきたあり方が、そう変わるとは思えない. 私にはやりたい事がかなりある.野の花社をととのえたい、刑務所がいかに受刑者の人間としての尊厳を剥奪し、傷つけるところになっているかといったことも書きたい・・・そういう時間を作れる仕事をしたい.それが在宅でもできる、ネットワークビジネスをやつてみようという動機になっていた.昨年と同じことをやり、新聞も本もほとんど読まず、働きずめに働くような生活はもう、できたらしたくなかった.かけがえのないこの私の人生だ.もう少し自分のやりたいことをして、悔いのないように生きたいと思ったし、今も思う. そんな私にできる在宅のネットビジネスとして、ハーバライフの製品は手ごろだった.けして安いとはいえないにしても1セット1,2万円でダイエットに非常な効果があり、その他健康の回復にかなりの力があるように思われたし。多分強く批判している人たちが無視していることだが、ダイエット食品としてはかなりに高い効果を生んでいるのだと思う.単に金儲けのためのいいかげんなものなら、これだけネットの世界で悪評が行き渡っているのに売り上げを維持していけるわけがないと思う.こう考えるのハ私がもうかれらの考え方に取り込まれているからだろうか、. ちなみにハーバライフの食品がビタミンAの過剰摂取から病気を引き起こす可能性があるといわれている点については、まだ資料的に明らかにしてはいないが(私が)、現在の製品のビタミンAは植物性のベーターカルチノイドからできており、それは体内に蓄積されず、排泄されるから大丈夫なようだ.ただそうした点についテディストリビュターたちが、会社は有能な医学者らに製品を作らせているから彼らを信じるといっつた言い方しているてんは、わからなくはないが問題があると思う.そうした大切な点については信じる信じないということではなく、科学的に明らかにする必要のあることだと思う、少なくとも資料を出して. まとまりのない日記になってしまった.AMo:30もうねる.
2004.02.19
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この1ヶ月ほどハーバライフにかかわり、そしてこの数日間ハーバライフやMLMへの批判、それらの被害者のことを扱ったサイトを読んできて、私は健康にかかわる食品などを扱うビジネスに必要不可欠な、基本的な事柄が全くわかっていなかったことに、ようやくきずき始めている.自分自身のことを実にいいかげんな人間なのだと,あらためてきづかされている。 まだほんの少ししかわかっていないが,ざっと書くとこんなことだ. 1 私が扱おうとしている製品,食品が人々の健康に本当に寄与するものなのかどうか、仮に多くの人のそれに寄与するにしても,1部の人に被害を与えるようなことはないのか,被害を与えることもあるとして、その程度や原因はどのようなものなのか、またそれに対して会社や販売員たちはどのように対応しケアーしているのか,といっつたことを深く考えることなく,そうしたものを売って収入を得ようとしていた.そんなことよりともかく金儲けができるということのほうに,私の重心が傾いていた.ただ,この間の日記にも書いているように自分が売る品物が,他人の生活や人間関係などを破壊するようなものにはかかわりたくないという姿勢だけはあったけど. また製品にどのような成分がふくまれているか、それはどこでどののように作られているのかといったことも,そうう専門的な事細かなことでなくとも,基本的なことは知っておく必要のあることだ.そういうことをたいして考えないままにその仕事に着手しようとしていたのは,実にどうしようもなくいいかげんなものだった。 2 ハーバライフのようなマルチ(まがい?)商法にかかわることが、たとえ製品がいいものだったとしても、私が自ら犯した罪を見つめなおすことから得た考え方と矛盾しないかどうか、よく考えもしなかった.どんな仕事も私がこうありたいと望むようなあり方とは相容れないところがあり、マルチ商法もそのひとつでしかない.そうそのことは気にすることはない.仕事は仕事だと割り切ろうとか考えようとしていた.だけどどう考えても、仮に私がそこでこつこつ仕事をしていけば、私の下に組織ができわたしは彼らの労働から得られた金の一部分を、私のものにする、収奪することになる.仮に製品がいいももだとして、それを人々に紹介し彼らの健康のために寄与した報酬として収入を得ることは当然としても、同じようなことをしている私のダウンラインの人から私がその収入の1部分を収奪していい理由にはならない..もっともそういう人々が仕事ができるようになるまでサポートしている間は、サポート代としていいかもしれないが。 