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今日も忙しい日だった。でもとてもいい日だった気がする。昨日書いた生田さんの本のそううつ病に関する記述の部分をコンビニでコピーし手ホッチキスでまとめ、病院に行き、元の病棟、今の病棟に行きそれぞれの看護士と、そして兄と、その後電話で主治医と、兄の病気に対する理解と対処方法などについて、コピーを参考にしながら話し合った。と言うか私が良くしゃべったのだけど。兄に対しても、兄の言うガスとはバナジウムの可能性があると言うと、兄は自分の感じていることの裏付けのように感じたのか、落ち着いて答えてくれた。ともあれこうした機会に栄養療法的な観点について、いくらか話し合えたのは良かった。単なる自己満足かもしれないが。2つの病棟の看護士は、割とまじめに聞いてくれた。主治医はあくまで精神的な症状の表れとして理解して欲しいみたいなことをいった。栄養療法的な観点については、例外的なものとしてしか理解しようとはせず、あまり関心を向けようともしなかった。兄には昨日着いたタウリンと、今日買ってきたビタミンCを渡してきた。野の花社に12時ころに帰りつき、昼飯を食べてから八百津の久田見、母の在所の地に行った。5千円ほどのヒサカキを切り、昨日作っていた10束もあわせて14束ほどをMさんに渡して帰ってきた。そのときに母の同級生に会った。ともあれ今日は、兄に対してできることをやった感じがして、自分で自分を信頼できた。ともかく自分なりに出来ることをやれた気がした。兄も私の言い分に耳を貸してくれた。
2006.11.30
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上下で二万少々のゴアテックス製の作業着。防水、防風、透湿で蒸れない、山仕事に最適、かつ薄いのに破れにくいとか。奮発して買った。
2006.11.30
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フクスケが通り道にしていることもあるけど。
2006.11.30
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最近であった切り子、同業者の人が懇意にしているお婆さんのところに行くと、話のなかで彼女が母の同級生であることがわかる。
2006.11.30
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兄がまた閉鎖病棟に入れられた。数日前のことだ。先週の金曜日に妹と共に見舞ったときは、3人で散歩などし、兄に病院の周りのいいところを案内して貰ったりした。かなりに元気になってきていて、よくしゃべるようになり陽気になっていた。しかしその前日だか、体から、足の指や、頭髪から、有毒ガスが出ると言うことで、指を傷つけてそれを搾り出そうとしたりもしていて、かなりにいわゆるそう状態に近づきつつあるのを感じさせられてもいた。その後まもなく、当直医の判断で、夜中に閉鎖病棟に移った。ところで兄がそう状態になると必ずのように、体から、特に足や手、頭から毒ガスのようなものが出るといい、しょっちゅう手や頭を洗ったりするようになる。医学的にはそれは妄想のように受け止められている。肌のひりひり感を覚えたり、肌に蟻が這っているような感覚に陥る人もいるがそういうたぐいのことが起こっているのを、兄は毒が出ると表現していると。生田哲さんの「心の病は食事で治す」を読んでいたら、そう状態になった人の身体には、バナジウムと言う有毒物質が大量に出来ていることがあり、頭髪を検査すると、以上に高い濃度でバナジウムが検出されるときがあるとか、仮に兄にこうしたことが起こっているのなら、兄の感じていることは正しいことになる。それはビタミンCで相殺されるともある。明日は兄に面会に行き、こうしたことも話した上で、ビタミンCとタウリンを進めてみる。タウリンは抗そう剤の役割も果たすサプリメントだし、私自身も兄のガスが出ると言う言説を、そう感じていつと言うことは間違いないとは思いつつも、なんか事実とは違うのではないかと思っていたが、こういう本を読むと、それが事実である可能性も高いことがわかって、反省している。一応このことは病院にも知らせておくつもり。事実はまだわからないけど。
2006.11.29
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妹が植え、今日収穫したもの。
2006.11.28
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2006.11.28
