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昨日の軽トラでの名古屋行きは、さんざんな目に遭いました。pm2時20分頃に野の花社を出たのですが、ミュウジックセレブレイションなどの行われていた、JR鶴舞駅についたのがpm7時近くになってしまいました.交通渋滞に巻き込まれ犬山から名古屋まで3時間ほどかかったあげく、あて先のジスイズ・イットの近くで迷ってしまいました。 用事が出来たので、中断します。 続けると、迷ったあげく1時間ほどの時間を使ってしまいました.最後は店・ジスイズ・イットに電話して教えてもらってもわからず、近くに止っていた私のところに店の人が、直接地図を持ってきてくれるという形で、やっと到着しました。 あきません、眠いので寝ます。 免許取りたてで、いきなり名古屋という都会の道の中に紛れ込み、運転はめろめろになるし、バイクとぶつかりそうになるし、なかなか駐車できないし、一つ一つが初めてのことで、まあさんざんな感じでした。かなり疲れて店に着き、しばらくは食事をする気にもなれず、休んでいました。 でもほんとに久しぶりに和尚の弟子たち・サニヤシンたちに出会い、気分的にはずいぶん楽でした。21,22年ぶりに会うような知り合い、かって親しかった人たちとの出会いもありました.でも20年ぶりに会ったという感じは全くなく、ちょっと最近会わなかったね、といった感じでしかありませんでした. 7時半過ぎからはじまったミュウジックセレブレイションでは、これまた久しぶりによく踊りました.汗だくになって、エネルギイの赴くままに。ヨーコという女の人の吹く笛の音、めどぢいに合わせて踊るときが微妙でとてもいい感じでした. そんなふうに過ごしましたが、いまいち不完全燃焼気味のところもありました。何かについて深いコミニケーションがあるというわけでもなく、踊りあかしてそのまま別れてきたからということもあります。美しい、エネルギイのながれの美しい女の人たちはかなりいましたが、以前からの知り合い以外の人と特に親しく話し合うといったこともなかったということもあると思います。 妹のことも気に係り、10時過ぎには野の花社への帰り道についたということもあります。そんなこと気にせず、もっと遅くまでその店にいればよかったのだと今は思いますが、久しぶりの和尚の弟子の仲間たちと時を過ごし、何か今ひとつとけこめないところをかんじていたきもします。距離があるのを感じるというか.地理的にも遠すぎるなあという感じとともに. 帰りはごくスムーズに野の花社までたどり着きました。pm1時頃でした。
2004.10.31
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朝6時頃目がさめました.とてもさわやかな目覚めでした.もう運転免許のことで4苦8苦する必要がなく、とりあえず生活を維持するための仕事ができること、他にもやる必要のあることに取り組めること、これで経済的に少し余裕のある生活の大切な要件の一つが満たされたこと、そんなことのいろいろがあり、ほっとしているからだと思います。妹の健康の回復のためにも、どうしてももう少し稼げないと苦しいこともあります。 ともあれ今日は久しぶりに名古屋の瞑想センターに行きたいと思っています.和尚の弟子・サニヤシンのミュウジシャンのミラレパという人がきて、ミュージックセレブレイションというのが行われるので、それに参加するためです.私は生の音楽を聞きながら、ダンスをすること、他の人と楽しい触れ合いのときを持つのがとても好きな人間です.このところそんな場所から、全く遠ざかった生活をしてきたので、ここは私への私のプレゼントとしてもそうしたいのです、ニコニコ. ただどうやっていくか少し迷っています。電車で行くのは時間とお金がかかる割には不便ですし、バイクでは雨が降るようだからきついし、軽トラで行くのも免許取ったばかりで少しきついかなとも思うし。でもやはり軽トラで行くことになりそうです.妹も連れてゆきたいのですが、軽トラでは緊張しやすいこともあり、出来ないかなと思っています. ともあれ朝から遣り残してあるいくつかのことを処理して、なんとか行くつもりです.