問題は人の心身の健康に寄与しようとするなら、そのような製品を人々に届け、アフターケアーもする責任のある人々の組織・グループも、自らの組織のあり方を自分たちの心身も健康なものにしていく性質のものにしていく必要があるのに、マルチはピラミッド式の典型的な上下関係を作り、上位者が下位者を収奪するような精神的に不健康な組織をつくり、人々を金銭的な欲望や上昇志向にかりたてていることではないだろうか.もちろんそのなかにも良心的であろうとする人々はいるに違いないが.マルチの人々が次次と引き起こす不祥事はそうした組織のあり方自体が、そのようなものを生む性格のものになっているからではないか. マルチが法的に認められているかどうかは、表面的な問題だ.問題は多分それが普通の会社と比べ物にならなくらい、人々の金銭的な欲求をかきたてるものになっている、そのことにあるのではないか. 3 商品への愛着も盲従をかきたてる ハーバライフやニューウエイズの人々を批判的にみる人々の中の1部の人は、ハーバカだとか信者だとか頭から馬鹿にした態度を取るが、ハーバにかかわっている人々がそれ以前にどれほどダイエットにくるしみ、また肥満や病気に苦しんできたかといったことは、あまり共感的に理解しようとはしない.しかしそれを理解することはとても大切なことだと思う.長い間そのことに苦しみ、引け目を持ってきた人々が、ハーバの製品食べて見違えるように痩せれば、それはとてつもない歓びなのだ。だからこそハーバライフに感謝し、それを人々に伝えたくて仕方がなくなったりするのだろう.おまけに金銭的なメリットもあれば余計だ.何をかきたかったかわすれた.もう今日は眠ります.
2004.02.18
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少し前、りうvさんがハーバライフへの批判などのあるサイトと被害者の会があることを教えてくれたけど、そのサイトにこのパソコンではというか。私の能力ではアクセスできず、その後あたふたてしていたこともあり、被害者の会のことも調べなかった。そういうことにもできるだけ目をとうしたいので、何か情報知っている人は知らせて欲しいと思う。
2004.02.14
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私はこのホームページの冒頭で、過去の私の引き起こした事件で傷ついた人々に対し、謝罪しているがそうした人々以外にも、深く謝罪しなければならない人々がいる。これまで私はそうした人々に対し、おざなりな謝罪をしているだけなので(1審の裁判に提出した「意見書」の最後で)、やはりこんな場でそうするのが適切かどうかわからないが、直接会ってそうすることにも様々な困難があり、この場を借りてそうしておきたい。 私は1978年1月1日に誤爆事件を引き起こし、当時親しくしていたKさんという女性とその現場を立ち去り、2度目の逃亡生活に入っていった。しかし私は組織的な支えなど持っていなかったから、ただぶっつけ本番に以前知り合っていた人々の所に、転がり込むような形でしか、逃亡生活をすることができなかった。 そのような形で私たちは東京、京都、名古屋などの知人の所に転がり込み、何日かあるいは何ヶ月も匿ってもらったりした。そしてそれ以外にも多くの援助を受けた。そんな支えがあったからからこそ、私とKさんは落ち着いてお互いの過去の人間関係について率直に話し合ったりすることができた。それにより当時ひどく心身の衰弱していたkさんが、急激に健康を回復し、そのことに心を動かされて私は心理学に傾倒し、まもなく自分の誤りを自覚するようになった。そうした意味で私にとって当時私を匿ってくれた人々は、どれだけ感謝してもし足りないくらいの人たちだった。逮捕される以前に私はそのように感じていた。 それなのに1983年5月に逮捕されたさいの、警視庁での取調べのさい、私は彼らのことを検事に自供してしまった。私がそうしたのは、共に逮捕されたkさんが彼らのことを自供している調書をその前に見せられ、そこまでわかっているのならある程度私が自供しても特に問題はないだろうと考えてしまったからだ。 しかしことはそういう問題ではなかったのだ。たとえ私が自供しなくても、捜査状況にたいした違いはなかったにしろ、それは匿ってくれた人々との関係で人間としての深みにある何かを、破壊してしまうようなことだったのだ。そのようなことをその自供をしているとき少し感じていた気がする。しかし私は自供してしまったのだ。自供したら楽になるようなことでもなかったのに。 もう夜も遅いから、今日はここまでにしよう。 ともあれあのような自供をしたこと 、そしてそうした人々の多くが捜査の対象となり ある人は和逮捕され、職も奪われるというような状況を作ってしまったことを深くお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。
2004.02.13