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2006.11.28
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今日の売上は、4万近かった。おととい、しんどい思いをして山から運んだ榊が、やはりかなり大きな枝だったため、そんな売上になった。少し汚れていたり、虫食いもあったが、一番上の良く見えるところにはいいものを置いて束にしている。誰もが多かれ少なかれやっていることだけど、ともかくそんなものが1束30本で、高値は6000円もついていた。本当にありがたいことだ。なんとかこれからももっといいものを切り、花屋さんに喜んで貰えるようにしたい。今日は弱い雨の降る中、クリスマスの飾りつけのときに使うらしい、日陰の五葉松の枝を、あるところで切った。これも初めての仕事である。あまり多く切ることは出来なかったけど、1つ1つ、山仕事、花材切り出し人としての仕事を自分の物にしていきつつあると言う実感もわいてきた。いろいろな人に教えられ、ヒントを与えられて、新しい仕事を覚えてゆく。何とか12月も乗り切れそうだ。
2006.11.27
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おかしくて、妹と大笑い。
2006.11.27
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2006.11.27
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2006.11.26
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前のもそうだが、圏外で山からはおくれなかったもの。
2006.11.25
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榊100本くらい切って、谷から上がり、昼御飯を食べるところ。
2006.11.25
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今日はほとんど初めての感じで、七宗以外で榊の枝を150本以上切った。少し太いからそれだけにしたのだけど、ひどく重く、尾根から背負って下ろすのに、とてもしんどかった。足はずるずる滑るし、、 ともあれ無事降りてきて、榊を下ろすと、まるで宙を浮くような不思議な感じになった。
2006.11.25
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アマテラスノミコトに仕えるとか言う有名な神社の年配の巫女さんが、和尚のことを予言したとか、和尚の弟子になったとかいう記事を、和尚関係のパンフなどで、15年程前に目にしたことがある。彼女はなにか深いことが予言できるような超能力?があるのかもしれない。しかし、アマテラスに仕えるという自覚と、和尚の瞑想的な自覚、あるいは覚醒すると言うことと、アマテラスに仕えるということが、両立するとはとても思えなかった。和尚が彼女に、日本における重要な役割を与えていたことも、私には冗談と言うか、和尚特有の、彼女に対する働きかけなのかもしれないと思っていた。私は天照大神などと言うものが存在するとは考えられない。日本人にとっての有害な信仰の天皇信仰の根本に関わって、あるいはかって大和朝廷が自分たちの侵略搾取を正当化するために捏造した、そういう神に過ぎないと思う。それはその地の人々の自然に対する敬虔な信仰から取り入れたものであるかもしれないにしても。仮に彼女が和尚の意識に共感し、共振しているなら、天皇信仰に対する深い批判が生ずるはずだと私は思う。彼女がそうしたことについて何かをいっているということは聞いたことがない。昨日ある女性からの言葉として、その巫女さんが彼女の人生に有害な影響を与えるアドバイスをしたこと彼女がそういったのではなく、私がそう理解したと言うことだが、そういうことを聞いたので、こんなことを書き込んでみたくなった。良くは分からないけど、今もサニヤシンー和尚の弟子たちの1部には彼女との親交がある人がいくらかいるようである。私はそういう人たちに対し、またその巫女さんに対し、こういうことを話してみたい。そういう事をあいまいにして、和尚の弟子だからと言うことで、なあなあで済ませていたくはない。これはホメオパシイのレメディを飲んでいるので抑圧された怒りが湧いてきているからかしていることかもしれない。ニコニコ。しかし自覚的には、この3日間飲んでいるものが私に影響しているようには感じない。ともあれ、こんな形で申し訳ないけど、私のこうした理解になにか意見のある人は、意見を寄せて欲しい。
2006.11.25