2004.10.30
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運転免許の本免試験、今日の午前中にあり、学科、路上試験ともに受かりました。ほんとにほっとしています。野の花社に帰ってから、ひとまず昼寝して、夕方おきてからご飯を食べた後、近くの友人などには電話などで知らせました。そのあとここにも書き込もうとしましたが、妹の状態が不安定なこともあり、ずーと彼女と話し合っていました.ようやく落ち着いたこともあり、こうしてパソコンの前にきて、報告しています。 とりあえずこれを第一報として書き込みます。続編も書き込むつもりです. 第二報 本免の実技のほうは思っていたより無難に終わりました。学科の方は教習所のパソコンでのテストで、大体90点以上取れるようになっていましたから、大丈夫だといわれていて、いけるだろうと思っていました。学科に関しては採点した試験官が、だいぶ勉強してきたようですね、といていたから、満点に近い点数だったのではないかと思います。 実技のほうはかなり不安でした。自分でもギアの出し入れ、安全確認の仕方などに戸惑い、適切にできていないという実感がありました.そこヘきて一昨日の教習のときに指導員から、これはとてもだめだなー、試験は受からないぞなどといわれてしまい、だめかな―と思っていたこともあります。 ただ受からないと経済的にもピンチになることもあるため、何とかできるかぎりの事をしようと思い、昨日は1日中そのために時間を使いました。 まず朝6時頃に起きて弁当など詰めて、7時前に野の花社を出て、2時間ほどかけてバイクで高山の試験場まで行きました。確認や操作の不安をカバーするために、路上試験のコースを徹底して覚えておこうと考え、9時頃から11時過ぎまでバイクで路上試験のコースを、何回も何回も回りました.10回以上は回りました。 そして下呂まで引き返し、益田教習所で2時間路上運転の練習をして、野の花社に帰ってきてからは、夜2時間ほど路上の練習をし、徹底して安全確認と、ギアの入れ方、くラッチの踏み方などを練習しました.そして今日の朝は4時半頃起きてまた30分ほど.同じ練習をしました. まあこれだけやれば、やるだけのことはやったという思いもありました。それでも路上試験に入るときは少し緊張しました。試験官に言わせると、ガチガチだったとか。でもともかくコースが頭に入っていたこともあり、余分なエネルギーを使わずに済み、安全確認も、ギアやクラッチの操作もかなりスムースに出来ました.試験場内での方向転換も無難に出来ました。で、細かな点でいくつかミスはあったけど、基本的な運転はで着ているから、合格ですという旨のことばを試験官から貰いました。 ほんとに嬉しかったです.まだまだ緊張しやすい私がいることをあらためて自覚できもしましたし.
2004.10.29
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今日は朝から小雨が降っていただから下呂の教習所に行くのは止めるこの寒さに向かう季節に冷たい雨の中をカッパ着て1時間も走るのは思うだけでいやになってしまうでもかなり迷ったのだけど昼前は車の練習を兼ねて七宗の道の駅まで行き榊を出してくる昼からはサンホームで風呂に入ってくる熊本に行ったとき温泉に入って以来1週間ぶりくらい昼前道の駅行くのに同乗した妹が私が臭いというので気にもなりはいりに行った長袖のTシャツ、トレーナーのようなものは熊本以来1週間も着たままだったパンツも3日ほど同じのをはいていた気がする臭いわけだ、ニコニコ何かときどきそうしたことを忘れてしまう妹はまたいつもの妹に戻った感じでネガチブナなことばを連発している.今は収まったけど眠いで寝る
2004.10.26
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今日は朝10時過ぎから1時間、近くの路上で運転の練習をしました。もちろん妹の付き添いでです。新しく出来た広い道(と言ってもこの20年ぐらいの内にできたものです)と旧道をぐるぐる回る感じで、進路変更、交差点の右折左折、安全確認、ギアの入れ替え、そんなものを練習しました。 そして昼からは下呂のほうの教習所に行き、そこから車で恵那まで行き中央高速に入り、そこで運転の練習をしました。さすが高速は速く、サービスエリアから本線車道に入るとき上手く行かず、指導員に助けてもらって何とか入れましたが、少しびびりました. 帰ってきて夕食を済ませた後、妹に少し強い口調で、自分で自分を見つめる必要があること、誰もそれを代わってくれる人はないこと、父や母もそれが出来なかったから苦しんだのだということ、ぼやぼやしていたら人生終わってしまうということなど話しました。 妹は最近驚くほど食欲が出てきて、よく食べるようになったり、年配の婦人にお灸を据えてやったりして、少しお金をもらったりといった、とてもよいことが起こっている気がするのですが、やはり他人の心配をすることにエネルギいがむきがちで、相変わらず自分の精神的不安定さに自分で苦しんでいるみたいで、しかもそのことに正面から取り組もうとしていないみたいだったので、そんなことを強く言ってしまいました. でもそれを少しまともに受け止めてくれたみたいで、今夜はそれからあまりこころを乱すことなく、鳥山敏子さんの本をじっくり読んでくれていたようです。とても嬉しいことでした。