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ハバライフのことでまだ迷っている。あの名古屋のような集会、イベントには参加したくないけど、私の紹介者となっている上位のある女性とのメールのやり取りや、電話での話し方などからは、あのイベントとはとてもちがつたたものを感じるからだ。 またそのことは次の機会に書きたい。今は明け方近くの4時前。もう寝よう。
2004.02.11
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アビが教えてくれたハーバライフの批判などのサイト、一通り見てみた。見てよかったと思う.一応そういうのないかと思い、自分で検索してみたけど、探せなかった.ともあれ、今は問題があればどこかにこうした形で明らかになり、比較的簡単にそうした情報にアクセスできるから、ずいぶん便利だ. アビがネットビジネスの多くは洗脳だと思うと書いてたけど、私のいってきたそのイベントも特定の情報の洪水の中に人々をひたし、その方向にその感じ方、考え方を誘導していくようなものだったと思う.ハーバライフの食事をすることで肥満が痩せ、病気が治り、目覚めもよくなり、そして仕事にすれば比較的短期間で多くの収入が得られ、月収が100万を越すこともそう難しくはない。といったもの。そして高級車を買い、家を立て、年に何回か海外旅行にも行ける、などといったことを臆面もなく壇上で言う。その発想の薄っぺらさなどに、こうした人々と一緒にやってやっつていくことはできないな、と思った。 しかし、その製品自体はほんとうにダイエットなどに有効なものである気がした。そこに行く前のかれらのメールボードでの具体的な話などからそんなことまで嘘をついているとは思えなかった。だから仕事としてそれを選んでもいい、ただし自分がそれを売る相手には、彼等とは違ったかかわり方をしていけば良いのではないか などと考えてどうしようか迷っていた。 しかしそんなことあまりまり関係なく私がハバライフの製品を紹介した人々が、そのシステムに取り込まれてゆくわけだから、私もそのシステムの一員として、そこに加担していくことになる。そのこととたぶんパソコンを使った私の仕事が、ハーバから与えられた情報をメールなどの形であちこちに発信し、ハーバに接触するように働きかけて行くようなものになるのだろうから、ネットビジネスとして取り組もうとするかぎり、自分の望む方向での仕事とはならない。そんなことも考え、やはりやめようと思う。 それとすこしハーバの情報に触れてすぐに考えたことだけど、ひどく太っているといったことが、多くのばあいその人の抱えている精神的な問題などとの関係でそうなっているのだろうから、それをハーバの食事で解決すると、それはハーバへの依存症みたいなかたちに変わるような気がした。で、その先に当然普通の食事でも肥えたりしないような、体の欲求に敏感な感覚を取り戻すワークが必要だとか考えた。その一時的な解決のためにハーバのようなことがあってもいいかとも。でもそんなばあいならはじめから自分の問題に取り組むように促せばよく、ハーバに誘う理由にはならない。そのあたりをつめて考えていなかった。私もハーバで宣伝されているような、在宅してつき2,30万稼げるようになれれば良いなといった欲の方に身をを傾けていたのだ。この項、ちょっと単純化したところがあるけど。
2004.02.09
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パソコンの調子が悪い.一つ一つのペイジを開くのに、えらく時間がかかる.どこかを掃除しなくてはならないのだろうか。コンピュウターの容量はまだ3分の1ほどしか使っていないのだけど.こんな速度ではネットビジネスは、思うようにいかないかな. 昨日は名古屋の港区のポートメッセ名古屋にゆき、ハーバライフと言うダイエット食をメインにビジネスしているところのイベントにでてきたのだけど、とても大きな違和感があって そこの仕事をするかどうかまだ迷っていぅる.ダイエットにとても大きな効き目があることは確からしいが。
2004.02.08
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朝から雪がよく降っている.この雪の中をバイクで名古屋に行こうとしている.すこしまえ近くのサンホームという福祉施設の風呂に入りに、バイクをとばしたが、5分ほどしか走っていないのに手がとても冷たくなってしまった.何かホッカロンのようなもので、手袋の中に入るものを薬局で買って入れていこうと思う. それにしても私はこういうことがすきなのだ。いつも現実は様々な困難に満ちていて、それを回避することなくそのなかにはいっていくことが。そんな現実のひとこまひとこまが、ちょっとした冒険になるのだ.