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数日前、病院の主治医などから、兄がまたそう状態に入っているから、相談したいことがあるなどと言う電話が入っていた。今日、市場に行った帰りに妹と共に病院により、まず主治医のところに行き、面会をする。少し落ち着きがなくなっていること、体から薬などの毒が溜まっていたのが、ガスになって出てゆくといった想念に囚われていて、そのために少し逸脱した行動をとるようになっているので、近い内に閉鎖病棟に行ってもらうこともありうるので、了解して欲しいとか言われる。早く解放病棟に戻るためにも、そうに深入りしない時期にそうしたほうがいいのでとか。一応それには同意しておいた。私のところにも兄から少しおかしな電話がきていた。ただ足や手の指から薬の毒などの溜まったものが、懸命に洗うと取れてゆく出てゆくといった兄の感じ方考え方に対しては、単純に妄想とはいえない気がする。体が回復してきてエネルギイに溢れてくると、くすりの成分が身体に溜まっていたのを体自身が排出しようとすることは大いに考えられることだ。主治医と会った後、兄に会い、外に出て散歩したり喫茶店に入ったりしながら、よく話し合った。兄が少しそう状態に入っているのは確かなようで、よく兄が話した。去年のひどい時のような、不安定さや、強硬さはなく、少しほっとした。妹も割りといい感じで話し掛けていた。そうしてか減ってきて夜8時ころになって、当直医からちょっとひどくなってきたので、これから閉鎖病棟に入って貰おうとしているところですけど了解していただけるでしょうか。と言うような電話だった。兄の言い分も聞いてからといい、そのまま兄に電話に出て貰い兄から状況を聞き、何も問題はないと言うからまた医師に電話を回し、、いろいろ話し合う。そんなことを2,3回繰り返して、私は病院の方針を受け止める以外にない感じでその旨兄にもつたへいとう本人の同意も得るかもとる眠くなってきたから眠るねみいー
2006.11.24
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2006.11.24
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谷の底の木々の葉は、陽当たりが弱いため黄色に染まって落ちている。
2006.11.22
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今日夕方、妹のために取り寄せたホメオパシイのレメディが届いた。もともとは精神的に不安定で、苦しんでいる妹に摂って欲しかったものだが夕食後、妹にそれを飲んで欲しい旨伝え、ホメオパシイのこと、妹に飲んで欲しい理由など伝えるが、とりあえずそのきになってくれなかったので、私が飲むことにした。そのレメディの中にNat-mur ,Staphsagria ナイチュミア、スタッフサグリアというのがある。長い前者は長い間の悲観や苦悩、後者は怒りを抑え溜め込んでいる、そんな状態に効くとかある。私に関してはどんな効果があるのか楽しみである。妹に関しては、こういうものにあまり関心がないみたいだ。そんなものを飲んで精神的な問題が解かれるはづがない、初めはそんなことを言っていた。ホメオパシイの本も渡してあるけど-もう3ヶ月はたつだろう読んではいないようだし。そんな妹にのませようという試みは失敗したけれど、おかげでかねてから試してみたかったものが楽しめることになった。
2006.11.22
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日あたりの良い土手で咲いている。兄がまたそう状態に入ったようだ。元気が出てくると、そうなるという、そのことが悲しい。
2006.11.22
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もしこの国、ー法的な規定や、意識のあり方や、地域的な範囲などのある種のをもつ共同性ものー愛すると言うのなら、天皇制はなくす必要があるし、戦争を賛美する靖国神社などに参拝してはならないし、教育基本法の中に愛国心を育てることなど謳ってはならない。 もしこの国を愛すると言うのなら、天皇制はいらないし、天皇家の人々のように、基本的な人権もなく、また戦争責任もとることのないような家族を、国の象徴にしているようなあり方は、廃止する必要がある。もしこの国と国民を真に愛すると言うのなら、この国の多くの人々を戦争に駆り立てたこと、たえがたい苦痛と無残な死を与えたことに何の反省の意識ももたない、靖国神社などに参拝したいとか、するはずがない。参拝するのを当然とするような自民党の多くの人々が作ろうとしている、新しい教育基本法などというものは、国を愛するなどと言うこととは正反対のものだ。戦後の教育が、人々の公共性を育てなかった、見たいな言い方をする人がいるが、もっともその公共性を犯してきたのは自民党的なあり方ではなかったのか。そういいつつ常の特定の人々や、支配層の利益を追求してきていたのは、それを言う本人たちではなかったのか。 教育の場における国旗の掲揚、国家のさい唱?の強要など、みな人々の中の愛を破壊してゆくものだ。そういうことの積み重ねの中に、教育基本法の改正があるのだろう。私は教育基本法の改正に反対ではない。それが人々の中の愛と責任制の自覚などを真に育てる方向性をもったものなら大いに賛成する。