2004.10.25
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このところ野の花社にいるときは、かなりの時間を自動車の本免の学科の問題集に取り組んでいました。なかなか90点以上にならないので、少し集中してやっていました。今日になって3回ほどのテストが、全部90点以上になったので、少しほっとして、このパソコンの前に気ています。後はこのレベルを維持して10月29日の試験にまで持っていくことと、路上の技能試験のほうを何とかクリアーすべく、努力する、これでいけるはずです.明日から4日間は、それに向けて下呂の教習所に行ったり、近くで妹に乗ってもらって進路変更、その際の安全確認、交差点の前でのギアのチェンジなどのタイミングなど、どうも何処か今ひとつつかみきれていないので、練習したいと思っています.その他1日は高山の試験のコースもそよ風号で走っていって下見もして、万全を期したいと思っています。27日は午前中に教習所の車で、高速道路の講習も受けます.それを受けていないと、試験が受かってもすぐ免許がもらえない仕組みになっているものです. 昨日はおかしな詩を書きました少し気が滅入っていて気分が落ち込んでいきそうだったのでまだ見ぬ愛する女の人のことあるいはすでに出会ってしまっているのかもしれない愛する女の人のことを思いこころを潤わせていましたふっと近くに具体的に愛し合う女の人がいないことをなにかがかけているように感じるときがあります心から愛し合う女の人とのあのなにものにもかえがたい深い喜び深い安らぎそうたものを感じるときがないことがもう56歳にもなっているのに若かった頃と同じように女の人との間でそんなときをときどきすごしたいそんな欲求がなくなることは今の私にはありません若い頃と違った穏やかな望みにはなっていますがこんなところにいるとそんな機会もなくなるのではないかとふと思ったりしてしまいもしますところで最近遠い親族の一人である近所の80代後半の女の人が母屋の前の草を刈り取ったりしてくれています足が少し弱く手押し車をつえ代わりに突いてやってきてっ少しずつ家の周りをきれいにしてくださっていますとてもありがたいことです
2004.10.24
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愛する人よ私の愛する人よ冬に向かうこの季節のなか強い風の吹きすさぶ飛騨川沿いの国道41号線を私のそよ風号に乗って走りながらあなたのことを思う風はまるで私を弄ぶようにそよ風号のはるか前方から私の身体をめがけて吹き付け疾走する私の身体を巻き込みぐらりと揺れさせ後しざりせよとばかりに圧力を加えかと思うとふと力を抜き私をゆるやかに包み込む愛する人よ私の愛する人よ洪水のなごりの黄色くにごった飛騨川の脇の国道41号線を大型貨物車と競うように疾走するそよ風号の華奢な背に乗りながらあなたのことを思うまだ見ぬまだその声も書いた文字もどこにいるのかも知らないあなたのことを思うもう私の手の届かないところに不思議な光を放ちながらたたずんでいるのかもしれないあなたのことを思う私はあなたを愛しているその全てを愛しているあなたの不思議に甘いさわやかな気配やしぐさあなたが私の腰にまわしたその手の感触私の耳元でささやいた 小さな笑い話もう今日はこれまでにします私はあなたを愛しています愛することで私のこころを暖めますどこにもいないそしてどこにもいるあなた私の愛する人愛しい女の人よ私はあなたを愛しています
2004.10.23
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私は刑務所に服役したことと、被害を加えた人々にたいする謝罪や、被害に対する弁済は当然区別するべきことだと考えています。私が被害を加えた人々にたいしては、その人たちが受け入れてくれるなら、直接その前に行き、私が行った犯罪、加害行為について謝罪し、その人たちが望むなら、また私が物理的にできることならどんなことでもする気はあります。いや、私の責任としてそうする必要を感じています。そうしていないことが、心に何か表現できないものを残したままにしているという感じがあります。 私が被害を加えた人々が、その建物の損壊を修復するお金を捻出するのに、多くのKるしみを味あわれたということも、裁判の過程などで知りました。そんなことも含め、私がゆえなく被害を加えた人々にたいしては、きちっとした謝罪をする責任があると感じています。 ある私が傷つけた年配の方は、存命なら85歳は超えておられるはずです.そんなことも含めできるだけ早い時期に、謝罪を実現したいとも考えています。そんなことを思いつつも動き出さないまま出来ました。 運転免許が取れそうだこと、爆破した現場近くにいた人との出会い、熊本の宗教者との話し合い、チロリンさんのそのことへの言及など、そうする時期がきているということなのかもしれません.被害に会われた個人の現在の住所など知るのは困難かもしれませんが、少しずつでもそんな方向へ、歩みはじめたいと思います。 そんなきっかけを与えてくださった人々に感謝します. 朝、6時近くです. まだ暗くて、少し寒いです. 妹も起きていて、 コーヒーを少しだけ入れてきてくれました