2004.02.06
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一昨昨日の夜と昨日の夜、ある女の人と夜の8時から12時過ぎぐらいまで、電話で延々と話をした.話がつきなかった.深く話せば話すほど、胸が暖かくなり、話をしているだけで満ち足りていた.そしてその電話代のほとんどを彼女が持ってくれた。思いのたけを隠すことなく言い、彼女も遠慮なくものをいい、、.そんな時、私はほんとに恵まれているのを感じる.独りでいるから誰にも遠慮.する必要もない。逮捕される前に短い間親しくなっていた人との電話による再会だった.拘置所にいるときに出会った人を含め、ほとんどがとても遠いところの人だけどそんな女の友達が7人くらいいる。4時間もの長電話は昨日の特別のことだけど、30分や1時間の電話はよくする.独りきりの生活の中で、そんな女の人たちとの出会いはほんとに貴重なものに感じられる.だから1月の電話代は、本電話だけで12000円くらいだった.携帯も6000円くらい使っているかもしれない.みんな良い人たちで、だけど若い頃のようにそのうちの誰かだけが特別にすきになったりは、しない.みんなそれそれいい人だとしか思えない.今までのところ.たぶん年を取ったということなのかも知れない.誰とでもいい、そんな人の一人と抱き合えたらいいなと思ったりするときは、よくある. ところでネットビジネス、この半月ぐらいさまよったけど、この土曜日から本格的に始める。やっとここでやってみようと言うところが見つかったのだ。もう少ししたらここでも明らかにするつもり.まあ健康食品の宣伝とか販売にかかわるような仕事.この土曜、日曜はそのための講習会、トレイニングのために名古屋へ行く.雪が少し降っているかもしれないけど、ゆっくり時間をかけて走ってみる.バイクで.
2004.02.05
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過疎化しつつあるとも言われる地域にすんでいて、不況でもあり、出所して間もないこともあり、その上もう55歳にもなっておりなかなかし仕事を探すのがむつかしいから、ネットビジネスでも始めようかなどと思い、この10日間ぐらいいろいろ覗いて見ている。そんな中で私自身がともかく金が稼げれば良いみたいになつていた。しかしそんなサイトをのぞき歩き、どうもこぢ宣伝としか思えないサイト。サークルにであったり、さいしょ人を集めてかねをかせいで、あとは放り出して自分らだけ良いめしているような人たち・立ち上げやとかいわれるひとびがいることも知った。以前逃亡生活しているときに、新聞広告出してたそおいうのに引っかかり(たぶん)5万円ほど無駄にしたことも、思い出した。 なんにしても金儲けにだけ焦点を合わせて、自分がかかわっている広告の中に人の生活や人生を破壊するようなものがあるかどうか、考えもしないといったふうにはなりたくない。慌てなくていいから、自分のそうした感じ方・考え方・認知にあったものを探したい。なければやめればいいのだから。 私の『意見書』というほんを この10日間ぐらいで予約も含めて、20冊近く売った。全部で1万円くらいが私の収入になる。これも私のサイドビジネスだ。ニコニコ。自分で言うのはちょと厚かましいかもしれないが、私がそこに書いたことはごく消費的な本と比較すれば、かなり価値のあるものになっているという思いはある。自分で売ることに関し、少しも負い目を持つ必要はない。 そんな収入も含めて、、1月の収入は全部で6万円くらいか。 まあ、いいだろう。にこにこ。 今日はあさからしとしと雨が降っている。 春がくる前触れの雨。
2004.02.02
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