2006.11.20
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以前から隣の空き地に生えていたが、小さなうちに刈ってしまうため、実がなっているのを見たことがなかった。
2006.11.20
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今日ちょっと昨年のこの時期の日記を読み返していて、きりの蕾が今年はほとんどないだけでなく、サンキライや紫式部の実も今年はないことに、改めて気づく。去年もこの時期は苦しかったけど、まず桐の花の蕾の付いたものがたくさんあり、それで随分助かったのに、この2,3日あちこち見て回ったけれど桐の花の蕾も今年はほとんどついていなかった。サンキライの実も、紫式部の実も、ほとんど山では付いていない。桐の蕾以外のものは安かったけれど、根気にとっていったからそれなりの収入にはなっていた。それらが今年はないのだ。自然のこうした変化もある。11月の前半はそれでも何とか17万くらいの売上はあったけど、後半になってからは、本当に売れるものがない感じで、少ししんどい。ともあれ榊やシキミ、ヒサカキといったものを、安いのは覚悟して採ってきて出す以外になさそうだ。不安の中では心身が萎縮してゆく。多分私の道は、その不安の中にいる自分を愛するということを通してそれを超えて行く道なのだと思う。それは深い不安の中に生きている妹と共に生きる道でもある。そのような不安の中に生きる妹その不安を共感を持って受け止めること、けして妹が感じているそのものをありのままに感じ取ることなどは出来ないけれど、方向としてはそれを共感的に感じ取ろうとすることは出来る。と言いつつ私はなかなかそれが出来ない。不安のなかから発する妹の言葉受け止めず、つい私の意見を持って反論したりする。妹はよく、ともかくいったんはああそうかとか受け止めて欲しい出ないととても苦しいと言う。だから口論が絶えない。そこにある私自身の問題。まだそこら辺がよく見えていない気がする。
2006.11.19
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妹が悲嘆にくれている。ときどき機嫌よくなることはあるが、もう私はだめかしら、みたいな言葉を連発する。以前から同じようなことは続いているのだけど、最近少しひどくなったような気がする。変わり目なのかもしれない。多分私が彼女を受け止めきれないこともそれに拍車をかけているのだろうとは思う。ともあれあまりそうした状況を変えるために動こうとはしていない、いや本人はそうしているつもりかもしれないけど、あまり適切な動き方はしていないように私には見えることもあり、試しにホメオパシイのレメディの中で、妹の状況に対応するものと思われるレメディを注文したところ。都会の中に生きているのなら、そうした妹のためになる出会いの場などを探し易い気がするのだけれど、ここではむつかしいこともあり、ホメオパシイにもう少し深入りしてみる気になる。本当にそうしたレメディが妹の状況を好転させるなら、私にとってもそれは貴重な体験になる。そうしたもっともレメディを摂ると、やはり最初は抑圧された感情が吹き出てくるというから、お互い楽ではないだろうけど。生活は楽ではない。というか山仕事が思うようにはかどっていないこともあり、11月後半は少し苦しい。この時期にだす正月用の梅・南天とか松の取り方など、これから覚えていく必要があるのを感じる。
2006.11.19
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2006.11.18
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シキミの整理を少し前に終え、フクスケの出入りする穴を開ける。戸を開けておくと、冷たい空気が入るので。
2006.11.18
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これから整理するか?