2004.10.22
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私が1977年前後に、急進的な左翼の一員として多くの人々傷つけたり、それらの人々が作り、あるいは維持されていた建物を破壊するという罪を犯してから、もう27,8年が経ってしまいました。本来はもっと早い時期に、そうした人々にたいする謝罪の行動を現実に行うべきだったのですが、一人の人を除いてそれができないまま今にいたっています。 このことについて何か今書いておきたいのですが、朝早くからなにか書き始めて今は眠くなってきたので、また後から書くとして少し眠ることにします.今日の内に、ある程度のことを書きたいと思っていますが. 朝から自動車教習所に行き、3時頃に帰ってきました。それからすぐ榊を取りに行き、小束を作ってくれる人のところに出しに行き、帰ってきて6時頃。夕食食べたり妹と話し合ったりして7時半、今パソコンの前に着ています。今日もお金がどんどんでてゆく感じで、少し不安を感じたりしました.教習所の金1万、野の花社の修理のためのセメント、軽トラ・タンポポ号の必要品などで2000円、妹のこの間の家事などへの労賃1万円、食料の購入に1500円、10万の金が入ったばかりだからそう差し迫ってはいないけど、その先の見通しもそうはっきりしているわけではないから、少し不安が掠める.1人ならともかく、妹もいるということもある.彼女もそのうち収入を得る道を見つけてゆくだろうけれど。 晩秋の肌寒い風が、こころを沈ませるということもある. 下呂の教習所はとりわけ強い風が吹いていた. 台風の後ということも歩けど、寒さに向かう季節特有の こころを沈ませる風. さてチロリンさんが動感じておられるのか今ひとつわかりませんが、私が自らの事件の被害者の皆さんに謝罪する必要を感じていることと、現在の私のこのホームページでの物事についての書きよう、対し方が、普通、いわゆる大きな罪を犯した人のあり方と違うところもあり、そんなところからもその2つの関係に、なにか少し途惑うものも感じられる人もいるのかもしれないと思います。 犯罪の加害者が被害者に謝罪するという場合、ひたすら自己の非をわび、ただただ被害者の前に頭を下げるということをすべきで、私がこのホウムページでしているような、自己についてのあからさまな開示や、社会や天皇家のあり方などについて批判的な見解を述べたりすべきではないといった意見、考え方をするひともいるとおもいます。 こんなことについて書き始めると、しかしとても時間の必要な作業に入らなくてはならず、やはり今は止めておきます. ただ単純に言えば、こうしたことをしているのも広い意味では、私が犯したような罪ができるだけ繰り返されないことを願うが故の、可能な一つの作業という気はしています。 もう一つ、正直に言って、私が傷つけ損害を与えた人々らは多く損害額も、少なく見積もっても全部で数億円にもなるもので、謝罪に踏み出すということを、おもぐるしく感じ足をふみだせない感じもあります。今はともかく可能な人から少しずつとは感じていますが.そしてもうすこし経済的、金銭的な、また仕事の上でも余裕が出来てからにしたいということもあります。補足 被害者にたいする弁済ということについては、刑務所にいるときにもそうしようと試みたことがあります。85年ことのことでした.私の書いた『意見書』というほんの印税がその頃42万円入りました.それで私はそれを被害者にたいする弁済に当てたいから、被害者がそのための謝罪の手紙やお金を受け取ってくれるかどうか、刑務所が関係している組織を使って調べてもらえないだろうか、といった相談を持ちかけたことがあります。刑務所内で配布されている、刑務協会だったかの新聞に、よくそんな気持ちになったら刑務所職員に相談するようにといったこと、保護観察機関などを使ってそうした受刑者の申し出を援助する、といった話がときどき書かれていたからです。私としては12人ほどの負傷者にたいして、謝罪の手紙と、示談とは関係のない私の謝罪の気持ちを表すものとして、3,4万のお金を送付したいと考えたのです. それにたいして分類統括は、何とかしてみる旨応えましたが、1年たっても何の音沙汰もなかったので、再度問い合わせたところ、施設としてはそういう努力はしない、とか言われました.とてもおかしなことだと感じたのですがそれ以上どうにもならない感じなので、その件はあきらめました。 本来的に言えば、受刑生活中の労働で得たお金などをためておき、それを被害者に謝罪のお金などとして渡すことのできるようなシステムが、被害者がそれを受け入れればですが、必要不可欠なはずです。然し今の刑務所はそのようなものとしては機能していないようです.私の体験からは、です。 一応今日書いた件では、このことも書いておいたほうがいいと思い書きました.
2004.10.21
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昨日の夜,9時近くに熊本発の夜行高速バスに乗って、今朝7時半に名古屋に着き、野の花社には名鉄、JR高山線を乗り継いで上麻生駅に着き、迎えにきていた妹の車に乗って帰って来ました.昼近くになっていました。台風23号が来ていたため、それが九州に上陸する前に帰ろうと思いもして、少し調べたりしたらそんな高速バスがあったのです。お金は11500円、新幹線などで来るより安くて便利という感じでした。 18日の宗教者の会合は20人くらいの人の出席で行われた、こじんまりとしたものでした。一応予定では、出所後の生活から思うことという感じで話をするつもりでしたが、私がはじめて会う人が多いことも考え、行きの新幹線の中などで私が事件を犯すことになった過程、誤りにたいする時自己洞察を深めてきた過程などに付いてまず話すことにしました. ちょっと風が強くなってきたので、電気が切れないうちにこの文を登録することにします. 話のつづきですが、そんな感じで会合の席でただ思いつくままに話しました。自分がどのような点で間違っていたか、どのような醜さ、無責任さなどを抱えていた、そのことに無自覚だったか、そうしたことにどのようにきずいてきたか、といったことを話したのです. 最後にそうした気づきからえたものに基づいて生きてきた刑務所生活、出所後の生活の困難などについても話しました。 私としてはあまり、いい感じで話が出来た気はしませんでした.ただありのままの自分について、ごくあたりまえに話しただけでした。でもそうする以外にできることはない感じで、私自身としてはそれで良いとも思いました.緊張することも全くなく、そんなふうな話をしたことを、こうして振り返ってみると、会ったこともない大勢の人の前でそんなふうに話をすることの出来たことが、ずいぶん自分の変わりようを明らかにしている気もします.不思議です、そんなことをしてしまう自分が。 ただその後夕食をはさんで行われた懇談会のような席で、もうすこし自分のほうから、その宗派の考え方などについて、突っ込んだ問いかけをしたり、自分の課題としていることにたいしてアドバイスを求めるなど、積極的な関わり方をすればよかったかなという気がしないでもありません. 次の日の朝11時近くに、その会合の行われたホテルのロビーで、Reiさんにお会いして、彼女の運転で熊本水辺動植物園に行きました.運転はへただとか言っておられましたが、なかなか上手いもので、最近あまり乗っておられないとはとても思えませんでした。細身のすらっとした美しい人で、何かはじめてあった人のようには感じず、くつろいだ感じでいろいろなことを話し合ったりしました.ただ思いつくままに、という感じで.もっともこれは私の感じていたことでレイさんはまた違うのかもしれません. あいにくの雨で、2人とも靴がぬれて、なかがぐしょぐしょになったりしましたが、めげずにその動物園の周りをまわったりしました.近くに江津湖の1部分があって、ガチョウや鴨などの水鳥が少しいて、それらと江津湖の水平に広がる水面などが素敵な雰囲気をかもし出していました。 動物園では大きなサイに声をかけると背中をおりの壁に寄せてきたので、その厚そうな皮を私の指でとんとんつつきつづけてやると、気持ちよさそうに身体をなをも、寄せたり動かしたりしてきたのが印象的でした。 久しぶりに野の花社の土地とその地のひとびとを離れて、仕事のことも考えることもなく、家のやりくりなどのことも考えることもなく、のんびり過ごせました。またその会合を開かれた人々から,講演料として10万ほどもいただいたことで、当面の経済的な危機も乗り越えることができる見通しが立ったことも、私を楽な気持ちにさせてくれました.私がそれにあたいする話をしたという思いはとてもありませんが、ともかくそれはありがたいお金として、遠慮することなく受け取りました。 また明日から免許鳥の最後の努力をします.何とか月末には取れるようにしたいです。なをしたの写真は、今日水かさの増した前の川の窪みで、たもを使ってとった川魚です.食べようかどうか迷ったあげく、明日川にはなしてやることにしました.むつというハエです.
2004.10.20
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今日は熊本行きの準備の都合で、コンビニにコピーを取りに行くついでに、野の花社から車で30分くらいの美濃市のはずれにある、賢治の学校、歩・ホットに夕方ちょっと立ち寄ってくる。しきりに嫌がっていた妹を、だましだまし強引に連れてゆく感じで、一緒に行く.私の仮免の運転の付添い人という感じで. 嫌がってはいたけど、歩・ホットの感じには少しは惹かれるものを感じたみたいだった.その建物の柔らかい感じと、鳥山さんらが5時頃都合で去ったあと、残った人たちがある人の関係を見つめたりするために、その家族関係をロウルプレイで演じていたりしているのを、よく観ていた。 その後野の花社に帰り11時近くになりようやく明日のたびの準備を終える。なにを話すかについては全く準備をしていない。明日の新幹線の中の時間などに,少しはメモなどとって,ある程度の準備はするつもりだけれど.。ともかく全てが初めてのことなので,自分でもどうなるのかさっぱりわからない. それでいい気がする.何も背伸びすることはないし,そうしてもいいことはない.ただありのままの自分でいるだけだ.でなければとても出来ない. 鳥山さんとは,鳥山敏子さんのこと。昨年は彼女のワークショップを1日ずつ3,4回受けた.1年間のドイツでのシュタイナーがっ工への留学を終えて、この7月頃帰ってきたとか。もうすこし余裕が出来たらまたそのワークショップにも出てみたい.