2006.11.18
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2006.11.18
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夕食後、枝に付いている、余分な葉を落としてきれいにしたもの。
2006.11.17
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2006.11.17
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昨日市場にだした残りのツルウメモドキを、妹が近くの老人福祉施設のサンホームに持ってきた。私は用事を済ませてきたところ。
2006.11.16
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この秋はここのモミジを、かなり切らしてもらった。感謝している。この地域では、美しい紅葉をするモミジのひとつだ。
2006.11.16
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2006.11.16
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アジサイも終わった。ツルウメモドキもあまり良い収入には結びつきそうにない。その他の紅葉物も終わった。明日からは榊やシキビ、ヒサカキといった地道なものを採ることに方向を変える。この1週間ほど、ガソリン代を随分使って動き回った。お金になる収穫は少なかったけど、いろいろなことが分かってきた。さまざまに態度決定をする必要のあるとき、事柄が現れ、毎日毎日新しい事態に直面してきた。多くのアドバイスや助けはある。しかしいつも、自分で選択するしかない。誰も頼りには出来ない。毎日が賭けのような生活。今日のように、昼前のほとんどを、車で走り回り谷筋を歩き回ったりしても、目当てのものを見つけられないとき、しかもこのところそんな日が多いときふと不安や疲れを覚える。私は悟ってもいないのでいつも今ここにあたえっれているものを感じ、感謝と歓喜の中に生きているわけではない。ごく普通の不安を抱きやすい人間であり、野山を歩きながらため息もつく。あーあ、何にも取れないなー疲れるなー、と力が抜けてゆきそうになる。山の中の紅葉は美しい私の不安にはかかわりがない谷の水の清冽さには心を奪われる森の静寂にも心が震えるしかし現実の生活の不安も時として強く感じるそれでいいではないかそう強い人間ではないしいろいろ難しいことも多いのだから。私はこの私を愛している人知れず愛している。私のいわくいがたいこの生を説明しがたい汚濁と清冽を共に生きている私を愛しているそれにしても急に寒くなった私は寒がりである
2006.11.13
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とってきたけど、落葉が激しいので市場には出さない
2006.11.12
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今日は榊などを背負って、二度山から谷の林道に降りた。やはり実りのある仕事をするのは、気持ちがいい。
2006.11.12
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今日はツルウメモドキがたくさんあると聞いた場所にゆき、さ迷った。少ししかとれなかった。数日こんな日が続いている。写真はツルウメを探して今朝あるった谷ぞいの山道。
2006.11.12
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2006.11.12
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2006.11.12
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2006.11.11
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2006.11.11
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市場に出ている花
2006.11.09
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2006.11.09
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アジサイの間のピンクの小さな花が咲いているものは調べてみたら多分シモツケという木の花だということがわかった。
2006.11.07
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2006.11.07
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2006.11.07
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この半年ほど夢中で仕事をしてきて、山の花材の枝物などを切ってきた。季節は変わり、紅葉も終わりに近く、ふと切るものがなくなっていることに気づく。これからは桐の蕾とか、松とかあるし、12月になれば榊の値も良くなる。しかし11月は、やはり端境期である。まだ私にはその転換がうまく出来ないところがある。はたっと切るものがなくなっている、そのことが少し私の不安を掻き立てている。でも本当のところはその事実に関して不安になるということより、そうした形でのふと気が付いたら何もなくなっている、そういうことに対する、不安を抱く癖がある。それは指名手配されているときに、長い間味わってきた不安の形と似ている。そういうことがトラウマになっている部分もあると思う。でも私にはもう少し深いところでそういう形の不安を抱く根がある。その根を先日夢で知らされた。私が生活の中で抱く不安の形と形が良く似ていて、なぜそんな不安に陥るのか、少しわかった気がした。そのぶん気が楽になった。ともあれ昨日とってきたアジサイは2万5千円ほどのなった。雪柳と合わせると、27000ほどになる。昨日1日の働きが、そこまでになるということ。アジサイをとらせてくれた人々の対しても、それを買ってくれた花屋さんに対しても、感謝する以外にない。アジサイじしんにたいしても。アジサイの力と、大地の、太陽の力、関わるすべてのものの力。それに感謝する以外にない。そういう方向に関心を向けること。私の生は、人生は、いつ終わるかもしれない。明日は交通事故で死ぬかもしれない。あるいはどうしようもない重い傷を負うかもしれない。であるにしても、今ここでのこの私の生は、ありとあらゆるものに支えられ、また共にあり共に生きてもいる。障害は壁ではなく、扉であるとか、誰かが言っていたと妹が連絡帳に書いていた。困難は、確かにいつも新しい扉を開いてくれる。そういいつつも、今ひとつ楽になりきれていない自分がいる。それはそれでいい。この揺れ動く限界のある自分を大切にしよう。この自分を愛する。
2006.11.06
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2006.11.06
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山の尾根部分に広がる広大な荒れ地
2006.11.06
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