2004.10.17
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どこでとかいうことは、今は明らかにしませんが、私が爆破した建物の近くにいて、直後にその現場に駆けつけたという、私と同世代の人に最近2度目の出会いをし、いろいろなことを語り合う機会がありました。 そんな人と出会い、話し合うことができるということも不思議なものです。しかも彼自身ある種の宗教に関しては深い関心や、具体的なかかわりを持っている人で、様々な意味で共通のというか、お互いある程度理解できる話題、関心のある話題があり、そういう人とひとときであれ、ともに時を過ごすことができたということがとてもうれしかったです。 その人との話し合いの中で、私の事件の被害者のひとびととへの謝罪をどうしてゆくのかということも、話題になりました。ずっと頭の片隅にあり、いつか良い時期が来て、わたしがそうしことにとりくむだだけの余裕が出てきたら、いつかわしがしたいと思っていたことです。 もっと書きたいのですが、眠くて仕方がないのででます。
2004.10.16
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久しぶりに、何もやる気が起こらないような、へなっとした気分になっています。屋根修理の仕事、山の仕事、運転免許のこと、妹のことなど、目の前に課題として立ち現れていることがかなりあり、その調節、やりくりを考えることが気が重く、少しの間全てを投げ出してくつろいでいたい、そんな気持ちになっています。 ちょっと休んで誰かに甘えたいような、愛する女の人の膝の上に頭を乗せて、その豊かな腰に手を回し、ただしばらく静かにしていたいような、そんな気持ちというか。 休みたい くつろぎたい ほんのひとときでいいから 休ませてください しずかに しずかに 深まり行く秋の気配の中でこのページの中で、こんなことを言ってみることで、少し気分が落ち着く気がします。たまにはこんなにローな気分になることもいいのだろうと思います。心が疲れてそんなことを言いたがっていて、ただありのままにそういえる場があり、誰かがそれを読んでくれている、そんなことを思うだけで少し気が落ち着くというか、楽になるというか、ほぐれる気がします。そんなことを求めて、今日はここにこんなことを書き込んでいます。ps 落ち込んでいるとき、悲しいときによく思い出し、自分もそのような方向に意識を向けてみることがあります。 熊本刑務所にいるとき、私は金光教のグループ教誨を受けていたのですが、私が信頼し個人教誨も受けていた吉田先生が、みんなの前で話された次のようなことです。 戦後の貧しい時代のことだと思います、吉田先生は中学生ぐらいで、お父さんが金光教の教会をやっていた頃のことです。ある日吉田先生の家に明日食べるお米もなくなったことがあったそうです。そうなったとき協会長であったお父さんは、家族みんなを集めてそのことを知らせた上で、みんなに神前に座りお祈りする旨告げて、みんなが座ったあとに、手をあわせて彼はこう言ったとかいうことです。 そこまで吉田先生が話したとき、私はお父さんはどういったのだろう、まさか神様にお米が与えられるようにお願いしたのではないだろうけど、とか思いました。 吉田先生が言ったのはこんなことでした。 「父はそのとき、神様今日までお米を食べさせてくださって、ほんとうにありがとうございます。心から感謝しています、そんな風に言った。」 私はお父さんがそんなふうに言うとは全く予測できず、そのことに心を深く動かされました。明日食べる米もないのに、今まで食べさせてくださってありがとうと迷うことなく言うことのできるそのあり方に。 私はいろいろつらいことや、悲しいことや、経済的な不安な情況などに出会うとき、、いつもではありませんが、よくその言葉を思い出します。私はいわゆる創造主としての神の存在を信じたりはしないのですが、存在の全体を神性なものと感じたりするときはあります。私がどんな苦しい情況に生きているにしろ、存在はありとあらゆる方法で私を支えてきてくれたし、今、このたった今も支えてくれているということを、ほんの少しだけでも感じてみようとする、そうした方向に私の意識を向けようとしてみると、ほっとするのです。というか苦しい気持ちが和らぐというか。そしてまた苦しい気持ちの中に浸っているよりもそのほうがよほど自分にとって良いことが良くわかるのです。 京はちょっとそんなことも書いてみましたそんなことを書くことで、自分の気持ちを楽にしたいからでもあります。
2004.10.13
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忙しくて何の準備も出来ていませんが、来週の月火、18、19日と熊本に行きます。ある宗教者の研修会に呼ばれて、そこで受刑者としての私の生活、出所後の生活、犯した罪と自己省察、宗教者の受刑者との関わり方、などといったことについて1時間ぐらい私の話を聞いてもらい、、その後も何らかの話し合いを行うといった会合です。 私としては、出所後初めてのそうした場での私の犯した罪と、それにたいする自己省察、それに根ざした受刑生活、出所後の生活といったことを話す機会になります。というかそれは私の人生で初めての体験で、しかも真剣に受刑者の更生について考えてきておられる宗教者の人々を前にして、あるいは相対して話し合う場で、そういう機会が与えられたことを嬉しく感じています。 そういう機会を持ちたいと思いつつも、生活の忙しさ、構築に終われているばかりで、何も出来ないまま来たのですが、今回はその人たちから声をかけていただきました。真剣な話し合いが予想され、この1年間、ほとんど落ち着いてものを考えることもしてこなかった私には、ちょっときつい場になるかもしれませんが、それでさび付いた何かを少しはとぎすます機会にもなると思い、ともかくその場にありのままの自分でいどみます。 その会合の終わった後、多分そんな機会はそうないとも思い、熊本のレイさんにもお会いして来る予定です。その他熊本には何人かの知り合いなどがいますので、時間が許せばそうした人々とも再会してきたいと思います。 まあ、時々はこういう日々があっていいと思います。というか私には必要です。
2004.10.11
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この写真は昨日からの雨で水かさが増している、野の花社の前の川―神渕川です。最も前と言っても正確には下隣の家の前なのですが。そこはどんどんと呼んでいるところで、普段は岩によって出来た段差が少しあり、どんどんと音を立てて水の流れ落ちるながれが、幅二メートルくらいになっているところなのですが、今は川幅いっぱいになって流れています。 昨日から本当によく降り続いています。朝方少し小止みになっていたのですが、12時頃からまた雨脚が速くなってきました。ただ台風はかなり太平洋側を通っているみたいで、今のところこちらはほとんど風は吹いていません。ほっとしています。もう今年はこれで終わりにして欲しいですが、どうなることやら。 今日は、昨夜9時過ぎに寝て、7時頃まで寝ていました。途中何度か起きたのですが、寝たりない気持ちがあり、小便などしただけでまた寝たりしていました。さすがに今日は寝たなーという感じがありました。
2004.10.09
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やっほー、仮免の試験、学科も技能も一回で受かりました。運転のほうが受かったとき、ちょっと涙がでるほど嬉しかったです。あまりかねもないこともあるし、この10日間ほど、かなり免許取りに集中し、時間も、エネルギイー、そしてお金も惜しみなくつぎ込んでいましたから、その結果がでたことが素直に喜べたのです。 上の写真は、その仮免の免許証です。 ところで運転のほう、途中で踏み切りのある道の入り口がわからず、すこし通り過ぎてしまい、試験管に指摘されて、少しバックして戻りその道に入ったりしました。その際あまり慌てず、いちおう後ろを確認してゆっくりやり、何とか大崩れせずに済ませました。その他少し細かいところでの確認を忘れたり、ウインカーを切らずにいたりといったミスがいくつかありました。だから、だめかな―と思いもしましたが、いろいろみすはあるけどまあ良いだろう、と最後に試験管に言われ、受かったーと感じて嬉しくなりました。 ともかく仮免まで教習料、受験料含めて10万円以内で済ませることが出来ました。本面までに後5万ほどは使う必要がありそうですが、自動車学校にいくよりかなり安く上げられそうで、良かったです。何でもできるかぎり人任せにしないで、自分なりによい道を探りつつ歩むということが、生きることにある種の喜びと、充実感、自己信頼感を与えてくれます。そんなことをこのけんでも感じました。
2004.10.08
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また台風がこちらに向かっているようですね。あまりまともにこないで欲しいと思いますが、なすすべはないから天気図を眺めているだけです。まあ明日の仮免の試験は、雨が振るい害はあまり影響ないから良しとします。朝5時半過ぎにはここを立ち、下呂の教習所に7時少し前に着き、そこから1時間ほどかけて高山の試験場に、教習所の車で行きます。 この教習所に来て良かったと思っています。 かなり小規模な教習所で、指導する人たちも余りえらぶることがないというか、私たちとの間に壁を作らない感じで、極楽に話し掛けてくる人々だこともあります。 ともあれ最後の日なので、実技のコース、3つのうち1つなので、コースおぼえておいたほうが良いかなと思い覚えようとしていましたが、疲れてしまい、、ここに少し遊びに来ています。 まあ覚えなくても車につく試験管が乗りながら教えてくれるそうですから、それによく従えばいいのですが。その今ここにいることさえできれば。まあ、でももうすこしだけやってみます。
2004.10.07
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上の写真は、野の花社の食堂に入ってきて、私が与えたアジの柔らかい肉をあごで切り取り、マッチ棒の頭くらいにして、足で抱えて飛び立ち、自分の巣に運んでいる、クロスズメバチという小さな蜂の写真です。中学生頃は、秋になるとよく釣った魚をえさにして、この蜂をおびき寄せ、白い小さな綿の先を糸状により、その先に魚の肉を丸めて蜂の尻のほうから入れてやり、それを抱かせて飛び立たせ、それを目印に野山を走って追いかけ、その巣を見つけるのを楽しみにしていました。山の斜面の小さな穴の中深くに大きいものではどっちボールくらいの巣を作っていて、夜になるとその巣を掘りに行きました。ながさ2センチくらいの、ごく小さな蜂です。 今年はよく見かけるのですが、けさは食堂にまで入ってきていたので、少年の頃のことを思い出しながら、皿にアジを乗せて与えてみたのです。 この辺では蜂のことしてよく食べますし、特産品みたいに売っています。 今日も昼から下呂の教習所に行き、2時間の実習を受けてきました。運転は上手くなったが、今ひとつ細かい操作が正確に出来ないな、とか言われました。私自身、2日後の試験はこれでは少し心配です。明日最後に三時間ぐらい受けようかなとも思います。 学科のほうは、教習所のパソコンで模擬試験を5階ほどやり、大体90点以上を取るようになったので、油断さえしなければ大丈夫だと思います。あと明日は何とか実地試験のほうをクリヤーすべく、努力してみます。 今日は久しぶりによく晴れた、気持ちのいい日でした。私の部屋から見える、荒れ放題の母屋の裏庭の草たちも緑に輝いていました。下はその写真です。
2004.10.06
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下の写真は、今通っている自動車教習所の入り口からその事務所を撮ったものです。 今日も昼から2時間ほど教習を受けてきました。 まだおぼつかない感じです。学科のほうもまだまだです。少し眠くなったのでカヘインの錠剤を飲みましたが、どうも眠気が醒めないので、しばらくホームページに来ています。かなり目がさめてきた感じなので、また勉強に戻ります。
2004.10.04
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昨日の夜遅くと、今日の午後3時過ぎに、自分を受け入れることの大切さなどについて、妹とかなり話し合う。多分私のことについて、近所の人々がよくやっているから、彼女も私を助けてやらないかんよみたいなことを、、何度か言われているらしいこととも関係があり、、なかなか思うように体が動かないことから、自己避難的になっているところもあったのだと思うけど。 ともかく昨日の夜はそうした言葉を一人で、ことあるごとに繰り返していたから、居たたまれなくなって食堂に行き、そこにいた彼女とその点について話し合う。そんなに自分を非難ばかりしていては自分で自分を傷つけることになること、今も彼女は彼女なりによくやっていること、これまで苦しい中でよくやってきたこと、誰でも至らないこと弱いこと、醜いことはそれなりにあり、そういう点だけ見てそれを全てのように言う必要はないこと、他人と比較する必要はないこと、彼女は高校生の頃はとても素晴らしく繊細な良い文を書いていたこと、そんなことを強くいった。もうやめたほうが良い、とも。 強く言い過ぎたかもしれないと思いもしたけど、今日になって昨夜あんなこといわれて楽になった、ありがとうといわれた。今日の午後もそんなことを、彼女の運転で軽トラ、野ウサギ号に乗って峠を越した近くの 花 という喫茶店に行き話しあった。 いくときは雨が降っていたけど、1時間半ほどして帰る頃には止んでいた。 さあ私は免許取りの勉強だ。 そういえば、サルの腰掛け売れませんでした(笑い)。再出品しています。こちらの店に出せば、多分売れるのですが。 どうしようかな
2004.10.03
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妹が最近はあまり寒がらないので、今日、もうコタツを入れて寝てないのか、と聞くと、そうだねと言う。少しほっとする。食欲もかなり戻ってきているみたいに、食事の時間以外にも何かつまんだり、かじったりしているのを見かける。 庭の草刈やその他、前よりかなり身体を動かしているみたいな気もするし。相変わらず自己非難の言葉をよく口にしているのだが。 野の花社とその周りの建物、庭が広すぎて、自分にはとてもここではやっていけないみたいなこともよく口にするのだけど、それでも少しづつ、何かが回復してきているのだろうと感じる。 ときどき誰にたいしてか、一人で怒りの言葉を上げている。 何かとても深い怒りがあるのだろう。はじめはそれが自分に向けられているようにも感じたりして、気が重くなるときもあったけど、今はただ聞いている。少しの悲しみとともに。 私は別の部屋、私の書斎でそれを聞いていつのだけれど。 ところで先日、野の花社の前の道端に咲いているコスモスの中に、赤とピンクの花の交配した、珍しいコスモスの花を見つけました。以下の写真がそれです。 またプロフィールに、自動車の免許を取るため、コンタクトを入れ始めている私の写真も入れておきました。めがねより安く買えるのと、ナルシストの私はこの顔のほうが好きだからでもあります。
2004.10.02
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